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人というのは、まじめだからやさしい人とは限りません。やさしいから強いともかぎりません。人はもっと、曖昧です。いい意味で。車を運転していて、タイミングよく信号で止まれなかったとします。それで、極悪人というわけでもありません。人格を否定する事もどうかと思います。自分に対して絶対値を突きつけると、誤作動を起こします。完璧な自分を目指して。完璧な自分などないのですから。無理ですね。それでも完璧な自分を追い求めてしまう場合。それが、どこから来ているのか自分の記憶をさかのぼっていみます。その作業中で必要なのが、吐き出し。方法はたくさんありますが。やさしいあなたに向いているのは、誰も傷つけないやりかたです。そうやって心の中のいろんなことを吐き出していくと、今度は気づきに出会います。
2007.06.08
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どんな辛い日も必ず終わりが来、明日がやってきます。私達がどんなにあがこうとも、太陽は沈み、月は満ちます。時間という味方。今日の私と明日の私は違います。同じように見えても、細胞は生まれ変わり、吸う空気も違います。爪も髪の毛0.3ミリ成長しました。今日の失敗も、辛い事も、お終い。明日は明日の私です。
2007.05.16
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自分の感情に素直だと人に振り回されずにすみます。強引な人に出会ってしまったとき。どうしても人に合わせてしまう人。いざというとき。日ごろから、自分の心の声に素直になっていられると、”NO”と言えるようになります。それだけでなく「わかりません」とか「ありがとう」も素直にいえるようになります。いつも自分はどうしたいのかよく聞いてあげてください。私は本当はどうしたいのか。聞いたら、そのとうりにしてあげてください。頑張りすぎてはいませんかもう疲れたと感じてはいませんか。やたらたくさん疲れたと言ってはもっと疲れてしまいます。本当にそう感じたとき、伝える相手がいなくても自分の気持ちを受け取ってあげましょう。気持ちいいと感じたときでもいいです。素直に。とても大事なことです。
2007.05.13
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私ににはまるで父が二人いるようです。母はたくましく、父をたてながらもたたかい、今も働き続けています。時々、投げつけるような言葉が飛んできます。悪気がなく、そうも思っていないのもわかっているのですが。どうしても、気になる。「お母さん、怖い。その言い方。怒ってるの?」母は驚いて、何度も何度も謝りました。気になることは聞いてみる。「お母さん、疲れてるの?」夫に聞いてみる。聞き方は工夫して。たくさん聞くとしつこいのでは。心配になりますね。二言ぐらいずつで会話が終わるようにできるといいですね。そうしたら、根掘り葉掘りでなくなります。「疲れてる?」「どうして?」「あんまり話さないから」「ああ、考えごと、ごめんね」あんなこと聞いたらいけないかしら。そう思いがち。さらりと聞いてしまいましょう。いけないかしらをたくさんためてしまうと、川と一緒。流れがとどまってしまいます。
2007.05.11
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諦めるのは簡単ではありません。それは、私と父の関係。彼を一言で表すのは、難しい。権力に弱く、卑屈で、弱者には容赦なし、小心もので、人を思いやることができない。何度彼から離れようとしては、彼の妻である母から離れられず。葛藤を繰り返し、私はこう宣言しました。親は子供にいつか捨てられる覚悟がないといけない。子供は生まれたことが、すでに親孝行であるという。だから、それ以上をのぞまない。私自身への言葉であり、親への宣言でした。父との距離をなんとかしようと努力しましたが、まったく向こうにはその気がないようす。それでも、諦められず近寄ったり、離れてみたり、怒ってみたり、沈んでみたり。諦めることは難しいことと学びました。学んだと気づくことが大切。全てに結果はありません。気づくことです。
2007.05.11
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毎日しなくてはいけないことはたくさんあります。ですが、あなたがどうしてもしなくてはいけないことはいくつありますか。それは、誰がきめていますか。よその誰かですか、あなたがきめていますか。本当に自分がしなくてはいけないことは、自分で決めていいのです。責任も負いますが、充実感もあります。どんな小さいことでもです。やりたくなかったら「やりたくない」と言ってしまいます。ですが、そんな簡単ではありません。いえなかったら、最初は愛猫に聞いてもらいます。トイレでひとり大声でいってみるのもいいでしょう。そうしてると、「ああ、私はやりたくないのだ」と心から理解しているのがわかります。そうやって一つずつ、自分でつけたやらなくてはならないことを、おろしていきましょう。軽くなると思いますよ。ほらね。
2007.04.02
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これは、私のかよっているカウンセリングルームからの先生のアドバイス。私が、薬があうあわないで母と話しているとき。父が「薬なんか、本当は飲まないほうがいいんだよな」思わずむかっときて「飲まなきゃいられないんだよ。」と。「お前のせいだ!!」とまでいいそうになりました。先生いわく父は「デリカシーのない人」だそうで、悪気がないと。でも、無意識にやってることのほうが、相手を痛めつけるには効果があるんです。そういう時は「どうして、そういう言い方するの!!やめてよ。」というふうに具体的にするといいのだそう。たぶん「いままで、そうやって失敗をしてきても、何がいけないのかわからないいままきた」のでしょう。と先生。どうして今さらと思いながら「自分への不当な扱い」を抗議することも大事な勉強なのでしょうね。
2007.04.02
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うつな私はどうしても休むことができません。休んでいるようで、どこかこころに決め事を作ったりしてしまいます。今日は休んだんだから、もういいだろう明日は早起きしなければ。明日は、明日は、、、、。そんなことばかり考えていると、今日という休みがそんな思いで一杯になって、疲れがとれるどころではありません。休むというより、体と心を充分甘えさせると言ったほうがいいかもしれません。こころを休めることができない人は、こころを甘えさせてあげることができない人ではないでしょうか。体のためと言って食べたいものを制限してしまったり、家族のためと無理をしてしまったり。私は、これを一週間やめてみることにしました。食べたいものを食べ、やりたくない家事は明日へまわす。もちろん、家の中は大変なことになり、体重も大変なことになります。ですが、中途半端にこころの決め事を持ち続けると、我慢というストレスも抱え込むことになります。かえってもっと大変なことになってしまうのではないでしょうか。食べたいものを、食べたら徐々に心の声に耳を傾けましょう。本当は食べたくないのか、どんなものが食べたいのか。本当は食べたくなくて助けてと心が叫んでいるのか。(食べるにつきては次回書きたいと思います)一週間、プチ療養が終わったら、そのエネルギーを使ってみましょう。いつもおっくうだとおもっていたことが、できてしまったりします。もちろん、最初は身の回りの軽いことからはじめましょう。私は、寝たいだけ眠りました。ソファーの上で毛布に包まりながら。これが一番、気持ちがいいのです。そして、単純に「眠っていい。」とこころに話しかけるようにしました。心に決め事や我慢をしていると、休んでいるようでなかなか休めません。こころの甘えたいという気持ちに素直になりましょう。疲れている人は、充分我慢しているのですから。
2007.03.20
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そうです。ですが、早く治りたいと思ってしまいますよね。無理だよ、、、。とぶつぶついいながら。そんな簡単にはいきません。どうも、うつには二通りあるようです。一つは環境の変化やストレスからくるもの。もう、ひとつは自分の中からくるもの。このような項目に、区分することはできませんし、微妙にこの二つは重なりあっているともいえます。ですが、この類の本を読んでいると、どうも、「違うよ、、、。」なんて思ってしまうことも。私も、もともと気が短い方。早く治りたいと、ついつい焦ってしまいます。なので、こう思う事にしました。「短期間で区切ろう。」一週間だったら、一週間前の自分とはどう変わっているか。何も変わってなかったら一ヶ月後の今の自分はどうか。少しはよくなっているだろうか。全く、同じなわけではないと思います。どんな人間も、違うはずです。微妙に変化しているはずでしょう。悪かったとしても、それはよくなる前の準備かもしれません。今起きていることの、悪いこと全てが悪いことであってそうではないのかもしれません。今日の私は、一週間後の私とは違います。
2007.03.10
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こころがずうんと重いとき。こころの点検をします。どうしても許せない人、憎んだりしてこころが疲れていませんか。本当はどうでもいいのにと思いながら。どうして許せないのか、どうして憎んでしまうのか、こんなことをされた、こんなことを言われた、傷ついた。「もう、いい加減にしなきゃ。」なーんて思ってはいけません。徹底的に吐き出します。ただし、無理はいけません。それを避けたい場合はどんどん、避けてください。「これは、思い込みかも。」とひっかかるようでしたら、しめたもの。こころのわずかな動揺や引っ掛かりも大事にしてください。こころの中で「ああでもない、こうでもない。」とやっているうちに。正解は必ずやってきます。やがて、許せない人も許せるようになってきます。
2007.03.10
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こちらにきていただいた方の言葉が強く心に残りましたのでそれをテーマにしたいと思います。心は月ににている。そう、思います。クレーターがなければ、ウサギがいるように見えません。影ができて、かけることがなければ、美しい三日月も見ることができません。人も欠けたり、でこぼこしているのだから、美しいのかもしれません。暗い部分は消そうとすると難しいかもしれません。暗い部分をじっと観察してみてください。ただ、見つめてみるだけでもかまいません。いやだっら、放っていおてもいいです。結局、あなたのしたいようにしてみてください。問題は、そこにこだわりすぎないことと、自分に素直に行動できるかどうか。そうしているうちに、暗い部分は灰色になったり、他とわからなくなるかもしれません。そのうち、ウサギが住むようになるかもしれません。ダメな心によく効くクスリいやしからゆるしへ★目的で選ぶパワーストーン完全ガイド★
2007.03.04
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心の病を抱える人は自尊心に問題があるようです。私も、そのひとり。毎日「今日もできなかった。」と嘆いています。嘆くだけならいいのですが、「何もできなかった。」「できない自分はいてもみんなの迷惑だ」「迷惑なら、いらない」「いらないなら、生きていてもしかたない」と心の坂道は下るばかり。なので、こんなことを考えてみました。できた事を書いて、付箋紙で貼っていくのです。どうできたか、いつできたかは関係ありません。日付も時間も書きません。書くことがなければ、「息を吸った。」「ご飯を食べた。」でも、いいと思います。私の今日のできたこと。ゴミを捨てた。→人と会うのが怖いので、朝五時に出します。犬の散歩にいった。→やはり、夜遅い時間にいきます。朝おきた。→びっくりするような時間ですが、起きたのには違いありません。そうすると付箋紙は一杯になりました。「星を見た。」「すばらしい夕焼けを見た。」とも書きました。人は、重力とバランスを保ち毎日生きています。それだけでも、凄いことです。すばらしいのです。心だって、放っておけば重力に負けて、地面に落ちてしまいます。私のこころはどのくらいの重さでしょうね。
2007.03.01
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人はどんなに酸素が必要でも、吸ってばかりだと苦しくなります。必要に応じて、吐きましょう。ちょっと苦しくなったら、早めにはいた方がいいです。あまりにおおきはくと、吸うことを実感できなくなります。できれば、リズムをとって、楽しいきもちで。一番大事なのは、心が呼吸したいと感じたら、我慢しないこと。
2007.02.03
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自分の心が折れてしまいそうなとき。励ましは、形ではありません。どんな善意も方法論になると、どうも消化不良を起こすよう。できるだけ、受身になってください。解決する方法は自分でも本当は見つけられるのです。一緒に探してほしいだけ。一緒に涙して、笑ってほしい。簡単なようでとても難しいです。難しいと知っていると、誰かにしてあげようと思うとき役にたつかもしれません。優しさの連鎖です。
2007.02.03
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私は、父に誉められたことがありません。誉められたとしたら、父が自分をよい父親と認めてほしくてしたこと。私は、父に慰められたことがありません。慰められたとしたら、父が自分を慰めようとしてしたこと。今も同じ、父のために本を読み、病からたちなおろうとします。ですから、私は私のために。私を慰めます。誉めます。父がまた同じことをしようとすれば、「やめてください。」と言います。恐れることはありません。全ては、ぐるぐると廻り、やってくるのですから。“うつ”の夜明け対人恐怖「治らなくてもいい」から始めよう心の病気
2007.01.27
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息子が「ママ、パカボンて何?」娘、「違うよパパボンだよ。」恐るべし世代の違い。どっちも違います。
2007.01.27
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私が知っている子供達をサポートするグループの人達は、善意だけで集まっています。これが凄い。子供達がどんなに暴れようとも、その手を決して離しません。諦めないのです。親の心の痛みも理解しようと努力します。そして決して、押し付けない。どんなに良いことも、押し付けになってしまうと全く違う意味を持ちます。人の善意を受け取るのが下手な私。それでも、我慢せず、失敗をしながらその場に身を置いてみました。どんな、失敗をしても、誰も笑いません。すぐ泣いてしまうのが、私にとっての大きなコンプレックスだったのですが。それも、すんなり受入れてくれました。そこで涙を流す人は私だけではなかったのです。私のような病気をもつ人も少なくないようです。善意の中に自分を置いてみてください。純粋な善意ならば、傷つくことは少ないです。もし、傷ついてしまったら。自分の心を見つめてみてください。しらない自分が見つかるかもしれません。そうでなかったら、純粋な善意でないのかもしれません。善意は言い方を変えると愛なのかもしれません。
2007.01.22
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11歳の息子があかちゃんの姿で夢に出てきました。広汎性発達障害と診断された息子は、現在ホームスクールをしながら、ゆっくりと成長しています。学校へいかないという決断をした私にも時には迷いが生じる事も。たんなる怠けではないか。嫌なことから逃げているのではないか。すでに、考えに考え尽くしたにも関わらず、また同じところに戻ってしまいます。些細なことで、傷ついてしまう私はとうとう寝込んでしまいました。そんな時、息子の夢をみました。薄暗いなか、まだ、寝返りもうてない、でも力強い、そして、あのおでこ。間違いなく息子でした。隣には、今より少し幼い娘が寝ています。息子に「ごめんね、ママ、育児が下手で。」すると、「ううん、いいんだよ。」と話せないはずの息子が話します。そして、した事のない遊びをしました。私は両親に丁寧に育ててもらえなかったためか、子供と遊ぶのが大の苦手でした。もっと、もっと、遊んでいれば、息子は違ったかもしれない。今だ、そんな思いがよぎります。しばらく、遊んだあとそれを母に伝えると私を抱きしめ泣き出しました。母は不器用だったのだ、愛されてないわけではなかったのだと気がつきました。そして、無言の娘と息子はたぶん、迷う私にこのままでいいのだよといいたかったのかもしれません。少し、勝手な解釈かもしれませんね、、、、、、(笑)。
2007.01.20
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じつは私、眠っているあいだにたくさんの夢をみます。毎日どころか、お昼寝の時さえも。夢が何を示そうとしているのか、書きたいと思います。先日の、昼寝をしていたとき。「ぽっ」と心が温かくなる感じがしました。そのあと、母がイメージとして出てきました。実際、映像でなかったのですが。後日母に聞いてみると、確かに私のことを心配していたようです。ですが、母は心が温かくなる感じとは違うようです。たぶん、私がこれからそういう存在になりたいという思いからみた夢だったのかもしれませんね。スピリチュアル夢百科自分さがしの夢占い夢占い
2007.01.11
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誰でも自分の問題は話したくないもの。できれば隠したい。けれども、問題を隠そうとすればするほど、それに必死になって心の疲労は増すばかり。とうとう、問題なんかそっちのけで隠すほうばかりにエネルギーをとられてしまいます。問題はオープンにします。誰でもいいというわけでもありません。信用できる人。話していい人はできるだけ慎重に選んで。ちょっとだけ人に話そうという気持ちだけで、気持ちはずっと軽くなります。例えば、旦那さん、例えば、親、兄弟。大事なのは、話すことと聞いてもらうことと共感してもらうこと。話すと問題と少し離れられます。聞いてもらうと問題は軽くなります。共感してもらうと心はずっと軽くなります。私も先日、長い間心に抱えていた辛い思いを主人に話してみました。主人は「僕には君の気持ちが、まったく同じように理解できるわけではないけれど。話を聞くことはできるから、これからも話して欲しい。」これは、共感に近い体験と言えるかもしれません。それと、同じように母にもしてみました。こちらは失敗でした。私には母を責める気は全くなかったのですが、話し始めたとたんに顔が硬直するのがわかりました。「責める気はないのよ、ただ聞いて欲しいの。」と話しておいたにも関わらずです。母にはこの役割は無理だったようです。いつも、どんな話しをしてもそうですから。どんな問題でも、話す相手というのは選んだほうがいいのでしょう。問題は隠そうとすると疲れてしまいます。まずは、心のままに。そう思います。
2007.01.11
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私は幼いころから、人はどうして生きるのか。死んだらどうなるのか。いつも考えていました。幼稚園に通うころでしたから、今考えるとちょっと怖い気がします。たぶん、家族のもめごとや父の粗暴な行動が幼い私の心に暗い影を落としていたのでしょう。死後の世界は未知で、興味深いものでした。憧れてさえいました。私は大人になり、死と生と向き合う出来事がありました。何度も何度も。そして、思ったこと。死を見つめるということは、生きること。死を感じて、生きるに触れること。どちらも尊いのだと。だから、今を生きようと思います。私を生きようと思います。そして、感謝します。私が私であるということに。こころの処方箋
2007.01.09
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「ママ、なじるってなに?」切ない事件がおきると流れるニュースをみて娘がいったこと。「えーと、立ち直れないぐらい厳しくしかられることかなあ、、。」すると娘。「よかった、私はねじられなくて、、、。」とため息をついていました。いいまつがいだ、、、、。
2007.01.03
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あけましておめでとうございます。半月ほどダウンしてました。過労による脱水症状だそうです。いっぱいお薬をいただいて、主人に「薬を食べてる」といわれてしまいました。いまは、少しずつよくなって。甘えることも、ちょっぴり上手になりました。甘えられるときに甘えないと人は大きくなるのに時間がかかるそう。今年の目標。冬の寒さにも負けない暖かい心。でも、勝とうとしないこと。どんなに小さくてもささやかでも、今の幸せを感じられるように。お金がなくても美味しいものを食べる。(食への興味が薄いので)頑張りすぎない。欲張らないこと。すでに、欲張りすぎですね、、、。今年は果物がラッキーだとか。果物のポストカードもいいらしいです。ですので、カレンダーを購入しました。今年みなさんにやさしい幸せがやってきますように。今年も頑張ります。どうぞよろしく。
2007.01.03
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子供は親に「将来英語が役に立つから」といわれても、なかなかやる気が起きないそうです。なぜなら、子供は今もっている力で今を生きることしかできないから。だそうです。今も、家族の間でいろんなことに行き詰るとこの話が出てきます。人は、今もっている力で今を生きるしかできません。どんなにたくさんのお金をもっていたとしても、将来そのお金がただの紙くずになってしまうかもしれないのです。ならば、そのときもっている力でそのときを生きる力をもっているかどうかのほうが大切ではないのでしょうか。子供も大人も今もっている力で今を生きることしかできないのです。
2006.12.09
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疲れたり、考えに行き詰ったりするとついため息がでませんか。ため息をつくなら、おすすめの時間があります。夕暮れ時です。落ち葉のにおい、ひんやりとした空気、日が落ちかけた頃。大きくため息をついてみてください。せっかくつくなら、思いっきり。すると体に入ってくるのは、冷たい新鮮な空気です。秋には秋の、冬には冬、春には春、夏には夏のため息の時間があります。もう、ずいぶん寒くなりましたね。マフラーと帽子、部屋は温めて、ポットにコーヒーのお湯を沸かして、夕暮れ時の散歩に出てはいかがでしょうか。
2006.12.08
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いじめの心理に対抗するものはなんだと思いますか。それは自尊心です。私も子供の頃いじめにあいました。毎日が沈んだ気持ちで一杯で希望とか未来などという言葉は私には関係のない日々でした。そういった経験から私はたくさんの心理学の本を読むようになりました。そこから学んだこと。自尊心。読んで字のごとく。自らを尊く思う心。自尊心をもつことで、いじめの心理を寄せ付けないことができます。そして、いじめにあっても自分を守ることができます。いじめの心理にもじつは自尊心が欠けていたり、不安定だったりします。そしておなじような心理を攻撃したくなります。自分の不安定な部分が刺激されるのです。まずは自尊心を知ること。知ることは、自分のものにするということです。
2006.12.01
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頑張って家事をする。一生懸命仕事をする。楽しそうに笑う。悲しそうに泣く。辛くなったら、シンプルにしましょう。家事をする。仕事をする。笑う。泣く。そんな何気ないことが、心を軽くしてくれます。そうやっているうちに、自然とできてきますよ。きっと、うまくいくよ“ごきげん”な自分になれる本
2006.11.26
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気持ちが落ち込んだりして、心が深く沈んだとき。ふっと何かの拍子に、急浮上してくるときがあります。でも、そんな時は要注意。ぐっと気圧がかかった心は急浮上すると後できつくなります。そんな時はゆっくりと。無理しない。頑張りすぎない。そんなことを心がけてみてください。
2006.11.23
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自分の価値観はどこから来ていると思いますか。知らず知らずに、誰かの価値観を自分のものと思い込んでいませんか。私の場合は親。父は劣等感の塊のような人。母はスーパーウーマン。私の価値観はここからスタートしてしまいます。父の「友達はいないと駄目だな。」友達はいればいいですか。誰でもいいですか。そんなことはないと思います。「今の若いやつはだめだな。」自分もそういわれた時代はありませんか。母は何でもできる人。どんなに疲れていても、ご飯も作るし、食べる喜びも忘れません。疲れ知らずです。子供のような父を支えて、よく働きました。私は母を越えられないと思いました。ですが、それは違います。母は子供を丁寧に育てる事や、誰かの価値観を取り入れて物事を柔軟に考えることが苦手でした。そちらの方はどうも私のほうが得意そうです。どう考えてもすべての価値観をたどっていくと、父と母にたどりついてしまうのです。ですから、価値観をすべて一度リセットしてみました。そのうえで、自分でいいと思う事なじんで心地いいものはチョイスしてとりいれることにしました。困った考えにとりつかれてしまうとき「この考え方はなじまない、一度全てゼロにリセットする。」ようにしました。価値観は自分のものです。自分から生まれ、育てていくのです。そう思うととても素敵だと思いませんか。
2006.11.22
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人は問題にぶつかった時、いろんな解決の方法を探します。ですが、問題も似ているようでそれぞれ違います。そしてそれを持っている人も。右足の親指の指紋がそれぞれ違うように、問題の複雑さも深さも違います。大事なのは、解決する過程です。ですから比べられません。結果がよくなかったように思えても。そのとき、考えに考え最善と思う方法を選んだわけですから。それでいいのです。
2006.11.21
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がんばりすぎる人ほど、「もっと、頑張ろう。頑張らねば。」と思います。もう、充分頑張っているのに気がつかないで。自分のがんばりを認められる人は、「自分は充分がんばっている。」と思えます。自分がどのくらい頑張っているかは、人とは比べられません。「頑張りが足りない。」と思ったときは、充分頑張っているのです。
2006.11.16
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幸せは、大きいものを最初から望んでいるとすぐには手にはいらないものです。昨日、富士山が綺麗だった事。鴨が川で泳いでいるのを見つけたこと。心に残るやさしい言葉をかけてもらったこと。そうやって、小さな幸せを貯金していると。ちょっぴり大きな幸せもやってきます。数年前ある本との出会いが、私の人生観を大きく変えました。その本を書いた方からメールを頂いたのです。やさしい言葉に、うれしくなって「ちょっとだけ頑張ろう」と思うことができました。ここのところ不調だった私には、なによりの励ましでした。小さな幸せの貯金をしましょう。どんな小さなこともちょっとずつ集めていけば、必ず大きな幸せもやってきますよ。
2006.11.16
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今年小学五年生の息子は、数年前から不登校を繰り返し数ヶ月前、軽度発達障害と診断されました。幼い頃から、通園施設へ通ったり、病院へ行ったり、他の子供は違うと感じたり、お友達とうまくいかなかったり。子供なりに苦労があったと思います。親である私達も辛い思いをしました。いろいろな、相談機関をぐるぐるとまわるうちにふと思ったのです。「今まで、息子も私も頑張ったきた。もう、いいのではないか。」子供も親も、今もっている力で今日を精一杯生きています。よそから見たら「だらしない、もっと頑張れ」と言われてしまうかも。それでも、頑張ったのにはかわりないのです。頑張りは、人とは比べられないのです。私は「頑張った自分」を認めることにしました。そして、今の幸せを受入れることにしました。ゆっくりと病気を治療する環境に感謝し、ホームスクールでいられることを願うようになりました。子供に教えてもらったこと。それは、「今もっている力で誰もが一生懸命生きている。そして、未来はそのときもっている力でしか生きられない。」ということ。
2006.11.05
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ホームスクールをご存知ですか。新聞やマスコミに取り上げられることも多くなりました。欧米では当たり前になっているこの制度、日本ではまだまだ知られていないようです。直訳すると「家が学校」だそうです。もしくは、ホームエディケーションとも言いますし、我家では、「在宅学習」と説明することもあります。下の娘が学校に通うようになった今でも、我家はホームスクールです。家族が全ての土台であることは、かわらないのです。いじめが問題になっている今。もう一度、原点に帰ってみるのも大事かもしれません。学校は、行かなくてはならないところではありません行ってもいいところです。
2006.11.05
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もっともっと、頑張らなくてはと思いますか。「こんな自分ではだめ」とか思ったりしますか。私もよく思います。でもね、実はそう思うあなたはすでに頑張っているのです。周りがなんと言おうとも、そんな自分を認めてあげましょう。「よく頑張っているね。」認めてあげなかったり、もっともっとと思ってばかりだと頑張りはきかなくなります。甘えがないと行き詰まってしまいます。人生は心配しないほうがうまくいく心配しないほうがうまくいく
2006.11.05
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大事なことは今を生きること。頑張る事ではありません。今を生きることという事は、今の自分を知ること。今のあなたはどんなですか?傷ついていませんか?傷ついていたら、慰めてあげましょう。とても、疲れていませんか?疲れていたら、ゆっくり休ませてあげましょう。知ることは、生きること。それだけでいいんです。
2006.11.02
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どうしていいかわからなくて、立ち止まってしまったら。もう、前に進むことも回り道をすることもできないほど、心が疲れてしまったら。無理に進むのはやめてしまいましょう。進まないものを無理に進もうとすると、すごく疲れます。進んでないように見えますが、じっと立ち止まって考えています。成長していないように見えて、考えるということが成長しています。大丈夫、たとえ困難に出会ったとしても、病気であったとしても、今自分を生きるということはでるのですよ。
2006.11.01
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苦手な人はいますか?職場の上司、近所の奥さん、旦那様のお母様。私は互いの価値観が理解できなかったり、「嫌だ」と言わせてくれないタイプの人はとくにダメ。そういう人は、薬だと思って水と一緒に飲み込んでしまいます。もちろん、イメージです。そして、胃で消化(怖いほうにイメージしないように)してしまいましょう。ほら、良薬口に苦しってありますでしょ。すると「嫌だ」「私には、わかりません」といえるようになります。苦手な人の勢いに負けてしまわないための、イメージトレーニングなんでしょう。簡単にはいきませんが、少しずつ。そのうち、「ご馳走様」っていえるようになるかもしれませんね。
2006.10.31
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過眠症もしくは多眠症とかいうそうですが。昏々と眠ってしまいます。と思うと、夜は不安で眠れません。一日の半分以上は眠っています。眠り姫と自分では言っていますが。そんな可愛らしいものではありません。眠りは、辛いことから逃れる手段の一つではないでしょうか。幼子が泣きたい時、母親の胸に飛び込むように。私にはそんな場所がありませんでした。辛い今までの人生を癒すために今眠っているのだと思っています。今日も、ぎゅっと毛布を握って丸くなって眠ります。おやすみなさい。自信をもてないあなたへ社会不安障害のすべてがわかる本認知行動療法の臨床ワークショップ
2006.10.21
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気がつくと日々のいろいろなことに追い立てられ、どうしていいのかわからなくなることはありませんか。物事にには真ん中に大きく分けると「したい」「したくない」のふたつがあります。もちろん「しなければならない」ということも、たくさんあります。とくに、主婦だったり、子育て中だったり、仕事をもっていたりすると、そういう事に出会うことはもっと多くなります。「したい」という気持ちに忠実なつもりでも気がつくと「しなければならない」という気持ちに支配されていることありませんか?そういう小さな「しなければならない」という気持ちを放っておくと、「しなければならない」という気落ちがどんどん集まって自分で処理できなくなります。どうすればいいのでしょう。台所の食器も、掃除もしばらく放っておくと「片付けたい」という気持ちが強くなります。それを繰り返すと、「したい」気持ちと「しなければならない」という気持ちが上手に区別できるようになります。この世に「しなければならない」ことはそんなに多くはないと思います。多すぎるときは「したい」気持ちと「しなければならない」気持ちが区別できなくなっているのかもしれません。
2006.10.21
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私はあまのじゃくです。ああいえばこう、すぐ屁理屈を言うタイプ。ごめんなさい。悪気はないんです。ものは考えようと心得えます。生き方は、前向きもありますし、後ろ向きもあります。時には、斜めだったり、坂道だったり。山道だったり、木漏れ日の散歩道だったり。それでいいのだと思います。その人らしければ。
2006.10.15
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幸せになりたいですか?。幸せは高級な料理を食べたからでもなく、たくさん洋服を持っているからやってくるものでもありません。日ごろのあなたをねぎらって作ってくれたカップラーメンだったり、お気に入りのよれよれになった部屋着だったりします。それを感じてみてください。じつは、幸せはあなたの足元にたくさん落ちています。“うつ”の夜明け
2006.10.15
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自転車に乗るときに力を入れるのはどこですか?足を踏ん張り、あとは程ほどにバランスをとるのが上手な乗り方だと言えます。私の場合全身に力が入って、顔まで硬くなることがあります。人生は自転車と同じ。全身に力を入れてこいでも、ちっとも早く走れません。ですから程々に、バランスをとるようにしましょう。そうしたら、あなたの自転車も軽やかに走る事でしょう。きっと。
2006.10.06
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困ったこと、嫌なことから逃げるということはよくある経験だと思います。私も、ある種の人達を避けていました。「毅然としていなくてはいけない。」「避けてはいけない。」と「避けたい。」という気持ちがつねに強く心の中にありました。すると避けたときにどうも後味の悪い思いをするようになりました。まずは、その気持ちをじっと見つめてみることにしました。まず、呼吸を静かにして心の動きに集中します。向き合ったり、闘おうとすると辛い気持ちはずっと強くなります。そして一つの考えにたどりつきました。それは、「どちらでも相手の態度はあまり変わらないのではないかもしれない。」ということでした。「毅然としなくてはいけない。」「毅然としていてもいい。」「毅然としたい。」「毅然としたくない。」「毅然としなかったら。」そうやって、いろんな言葉の間をいったりきたりしていると不思議と、一つの言葉に自分が深くこだわっているのに気がつきました。そうやって、私はいろんな言葉の束縛から解き放たれるのを感じるようになりました。人によっては、こんなことにこだわっている自分がいやと感じるかもしれません。いいのです。たくさん、こだわったら人は自然と自分の道を選べるようになってくるのですから。自分に、「こだわってもいいのよ。」と言ってあげてください。私も言ってあげたいと思います。
2006.10.06
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今を生きる。よく聞きますが、私にはとても難しい言葉です。今までを、ちゃんと生きていないのに、今をいきることはとても難しい。だから、だんだん問題をスリムにしていきます。まずは、二年、今年、今月、今週、今日、そして今。そうしたら、少し今日やることが見えてきます。そうしたら、今を味わいましょう。どんなことも、人生の中で同じ事が二度起きる事はないのですから。
2006.10.05
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人は、人でも物でもちゃんと愛せると愛はふえていきます。下の子供しか可愛くないという話を聞きますが、それはちゃんと愛していないから。下の子どもをちゃんと愛したら、上の子供も不思議と可愛く思えます。それは、愛ではなく間違った愛と言う錯覚です。ちゃんと、愛するというのは簡単ではないですね。そう、それを知ることがはじまりです。それから、じっと見つめてください。何をかというと、自分の心やまわりのこと。心をできるだけたいらにして、見つめ続けてください。そうしたら、必ずみつかります。時間はかかりますが、必ず見つかります。そうしたら、愛はふえていきます。
2006.10.03
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私はどんな道を通り生きてきたのか。過去へさかのぼってみることにしました。どうしても、前に進めないのなら。自分の歩んできた道を見つめてみることにしました。向き合わず、じっと見つめてみます。ただ、ただ。そうしているうちに、何か見つかるかもしれません。理屈ではなく、きまりごとでもなく、しなくてはいけないことでもなく。ただ、そうしてみよう。そう、思いました。人生にしなくてはならないことはないんですから。何一つ。
2006.09.27
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こころの中をじっと見つめてみてください。ずっとずっと奥底に、光るものがあります。それは、どんな形ですか。どんな色ですか。暖かいですか。冷たいですか。手触りはどうですか、においはしますか。じっと、あなたを見つめるようなその光りはあなたの命の光です。私の光は小さくかたくなに身を守るような、それでいて輝こうと頑張っているようでした。あなたの命の光はどうですか?もし、消えそうだったり弱々しかったらそっと抱きしめてあげてください。あなたの手のひらで暖めて、吹き荒れる風から守ってあげてください。そうすれば、もっともっと命は輝きます。哲学のモノサシ
2006.09.27
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「まきびし」がいえなくて、「まきしび」という息子。あれ??どっちだったっけ???
2006.09.26
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相手に変わってほしいと思っているとなかなか変わってくれません。自分が変わると、相手も態度も変わっていたりします。不思議です。どうしてでしょう。人には、オーラとか波動とかと呼ばれるパワーがあり、それが相手になんかしらの影響を与えるから。それとも、こちらの心の動きを察知して思う事があるから。よくわかりません。ですが。あなたが変わるということは、周りの皆に何か影響があるということ。つまり、あなたたはつまらないあなたでもなく、いなくてもいいあなたでもありません。誰もがそうなのです。そして、私もそうなのかもしれません。
2006.09.26
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