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ミスタープロ野球長嶋茂雄が去世した。ご冥福をお祈りいたします。昭和が一つ無くなった。長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた「ミスタープロ野球」読売新聞 20250603プロ野球・読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で死去した。89歳だった。 1936年、千葉県臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立教大に進み、東京六大学リーグでは、57年秋に、当時の六大学記録を破る通算8本塁打の新記録を作った。 58年に巨人に入団し、打点王、本塁打王の2冠に輝いて新人王を獲得。翌59年には、初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放つなど、無類の勝負強さで、ブームを巻き起こした。王貞治選手とのコンビは「ON」と呼ばれ、65年からのV9の中心選手として、黄金時代を築き上げた。 背番号「3」は巨人軍の永久欠番。74年、後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年間の現役生活に別れを告げた。同時に巨人監督に就任し、2度のリーグ優勝を果たした。93年に巨人監督に復帰。3度リーグを制し、94年と2000年には日本一に輝いた。01年に勇退し、終身名誉監督となった。 03年にはアテネ五輪アジア予選で日本代表監督として指揮を執り、予選を突破したが、04年3月、脳 梗塞(こうそく) を発症し、五輪での指揮を断念した。それでも懸命にリハビリに打ち込み、「もう一度、走りたい」と目標を掲げ、回復に努めた。13年には巨人で指導した松井秀喜さんとともに、国民栄誉賞を受賞した。21年の東京五輪では王さん、松井さんと3人で聖火ランナーを務め、同年秋、野球界から初となる文化勲章を受章した。長男・長嶋一茂氏「長嶋茂雄は野球の星に帰りました…」サンケイスポーツ 2025 0603元巨人・長嶋茂雄氏の死去を受け、長男・一茂氏(59)が「長嶋茂雄の全てのファンの皆様及び,関係者の皆様」と題した声明を発表した。以下は全文(原文ママ)。父長嶋茂雄が永眠致しました。父にとって野球は人生そのものであり、最愛の存在でした。長嶋茂雄が野球に捧げた人生の礎を築くことができたのは、ファンの皆様をはじめ野球関係者、スポンサーの皆様の温かいご支援のおかげです。父の野球人生は誰よりも幸せな89年間だったと感じております。長嶋茂雄は野球の星に帰りました…。生前、グラウンドで残した沢山の情熱がこれからの日本プロ野球界の発展に少しでも役に立つことを父も願っていたことと思います。長い間、父長嶋茂雄にご声援を頂き本当にありがとうございました。長嶋一茂張本勲氏 長嶋茂雄氏は「絶対に人の悪口を言わなかった」 誰からも好かれる人柄「純粋な野球人」スポーツニッポン新聞社 2025 06 03プロ野球の巨人の三塁手として活躍し、引退後は巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが3日午前6時39分、都内の病院で肺炎のため死去したと読売新聞グループ本社、読売巨人軍などが発表した。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は次女・三奈(みな)氏。後日、お別れの会を開くという。 長嶋氏と時代をともに生きた元巨人の張本勲氏(84=スポニチ本紙評論家)は「自分の体の一部を取られたようだ。本当に残念だ…」と声を絞り出した。 大田区内のお互いの自宅は徒歩で約5分。多摩川の河川敷をよく一緒に散歩した。思い出は語り尽くせないほどある。張本氏は75年オフに日本ハムから巨人にトレードで移籍。その際に当時の長嶋監督から「俺の代わりに、やってくれ!」と声を掛けられたという。 それまで巨人打線は王、長嶋の「ON砲」が代名詞。しかし長嶋氏が先に現役を引退し、王貞治に相手投手のマークが集中していた。 そこでミスターが張本氏に託したのが「俺の代わり」。張本氏は「あの言葉は忘れられないし、本当に光栄だった。“頑張ってみます!”と答えたよ」と振り返った。 長嶋氏は人柄も誰からも愛された。「本当に純粋な野球人。この世界は癖の強い人も多いが、本当に純粋な人だった」。さらに「芯は強いけど、柔らかくて優しい。あと、絶対に人の悪口を言わなかった。私も一度も聞いたことがない。一緒にいて楽しい人だった」と張本氏。 プレーヤーとしては「3拍子そろった、イチローをスケールアップしたような選手。打つ、走る、守るが全て完璧。プロ野球界の象徴だし、ミスターのおかげでプロ野球は繁栄し、国民的スポーツになったと思う」とした。長嶋茂雄さん直近の様子、関係者明かす…大谷翔平との会食で「あまり食べていなかった」との話も 日刊スポーツ新聞社 2025 06 03巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。長嶋さんは今年3月28日、開幕戦に臨む巨人を激励するため、東京ドームを訪れる予定だった。しかし、直前になってキャンセル。すでに容体が悪くなっていた可能性がある。その2週間前には東京ドームで日本開幕戦に臨むドジャース大谷と会っていたが、関係者によれば、この時も病院側は外出に難色を示していた。大谷のインスタグラムには長嶋さんと会食した際に撮ったと思われる写真が上がっている。長嶋さんはあまり食べていなかったという話もある。コロナ禍でも長嶋さんは元気にリハビリに励んでいた。担当する若い理学療法士と息が合い、積極的に体を動かしていた。しかし、3年前に自宅で転倒し、脳内から出血して入院。それ以後は療養優先で車いすでの生活を余儀なくされ、田園調布の自宅に戻ることも少なくなった。それでも巨人と野球を常に気にかけ、東京ドームやジャイアンツ球場に足を運んだ。車いすで言葉も以前ほどの明瞭さはなかったが、時には立ち上がり、力強いジェスチャーで選手たちを鼓舞した。最後まで巨人を、野球を愛していた。長嶋茂雄さん告別式 王貞治さん「存在そのものが日本人の誇り」毎日新聞 20250608プロ野球・巨人で活躍し、3日に肺炎のため89歳で亡くなった長嶋茂雄さんの告別式が8日、東京都品川区内の斎場でしめやかに営まれた。次女の三奈さん(57)が喪主を務め、現役時代にともに9年連続日本一(V9)を達成した王貞治さん(85)=ソフトバンク球団会長=ら当時のチームメートや、監督時代の選手・コーチら96人が参列し、「ミスタープロ野球」の死を悼んだ。 密葬で執り行われ、葬儀の様子などは球団が発表した。お別れの会が後日開かれる。 長嶋さんとの「ON」コンビで巨人の黄金期を支えた王さんが弔辞を読んだ。「あなたへの弔辞を読む日がこんなに早く来るとは思ってもいませんでした。あなたは日本の健康優良児でした。存在そのものが日本人の誇りでした。私にとっては、長嶋さんは超普通の人で、私に普通人として接してくれました。頭が上がりませんでした。そんな大恩人の長嶋さんとのこんなお別れは、到底受け入れられません。あなたとの六十有余年、私にとっては忘れることのできない貴重な年月でした。『長島茂雄』に戻ってゆっくりとお眠りください。さようなら」と盟友との別れを惜しんだ。長嶋さんの監督時代に「1000日計画」という指導を受け、「師」と仰ぐ元巨人の松井秀喜さん(50)は弔辞で「監督、きょうは素振りないですよね? その目を見ていると、『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです。その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」と師弟愛を語った。 三奈さんは「最後まで長嶋茂雄を貫いた人生を送ったと思います」とあいさつした。 祭壇には、永久欠番の背番号「3」のユニホームや、1959年の「天覧試合」でサヨナラ本塁打を放った際のバットなど、長嶋さんをたたえる品が飾られた。 また、前日の7日には同じ斎場で通夜が営まれ、126人が参列した。 V9時代のエースだった巨人元監督の堀内恒夫さん(77)は弔辞で「今でも起き上がって声がするんじゃないかなというふうな錯覚にとらわれます。長嶋さんを見て、野球を始めて、選手同士としてプレーできたことを光栄に思っております」と語った。 現役時代に長嶋さんと同じサードの強打者として活躍した巨人前監督の原辰徳さん(66)は弔辞で「『4番、サード、長嶋』の響きに憧れ、同じポジションを守りたいと強く思いました。常に万人に愛される、朗らかな笑顔を絶やさない方でした。長嶋茂雄は永久に不滅です」と述べた。 通夜の前、長嶋さんのひつぎを乗せた車は都内の自宅を出た後、巨人の本拠地で、試合が行われていた東京ドーム周辺を11分間かけて通ってから斎場へ向かった。【参列者一覧】長嶋茂雄さん通夜に落合博満氏、清原和博氏、松井秀喜氏ら巨人OB 日刊スポーツ新聞社 2025 06093日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜が7日、告別式は8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一氏(68)が務めた。通夜の弔辞は堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)、告別式の弔辞は王貞治氏(85)、中畑清氏(71)、松井秀喜氏(50)が読み上げた。 ◇ ◇ ◇ 7日に行われた通夜の参列者は126人。親族は長嶋一茂氏ら27人、巨人関係者はV9のチームメート、監督時代の選手、コーチが62人参列した。巨人OBの参列者は以下の通り(順不同、敬称略)阿野鉱二、上田武司、江藤省三、王貞治、河埜和正、柴田勲、末次利光、杉山茂、高田繁、新浦壽夫、原田治明、広野功、堀内恒夫、吉田孝司、黒江透修、横山忠夫、江川卓、江藤智、大久保博元、岡崎郁、淡河弘、小俣進、鹿取義隆、金石昭人、清水隆行、高橋由伸、中畑清、所憲佐、仁村薫、原辰徳、張本勲、樋澤良信、福王昭仁、藤城和明、松井秀喜、松本匡史、村田真一、元木大介、吉村禎章、浅野啓司、阿波野秀幸、井端弘和、上原浩治、上田和明、上野裕平、大塚淳弘、岡島秀樹、落合博満、大森剛、川口和久、川中基嗣、清原和博、香坂英典、斎藤雅樹、笹本信二、條辺剛、鈴木章介、高田誠、堀田一郎、宮本和知、槇原寛己、原俊介現在のチームからは阿部慎之助監督、二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチ、橋上秀樹作戦戦略コーチ、村田善則総合コーチ、亀井善行打撃コーチ、古城茂幸内野守備コーチ、松本哲也外野守備兼走塁コーチ、杉内俊哉投手チーフコーチ、内海哲也投手コーチ、實松一成バッテリーコーチ、ウィーラー巡回打撃コーチ、丸佳浩外野手、岡本和真内野手の13人が参列した。【参列者一覧】長嶋茂雄さん告別式に96人参列 巨人OBは江川卓氏、工藤公康氏、元木大介氏ら 日刊スポーツ新聞社 202506093日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締オーナーの山口寿一氏(68)が務めた。弔辞はソフトバンク王貞治球団会長(85)、巨人OBの中畑清氏(71)、元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)が読み上げた。8日に行われた告別式の参列者は96人。親族は長男でタレントの長嶋一茂(59)ら23人、巨人関係者はV9のチームメート、監督時代の選手・コーチ47人が参列した。巨人軍OBの参列者は以下の通り(順不同、敬称略)阿野鉱二、上田武司、江藤省三、王貞治、河埜和正、柴田勲、末次利光、高田繁、新浦壽夫、原田治明、広野功、堀内恒夫、吉田孝司、柳田真宏、城之内邦雄、江川卓、横山忠夫、大久保博元、岡崎郁、淡河弘、小俣進、鹿取義隆、金石昭人、香坂英典、工藤公康、篠塚和典、清水隆行、高橋由伸、中畑清、所憲佐、仁村薫、原辰徳、福王昭仁、藤城和明、松井秀喜、松本匡史、村田真一、元木大介、吉村禎章、石毛博史、緒方耕一、木田優夫、角盈男、高橋尚成、二宮至、水野雄仁、屋鋪要【一覧】長嶋茂雄さん葬儀に巨人OB参列 落合博満氏や清原和博氏らの姿も 王貞治氏や松井秀喜氏ら弔辞 デイリースポーツ 2025年6月8日 16時12分肺炎のため3日に89歳で亡くなった元巨人・長嶋茂雄さんの通夜・告別式が、7日と8日にそれぞれ東京都の桐ケ谷斎場で営まれた。 近親者のみで執り行われ、通夜には計126名が参列。親族は喪主の次女・三奈さんや長男の一茂氏ら27名が出席した。巨人軍関係では盟友の王貞治氏、愛弟子の松井秀喜氏、監督時代に選手だった落合博満氏や清原和博氏らOB62名。阿部慎之助監督ら1軍首脳陣、岡本和真内野手ら13名も参列した。弔辞は堀内恒夫氏と原辰徳氏が読みあげた。 告別式は巨人軍関係者は47名が出席。王貞治氏、中畑清氏、松井秀喜氏が弔辞を読み上げた。▽巨人OBの通夜参列者は以下。(順不同、敬称略)V9選手=阿野鉱二、上田武司、江藤省三、王貞治、河埜和正、柴田勲、末次利光、杉山茂、高田繁、新浦壽夫、原田治明、広野功、堀内恒夫、吉田孝司、黒江透修、横山忠夫OB=江川卓、江藤智、大久保博元、岡崎郁、淡河弘、小俣進、鹿取義隆、金石昭人、清水隆行、高橋由伸、中畑清、所憲佐、仁村薫、原辰徳、張本勲、樋澤良信、福王昭仁、藤城和明、松井秀喜、松本匡史、村田真一、元木大介、吉村禎章、浅野啓司、阿波野秀幸、井端弘和、上原浩治、上田和明、上野裕平、大塚淳弘、岡島秀樹、落合博満、大森剛、川口和久、川中基嗣、清原和博、香坂英典、斎藤雅樹、笹本信二、條辺剛、鈴木章介、高田誠、堀田一郎、宮本和知、槙原寛己、原俊介▽巨人OBの告別式参列者は以下。(順不同、敬称略)V9選手=阿野鉱二、上田武司、江藤省三、王貞治、河埜和正、柴田勲、末次利光、高田繁、、新浦壽夫、原田治明、広野功、堀内恒夫、吉田孝司、城之内邦雄、柳田真宏OB=江川卓、横山忠夫、大久保博元、岡崎郁、淡河弘、小俣進、鹿取義隆、金石昭人、香坂英典、工藤公康、篠塚和典、清水隆行、高橋由伸、中畑清、所憲佐、仁村薫、原辰徳、福王昭仁、藤城和明、松井秀喜、松本匡史、村田真一、元木大介、吉村禎章、石毛博史、緒方耕一、木田優夫、角盈男、高橋尚成、二宮至、水野雄仁、屋鋪要
2025/06/03
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因果応報 因縁果今,因縁の種が葉を出し、花を咲かせた。白鵬翔よ!全ての原因は己に在る。お前が九州場所千秋楽の土俵で仕出かした愚行、決して忘れない。万歳三唱、三本締めをそっくり返してやる。実に清々しい消息を聞いた。公益財団法人日本相撲協会は組織内に長年蔓延る巨悪を角界から追放し、忌まわしい悪性腫瘍を除去した。ようやく健全な相撲道を目指し浄化の道を歩み出した。欣喜雀躍して悦びを表したい。白鵬翔ことムンフバト.ダバジャルガルよ。裏で画策し、日本相撲協会に損害を与えるな。海のものとも山のものともつかないODA最貧国であり、日本が最大の援助国であるMongoliaの物乞い出稼ぎ労働者の貴様をを育んだ、日本及び日本人、日本相撲協会に対する恩を仇て返してはならない。其れでは蓄獣以下の外道の誹りを免れない。白鵬翔の第69代横綱としての実績(モンゴル互助会等の八百長もあるが)、幕内通算勝利数、優勝回数45回(歴代最多)、連勝記録69、全勝優勝16回、最長横綱在位84場所、幕内通算勝利数最多、通算勝利数など実に輝かしい実績である。横綱、力士としての記録は此の先、まず破られる事は無いだろう。一部の俄か相撲ファンは実績を重視し、日本相撲協会の白鵬の処遇に不満を抱き、同情的である。然し、其れは大相撲を余りに浅薄で表層しか見えていない。詳述は避けるが、検索などをして白鵬翔が此れ迄した大相撲に対する不遜な態度、蛮行、愚行、横綱としての品格、土俵の所作、立ち合い、後輩モンゴル人力士への仕打ち、親方として北青鵬などの不良弟子の育成方法、組織内暴力の隠蔽、無反省など見てみると良い。後進力士に寛容な故.北の富士勝昭氏も本場所中の白鵬の行為に呆れ、庇う事を放棄した程である。🏆今頃引退🏆横綱🏆白(悪)鵬🏆ㅗㅗㅗ📖一代年寄✖ 🏆邪悪な悪鵬🏆手段を選ばず🏆不逞🏆モンゴリアン白鵬翔🏆🏆白鵬🏆引退勧告🥇新型💀コロナ冠状病毒肺炎💀武漢virus感染☠今回はじわじわと白鵬翔のやる気を削ぐような措置をした協会首脳部の作戦勝ちである。清々しい清涼剤のような消息を聞いた。相撲協会としては獅子身中の虫を追放し安堵している事である。日本相撲協会が白鵬翔と交わした覚書である。・理事長や先輩親方の指示に従うこと。・相撲道、伝統、規則を厳守すること。・相撲界のしきたりから逸脱しないこと。何此れ? 小学校低学年の劣等生への指導内容か?と目を疑う内容である。それだけ白鵬翔こと素行不良だったと言うことだった訳だ。日本相撲協会執行部と私との考え方は全く同じ。現役時代の不遜な態度、土俵上での所作、立ち振る舞い、愚行、蛮行を見ていれば常識人ならば誰でも感じる事である。タニマチであるトヨタ自動車世襲3代目馬鹿社長豊田章男の威光を笠に着て遣りたい放題して来たのである。未だ白鷗翔の相撲実績を重視する俄か相撲ファンは目を覚まして欲しい。今後も白鵬翔ことムンフバト.ダバジャルガルが協会部外者として日本相撲協会へ災いを齎さないように我々は注視しなければならない。元白鵬の相撲協会“電撃退職”で波紋!「覚書」無効で角界暴露の可能性も浮上アサ芸biz 2025 06 03宮城野親方(元横綱・白鵬)が相撲協会を退職。これにより現役引退時の「覚書」が無効となり、暴露本出版の可能性も噂されている。退職は既定路線だった?相撲協会が“スルー対応”のワケ6月2日、日本相撲協会が臨時理事会を開き、宮城野親方の退職届を受理。これで相撲人生に、ひとまず終止符が打たれた格好だ。現在は故郷モンゴルに帰省中の白鵬だが、週明けには記者会見を開く予定という。「白鵬本人は、かなり前から退職の意思を固めていたようです。協会側も“辞めたければどうぞ”というスタンスで、慰留するどころか歓迎ムードさえあった」(相撲協会関係者)かつての貴乃花親方退職劇と似た展開に、「やっぱりな」と感じた関係者も少なくないはずだ。“異例の覚書”がついに無効に!宮城野親方が封じられていた理由今回の退職劇で注目されているのが、宮城野親方が2021年の現役引退時に署名させられた「覚書」の存在だ。協会内部では当時、「白鵬をすぐに部屋持ち親方にするのは早すぎる」との強硬な声が上がり、10年間は修行させるべきだという意見も。その結果、宮城野親方には以下のような前代未聞の誓約が課された。・理事長や先輩親方の指示に従うこと。・相撲道、伝統、規則を厳守すること。・相撲界のしきたりから逸脱しないこと。まるで“素行不良の更生誓約書”のような内容に、当時は「白鵬だけ特別扱いか」と波紋を呼んだ。だが今回の退職で、この覚書の効力は完全に消滅。つまり、これまで封じられていたその“口”が、ようやく自由になるというわけだ。「これまで言いたくても言えなかったことが山ほどあるはず。相撲協会の内部事情、昇進の裏側、理事選の駆け引き──全部知っているのは白鵬です。暴露本を出さない保証はどこにもありません」(ベテラン相撲記者)過去の発言や行動から見ても、宮城野親方は黙って引き下がるタイプではない。“退職”という鎖が解けた今、口を開けば相撲界激震の事態となるのは必至だ。宮城野親方退職で始まる“第二章”──相撲協会との戦いは終わらない?宮城野親方の退職は、単なる親方としての引退ではない。これは、長年続いた相撲協会との対立構造の幕引きであり、同時に新たな火蓋を切る“序章”とも言える。封じられてきた言葉、抑え込まれていた感情、そして失われた信頼。宮城野親方がこれらをどう表現し、どう発信していくのか──。一つ確かなのは、白鵬の物語はまだ終わっていないということだ。(小田龍司)元横綱白鵬 退職決定で気になる「3つの疑問」…不可解な時期、憎き照ノ富士、親方衆も首を捻る今後日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年6月3日 11時27分歴代最多の45回優勝を誇る元横綱白鵬(40=宮城野親方)の退職が昨2日、正式に発表された。 この日、相撲協会の臨時理事会が行われ、佐渡ケ嶽広報部長(元関脇琴ノ若)が報道対応。報道陣に配られた資料によれば、協会に提出された退職願は6月9日付。驚いたのは、7月以降は伊勢ケ浜一門の浅香山親方(元大関魁皇)が、宮城野部屋勢を引き取る案について触れられていたことだ。【1】11月場所後に部屋再興案あったのになぜ? 白鵬が所属していた伊勢ケ浜部屋は7月場所から師匠が交代することもあり、八角理事長(元横綱北勝海)が浅香山親方に「今後は浅香山部屋で(宮城野勢を)預かること、準備期間も踏まえ、預かりの解除を11月場所後とすることを検討するように」と指示。白鵬にも通達済みだったという。つまり、11月場所後には宮城野部屋の閉鎖が解除になる可能性があったというのだ。ならばなぜ、白鵬は退職を決断したのか。 ある角界OBは「協会を信じられなかったのだろう」と、こう話す。「部屋再興と言っても、あくまで口約束で、しかも『検討』にとどまっている。ただでさえ、白鵬は過去の素行、言動から協会に睨まれており、自分が嫌われているという自覚もある。協会がニンジンをぶら下げても、おいそれと信じられなかったのも無理はない。とはいえ、白鵬もあせりすぎです。過去、部屋が閉鎖になった木瀬部屋は再興まで2年を要した。白鵬も2年間我慢し、それでも再興が認められなければ、親方衆から同情の声も上がっただろうが……」 協会不信に陥った白鵬の勇み足とも言えそうだ。【2】憎き照ノ富士の“ひとり勝ち”をなぜ許したのか 今回の白鵬騒動で最も「得」をしたのは誰かといえば、それは元横綱照ノ富士(33=現親方)を筆頭とする伊勢ケ浜部屋に他ならない。 この日、照ノ富士は「伊勢ケ浜」株を継ぎ、今後は伊勢ケ浜親方として部屋の師匠になることが認められた。さらに白鵬の退職で浮いた「宮城野」株を、前伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が襲名することが決定。今後は「参与 宮城野親方」として、5年間の定年延長が決まった。「親方株がなければ、定年延長はできない。宮城野株が手に入らなければ、そのまま伊勢ケ浜株を照ノ富士に譲って退職。照ノ富士にすれば『退職してまで株を譲ってくれた』という恩があるので、5年間は師匠の面倒を見る“義務”が生じていた。それが白鵬の退職ですべてチャラになった」(若手親方)伊勢ケ浜部屋のメリットはそれだけじゃない。「この日の理事会で、白鵬の弟子たち、つまり宮城野勢は今後も伊勢ケ浜部屋が継続して預かることが決定した。幕内の伯桜鵬や来場所新入幕が確実な十両の草野ら、宮城野勢には有望な力士が少なくない。それらを全員ゲットできたのだから、まさに丸儲けですよ。ただでさえ、伊勢ケ浜部屋には尊富士、翠富士、熱海富士、宝富士、錦富士とさまざまなタイプの関取がいる。それがひとつ屋根の下で稽古しているのだから、強くなるにはもってこいです。本場所では同部屋対戦がないので、彼ら同士が当たらずに済むのも大きい」(前出の親方) かつての藤島部屋がそうだった。全盛期は若貴兄弟に加え、貴ノ浪や貴闘力、安芸乃島など、実力者が多士済々。他の部屋の力士からは「藤島部屋の力士は、藤島部屋の力士と対戦しないからずるい」とやっかみの声すら出ていたほど。伊勢ケ浜部屋も同じことが言えそうだ。白鵬も自身の退職が犬猿の仲である照ノ富士を利するだけとは理解していただろうが……それでもわずかな期間であっても照ノ富士を師匠として仰ぐのは我慢ならなかったのだ。【3】退職後はどうする? 同じ大横綱の貴乃花は… 相撲協会を辞めた後、白鵬は何をするのか。 親方衆の多くもクビをひねっており、「海外向けに、相撲をアレンジした格闘技のプロモートをするらしい」なんてウワサも出ている。 いずれにせよ、協会の看板を失った以上はイバラの道。同じように大横綱と呼ばれながら、協会を去った貴乃花を見ればよくわかる。 貴乃花は協会執行部との対立の末、2018年9月に退職。当初は「相撲道場を作って、青少年の育成や相撲の普及をしたい」と意気込み、「一般社団法人貴乃花道場」を設立したが、現在は地方の講演会がメイン。昨年、法人名から「道場」を取り、「一般社団法人貴乃花」として活動している。「講演会の数はそれなりだとしても、全盛期を知っていると寂しい限りですね。収入の大部分はふるさと納税サイトのCM出演料と聞いている。以前は絵本の出版も取り沙汰されたが、それも頓挫した。貴乃花の場合は家族と縁を切って身軽になったことも大きいでしょう。2年前に再婚したといっても、夫人が1人増えただけですから。そこに行くと白鵬は夫人に加え、子どもが4人。以前は協会所属ということで間接的に商売もしていたが、その看板も使えなくなる。夫人の父、白鵬にとっての義父は名の知れた実業家なので、食っていくだけなら心配はないでしょうけど……」(前出の若手親方) 前途多難である。白鵬の評判は角界の間でもすこぶる悪く、今回の一件ではそのスカスカの人望が露呈した。同じ一門からも庇うような声は出なかったという。いったいどういうことか。その悲惨すぎる状況とは。元横綱白鵬の親方退職「宮城野名跡」6・9付で年寄伊勢ケ浜こと杉野森正也が継承襲名と決定日刊スポーツ新聞社 歴代最多45度の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、日本相撲協会から退職する。2日、同協会が都内で開いた臨時理事会で、昨年4月から閉鎖になっている宮城野部屋、宮城野親方の退職を容認した。終了後、取材に応対した佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)西岩親方(元関脇若の里)によると「6月9日付の退職届を受理する」ことが審議の末、承認された。同日付で年寄伊勢ケ浜こと杉野森正也が、宮城野名跡を継承襲名する。全会一致で決まった。7月6日以降は参与としても雇用が認められ、伊勢ケ浜部屋に所属することにもなった。宮城野親方は昨年、元前頭北青鵬の暴力問題について監督責任を問われ、2階級降格などの処分を受けていた。部屋は閉鎖、昨年4月に師弟ともに伊勢ケ浜部屋へ転籍していた。1年たっても部屋の再開にめどが立たないこともあり、宮城野親方は退職届を協会に提出。角界を離れることになった。
2025/06/03
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