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Aug 30, 2006
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駒苫 夢の軌跡<1>


激動の1年「感謝、感謝」

 「いろいろなことがあって迷惑をかけたが、この選手たちと一緒にできて、

 〈ありがとうございました。感謝いっぱい〉と選手に言いたいです」――。

 駒大苫小牧監督の香田誉士史は決勝戦の後、すっきりした表情で語った。

 その言葉通り、この1年、本当にいろいろなことがあった。

 引退した3年生部員の不祥事で監督を辞任。そして、復帰。

 甲子園に向けた練習に励んだ日々。

 その時、なぜか苫小牧港で一人、釣り糸を垂らしていたかつての自分の姿が、




 1995年12月、駒大苫小牧に赴任したころの光景だ。

 「初めての土地で知り合いもいない。暇もあって、いつも釣りに行っていました」。

 94年に母校・佐賀商の臨時コーチとして甲子園を制覇。

 でも、赴任した駒大苫小牧は、長髪の選手もおり、強豪校とのギャップに悩む日々だった。

 「ひたすら野球に打ち込み、自分らしくすることで、迷いを吹っ切ろう」

 その努力が実り、2001年夏、自らが率いるチームを甲子園に導くことができた。

 その時の思いは、今回の不祥事後も同じだった。

 復帰後、グラウンドではこれまでのように、怠慢な走塁があれば大声でしかり飛ばし、

 気の抜けた選手がいれば厳しく指摘した。


 だが、香田の目には、何か違うように見えたという。

 「選手が自分の前を通りすぎても、ヨソヨソしい感じがした。ちょっと違う。




 選手の側はどうか。選手と監督のパイプ役のマネジャー菊地浄元(3年)は

 「全然、そんなことを感じなかった。監督が思っていただけじゃないですかね」と

 香田の言う違和感を否定する。香田は一人で思い詰めていたのだ。

 春以降、胃に痛みを覚え、何度も胃カメラをのんだ。白髪も急に増えた。

 もやもやしたような気分を抱えたまま、巻き返しを図る夏を迎えることになった。



 室蘭支部予選初戦前日の6月25日、部員を連れ、支笏湖へレクリエーションに出かけた。

 釣りチームとパークゴルフチームに分かれ、つかの間の休日を楽しんだ。

 香田は2匹しか釣れず、トップは9匹釣ったエースの田中将大(3年)。

 田中が「やったー、また釣れた」と無邪気に喜んでいるのを見た香田は、

 静かにうなずいていた。バーベキューで盛り上がり、香田は選手にジュースを振る舞った。

 そんなジャージー姿の指揮官の頭からは、いつしか違和感は消えていた。

 「大会直前だったけど、野球をやるよりもよかった。練習より釣りは楽しいから。

 そういうのは大切なんだよ」


 チームが本当の意味で一つになり、3連覇を狙う準備は整った――と感じたという。

 その監督の思い通り、チームは3年連続で決勝にコマを進めた。

 最後に負けはしたが、指揮官の顔には、不思議とホッとした表情が浮かんでいた。


 「(采配(さいはい)を振るえて)幸せでした。また、ここ(甲子園)に来られたら

 いいなと思います」


                      ◇


 73年ぶり史上2校目の偉業を目指した駒大苫小牧の夢は、あと一歩のところ

 でかなわなかった。

 昨夏の優勝直後、当時の部長が選手に暴力を振るっていたことが明らかになり、

 今年3月には3年生部員の飲酒・喫煙問題で、チームは選抜を辞退。

 そこからの再起は、注目を集めた。

 監督は、ナインは、それぞれどんな思いで大会に臨み、戦ったのだろうか。

 その軌跡を追った。





 ◇8月23日  読売   駒苫 夢の軌跡<2>


田中、気迫の投球戻る

 「将大(まさひろ)、入るぞ」

 夏の全国高校野球大会南北海道代表の駒大苫小牧ナインが宿泊した大阪府池田市の

 ホテル。大会5日目の10日夜、対南陽工戦で完投したばかりの田中将大の部屋を、

 監督の香田誉士史が訪れた。

 「話したいことがあるんだ。ベッドに寝たままでいいから、聞いてくれ」

 こんなことは初めてだった。


 昨年夏の甲子園連覇。岡山国体優勝。神宮大会優勝。全国大会3冠を成し遂げたエースは、

 「超高校級投手」「怪物」と呼ばれた。その後もチームは勝ち続け、南北海道大会優勝まで

 公式戦44連勝。だが、快進撃と裏腹に、田中自身は徐々に不調に陥っていった。

 絶対の自信を持つ勝負球・スライダーを多投することで疲労が蓄積した。

 知らず知らずに左肩が早く開くようになり、フォームバランスが崩れた。

 主将兼エースに寄せられる「3連覇」「球速150キロ」への過剰な期待と、選抜辞退も、

 心と体を確実にむしばんでいた。


 「ずっと、もやもやしていた。神宮大会から、満足のいく投球は一度もない」(田中)


 香田は、代表決定後の初練習で、「田中の負担を減らすため」、本間篤史を新主将に指名。

 不安を抱えたまま甲子園入りしたが、田中は直後に胃腸炎による下痢と38・5度の発熱

 に苦しんだ。

 その影響もあってか、初戦は四死球6を乱発、大苦戦を強いられた。

 田中の変調に気づきながら、エースのプライドを考慮し黙って見守っていた香田も、この

 ままでは悔いを残すと意を決した。

 田中の部屋で、2人は40分間、話し合った。


 「去年の夏、打たれることを考えず、がむしゃらに向かっていった気持ちを思い出せ。

 野球を始めたころのように、純粋に楽しもうじゃないか」


 香田の言葉は、すべて田中本人が思っていたことと同じだった。

 テレビ2台を並べ、昨夏の決勝・京都外大西戦と南陽工戦の投球フォームをコマ送りで

 見比べた。左肩の開き。リリースポイント。何より表情が違った。一番好きな言葉に

 「気持ち」をあげる田中にとって、気迫あふれる1年前の自分はまぶしかった。


 その日から、“あの夏”を取り戻す挑戦が始まった。

 タオルをつかんでのシャドーピッチングを繰り返し、投球動作中の足の上げ方やグラブ

 の位置を根気よく修正した。

 中学時代に所属した硬式野球チーム「宝塚ボーイズ」の監督・奥村幸治も練習に駆けつけた。

 ブルペンでの投球を見ながら、「今のは148キロ出た」「お前の変化球が決まれば、

 誰にも打たれないよ」と教え子を鼓舞した。

 投球内容は、一戦ごとにみるみる改善していった。

 延長十五回引き分けに終わった早実(西東京)との決勝戦、三回途中からリリーフして

 12回2/3を失点1。苦しい中でも切れずに粘り抜く、新生・田中の姿がそこにあった。

 再試合は1点差で敗れた。だが、その顔は、意外なほど晴れ晴れとしていた。


 「やり切ったんで、涙とかはないです。(早実エースの)斎藤に負けたとは思わない。

 早実に負けた。自分は同世代でナンバー1のピッチャーでいたい」





 ◇8月24日  読売   駒苫 夢の軌跡<3>


本間、ピンチ乗り切る

 底抜けに明るい主将が大粒の涙を流しながら、うなだれていた。

 21日に行われた夏の甲子園決勝再試合。

 「4番を打たせてもらっているのに、情けない……」。

 本間篤史は3三振に終わった試合後、涙をこらえることができなかった。

 すると、前主将の田中将大が近寄り、笑顔で肩をたたきながら言った。


 「胸を張っていい」


 本間には、その仲間の言葉が何よりうれしかった。

 不動の「4番・中堅」を守り続けている本間は、これまでも常にナインの笑顔の中心に

 いた。

 昨夏の甲子園宿舎では、2年生ながら先輩の部屋にお面をかぶって突撃し、リラックス

 ムードを演出。

 グラウンドでは、夏の甲子園直前に主将になる前から、ブルペンで忙しい前主将田中の

 代わりに、てきぱきチームをまとめていた。

 「明るくて、頼りになる」(マネジャーの菊地浄元)男だが、実は野球部を辞めようと

 考えたことがあった。


 今年3月。監督の香田誉士史が辞任、選抜大会も辞退した時のことだ。


 心酔する指揮官が、突然目の前からいなくなった。「野球部を辞めたい――」と周囲に

 もらした。ナインの何人かも、同じ気持ちだった。

 本道最強の野球部は、夏の大会を控え、創部以来、最大のピンチに立たされた。

 そのピンチを救ったのは、周囲のさまざまな人たちの声援だった。

 「いろいろな人に励まされ、(香田監督復帰の)署名も集まった。〈やってやるぞ〉と

 いう気持ちになった。選抜の分もがんばって、夏に優勝してやる」

 本間の後ろ向きな気持ちは、夏に向けたエネルギーに変わった。


 本間の主将就任には、不思議な縁がある。

 2004年の初優勝時の佐々木孝介、昨年の林裕也。そして本間。

 いずれも硬式野球チーム「余市シニア」のOBなのだ。3年連続で甲子園決勝に導いた

 主将が、すべて同じチーム出身というのは、興味深い事実だ。

 余市シニア監督の原田岸雄は「孝介は黙々とやるタイプだった。林は自分のプレーでま

 わりをグイグイ引っ張っていくタイプ」と回想する。


 そして、本間については、「あっちゃんは、いつも笑顔でニコニコしていたね」と笑う。


 性格も主将としての存在感も三者三様。

 ただ、「どんなに野球がうまくても、努力しないヤツはダメだ」という原田の指導方針

 に忠実に従ったのも、この3人だったのだ。

 決勝再試合で敗れ、涙する本間を、誰一人として責める者はいなかった。

 本間の主将としての力は、誰もが認めていた。

 「甲子園に出たくても出られない人の分までできた。幸せな場所でした」

 本間は、大会後しみじみと語った。

 眼鏡の奥の目には、いつもの人懐こい笑いが戻っていた。






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最終更新日  Sep 3, 2006 09:50:32 PM


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