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何かをあたりまえだとみなしたり、何かをあたりまえだと思いこんで行為していたり、そうしたときには、私にとってあたりまえでない見方や行為に対して、感情が反抗しやすい。
2015年01月31日
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Aさんに、そんなこと、してほしくない、と思ったところで、じつのところ、何をしようがAさんの自由である。とみなせば、気楽になれる。私が悩むのは私の自由だし、私が気楽なのも私の自由である。私がないのも私の自由である。
2015年01月30日
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予測がはずれたときには、その予測に自信があったならあったほど、こんなはずじゃないと、起こっていることへの理解を歪めてしまい、自分の態度を変更しないままでいてしまいがちなのだけれど、理想としては、予測がはずれたと感覚的にわかった時点で、できるだけすみやかに方針を変更したほうがいい。
2015年01月30日
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(大乗仏典3:八千頌般若経:第二十九章(知恵の完成への)随順:p307:梶山雄一・丹治昭義(訳):中公文庫)より引用『あらゆるものは重荷をすでにおろし、重荷を負わしめられることがないということから、知恵の完成に近づくべきであり、』このように聞いたとたん、ふと、肩の荷がおりたようになるのではなかろうか…
2015年01月29日
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窓のない記憶窓のない 記憶のひろがり窓のない 部屋からあなたを眺める窓の無い部屋に閉じられたあなたの指は壁紙を這うわたしの爪はかべがみのかすかな隙間を浮き上がらせあなたの目とわたしの心は似たものどうし互いの窓を眺める
2015年01月28日
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まじめそうな(職業としての)お坊さんと少し本気でしゃべったとき、あらためて思ったのだけれど、ほとんどのお坊さんたちは、縁なき衆生なのだろう…「縁なき衆生は度し難し」
2015年01月27日
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死ぬまでのトータルの知的蓄積はさほど重要ではなく、その人にとって、ある時点、ある状況において知的刺激になりそうな何かに向かうことが、生きている間の知的快楽なのだろう。「ある時点、ある状況において知的刺激になりそうな何かに向かう」頻度が高いほど、結果として(たいして重要でないにせよ)その人の「知的財産」が蓄積される確率が高くなるのだろう。
2015年01月26日
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(大乗仏典3:八千頌般若経:第二十九章(知恵の完成への)随順:p307:梶山雄一・丹治昭義(訳):中公文庫)より引用『あらゆるものがことばを超えていることから、知恵の完成に近づくべきであり、』■ことばもまた、ことばを超えている…こう捉えるときの「ことば」は、思考と感覚の不思議さに揺れている…
2015年01月25日
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残り少ないじかんなら、はたしてこんなことをするだろうか?たとえどんなに残り少ないじかんであってさえ、何かをしているのであってみれば、その何かがこんなことなんだろう。そして、こういう考えが浮かんだことによって、その何かが、こんなことからあんなことへと移ったりする。
2015年01月24日
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Aさんの視点から見た事実というのは、Aさんの見た(つもりの)事実にすぎず、しかも、ある特定の状況におけるAさんの視点による事実(と呼ばれるもの)にすぎない。「すべてを見渡せる視点から見た事実」と言ったところで、そんなことを言ってる人がある特定の状況において「すべてを見渡せる視点」と思いこんでいる視点から見た事実(と呼ばれるもの)にすぎない。すると、私にとって魅力的な視点かどうかに左右される。
2015年01月23日
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チョコレート戦争で食べるのは、洋菓子と呼ばれていたケーキばかりではない。こどもたちやこどもたちの親たちは洋菓子を食べるのだけれども、若ものは、一ぱい五十円のラーメンである。
2015年01月22日
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とにかくこの3分しか生きないのだとすれば、ぐずぐずしててもしかたないし、ぐずぐず言っててもしかたないし、ぐずぐずしてるまに3分は終わってしまう。終わってしまえば、それはそれでそれだけのことなのだけれど、いまだ終わっていない3分のなかで生きているからには、終わってしまってからの視点は、終われば何にせよ終わるのだ、という勇気を3分のなかに与えてくれるほか、あまり役に立ちそうもない。
2015年01月20日
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じっさいにはこうなっているんだろう、と思いこむだけではなかなか身動きできないこともある。じっさいにはこうなっているのだろうから、だから、こうしよう、と思ってもなかなか身動きできないこともある。何をしたってうまくゆかないと思いこんでじっとしているのは、しばらくはいいけれど、長引くと運動不足になって具合が悪くなる。
2015年01月20日
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「チョコレートの城じゃなく、チョコレートケーキの城だったんじゃない?」「調べてみよう」『チョコレートでできた1メートルちかい城』と書かれてはいるものの、城の成り立ちは、クリームでふちどりした窓ウエハースの屋根角ざとうのレンガ(「チョコレート戦争」大石真(作)北田卓史(絵))
2015年01月19日
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ひとは、偶然の状況にいて、状況の変化を試みたり、状況があまり変化しないよう試みたりする。
2015年01月18日
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(大乗仏典3:八千頌般若経:第二十九章(知恵の完成への)随順:p306:梶山雄一・丹治昭義(訳):中公文庫)より引用『あらゆるものが名前だけ、言語表現だけで述べられるにすぎないということから、知恵の完成に近づくべきであり、』■「あらゆるものが名前だけ、言語表現だけで述べられるにすぎない」と気づくことは、じつにじつに不思議な体験です。
2015年01月17日
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「チョコレートの話と言えば、チョコレート戦争ですね」「だけどあの話、ケーキ屋さんとの戦いなのに、どうしてケーキ戦争じゃなくってチョコレートなんだろう?」「ケーキ屋さんのショーウインドーに飾ってある「チョコレートのお城」のことじゃないかな」「だけどあれはチョコレートだけで作ったお城じゃなくって、チョコレートケーキだったんじゃない?」「おぼえてない」「まあね、ケーキ戦争だとかチョコレートケーキ戦争より、チョコレート戦争のほうが、断然いい」
2015年01月17日
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使う方程式がまちがっているなら、はじめから出かける式場をまちがってしまったようなもので、入場したって迷うばかり。まちがった式場から出たはいいが、正しい式場どころか、出てきた式場以外の、ほかの式場が見あたらない。式場をさがして見知らぬ土地へと出かけたものの、式場とは何か、何が式場なのかが変更されてしまって、迷い方さえわからない…
2015年01月17日
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hulu(月額税込1007円で見放題)で「寄生獣 シーズン1 第1話」を見ました。どんな話か知らずに見たので、びっくりしておもしろかったです。ただ、引きつづき第2話を見はじめたところ、もうこれいじょうあまり驚けないような気がして、途中で見るのを中断しています。とにかく、第1話はおもしろかったです。
2015年01月16日
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翻訳者の都甲幸治さんのお話を聞きました。おもしろかったです。iTunes Storeで「ラジオ版 都甲幸治」で検索すると見つかります。無料で購入できます。翻訳者には翻訳へのいろんな思いがあるのでしょうけれど、都甲さんのような捉え方・思いで翻訳している翻訳者がいるとは気づいていなかったので、ちょっと新鮮でした。「ラジオ版学問ノススメ」の番組全部がわかりやすく表示されるページは、ラジオ版学問ノススメ(クリックしてね)です。すべての番組が無料で購入できます。
2015年01月15日
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どういう状況で、私は、「ぼんやり過ごしている」と感じて後悔するのだろう?「なんとなくぼんやり考えながらぼんやりしている」状況だと後悔するようなので、なんとなくぼんやり考えていると気づいたならば、「なんとなくぼんやり考えていること」に対してぼんやりせず、ぼんやりではなくしっかり考えるか、考えるのをやめるか、やめようとしてもやめれないなら、やめれないのはどうしてか、考えるか、もしくは、思考を落とそうと試みる。ただ、「思考を落とそうと試みる」のは、暮らしの状況にかかわらず、日々、あるていどのじかん、試みないと、暮らしの状況は崩れてゆく。
2015年01月14日
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「チョコレートはあまり好きじゃないんだ」「発想ゆたかなチョコレートなら、どう?」
2015年01月13日
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うんこがへんないきもの(クリックしてね)「うんこがへんないきもの」の著者、早川いくをさんのおもしろいお話です。
2015年01月12日
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「法」は、いわゆる法律とはまったく関係がなく、いわば、「存在(?)不在(?)無在(?)無不在(?)の法」(?)というようなもの(?)なので、社会性になじまない。社会という世界は、「法」になじまない。
2015年01月12日
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なんか、あわれというか、おろかな感じがする…
2015年01月11日
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考えることと考えないことと、どちらがいいとかわるいとかでなく、状況によるバランスが大切なんだろう。
2015年01月11日
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ふかく考えてゆくと、考えるのは戯れと気づくのだが、戯れなしでは「考えているときの私」はない。せっかくなので、「考えているときの私」は、ふかく戯れたい。
2015年01月10日
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戦争映画(断片)(クリックしてね)少年と少女がわけもわからず戦争に巻きこまれた、という状況が伝わってくる怖い映像です。
2015年01月09日
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たとえばいまの日本では売春は禁止されているけれども、じっさいには売春であるものを法的には「自由恋愛」とみなす仕組みを作ったりしてごまかしている。イスラム教の多くでは、売春どころか婚外セックスすべて禁止されており、禁止どころか、なんと死刑らしい。ところが、イスラムにもエスコート・クラブ(じっさいには売春組織)があって、結婚及び離婚の法的手続き代理業みたいなもので、法的にきちんと結婚し、数時間後に法的にきちんと離婚し、慰謝料を払う、という仕組みらしい!
2015年01月08日
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人は種々雑多な状態・状況に制限されているけれども、制限されていることについて考える余裕があるのならば、制限された中での自由を試みたり、外せる制限を探したりする。
2015年01月07日
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hulu(月額税込1007円で見放題)で、「Peeping Life WE ARE THE HERO」を見ました。1時間くらいの作品で、内容は、なんというか、SFアニメ漫才、というようなもので、映画と言うより冗長な漫才のようなもので、(個人的には)失敗作と思います。ただ、全部で10分くらいに短縮すれば、こういう作品を見たことなければ(ぼくはこんなの初めてで、驚きはしました)、おもしろいのではないか、とも思いました。
2015年01月06日
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「目の変化」によって、ある日、あるとき、ふいに、川を渡ってしまう。ある日、あるとき、ふいに、「目の変化びと」はすでに川を渡ってしまっているのだけれど、身心は川に放りこまれたばかりで、そのあと何か月かかけて、遅れた身心が、驚きと至福感に満たされつつ、激流を渡ることになる。その何か月かが、人生でもっとも輝かしい日々である。
2015年01月06日
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「言葉にされた領域」と、「言葉であらわそうとしたときに抜け落ちてゆく領域」とは、いったいどのような関係になっているのだろう?というような「言葉による疑問」にたいしては、「感覚的な返事」がやってくる。
2015年01月05日
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「レコード切手とCD切手とチョコレート切手」「珍しい切手」「珍しいチョコレート」「どこが珍しいの?」「28000ドル(1ドル120円なら、336万円)のチョコレート」「値段が高いからといって珍しいわけじゃない」「でも、桁外れだよ」
2015年01月04日
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「いろんなメディアですでに話題になっている」って見つけたんだけど、ほんとに話題になってるんだろうか?2015=1(2の0乗)+2(2の1乗)+4(2の2乗)+8(2の3乗)+16(2の4乗)+64(2の6乗)+128(2の7乗)+256(2の8乗)+512(2の9乗)+1024(2の10乗)ようするに、2015は2進法で、11111011111そして、平成27年もまた、27=1(2の0乗)+2(2の1乗)+8(2の3乗)+16(2の4乗)なので、27は2進法で11011
2015年01月03日
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冷静に考えれば、クリシュナムルティのめざす社会は現実の社会に適応できるはずがないにもかかわらず、クリシュナムルティがぼくにとって大切なのは、現実とは関わりなく理想がありえるとしたとき、その理想は、正誤や善悪といった思考によって作られた理想世界ではなく、思考とは関わりのない世界である、という、ばかにしたような、あっけらかんとした世界が、ぼくの現実世界に活気を与えてくれるからなんだろう…
2015年01月02日
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発酵学者の小泉武夫さんのお話ですが、食べ物の話をこんなにおもしろくたのしくしゃべれるのはすごいです。小泉武夫さんのお話(クリックしてね)町山智浩さんが映画についてしゃべったり、小泉武夫さんが飲食についてしゃべったり、何かに夢中なひとがそれについて熱く語っているのを聞くのはたのしいです。
2015年01月01日
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