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桃の節句も啓蟄も過ぎ最近は温かい日が増えてきて桜の花も少し早く開花しそうだと言われている。スギの花粉症があるワタクシは例年よりも少しだけ苦しい思いをしているが先日久しぶりにぶらりバスの旅に出かけてみた。いつもなら何の予定もなく来たバスに飛び乗り適当な所で降りてぶらぶらするのだが今回は行き先は北九州の門司と決めて行く。小倉まで新幹線で行くかバスで行くかだけど運賃の関係で迷わず安い方の高速バスにする。天神バスセンターから小倉駅まで高速バスを使うが客は7人しか乗っていない。少し時間はかかるが快適なバスの旅だ。小倉から門司まで一駅だけJRの電車に乗る。門司で降りて駅前の不老通りを山に向かって歩くこの通りはもう50年以上前になるけど近所のおっちゃんによく連れて来てもらった。家の近くから当時国鉄の汽車に乗り門司駅で降りて坂道を上って行くと右側に国鉄病院がありその先に門司競輪場があった。当時のワタクシはまだ中学生だったから入場できなかったのかもしれないがなぜだか入口で止められたことはなかった。すり鉢型のバンクの中を自転車が走るとおっちゃんが大きな声で「いけ~! まくれ! よっしやったぞ!!」と叫ぶ。勝った時のおっちゃんは機嫌がよくワタクシの好きなお菓子などを買ってくれた。しかし、最終レースになるとほとんどの場合はやられていて、「また明日から仕事すけよか。」と言いながら駅までの坂道を歩いて下った記憶がある。その競輪場も今は廃止されてしまっている。今日、門司に来たのは競輪場の事ではない。ある本を読んでいたら源平の合戦で源氏に追われた平家一行がこの門司にたどり着いた時安徳天皇一行の疲れをいやすために井戸の水をくみ上げて風呂を沸かせて入ってもらった。その時に利用した井戸が残っていて「風呂の井戸」と呼ばれていてその後、風呂から不老に転じて競輪場のあたりは不老町と呼ばれその通りを不老通りと呼ぶようになったらしい。無知とはいえ全く知らなかった。その井戸が今も残っていると言うので興味があって来てみた。少し探したら道のそばの小さな空き地に石碑が建てられ井戸が残っていた。また、近くには一時的ではあるが安徳天皇が住まわれた御所ということで内裏(だいり)と呼ばれていたが畏れ多いので漢字を変えて大里と言う地名が残っている。近くに御所神社があるので寄ってみた。朱色が鮮やかな本堂ではあるがあまり大きくはないけど本堂の屋根には菊の御門が掲げられている。まだ時間があったので豊前大里宿後を観に海の近くに行ってみた長崎街道に続く門司往還の後を散歩してみる街の風景は変わってしまって昔の面影はあまり残っていないが所々に石碑が残されていて当時の面影は感じられた。久しぶりに歴史を感じる街歩きをして帰りは小倉駅から新幹線にしようかとは思ったが少しケチって在来線JR特急の自由席で帰ってきた。
2021/03/06
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