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にほんブログ村 高見彰七作品、新発見です。今回は仏像ですので、リンク集3「その他」になります。墓地に白く塗装されたコンクリート像があります。台座から上の座像の部分だけでも高さ2メートルあります。法界定印を結んでおられるので、大日如来座像でしょうか。台座には、「昭和三十一年三月ノ建 高見彰七作」「南無阿弥陀仏」とあります。座像の横には、台座だけがあります。何を乗せる予定だったのでしょうか。リンク集3 (No.5) ・所在地: 豊田市 墓地 ・製作年月: 昭和31年3月 ・作家銘: 高見彰七作 ・特徴: 白色塗装 ・寸法: 座像(台座上)高さ 200cm,台座高さ 150cm 座像膝部幅 110cm,胸部厚さ 50cm 座部厚さ 110cmこの墓地には高見家の墓が多数あります。そのためプライバシーの観点から、所在地は略しています。高見彰七氏の謎の解明も目前となった気がします。次回は、総数8体の新発見、高見彰七作品をご紹介します。ご期待ください。【 神戸味噌だれ餃子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.01
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像 リンク集2「観世音菩薩像」更新しました。新情報のご提供、ありがとうございました。まだ新情報はありますので、準備でき次第ご紹介します。●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 ★ 更新 ★ 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 どら焼きセット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.27
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にほんブログ村 高見彰七氏の観音像の製作風景をご覧ください。型ずれや割れの形状から、ある大きさ(70~80cm)以上の像には、型枠を使って作成し、前後を接合した像があると私は推定しています。写真の観音像も前半分しかないように見えないでしょうか。製作に3ヶ月かかったものもあるとされ、少なくとも仕上げは細かな手作業があったとわかります。高見彰七氏と浅野祥雲氏の活動時期やエリアは重なります。高見彰七氏は1890年生まれ、浅野祥雲氏は1891年生まれ。高見彰七氏が1歳年上でした。大きな違いは、浅野祥雲氏が造形を職業としたのに対して、高見彰七氏はあくまで農業を本職としていた点です。活動エリアも時期も重複する浅野祥雲氏を、高見彰七氏が意識しなかったわけはないでしょう。高見彰七氏は、インタビューに答えています。「素材はコンクリートでも問題ではありません。まごころです。」【 ドゥーブルフロマージュ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.24
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にほんブログ村 今回は高見彰七氏の姿をご覧頂きましょう。高見彰七氏の姿は、全国紙の雑誌にも掲載されています。次の写真は、昭和36年、高見彰七氏が71歳の時のお姿です。とても快活そうなお姿なのは、高見氏が普段から体を動かしていたからでしょう。高見氏の本業は農業で、観音像作りはあくまで趣味でした。若い頃から信心深かった高見氏は、夢枕に観音像の御姿を見たという。それから約40年後の昭和22年、仏像そっくりの木に出会いました。その木を素材に仏像を彫ると、なかなか上出来だったそうです。ただし木材は入手が困難です。そこで25年頃から、コンクリート(モルタル)を素材に代え、次々と観音像などを作りだしました。願ったのは「夢の観音像の再現」でした。つまり、少なくとも250体以上の作品を、たった11年で作ったわけです。本業とは別の取り組みにも関わらず。高見彰七氏は、インタビューにこう答えています。「死ぬまで元気に作り続けます。」写真の高見彰七氏は、自作の馬にまたがっています。その姿からは、作品に対する強い愛着が感じられます。しかし、この写真の馬にも、私はまだ出会えていません。【 冷やし大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.22
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にほんブログ村 多数の高見彰七が発見されました。現在、公開登録総数は98体(内、妙楽寺56体)になりました。なぜ、私が高見彰七を追うのか。それを理解頂くためにも、皆さんにも「高見彰七の真実」の一部をお伝えしたいと思います。妙楽寺の高見彰七作品群は、かつては他の寺院にありました。そしてその寺院が引き取る前は、道路沿いに並んでいました。その道路沿いの作品群が、どれほどのものであったのか。次の1961年(昭和36年)の豊田市宮口の写真をご覧ください。道路沿いに並ぶのは、高見彰七の作品群です。幅50メートル、5段の土手に並ぶ作品群は、総数250体。あまりの数に驚かれたのではないでしょうか。土手の最上段にあるのは、高見彰七の住宅です。当時、この場所は名所になり、観光バスも来ていたそうです。その後、何があり250もの作品が撤去されたのか。その一部でも保存するため、高見彰七はどれほど東奔西走したのか。神社、寺院のみでなく、公園、池の縁、路傍、交差点、駐車場。あらゆる場所でみつかる高見彰七作品。吉浜人形本店では、高見彰七から観音像の設置を懇願されたという記録。新発見があるたびに、高見彰七を襲った悲劇と苦労が偲ばれます。名所になり、有名人でもあった高見彰七が、なぜこれほど地元の人の記憶からさえ消えてしまったのでしょうか。人は何も残すことはできないのでしょうか。その答えが知りたくて、私は高見彰七を追っています。そのわずかな痕跡を追い、出会えた高見彰七作品は、まだ100体にもなりません。【 焦がしキャラメル・バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.20
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にほんブログ村 新発見の高見観音をご紹介します。実は本件は発見者「おいもさん」から、かなり前にご連絡を頂きました。【FDG公式さん】 「おいもさんのX(旧Twitter)」ところが私がこの場所を個人私有地と勘違い。紹介を断念していましたが、実は日泰寺の一部でした。(No.27) ・所在地: 名古屋市 日泰寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 未確認 ・特徴: 半流れ形,白色塗装 ・発見者: おいもさん( @oimokotaro )塗装された等身大の高見観音です。何度も来た日泰寺ですが、周囲には広大な霊園なども広がります。そのため、未踏の地も少なくありません。日泰寺の外周には「四国八十八ヶ所めぐり」の石仏群もあります。この高見観音は、そのエリア、日泰寺の東側にあります。このエリアはフェンスで囲まれ、入り口は閉じられています。つまり立ち入り禁止です。そのため、高見観音の撮影はフェンス越しになります。私が紹介をためらったのもそのためです。台座は新調されていて、塗装もまだ綺麗です。信仰者がおられる安心感はありますが、立ち入り禁止扱いには維持管理の不安も感じます。おいもさん、確認、公開などが遅れてすみませんでした。また貴重な情報、ありがとうございました。【 塩レモンピール生チョコ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.17
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にほんブログ村 京町公園、推定・高見観音の続きです。観音像のモルタルの材質までのコメントも頂き、みなさんの高見彰七作品への精通ぶりには驚くばかりです。私は独特のお顔を見て、「あれだ」と思いました。あれとは何か?それは法隆寺夢殿の秘仏、救世観音(くぜかんのん)像です。かつて救世観音は絶対秘仏でしたが、今は期間限定で公開されています。私も秘仏公開で救世観音を拝見しました。それでは救世観音とお顔を比較しましょう。右が救世観音です。(救世観音画像出典: 辻本米三郎氏影撮,https://takashikun.blogspot.com/2012/06/blog-post_1435.html)日本人離れした分厚い唇と微笑みが特徴の救世観音。いかがです? 似ていませんか?そういえば、厚みの薄い高見観音のフォルムや衣装は、飛鳥仏に似ている様にも思います。救世観音は本来、仏教にはおられません。ですので、仏教的な比較ではありません。ただ似ているというだけです。一方で、救世観音は聖徳太子の顔を模したとも言われます。故に、聖徳太子は渡来人という説もあります。仮に高見彰七が聖徳太子をイメージして救世観音を作ったとしたら、どんな想いがあったのか、思いを馳せては如何でしょうか?【 水あんみつ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.15
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にほんブログ村 高見観音の新発見の御報せを頂き、現地確認致しました。今回も発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」ただし今回の新発見も難題です。私は高見彰七作品と思いますが、あまりに造形が独特なので確率80%として登録させて頂きました。(与次作品の発見により、弱気の認定となっています)(No.26) ・所在地: 愛知県豊田市京町 京町区民会館(京町公園北) ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率80%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から200cm 胸部幅55cm,胸部厚さ30cm先回、霊岩寺の謎のコンクリート像をご紹介しましたが、あの巨大な地蔵像には、この京町の観音像の現地調査に行き、近隣の調査で出会いました。観音像の寸法を計測していますが、ちょうど区民会館の始業時間で、さらに観音像側の窓が開けられ、窓際で計測している私の不審な行動が会館の皆さんには気になったことでしょう。ご迷惑をおかけしました。では、今回の観音像をご覧頂ください。独特のお顔で、従来の高見観音とは異なります。FDG公式さんによると、この観音像は移設とのことでした。もともとは付近の道の分岐点にあり、区画整備で移設されたとのこと。いかがでしょうか。眼には象嵌が埋め込まれています。推定・高見観音では、初の象嵌を使った眼となります。これは型を使うだけではできないでしょう。背面に粒径が大きな石が入っています。背面に粗いモルタルを使う、高見彰七作品の特徴があります。FDG公式さんからの写真を拝見した時、「この観音像はあれだ」と私は思いました。何を思ったのか、次回、お話ししますので、皆さんも御推察ください。【 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.13
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にほんブログ村 驚きの新事実が発覚しました。岡崎市 享禄山 見徳寺の観音像を覚えておられるでしょうか。リスト第2集No.23に、確率50%の高見彰七作品として登録した観音像です。「No.23 見徳寺」別の観音像の関係から、「FDG公式さん」の過去の公開情報を閲覧させて頂いていました。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」その中に、見徳寺の観音像によく似た観音像があるのに気づきました。「豊田市 八王山 春光院」FDG公式さんも、初めは高見彰七作品と思われたようです。しかし次の渡刈町の観音像に遭遇され、作家は「与次」であり、高見彰七作品ではないと考えられたそうです。「豊田市渡刈町 路傍」 (背面に「与次作」とある)春光院、渡刈町の観音像の画像はFDG公式さんからお借りしました。見徳寺、春光院、渡刈町の観音像は、全て「与次」作と思われます。胸に抱いた蓮の花、前に垂れた2本の紐なども共通しています。●「与次」とは誰か?与次のコンクリート像の造形が、高見彰七作品と良く似ています。これだけ類似しているのですから、高見彰七と無関係とは思えません。「与次」は「よつぎ」、つまり「世継ぎ」とも読めます。そのことから、高見彰七の弟子、または御親族かもしれません。自身を銘板に「高見彰七老人」と刻むほど洒落っ気がある高見氏ですから、後継者を「与次」としても不思議ではないでしょう。●「与次」は「雲岳」の様な存在か?あるいは浅野祥雲作品の例が思い出されます。浅野祥雲作品と酷似したコンクリート像には「雲岳」銘の像があります。雲岳は浅野祥雲と同一人物とも、別の人物とも言われ、まだ確定はしていません。与次と高見彰七が同一人物である可能性も否定できません。●なぜ見徳寺の銘板は剥がされたのか?見徳寺の観音像の銘板は剥がされています。「与次」と作家銘があったのであれば、剥がす理由は何でしょうか?これもまた不思議です。「与次」銘の登場で、高見彰七の謎がさらに深まりました。そしてさらに探究が面白くなってきました。見徳寺の観音像の判断は悩みましたが、「高見観音である確率50%」でまさに正解でした。「与次」銘の作品は、実際「高見彰七作品確率50%」の存在です。見徳寺や、FDG公式さんの画像データとの出会いや入手順序、その出会いに運命的なものを感じています。春光院をNo.24、渡刈町をNo.25に「作家銘:与次」として登録します。【 栗きんとん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.11
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にほんブログ村 享禄山 見徳寺のコンクリート像(モルタル像)、第3回です。●高見彰七作品とする理由 2 (紐)見徳寺の観音像の脚部をご覧ください。着物前に2本の紐が垂れています。そして向かって左の紐がやや短くなっています。では、浄嚴寺の高見観音を見ましょう。同じく、左が短い2本の紐が垂れています。これも多くの直立形の高見観音に共通した特徴です。●高見彰七作品とする理由 3 (足元)上記の浄嚴寺の高見観音をもう一度ご覧ください。多くの石像と同じく、高見観音でも脚が省略されています。そして向かって左の足元に、謎の「く」の字の表現があります。直立形,流れ形を問わず高見観音に現れる「く」。初め、これが何かわかりませんでした。ここで、古瀬間御嶽神社の高見観音をご覧ください。これを見る限り、「く」は着物の裾の表現です。たしかに石仏などでも、似た裾の表現はあります。そして「く」は、今回の見徳寺の観音像にもあります。前回の「ハス」、「指」、「腕」、今回の「2本の紐」と「く」。それらも含めて、私は見徳寺の観音像も確率50%で高見彰七作品としてリスト登録しました。【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その1」【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その2」ここで突然ですが、次回は謎のコンクリート像の情報提供を呼びかけます。高さ3メートル強の巨大コンクリート像と遭遇しました。高見彰七作品の特徴もありますが、浅野祥雲作品の特徴もあります。次回、その新発見(?)を公開します。【 ひんやり涼菓セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.05
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にほんブログ村 享禄山 見徳寺のコンクリート像(モルタル像)、続きです。●まず初めに、この観音像は移設と推定されます。 観音像の背面をご覧ください。脚の部分に四角い凹みがあります。これはおそらく銘板を意図的に剥がした痕でしょう。寄進者や建立者の書かれた銘板を剥がすというは、観音像が当初はこの寺に寄進されたものではないからでしょう。銘板といえば、吉浜善光寺本坊 柳池院の観音像を思い出します。高見観音と推定しているリストNo.6の観音像です。●高見彰七作品とする理由 1 (蓮の花)今回の観音像の胸元を見てみます。胸元に抱えたハスの花が目立ちます。観音像といえば持物はハスの花ではありますが、このハスの持ち方は高見観音特有です。多くの観音像は下記の様に、花瓶に入ったハスを持ちます。さらに手の指は簡略化され、平面的な表現です。また多くの場合、左手が前です。腕も身体と一体化し、立体的な腕ではありません。立体的な腕は破損しやすいためでしょう。このハス、指、腕の表現は、直立形の高見観音の多くに共通して見られます。一例として、浄嚴寺の高見観音の画像を挙げます。ご覧ください。似た造形があるのがわかるでしょうか。次回、決定的とも言える、もうひとつの判別理由をお示しします。【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その1」【 もちぷりん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.03
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にほんブログ村 すっかり高見観音の鑑定士級になった皆さんに、問題作をご紹介しましょう。その問題の観音像があるのは岡崎市 享禄山 見徳寺です。1体の観音像があります。かなり特異なお姿の観音像です。私が発見後も悩んでいましたが、確率50%の高見彰七作品として登録します。(No.23) ・所在地: 愛知県岡崎市仁木町 享禄山 見徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率50%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から113cm,台座含めて126cm 胸部幅32cm,胸部厚さ20cm,裾幅48cm岡崎市にはもう1件、同名の「見徳寺」があります。ご注意ください。今回の見徳寺はこちらです。 〇享禄山 見徳寺: 愛知県岡崎市仁木町字東郷48・49まずはじっくりとご覧頂き、皆さんもお考え下さい。三角形のお鼻が印象的です。大きく開いた裾も独特です。問題作ですので、次回、細部を検証します。私がこの観音像を高見観音とする根拠を説明します。【 箸置き 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.01
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にほんブログ村 高見観音新発見のおしらせと現地確認です。今回も、ご連絡は「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」FDGさん、いつもありがとうございます。先日はイベントでお会いでき、嬉しく思います。さて、今回の推定・高見彰七作の観音像は路傍にあります。地元の生活道路の様な道ですので、とても自力では発見できません。(No.22) ・所在地: 愛知県豊田市御立町 路傍の祠 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形,高さ100cm,胸部幅22cm ・発見者: @FDG_official01 さん観音像の背後にある額内は「般若心経」です。今回は場所がわかり難いのでストリートビューを貼ります。ところで今回の観音像に似た高見観音があります。豊田市 浄法寺の観音像(No.13)です。比較してみましょう。「御立町 路傍」「浄法寺」直立形と流れ形の違いがあります。「御立町 路傍」「浄法寺」高見彰七氏は似た観音像を、直立形と流れ形のセットで製作したこともあるのかもしれません。次回は、再び私からの高見観音新発見のご報告です。ただし問題のある作品ですので、心してご覧ください。【 仕事猫 小学校 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.30
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にほんブログ村 以前から気になっていた豊田市の高徳寺。ペット供養にも力を入れている、活気のあるお寺です。写真の両側にある多数の写真は、供養されたペットの写真です。山門の前に観音像と石仏があります。近寄ると、間違いなく高見彰七作品、高見観音と判ります。多少の傷みがありますが、状態は良好です。塗装の残りらしき痕もあります。山間部の高徳寺まで来た甲斐がありました。高見観音、新発見です。(No.21) ・所在地: 愛知県豊田市九久平町 高徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 半流れ形,高さ97cm,胸部幅26cm,胸部厚さ19cm 台座Φ46cm×厚さ19cm私が半流れ形と呼んでいる直立形に近い体形。大きさも含めて、これぐらいが最も良いバランスに思えます。お顔も自然で、手を隠した表現も良いと思います。完成度が高い私のお気に入りのタイプの観音像です。次回は新発見(現地確認済み)のご連絡を頂いていますので、ご紹介します。【 仕事猫 幼稚園 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.28
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にほんブログ村 名鉄三河線で、終点の猿投(さなげ)駅に向かいます。先日、2体の高見観音をご紹介した名鉄土橋駅もこの名鉄三河線の沿線です。猿投駅から路線バス「おいでんバス さなげ・足助線」に乗ります。方向は百年草行、浄嚴寺前(じょうごんじまえ)で降ります。浄嚴寺はバス停の目の前、広い駐車場もあります。お寺入り口の説明板には、檀家も多い寺院とあります。浄嚴寺に来たのは、高見観音新発見の現地確認です。ご連絡は「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」高見彰七作の観音像は、本堂前にあります。白色に塗装された大きな観音像です。高さは、台座上の足元から顎下まで260cmが実測できました。その比率から、全高は約320cmと推定します。塗装され、維持管理も良いためか、側面を見てもひび割れなどはありません。戦没病没者供養のためとの銘板が台座背面にあり、建立年の記述、作家銘ともにあります。有志200名の寄付で建立されたともあります。作家銘に「老人」と付いているのがユニークです。昭和45年には、高見彰七氏は高齢だったということでしょうか。(No.20) ・所在地: 愛知県豊田市御船町 浄嚴寺 ・製作年月: 昭和45年6月吉日 ・作家銘: 宮口 高見彰七老人 ・特徴: 直立形,白色塗装,高さ約320cm,足元幅86cm ・発見者: @FDG_official01 さん大型、在銘で、年表上2番目に新しい。素晴らしい新発見だと思います。FDG公式さん、新発見のご連絡ありがとうございました。次回は、私からの高見観音新発見のご報告です。【 歴代郵便ポスト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.26
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にほんブログ村 先回の大林町の観音像までは。名鉄土橋駅から、駅前付近を除いてほぼ一直線の片道3km。大林町に行く前に、まずは途中の成就律寺に立ち寄りました。お寺に入って、すぐ目に留まったのがこの光景。遠目で高見観音とすぐわかります。ただ大林町の観音像(No.18)の現地確認のつもりでしたので、「これが大林町の観音像?」と頭が混乱しました。しばらくよく考えて、これが予想外の高見観音の新発見と気づきました。(No.19) ・所在地: 愛知県豊田市大林町 成就律寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ166cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cmNo.18と同様に、向かって左の眉が上がっています。側面のヒビ割れはほとんどありませんが、モルタルが後ろから前へ被さった様になってます。観音像の衣装の表現でしょうか。No.18の大林町道沿いの観音像とほぼ同一体型です。No.18とNo.19はとても似通っていますが、細部に違いがあります。ただ「同一型」から作られた可能性が否定しきれないように思います。また成就律寺については気になる点や興味深い石仏もあります。今は新発見が続いていますのでその御報告を優先しますが、落ち着いたら、成就律寺についてもご紹介したいと思います。【 ミケ猫は見た 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.24
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にほんブログ村 大林町の観音像は疑いなく高見観音として登録しました。小嶋独観さんを通じて、新たな方からも新発見があり、嬉しく思います。【前の記事】 「豊田市 大林町1」さて、等身大の立派な高見観音ですが、状態はよくありません。まず、類例が多い「ヒビ割れ」があります。さらに腕付近は「剥離」しています。足元はさらに酷く剥離しています。この様に剥離するということは、モルタルを重ね塗りしているのでしょうか。交通量が多い道路脇。環境も良くありません。補修をしなければならない状況です。妙楽寺に破棄された三好森下交差点の観音像の様に、不幸な状況にならないことを願います。【 仔猫珈琲 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.22
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にほんブログ村 高見彰七の観音菩薩像新発見のお報せがあり、現地確認しました。今回は「ふじわら」さんから、「小嶋独観」さんを通じてご連絡を頂きました。ふじわらさんは小嶋独観さんのH.P.の読者さんです。【小嶋独観@珍寺大道場さん】 「珍寺大道場」場所は愛知県豊田市大林町12-1-2です。センターラインはありませんが交通量が多い道路沿いにあります。この地域に詳しい方しか発見できない場所。ご連絡に感謝します。大きさは等身大。直立形の観音像です。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。(No.18) ・所在地: 愛知県豊田市大林町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ164cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: ふじわらさん,小嶋独観さんふじわらさん,小嶋独観さん、ありがとうございました。また、今回は別の新発見の報告も兼ねての現地調査でした。そのため電車・バス・徒歩で移動しました。大林町へは名鉄土橋駅から、片道3km歩きました。その公共機関での移動が幸いして、私も思わぬ新発見をすることになります。次々回以降で、私の新発見とご連絡頂いた別の新発見を御紹介したいと思います。その前に、次回は今回の新発見の高見観音をもう少し詳しくご紹介します。【 執事 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.20
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像(モルタル像)「観世音菩薩像」編。第2集「観音菩薩」編、更新しました。(2024年6月26日)●(No.1)【高浜市 吉浜人形本店前】 「吉浜人形本店前 観世音菩薩」 ・所在地: 愛知県高浜市吉浜 吉浜人形前 ・製作年月: 昭和38年「花のとう」に合わせて開眼 ・作家銘: 「高見彰七」在銘 ・特徴: 「尼宮慈母観世音菩薩」 他2体 (半流れ形1,直立形1,流れ形1)●(No.2)【刈谷市 寿永山 昌福寺】 「昌福寺 観世音菩薩」 ・所在地: 愛知県 刈谷市野田町 寿永山 昌福寺 ・製作年月: 昭和46年8月8日 ・作家銘: 「豊田市 高見彰七」在銘 ・特徴: 「交通守護聖観世音菩薩」, 高さ3m前後 (直立形)●(No.3)【豊田市 古瀬間御嶽神社】 「古瀬間御嶽神社 交通安全観音」 ・所在地: 愛知県 豊田市古瀬間町 古瀬間御嶽神社 ・製作年月: 昭和40年7月16日建立 ・作家銘: 「宮口 高見彰七」在銘 ・特徴: 「交通安全観音」 (流れ形)●(No.4)【みよし市 森下交差点】 「みよし市 森下交差点 観音像」 ・所在地: 愛知県 みよし市三好町 森下交差点 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 白色塗装 (直立形),2022年11月頃妙楽寺に移設 ・発見者: @oimokotaroさん●(No.5)【岡崎市 真福寺仁王門前】 「真福寺仁王門前 家内安全観音」 ・所在地: 愛知県 岡崎市真福寺町 真福寺仁王門前 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 白色塗装剥離 (直立形)●(No.6)【高浜市 吉浜善光寺本坊柳池院】 「吉浜善光寺本坊柳池院 観音像」 ・所在地: 愛知県高浜市吉浜 吉浜善光寺本坊柳池院 ・製作年月: 昭和36年入佛 ・作家銘: 銘板はあるが無銘 ・特徴: 象嵌,銘板埋め込み。初期作? (直立形)●(No.7)【豊田市 中町】 「豊田市中町 子安観音像」 ・所在地: 愛知県豊田市中町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 前後型接合部に割目あり (直立形) ・発見者: @oimokotaroさん●(No.8)【愛知郡東郷町 愛知池展望台】 「愛知池 観音像」 ・所在地: 愛知県愛知郡東郷町 愛知池 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 鹿島建設施工 ・特徴: 大型・塗装剥離 (半流れ形) ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.9)【豊田市 高林寺 裏】 「豊田市 高林寺1」 「豊田市 高林寺2」 ・所在地: 愛知県豊田市 高林寺 裏 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 2体 (流れ形2) 大型観音像: 高さ160cm,最大幅40cm,最大厚さ40cm 小型観音像: 高さ 76cm,最大幅20cm,最大厚さ20cm ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.10)【長野県飯田市 来迎寺】 「長野県飯田市 来迎寺」 ・所在地: 長野県飯田市 来迎寺 ・製作年月: 昭和35年4月 ・作家銘: 高見彰七 ・特徴: 奉納者 今泉氏 (流れ形) ・確認者: MR2 さん●(No.11)【刈谷市 野田八幡宮近傍】 「野田八幡宮近傍」 ・所在地: 愛知県刈谷市 野田八幡宮近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん<●(No.12)【豊田市 浄法寺近傍】 「豊田市 浄法寺近傍1」 「豊田市 浄法寺近傍3」 ・所在地: 愛知県豊田市 浄法寺近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形, 前後型に不整合あり ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.13)【豊田市 浄法寺弘法堂】 「豊田市 浄法寺弘法堂」 ・所在地: 愛知県豊田市 浄法寺弘法堂 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形 ・発見者: @FDG_official01 さん ・ kopanda06●(No.14)【豊田市 割目池】 「豊田市 割目池1」 「豊田市 割目池2」 「豊田市 割目池3」 ・所在地: 愛知県豊田市 割目池 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形 観音菩薩1,地蔵菩薩1 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.15)【豊田市 心学院】 「豊田市 心学院1」 「豊田市 心学院 2」 ・所在地: 愛知県豊田市 心学院 ・製作年月: 不明, 他所より移設? ・作家銘: 無銘 ・特徴: 台座に石臼流用, 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.16)【豊田市 野見御嶽神社】 「豊田市 野見御嶽神社1」 「豊田市 野見御嶽神社2」 ・所在地: 愛知県豊田市 野見御嶽神社 ・製作年月: 不明, 昭和62年3月松光院より移設 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 「しあわせ観音」, 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.17)【豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡)】 「豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡)」 ・所在地: 愛知県豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡) ・製作年月: 昭和40年10月18日 ・作家銘: 高見彰七 作 ・特徴: 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.18)【豊田市 大林町】 「豊田市 大林町1」 「豊田市 大林町2」 ・所在地: 愛知県豊田市大林町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ164cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: ふじわらさん,小嶋独観さん●(No.19)【豊田市 成就律寺】 「豊田市 成就律寺」 ・所在地: 愛知県豊田市大林町 成就律寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ166cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: kopanda06●(No.20)【豊田市 浄嚴寺】 「豊田市 浄嚴寺」 ・所在地: 愛知県豊田市御船町 浄嚴寺 ・製作年月: 昭和45年6月吉日 ・作家銘: 宮口 高見彰七老人 ・特徴: 直立形,白色塗装,高さ約320cm,足元幅86cm ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.21)【豊田市 高徳寺】 「豊田市 高徳寺」 ・所在地: 愛知県豊田市九久平町 高徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 半流れ形,高さ97cm,胸部幅26cm,胸部厚さ19cm 台座Φ46cm×厚さ19cm ・発見者: kopanda06(No.22)【豊田市 路傍】 「豊田市 路傍の祠」 ・所在地: 愛知県豊田市御立町 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形,高さ100cm,胸部幅22cm ・発見者: @FDG_official01 さん(No.23)【岡崎市 享禄山 見徳寺】 「享禄山 見徳寺1」 「享禄山 見徳寺2」 「享禄山 見徳寺3」 ・所在地: 愛知県岡崎市仁木町 享禄山 見徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率50%) 与次作と推定 ・特徴: 直立形,高さ台座上から113cm,台座含めて126cm 胸部幅32cm,胸部厚さ20cm,裾幅48cm ・発見者: kopanda06(No.24)【豊田市 八王山 春光院】 「与次とは?」 ・所在地: 愛知県豊田市 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 与次作と推定 ・発見者: @FDG_official01 さん(No.25)【豊田市 渡刈町 路傍】 ・所在地: 愛知県豊田市渡刈町 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 在銘 「与次作」 ・発見者: @FDG_official01 さん(No.26)【豊田市 京町区民会館 】 「京町区民会館1」 「京町区民会館2」 ・所在地: 愛知県豊田市京町 京町区民会館(京町公園北) ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率80%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から200cm 胸部幅55cm,胸部厚さ30cm ・発見者: @FDG_official01 さん(No.27)【名古屋市 日泰寺】 「名古屋市 日泰寺」 ・所在地: 名古屋市 日泰寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 未確認 ・特徴: 半流れ形,白色塗装 ・発見者: おいもさん( @oimokotaro )◆◆◆ 以降、順次公開予定 ◆◆◆・・・・・・・・・・ リンク集 ・・・・・・・・・・●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【リンク集4「妙楽寺の石仏群」編】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 すべり台にゃんこ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.18
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にほんブログ村 高見観音のヒビ割れの原因について推察します。ヒビ割れの原因は下記が大きいと思われます。1.塗装の剥離 塗装の剥離により、防水性が失われます。 その結果、モルタルが直接、風雨に晒され劣化します。2.ノロによる補修 接合部はノロ(セメント+水)で補修したと考えられます。 ノロの耐水性は低いので、補修箇所は劣化しやすくなります。 この結果、ノロを使った箇所から割れが発生します。 妙楽寺の大型観音にも、補修痕とヒビ割れが見られます。3.浸透水の影響 接合部から浸透した水は、冬季に凍結して膨張します。 そしてヒビ割れが起きます。高見彰七氏は観音像の定期的な塗り替えを望んでいたでしょう。しかし塗装が剥がれたモルタル像は、石像に似ています。そのため、塗装が剥がれたモルタル像に違和感が感じられません。この石像に似たモルタル像の姿が再塗装の必要性を忘れさせ、劣化していくモルタル像の悲劇を生んでいるように思います。【前の記事 1】 「高見観音の製作方法 1」【前の記事 2】 「高見観音の製作方法 2」【 すべてがおしまいになったカエル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.16
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にほんブログ村 高見観音の製作手順について推察します。専門家の指導を受けていますが、私からの情報を基にした推定です。今後、まだ見直しがあるかもしれません。また型枠を使ったモルタル像の作成は難しいこともわかりました。1.型枠原型像 型枠の型取りをするためには、観音像の原型像が必要です。 原型像は粘土などの造形が容易な素材で作ったと推定されます。2.分割型枠の使用 小像を除く、高さ80cm以上の観音像では2分割型枠を使っています。 その型枠は組み立ててモルタルを流し込むのではなく、 観音像前半身、後半身別の型枠にモルタルを入れて固めたようです。 モルタル像の取り出しを考慮し、型枠には離型剤を塗ります。3.補強材の使用 モルタル像の補強は金網が使われます。 しかし高見彰七氏は、大型化を意識して鉄筋を使ったようです。4.メートル法の採用 高見彰七氏はメートル法で観音像を製作しています。 これは尺貫法を使う仏像の慣例からは異例です。5.前後の接合 前後別々に製作したモルタル像は、接合しなくてはなりません。 前半身像と後半身像は、 接合面に専用接着剤かセメントを塗り、接着します。6.前後接合面の処理 この工法では前後の接合部が明瞭に残ります。 その接合面を埋めるためには、「ノロ」を使います。 ノロとはセメントを水で希釈したパテ状のものです。 ノロを接合面に塗ることで、接合面は綺麗に継ぎ目なく仕上がります。7.塗装 モルタル像で塗装は必須です。 防水し耐久性を保つためと、ノロなどでの補修箇所を隠すためです。 残念ながら、高見観音の多くは塗装が剥離しています。 「妙楽寺の大型観音」 この観音像も前後接合面でヒビ割れ次回はなぜ、この結果接合面がひび割れたかを説明します。【前の記事】 「高見観音の製作方法 1」【 合掌 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.14
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にほんブログ村 高見観音の製法について考察します。● 型枠の使用について 浄法寺の高見観音の足元側面からの写真です。 像の前後で着物の裾の造形に段差ができています。 (浄法寺) 型作成のミスと思われますが、 同時に型を使った証拠でもあるでしょう。● ヒビ割れについて 高さ1mを超える高見観音の多くに、 型の接合部に相当する箇所にヒビ割れが見られます。 特に多くの大型作品が並ぶ妙楽寺では、 大半の像に同様のヒビ割れが観察されます。 (妙楽寺)● ヒビ割れの理由 「型の接合部だから割れる」という表現は正しくはありません。 それには製作法が関わっています。 (妙楽寺)●前後の材質の違い モルタル(セメント+砂)での作像には、流動性の良いモルタルを 型に流しこまなければ、型通りのモルタル像はできません。 また細かい砂を含めたモルタルでなければ、大粒の砂や小石が 顔に出ると失敗作になります。 後部背面も同じモルタルで良さそうですが、高見彰七氏は特に 背面にはコンクリートに近い粗いモルタルを使ったようです。 強度を高めるねらいかもしれませんが、 劣化の結果、背面が粗材に見えているのかもしれません。 ただし、今日の工芸などに使われているモルタルに比べて、 高見彰七氏が使ったモルタルは粗く、コンクリートに近いものです。 (心学院) 次回、専門家の意見を参考に、 製作手順から、ひび割れの理由等について説明します。【 虚無・猫 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.12
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にほんブログ村 愛知県豊田市 高林寺の高見彰七作品、現地確認の続きです。「型枠の使用」高見観音の多くは、最低前後2個の型枠を使って作られています。そのため、浄法寺の高見観音には、前後の型造形にズレまでありました。(浄法寺 高見観音像の前後型ズレ)「接合部のひび割れ」また高見観音像に多く見られる接合部のひび割れが、高林寺の観音像でも見られます。大型観音像の衣装の裾には、補強用金具の露出まであります。ひび割れは、特に高林寺では小型観音像でひどい状態です。小型観音像の頭部を上から見ると、穴が開いているようにも見えます。なぜひび割れが出るのかなど、独学では知識不足がありました。そこで建築関係の専門家に質問し、かなり理由が明確になりました。それに関しては高見観音像の製作について触れなくてはなりません。次回、専門家のご指導も得て、その製作方法について述べます。皆さんからもご指摘があった、多くの理由が明らかになると思います。【 おちょこけし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.10
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にほんブログ村 現地確認ができていなかった愛知県豊田市 高林寺の高見彰七作品。ようやく、この高見観音の現地確認ができました。こちらは以前、「FDG公式さん」が発見された観音像です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」現地確認の目的はいくつかありましたが、まずは下記から。●観音像の寸法測定 悪評高い私の高見観音像の寸法測定。 この曖昧な計測を反省し、今回は巻き尺で寸法測定しました。 ・大型観音像: 高さ160cm × 最大幅40cm × 最大厚さ40cm ・小型観音像: 高さ 76cm × 最大幅20cm × 最大厚さ20cm小型観音像は足元が土に埋もれていますので、全高は80cm程度と思われます。この計測から、下記がわかりました。 ・高見彰七氏は観音像を尺貫法ではなく、メートル法で作成 ・大型観音像は、小型観音像の2倍の大きさの相似形 ・観音像は整数の寸法比で製作。 高さ:幅:厚さ=4:1:1特に仏像は尺貫法での製作例が多く、メートル法の採用は意外でした。計測すると気づきもあります。この現地調査の結果も踏まえて、高見観音の製作方法を考察します。【 鬼滅の刃 日輪刀 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.07
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像について考察する前に、コンクリートに関する私の知識不足が問題です。少しコンクリートの基本を整理しましょう。まずは基本用語から。セメント,モルタル,コンクリートの違いは何でしょうか。〇セメント: 硬化前の粉体。主成分は石灰石〇セメントペースト: セメント+水〇モルタル: セメント+水+砂〇コンクリート: セメント+水+砂+砂利建築では、砂利とは約20mm以上の大きさの石を指すようです。高見彰七作品には大きな砂利は使われていない様に思います。高見彰七作品はコンクリート像かモルタル像と呼ぶのが正しいでしょうか。また、コンクリートは次の2つに分類されます。〇生コン: 工場で混ぜ合わされ運搬される硬化前のコンクリート〇現場練りコンクリート: 現場で混ぜ合わされるコンクリート私は硬化前のコンクリートは全て生コンと思っていました。工場で砂や砂利と混ぜたものだけが生コンでした。これらの用語を確認しつつ、次は高見彰七作品の製法を考察します。【 ソフビコレクション 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.25
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にほんブログ村 驚きの高見彰七作品(高見観音)が発見されました。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の恩真寺(鈴木正三遺跡)です。住所は愛知県豊田市山中町曝田100。豊田市東部の山間部にあるため、私は自身の体調を考慮して現地確認を自粛しました。写真はFDG公式さんから、許可を得てお借りしました。お顔がやや他の高見観音とは異なる印象を受けます。しかしこの観音像は高見彰七の在銘です。銘は観音像の背面に直接刻まれています。昭和40年10月18日寄附者 〇〇〇〇高見彰七作吉浜善光寺本坊柳池院(リンク集2 No.6)も観音像に直接銘板が取り付けられています。ただし銘板に作家銘はありません。今回の高見観音は、像自体に作家銘が刻まれた初の発見例となります。FDG公式さん、ありがとうございます。高見彰七作品リンク集2に、No.17として登録させて頂く予定です。(リンク集) 「リンク集」年表にも追記しました。FDG公式さん、いつもありがとうございます。私もかなり知名度が低い神社仏閣にまで訪問していますが、その比ではない日頃の探索ぶりです。さすが地域で埋もれつつある文化財や歴史を探索する、FDG(フィールドディスカバリーゲーム)の活動だと思います。お陰様で様々な情報整理も進みました。近くご紹介致します。【 ジェラート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.15
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像 リンク集2「観世音菩薩像」更新しました。観音像はNo.15まで追記しましたが、後半は写真がまだ掲載できていません。新情報のご提供、ありがとうございました。これからも情報をよろしくお願いします。●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 桜アイス 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.31
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にほんブログ村 豊田市 野見御嶽神社の高見観音(無銘)の続きです。【前の記事】「野見御嶽神社の観音菩薩像(高見彰七 作品候補)1」【前の記事2】「野見御嶽神社の観音菩薩像(高見彰七 作品候補)2」この高見観音には、ひとつの謎があります。それは、この観音像の横に建てられた銘板です。名板には「しあわせ観音」とあります。さらに「昭和62年正月」とあります。2024年3月現在、昭和46年以降は在銘の高見彰七作品は見つかっていません。最新の高見彰七作品でしょうか?その答えは、やはり銘板にあります。銘板には「寄贈 松光院 石川宗法」とあります。つまり昭和62年に松光院から野見御嶽神社に移設されたわけです。当然、このしあわせ観音の製作年はそれ以前になります。近くの心学院も、庭松山 心学院でした。この付近には寺名に「松」が付く寺院は多くあります。松平家と所縁がある地域だからでしょう。しかし調べても、付近に松光院は見つかりません。おそらく松光院は廃寺になり、その際にこの高見観音は移設されたのだと推定されます。廃却されることがなく、本当に良かったと思います。【 訳ありバウムクーヘン 切り落とし1kg 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.27
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にほんブログ村 それでは、豊田市 野見御嶽神社の観音菩薩像の検討をします。【前の記事】 「野見御嶽神社の観音菩薩像(高見彰七 作品候補) その1」●全身の比較 身体を大きくねじる姿「流れ形」の観音像。 高見観音の特徴ですが、等身大・在銘の観音像は限られます。 その例として、豊田市 古瀬間御嶽神社の高見観音があります。 左:野見御嶽神社, 右:古瀬間御嶽神社 いかがでしょうか。 開いた胸元、肩口からの着物のライン、合掌の表現、 着物の裾までのライン、足元の表現などそっくりです。●お顔の表現 古瀬間御嶽神社の高見観音は高い台座の上にあります。 そのためお顔を見上げる形となり、比較が困難です。 そこでお顔は、半流れ形ですが在銘の 高浜市 吉浜人形前の高見観音と比較します。 左:野見御嶽神社, 右:吉浜人形前 野見御嶽神社は少し面長です。 それ以外、眉、鼻、目、口の表現は似ています。 着物の胸元の表現の違いは、流れ形と半流れ形の違いです。以上から、野見御嶽神社の観音像も高見彰七作品だと私は思います。高見観音初の多色塗装例となります。(ただし白一色の塗装例はあります)FDG公式さん、ご報告ありがとうございました。そしてブログへコメント下さった皆さん、ありがとうございました。大半の皆さんが「これも高見観音」とコメントされていました。もはや私の画像での検討は蛇足でした。さて、この野見御嶽神社の高見観音には、まだ面白い点があります。それについては次回、ご報告します。【 銀座 千疋屋 フルーツクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.25
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にほんブログ村 当ブログへ訪問頂いている皆さんも、すっかり高見彰七作品に精通されておられます。一目で高見観音の判別が可能なご様子で驚くばかりです。その皆さんへ、最高難度の高見彰七作品候補の登場です。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は先回ご紹介した高見観音(無銘)がある愛知県豊田市の心学院から徒歩圏内です。少し山を登った野見御嶽神社にそれはあります。写真の右側ですが、いかがでしょうか。スタイルは「流れ形」。等身大の大きな像です。彩色されているために、判別が難しい。しかもお顔も傷付いています。まずは皆さんで、高見観音か否かをご検討ください。もし高見観音であれば、初の彩色された高見観音の発見例となります。次回は私もこの観音像を検討します。【 三色だんご 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.23
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にほんブログ村 豊田市野見町の心学院には不動明王像もあります。これもセメント製です。【前の記事1】 「心学院の高見観音 その1」【前の記事2】 「心学院の高見観音 その2」彩色された不動明王像です。お顔はかなりラフな造り。背後から見ると、セメントが新しそうです。屋根で守られていたからかもしれません。高見彰七作品に類例がないレリーフ作品。新しく見えるセメント。以上から、この不動明王像が高見彰七作品か否か、判定ができません。みなさんは如何思われますか?【 冷凍:中華ごま団子(桜あん) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.21
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にほんブログ村 豊田市 庭松山 心学院(こころがくいん)の推定高見観音の特徴をご紹介します。【前の記事】 「心学院の観音菩薩像 その1」●高見観音の台座について 写真をご覧ください。 台座が何かおわかりでしょうか? 側面しか見えませんが、おそらく「石臼」だと思います。 庭の飛び石などでの石臼の流用はよくあります。 しかし観音像の台座に当初から石臼を予定するとは考え難く、 (1)他の寺院から移設された、 (2)高見氏が観音像を持ち込み、設置を依頼された、 の上記のどちらかと思われます。 (2)の例は高浜市の吉浜人形前にありますが、 しっかりとした台座があります。 従いまして推定ですが、この観音像は(1)移設だと思います。●観音像製作時の型枠の使用について 観音像の前後の接合部らしき箇所が経年劣化しています。 特に頭部から上半身には、明瞭な接合線がある様に見えます。 前後でセメントの材質が違う様にも見えます。 顔を繊細に造形するため、前面にはきめ細かいセメントを使い、 後部は強度を重視して骨材が多いセメントを使ったかもしれません。 ただそれでは、前後で乾燥時の収縮率が異なり、 接合部が割れやすくなりますが。 下半身にも接合線らしい線はあります。 ただし衣装の裾にも、前後の造形の不整合はありません。いずれも推定ですが、現地で見ると様々なことがわかります。【 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.19
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にほんブログ村 高見彰七作品の新発見のお報せを頂きました。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の心学院です。スタイルは「流れ形」、丸みのあるお顔立ち。検証するまでもなく、高見観音でしょう。やや眉が上がり、何かご不満があるかの様な表情です。台座を除いても、高さ120~130cmはあるでしょう。FDG公式さん、いつもありがとうございます。心学院のこちらの観音像も高見観音として登録させていただきます。次回は、この心学院の高見観音の特徴についてご紹介します。【 とろける生大福 さくら 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.17
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にほんブログ村 高見彰七作品候補発見の連絡を頂き、現地確認と検証を終えています。記事の準備を進めていますので、お待ちください。【 桜もなか 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.16
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にほんブログ村 現在確認済みの高見彰七の作品数を整理しました。無銘の推定作品、撤去された作品も含みます。●神馬: 6体 (宮口神社の神馬は撤去)●観音菩薩像: 17体 (割目池の地蔵菩薩も含む) (三好 森下交差点の観音像は妙楽寺に移設。 こちらに含めず、妙楽寺でカウント)●その他: 4体 (大狐,霊神像,釈迦如来像など)●妙楽寺の仏像群: 57体 (三好 森下交差点から移設の1体含む)◇◇◇ 合計 84体 ◇◇◇現状で84体とかなりの数になります。また大狐や大型観音像など、浅野祥雲にはない大型の作品もあります。一部の作品を除いては無塗装で劣化が見られること。知名度が低く、作品が安易に撤去されやすいこと。これらから、破損あるいは撤去された高見彰七作品も多いと思われます。廃棄、未発見の作品を含めると、高見彰七作品は100体を超えるのではないでしょうか。下記のリンクも、整理・登録を進めます。【リンク集】 「高見彰七作品」【 桜餅だんご 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.07
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にほんブログ村 続いて、割目池の地蔵菩薩像の検討です。【前の記事1】 「割目池の観音菩薩と地蔵菩薩 その1」【前の記事2】 「割目池の観音菩薩と地蔵菩薩 その2」観音菩薩像とよく似た技法です。今回も比較として妙楽寺のコンクリート像群を参照します。妙楽寺には珍しい地蔵菩薩像があります。左は割目池、右は妙楽寺の地蔵菩薩像です。観音菩薩像と同様の共通点があります。加えて、服の襟の表現も似ています。一方で相違点は下記の通り。『相違点』 1)割目池の像は目が微笑んでいない 2)割目池の像は顔に丸み(下膨れ)がない 3)妙楽寺の像は耳が大きい妙楽寺には耳を大きく表現した像が幾つかあります。参拝者の願いを聴くという意味でしょうか。私は割目池の地蔵菩薩像も高見彰七作品と思います。おそらく初期の作品ではないでしょうか。【 ねこってる 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.03
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にほんブログ村 豊田市 割目池の検討、続きです。【前の記事】 「割目池の観音菩薩と地蔵菩薩 その1」まずは割目池の観音像の検討から始めます。比較として妙楽寺のコンクリート像群を参照します。これらは高見彰七作品と考えて良い仏像群です。「妙楽寺のコンクリート像」この仏像群は、それぞれが違う様で似ていると感じます。似ていると感じるのは、共通した特徴があるからです。では検証しましょう。左は割目池、右は妙楽寺の観音像です。まずは共通点を洗い出します。『共通点』 1)前髪の造形 2)円弧を描く眉 3)眉から鼻ㇸつながるライン 4)三角形の鼻 5)一本線で彫られた目 6)唇の造形 7)目、口、鼻、眉などの配置や大きさ 8)2重に珠状に表現された首飾り『相違点』 1)割目池の像は目が微笑んでいない 2)割目池の像は顔に丸み(下膨れ)がない つまり割目池の観音像は微笑んでおらず、凛々しいお顔をされています。この凛々しさは、初期の高見観音の特徴と私は考えています。造作を重ねるうちに、穏やかな表情に変わったのでしょう。これらから、私は割目池の観音像も高見彰七作品で間違いないと判定しました。如何でしょうか。【 福々ねこ煎餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.01
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にほんブログ村 再び、高見彰七作品候補についてのお報せがありました。今回も「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は先日の愛知県豊田市の浄法寺の南方です。浄法寺から離れて割目池(われめいけ)という大きな池があります。その池のさらに南側、池の裏手に当たる住宅街に2体のコンクリート像があります。まずは皆さんもご覧ください。高見彰七作品か否か、判別の難しい作品です。観音菩薩像。頭の帽子からは地域の信仰がうかがわれます。こちらは地蔵菩薩像。高見彰七作品であれば珍しい作品例です。いかがでしょうか。次回以降で私も高見彰七作品か検証します。FDG公式さん、ありがとうございました。この場所は、私では確実に見付けることはできないでしょう。検証いたしますのでお待ちください。【 クッキー イラストプリント 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.28
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にほんブログ村 ネットで高見彰七情報を検索していました。すると1年ほど前から、Youtubeで高見彰七作品の動画を掲載されている方がおられるのに気づきました。「ひでぽん」さんという御方で、高見彰七作品も取り上げられています。動画は周囲の様子もよくわかりますのご紹介させて頂きます。【(1)愛知池など】 【(2)吉浜人形など】 【(3)福田神明社など】 【(4)三好稲荷閣など】 特に動画(1)「愛知池など」には、下記の貴重な情報がありました。「以前、宮口神社近くの旧153号線沿いの民家に、 たくさんの動物や人物の置物がならべてあった。 それが高見さんのお宅だったのかも? TVでも取り上げられていた。今はその家ももうない。」高見彰七氏のご親族が今は宮口におられないとすれば、宮口神社の神馬(高見彰七作品)があっさりと撤去された理由も納得できます。高見彰七作の謎に迫る重要な情報です。「ひでぽん」さんは私のブログもご覧頂いているご様子。上記の動画のコメントが何年頃だったか知りたいと思います。こちらのブログは、楽天ブログユーザーしかコメントできません。「ひでぽん」の動画か、X(旧Twitter)からコメント頂けるとありがたいのですが。【 ひなまつりのケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.20
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にほんブログ村 豊田市本新町の浄法寺の高見観音からは興味深いことがわかりました。【前の記事1】 「浄法寺の高見観音 その1」【前の記事2】 「浄法寺の高見観音 その2」浄法寺の高見観音を見て気づいたのは、その製法についてです。大型の高見観音については、最低でも前後2個の型枠を使って製作されたらしいことは以前に考察しました。【大型像の製法】 「豊田市中町の子安観音像」小型の観音像については未検討でしたが、浄法寺の高見観音にはわかりやすい特徴がありました。●浄法寺入り口 路傍の観音像この観音像には、前後中心線で縦に合わせ目があります。ただ、前半分を型枠で作り、後ろ半分を手作業で肉盛りした可能性もあります。しかし、この像の足元付近をご覧ください。裾の模様が前後で合っていないことがわかります。前後とも型枠を使わなければ、こうはならないでしょう。●浄法寺 四国八十八箇所周遊並びの観音像この観音像にも前後の合わせ目の様な痕があります。ただし、前半分を型で作り、後を手作業肉盛りした可能性もあります。仮に型を使って製作しても、つなぎ目は生乾きの段階で手作業で修正するのが普通でしょう。着物の模様がずれたままというのも不思議です。セメントが完全に乾燥するまで型に入れていたのでしょうか。前後とも型、あるいは前のみ型枠使用。いずれにしても、小型の高見観音でも型枠が使われた可能性があると推定しました。皆さんは如何思いますか?【 薄皮鯛焼き 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.18
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にほんブログ村 豊田市本新町の浄法寺の調査、続きです。【前の記事】 「浄法寺の高見観音 その1」FDG公式さん新発見の高見観音を確認でき大満足。ついでにと、高見観音像背後の石像を見ることにしました。ここにあるのは珍しく四国八十八ヶ所ミニ周遊です。三河地区に多い西国三十三観音ミニ周遊ではありません。ですので、観音像ではなく、弘法大師の座像が並んでいます。しかしよく見ると、その中に一体の立像があります。しかもそれはセメント製、コンクリート像です。風化はしていますが、こちらも高見彰七作品でしょう。高さ70~80cmと、浄法寺のもう一体の高見観音より小振りです。野ざらしではないためか色白な観音様。正面にまっすぐ立つ「直立型」です。こちらも無銘ですが、推定 高見観音として登録です。次回、浄法寺の高見観音について考察したいと思います。【 信玄桃 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.15
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にほんブログ村 再び、高見彰七の観音菩薩像新発見のお報せがありました。今回も「FDG公式さん」の新発見です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の浄法寺です。住所は豊田市本新町4丁目。浄法寺はこじんまりとした見つけ難いお寺です。入り口もわかり難く、お寺の東側が入り口。観音像も東側の細い道沿いにあります。Google mapでも付近を「寺」で検索しても浄法寺は出てきません。「浄法寺」と検索すると見つかります。観音像は身体をねじった「流れ型」。高見彰七作品の典型的な姿です。高さは120~130cm程度。下膨れのお顔立ちも特徴的。ただお顔にヒビが入り、このままでは破損の恐れがあります。無銘ですが、今回の観音像も高見彰七作品とみなせると思います。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。FDG公式さん、ありがとうございました。また、さらに新発見がありますし、考察もしたいと思います。次回以降で御紹介したいと思います。【 陶器の雛人形 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.13
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にほんブログ村 久しぶりに、高見彰七の観音菩薩像に新発見のニュースがありました。今回の情報も「FDG公式さん」から頂きました。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」新発見の観音像は、愛知県刈谷市の野田八幡宮近傍にありました。野田八幡宮の駐車場端に忠魂碑があり、その傍に地蔵堂があります。観音像はその地蔵堂の裏に隠れる様にしてありました。写真でも地蔵堂の後に、観音像が小さく見えています。今も信仰の対象らしく、観音像には花が供えられています。作家銘はありませんが、典型的な高見観音の容姿です。高見彰七作品らしいお顔立ちです。ただ、かなり風化しています。小さな観音像ですが、見下ろすような前のめりの姿勢です。野田八幡宮はこの地区では最大級の神社。私も訪れていましたが、完全に見逃していました。観音像の場所は刈谷市南部生涯学習センター「たんぽぽ」の前、野田八幡宮駐車場から赤い鳥居を潜らず、左に行くとあります。この場所はまだ野田八幡宮の境内なのかもしれません。鳥居前、駐車場脇でもあり見逃していました。ごく近くに、昌福寺の高見観音(リンク集第2集「観音菩薩」編 No.2)もあります。昌福寺の高見観音は作家名在銘です。【昌福寺の高見観音】 「観音菩薩編 No.2」今回の観音像も高見彰七作品とみなして良いでしょう。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。FDG公式さん、ありがとうございました。【 観音菩薩像 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.04
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にほんブログ村 長野県飯田市の来迎寺にある高見観音(聖観世音)。こちらの製作年が年表に反映できていませんでした。製作年は、昭和35年4月。奉納は、今泉許太郎氏。驚くことに、愛知池の高見観音と同一年の製作です。愛知池の高見観音は、現在、最大級・最古としていたものです。愛知池の高見観音は、高見彰七が原型、製作は鹿島建設。この愛知池と来迎寺の高見観音の間には、深い関連がある様に思えます。両者のフォルムに違いはありますが。その辺りは新情報と考察も含めて、また別途書きます。【 長野の御菓子 栗のふく福餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.10.02
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にほんブログ村 愛知県豊田市本地町 八幡社。ここにあるコンクリート製の神馬の製作年を訂正します。高見彰七の作家銘がある神馬ですが、基台の製作年を私は「昭和20年10月」と読んでいました。しかし昭和34年以降の作でなければつじつまが合わない。そう考え、ブログでも違和感があると書いてきました。なぜなら八幡社は、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風の被害を受け、多くの施設が建て替えられたためです。新情報では製作年は「昭和40年10月」。つまり「四」を「二」と読み間違えたわけです。たしかに私が以前に掲載した写真でも、横に長い形の「四」と読めます。年表も訂正しました。高見彰七の製作年が昭和31年から昭和46年にまとまりました。高見彰七の活動期間が15年間に集約されました。今回の情報の訂正は、「小嶋独観」さんのH.P.情報によるものです。小嶋独観さん、ありがとうございました。【小嶋独観さんのH.P.】 「珍寺大道場」【 ハロウィンも意識する季節 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.09.18
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にほんブログ村 ひさしく停止していました「高見彰七のコンクリート像」の話題、再開したいと思います。話題は新情報の追加や、古い情報の訂正です。とはいえ、他の話題の間に織り込む予定。ゆっくりと、みなさんに飽きが来ない頻度ですので、気長にお付き合いください。【きんつば】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.09.14
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にほんブログ村 連休中ですが、ブログ更新します。「長野県飯田市 来迎寺の高見観音」、確認が取れました。来迎寺も再びMR2さんが確認下さいました。私は確認情報に気付き遅れましたが、LimeGreenさんが教えて下さいました。MR2さん、LimeGreenさん、ありがとうございます。。●【MR2さん】 「MR2さんのフォト蔵」●【LimeGreenさん】 「LimeGreenさんのブログ」なお、小嶋独観さんからもGoogle mapで高見観音の確認が取れたので、機会が取れたら確認に行かれる予定と連絡を頂いていました。●【小嶋独観さんのサイト】 「珍寺大道場」以下、来迎寺の記事です。写真はMR2さんから御提供頂きました。【来迎寺(長野県飯田市伝馬町1-54)の高見観音】来迎寺の高見観音は、道路沿い、駐車場傍にあります。流れる様なフォルムが美しい、比較的大きな観音像です。銘板には作家・高見彰七の名前があります。昭和35年4月の作品とわかります。奉納者は近隣の専照寺と同じ今泉氏です。聖観世音です。西三河から離れた飯田市に高見彰七作品があるのは、この今泉氏との関連と思われます。LimeGreenさん、MR2さん、ありがとうございました。この来迎寺の高見観音の製作年からは、新たな疑問が呼び起されます。少し落ち着きましたら、その考察記事も書きます。【 陶器製 観音像 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.05.04
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にほんブログ村 愛知県みよし市の三好稲荷。この本殿に向かって左手には、御嶽神社があります。こちらの御嶽神社にも、一体の霊神像があります。下記がその霊神像です。高見彰七作品の特徴を持つ霊神像です。シンプルですが、やさしい表情です。台座には「明水霊神」とあります。奉納者らしき人物名もありますが、作家名はありません。背面が簡素なのも、高見彰七作品の特徴です。横から見ると、凛々しい御姿。無銘の作品で、リンク集への登録を躊躇していました。しかし他の作品との類似性から、この霊神像も高見彰七作品とみなして良いと思います。この霊神像の類似性や持つ意味などは、また別の機会に書くことにします。【 瀬戸・赤津焼 陶磁器製 風鈴 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.05.01
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にほんブログ村 先日の行方不明の高見観音。所在地は善勝寺ではなく、来迎寺との情報訂正を頂きました。●来迎寺 (長野県飯田市伝馬町1-54)(画像出典: 4travel.jp)引き続き情報を募集しています。【 招き猫 陶器の振り子時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.19
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にほんブログ村 先日の高見彰七作品の情報募集。善勝寺にあるという高見観音が見つからないという声が挙がっています。2)善勝寺 (長野県飯田市伝馬町2-31) 高見彰七の観音像あり。 (画像出典: 4 travel.jp)ここで善勝寺の高見観音を紹介されたブログがあります。その運営者の「MARUKADOさん」に交渉して、ブログのリンク許可を頂きました。高見観音の写真は掲載できませんのて、リンク先をご覧ください。【善勝寺の高見観音情報】 「MARUKADOさんのブログ」善勝寺の高見観音は撤去されたのか?単にわかり難い場所にあるのか?引き続き情報を募集したいと思います。【 瀬戸 陶器製の時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.17
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