マイペース70代

マイペース70代

北の国から・・私の吹雪体験


最初の時からズーッと見続けたドラマである。
二人の息子にとっても、主人公は幼馴染のようなものであり、
他のドラマとは違う思い入れがあるようだ。
私にとっても、何度もみているのに無視できないというドラマである。

無視できないもう一つの要因は、
私の幼い頃の体験と重なることが多いからでもある。
今日はその一つ、「吹雪体験」について書こうと思う。

断っておくが、北海道の冬は吹雪と晴天ばかりではない。
当然ではあるが、曇天も霙も小春日和もありますよ。

さて、私の小中学生時代は、今よりも雪も多く寒かったような気がする。
住宅事情が今より悪かったせいなのかもしれない。
暖かいのは石炭ストーブをガンガン焚いている居間だけで、
私の寝ていた部屋の寒さは、戸外と大差なかったのではないだろうか。
朝、目を覚ました時に布団のヘリに
息で白い霜のようなものがついていることも、稀ではなかったような・・。

小学校・中学校は家から4kmの道のりで、当然冬は徒歩である。
今のように除雪された道ではなく、馬橇の跡や人の足跡が道の痕跡であり、小学校低学年の頃は、
上級生の大きな歩幅の足跡を必死にたどって歩いたものだ。
吹きっさらしの道だったので、
少し吹雪になるとその道の痕跡もあっという間に見えなくなってしまう。
悪いことに道路の脇には用水があるので、
道が見えなくなったらその用水に落ちないようにと、
道なき道を歩くことになる。
踏み固められていない雪原は、
一歩ごとにズボッズボッと腰までぬかってしまい、
家までたどり着くのは本当に重労働であった。

学校から帰るには、「道なき道」になってしまう農道が近いのだが、
自動車も通る広い道を歩くという選択肢もあった。
しかし、広い道は安全ではあるけれど、何しろ遠くなってしまう。
子どもは安全よりも近い方を選ぶので、
学校を出る時に晴れていたら農道を選ぶ。
しかし、冬の天候は変わりやすく、
下校途中で吹雪になってしまうことも稀ではなかった。
悲惨なのは、そのような時であった。

吹雪になると方向感覚を失ってしまう。
その上に、用水を避けて道なき道に踏み込んでいる。
さらに私は、一緒に帰る同世代の友達が近所にいなかったから、
いつも一人で吹雪と格闘することになった。
雪の中でもがいているうちに、
いつの間にか手袋が脱げてしまったことがある。
手がかじかんでいるから、
手袋が脱げてしまったことにも気付かなかったのだ。
手袋無しで厳寒の中をもがくのが自殺行為であることは、
幼いながらわかっていた。
ただでさえ「しもやけ」で腫上がる手が、
手袋無しではどのようになるのか、考えるのも恐ろしい。
私は必死で手袋を探し回り、
それを見つけたときには「助かった!」と思ったものだった。

しかし、もがけばもがくほど、自分の位置感覚も失う。
そのような吹雪の中で、私は何度か、
「もう、これで死んじゃうのかもしれない」と思った時がある。
疲れ果てて、もう動きたくないと思うときがあるのだ。
寒い・冷たいという感覚もなくなると、
吹雪の中で座り込んだり大の字になったりしていると、
妙に平安を感じるのだ。
このまま凍って死んでも、苦しくないなーと思うのだ。
しかし同時に、
「死んでいる私を見つけて、お父さんやお母さんはどう思うかな」とも思う。
すると、「やっぱり、このままじゃいけない」と思いなおし、
また立ち上がるのだった。
経験を積むうちに、吹雪の最中にも必ず一瞬の静寂の時があることを知る。
その瞬間に、周囲の風景が確認できて自分の位置がわかり、
進むべき方向が見えるのだ。

最大の危機を感じたのは、中学生の時だった。
その日は生徒会活動で遅くなり、あたりは真っ暗だった。
吹雪の上に真っ暗となると、いよいよ位置がわからなくなる。
自分の感覚では、もう我家に近づいているはずなのに、
どうしても位置がわからない。
我家への出入り口を見逃して先に行ってしまうと、
そこには用水どころではない本当の川がある。
そこに過って足を滑らせてしまったら、それこそ一巻の終わりである。
私は、それ以上進むべきかどうか、本当に悩んで立ちすくんでいた。
危険を犯すよりは、このままジッとしていたほうが良い。
同時に、私の体力も限界に近づいていたので、
心のどこかに「もう、どうなってもいい」という気持ちが芽生え始めていた。
その時である。
突然私の目の前に、懐中電灯の明りが突きつけられた。
私の帰宅が遅いのを心配した父が、迎えに出てきてくれたのだ。
それは、まさに我家への道の入り口だったのに、
吹き溜まりになっていて私には見つけることができなかったのだ。
父は、少し前からそこにいたようなのだが、
激しい吹雪はその明りを遮っていたのだった。

私は何度かの吹雪体験の中で、
生きることに通じるものを体得してきたようにも思う。
今は北国に住んでいても、私のような体験をする子どもは少ないだろう。
それが良いことばかりではないのだけれど、時代は逆行することはない。

【補記】
下校時にすでに吹雪いている時は、集団下校になった。
当時の農家には必ず馬がいたので、
都合のつく父親達は馬橇で子供達を学校まで迎えに来てくれた。
私達は、それらの馬橇に乗り合わせてぬくぬくと帰ることができたので、
吹雪きそうな日には学校の窓から「もっと吹雪け!」と願ったものだ。

(2003年12月17日)

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