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中学の二年~三年の担任は美術教師だった。私達は最初にS先生が受け持ったクラスの生徒である。先生は若くて子ども達が大好きで、とても張り切っていたのだと思う。私達は色々と先生に文句を言いながらでも懐き、先生を中心にしてクラスはまとまってゆき、その後も何年に一度のクラス会は続き、みんな先生に会いたくて集まっている感じでもある。先生は教師のかたわら作品を作り続けて、多分50代の頃には教師をやめて彫刻家の道を歩んでいらっしゃる。先生も80代の半ばとなり、最初に赴任して教え子も多い当市に作品の多くを寄贈してくださることになった。そのことが決定してから、私は少し慌ただしくなってきた。3月の寄贈式と6月の彫刻展に向けて、教え子たちや関係する人たちとの連絡調整などが始まっている。先日は、中心となるメンバーの初顔合わせもあった。知らない人も多いし、私より年配の人も結構いるようなので、できるだけ末席にいようと思っている。遠方の同級生たちも、その日程に合わせて来道したいという人がいる。教え子の私達も高齢者になってきて、昔を懐かしむ気持ちが強くなってきているようだ。私もできることは精一杯協力したいと思っている。
2025年02月17日
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「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」 石村 博子/角川書店内容紹介(出版社より)「俺が人生で輝いていたのは10歳だった」。41連戦すべて一本勝ち! サンボの生ける伝説・ビクトル古賀はいう。個人史と昭和史、そしてコサックの時代史が重なる最後の男が命がけで運んだ、満州の失われた物語。内容紹介(「BOOK」データベースより)1945年、満州。少年はたった独りで死と隣り合わせの曠野へ踏み出した。41連戦すべて一本勝ち。格闘技で生ける伝説となり、日本柔道界・アマレス界にも大きな影響を与えた男・ビクトル古賀。コサックの血を引く男は「俺が人生でいちばん輝いていたのは10歳だった」と言う。彼は1000キロを独りで踏破し引き揚げたのだ。個人史と昭和史、そしてコサックの時代史が重なる最後の男が命がけで運んだ、満州の失われた物語。目次(「BOOK」データベースより)序章/第1章 ハイラル最後の日/第2章 コサック最後の少年/第3章 ハルビンの孤独な日々/第4章 追い払われて/第5章 満州一〇〇〇キロ、独り歩き/終章 「古賀正一」から「ビクトル古賀」へ/番外編 コサックの流転、ラーパルジン一族の物語著者情報(「BOOK」データベースより)石村博子(イシムラヒロコ)1951年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。法政大学卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)新聞の書評か何かで目にして、図書館で借りた本。ビクトル古賀という名前は、私は全く知らなかった。そもそも格闘技に関心がないので、彼が活躍した頃は私も大人になっていたけれど、私の記憶にはかすりもしていなかったようだ。私は終戦前後のことについては比較的関心がある方で、満州からの引き上げや残留孤児や残留婦人、あるいは残留兵士のことについて書かれた本も何冊か読んできた。しかしこれは、それらのどの本とも視点が違い、興味深くて面白かった。面白かったというにはあまりにも大変な話なのだが、それ以外に適切な言葉が見つからない。彼は生粋のコサックとして育てられた少年だった。コサックについても私は無知で、コサックダンスくらいしか具体的に思い浮かばなかった。彼の身体能力や度胸や精神力は、幼い頃からのコサックとしての知恵や技術を身につける中で養われたのだろう。同時に、母方のルーツのコサックとして、同時に父方のルーツのサムライとしての誇りも力となったことだろう。この体験記を読みながらまたまた痛感したのが、日本人が楯を失った時にどれほど弱いのかということだった。身内は大切にするが他人には冷たかったり、強い者には媚びるが弱い者は切り捨てたり、生きるか死ぬかの時にはやむを得ないだろうとは思いつつも、自分よりも弱い者に対しては極限状態であったとしてももう少し人らしい温かみのある日本人であってほしいと思うことが多かった。ビクトル古賀は語っている。「日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、一人に弱い。誰かが助けてくれることを待っていて、そのあげく(助けてもらえないと)気落ちしてパニックになる」まったく、これが日本民族の特性かと思うと力が抜けそうだが、反論できない。自由に弱いということは、自分の自由選択を捨てても誰かに決めてひっぱってもらいたいことにつながる。一人に弱いということは、一人ぼっちが怖くて群れたがる。反対に、ビクトル古賀は自由でなくては生きられなかったから、五感を研ぎ澄まして危険を回避しながらも単独で100キロを歩き通しても本当の孤独ではなかった。反対に、日本に帰ってから親族の家をたらいまわしにされながらも生きた頃が、精神的には不自由で孤独だったのだ。だから「人生でもっとも充実した時間は10歳の独りでの引き揚げだった」というのだ。レスリングや柔道、そしてサンボという格闘技で「格闘家」となって脚光を浴びてもだ。本当の自由を知っているし求めてもいるから、日本に帰ってきてからも心の中に孤独を抱えてきたのかもしれない。石村さん、よくこの本を書いてくださいました。石村さんは北海道出身で同世代なのですね。彼女の書いた本を探してみよう。
2025年02月12日
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甥夫婦が第一子をもうけたので、出産祝いをそろえようと隣町のイオンに行った。地元の赤ちゃん本舗では日本製品はほぼないということがわかっていたので、大型店舗の専門店ではあるだろうと思ったのだ。数年前に姪の第二子が生まれた時にも、このお店で購入した。大半が中国製だったが、まだ選べるくらいは日本製品もあったのだ。しかし今回行ってビックリした。いよいよ日本製のものが少なくなっていて、あっても肌着など生後六か月くらいまでのものばかり。私はいつも、出産祝いには書店で0~1歳向けの絵本二冊程度と、一歳前後のベビー服をまとめて包装してもらって送っている。しかし、今回はそれができなかった。恐るべしチャイナである。書店の絵本も、ほとんどが開いて確かめることができない。仕方がないのでネットで注文することにしたのだが、私はネットで色々選んで包装して贈るというのは、好きではない。やはり自分で手に取って確かめて、色合いも合わせながら選びたい。でも、現代はそれが叶わない時代になってしまったようだ。一応注文はしたのだが、かなり不安である。どうぞ、甥夫婦が喜んでくれますように🙏
2025年02月10日
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多分、全国にも北海道の帯広地方の豪雪はニュースで流れているだろうけれど、あれは本当に大変な状態だ。北海道でも地域によってはさほどの積雪はないのだが、集中豪雪は身動きがとれなくなるので悲惨だ。豪雪一気に 十勝管内、市民生活まひ 交通遮断の影響広がる 2025年2月4日【帯広、本別】前日まで雪がほとんどなかったマチが、一晩で雪に埋まった。記録的な大雪となった十勝管内では4日、一気に降り積もった雪に道路の除雪が追いつかず、出勤や通院できない人が相次いだ。交通網の遮断は物流も直撃し、一部のスーパーは臨時休業になるなど、暮らしへの影響が終日続いた。 十勝管内本別町では町道などの除雪が追いつかず、町立国保病院では、大雪で来院できない町内の人工透析患者5人の送迎を行った。透析治療を受けた同町の会社役員の男性(65)は「命を助けてもらった」とほっとした表情を浮かべた。 帯広厚生病院では、十勝管内清水町の無職宇都宮サチ子さん(77)が、通常は車で40分程度の道のりを2時間近くかけてたどり着いた。「薬が切れるので、いやが応でも来なければいけなかった」と疲れた表情を浮かべた。 帯広市は1月下旬としては51年ぶりに積雪ゼロを観測。2月3日正午時点の積雪量は5センチだったが、4日正午には123センチに上った。 スーパーの福原(帯広)では従業員が通勤できず、十勝管内の一部店舗で休業を余儀なくされた。23店のうち17店は営業したが、5日の営業については朝になってから判断するという。 スーパーのダイイチ(帯広)は一部店舗で営業開始が最大2時間遅れた。生鮮食品などが品薄となる中、十勝管内全10店を営業した。同社は「インフラとして開店させることを最優先に考えた」と説明。帯広市内の店舗に買い物に訪れた帯広市の自営業、横川航さん(27)は「近くの飲食店がいずれも臨時休業だったため買い物に来た。営業していて助かった」と胸をなで下ろした。 物流にも影響が出た。日本郵便北海道支社によると、十勝管内の郵便局87カ所のうち、86カ所が窓口業務と集荷配送業務を休止。帯広郵便局を訪れた帯広市の自営業渡辺紘生さん(41)は「提出期限のある書類を札幌に出したいので、いつ届くのか分からないと困る」と不安そうに話した。 十勝バス(帯広)と北海道拓殖バス(十勝管内音更町)の路線バスは終日全便運休となり、約8500人に影響が出た。高速道路や国道なども通行止めが続いた。 十勝管内15市町村のごみ収集車を受け入れるごみ中間処理施設「くりりんセンター」でも、大雪で施設周辺の除雪が間に合わなかったため、終日、受け入れを中止した。5日は再開するという。 帯広、音更、芽室、幕別の同管内1市3町では夜通しで除雪作業が行われる見通し。自家用車が道路で雪に埋まったという会社経営の50代男性は「帯広に45年住んでいるが一晩でここまで降ったことがない。参った」とうんざりした表情だった。(後略)「こんな大雪は初めて」北海道 生活影響も2/4(火)北海道東部で記録的大雪 日本海側の大雪ピークはこれから 6日(木)にかけて積雪急増のおそれ2/4(火)強烈寒気に列島すっぽり 6日(木)にかけて 大雪・暴風雪・高波に警戒を2/4(火)5日(水)の天気 日本海側を中心に大雪続く 北陸・東北中心に大雪による交通障害や暴風雪警戒 全国的に厳寒2/5(水)
2025年02月05日
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下記の報道を知った時には驚いた。確かに、皇室のありかたという日本独自の問題について勧告されたのは、私も少し面白くない。だが、多くの国民が皇位継承を男系男子に限るとしているのは非合理的だしおかしいと思っているのに、政府が何もしないということに苛立ってはいるので、これを機にもっと真剣に考えてもらいたいのに、こんな対応しかできないことは腹が立つ、日本政府が国連女性差別撤廃委を任意拠出金の使途から除外 皇室典範の改正勧告への対抗措置1/29(水) 1/29(水) 女性差別の撤廃を目指す国連の委員会が、日本政府に皇室典範を改正するよう勧告したことをめぐり、外務省は国連に支払っている拠出金の使途からこの委員会を除外すると発表しました。この問題は、国連の女性差別撤廃委員会が去年10月、皇室典範について「皇位継承における男女平等を保証するよう改正すべき」として日本側に勧告を出したものです。日本政府は「皇位継承資格が男系男子に限定されることは女子に対する差別に該当しない」と抗議し、委員会側に最終見解の削除を求めてきましたが応じなかったとして、外務省はきょう、対抗措置を行うと明らかにしました。北村俊博 外務報道官「国連人権高等弁務官事務所に対して、用途を特定して毎年拠出しております任意拠出金。その使途から女子差別撤廃委員会を除外する」外務省は、女性差別撤廃委員会の事務を担う国連の組織に支払っている任意拠出金の使途から委員会を除外するとしていて、おととい委員会側に伝達したとしています。日本がこうした措置は取るのは異例で、今年度に予定されてた委員の訪日プログラムについても実施を見合わせるということです。この任意拠出金はこれまで委員会の活動には使われていなかったということですが、抗議の意思を明確に示すため、今回の措置に踏み切ったとしています。そんな時に下記の呼びかけがあったので、ここに紹介したいと思う。拠出金の使途からCEDAWを除外!? #日本政府は女性差別撤廃委員会CEDAWに真摯に向き合ってください! #人権を守る日本へ
2025年02月04日
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読んだ本を忘れないようにブログに載せておくと、後で確認する時とても便利。でも、それも分量が多くなってくるといちいち探すのも面倒になりそう。この本も気軽に読めて心もほっこりで、現世のモヤモヤを忘れさせてくれる。梶ようこさん、ありがとう。「はしからはしまで―みとや・お瑛仕入帖―」梶よう子なんでも三十八文の「みとや」。お瑛はひとりで商いを切り盛りすることになり、兄・長太郎が残した仕入帖を開き、小間物屋や工房を訪ね歩く。頑固な指物職人の親方に冷たくあしらわれたお瑛は、長太郎のある願いを知ることに……。三十八文の品物に秘められた謎と縁を描く連作、好評時代小説シリーズ第三弾。
2025年02月04日
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冬は読書の季節です。私の周りには、常に何冊かの本が散らばっていて、気分に合わせて読んでいる感じ。つまりは、さほど集中せずに読めるものが多い状態。テレビや新聞、ネットニュースなど見ても、楽しい気持ちにならないものばかり。今も昔も、私は本を読むことで心のバランスをとっているらしい。朝日文庫時代小説アンソロジー『ゆるし』細谷 正充 編著 / あさの あつこ 著 / 梶 よう子 著 / 北原 亞以子 著 / 藤原 緋紗子 著 / 諸田 玲子 著たった一つの誤解からすれ違う大店の夫婦(「女、ふたり」)、集金した金を持ったまま消えた紙問屋の長男と店を守るその弟(「まききら」)、江戸から駿府に向かう船に乗り合わせた旧幕臣とその家族(「船出」)など5編。感動の傑作短編集。このシリーズは、図書館で未読のものをみつけると借りてきてしまう。時代を超えて人間関係の難しさや絆、言葉にできない思いの優しさなど、いつも心がポッと温かくなる。『森田繁子と腹八分』河崎秋子日本農業新聞で大反響を呼んだ連載小説、ついに書籍化!獣害問題、後継問題、夫婦の問題!まるっと伝説の農業コンサルタント森田繁子に おまかせあれ!食べれば腹の内も見えてくる!?○あらすじ森田繁子は自然と農業とのちょうどよいところを見つける農業コンサルタント。愛用の真赤なBMWに乗って全国各地へ。時には、北海道、時には千葉。今回の依頼は札幌からほど近いところにある四谷農場を経営している四谷登さんからだ。普段獣害対策を行っている土地に移住者がやってきた。彼女は敷地に立ち入ることを拒んでいるという。さて、森田さんはどんな方法でお互いのよいところを見つけるのでしょうか!■著者コメント主人公の名は森田繁子。縦にも横にもデッカイ身体の、派手で異色な農業コンサルタントです。家族や地域など当事者たちだけではなかなか大きな声を上げられないお悩みにこそ、直接の損益がない森繁(略称)さんのような人にズバッと切り込んでもらって、関係するみんなが腹八分の満足を共有できたなら。そんな願いを込めた主人公です。森繁さんと学生アルバイト・山田くんの活躍にクスっと笑って頂けたら嬉しいです。 ――河﨑秋子日本農業新聞で連載されて大反響だったと知り、それは読んでみようと購入。現代の農業問題に切り込んだもので、農業のことを知らない人にも楽しく読めるだろう。「みんなが腹八分」をめざすという考え方にも、とても共感した。現代は、欲張りの人は腹いっぱい以上を求めているようだし、恵まれない人は「食べることができたらいいや」と諦めてしまいがち。この続編が読みたいな。まだまだネタはありそうですから。
2025年01月30日
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Facebookでみつけた、北野武の言葉に共感したので転載しておこう。人間というのは、つくづく群れる生き物なんだなあと思う。南の海の水中映像とかに、よく小魚が何千匹と群れている様子が写される。みんなが右を向けば右、左を向けば左と、小魚たちは見事なくらいに一斉に向きを変える。そうやって、捕食者である大きな魚から身を守っている。皆で群れていれば、一匹で泳いでいるよりも捕食者である大きな魚に食われる確率を減らせる。他の魚が左を向いたときに、もし右を向いてしまったら、自分一匹だけが取り残される。捕食者にガブリと食われる危険は、一気に高まる。だから必死で群れの動きに合わせる。人間も同じことをしている。みんなが流行のバッグを買えば、自分も同じバッグを買う。誰かが麻薬で捕まれば、みんなで叩きのめす。誰かがヒーローということになれば、みんなで褒めまくる。みんながどう思っているかが大事で、そのバッグだのタレントだのを自分が好きとか嫌いとかは、二の次なのだ。あるいは、自分が好きかどうかなんて、考えすらしないのかもしれない。見る目のある人間なら、笑いが止まらないはずだ。網をしかけて、その小魚を根こそぎ捕まえるのはちっとも難しいことではない。まあ、人間の場合は食われるわけじゃない。おそらくそのまま網の中で生かされて、何も気付かないまま搾り取られるだけ搾り取られることになるのだろう。そういう生活が嫌じゃないという人には、別に何も言うことはない。けれど、そこから逃げ出したいのなら、周囲の群れの動きをよく観察することだ。そしてみんなが右へ動いたら、何があってもその方向にだけは行かないようにする。群れから抜け出して、自分のいた群れを、離れた場所からもう1回よく眺めてみるといい。自分がどんなに恥ずかしいことをしていたかが、はっきりと見えるだろう。周りの人間がみんな、王様の衣装は素晴らしいと言っても、自分の目に裸に見えるのなら、王様は裸なのだ。そこで自分の抱いた違和感に蓋をして王様の服が見えるふりをしていたら、いつまでも群れからは抜け出せない。ただし、そこで実際に自分の感じていることを口に出して、「王様は裸だ!」と言うかどうかはまた別の話だ。いったんそれを言ったが最後、後戻りはできない。周りの人間に叩かれようとも、その道を行かなきゃいけなくなる。それがつまり、俺のやってきたことで、自分のことだからよくわかるのだけれど、それで喰えるという保証はどこにもない。のたれ死にすることになっても、俺に文句は言わないように。※出典「超思考」 北野 武 幻冬舎出典の本を読んでみようかな。
2025年01月29日
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ハッキリ言って、芸能界でのスキャンダルについてはさほどの関心がない。今のところ芸能界に関係する友人知人も身内もいないので、まさに他人ごとなのだ。ジャニーズ問題で驚天動地のできごとを知り、免疫ができたのかもしれない。今回も最初は中居氏個人のことなのだろうとあまり注目していなかったのだが、テレビ局も絡んでいたかもしれないと知り、これは騒動になるはずだと思っている。ただでさえ旧来のメディアを多くの人が信頼せずに、もっと信頼できないように感じていたSNSの情報に真実があると思うようになっているのに、これではメディアの信頼は地に落ちる。(いや、すでに落ちたか?)全てを疑い、様々な情報を見比べて、その中から自分の考えを固めていくことがさらに必要な時代になったのだろう。人間の判断はたかが知れているから、その判あたり断も、ひょっとしたらAIに任せることになるのだろうか。頭を抱えてしまう。とりあえず、今朝目についた記事を載せておく。「最後のテレビ出演でも…」引退を表明した中居正広が〝ド直球セクハラ〟で見せていた世間との〝ズレ〟1/24(金)元フジ笠井信輔アナ、社員説明会の”映像収録”を上層部が却下したと内情明かす 他局では映像で報じられ「衝撃を受けました」1/24(金)フジ社員、放送予定の中居氏番組「何本も作ってます」「どうして止めてくれなかったのか」悲痛な訴え1/24(金) 中居正広まるで“とんずら”の引退表明…“ジャニーズ温室”育ちゆえ欠いている当事者意識に批判殺到1/24(金)「口外しないように」フジテレビが女子アナに”タクシー移動厳命” 経営体制見直しとは程遠い“内情”1/24(金)まだまだあるみたいだけれど、このくらいにしておこう。この問題の根っこは、多分芸能界だけに張っているわけではないだろう。日本全体の、いやもっと言えば世界に根っこはつながっていて、がんじがらめなのかもしれない。しかし、根っこ同士を切り離し、腐った木は残念だけど切り倒すか丁寧に剪定し、健全な枝を伸ばすように手入れしたら少しはまともになるだろう。それしか方法はないと思う。まずは、腐っているところをきれいにしてください。
2025年01月25日
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所要のために千歳に行ったので、ついでに近くの道の駅「サーモンパーク千歳」に行き、食事と買い物をしてきた。この道の駅がリニューアルオープンしてから、一度行ってみたいと思っていたのだ。11時過ぎに着いたのだが、観光バスが並んでいた。隣接する「サケのふるさと千歳水族館」のための駐車場でもあるからだろう。道の駅に入ると、以前よりも野菜などの直売品やお土産売り場も広くなったような気もする。まずは、ざっと店内を巡り様子を見て、混まないうちに食事をしようと一緒に行った次男と夫が「サーモンキング」で食べたいと店内に入ると、予約の団体客がもう少しで来るので、食事提供まで時間がかかるかもしれないとのことで別の店へ。迷ったが、親子丼とザンギのみせで、それぞれ別の親子丼を食べる。その後、野菜などや道産食材などのお店で気になるものを色々と購入。その一つの「いくら醤油」コーナーのところに、少量のご飯にいくら醤油をかけたものを試食提供していたので口にすると、「えっ、イクラご飯だ!」とびっくりの味わい。少し高かったけれど、卵かけごはんにこの醬油をたらしたら美味しいだろうと思い切って購入。というわけで、夕ご飯はちょうど平飼いの卵があったので食べてみた。私はあまり卵がけご飯を好きな方ではないのだが、これは美味しかった。今、製造元のサイトを見たら、色々なアレンジができそう。いいものを見つけた気がする。きっと、本州へのお土産に持って行ったら喜ばれることだろう。
2025年01月22日
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トランプ氏「黄金時代」誓う、不法移民対策など優先 米大統領就任1/21(火) 2:31これからの四年間がどのように推移するのか、それが私達にどのような影響を及ぼすのか私にはわからない。わからないけれど、なぜかため息が出てくるし、不安がよぎってくる。これがアメリカの民主主義の結果であるし、韓国の民主主義も毎回大変だ。取り調べ拒否の尹韓国大統領に捜査当局が強制検討 家族との接見拒否は「腹いせ」と弁護団1/20(月) 18:54民主主義がこのような結果を招くことをあらためて考えさせられているけれど、だからといって共産主義の良さが見えてくるわけでもない。なら社会主義はいいのではないかといえば、それも人々はあまり支持しない。人間って、本当にやっかいなものですね。
2025年01月21日
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なんだか変な件名だが書いておこう。Iさんの誕生日がもうすぐなので、16日に一緒にランチをした。時々行っているお寿司屋さんに行ったら、なんと休業。それでたまには新しい店を開拓しようかと思ったのだが、どうも宅地開発で場所が変わったのか、周辺をグルグル回るばかりで見つけられない。仕方がないので、以前に行った福祉法人の運営するカフェに行き、やっとランチにありついた。ハンディを持つ人達が接客しているのだが、いつもなんだかほほえましくなり、心が温かくなってくる。そういえば、昔、障碍児療育の仕事をしていた頃、この子たちが大きくなった時に、一緒にお店などできたらいいなと思ったことがある。ダウン症候群の子ども達は、いつもニコニコしていて音楽が聞こえると楽しそうに体を動かし、こんな子がいたらきっとお客さんも楽しい気持ちになれるだろうと思ったのだ。当時はまだまだハンディを持つ人達が働く場はなく、ある年齢になったらできるだけ良い施設に入ることが親の目標だった。今は、このように働く場ができたことは、昔より良くなったということは間違いないと思う。昔は施設に入ったら、特に女の子は毎月の生理の始末が大変なので、不妊手術をすることも稀ではなかった。昨日の報道で、旧優生保護法下で不妊手術は憲法違反の判決となり、強制不妊補償法が施行されるニュースが流れた。それを私はとても複雑な気持で見ていた。確かに人権侵害とは言える。特に、テレビに登場する人たちの姿を見ていて、どうしてこのような人が強制的に手術を受けされられたのかとも思う。しかし、当時の状況を知る私は、施設に入り性教育も十分に受けられなかった人や、そもそも性加害の善悪も判らない人の身体を守るために、当時の私は必要悪と考えていた。福祉施設は閉鎖的な世界で、入所者にとってそこの職員は絶対的な権力者だ。今も昔も、福祉施設の職員が全員善人であるものではない。あってはならないことが起きるのが閉鎖的な空間なのだ。あの当時、どのくらいの人達が不妊手術を強制されていたのだろう。ただ、施設入所の時には手術を受けたかどうかは記録されているはずだから、もしも本人が不本意に受けさせられた人がいるなら、もれなく保障してあげてほしい。その時代の親も、今も生きている人は多いだろう。「子どもの身体を守るため」と思い手術を許可した親を責めないでほしい。男の子なら、わが子が性加害をして女性に妊娠させないようにと、女の子なら、性被害に遭って妊娠や中絶という傷を受けないようにと願ったことだったのだ。今も偏見が怖くて訴えられない人がいると言っていたが、もう十分偏見に苦しんできたのです。今は、その人生への保障を受けることをためらわないでほしい。ランチの途中ではそんな話は出なかったのだが、書いているうちについそちらに重点が移ってしまった。
2025年01月18日
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「六月のぶりぶりぎっちょう」万城目学奇妙、珍妙、でも感動! マキメ・ワールド最高潮!その死体は信長——密室殺人事件に巻き込まれた私は、うっかり本能寺の変の謎に挑んでしまう……。 洛中女子寮ライフ——14回生以上との噂のある、女子寮の“お局様”の正体は!? 京都の摩訶不思議を詰め込んだ「静」と「動」の2篇 女子全国高校駅伝――都大路にピンチランナーとして挑む、絶望的に方向音痴な女子高校生。謎の草野球大会――借金のカタに、早朝の御所G(グラウンド)でたまひで杯に参加する羽目になった大学生。京都で起きる、幻のような出会いが生んだドラマとは――。人生の、愛しく、ほろ苦い味わいを綴る傑作2篇図書館で予約までして、「ふりぶりぎっちょう」って何だろうと思いながら読んだのだが、私には少しついていけない感じの作品だった。それでも、いつもながら万城目氏の脳内妄想のぶっ飛び物語にはあっけに取られてしまう。「三月の局騒ぎ」の方が、私には面白かった。こちらは、ひょっとしてそんなこともあるかもと感じさせてくれるところがあり落ち着いて読むことができた。朝日文庫時代小説アンソロジー『ゆるし』たった一つの誤解からすれ違う大店の夫婦(「女、ふたり」)、集金した金を持ったまま消えた紙問屋の長男と店を守るその弟(「まききら」)、江戸から駿府に向かう船に乗り合わせた旧幕臣とその家族(「船出」)など5編。感動の傑作短編集。この文庫のシリーズは、図書館で目に入るとつい借りてしまう。時代小説は男性作家のものも沢山あるけれど、私には女性作家の作品の方がなじむ。寝る前の睡眠薬代わりのようなものである。
2025年01月16日
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中学時代の同級生のKさんが、私の亡母の着物をリメイクしたベストを作ってくれたというので、それを受け取ることと合わせて、同じクラスメイトのOさんと会うことになった。二人とも中学時代は目立つ方ではなく、私も同級生とワイワイ遊んだりする方ではなかったので、私の彼女たちの当時の思い出は本当に限られている。しかし、いつも会う時には中学時代の思い出話になるのだが、二人の記憶が豊富なのに本当に驚いてしまう。今回も、今まで聞いていなかったことを知ることができた。私は自分では自覚がなかったけれど、小学校時代から何かの委員をやっていたこともあり、彼女たちからみたらリーダー的な女生徒だったらしい。しかし私はリーダーとは程遠くて、自分の役割を必死にこなしていただけだった。そのことでゆとりがなかったせいなのか、周りの同級生のことにも強い関心はなくて、どちらかという周囲にどう見られているかは気になっていた。そんなこんなで、Kさんの言葉には思わず笑ってしまった。「みらいちゃんって、高嶺の花のような感じだったけれど、今は普通のおばさんになったね」私は何となくみんなから浮いているような感じがしていて、親しい友達もいないと密かに悩んていたのだが、あれは何だったんだろう。「普通のおばさんになった」とは、彼女なりの誉め言葉だと思うことにしよう。
2025年01月14日
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昨日は全国各地で成人式が開催されて、その様子がテレビで報道されていた。その様子を見ていると、両親への感謝の言葉を語る若者が多くてビックリする。親に感謝するのは当然だし、何をビックリするんだと思う人が多いのかもしれないが、自分が二十歳の頃のことを思い返すと、親に対しての感謝の気持ちがあったかどうかまったく自信がない。というより、正直なところ感謝なんかしていなかったように思う。だからつい、「感謝の言葉が常識化しているんじゃないか?」なんて、意地悪な思いすら脳裏をよぎってしまう。感謝する気持ちが本当に自分の心に沸きあがるようになったのは、いつの頃からだろう。30代の頃に仕事で出会うお年寄りたちが、何かにつけて「ありがたい、ありがたい」とか、「感謝! 感謝!」を口癖のように言うのを見ていて、とても不思議な気がしたことも思い出す。ということは、まだ私の中には本当の感謝の心は生まれていなかったのではないか。ありがたいなあと、ことあるごとに思うようになったのは、多分仕事を辞めてからのような気がする。それまで目の前のことを必死にこなしていた時には、周囲への感謝を味わう余裕がなかったのかもしれない。今の私は、「ありがたいなあ」と感じることが多い。(一日に何度もそう思っている)成人式を三回も過ぎて、もう五年も経ったら四回目の成人式(二十才を成人として)になる。何と成長の遅い私であったことかと思うばかりだ。少なくても、私の成人の頃より今の若者たちは、感謝の言葉を口にできるだけエライ!良い人生になりますように。
2025年01月13日
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「月夜のみみずく」作: ヨーレン/絵: ショーエンヘール/訳: 工藤 直子【みどころ】冬の夜更け、女の子と父さんは、みみずく探しに出かけます。降り積もった雪を踏みしめながら、女の子は父さんについていきます。「ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう」と、父さんは、わしみみずくの歌声でよびかけます。あえたりあえなかったり――それがみみずく。みみずくに会いたいなら静かにしてなきゃ。兄さんたちに教わったことををしっかり守りながら、女の子は寒さを我慢して父さんについてゆきます。「ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう」ついにみみずくの返事が聞こえ、しばらくして二人の前にみみずくが姿をあらわします。一面の雪で、息を呑む景色。ダイナミックな構図の絵がひたすら美しい絵本です。父さんと一緒にみみずくに会いにでかけるこの夜を、ずっとずっと待っていた、そんな女の子の気持ちがよく伝わってきます。寒くて大変なんだけれども、ちょっと背伸びして、みみずく探しのルールを心の中で繰り返す、そのわくわくした気持ち。そしてとうとうみみずくが現れ――じっと見つめあうその瞬間の胸の高鳴り。クライマックスでページいっぱいに描かれるみみずくの姿は、どこか神聖な雰囲気が漂います。大自然への敬いが感じられ、読んだ後スーッと気持ちが澄んでくる、そんな作品です1988年度コルデコット賞受賞の名作です。(金柿秀幸 絵本ナビ事務局長)絵がとても美しい。子どもの頃、冬の雪道を歩いた時を思い出しながら、ページをめくった。一見してファンジーのような感じがするけれど、これはリアルな厳しい雪原や冬の森だ。キーンとしばれる空気感が伝わってくるのは、私が北国育ちだからだろう。厳しい冬を知らない地方の人達が読んだら、どう感じるのだろうか。私は残念ながらいまだに野性のみみずくを見たことがない。作者の育った地域では、きっとみみずくに会いに行くということは、子どもではないという証なのかもしれない。図書館で借りたのだが、手元に置きたいなと思う絵本だった。
2025年01月10日
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昨日は、札幌に出て一人でシネマ歌舞伎「ぢいさんばあさん」を観てきた。【作品紹介】仁左衛門、玉三郎ほか豪華キャストで贈る、森鷗外原作・宇野信夫作の名舞台原作:森鷗外作・演出:宇野信夫「高瀬舟」「山椒大夫」等で知られる文豪 森鷗外の短編小説を基に、多くの歌舞伎狂言を遺した劇作家 宇野信夫が作・演出し歌舞伎舞台化。原作に敬意を表しつつ、二人が再会する場面を加えるなど潤色し、舞台ならではの情感あふれる作品に仕上げている。屈指の人気を誇る歌舞伎界のゴールデンコンビ 片岡仁左衛門と坂東玉三郎が、伊織とるん の初々しい若夫婦時代、そして37年後の二人を、時にコミカルに、時に物悲しく演じ分け、時の流れをしみじみと描き出す。また、別離のきっかけとなる重要な役どころの下嶋甚右衛門を、共に歌舞伎の一時代を築いた二人の盟友 十八世中村勘三郎、るん の弟 久右衛門を中村鴈治郎(当時 翫雀)、その息子夫妻を中村芝翫(当時 橋之助)、片岡孝太郎が演じている。この作品を見たかったのは、やはり片岡仁左衛門と坂東玉三郎が主役だったから。この作品は2010(平成22)年2月の舞台の映画化のようだから、もう13年も前のものだ。仁左衛門も玉三郎も初々しい新婚夫婦の頃と37年ぶりの再会の時を、見事に演じていた。亡き中村勘三郎も出ていて、いつものことだけど勘三郎の姿を見ると惜しい気持ちがこみ上げる。感想というのではないかもしれないが、この作品は演じる人によって随分雰囲気が変わるだろうなと思った。もしも、勘三郎と仁左衛門が入れ替わった芝居になったらどうなるだろうとか、玉三郎ではなくてもう少しおかめのようなるんだったらどうだったかとか、帰りの電車の中で妄想にふけっていた。
2025年01月09日
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「介護者D」河﨑 秋子私は介護者「D」ランクなのだろうか──東京で派遣社員として働く30歳の琴美。父親の体調のため札幌へ戻ることを決意したが、慣れない父子生活、同級生との差異に戸惑う。現代的な問題を軸に描く著者の新境地。河崎さんの作品は、とりあえず読んでみたいと思い図書館で借りた。今まで読んだ作品と比べたら、現代の私達の問題に深く入り込んだもので、読者それぞれの立場で感情移入できるような小説だ。私の場合は、やはり老親の高齢化と介護問題や、それに伴う姉妹間の気持ちのすれ違いや葛藤などが一番身につまされた。この作品でもう一つのテーマにもなっているような「押し活」の心理が、私にはとても興味深かった。私自身はスターやアイドルに夢中になったことがない。好きな歌手や俳優、作家などは勿論あるけれど、どちらかというと好きな時期が少し続いた後は、飽きるというわけではないが、何となく次の関心に移行することが多いし、「押し活」についてはあまり理解できない感じだった。しかしこの作品を読んで、何となく「ああ、そうなのかなあ」という感じの理解や共感もできた。人間には、辛いことや寂しい時悲しい時には、何かの支えが必要だ。その支えの一つに、押し活もあるのかもしれないし、そこで出会う仲間とのゆるいつながりも貴重なのかもしれない。また、「介護者D」のDって何だろうと最初は思ったのだが、「Dランク」のDだとか。これもまた、現代の教育のランク付けや競争の問題に関わっていて、ひょっとすると高校や大学がランク付けされるようになってから育った人たちには、結構大きな影響を与えているのだろうと思う。学生時代にDランくであったとしても、それは学生時代のことだけなのに、そのレッテルを自分ではがせないままに生きる人も多いだろう。私はAであってもEであっても、それは学生時代のことだけなのでサッサと忘れた方がいいと思うのだが、それができない人もいるのだろう。この作品は、河崎さん自身の体験を元にしてのフィクションのようだが、高齢化に伴う様々な問題と家族のありかた、介護者の孤独や辛さと愛憎、それを支えていくべき社会的資源の問題など、とても丁寧にかきこんでいらっしゃる。現代社会の庶民の問題をこのような作品に仕上げるなんて、作家ってやっぱりすごいなあ。
2025年01月05日
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息子の友人が、ある予言を真面目に信じている話を聞き、ちょっとネットで検索してみた。ここで紹介するのはやめておいて、秘密日記に。さて、その日はどうなるのでしょうか。
2025年01月03日
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新しい年を迎え、皆さんはいかがお正月をお過ごしでしょうか。我が家も、平穏に家族でお正月を迎えることができました。平穏に心乱れない日々がどれほど有り難いことなのか、年を重ねるごとに痛感します。もう少ししたら私達も、高齢化による様々な問題が起きるのかもしれませんが、今はそんなことは考えずに、「有難いこと」を喜びたいと思います。昨年の元旦には能登半島を大地震が襲い、大変な一年の幕開けとなりました。今年はそんなことがないようにと祈るような思いでいます。(とりあえず元旦は震災には見舞われなかったかな?)天変地異が地球上のあちこちで起こり、その不安感が人の心も荒らしてゆくのか、地球上のあちこちでは政治的にも不穏なことが起き続けています。そんな背景もあるのか不穏な予言も多種あるようで、さらに人々の心を揺らしているかもしれません。でも、確かなことは私達は今、ここに生きていて、日々の生活を送っています。予言は昔からあって、私の記憶の中で有名なのは「ノストラダムスの大予言」でしょうか。あの頃は私もまだ若かったので、ひょっとすると当たるかもしれないと思ったものでした。でも実際は何事も起こらず、予言になかったような大震災が日本を二度も襲いました。(予言されていたという人もいるようですが、ああそうですか…という気持ちです)私は予言を完全否定するものではありませんが、起こるかどうか不確実なことにはあまり振り回されたくありません。人類は多分何度も存亡の危機を乗り越えながら生き延びてきたはずです。これからの私達も、個人的、社会的、気候的な変動に強い影響を受けながら生きてゆくことに変わりはありません。必要以上に不安がらず、今日と明日、そして一か月後あたりまでを見据えて、日々の生活ややるべきことをこなしてゆくことが大切なのだろうと思います。予言や予測を無視することまではせず、たとえば「七月に大災害」なんて話があれば、防災準備をチェックしたり、どこに逃げるのが安全なのかくらいは考えておこうと思います。 こんなに揺れ動く時代です。競争に振り回され一喜一憂するよりは、日々をどのように楽しく感謝できるように過ごすかが大切だと思います。プラスとマイナスはいつも背中合わせです。マイナスに感じることの中にも、必ずプラスの面があるはずなので、もれなく見つけましょう。落ち込むことがあったとしても過ぎたことは仕方ないので、今できることをやり続けることです。それが充実感や達成感につながることが多いので、どんなことがあって命さえ大切にしていたらきっと大丈夫。これを読んで下さっている皆様にとって、良い年になりますように祈りながら、今年もどうぞよろしくお願いします。
2025年01月02日
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27日の昼頃から喉が痛くなり、夕方から熱が出てきた。これから年末年始で家族が集まるし、インフルエンザやコロナも流行っているというので、あわててかかりつけのクリニックに走った。同じような症状でやってきた患者がいるようで、待合室の奥の通路の椅子で待機。結果的には「ただの風邪でしょう」とのことでホッとする。それでも、夜には水を飲むのも辛いほど喉が腫れて不安だったが、次の日には熱も収まり食事もできるほどに回復。処方してもらった薬は最初の日に解熱剤を使っただけ。やれやれ、セーフという感じである。今日は昨日よりも体調は回復し、掃除や洗濯にいそしんでいる。もう少しで孫が帰省してくるので、駅まで迎えに行き一緒に食事をする予定。午後からは年末年始料理の用意を始めるつもり。
2024年12月29日
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Facebookで見つけた言葉。『もうやめなさい』口ぐせのように謝るのをやめなさい他の誰かと比べて自分を嫌いになるのをやめなさい誰かに認められたくて頑張ろうとするのをやめなさい無理して予定を入れて満足するのをやめなさい誰にでも好かれようと我慢するのをやめなさい何でも一人で抱え込むのをやめなさい頑張れない自分を責めるのをやめなさい勝手にかべを作って一人で生きようとするのをやめなさいもっと自分を好きになりなさいココロにしみる五行歌- 田口久人さん -若い頃の私を思い出してしまった。きっと、若い時にはこのような感じになる人は多いのではないだろうか。謝るというよりは、「すみません」などとつい言ってしまう人は多いし、私もそうだった。以前、「すみません」をあまりにも連発する人がいたので、私は「すみませんより、ありがとうと言った方がいいよ」とつい言ってしまったことがある。彼女はびっくりしたような顔をしていたな。言わない方が良かったかなと思いつつ、もう少し丁寧に説明した。「謝る時はごめんなさい、感謝の時はありがとうの方が、カッコいいと思うの」こう書いていて、どっちにも「謝」の文字があることに気付いた。両方ともかなり近い感情であるのかもしれない。
2024年12月25日
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今日はクリスマスイブ。孫たちが幼かったころは、サンタさんになる準備で忙しかったなあと思い出す。今ではクリスマスプレゼントとは縁もなくなってしまい、クリスチャンではないので教会にも行かないし、クリスマスケーキだってそれほど食べたいとも思わなくなった。スーパーのチラシはクリスマス料理が踊っているけれど、それにもあまり食指が動かなくなってしまった。年をとるということは、欲もなくなるけれどその分だけ楽しみも少なくくなるということか。このところ、ブログへの意欲も低減しているような気がするが、他の人のブログを覗くと私と同世代か、もう少し上の人でもお元気そうだ。私の意欲が少し落ち気味なのは、このところ気になる家族のことがあるからかもしれない。真面目に一所懸命やっているのに、その分だけ疲れたりストレスを抱え続けて、精神的・身体的に落ちている家族を励まし続けているのだが、そんな日々が続くと生きることの大変さを感じないではいられない。そんな時でも、クリスマスなどのイベントに関わることができていたら、子どもたちにエネルギーを貰えるのかもしれない。そういえば、子育て支援で赤ちゃんに関わるボランティア活動を卒業して二年以上たつ。それも私が年寄り化してきた要因かもしれないな。ふと、まだ寿命があるようなら、もう少し簡単なボランティア活動に参加するのも自分のために必要なのかもしれないと思った。今までは、来るもの拒まずのことばかりで、自分から飛び込んだことなどなかったのかもしれない。誰かの役に立つことが嬉しい気質だったので、頑張っている人を応援する活動は好きだったのだ。だが、そもそもがあまり積極的ではなかったのだから、それも思うだけなのかな。ただ、こんな気分になっている昨今、ひょっとすると来年あたりは何か飛び込んでくるかも。その時は「来るもの拒まず」でいこうと思う。
2024年12月24日
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「でも、わたし生きていくわ」作:コレット・ニース=マズール、絵:エステル・メーンス、訳:柳田邦男【出版社からの内容紹介】両親の死で、7歳のネリーは幼い弟妹と別れて引き取られる。そこで温かく迎えられ、週末には3人一緒に過ごせるようになるが…。両親を亡くした幼い3人姉弟に周囲は温かい。しかし、優しさに触れれば触れるほど、何かの瞬間に甦る喪失感は深くなってしまう。その悲しみを乗りこえた時、人は大きく成長します。柳田邦男氏、渾身の翻訳絵本第3弾。ある日突然、幼い3人のきょうだいを襲った両親の事故死。今の時代は、どんな悲運が子どもたちの身に降りかかるかわからないほど厳しい。そうでなくても、ストレスの多い社会のなかで、自分を肯定的にとらえられないで、生きる力を失くしている子が少なくない。子どもたちに「生きなおす力」を芽生えされるものは、何か。子どもは本来、つらく悲しいことがあっても、抱きしめられるようなやさしさの支えがあれば、笑顔をとりもどせる。10歳で父を亡くした私の経験から、切にそう思う。しかも、こんな悲しみのない家庭や社会をつくろうと、子どもながらに、未来をひらく生き方を考えるようにさえなるのだ。この絵本の主人公ネリーが最後に窓辺で遠くを見つめるまなざしに秘められたメッセージを読みとってほしい。─── 柳田邦男(本書帯文より)柳田邦男氏が訳した絵本は、「生と死」をテーマにしたものが多いような気がする。この方の人生が、常に生と死を考えなくてはならない状態の中にあったからかもしれない。人は誰でも生まれてから生きて死んでゆく。それでも、あまり「生と死」を真剣に考えなかったり、目をそらしたりしていることが多いのではないか。幼い頃に愛する家族を失ってしまった子ども達は、今の世界ではとても多い。テレビなどで、争いや天災に巻き込まれ、守ってくれる人を失い、泣き叫んだり呆然としたり、あるいは心を失ったかのような無表情の子ども達の映像を見る機会が多い。あの子たちはこれからどうやって生きてゆくのだろうと思うが、私はテレビの前で無力感を抱くばかり。でも、この絵本で描かれているように、子どもはたとえ他人であったとしても、自分を大切に守ろうとして愛してくれる存在があれば、健康な心を保つことができる。たとえ傷ついていたとしても、彼らを愛してくれる手やまなざしがあれば、心を癒すこともできる。子どもは本来、明るい光に向かって伸びてゆく植物のようなものなのだ。世界中の傷ついた子ども達が、明るい未来を夢見ながら年を越せますように。
2024年12月23日
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楽天ブログには、「昨日読まれた記事のランキング」というのがある。時々、思いがけないものが読まれていて、それでハッと思い出したりすることがある。今朝も2013年02月26日の 長男の言葉 「自分が見えた瞬間を覚えてる」を読みハッとした。その話は覚えているが、ハッとしたのはそのエピソードの中の先生の言葉だ。落ち着つきのない息子のことを「いやー、よく授業を壊されて困っちゃうんですよ。すぐに突っ込み入れるし、聞いてないだろうと叱ろうとするとちゃんと答えちゃうしねえ」なんて言われて、「ご迷惑かけて申し訳ありません」と何度頭を下げたことか。でも、その先生はとても良い先生だったので、「いやいや、元気が良すぎるってだけですから」と笑いながらおっしゃって下さり、という部分だ。その時の先生の表情も私はよく覚えている。恐縮して頭を下げる私に対して、決して責める口調ではなく、「元気が良いってことですから大丈夫ですよ」という私への労わりもあった。きっと長年の教師経験から、このような子は大丈夫という確信もあったのだろう。そのようなゆとりをもって、ちょっとはみ出すような子を温かく見守る先生が今も多いことを願う。ひょっとすると、息子のような落ち着きのない子は今であればすぐに、発達障害かグレーゾーンのレッテルを貼られるのではなかろうか。もう二十数年も前のことだが、某小学校の校長先生と子ども時代の息子のことを話した時、「今なら病院を受診することをお勧めしますね。薬で息子さんのような多動を押さえることができますから」と言われて驚いたことがある。私は、子ども時代はそのようなことがあると言いたかっただけなのに、その校長先生は本気でそのような薬を使う事を容認しているようだった。(そういえばその校長は、「教師の苦労がわかりますか」とも言った)現在ほど「発達障がい」と言われることが少ない時代だったが、その校長は多分勉強熱心で、多動を押さえる薬の処方が効果的だという研究論文でも読んだのではないか。私は反論する根拠もないので「そうですかあ…?」というだけだったが、今では実際に先生の指示を無視する子や多動傾向のある子が、発達障害だと(こともあろうに何の資格も無い)教師から言われて、支援学級を勧められる話などを聞き、危機感を抱いている。私は長男の成長過程を見ていて、小学生時代の数人のやんちゃな同級生を思い出すことが多かった。今ならばADHDと診断され、薬を処方されていたかもしれない彼らは、その後ちゃんと成長し元気な大人になって社会的にも認められるようになっている。だから私は、少しはみ出していても大らかにその子を叱ったり褒めたりして育てたらいいのだと確信しているのだが…。
2024年12月22日
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「狐笛のかなた」上橋菜穂子小夜は12歳。人の心が聞こえる〈聞き耳〉の力を亡き母から受け継いだ。ある日の夕暮れ、犬に追われる子狐を助けたが、狐はこの世と神の世の〈あわい〉に棲む霊狐・野火だった。隣り合う二つの国の争いに巻き込まれ、呪いを避けて森陰屋敷に閉じ込められている少年・小春丸をめぐり、小夜と野火の、孤独でけなげな愛が燃え上がる……愛のために身を捨てたとき、もう恐ろしいものは何もない。嫌なニュースが続き、何か心がホッとするような本が読みたいと思って図書館に行き、児童書のコーナーで見つけた。上橋菜穂子さんは、「香君」を読んでもっと他の本も読んでみたいと思っていたので、迷わず借りてきた。児童向けのファンタジーとでもいうようなジャンルなのだが、彼女の世界観にはとても共感する。香君は植物だったけれど、この本は動植物と人間、また人間が生きる世界と「あやかし」とでもいう霊的世界の交流とでもいうのだろうか。この世界観は、日本の昔話の基本ともいえるもので、中でも「狐」は信仰にまでなっている。以前、昔話と日本人について興味を抱き、いくつかの本などを読んだ時期があった。しかし、そのことをほとんど忘れていたのだが、読み進めるうちに少し思い出した。それぞれの国や民族の昔話には、それぞれの歴史や思想が織り込まれている。この作品は、そのような川の流れの中に新たに生まれた昔話のように感じた。
2024年12月20日
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郵便料金も上がったし、私達も高齢になって儀礼的な年賀状も増えているので、ちょうどいい機会だと年賀状の卒業に向けてこの数日準備を進めている。基本的に、私達より上の年齢の人には出すことにした。夫はメールやラインでやりとりしている人は少数なのだが、私はライン・メール・ショートメールでやり取りできる人が多いので、その人たちには上記の手段でお知らせをしている。儀礼的にやりとりをしている人で携帯番号がわからない人には、とりあえず出さないで様子をみようと思う。昨年は私が喪中で年賀状は欠礼したので、そのままになる人もいるかもしれない。もしも年賀状が届いたら、その時に年賀状を書き、「今年で年賀状を卒業することにしました」などと添え書きをするつもり。何かきっかけがないとなかなか年賀状卒業は難しいので、その分だけは郵政省に感謝しておこうかな。コロナでは葬儀の簡略化が進み、その間に亡くなられた人には大変申し訳ないが結果的にはありがたい側面である。何事にも、功罪はあるものだ。
2024年12月18日
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私は、連続テレビドラマはあまり見ない方だ。ただし、大河ドラマと朝ドラだけは見る。朝ドラは時計代わり、大河ドラマは多少つまらないと思っても、結局は見続けている。今年の大河ドラマ「光る君へ」は、私にはとても興味深くて面白かった。しかし、夫にはつまらなかったようで、最初の数回を見て以来は私だけが見続けていた。わかりやすい戦いがないけれど、人間の欲望や嫉妬が渦巻く面も多々あり、それは状況は変われど現在もご同様。私の周囲では、女性の方が面白いと言っていたのは、内容からも当然かもしれない。あの時代の貴族や朝廷の人々の生活ぶりや、当時の政(まつりごと)の形も理解できた。細かい感想は別にして、最終回を見ての感想は、「源氏物語」など女性による物語があの時期に沢山書かれたのは、間違いなく命に関わるような争いごとがあまりなかったからだなと思った。また、当時の結婚では女性が大きな影響力を持っていて、見方を変えたら「女性は男性の道具」ではあるのだが、女性をないがしろにもできない状況があっただろう。庶民の暮らしの中ではどうかだったのかわからないが、外では男が威張り、家では女が強いという、日本の伝統(?)「かかあ天下」はここからかなんて思ってしまった。もう一つ興味深かったのは、道長(三郎)と藤式部(まひろ)の純愛というか、結ばれることがなかった男女のその後のプラトニックラブ。子どもができたのだから完全なプラトニックではないのだが、「プラトニック・ラブ」なんて現在は死語だろうなと思って検索したら…。なんだかややこしい説明が出てきたり、セカンドパートナーなんてことも多くなっているらしい。本当に人間とは面倒くさいものだけど、現在はLGBTの人達も認知されてきたので、そのような人たちの中にはプラトニックラブと言える関係も多いのではないか。道長と紫式部が実際はどのような関係だったのかわからないけれど、ドラマでは「ソウルメイト」と紹介されていたが、道長の本当のソウルメイトは(ドラマの中では)行成じゃないかと思ったりもしたともかく、人間同士の「愛」とは複雑なものである。そうそう、吉高由里子は左利きなのに書道の練習をしてドラマの中では実際に書いていたようだ。それだけでも、心から頭が下がる。一年間、本当にありがとうございました。来年の大河ドラマ「べらぼう」も面白そう。期待しています。
2024年12月17日
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■女性副検事の調書に残されていた「明らかな虚偽」さらに言うと、女性副検事は捜査段階で、私の認識しているところです、今からお話しするのは。私が検察庁から開示を受けた、女性副検事の調書に書かれてあることです。女性副検事は、私が被告人のことをとても好きで、以前から被告人と飲み会をしたいと、ずっとしつこく言っていたから、副検事がこの飲み会をセッティングしてあげた。私は、飲み会の最中も被告人に対して、「ずっと前から被告人のことが好きだ」、「チューして」、「ハグして」と手を広げるなどして好意を示していたと供述していました。さらに、私の飲酒酩酊については、店を出た後、被害者は酔ってはいたものの段差でよろめいたぐらいで、足取りはしっかりしていて、むしろ被告人が泥酔している様子だった。だから、副検事が私に対して、「検事正をタクシーで官舎まで送ってあげてください」と私に依頼した。私は「オッケー」と言って、検事正を私が官舎まで送り届けたと供述していました。そして、彼女はこの懇親会では6人中5人はお酒を飲んでいて酔っていたが、彼女はお酒を飲まないので、私だけがしらふだったということを強調し、あたかも自分の記憶が最も正確であることを訴えるかのような供述もしていましたし、或いはこの被告人が私に対して行った性被害、レイプについては、ことしこの聴取を受けるまで一切知らなかった。だから、私は純粋な第三者なんですということをアピールするような供述もされていました。私が被告人の事を好きで飲み会をセッティングしてもらったというのは、明らかな虚偽であり、懇親会で私が「チューして」、「ハグして」と言っていたのも、Cさんらが否定してくれて、それらの事実もないと検察庁は認定していて、被告人自身も副検事が言ってる懇親会でのそういう発言を私がしていたということも記憶をしていないと供述していますし逆に、被告人が言っていた、「私のこと好きでしょ」という発言自体、副検事はそんなの聞いたことがないと言っています。要するに、そこの発言(「私のこと好きでしょ」)については被告人が1人で言っているだけ、(被害者の女性検事が「チューして」、「ハグして」と言っていたということは)副検事が1人で言っているだけとういことです。で、一番肝の部分の飲酒酩酊の部分です。女性副検事は、私が酔っていなかったと勘違いしていたのか。Cさんの話では、女性副検事と被告人が、足をよろめく私の身体を支えながら、タクシーに乗せていたわけです。しかも、懇親会の最中も、私が酩酊している様子を狭い机の上で、彼女自身も見ているわけです。そして何より、被告人が、令和元年10月に書いた直筆メモにおいて、被告自身が女性副検事に対して、なぜ被告人がタクシーに乗り込んだのかの経緯を聞いたところ、被告人はそれを覚えていなかったということで副検事に聞いたらしいですが副検事が「被害者の私が酔っているので、被告人がタクシーで私を私の自宅まで送っていきなさい」と、女性副検事が被告人に言って、被告は私を私の自宅まで送るためにタクシーに乗り込んだんだということが、副検事から聞いた話によってわかりました、と書いてました。そうすると、副検事は私が酔っていて、誰かに送ってもらわないといけないほど酔っていたことを認識していたわけです。にもかかわらず今回の捜査の段階で、全く逆の事実を述べていたわけです。この当時、被告人は「私が抗拒不能状態になかった」、「抗拒不能の認識がなかった」、「同意があったと勘違いしていた」と弁解していました。■捜査情報を「北川被告の代理人・最初の弁護人に漏らしていた」と「調書で確認」そして女性副検事と被告人は、女性副検事は被告人の内偵捜査中の5月20日以降、「最高検の捜査が入っている」などと捜査情報を被告人の当時の代理人、初代弁護人に対して漏洩していたと彼女の調書で確認しています。彼女は最高検の聴取において、この事件の捜査が始まっていること、聴取を受けていることは絶対に他言無用だというふうに言われ、それを了解していました。にもかかわらず、非常に重要な捜査情報を漏えいしていたと、私は認識しています。また最高検の聴取において、副検事は被告人との通信履歴、メッセージの履歴や通信履歴を写真撮影させてほしいと要望され、それを拒否し、そして最高検の検事から「じゃあ、その履歴を削除しないでね」と要請され、それを了解していたにもかかわらず、被告人とのメッセージや通信履歴を削除していました。それどころか捜査情報を漏えいしていた、初代弁護人との履歴も、その都度削除していたと、副検事の調書で確認しています。被告人の弁護人から被告人の当時の供述内容についても、一部聞いていたというようなことも彼女の調書で確認しています。■参加者の女性事務官に接触図り…そして彼女は、今年の聴取で初めて、この事件を知ったと供述していましたが、実は令和元年の被告人が辞職する前の時点で、被告人から私に対して性被害・性犯罪をして、私が非常に被告人を非難していることなどをその副検事に伝えていたということを、各証拠で確認し、あるいは検察官から聞いています。そうすると彼女は、令和元年段階から被告人とこの件について、何らかの話し合いがもたれ、そして今年度に入っても、このようなことをしていたというふうに私は認識しています。彼女はさらに「他言無用」だと言われていながら、「誰にも接触するな」と言われていながら、事件関係者に接触するなと言われながら、参加者の女性事務官に対して、接触を図り、会おうとしていました。意図はわかりません。ただ私が推測するに、その女性事務官に対しても、どうせ彼女も酔っていて憶えていないので、女性副検事が捜査段階で言っているような内容が、「私が酔ってなかったよ」っていうような内容を伝えることで、口裏合わせをするよう求めようとしていたのではないかと憶測しています。その女性事務官は「関係者と接触するな」と言われていたので、接触することは結局なかったですけれども。こういったことが行われている中での、被告人は私が飲酒酩酊・抗拒不能状態にないということについて、具体的ないろんな弁解をし、あるいは同意があったとうかがわせるような、私の被告人に対する好意のある発言があったという主張をし続け、そして副検事はそれに沿うような供述をしていた。しかし客観的な証拠、Cさん、Dさん、あるいはクレジットカードの履歴などからすれば、彼ら彼女の供述は信用ならないと検察庁は判断し、私もそのように考えています。■女性副検事を「証拠隠滅、犯人隠避の罪」などで告発 さらに「同意していた」「賠償金受け取った」と吹聴したことについて「名誉棄損」で告訴そういう事実を、私自身が9月3日に開示された証拠によって把握したので、彼女に対して国家公務員法違反、証拠隠滅、犯人隠避の罪について、10月1日に告発しさらに彼女が名誉毀損、つまり単に噂好きの人が「同意してたんだよ」とか言ってるんじゃなくて、副検事はまさに自分が事件関係者であり、事件の真相を知っているという前提で「被害者は酔っておらず、同意をしていたんだと思う。賠償金についても、受け取っていて、なのに被害申告をしている」。あるいは「PTSDは詐病である」などという吹聴。そして私が被害者であるという吹聴をしていたと、吹聴相手から私自身が聞くなどして、認識したため、名誉毀損として告訴しています。被告人に対しては、当時この捜査妨害行為について、なぜか検察組織・検事総長…この事件は検事総長ら上位幹部が全ての判断を行っていますので、その幹部らがこの捜査妨害について、被告人の取り調べを充分に行っておらずまたこの中間に入っている初代弁護人の取り調べや携帯電話の差し押さえなども一切行っておらず、また彼女に対して、処罰や懲戒処分なども一切しておらず、そういったことをしていることを私、被害者である私や私が所属する大阪地検に対しても一切、情報を伝えず、私をその女性副検事と同じフロアに復帰させたわけです。■PTSDを抱えながらリハビリ出勤も…私はPTSDの病気を抱えながら、治療を続けながら、この被告人の捜査・起訴に向けて精一杯やって来ました。そして現場の検察官らが懸命に捜査してくださった結果、客観証拠やあるいは女性副検事らのそういった捜査妨害行為などと疑われることも解明してくださったので、起訴していただいたと思い、非常に感謝しています。だからこそ、私は病気・痛みを抱えながらも、早く検事の仕事に復帰したいと思い、検察庁に、検事の仕事に復帰したいと思い、7月下旬からリハビリ出勤を始めました。まさに職場の同じフロアに、その女性副検事がいたわけですが、私はその事情を聞かされていなかったので、また「あの副検事と接触するな」と言われていたので、彼女にはこの件で事情聴取など迷惑をかけたことを申し訳なく思っていたため、自ら接触することは当然せず同じフロアの女性トイレで鉢合わせることを避けるため女性トイレも使わず、職員が使うエレベーターを使わず、階段を使ったり、別のフロアのトイレを使ったり、荷物を運ぶ搬送用エレベーターを使ったり、職員らが移動する時間を避け、部屋からできるだけ出ないようにして顔をマスクで覆い、誰にも私を見られないようにして、そうやってリハビリ出勤を続けていました。■「誹謗中傷が最高検や法務省にまで」「信頼していた上司が誹謗中傷」ですが、9月3日に開示されたその証拠によって、女性副検事などのそういった行為がわかり、さらにその後、彼女たちが名誉毀損していたことを知り私のそういった誹謗中傷は大阪地検だけでなく、遠く最高検や東京地検、法務省にまで広まっており、起訴前の時点で被害者が私であることや、夫の個人情報まで広まっていたことも最近知りましたし私が信頼していた上司らが、被害者を誹謗中傷し、「この事件は筋悪の事件で、被害者が被告人を『好き、好き』と言っていた、『ラブ、ラブ』と言っていたんだ」って言って「筋悪の事件で、『被告人が出てきたら、みんなで温かく迎えてあげましょう』って言っている人がたくさんいるから、被告人はやっぱり人格者というか、人徳があるんだな」というようなことまで吹聴しているような事態にまで追い込まれ私は孤立させられ職場が安全ではなくなり、病休に追い込まれました。■「私の傷つけられた名誉を回復するような措置も未だ何一つ講じられていません」このような、こういった事態、検察庁がなぜ彼女の捜査段階での行為について、充分に捜査せず、処罰・処分せず、その情報を隠して私に伝えず、私を同じ職場に復帰させ、そしてそれによって名誉棄損の被害まで受けるに至ったことについてのその理由を検事総長ら幹部に再三にわたり説明を求めてきたわけですが「捜査はしている」と答えるだけで、未だ一切何の説明もありませんし、私の傷つけられた名誉を回復するような措置も未だ何一つ講じられていません。ですから私は、前回の会見に至ったわけですが、それでも検察庁の自浄作用を信じて、詳細を語りませんでした。ですが、会見後も私の置かれた状況は何も変わらず、検事総長らは何の説明もしてくれない。それによって私は不安に陥れられ、さらに病状を悪化させ、家族も苦しんでいる。私が死ねば理解してくれるのかという気持ちにまで追い込まれて、それを書面で何度も何度も訴えていますが、検察幹部からは、いまだ何の説明もありません。ですから今現場の検事や事務官さんは、必死になって、女性副検事のあるいは被告人の捜査をしてくださっていると信じています。今こうやって否認に転じた以上、その捜査妨害行為というのは、真相解明するのはまさに必要なことで、そこが命綱になってきます。ですから検察幹部のみなさんにおかれましては、この捜査を適正に、誠実に迅速に行ってください。名誉毀損についても、全職員に聞き取り調査を行ってください。そして職員の皆様方においては、もし副検事から何か聞いたり、副検事が話していたような内容を聞いたりした人がいれば、自分から手を挙げて大阪高検に伝えるようにしてください。皆さんの正義を信じています。これを隠すことは女性副検事の罪を隠す、犯人隠避になると私は思います。あなたたちを責めようと思ってるんじゃない。誹謗中傷していた他の人たちを。されたのはつらいけど。でも私は、この事件の真相を解明したいんです。それによって、適正な処罰によって、私の尊厳と私の正義を取り戻したいんです。どうぞよろしくお願いします。
2024年12月12日
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しかし、実際には周知徹底されていないことで、一部の法を正しく理解していない司法関係者により、被害者が傷つけられている実態があり、性犯罪がはびこる原因になっていると考えます。私は今、検事として、目の前にいる被害者の方々の力になることはできませんが、検事である被害者として、性犯罪の本質や同意の位置づけや意義、地位、関係性要件等の改正法の趣旨、及び構成要件などを説明し、周知していただくことで、加害者の不合理な弁解を許さないこと、そして性犯罪の撲滅につなげていきたいと思っています。この法改正が行われた経緯が、これまで多数の性犯罪被害者が一部の司法関係者により法律を限定的に解釈されたことで、声を上げても届かないことに苦しんできました。その多数の方々の苦しみを当事者団体の方々や専門家の方々が、血のにじむような努力を重ねて国に訴え続けてくださったことで、この法改正が行われました。法務大臣はこの法改正の趣旨について、性犯罪は被害者の尊厳を著しく侵害し、その心身に長年にわたり重大な苦痛を与え続ける悪質重大な犯罪であり、厳正に対処することが必要です。この法律案は性犯罪を巡る状況に鑑み、適切に対処できるようにするため、性犯罪の罰則規定が安定的に運用されることに資するために改正するものですと言っています。■「不同意性交等」導入の法改正は「規定が明確化されたことによって、改正前の刑法のもとでも、本来なら処罰されるべき行為がより的確に処罰されることとなるもの」次にどのように整理されたかです。改正前の暴行または脅迫を用いて、あるいは心神喪失、抗拒不能といった要件については、改正前の判例上の解釈において、抗拒を著しく困難にさせる程度であることを要するとされていることなどから、個別の事案において、これらの罪の成立範囲が限定的に解される余地があり安定的な運用を確保する観点からは、処罰すべき行為を適切にとらえ、そして構成要件該当性の判断にバラつきが生じない規定とすることが重要であるという指摘がなされました。そこで、法改正においては、より明確で判断にバラつきが生じない規定とするため、性犯罪の本質的な要素である、自由な意思決定が困難な状態でなされたわいせつな行為、性交等であるという点を同意しない意思を形成し、表明し、もしくは全うすることが困難な状態という文言を用いて中核的な要件として規定したうえで、当該状態にあることの要件該当性の判断を容易にし、安定的な運用を確保するという観点から、当該状態の原因となりうる行為、またはその事由を具体的に例示列挙するということとされました。性犯罪の本質は、性交等に関する自由な意思決定が困難な状態でなされた性的行為を処罰することにあると考えられていますが、法改正によって定められたこのような条項は、このような性犯罪の本質についての、考え方に変更を加えるものではなく改正前の刑法のもとで処罰できなかった行為を新たに処罰対象として、追加するものではない。そして規定が明確化されたことによって、改正前の刑法のもとでも、本来なら処罰されるべき行為がより的確に処罰されることとなるものであるとされています。要するに法改正によって、かつて処罰できなかったものを、処罰できるように、処罰範囲を広げたということではなくて、改正前にも本来処罰すべきものが、限定的に解釈され、処罰されてこなかった現状を踏まえて改正によって、安定した法適用ができるように明確化してくださった。だから改正前の事件においても、改正後のこの考え方や要件の該当性というのを、考慮して判断すればいいということになります。ですから、私の事件は法改正前の事件ですが、この法改正によって定められた同意の意義や、構成要件などの該当性についての解釈などをしていくということになってきます。さきほどの同意しない意思を形成し、表明し、もしくは全うすることが困難な状態として例示列挙されている行為などは、1.暴行もしくは脅迫を用いること、またはそれらを受けたこと2.心身の障害を生じさせること、またそれらを受けたこと3.アルコールもしくは、薬物を摂取させること またはそれらの影響があること4.睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること またはその状態にあること5.同意しない意思を形成し、表明し、または全うするいとまがないこと6.予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、もしくは驚愕させること、またはその事態に直面し、恐怖し、もしくは驚愕していること7.虐待に起因する心理的反応を生じさせること、またはそれがあること8.経済的または社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること、またはそれを憂慮していることこれらの行為や、これに類する行為などにより、同意しない意思を形成し、表明し、もしくは全うすることが困難な状態にさせ、またはその状態にあることに乗じて、性交等をした者が処罰されるのです。改正前の被害を受けた方が、改正後であれば処罰して頂けたのに、改正前だから処罰してもらえないんだと勘違いされている方もいらっしゃるかもしれないし、司法関係者もそのような勘違いをされている方がたくさんいらっしゃると思いますが、そうではないということをここではっきりと、お伝えしたいと思います。■自身の被害も「同意しない意思を形成し、表明し、もしくは全うすることが困難な状態として例示」された行為に該当と訴えそして私の被害については先ほど述べた3.アルコールもしくは、薬物を摂取させること またはそれらの影響があること4.睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること またはその状態にあること5.同意しない意思を形成し、表明し、または全うするいとまがないこと6.予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、もしくは驚愕させること、またはその事態に直面し、恐怖し、もしくは驚愕していること8.経済的または社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること、またはそれを憂慮していることの行為などに該当すると考えています。そしてそれにより同意しない意思を形成、表明、全うすることは困難な状態にさせられてそれに乗じて性交等をされたと考えています。もう少し詳しく説明します。同意しない意思を形成することが困難な状態というのは、性交等をするかどうかの判断、選択をする契機、きっかけや能力が不足し、性交等をしないしたくないという発想すること自体が困難な状態。次に同意しない意思を表明することが困難な状態というのは、性交等をしない、したくないという意思を形成、作ること自体はできたものの、それを外部に表すことが困難な状態。そしてそれを全うすることが困難というのは、性交等をしない、したくないという意思を形成したものの、あるいはその意思を表明、表したものの、その意思の通りになるのは困難な状態を意味します。そしていずれの場合も著しく困難である必要はなく、困難の程度は問われていません。1の要件、暴行、脅迫ですが、その程度は問われていません。アルコールなどについては、その種類や摂取量も問いません。睡眠その他の意識が明瞭でない状態とは、完全な睡眠状態ではないものの、半覚醒状態で意識が朦朧としている状態、極度の過労により、意識が朦朧している状態なども該当します。予想と異なる事態には、いわゆるフリーズの状態、すなわち被害者が予想外の事態に直面したり、予想を超える事態に直面したことから自分の身に危害が加えられるかもしれないと考えたり、驚くなどして、平静を失った状態を捉えようとするもので予想と異なる事態は、実際に生じている事態が被害者の予想をしたところとは異なることを意味します。そして予想と異なる事態に直面させて、恐怖させ、驚愕させることとは、例えば加害者が性交等を求められるとは予想していない被害者に対し、性交等の手段として、2人きりの密室で性交等を迫ることで、被害者を恐怖、驚愕させる行為も含まれます。社会関係上の地位です。家庭、会社、学校などの社会生活における人的関係、例えば上司と部下、教師と学生など、そして社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益は加害者による性交等に応じなければ、加害者の社会的地位に基づく影響力によって被害者自らや、その親族などが受ける不利益を意味します。例えば、従業員である被害者がその仕事の有無や内容等に影響を及ぼしうる地位にある会社の社長による性交に応じなければ、当該社長の地位に基づく影響力故に、仕事を得られなかったり、希望しない仕事をさせられるそのような不安を抱かせるというようなことです。■「故意」についてはそして今問題となっている故意についてです。故意は加害者においてこのような客観的構成要件に該当する事実、すなわちこのような原因行為などがあること、それによって、被害者が同意しない意思を形成、表明全うすることが困難な状態になり、またはそういう状態にあること。 そのような状態のもとで、そのような状態を利用して性交をすること、これをいずれも認識していることが必要ですが、このような原因行為、同意しない意思を形成、表明、全うすることが困難な状態にあることについては、その規範的な認識、法律上にあたる評価の認識は不要で、何が必要かというと、それを基礎づける事実の認識があれば足りるのです。ですから、戻ると、例えば、加害者と被害者の関係性、その被害者がアルコールを摂取していること、個人的な関係もないのに、アルコールを飲んで酔っている被害者を加害者の自宅、2人きりの自宅、密室に連れ込んで、性交を求めることこういったことは被害者の予想と異なる事態に直面させるわけでありますから、こういった事実を認識していれば足りるとされているということです。■「抗拒不能の状態でなかった」といわれるが…もう少しだけ法律の話をさせてください。抗拒不能を今回争われています。私は抗拒不能の状態でなかったといわれています。改正前の事件ですが、名古屋高裁、令和2年3月12日判決。これは、岡崎支部の地裁判決で、実父が実の娘に対して行った準強制性交等事件について、抗拒不能であったとはいえないとして無罪判決を言い渡した時の控訴審判決で、破棄自判により有罪判決を言い渡し、最高裁でも維持され確定している判決で準強制性交等罪の要件としての抗拒不能の該当性については、相手方の年齢、性別、相手方との関係、犯行に至る経緯、犯行の行われた時間・場所・周囲の状況、その他、具体的事情をふまえて相手方において物理的また心理的に抵抗することが著しく困難な状態であれば足りると判示されていました。このような様々な判断要素を総合的に判断して物理的または心理的に抵抗することが困難かどうかということを判断しなさいと法改正前も言われていたわけです。そして法改正後の要件は先ほど述べた通りなので、あのように解釈しなさいよということになってきます。同意誤信というのが主張されているのは、もう以前からです。私の件で言ったら、抗拒不能状態にあることを認識した場合、なお有効な承諾があったと認めるには特別の客観的事情が必要で、その客観的事情が確かになるな、有効な承諾があったと言えるな、そういう風に思っていてもしょうがないなと判断するには非常に慎重に判断しなさいよとされていいます。だから、「同意があったと思っていました」というだけではだめなんです。そして、抗拒不能状態を基礎づける客観的事実の認識をしていれば基本的には故意があったと判断するのです。そして「認知の歪み」というのもよく聞くワードだと思います。この「認知の歪み」というのは、判例で「このような被告人の認知の歪みについては、故意を否定する事情にはなり得ない」と判断されている判決もありますし福岡高裁・令和2年2月5日判決は、1審無罪に対し逆転有罪にした事件ですが、「これは飲酒酩酊のために眠り込んで、根拠不能状態にあった被害者に対して性交した事件について同意があったと勘違いしていたと主張している被告人の主張に対し、1審無罪判決は「被告人が当日、女性に対して安易に性的行動に及ぶことができると考えていたという被告人の供述を同意誤信の根拠としているがそもそもそのような非常識な発想を誤信の根拠とすること自体が不合理である故、男女間における性的行為に対する同意という極めて個人的な事柄を推論する際に用いることは相当ではない。被害者は酔いつぶれていたのだから、被告人との性交にまで同意したと考えるには何段階もの飛躍がある。被害者は飲酒酩酊のため抗拒不能の状態にあったのであるから、被害者が明確な拒絶の意思を示すことができないのは当然であり、被告人にとって被害者が性交を許容していると誤信するような状況であったことを裏付けるとはいえない」と判示して、有罪判決を言い渡しています。これは最高裁でも確定しています。以上が法的なお話です。■「抗拒不能」 被告との関係性や参加者の供述などから「十分に認められると考えています」これを踏まえて、本件において、私が抗拒不能の状態であった点につきましては、さきほどの被告人と私との関係性、被害を受けるまでの経緯、そして懇親会参加者の信用できる、CさんDさんらの供述、クレジットカードの署名、私の供述などから、私が飲酒酩酊で抗拒不能であったということは、もちろん十分に認められると考えています。被告人は抗拒不能であることを認識していなかったと弁解していますが、なぜ認識していなかったんでしょうか。被告人と私の関係性は繰り返しお伝えしていますので省略しますが、本当に単なる上司と部下の関係にすぎず、個人的に2人で検察庁の庁舎の外で会ったことすらない。ランチに行ったことすらない。被告人と私が懇親会で食事したのはすごく前、数年間の間に5、6回しかなかった。いずれも他の検事が参加していたものです。この懇親会についても、私と被告人以外の4人の、しかも外部の警察官も参加するような、言ったらオフシャルのような懇親会であり、プライベートですけど、言ったらオフィシャルのような懇親会だと思っています。それまで被告人から私に好意を持っていると言われたことはもちろんありませんでした。被告人自身、直筆の書面で「被告人が好意を持っていることをおくびにも出さなかった。知られたくなかったから」と書いてありました。私ももちろん彼が私に好意を寄せているなどと考えたこともありませんでした。そして、真実は、彼が私に純粋な好意を持っていたのではなく、性的な関心をもっていただけだと考えます。そのような関係性や至る経緯において、被告人が、私がそのような不同意の性交等に応じるような関係性ではないということはわかっていただけると思うし、被告人自身がその基礎となる事実認識してるわけですから、被告人もその認識があったと考えます。■被告人は大阪地検の検事正 約800人の職員のトップ 「検察庁の王様」それよりもなによりも、被告人は大阪地検の検事正でした。大阪地検は約800人の職員が所属し、彼はその職員のトップでした。彼の指揮下で私たちは仕事をしていました。彼は全ての職員の人事権も持っていましたし、すべての職員の業務の最終判断権者でもありました。彼に逆らう人は誰一人いなかったと思います。彼をとりまく検察幹部も、彼を批判したり彼の意見に逆らうような人もほとんどいなかったと思います。彼は非常に、そうですね…王様です。検察庁の王様だったわけです。そして法律を遵守する者でした。最高検の監察指導部というのは、検察職員の非違行為などを取り扱う部署だと思います。彼は検察幹部として、またそういう部署にいて、数々の職員のセクハラ、パワハラ、性犯罪などを取り扱ってきていました。その中で、検察幹部が部下に対して、酔って部下にセクハラなどをしたことについて、幹部が責任を取り辞職に追い込まれたケースも彼の検察幹部時代に何度かあったと私は認識しています。そもそも検察幹部は、パワハラ・セクハラ研修を受けています。その研修の中では、仮に部下の職員が好意を寄せてきたとしても、それに応じてはならない。非違行為に当たるから、パワハラ、セクハラに当たるからという研修を受けているはずです。部下と性的関係を持てば懲戒処分になることが当然予想されます。そういう立場に彼はいたわけです。そして、私は当時、ヒラの職員でした。なんの力もないただの一般の検事でした。その絶大な支配者と部下の関係にあったことをご理解いただきたいと思います。そして、何より彼は、公の立場にあり、既婚者でした。妻子がいました。私も夫と子供がいました。そのような関係性において同等の立場で性交に応じたり、それを許容したりするような関係性があるとは考え難いということは、先日、岸和田市長の和解調書などでも裁判所が述べられていたように記憶しています。■被告は「呂律も回り足取りもしっかりした程度の酔い」 「私が飲酒酩酊によって抗拒不能な状態であることを十分に認識していたと言える」次に、具体的に私が抗拒不能だったことを彼が認識していたことについて、他にもお伝えしたいところです。懇親会の席は狭く、参加者6人がぎゅっとまとまって座っていた状況でした。そこの中で、被告人は呂律も回っていて、足取りもしっかりしていた程度の酔いの程度だったということですから懇親会で私が、ほとんど机につっぷして寝ていたり、呂律がまわらなくなっていたり、店を出た後、被告人と女性副検事から両脇から体を支えられながら、ふらつきながら歩いていた様子だったり、タクシーに乗せられたあともほとんど眠りかけていた様子だったり、被告人が二次会を誘ってきたのを、私が断って1人で帰ると言っていたことも当然認識していたと言えます。そういうわけですから、被告人は当然、私が飲酒酩酊によって物理的にも抵抗することが著しく困難である抗拒不能な状態であることを十分に認識していたと言えますし、さきほどの関係性から言っても、また飲酒酩酊によっても心理的にも抵抗することが著しく困難な状態にあったと認識していたと考えます。■当初は性交を「覚えていない」 のちに直筆書面で「嘘」と認めるこの点、被告人は、被害当初、この性交等を含め何も覚えていないと言っていました。これはのちに、直筆の書面で「嘘でした」と、自分が嘘をついたことを認めています。そして、私が「上級庁に訴える」と追及して書かせた直筆の書面において「被告人は、ずっと前から私のことが好きだった。でもそれを言えずにいた。そうしたところ、懇親会で酔った私が被告人の頬を触りながら、『私の事好きでしょ』と発言した。だから被告人は私も被告人のことを好きで、私が性交に同意するだろうと思った」首をかしげておられる記者の方もいらっしゃいますが、そう主張していました。この頬を触って「私のことを好きでしょ」と言っていたという事実自体は、懇親会参加者のCさんやDさんらが否定していますので、このような事実はなかったと検察庁は認定していますし、私も今はそのように思っています。しかし、仮にこの言動があったとして、職員がたくさんいる前で、酔った私が「私のこと好きでしょ」と言ったとして、それがなんで性交に同意していると勘違いすることになるのでしょうか。私、懇親会の話題の中で、私は酔っ払っていて途中から覚えていないんですけど、覚えている会話の中で、私が担当していた虐待事件について当時、その虐待事件を決済していた検察幹部がその事件はとても難しい事件で、その種の事件は無罪も連発していたので、非常に慎重な捜査が必要ではありましたが。■検察幹部の「パワハラじみたこと」を改めるよう求めるも叱責され…一方で亡くなった子供のために、残された遺族のために、真相を解明するために必死になって捜査をして被疑者の逮捕につなげようと警察とともに頑張っていたわけですけれども、ある時、その犯人が自殺をするのではないかという動きを見せたため、急いで逮捕する必要がありました。また、当時、検察はその手の事件にすごく慎重で、逮捕させることすらしなかったので、警察においても、検察に対する不信感を募らせ、検察庁に対して逮捕させてほしいという風に申し出している状況でした。そのようなことから、私はその幹部に対して、「今すぐ逮捕させてほしい」「やるだけのことはやったので」と伝えたところ、幹部は頑なに逮捕を許さず、私に対して、「お前は警察の犬か」と言い放ったわけです。私は、そのように言われても、自分がやること、やっていることが正しいと思っていたので、その幹部のより上位の幹部に対して、「この件を逮捕して、きちんと真相解明する必要がある」と言って、ようやく逮捕させてもらうことができました。そして、そのあと条理を尽くして被疑者を取り調べた結果、当時否認していた被疑者も罪を認め、真相も解明し、亡くなられたお子さんや悲しんでいる遺族に応えることができたと思っています。ただ、これは私がこういう性格というか、正義を貫きたい性格であるため幹部に対して、怖いですけど怯まず挑んでいった結果だと思っていますが、普通の現職の職員であれば、そのように幹部にたてつくことは到底できません。ですから、私はこの事が非常に問題だと思っていましたし、これを検事正である被告人に対して、知っていただくことによって検察幹部に指導していただきたいし、ほかの幹部に対してもこのようなパワハラじみたことをやめるように周知してほしいと思い、今、お話したようなことを懇親会の場で言いました。そうしたところ被告人は、「平の分際で上司の悪口を言うな」と私を強く叱責しました。私はパワハラを訴えているのに、自分のその言葉を聞いてくれないことに、とてもショックを受けました。彼自身も私に対して以前、「この窓から飛び降りろ」だとか、「お前の顔を見たくない」ということを決済の最中に言ったことがありました。しかし、それは若かった頃の私の仕事ぶりに対しての厳しい指導だと思い、それについてこれまでとやかく言うつもりはなかったですけど、要は検察組織の中にそういうパワハラ気質だったり、体質だったり、セクハラ体質だったりがあり、それを訴えても検察組織がこれまできちんと改善してこなかった結果だと今は残念に思っています。何が言いたいかというと、そのように懇親会で非常に不穏な雰囲気になり、懇親会の場がシーンと静まり返りました。私としては、やばいなと、場を乱してしまったなと、被告人の機嫌をとらないといけないなと、でも機嫌をとれるのは私しかいない。だから、被告人の機嫌をとるようなことをもしかしたら言ったかもしれません。でもそれは自分は覚えていないので、何を言ったのか、言っていないのかも覚えていません。でも仮にそういう経緯から私が、何らかの被告人の機嫌を取る発言をしていたとしても、その流れや文脈から、酔っ払っているんだなとか、機嫌をとろうとしているんだなと当然、被告人は認識していたはずです。(続きは次のブログへ)
2024年12月12日
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このニュースには、本当に驚きこの加害者に激しい怒りを覚えていた。下記の記事を読み、さらに怒りに震えるばかりだ。そのうちに記事が消えてしまうかもしれないので、コピーしておく。【詳報】「無罪主張に絶句し泣き崩れた」大阪地検元トップ“性的暴行”事件 被害の女性検事涙ながらに訴え 12/12(木)(前略)■「姑息な主張をして無罪を争うことが性犯罪被害で苦しんでいる方を恐怖や絶望に陥れる」率直な気持ちを話そうと思ったのは、性犯罪被害を申告することが、どれほど過酷で辛いことなのかを知っていただきたかったからですそして性犯罪事件において、どのように主張すれば、逮捕や起訴を免れやすいか、無罪判決を得やすいかを熟知した検察のトップにいた元検事正が主張を二転三転させて被害者を翻弄(ほんろう)し、世にまん延する『同意があったと思っていた』などという姑息(こそく)な主張をして無罪を争うことが私だけでなく、今まさに性犯罪被害で苦しんでいる方を、どれほどの恐怖や絶望に陥れ、被害申告することを恐れさせているか、そして、今後さらに多くの性犯罪者に『同意があったと思っていた』と主張させて、性犯罪の撲滅を阻害し、むしろ助長させることになるかを知ってもらいたかったからです。■「私をどこまで愚弄し、なぶり殺しにすれば気が済むのでしょう」(中略)被告は、初公判で、『罪を認め争うことはしません。被害者に深刻な被害を与えたことを深く反省し、謝罪したい』と述べていましたが、それは保釈を得るための芝居だったのでしょうか。初公判により被告の卑劣で悪質な犯行や犯行後の言動が明らかになったことで、被告を非難する声が高まっていること、せっかく初公判で罪を認めたのに、保釈請求も却下され、また、私が一貫して判決確定まで損害賠償金の支払いに応じないと表明していることから、いよいよ実刑判決が見えてきたことに焦り、さらに、被告が親しい女性副検事に捜査情報を漏洩させるなどしていた疑いがあり、それについても処罰の可能性が出てきたことから、自己保身ゆえに再び否認に転じたのだと思います。また被告の親しい女性副検事が処罰、懲戒処分を受ける可能性があるため、被告が無罪を主張することで、女性副検事が行った行為は、罪に問われるようなものではないとして、彼女の逮捕や起訴を免れさせようとしているのだと思います。被告は事件当初から弁解を二転三転させてきました。たくさん嘘もついてきました。被告の再びの嘘を誰が信用するのでしょうか。検察のトップにいた人が、事件から6年もの間、一度たりとも被害者の苦しみを想像せず、真に罪を償おうと思うことがなかったことは、被害者としてもとても悲しく、検事としてもとても情けないです。被告がどのように主張しようが、真実は一つです。司法の正義を信じます。検察トップが犯した重大な罪と、被害者を傷つけ続ける無反省で無神経な言動に見合った長期の実刑判決を求めます。■「信頼していた検察組織から心無い対応に絶望と孤立を深め苦しんだ」が記者会見を経て支援のメッセージが寄せられる次に皆様に感謝の気持ちを伝えさせてください。令和6年10月25日の初公判後に、会見をさせて頂き、報道各社の皆様方が私の言葉を正確に届けてくださり、私の言葉を聞いてくださった皆様方が温かい言葉をかけて寄り添ってくださっていることに心より感謝申し上げます私は会見まで、信頼していた検察トップから理不尽な性被害を受け、信頼していた女性副検事から裏切られ、女性副検事や信頼していた検察職員らからセカンドレイプの被害まで受け、信頼していた検察組織から心無い対応をされ続け、絶望と孤立感を深め、とても苦しみ続けていましたそれでも今は、検事として目の前の被害者の方々に寄り添うことができなくても、今の私にできることをしたい。会見でお話できることで、理不尽な被害に苦しんでいる方々に少しでも寄り添い、性犯罪の撲滅につなげることができたらと思い、無我夢中でお話させていただきました会見後、面識のないたくさんの方々が「With You あなたと共にいます」という心強いメッセージを寄せてくださり、性犯罪被害者支援団体の方々が、引き続き、応援メッセージを寄せてくださったり、ネットニュースのコメント欄でもたくさんの方々が共感して、励ましてくださりました。私は、そのコメントをスクショにして自分の携帯に保存して、お守りとしています『同じように理不尽な性被害に苦しんでいることをお話してくださり、勇気をもらった。今から警察に相談に行く』とおっしゃっておられた方もいらっしゃいました。■捜査で関わった警察官から「検事の信念と勇気に力をもらえた。これからも被害者の方々のために戦う」とメッセージ友人の元警察官が支援の会を立ち上げてくださり、私をずっと支えてくださってきた現職の検察職員、OB、医師、心理士、友人など大切な方々や、会見を聞いて私だと気づいた現職の検察職員も連絡をくれて「私は味方、ずっと応援し続ける」というメッセージを寄せてくださり、一緒に戦ってきた警察官の方々も連絡をくれて、『検事の信念と勇気に力をもらえた。これからも被害者の方々のために戦う』というメッセージを寄せてくださいました。私は自分の被害を知られたくなかったことや、私の個人情報が特定されることで、検事という職業柄、私や家族に危害が及ぶことを避けるため、ほんのわずかな方々にしか、自分の被害を明かしていませんでした。ですから、今も名前や顔を伏せてお話させていただいております。会見で私が被害者だと気づいた検察職員の方々の中にはそのような事情を汲んで、私への連絡を控えているものの、心配や応援をしてくださっていると伝え聞いています。きのう(10日)の元検事正が否認に転じた報道を受け、このような応援団の皆様方が心配をしてくださったり、新たに性犯罪被害者支援団体の方が、支援を申し出てくださり、心強く思いました。■「一緒に戦ってきた子どもさんとお母さんが『頑張れ』とエール」(中略)■「支援の会」が設立 「傷ついている方々とか報われない方々に『共感・エンパシー』を」知人の元警察官が立ち上げてくださった支援の会のグループメールアドレスをここでご紹介させて頂きます。Unmetempathy@googlegroups.comです。アンメットは、「アンメット」っていうドラマがあったかと思うんですけど、傷ついている方々とか、報われない方々に「共感・エンパシー」をしたいという意味で、「アンメット エンパシー」というアドレスにしています。こちらは、その管理者と私が、こちらに送って頂いたメールを拝見させて頂くことができます。今後私を支援していただきたいという思いはありますが、私自身が苦しんでいる方々の支援をしたいという思いもありますので、そういった意味で多くの方々とつながりたいと思っております。よろしくお願いします。■「司法の中にも同意の意義などを正確に理解していないものが少なからずいて被害者をさらに傷つける」きのう(10日)の中村弁護人の会見で被告人(北川被告)が無罪を主張しました。被告人のそれぞれの主張に対して、私が今お話できること、検事としての知見や知識から客観的に述べられることをお話していきたいと思います。被告人は具体的には、「事件当時、被害者が抗拒不能であったことは、合理的な疑いがある。事件当時、被告人には、被害者が抗拒不能であったという認識がなく、被害者の同意があったと思っていたため、犯罪の故意がない」と主張しました。そして被告人は「自分の記憶と認識に従って主張することにした」と述べています。この「抗拒不能ではなかった」、「抗拒不能の認識がなかった」、「同意があったと思っていた」について、述べたいと思います。報道を見ていると、ほとんどの性犯罪事件で「同意があった」、「同意があったと思っていた」という同意誤信が主張されています。そして残念ながら警察官、検察官、裁判官、弁護士さんという司法の中にも、性犯罪の本質や同意の意義などを正確に理解していないものが少なからずいて、勇気を振り絞って被害申告した被害者をさらに傷つけ、被害申告したことを、後悔させ、一生苦しませるという事態が、多く起きています。そして法律を熟知する検事正であった被告人までもがこのような弁解をしているわけです。そうすると、性犯罪者は皆、同じような主張をするでしょう。このように性犯罪の本質だったり、同意の意義だったりを正確に理解し、国民の皆様方や司法関係者に周知徹底することが必要だと考えています。令和5年7月施行の「不同意性交等」が導入された刑法などを一部改正する法律、令和5年法律第66号を成立させる際に、衆参両議院の各法務委員会において、以下の付帯決議が付されています。抜粋ですが、不同意性交等における同意の位置づけ、及び意義、また地位、関係性要件などの改正法の趣旨及び構成要件について、国民に対する普及啓発を推し進め、十分に周知徹底を図るよう努めること。司法警察員等の関係者に対しても、法改正の趣旨を周知徹底し、十分な研修等を行うこと、とされています。これは、政府及び最高裁判所に求められていることであり、当然検察庁にも求められたものです。長いので、続きは次のブログへ。
2024年12月12日
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昨夜は、田中熙巳代表委員(92)の受賞演説をリアルで聞いていたのだが、やはり日本政府への批判の発言には少し驚いた。「国家補償していない」 田中熙巳さん、受賞演説で「予定外」発言12/10(火) 毎日新聞 被爆者の立場から核兵器廃絶を国内外に訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式が10日、ノルウェーのオスロ市庁舎で開かれた 日本被団協を代表し、長崎で被爆して親族5人を亡くした田中熙巳(てるみ)代表委員(92)は受賞演説で、当初予定にない言葉を加える場面があった。 田中さんは1994年に制定された被爆者援護法に触れる中で、「何十万という死者に対する補償は全くなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けています」と訴えた。 ここまでは報道機関に対して事前に配布された文案と同じだったが、田中さんは直後に「もう一度繰り返します」と切り出した。 そして、田中さんは正面を真っすぐ見ながら「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います」と強調。「予定外」の訴えを追加し、国家補償を認めていない政府の姿勢を2度にわたって批判した。【安徳祐(オスロ)、面川美栄】正直なところ、聞いた時には少し違和感を覚えたのだが、私は「予定外の発言」と書かれているのを見て、強い覚悟と意志を持っての発言だったのだろうと思う。この記事へのコメントには、この場で発言すべきではなかったという意見も見られるが、長年の活動の中で、日本政府の及び腰の対応にやりきれない思いを抱き続けてきての悔しさや、この機会を逃しては世界に原爆で亡くなり、現在もその痛みを抱き続けている仲間たちの思いを伝えられないという、切羽詰まった気持ではなかったか。喜ばしいがどこかひっかかる日本被団協のノーベル賞受賞、彼らの訴えの「芯」をノーベル委員会は見落としていないか12/7(土)
2024年12月11日
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中山美穂さん急死 前夜は午前2時半にメール「打ち上げどこにする?」の連絡も 関係者ショック スポニチ12/7(土) 4:00 ミポリンの愛称で親しまれた1980年代の伝説的アイドル、女優で歌手の中山美穂(なかやま・みほ)さんが6日、東京都渋谷区内の自宅マンションの浴室で死亡しているのが見つかった。54歳。東京都出身。死因は明らかになっていないが、事件性は低いとみられる。中山さんが仕事の集合場所に現れず、事務所関係者が自宅を訪れ発見した。来年のデビュー40周年を目前にした突然の出来事に、列島に衝撃が走った。(後略)このニュースにはビックリした。当日はコンサートの予定だったということで、ファンの人達のショックはいかばかりだろうか。死因については、ヒートショックの可能性もあるということで、ヒートショックについて調べてみたら…。“ヒートショック”に注意!死者数は約10年で1.5倍に増加 快適な風呂を悲劇に変えないために…救急救命医に聞いた3つの対策12/6(金) 東京都内の自宅で亡くなった歌手で俳優の中山美穂さんについて、死因は「ヒートショック」や溺死の可能性もあることが分かった。気温の低い日が続き、お風呂につかって体を温めたいところだが、「ヒートショック」には十分な注意が必要だ。ヒートショックによる死亡者数は約10年間で1.5倍に増加。新潟市民病院・救命救急センターの熊谷謙副センター長に3つの対策を聞いた。(後略)冬場に多発!身近に潜む危険「ヒートショック」何と、交通事故死者の二倍だそうだ。ヒートショックについては知っていたし、この時期になるとテレビでも注意するようにと報道されているが、これほど多いとは!高齢になると血圧は高めになってくるし、中年以降の女性は更年期とも重なり、自律神経が乱れる傾向もあるので、中山さんもそのような要因が重なっていたのかもしれない。私も気をつけなくちゃ。
2024年12月07日
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先日、中退した短大で一緒の寮で半年生活を共にしたNさんと、SMSやラインで久しぶりにやり取りした。私はこのブログで、中退した短大時代のことはちゃんと書いていなかったと思う。多分、自分の中で不消化であったことと、その頃のことを思い出すと様々な思いが巡ってしまい、思い出したくなかったというのが正直なところだ。それでもなぜか、一年生の時に寮生活をした数人の友人とは、年賀状のやりとりを続けていた。それはひとえに、突然いなくなってしまった私のことを案じてくれた、その人たちの優しさではなかったかと思う。Nさんとのやりとりで、そんな当時のことを思い出してしまった。北海道の地方の町に育った私が、東京のS女子短大の食物学科に入学したのは、決して心から望んだものではなかった。私は高校生の頃から福祉関係の仕事をしたいと思い、進学先も福祉系大学を目指していた。しかし、特に母親が福祉の仕事をすることには反対で、さらに4年制の大学は必要ないと言う。父は私が望む進路を認めてくれると思っていたのだが、「世間知らずのお前に福祉の仕事は無理だ」と言い出し、札幌の短大への進学を勧められた。(今思えば、母の意向が強かったのだろう)「女は結婚して家庭に入るのだから、短大で十分」というような感じであった。私は4年制大学に拘っているわけではなかったが、そのやりとりで両親に対して強く失望した。そして、そんなわからずやの親のいる家からの脱出を願うようになった。わからずやというより、私の気持ちや願いに聞く耳を持たないような二人に失望したのだ。私は子どもの頃から聞き分けの良いお姉ちゃんだったと思う。そんな私が何かを主張するのは初めてだったからかもしれない。それまで自己主張をしなかったツケだったのかもしれない。進学先を決める時に私は次の手段を選んだ。地方受験ができるS女子短大の、親も「それなら結婚するのにも役立つだろう」と納得するはずの「食物栄養学科」を受験することにしたのだ。それに、その短大には寮があるので、親の安心材料になる。何よりも、両親から離れたかったのだ。食物栄養学科で栄養士の資格を取り、福祉施設や病院などで働くのが目標になった。ただ私は、この学校への入試直前に決めたので、ほとんど学校や学ぶ内容のことを調べていなかった。幸いに試験に合格したのだが、道内ではほとんど知られていなかった短大だったので、両親は「道内のF女子短大に合格したら行かせてやる」と言った。F女子短大は道内では有名な歴史ある学校だったからである。私にとっては無意味な受験だったけれど、父親の言葉を信じて受験したのだが、受験当日答案用紙を見ながら一抹の不安が湧いてきた。(もしも合格したら、東京への進学をダメだと言い始めるのではないか。そうなったら大変なので、ここは受験に失敗した方がいいのではないか。いや、失敗したら猶更、進学もさせないなんて言い出すんではないか)一時逡巡したものの、やはり答案用紙を見たらわかるものは答えたくなる。…、ということで、両方の短大の合格通知を貰うことになった。その後は、母は「せっかく地元の短大に合格できたのに」と未練がましかったけれど、父は「約束だから」と上京を認めてくれたのだ。そんな顛末でS女子短大に入学した私は、大学の敷地内にある「葵寮」に入寮した。その時の部屋は、先輩と私達新入生三人の四人部屋だった。入ってすぐに、私の心に膨らんでいた希望の風船は、あっという間にしぼんでしまう。とにかく、田舎者の私にとっては違う世界だったのだ。寮の仲間はとても素朴で優しい人達でイヤなことはなかったけれど、言葉遣いや立ち居振る舞い、日常生活の決まり事などはびっくりすることばかり。どうもその学校は「良妻賢母育成」が目的の学校だったようだ。その毎日は、まさにカルチャーショックの連続だった。本州の人達はそのような教育目標の学校だと知って入学していたかもしれないが、私には恥ずかしながら「寝耳に水」であり、不安でいっぱいになってしまった。さらに予想外だったことは、「食物栄養学科」は理系と言える授業が多く、興味も基礎知識もない授業を受けることになり、ついていくのが大変だった。ということで、私の短大生活はかなりストレスフルなところから始まった。それでも、たった二年だけだからという思いで何とか授業にはついてゆき、二年生になってからは息苦しい寮から脱出し、同じ寮生だった友人と六畳一間に小さな台所のある部屋に移った。二年生になってからは、保健所や工場、病院などの実習や卒論準備、教職課程もとっていたので教育実習など、本当に忙しくなった。そのほかにも色々な悩み事が重なり、私は自分でも気付かぬうちにストレスによる不調が始まっていた。その状態であえぐように日々を送っていたのだが、いよいよ就職先を探し始めた時、私は愕然とした。希望していた福祉・医療系からの求人がほとんどなかったのだ。それでも北海道には戻りたくなかったので、学校の推薦で面接した某大企業の食堂の栄養士に決まりかけた。その時、自分でも驚くのだが、突然のように未来への絶望感が襲ってきたのだ。ということで、私はその場にいたたまれなくなり逃げ出した。その後のことははっきりとは覚えていないのだが、結局私は北海道に戻り、同室だったIさんに本当に迷惑をかけた。あと数か月で卒業の時期だったが、私は絶対にその学校に戻って卒業したくなかった。父は、弟を自殺で亡くしているので、「死なれるよりは」と私のわがままを受け入れてくれたと思う。やがて落ち着いてきたとき、当時仲良くしてくれた友人たちへの申し訳なさが募ってきた。だからきっと、私からお詫びの手紙や近況報告をしたのではないだろうか。それとも、心配してくれていたその友人たちから便りがあったのかもしれない。短大時代の友人たち数名と、いまだに年賀状のやりとりをしているのはそのためである。年賀状のやりとりをしていた数少ない同級生の一人は、一昨年亡くなった。娘さんからの喪中はがきを受け取った時、もう一度会って話したかったなと思った。彼女は短大を卒業して学校給食の栄養士になったので、通信教育のスクーリングで上京した時、一度だけ再会したと思う。その時に、現代の学校教育や給食の果たす役割の重要性について学んだことが多かった。その後は年賀状だけのやりとりだったので、どのような病でなくなったのかはわからない。しかし、私達もそんな年になったのだと痛感し、会いたい人には無理してでも会っておきたいとも思わせてくれた。今回、ラインでつながったNさんとは、卒業後は会っていないと思う。お体に不調を抱えていらっしゃるそうなので、来年は無理してでも会いに行こうかと思う。彼女は、寮で同室だったYさんともつながっているようなので、半世紀ぶりの再会を楽しみにしている。
2024年12月03日
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何をしているというわけでもないのだが、あっという間に日過ぎる。とりあえず、11月分の備忘録。11月19日(火) 実家の土地の処分の諸手続きのため、茨城の妹が帰省。 土地の処分や相続関係では、税理士さんにお願いしなくては無理。11月20日(水) 北海道文化塾で、フィフィさんの話を聞く。 イスラムのことについては私達はあまりにも知らない。 色々とYouTubeで発信しているようなので、聞いてみようと思ったのにまだ聞いていない。11月20日(木) 姉妹三人と夫の四人で、久しぶりのしゃぶしゃぶ。11月24日(日) 孫と、結婚予定の彼氏が挨拶に来る。あの小さな赤ちゃんだった孫が、もう結婚か!11月26日(火) 矢板市に住むNさん(かつて短大時代の寮で同室だった)から、喪中はがきが届いた。 年賀状やたまーにメールや電話でのやりとりはあるのだが、実際には五十年以上会っていないはずだ。 ご両親二人とも相次いで亡くなったと知り、ショートメールを送ると返事があり、彼女の近況を知ることができた。このやりとりで、忘れていた昔のことも思い出したので、またブログに書きたいと思う。11月27日(水) 苫小牧イオンシネマで「海の沈黙」を夫と観る。11月28日(木) 札幌に住むTさんのご主人が、広島土産をわざわざ届けに来てくれたので、Iさんと一緒にランチをする。 夜は、次の日に妹が帰るので、また四人で寄せ鍋。
2024年12月02日
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中学時代の恩師が長年関わっている演劇集団の公演に合わせて、幼馴染が日帰りで来道するということで、公演のある北広島市の駅で四人が合流。関西、九州、札幌の三人と私である。私以外の三人は中学時代の同級生で、観劇とその後のミニクラス会が目的である。私はクラスが違ったし、正直なところその担任の先生が少し苦手なことと、別のクラス会に混じるような感じなので観劇はパス。ということで、北広島花ホールの近くのカフェでランチとおしゃべりをした。九州から来たNさんとは学生時代はほとんど接点はなく、Kさんと一緒に何度か会ってはいるのだが、親しく会話したのは今回が最初かもしれない。もう一人の札幌在住のMさんとは小学校の低学年の頃に同級生だったし、高校も一緒だったのでよく知っている人なのだが、最後に会ったのは10年以上も前だろう。北広島駅の待合室ですぐ近くに座っていたのに、仲介役ともいえるKさんが来るまで気付かなかった。最近は風邪やマイコプラズマ肺炎も流行っているので、マスクをしていたこともあるのだが。昔なじみと話す時にいつも感じることではあるが、人生は誰にとってもそれなりの苦労が避けられないということだ。それでもそれを乗り切ってきて、また再会して昔話や仲間の話、お互いの近況を語り合えるということは幸せなことだと思う。他のクラスの人達とこのような再会ができるのは、当時の中学校5クラスの担任集団が、とても仲良くて子ども達の情報を共有し、担任のクラスを超えて指導し、可愛がってくれたおかげだと思う。それぞれのクラス担任は今から思うと個性的で、先生達も気の合う人ばかりではなかったのだろうと思うが、子どもたちに良い教育をしようという情熱でつながっていたような気がする。人間集団はどんな集団でも個性がぶつかりあう。いつもいつも気持ちが一致したり協力できたりするはずがない。時にはぶつかりあったり拒否したり、お互いに深い傷を残すこともある。嫌いな人とは付き合いたくないけれど、どうしても付き合わなくてはならないこともある。好きな人とだけ「いいね」でつながり続けるなどあり得ないのだ。その時の自分なりの対処方法や、ストレスの解消方法を学びあうのが子ども時代だし、それが学校と教師の大きな役割だと思う。今の子ども達が学校という場で、私達のような学びの機会が保障されているように祈る。そして、それを保障してくれていた当時の先生たちに改めて感謝する機会となった。
2024年12月01日
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「海の沈黙」を夫を誘って苫小牧の映画館で観てきた。Story世紀の贋作事件の鍵は、若き日に消息を絶った天才画家と遠い昔の恋人世界的な画家、田村修三の展覧会で大事件が起きた。展示作品のひとつが贋作だとわかったのだ。連日、報道が加熱する中、北海道で全身に刺青の入った女の死体が発見される。このふたつの事件の間に浮かび上がった男。それは、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれるも、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次だった。かつての竜次の恋人で、現在は田村の妻・安奈は北海道へ向かう。もう会うことはないと思っていた竜次と安奈は小樽で再会を果たす。しかし、病は竜次の身体を蝕んでいた。残り少ない時間の中で彼は何を描くのか?何を思うのか?彼が秘めていた想いとは?この映画を観たいと思ったのは、倉本聰さんが長年にわたって構想してきたテーマをどうしても描きたかったと映画化したものだそうだ。それをテレビなどで知り、彼のドラマや映画で感動してきたものとしては、やはり見たいと思ったからだ。映画を観る時に夫を誘うことはあまりないのだが、ロケが夫の育った小樽と言うことで誘うと、「小樽」に惹かれて乗ってきた。さてその感想はといえば、想像以上に良かった。「美とは何か」ということは私にはよくわかっていないと思うのだが、それはとても個人的な主観に基づいていると思っている。主観や美意識は人それぞれだと思うが、多くの人が感動し美しいと思った時に普遍性があると言われ、それに価値が付いていくような気がする。この映画では「贋作」を通して、美術品に価値が付き、権威が付き、ものすごい金銭的な評価に至ることへのアンチテーゼともいえる。この映画のテーマはそれだけではない。やはり人それぞれの生き方や人生、環境に振り回されながらも生きる人間の軸や支えになっている人間同士の愛情というのだろうか。それは、男女の愛、家族への愛、同志への愛、かつての友への愛など、人間が生きる上で欠かすことのできない愛の意味だろう。それを表現する俳優たちも素晴らしかった。本木雅弘や小泉今日子の若い頃から知っている身としては、本当にいい俳優になったなあと感慨深い。中井貴一も「ビルマの竪琴」から注目したような気がするが、この映画でも脇役ながらすごい存在感。このような心を抉るような映画を制作してくれたすべての人に感謝したい。主人公が描く絵にはとても感動したので、誰が描いたのだろうと調べたら、高田啓介さんという画家だった。この人の作品を機会があればもっと見たいなと思った。倉本聰さん映画「海の沈黙」彩る絵画を監修 二戸の高田啓介さん高田啓介 三陸の海この映画では「贋作」が一つのテーマであるが、それでつい連想するのが「お宝鑑定団」という番組だ。この番組は興味本位でよく見るのだが、時折「出さなきゃ良かったのに」と思うことがある。長年、家宝のようにして大切にしていたものとか、大切な人から譲り受けたものとか、どうして出すんだろうなと。それで「偽物」と鑑定されたら、その後それはどのようになっていくのかと心配する。いいじゃないの、自分が生きている間はご先祖様の言い分を信じたって。大切な人が大切なものとして譲ってくれたものなら、大切にしていけばいいのにと。我が家にはそれほどの価値のあるものはないけれど、実家で長年保存していたものは気になってはいた。茶器や食器類、掛け軸類は処分したけれど、福井から曾祖父が持ってきたと言われる昔の文書類は、勝手に紙類として処分するのは気が引けて、地元の郷土資料館に持ち込んだ。私達は昔の文書は読めないので、価値ある書類かどうかもわからないので、分別して処分してほしいと。古文書が読める人なら簡単に仕分けできるだろうが、残念ながら地元の学芸員では無理だったようで、北海道文書館に持ち込んだらしい。結果は知らせると言われたが、まだその報告はない。私達としては、結果はどうあれ子孫である私達のせめてもの責任は果たしたとそれで満足である。
2024年11月27日
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最初はFacebookで知りました。「いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日」【本の紹介】坂本さんは、食肉センターで牛を“解く”仕事をしています。息子のしのぶくんは、小学校の授業参観でおとうさんの仕事を聞かれて、「ふつうの肉屋です」とこたえました。その後、担任の先生に「おとうさんが仕事ばせんと、肉ば食べれんとぞ」といわれたしのぶくんは、「おとうさんの仕事はすごかとやね」と坂本さんにつたえます。そんなある日、坂本さんがつとめる食肉センターに、女の子と一頭の牛がやってきて……。5万部突破! 『JIN―仁―』で人気の漫画家・村上もとかさんも絶賛! 朝日新聞「天声人語」欄でも取り上げられ、学校での読み聞かせでも愛読されています。西日本新聞社から刊行されている単行本『いのちをいただく』は、全国で感動を呼び、10万部を突破したロングセラー。『紙しばい いのちをいただく』も、紙しばいとしては異例の売れゆきを続けています。この名作が、新版として、手に取りやすい絵本になりました。坂本さんは、食肉センターで牛を“とく”仕事をしています。息子のしのぶくんは、小学校の授業参観で、お父さんの仕事について、うつむきながら「普通の肉屋です」と答えます。担任の先生に、「お父さんが仕事ばせんと、肉ば食べれんとぞ」と言われ、しのぶくんは考えを変えます。「お父さんの仕事はすごかとやね」と言うしのぶくんを見て、坂本さんはもう少しこの仕事を続けようと決心します。そんなある日、坂本さんが勤める食肉センターに、女の子と一頭の牛がやってきて――。Facebookでは、お話の内容全体が紹介されていますので、転載します。【いのちをいただく】坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。牛を殺して、お肉にする仕事です。坂本さんはこの仕事がずっといやでした。牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。だから、大切な仕事だということは分かっています。でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。 坂本さんの子どもは、小学3年生です。しのぶ君という男の子です。ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。いよいよ、参観日がやってきました。「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、 小学校の門をくぐりました。授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。先生が子どもたち一人一人に「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」「どんな仕事ですか?」と尋ねていました。しのぶ君の番になりました。坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。「肉屋です。普通の肉屋です」坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。坂本さんが家で新聞を読んでいると、 しのぶ君が帰ってきました。「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」何で急にそんなことを言い出すのだろうと坂本さんが不思議に思って聞き返すと、しのぶ君は学校の帰り際に、 担任の先生に呼び止められてこう言われたというのです。「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん…」「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ。」しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、「お父さんの仕事はすごかとやね!」と言いました。その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。坂本さんが 「明日の牛ばいねぇ…」 と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。坂本さんは 「危なかねぇ…」 と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」 そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。坂本さんは 「見なきゃよかった」 と思いました。トラックの運転席から 女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、よろしくお願いします」坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」 と思いました。そして思いついたのが、 明日の仕事を休むことでした。坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる…」そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん…」と言ってしばらく黙った後、 テレビに目を移しました。その夜、 いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。「行ってくるけん!」元気な声と扉を開ける音がしました。その直後、玄関がまた開いて「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」としのぶ君が叫んでいます。坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。その声を聞くとしのぶ君は「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」とお母さん。坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。少し早く着いたのでみいちゃんをそっと見に行きました。牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するような ポーズをとりました。坂本さんは迷いましたが、 そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。坂本さんが、「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう…」と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」と言い聞かせました。牛を殺し解体する、その時が来ました。坂本さんが、「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。その時、みいちゃんの大きな目から 涙がこぼれ落ちてきました。坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。そして、坂本さんが、 ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、 少しも動くことはありませんでした。普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、 倒れた後に大暴れするそうです。次の日、 おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみじみとこう言いました。「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、 みんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが、『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』って言うたら、孫は泣きながら、『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ。』て言うて食べました。ありがとうございました」坂本さんは、もう少しこの仕事を 続けようと思いました。 ある学校で、保護者の一人から、「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。「なんという常識のない保護者なんだ!」と片付けるのは簡単です。でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。そしてその結果、 食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。私たちは 奪われた命の意味も考えずに、毎日肉を食べています。動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の思いも知らないまま、肉を食べています。動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。 命をいただくことに対しての「思い」。お肉を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」お野菜を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?お肉を食べて「うぇ~、マズッ!」お野菜を食べて「うぇ~、マズッ!」そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。今日もまた、 食べられることへの感謝の言葉、「ありがとうございます。感謝します。いただきます」。食べているときの「美味しい!」という言葉。そして食べ終わった後の、「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした」という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。もちろん、食べ残しをせずに。 食べ物が、あなたの体を作ります。あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。喜びに満ちた人生を過ごすこと。それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう!出典:西日本新聞社「いのちをいただく」
2024年11月23日
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兵庫県知事選挙【結果】斎藤元彦・前知事が当選、終盤SNSで支持広げる…失職知事の返り咲き田中康夫氏以来 2024/11/17 読売斎藤知事がパワハラや公益通報者を保護しなかったことなどで、議会が全会一致で不信任をつきつけられて失職し、その後の知事選に出馬して再選となった。友人が兵庫県に住んでいることもあり、このニュースには関心を持っていたのだが、SNSで支持が広まったことで当選したようだ。私には斎藤氏がどのような仕事ぶりだったのかわからないのだが、それでも職員の多くがパワハラを感じ、公益通報かどうかの吟味もせずに懲戒免職にしたことは、何らかの問題があったと思っていたので、それが全部ひっくり返されるような結果には正直驚いた。ニュース映像で見る終盤の選挙戦は、斎藤氏の支持者がふくれ上がって熱狂気味で、それもとても怖いことのように感じていた。私は、何につけ熱狂して支持する風景は嫌である。まあ、タレントへのファンの熱狂ぶりについては趣味の範囲だからいいとしても、政治家への熱烈支持にはいい印象を持てずにいる。だから、今回の当選も申し訳ないけれど冷ややかに見ているところがある。斎藤さんも、当選したのはいいけれどこれからが大変だろうなとか、兵庫県職員や幹部、兵庫県内の市町村長たちも、保身のために手のひら返しができるんだろうかとか…。まあ、結果は兵庫県民の判断だったのだから頑張ってくださいというしかない。 前段が長くなってしまったが、私が書きたいのはSNSが新聞やテレビなどのメディア以上に信じられたということへの懸念だ。今は様々な媒体で情報が得られて、SNSも単にその一つなのに、どうしてそれを簡単に真実や事実と信じられるのだろうか。SNSでの詐欺事件も毎日のように報道されて、騙される人が後を絶たず被害額も膨大なのにである。 私のブログもSNSの末席にあるのだろうと思うが、これは私個人の考えかただし、私個人の関心のあることを取り上げているに過ぎない。たとえ私がこのブログでどこかの福祉団体やNPO、様々な支援者団体を紹介したとしても、それがとても良い団体だとか信じられるから保障するということとイコールではない。私なりに大丈夫だと判断しているとしても、人の判断は絶対であるわけではない。 新聞やテレビなどの報道も同じようなことなので、自分なりに判断するのには複数の情報を調べて自分の頭で考えて選択するしかないのだ。それなのに、「新聞やテレビよりもSNSの情報の方が真実を伝えている」と思うのが私には不思議だ。どんな情報でも、発信者の意図や価値観がありそれを言葉巧みに表現するものだ。間違っても、自分や所属するグループに不利なことは書かないだろう。だからこそ、複数の情報を見比べて検討することが、何かを判断するためにはとても重要だと思う。私は長年不登校の親の会に関わってきたのだが、最近は老舗の親の会にも参加する人は減っているらしい。スマホなどで簡単に情報を得られるようになり、ラインなどでの交流も多くなっているらしい。ただ、私はやはり顔を見て話して相手の気持ちを推しはかり、気持を共有したり話し合う中で気付いたりすることがとても大切だと思っている。私の感覚は古くなってしまったのだろうか。 最近は新聞を購読する人が少なくなったらしい。私と同世代の人でも、ニュースはスマホやテレビで十分だと話している人がいた。テレビはともかく、スマホなどで得る情報は自分好みのものしか見ないはずだ。だから、まったく正反対の見方もあることに気付かないでしまう。 ということで、今の時代はSNSリテラシーや情報リテラシーの教育がとても大切だと思うのだが、少なくても私たち世代(60代以上)はそのような教育を受けてはいない。そのような人たちが、安易に声の大きい多数派の意見に流されているようで、少し不安になっている。
2024年11月20日
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明け方の三時頃目が覚めたら、窓の外が明るかった。(ああ、雪が降ったんだな…)と思ってそのまままた眠ったのだが、朝起きてカーテンを開くと雪景色だった。まだ数センチほどなので今日には融けるかもしれないが、いよいよ冬になると実感。季節が変化して夏が長くなったとはいえ、北海道ではやはり四か月は冬になる。あまり雪の多い冬にならなければいいけど。
2024年11月19日
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詩人の谷川俊太郎さん死去、92歳…「二十億光年の孤独」や「鉄腕アトム」主題歌など親しみやすい詩11/19(火) 読売オンライン 日本の現代詩を代表する詩人で、「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など数多くの親しみやすい詩が人々に愛された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが、18日までに死去した。92歳だった。 1931年、哲学者・谷川徹三の一人息子として生まれた。東京都立豊多摩高在学中に書きためた詩のノートを父親が三好達治に見せたのがきっかけで、20歳の時、「二十億光年の孤独」を出版した。大岡信、茨木のり子らと詩誌「櫂(かい)」に参加。「六十二のソネット」「愛について」など次々と詩集を発表した。 アニメ「鉄腕アトム」の主題歌をはじめ、ラジオドラマのシナリオや戯曲も執筆。英国の伝承童謡の訳詩集「マザー・グースのうた」(日本翻訳文化賞)や、「ことばあそびうた」「わらべうた」など、ひらがなを使った子供向けの詩も多く手がけた。 また、犬のスヌーピーが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」シリーズの翻訳を続け、「朝のリレー」が国語教科書やテレビCMに採用されるなど、幅広い活動で知られた。 83年に「日々の地図」で読売文学賞、85年「よしなしうた」で現代詩花椿賞、93年「世間知ラズ」で第1回萩原朔太郎賞、2010年「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞を受賞。英語や中国語など世界20か国語以上に作品が翻訳された功績がたたえられ、19年に国際交流基金賞が贈られた。 私生活では3度の離婚を経験。元妻に童話作家の岸田衿子さん、前妻は画家の佐野洋子さん。長男の賢作さんは作曲家。意識しているかどうかは別として、谷川さんの詩に育てられてきたような気がする。本当にありがとうございました。
2024年11月19日
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初当選時より25万票上積み 失職後再選の斎藤氏 兵庫知事選11/18(月) 時事通信 17日に投開票が行われた兵庫県知事選では、失職後に再選を果たした斎藤元彦氏(47)が111万票余りを獲得した。 初当選した2021年の知事選から25万票以上を積み上げ、幅広く浸透する結果となった。 今回の知事選は、投票率が前回より10%以上伸びて55.65%となるなど、県民の関心が高い中で行われた。斎藤氏はSNSを重視した選挙戦を展開。こうした戦略が功を奏して、111万3911票を獲得した。 ただ、有効投票数に占める割合は45.2%で、前回の46.9%には届かなかった。次点の稲村和美氏(52)は39.6%で、斎藤氏とは5.6ポイントの差だった。 兵庫県知事選挙、斎藤元彦前知事が「大まくり」で当選した理由は部外者から見ていたらオセロゲームのようだった。結局、真実はどうだったんだろう。いずれにせよ、斎藤さんはこれからも大変なことは確かだろう。そして、兵庫県民のみなさんはこれをどう見ているんだろう。知事も県議も市長も、県民の皆さんの支持で当選しているわけですけれど。
2024年11月18日
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11月5日(火)図書館の読書会で知り合ったNさんJさんと久そぶりにランチ。話題は親の死後の後始末のことや、自分の体調のこと、共通の知り合いの近況などなど。出会ったのはもう40年も前のことで、3人とも若かった。それがいつの間にか親を見送り、その後始末や自分の死後のことなどを話題にしている。月日の流れを感じますねえ。11月9日(土)町内会の花壇撤去作業。本当は前日の予定だったが、雪が降って延期になった。今年もこれで町内会の作業はおしまい。11月12日(日)旧知の知り合いとのランチ。場所は北広島福祉会が運営する「虹のかかるところ」。私達は福祉関係の仕事をしていたので、障害者の就労支援事業でもあるこのカフェは楽しみだった。日ハムのエスコンのすぐ近くで、建物も新しくてきれい。スタッフも一所懸命な様子と笑顔が可愛い。ゆったりとおしゃべりができて、ランチもとても美味しく満足感があった。お近くの人はぜひ利用してみてください。11月14日(木)息子たちの畑の冬支度に向けての作業。私は番線とブドウを結び付けている紐切り。夫は番線上げ。長男と次男は剪定作業。11月15日(金)IさんとTさんと3人で、久しぶりに札幌で映画とランチ。「八犬伝」を観てきたのだが、予想以上に楽しめた。南総里見八犬伝は、以前朝ドラで取り上げられていたので児童書で読んでみたが、あまりピンとこなかった。人形劇の八犬伝は私はほとんど見ていないので、今回の映画でこんなお話だったのかと再認識。物語の「虚と実」がテーマのようだったが、映画もまさに虚と実が交錯していてなかなかユニークな作品。滝沢馬琴と葛飾北斎が実際にこのような交流があったのかはわからないが、なかなか面白い構成。原作は山田風太郎ということだが、この人の作品は読んだことがないような気がする。ランチにはTさんのご主人も合流してご一緒する。11月16日(土)長男の畑の手伝い。この日はとにかく紐切作業。ぶどうの葉っぱもすつかり落ちて、周囲のカラマツ林の黄色が美しかった。
2024年11月17日
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先日BOOKOFFで買ってきた本。あさのあつこさんは、読みやすく心が温まるような感じで好きな作家の一人。この本も、ミステリータッチで時代物なのだけど、とても楽しめた。「おもみいたします」あさのあつこ出版社内容情報「我慢しなくていいんですよ」 天才的揉み師のお梅が、あなたの身体と心の闇までほぐします。申し込めば半年待ち。評判のお梅の揉み治療だが、一刻の猶予もない患者が現れた!揉んだ人々の身体は、全てこの指が覚えている。身体に触れさえすれば、いつどこで揉んだあの人だと言い当てられる。人に揉み治療を施すのが、お梅の生業。■あらすじ■頭風に苦しむお清を訪ねたお梅はギリギリのところまできていると感じ取る。揉みはじめると、お清の身体に潜む「淀み」を感じ――。彼女を悩ませるその原因とは?
2024年11月13日
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昨日は久しぶりに息子たちの畑で、冬を迎える作業の手伝い。息子たちは秋の剪定作業。私は番線に絡みついた蔓の除去と、番線とぶどうの木を結び付けていた紐の切断。夫は私が蔓をはずした列の、番線下ろしである。体力はさほど必要ではないけれど、一日中剪定ばさみを使っていたので、両方の手の親指と人差し指が赤く腫れた。でも、とても暖かく晴れて風もなかったので、上着を脱ぐほどの天気だった。もっと手伝いに行ってやりたいけれど、私達もそれなりに用事があるので、今週はあと一回くらい行けるかな…。
2024年11月12日
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久しぶりにBOOKOFFに行って、絵本を買ってきた。ひょっとしたら以前に書いているかもしれないけど、ままいいや。ざわつく心を落ち着かせたいときに、絵本を手に取ってみませんか。「きみのそばに いるよ」作・絵: いぬいさえこ【内容紹介】『きみのことが だいすき』の著者が贈る、あなたの心にそっと寄り添うメッセージ絵本小さなどうぶつたちが暮らす森では、夜になると、どこからか話し声が聞こえてきます。だれかに会いたくなって、やさしい声が聞きたくなって……月明かりの下でおしゃべりを始めるどうぶつたち。「きみが いてくれたから、今日は いい日だったよ。」「ぼくはね、うまくいっても、きみが すき。うまくいかなくても、きみが すき。」心細いとき、あなたの心にそっと寄り添ってくれる、温かい絵とメッセージがつまった絵本です。新月から三日月、満月になり欠けていくまで、約30日の月の満ち欠けの移ろいも楽しめます。小学校高学年から。「でんでんむしのかなしみ」作: 新美 南吉 絵: かみや しん【内容紹介】話題の作品 渾身の絵本化!美智子皇后がIBBY世界大会でのビデオ講演で「何度となく、思いがけない時に私の記憶によみがえってきた」作品として触れられた新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」を初め、心にしみる作品を、絵本にしました。 ■収録作品〈詩〉一年生詩集の序・でんでんむしのかなしみ・里の春、山の春・木の祭り・でんでんむし新美南吉の作品は、全部を読んでいるわけではないがどれもいい。まだ29歳で亡くなっているんですね。彼が年を重ねてからの作品も読みたかった。
2024年11月07日
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昨日はトランプショックで気分が悪かった。アメリカには、強化ガラスの天井があるらしい。【解説】トランプ氏当選確実で何が変わるのか? ~アメリカの“トップ交代”がヨーロッパと中東にもたらすもの11/7(木)そして今朝は、この地にも初雪が!とうとう冬になってしまった
2024年11月07日
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10月28日(月) 北海道文化塾で林家たい平さんの講演を聞く。落語家だから、落語の一席でも披露するかと思ったら、すこぶる真面目な話だった。しかし、咄家だけあってとても面白いし小話もちりばめられていて、あっという間の一時間半。10月31日(木) 実家の古い納屋の片付けに、息子たちが来てくれてほぼ目途がついた。長男は2tトラックを近所の農家から借りてきてくれて、次男は自家用の軽トラック。今回は息子たちが農家で本当に良かったと思った。農家の納屋というものの収蔵量は想像を超えていた。特に、中二階になっている部分には、片付けても片付けてもどんどんゴミが沸き上がってくる感じ。というのは、農家をしていた頃の藁製の筵や俵、農業用ビニールやその他諸々が圧縮されているので、ちょうど圧縮袋に入れてある衣類などが元に戻るような感じで増えてしまう!私は一番背が低いので、埃にまみれながら上から下にそれを下ろすというか落とす役目。さらにビックリしたのが、祖父の代からの書物や書類を片付けたつもりだったのだが、大きな物の影に隠れていたものが沢山あった。2㌧トラックで2回粗大ごみを運び、その後は燃やせるゴミや産廃関係、木製ゴミなどへの分別作業。本当に疲れてしまったのだが、夜には「自由な学校」の上映会に行きました。昼間の仕事で腰が痛くて、上映時間が長かった!上映後の意見交換会は、残念だけど欠席。11月1日 納屋の分別作業の続きをする。
2024年11月05日
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実家の納屋の整理をしていたら、私の若い頃の資料や本などと一緒に、雑文や日記めいたポエムを書いていたノートが紛れていた。私は若い頃のことはあま思い出したくない。心の中は常にグチャグチャで、自分に対して自信もなく、もっと言えば未来が明るいとは思えなかった。だから、そのノートも見ないで捨てようかと思ったのだが、とりあえず自宅でシュレッダーにかけようかと持ってきた。昨日、おそるおそる開いてみたら、日記めいた詩が書かれていた。こんなもの書いていたのだと思わず読んでみたら、これをそのまま捨てるのは惜しくなった。もちろん、取るに足らないものも多いのだけれど、結構さまになっていたり、大切なことを突いたものもある(ような気がする)。何よりも、自分の現在の考え方の原点のようなものもあったので、ここに残しておくことにする。「伝えることが出来たら」 みんながボクを指さして気持ち悪そうにヒソヒソ話すでもいいんだ 生まれた時からそうさ慣れている今日はこんなに良い天気青空に風が歌っているよかあさん 泣かなくていいんだよ自由にならぬこのからだでも春の陽ざしは 感じられるかあさんと一緒に このぬくもりを喜べたならボクは 生まれて良かったと思えるよああ でももう少し この口が自由に動くことができてボクがこう思っていること母さんに伝えることができたらそれができたら…「生命(いのち)」みんな思うだろうな口もきけず 這うこともできず自分で食べることも おしっこもできず床にだらしなく転がるボクを見て(何のために生きているのか…)ってでも考えてごらんボクには生きることしか残されていないのさ自分で死ぬことだってできやしない百パーセント 人の手によってしか生きるしかないボク生きる重さは知っている与えられたこの生命だ無駄と思うにはもったいなさすぎるみんながどんなふうに思ってもいいけど生きるって悪くはないってやっぱり ボク 思うんだよなこの二つの詩は、最初の仕事「心身障害児の療育指導員」の時のものだ。書かれている「ボク」は、重度の脳性まひ児の気持ちを思いながら書いたのだろう。ちゃんと題名がついていたから、ただの書き散らしではなさそうだ。この子たちのことを書きながら、障害を持ち生きることの意味を探したのかもしれない。あの子たち、今頃どうしているだろうか。私達の生きる世界から、違う世界に行ってしまった可能性は高いけれど、あの頃は本当にありがとう。
2024年11月04日
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加藤多一さんの児童書に一時期はまったけれど、しばらく手にしていなかった。亡くなられたのは昨年(2023年)だったのだな。懐かしくなって、読んでいなかった本を三冊借りてみた。「子っこヤギのむこうに」《あらすじ・内容》「わたし、だっこしてもいいの」生まれてはじめて子っこヤギをだかせてもらえる。マユはうれしさで胸がいっぱい。ふぶきのなか、農家へいそいだ。冬休みのある一日、マユは一ぴきの子っこヤギのいのちをとおして、生きもののあり方、いのちの尊さを知る。「エカシの森と子馬のポンコ」《書籍の内容》子っこ馬のポンコが行く。ここで、ポンコはほんとうに自由だ。すきなところへ、すきなように歩いていく。でもある日、川の水の声も、風の声もいつもと違う。それがおとなになるっていうこと?森の長老の木・エカシ、ここにいるのに体はどこにでもあるというカメムシたちが、ポンコにおとなになることを教えてくれる。──加藤多一が北海道の森で暮らす子馬のポンコの成長を、やさしくあたたかなまなざしで描く。「オオカミの声が聞こえる」「助けて!マウコ」 誰か呼んでいる・・・ひとりの女性が自分のなかのアイヌスピリットを呼び覚ます。北の地を離れ都会で暮らしていたアイヌの女性マウコは、あるとき自分のアイヌとしての自分を取り戻し、生きていく道を探すために北海道に戻る。図書館や博物館を巡っているうちに、100年以上も前に絶滅したエゾオオカミの剥製から見つめられ、何かのメッセージを感じて、行動に移すのだが・・・。加藤さんがそれぞれの作品で伝えたかったことはよくわかる。というより、伝えたいことが前面に出すぎている感じもする。それでも、年を重ねても自分の生き方と、現代の問題への危機感を強く持って、それを作品に紡ぎ続けた意欲と意志は凄いなと思う。児童書の形をとってはいるが、現代の大人達へのメッセージが強いのかもしれない。
2024年11月04日
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