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パワーストーンのアクセサリーが、いつの間にか結構な数になりました。家を出る時はいつも、なんやかんやと身につけますが、不思議と、壊れたとか、いつの間にか落としていたとかって無いんです。でも、指輪を二度、失くしました。シリマナイトの指輪と、フェナカイトの指輪。失くすのにも意味があると言うけど、まさにそんな感じでした。ズボンのポケットから取り出したときでした。確かに注意深く掴んでいたのに、まさか、で落っことして、そのまま。一度は、取り出せないところへ入り込んで、一度は、跳ねながら姿を消して……そんな時って、ちょっとスローモーションになるんですね。指先から離れていくのが、しっかりと見えているんです。始めはゆっくりと、それから、時間を取り戻すかのように速度を上げて、遠ざかっていきました。一度だけ澄んだ音を辺りに響かせて、姿を消しました。二度とも仕事を辞めるときでした。辞める寸前に、仕事場で失くしたんです。私にとって、そこでの仕事は完了したもの。たくさんの思い入れもあってなお、後にするのですが……置いていた私物など全部、持って帰るというときに、落として出てこない指輪は、逆にその場に残すことになります。落ちていく瞬間、指輪はまるで(後は任せて)と言っている様でした。生き物みたいに意識を持って、自ら進んで、後を見守る役を買って出たかのように感じたんです。二度とも、失くした指輪の石は残していくその場所に、本当にぴったりのもので、頭で考えるよりも、ずっと意味深い似合い方でした。驚くほどの意味深さに、失くして惜しいなんて、とても思えません。お別れ。その指輪はどこかへ行くって、いつからか、もう知っていたような気がします。指輪と過ごしたたくさんの時間、その中で変わっていく自分。指輪はお別れすることで、私に「終了」の形をくれたんじゃないかって思います。しっかりと、大きな愛で、その場に落ちてとどまりながら、私を、次へ送り出す……(もう、ここは私に任せて、次へ行きなさい)そんな感じでした。仕事にある自分、指輪と交流する自分、全て100%味わい尽くすことで、その時の課題がくっきりと自分の中で結晶となります。その自分は、新しいようで、実は本来の自分に立ち戻っていく姿。日々少しずつ戻って行くのでしょうけど、大きく何かが剥がれ落ちたときには、現実にも大きく変化が現われます。どんな変化もただ真っすぐに受け止めることで、自然な流れなんだと受け入れ、また乗り出すことができるのでしょうね。指輪のことが無かったら、来ている流れから目をそらし、どこかでぐずぐずと考えを引きずっていたかも知れません。失くした指輪は、「終了」の形と、去ってなお残せる愛、そしていつも100%の自分であることを、行動で教えてくれました。指輪の姿は、もう記憶でしかありませんが、そのエネルギーは、一緒に過ごした時間と共に、私の中で結晶になっています。最後の最後までとても大きなものを、惜しみなく伝え続けてくれた指輪でした。
2009.09.29
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癒しスタジアム、終了しました。応援くださいました皆様方、お会いできた皆様方、本当に、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております。サラスバティスタッフとしての出展は、とても楽しく、そしてスリリング(笑)でした!これから、もっともっと新たな展開が押し寄せる気がします。自分を含め、皆様に。そんな流れを感じさせていただきました。楽しみでいっぱいな気持ちです。ありがとうございました。
2009.08.30
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雷を通した水晶です。一つ持っていましたが、ペンダントトップになっているものは、初めて見ました。特に、雷水晶のファンという訳でもありませんが、これには飛びついてしまいました。雷をアースしたわけです。天のエネルギーが結びついた、大地の結晶。天と地の両方のエッセンスを持つ水晶というよりは、また別のものになっている気がします。雷の跡、高温で溶けたのだそうですが、これが大きく付いています。よくまあ壊れなかったと感心。表面は白っぽい。溶けた部分は、再結晶されて結晶構造が違ったものになっているそうです。で、名前もクリストバライトに変わります。溶けた跡はわかりますが、じゃあクリストバライトはどこからどこまでか、というとよくわかりません。溶けたあとの大きさで、クリストバライトの量を測ることが出来るのか。そもそも、溶け跡の面積なんかで、量の差は出るものなのか……わかりません。でもこいつのおかげで、水晶とは別のもの、という感覚になるのではないかと思います。とにかく優しい感じです。大きな、というより巨大な? 優しさ。それもまた「強さ」なんでしょうけれど、強さというと、何かと比べているような気がしてしまいます。また、勝ち負けがあるみたいな気にもなります。そういうもの、この石に何の関係があるでしょう。天と地を結んだこの石にあるのは、巨大な優しさです。天と地の間に立つとき、同等の存在として、この巨大な優しさが迎え入れてくれる気がします。間に立つ「人」。その中にも、天と地と同じように無限の宇宙が入っていると、示しているように思うんです。天のパワー、地のパワー……力、力、力……追い求めるものが力であるなら、それを見るのでしょう。また浄化を求めるのなら、それを見るのだと思います。だけど、それに限ってしまわなくてもいいんです。また、与えられることを求めなくても、すでに持っているものだと教えている感じもしました。雷とか力とか浄化とか、イマジネーションや知識としては、興味深く面白いです。でも理屈としてくっ付けてしまうと、その瞬間に出来合いの認識に押し込められて、枠から出られなくなってしまう感じがします。石は自分を見せるものです。石にワクをはめてしまったら、自分にもワクをはめてしまっているんじゃないか?そんなことを思いました。この石の優しさは、「人」の認識のワクを溶かし、その向こうへと、誘っている気がします。
2009.08.21
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8月30日癒しスタジアム出展のブース看板です。ヒーリングストーンショップ サラスヴァティのスタッフとしての出展。サラスヴァティの看板を使わせてもらいました。大好きな絵です。開店以来、15年になるそうですが、ずっと出ていた看板だそうです。今では、多少すすけていますが、画像処理できれいにしました。開店当時はこんな感じだったのでしょう。サラスヴァティって、インドではヒンズー教の女神の名前です。日本でいうと弁財天。財、芸能の神です。絵の足型は、仏足。三鈴やエニアグラム。太陽、月、蓮の花。陸、海、空の生き物達。スケールの大きな……まるで、宇宙からみても通る看板だと思うんです。この絵を出展の看板にすることを思いついたと、エシャさんに話していると、その瞬間にも、表の通りでふと足を止め、じっと看板を見て、入ってくるお客様がいらっしゃいました。答え。こんな風に返ってくるのかと、驚きでした。看板としての絵は、まだ自分の中にしかなく、画像処理の方法も知らず、うまくできるものかどうか、疑問だらけなのに。行動に移そうとしたとたんに、ええやん、ええやんと、あちこちから声をかけられた感じがしました。その数と、反応の速さにも、驚きでした。いろいろな次元からのサインは、いつでも7つは来ていると聞いたことがあります。うるさいほどですね。そして、なるほど…… と思ったんです。サインは、自分にYesが出ているということなのでしょうが、Yesを出しているのは、守護する何かでもなく、別次元とか高次元の存在でもなく、自分自身。自分に自分がYesを出せているとき、外側からYesが返ってくるんですね。うるさいほど……だって、この絵が好きだったんです。使うチャンスが来たんです♪一緒に出展する月乃さんにも、とても気に入っていただきました。我ながら出来ばえに尻尾をふって、ワンワン言ってる気分です。
2009.08.20
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クオリアって、聞き慣れない言葉ですね。感覚の質感です。人それぞれが常に持っている、言葉には表現しづらい体感……それらは感情とも混ざり合って、自分だけの世界へ織り込まれていきます。自分だけの世界で、自分にしか分からない。どんなに親しく、理解をくれる人にも、説明したってはがゆいばかり。だけどそれが、それこそが、自分が感じているモノ。クオリアって、「感覚」そのもののことなんです。この感覚そのままを共振すると、言葉にするとありがちでしかない問題も、どんなふうに感じられていて、そのときの状態がどんなふうになることなのかがわかります。それから、問題にとらわれて見失いがちな、自分本来の「源」へのルートを探していきます。「源」は自分の中心。「いい感じ」であふれているところです。楽しさも愛も自由も。エネルギーは外側に求めなくても、源からいくらでも湧いて出てきます。その場所を体感していただけるよう、焦点を当てていきます。癒しスタジアムVol.142009年8月30日(日)10:30~18:00会場:天満橋OMMビル 2Fブース名 サラスヴァティー月乃のoshoトランスフォーメーションタロット と、クー・ヒナのクオリア・レゾナンス で、出展します。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
2009.08.04
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昨日、ナナ子さんのブース「ハワイアン リラックス」で、お手伝いさせていただきました。時間いっぱいまでの大盛況。80人以上の方がいらっしゃいました。痛いほどの日差しの中、順番が来るのをじっと待っていただいたりもしました。お会いできた皆様方、呼んでくださったナナ子さん、参加セラピストの皆様、ほんとうにありがとうございました。
2009.05.11
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ボディワークの修行にいそしむ日々で、久しぶりの更新になりました。5月からヒーリングを再開します。 クオリア・レゾナンス 感覚・共振 という意味です。今の状態をスキャンしながら、共振することでヒーリングをしていきます。今の状況の背後にある問題の核心に向かうことが容易になります。リアルタイムに、言葉をこえた感覚の共振で、理解と、更に統合へ向かうことをサポートします。 このヒーリングは、自分本来のピュアなエネルギーを取り戻す(思い出す)ためのものです。自分を混乱させるマインドの声から自由になり、ニュートラルな自分に繋がりたい方にお勧めです!このクオリアレゾナンス・ヒーリングは5月から毎週1回、月曜日のみ開催完全予約制です。場所は、ヒーリングストーンショップ サラスヴァティーhttp://healing-s.com/さんのところです。お申し込みは、お電話かメールinfo@healing-s.com でお願いします。
2009.04.27
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2003年に認定された新鉱物だそうです。化学式は、Cs(Be2Li)Al2Si6O18ベリルの仲間の感じで、ラズベリルと呼ばれていたんですが、CsセシウムとLiリチウムのおかげで、ベリルとは結晶構造が違う、ということで、新鉱物のカテゴリーとなったそうです。セシウムって、聞いたことはあるけど鉱物中には、思いつきません。モルガナイトには、微量に含まれていて、かつベリルなんですが、似ているとは思えない……似ているとしたら、ローディサイトだろうと思います。カリウム、セシウム、ベリリウムを含む珍しい組成だそうです。小さいのに、発散する波動はいっさいを突き抜けるものでした。ペツォッタイトで感じるものもそうです。閃光という言葉が似合います。キリッと、背骨に沿って長いネジが締めこまれるみたいです。寝ぼけた感じの日とか、エネルギーのややこしい日なんかには、ポケットにでも入れておけば、いい薬になってくれそうです。おりしも、満月まであと少し。11日です。高まるエネルギーに、感情も高まります。こういうときは注意が必要だと、つくづく感じます。冷静な視点をどこかに持つことを忘れないで、高まっている感情を、不用意にぶつけ合うことなく、より建設的な笑顔の方へ、向けたいですよね。そのためには、まず「なんとなく」から目を覚まして、自分の背骨にネジを締めておくこと……周囲に流された「思わず」とか「~させられて」というやつを、自発的な判断、「~する」に切り替えることは大切かと思います。自分自身の、気の持ちようなんですが、こういうのが、次から次へと連鎖を生んでいきますので、素敵な連鎖を始めるには、この満月なんてとてもいいポイントだと思います。この石は、目を覚まさせてくれます。きつく揺さぶって、たたき起こしてくれる感じです。流されるのではなく、本来の自分が欲しいところへ行くために……とてもいいサポートをしてくれると思います。
2009.01.10
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堂々たる姿。いくつもの先端を束ねながら、ひとつのまとまりになって。複雑な表面も、浮かぶ幾何学的模様も、透かし見る内部も全て、どれひとつとっても一筋縄にはいかないでしょう。ライブラリーと言われます。宇宙的な図書館。複雑な模様に、宇宙的規模の知識が刻み込まれている……そうかもしれません。そんな気にさせる力強さがあります。でもいくら見つめたって、その記号を解読する情報はありません。解読できる人には、解読できる?私は、誰にでもできる、やっていることじゃないかって思うんです。現在活用できるものは、現在の人の中に、すでにあるもの。これに惹かれて手にした人は、すでにアクセスしているのでしょう。この石を手にすると、スイッチが入ったかのように、大きくエネルギーがうねるのを感じます。表面的な部分から、深いところまで。頭から、足の裏まで。そのうねりに、情報はありません。だけど「今」に戻ります。今、現在、の一点に……考えることや思い出すことから、この一点の自分自身にバッサリと戻って来ます。そして、自分の内のエネルギーのうねりを、ただ見つめます。それは思考の末のガラクタを、自分のエネルギーの渦から取り分けて、上へ上へと押し上げているみたいに思えます。これはいらない、と言わんばかりに。ライブラリーの知識がどこにあるかって、水晶の模様の中じゃないと思うんですよ。自分の内に、すでにあるんだと思います。必要なときというか、真っすぐに焦点をあわせることができたとき、内側に浮かび上がったものを、手にするだけなんじゃないかと感じます。大切なのは「今」にあること。思い込みや、思い込まされている社会と他人……過去と、未来の幻想を捨てて。まずは、そんな状態を教えてくれるように感じます。あとは自分の内に全てあるのだから、手にする自分を調整するだけなんです。不安からじゃなく、自発的な本当の意志。テレビは不況のニュースでいっぱいですが、そんなときこそ、自分を見失いたくないですよね。災いも福と転じるチャンスに、変えていけるかと思います。
2008.12.20
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金運アップの石! の代名詞の感があります。商売の街、大阪では特に人気かもしれません。私は、特に金銭を扱うというのは疑問に思いますが。タイガーアイの金色と茶色。これはクラウンチャクラの金色の光を、ヘソ以下のチャクラとして茶色へ、つまりグラウンディングさせる働きだと聞き、感じてきました。とっても賢いんです。名前のタイガーから野生的なものを思っても、パワーは賢い。洗練された動き方かと思います。「もっとお金が欲しい」といった欲は、第二チャクラの下腹部あたりでしょう。それに対してクラウンチャクラって、個人的な領域の一番外れに当たります。すでに、あまり個人的な欲とは関連が薄くなっています。天の意志、ハイヤーセルフ的思想の方が近しいのですが、それを、第三チャクラの魂につなげて、それから第二チャクラ以下の、その人の創造や根付きに落とし込む……天から個人への、スムースな転換。そんなことが上手な石かと思います。独特な光沢の滑らかさ、美しさにも見とれますが、この石の安心感というものが、あるかと感じます。自分の深みへ浸りこむものとは、また違った安心感です。もっと軽く、明るい感じ。それは、天からの情報をやさしく簡単に、身近な自分のものとして感じられるからじゃないかと思います。金運アップ、ならそれはありがたいですが、お金もエネルギーです。たくさん欲しいと願いますが、それ相応の責任が伴う。無駄に多すぎるエネルギーは、幸せそうに見えません。そんな風にも思います。責任を背負っても果たしたい、素晴らしいことの方へ。本当に背負える責任って、本気で望むものだからこそ、ですよね。自分の望む、本当の使命へ向かって歩くことの方が、金運アップより先かも知れないと考えさせられます。体力をつける方法や、人との出会いかもしれません。天の意志なんて直線的には、わかったもんじゃありません。何が良かったかなんて、後から考えて思うものなのでしょう。身につけていれば、少しずつ、少しずつ、こっちだよと、動かしてくれるみたいです。いつの間にか、天の意志と共に歩く、というのも悪くないかと思います。
2008.12.05
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カウアイ島のビーチで散歩をしたときにありました。ヘイアウ跡。昔は王様しか入れない特別な目的の、特別な場所だったそうです。看板はありましたが、その他には岩が転がっているだけ。観光客の姿もなく、どこからどこまでがそれなのかもよくわかりません。聖なる土地に踏み込むルールも知らないまま、覗いてきました。転がっている岩は、乾いているからなのか、少し赤っぽくて、触れると、日の光を穏やかな温もりとしてたたえていました。その辺りの地面は、ただ雑草に覆われているだけなのですが、ビリビリと細かな振動を感じました。ロマンチックな錯覚だろうかとも考えましたが、どっちでもいいです。結構強く振動を感じたし、どう考え直しても、止まなかったのですから。夢中で、たくさん岩があるほうへ歩いて行きました。そこに、岩で囲った砂地と、真ん中にひときわ大きな岩が立ててあり、しめ縄のようなものまで、落ちていました。跡地の外れのほうでした。後できくと、それは最近になって誰かが作ったものということでした。誰なのか、何の目的があったのかもわからないそうです。ヘイアウとしては、二百年も前に終わっている。土地は何かを覚えているかも知れないが、もう終わったこと、なのだそうです。それでもビックリでした。有名なパワースポットなんて行ったことがないので、比較は出来ませんが、特別な土地だと思いました。慣れてしまえば、ビリビリも感じないのかもしれません。その辺りで生まれ育っていれば、あたりまえのことなのでしょう。しかし私にとっては、カウアイ島、初日に歩いた場所です。はからずも、テンプル式ロミロミを習いに行って、テンプル跡とも言える場所で、純粋に感じた体験。十分です。目に見えない力、それもとてつもなく大きいものって、あるんだなって、あらためて知らされました。ヒーリングのメッカって、エサレンだけじゃないんですね。ハワイの魔法。カウアイの底力をかいま見たようでした。
2008.11.25
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ハワイ、カウアイ島へ行ってきました。ハワイ産のパワーストーンは希少で、目にすることは滅多にないそうです。そういう石は見ませんでした。何もパワーストーンとして売り買いされていなくても、見かけた石は、カウアイの自然をそのまま記憶した、カウアイそのままの石でした。ビーチには、真っ黒い大きな石がごろごろしていました。溶岩質なのだと思います。大きな波の打ち寄せる中に、たくさんありました。触れてみると、濃密な環境や、忘れがたい熱を思いました。それを洗う波にも、奥底にある火山の、火の意思を持っているかのようで、それぞれの強さ、存在の大きさを感じさせられました。感じたものは、圧倒される、荒々しいほどむき出しの自然です。沸き起こるのは尊敬の念。そのためには、自分自身に胸を張ることが必要です。尊厳を持てないものが、何を尊敬することができるでしょう。まずは、今現在の自分です。「私はここに居る」それだけでいいんです。それだけが、尊厳の対象です。社会的にとか、他人と比べたどうのこうのなんて、むき出しの自然に対して、何の意味もありません。いざ魂ひとつで大きなものに向き合ってみれば、多くのものは、付け焼刃だと感じるでしょう。自分自身、それひとつです。それだけで、胸を張っていいんですね。ごろごろしている黒い石は、大きく力強いのだけれど、同じく大きく力強い存在として、対等に受け入れてくれる気がしました。そこから癒しの魔法って、始まるような気がします。やさしくなだめ、あやすだけじゃなく、強くきっぱりと問いかけられ、自信とお互いへの尊厳を持って答えることを、教えられたように思います。貴重な体験でした。
2008.11.22
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明日から、ハワイへ合宿に行ってきます。現地集合、現地解散!飛行機ひとつ、一人で乗るなんて過去一度きり、国内しかなかったことなので、恐怖です。大騒ぎしています。持っていくのは、餞別にいただいたガレーナと、黒檀とシリマナイト、ヒマラヤ水晶のブレス。このガレーナは陽気に、バランスをとる楽しさを感じさせてくれます。頼もしい、絶妙な笑顔のパートナーです。そして黒檀ブレスが、根源的パワーを強く持たせてくれます。黒檀は、仏壇の素材なんかによくあります。真っ黒で、少しツヤもあります。大変に力強く、植物素材もこうなるのかと驚きました。今まで植物素材って、鉱物よりも時間をかけて親和するとか、きめ細かい繊細さで、軽い感覚、という印象でしたが、これは違いました。インパクトからして強く、どこまでも黒、という感じで、親和する時間もへったくれもありません。見た瞬間に、これは! と感じるものでした。不安だろうが、考えごとが多かろうが、関係ありません。そんなところへ持っていってくれます。人には、どんな時にも力ってあるのでしょう。ちょっとしたことで、見失いがちではありますが。それでも、その人なりの地盤、肥沃な黒の大地、というものはどこかにあるんです。つながることを思い出すだけで、本当はいいのだと思います。グラウンディングさせる、というのとも少し違って、それさえ関係なく、単純に、ただ思い出すだけ。黒の力。その一つで、大きな推進をさせてくれるのだと感動しました。カットされたシリマナイトの輝きが、集中された黒の力を、うまく循環させてくれるようで、組み合わせの妙を楽しんでいます。そこは自画自賛ですが。植物もやるなあと、驚きでした。
2008.11.08
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サラスヴァティさんのブログ『石のエネルギーを感じて』で、パワーストーンの話を掲載中です。良かったらご覧ください。次回、来週上弦の月の日に掲載予定です。
2008.11.02
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他の石と共生することも多く、よく見かける石です。中でも、私はアイスランドスパーの形が好きです。透明なカルサイトを、へき開の通りに割ったもの。割れば、性質上この形になるというだけだそうですが、これがまた面白い。どこまで小さくしても平行四辺形だし、平行四辺形が密集して一つの形をとっているとも言えます。縦にも横にも奥にも、大きくも小さくも、無限に平行四辺形の世界があって、それぞれは一つにくっついているように見えるけど、完璧とも言えず、思いがけず虹がギラついたりします。のぞき込んでいると、飽きません。ビブラートを効かせた、高い音での複雑な和音が響いてくるようです。洗われるような心地。浄化。新たな局面へのシフト、なんだと思います。洗われることも、浄化も、新たなシフトも意味は同じ。つまり、古いものを捨て去ることなんですね。部屋を掃除して、窓を開けて、新しい風を通すことです。強迫的に浄化、浄化というのも逃避みたいですが、時々気が向いたときには、そうした機会を持つほうがいいようです。過去に生きることで、現在が幸せであれば文句ないんですが、なかなか、世界はそのように出来てはいないようです。この世に生まれてきたからには。掃除したと思っても、捨てられないものが多すぎると、片づいていません。執着していたい観念、それがなければ自分の価値が無くなってしまうんじゃないか、としている観念なんかもあるでしょう。くつがえすには、それ以上の幸せの確約が欲しいと思うかもしれませんが、何を並べたところで、その過去に生きることは出来ません。そんなときは、今に生きていることを思い出せば、いくらかは幻想に戻ります。今にエネルギーを取り戻せば、自信という可能性も芽吹きます。今の自分に尊厳を持たせてあげれば、取り戻せる力があります。この平行四辺形の無限の世界は、凝り固まっている境界をこえて、その中に遊ばせてくれるように思います。複雑な虹に同化して、自由に行き来することを教えてくれるようです。縦にも横にも奥にも、大きくも小さくも、無限に自由です。そのときは、新しい風はもうすでに入っているでしょう。歌うような虹に、洗われる時間。ぜひ持ってみてください。
2008.10.25
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サラスヴァティさんのブログ『石のエネルギーを感じて』で、パワーストーンの話を掲載中です。次回、下弦の月の日に予定です。ご覧ください。
2008.10.18
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痛みを取ってくれる石です。ねんざや炎症だと、シップなど貼り薬を使うのが一般的ですが、そこにこの石を当てておけば、よく効きます。シップと違って、かぶれません。胃のむかつきなんかだと、薬を飲むのもつらかったりしますが、腹部に乗せて横になっておくと、とても楽になります。感情的なこと、落ち込んだり、傷ついたと感じたりしたときにも、腹部に乗せて横になっておくと、癒してくれます。外からの傷でも内からの傷でも、痛みで辛かった、という気持ちごと癒してくれるので、本当に助かります。いつだって確実に働いてくれるし、すごいもんだと思います。すごい効果も不思議ではありますが、もっと不思議なのは、まじないか迷信にしか思われていないことです。実際に、そうやって使う人はめったにいないでしょう。化学式にならないとダメなのかもしれません。金運アップとか、恋愛運アップとか言うほうがまだ受け入れられています。不思議です。効くとか効かないとかじゃなく、いっそ『痛みのおまじない』と、かわいらしく言い切ってしまうのがいいのでしょうね。受け入れることに、積極的になれます。イメージの力やポジティブ思考なんていうのは、成功の方法として流行っているのだから、そんなところにでも、はめ込んで使えるのなら使えばいい。結果次第だと思います。痛みの構造には、複雑な仕組みがあります。怪我でも病気でも、体の機能がダウンしてもその方が結果的によいと、観念がしてしまえば、それらを引き起こすと言われます。全てに理由があるというやつです。この石は、洞察の石でもあります。痛みの背後にある観念に対して、同時に働いているんです。薬を飲んで、肉体の局所に働きかけても、大元の観念がそのままだと、同じことをくり返す可能性が大きいと考えます。せっかく苦しい思いをしているのに、それが何のためなのかわからない。薬に抵抗があるかどうかではなく、痛みに対して肉体的治療だけでは、片手落ちだと思うんです。マラカイトの姿勢そのままが、これからの医療の姿勢かと思います。古いおまじないではなく、これからの思想として必要なモデル。「石の力を信じてる」って人に言うのが恥ずかしければ、「おまじない」ってかわいらしく言っておけばいいでしょう。結果次第、何でもありが、幸せの道かと思います。
2008.10.11
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サラスヴァティさんのブログ『石のエネルギーを感じて』で、パワーストーンの話を掲載中です。良かったらご覧ください。次回、来週上弦の月の日に掲載予定です。
2008.10.04
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~続き~『――マナ(力)は、愛同様、持っていないと感じない限り、とりたててそれを求める必要はない』私にとってそれは、まだはっきりと形をとっていない疑問に、先に答えられたようなものだった。ニューエイジ世代が流行してからしばらく、力や能力は求めれば手に入る時代となったが、そこにあるスピリットはどうなのだろう?「力! 能力! 覚醒!」と求め、何がしかが得られれば、それが力なのか?その大きさ、あるいは最新であることを競い合うものなのか。本当に?そんな疑問があったのだ。なのに『――求める必要はない』と、あっさり序文で言ってのける。(!)そこに、答えを見つけた気がした。引っ張ってきた存在が伝えた確信は、完全に私の確信になった。それから本を閉じて、レジへ向かった。帰りの地下鉄のホームでも、車中でも、夢中で読み、家に着いても、この本にかじりついていた。昼食どころか、夕食までどうにかなりそうな勢いで。どうにもあこがれてしまう「シャーマン」。すでに過去のものとなって、歴史の記述の中に単語でしか見られないと思っていた。そうでもないらしいのだ。時代に合わせて、形を変えながらも、生きている。「シャーマン」という肩書きは少々ファンタジーになったけれど、何かは伝え続けているようだ。その後もこれをきっかけに、カフナにひとしきり夢中になり、他の本もあさり読み、セミナーを見つけては出かけることになった。今も、得られたカフナの知恵は、私の基本的な信条になっている。後に、エシャさんに考えてもらったクー・ヒナの名前も、私のカフナ癖が所以。ハワイには行ったこともないので、非現実的ではあるが、とても深い縁となった。人間いろんなルーツを持っているだろうし、時期によって出てくるものも変わっていくようで、現に私も、また別のルーツや縁に引かれていくこともあった。しかしそれはそれ。カフナ関係が出てくるときは、やはり強く惹きつけられる。無邪気に楽しいものだ。あの時、私にカフナの本があることを教えたのが、何ものかはわからないけど、この楽しさは、もっと広がるものだと思っている。
2008.09.30
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~続き~無造作に手を伸ばして、本棚の一冊に触れた。題名なんて見ていない。腹の底の感覚に聞いてみるだけだ。思考を消して……感覚だけを頼りに、耳を澄ます。――違う。これじゃない。隣の一冊。――違う。その隣、――違う。突然、わかった。右手だ。目線より少し下の棚。その一冊に触れると、確信があった。『ハワイアン・ヒーリング』サージ・カヒリ・キング。少しもピンと来ない題名の、まるで知らない人の本。どうしてもこれらしい……この本を手にするために、私は引っ張ってこられたらしい。まるで関係ないとしか思えないとしても、感覚はこれだと言うのだからとりあえず、ひとつの結果ではある。(ああ、そうかい)それしか言いようがなかった。出会った瞬間なんて、こんなものなのかも知れない。天のめぐり合わせ? 宿命の時?あんまりロマンチックなことは考えない方がいいようだ。少なくとも、突然空が曇り、雷が落ちるものではないらしい。(え~?! コレ? 私、フラダンスもロミロミも興味ないねんけど?)私をそこまで引っ張ってきた存在に向かって、思わず問いかけた。しかしそいつは、風か煙みたいにふわっと気配を消していくところで、私はその本を開いてみるしかなかった。(ちょっと読んでみるけど、買うとは限らへんもんね~)そんなことしか考えていなかった。だけど押し売りされたような気分は、読み始めてすぐに吹き飛んだ。内容は思っていたどちらでもなく、ハワイアンシャーマン「カフナ」の話だった。序文にあったハッとする一行。『――マナ(力)は、愛同様、持っていないと感じない限り、とりたててそれを求める必要はない』~続く~
2008.09.29
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出会いと言っても、人に会ったわけではない。ハワイにはまだ一度も行ったことがないし、興味もなかった。私にとっては、リゾート地の名前、正月に芸能人が行く所。それだけでしかない。それでも、カフナは私の前に現われた。否が応でも、是が非でも。強引、そのものだった。数年前、その日は仕事が昼までのシフトだったので、午後はにぎやかなショッピングセンターで用事を済ませていた。時計を見ると、もう2時過ぎ。(クッソ~、腹減ったやんけ~)昼食にありつきそびれていた私は、すぐにも頭の中で、近くの飲食店を検索しはじめた。歩いていて、ふと目を上げると本屋の前。(さて、何を食べようか)そんなことを考えているのに、私は本屋に入ろうとした。(? 今見たい本は、ないな……)と、確認。それでも本屋に入ろうとする。入りたいのだ。……。わかったよ。へい、へい、わかりました。呼ばれているのか、背中を押されているのかは見えないからわからないけれど、その場から逃げられないことだけはわかり、昼食をあきらめた。本屋へ入って真っすぐに行くのは、精神世界、スピリチュアルのコーナー。こういう現象は、どうせこの辺のものからだろう。ざっと見渡しても特に話題の本があるわけでもなく、もちろん光り輝く人が待っているわけでもない。ヘミシンク? 心理学? レイキ?当時、興味のあった関係の本を何冊か見てみたが、別に、どうということはない。――これじゃないらしい。オーラソーマ? 瞑想? もう少し広く物色してみても同じだった。(腹減った、ちゅうねん)それでも、本屋から出ることはイヤなのだ。なかばヤケになって、目を閉じて深呼吸。腹の底の感覚に耳を澄ます。呼んでいるのは、どっちだ?――目を開けて、……一歩、左。――もう少し、左。無造作に手を伸ばして、本棚の一冊に触れた。~続く~
2008.09.28
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ブルースギライトとも言われるこの石は、和名がリヒター閃石。スギライトの、黒みたいな紫からピンクまで様々な色に、青っぽい色が入っているときがあります。この青が、リクトライトなんだそうです。パワーストーン百科全書によると、『自分らしさを主張し、且つ、周りの人に理解してもらえるよう働きかける力がある。純粋、恒久的な力に満たされ、理想とする環境に身を置けるよう導くと言われる。自信に満ちた行動がとれる』、そうです。手にしたときの体の反応は、とてもにぎやかでした。首筋、肩甲骨の上端、後頭部に痛み。左側に集中しているかと思うと、呼吸困難の気配がして……次には右の、手のひらだけ汗ばんだり。現在あるブロックを、認識させられたようです。そしてこれらのブロック箇所を、通れるよう改善しようとしているのでしょう。それはこの石が、肉体と共にあるということ。作用は、霊的なところへだけ向かうものではなく、精神に働くというものでもなく、肉体から丸ごと移行させようとするもの、なんだと思います。切り離して考えることはできないんです。統一、調和していく自己の感覚に安心します。自分の中のいろんな側面。常識的な一面、人が思い込んでいるだろう一面と、自分が思い込んでいる一面、自分でもビックリするような本心。そこには人間関係とか、社会とのかかわりなんかも含まれるのでしょう。次元を超えたパズルみたい。このパズルに、枠はありません。はめていくピースも、手作りなんでしょう。いくらでも作っていくことが出来ます。希望する方へ、いくらでも継ぎ足していけばいい。この石は、そんな気持ちにさせてくれるようです。しっかりと寄り添って、強く導いている感じがあります。とても大きな影響がありそう。珍しいそうなので、手に入れられた幸運にも感謝です。これからこの石と過ごす時間を、楽しみにしています。
2008.09.27
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サラスヴァティさんのブログ『石のエネルギーを感じて』で、パワーストーンの話を掲載中です。良かったらご覧ください。次回、日曜に掲載予定です。
2008.09.20
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濃いオレンジ色で、みかんを思う形状です。表面はボコボコ。上から下へと縦に通る線も入っていますが、この数によって支配する神が違うそうです。これは、だいたい五つなので、シヴァ神の守護。ルドラクシャの「ルドラ」がシヴァ神を指し、ヒンドゥー教徒にとって神聖なものだそうです。シヴァ神は破壊と再生の神。神秘性がまた魅力的です。ヒンドゥー教徒じゃなくても、かきたてられる憧れみたいなものは、魂的ルーツかも知れません。ビーズとして購入したのですがその説明によると、他人には触れないようにして、出来るだけずっと身に着けるようにして、40日経ってから強くパワーが発揮される、のだそうです。やってみました。確かに、40日を過ぎてから、新たに統一感が出てきました。より正確に機能し始める段階があったように思います。ルドラクシャの説明でなくても、植物という有機体は、鉱物に比べて発動がゆるやかなところがあると感じていたので、それらしいと思いました。それにしても、ルドラクシャの40日はなかなかのものです。すっかり馴染み、常に整えてくれている感じがします。ヘソ辺りと頭の上までをつないで軸を作り、そこに絹みたいなしなやかな衣を着せるみたい。霊妙な衣です。『霊的な自己』ってあると感じます。現実社会へ対応している自己とは、微妙に異なる存在のもの。ちょっと視点が違う、時間軸も違う、次元が異なる自己です。そちらの衣なんだと思いました。これは宣言のようなものを含んでいるようです。『霊的な自己』が中心であるということ。優先順位をこちらに保って、バランスをとって行くということです。忙しくしていると忘れてしまいそうになりますが、難しいことではありません。鉱物のような、内面への働きかけがどうこうというものはないのですが、一緒に身につける石の働きを、幅広くする感じもしました。時間と次元を超えたアイテムかと思います。
2008.09.13
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サラスヴァティさんのブログ『石のエネルギーを感じて』で、パワーストーンの話を掲載中です。良かったらご覧ください。
2008.09.07
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ヘマタイトの使い方は、グラウンディング、お守り、反射盾、血液に関するサポートと、様々です。どれも欲しいときはありますね。多いに活用できると思います。スペキュラーヘマタイトは、ヘマタイトの形状のひとつです。雲母状の薄い層になっているらしいです。よく見るのは、剥がれやすいからコーティングしてあるというもの。見た目がキラキラになっています。同じヘマタイトの成分であるようですが、その目的と動き方が、違う気がします。たまに不思議な呼びかけをしてくれます。そのタイミングは未だによくわからないのですが……出来事に対する理解とか知恵などを、いつもとは違うどこかに置こうとするときがあるような気がするんです。引っ張り出してきているのかも知れません。この理解は、意識に上らない何か、である気がします。これが使われるときは、それなりに現実に合わせた形をとるのでしょうが、元型は、いつもと違う場所に、不思議な形で置いてあると思うんです。見えないものなので、想像するだけなんですが。そんな気がしてなりません。そして、そういうときはヘマタイトよりもスペキュラーヘマタイト。キラキラした光が、ちらほらとその置き場所を照らすみたいです。ヘマタイトが日常向けとしてわかり易いとすると、スペキュラーの方は非日常向けとして、わかり易いかと思います。どちらにしてもきっかけは、日常の中です。特別な何かを待つ必要はありません。現在、生きているだけですでに特別だと思います。いつだって何かを発し、その答えを受け取りながら生きているのですから。この石がふと気になったときは、じっと一緒に過ごしてみます。意識の一部は静かになり、また他の一部はスルリと抜け出していく感じがします。抜け出した先で、何をしているのかまで認識できていませんが、大きな役割を持っていそうです。流行のアセンションを意識した石もいいですが、だったらなおさら、この石を忘れないでいたいと思います。
2008.08.30
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アメリカ、アリゾナ州の、バリンジャー・クレーターを作ったとされる、ディアブロ峡谷で発見された鉄質隕石です。大物です。大宇宙からの神秘のメッセージ!人智を超えた巨大なパワー!私は隕石の強さが大好きなので、その強烈さは、ものすごいものだろうと期待していました。頭痛とか、めまいとかするんじゃないかって、そんな覚悟もしていたんですが、手にしてみると、全く意外でした。その石は、呆けているみたいでした。薄ぼんやりと、まどろんでいます。――それはそれで、驚愕です!これが、かのキャニオンディアブロなのか!!宇宙からのパワーも、寝るの?!そらからはスマッジしたり、クラスターの上に置いたり、小突いたり、揺すったり。それでも、一向に起きる気配はありません。サラスヴァティへ持っていってみてもらいましたが、やはり、でした。スサさんは『眠たくなるね~』という方向での同調をされますし、エシャさんも、『私の知ってるキャニオンディアブロは、こんなんじゃなかったかな……』って。ええっ~?! ってまた、ひとしきり小突いたり、揺すったりして、あきらめました。そんなもんで、起きたりするものでもなさそうです。寝ぼけていても、スケールの大きさは感じさせています。キャニオンディアブロ、宇宙のパワー、なのでしょう。その中でも、自分が手にした石がそんな状態だというのなら、それはそういうこと。寝ぼけていたって、魅力的な石です。この寝ぼけている状態って、単なる愚鈍ではありません。その方がわかることってたくさんあります。深いところで、じっくりと精錬の作業をしているんだと思います。これを感じてみることこそ、とても楽しい冒険じゃないでしょうか。何だか、いつも急がされているような風潮ですが、だからって、そこに全てを明け渡してしまっては、個性のきらめきがもったいないです。今や、慢性的な強迫観念に化けてしまったところも大きいかと思うんです。急がないといけないこともあるでしょうが、その全てが正しいとも限りません。焦りや怖れに支配されていない自分の判断を、どこかに持ちたいものですね。石は、焦りません。自分ではないものになろうともしません。そういうのをダイレクトに教えてくれます。石が寝ぼけているのなら、いっしょに寝ぼける遊びをしよう。そう思いました。
2008.08.23
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ビーズとしての出会いでしたが、ビーズに限らずアメリカのほうでは人気の石らしいんですよ。『水晶とメノウ(アゲート)の混合石』とありますが、どちらも同じSiO2。感覚としては異なってきますので、その辺の話かと思います。白をベースに赤や緑が入って、メノウらしい球のふくらみを作っていく様が、一粒一粒に見られて、見た目にも個性的な石です。自然そのものを切り取った感じがあります。胴体、そして腹部の統合センターが浮き彫りになります。それは自分自身の存在、なのでしょうね。とても力強いです。様々なエネルギーが渦巻いているのを、実感します。迫力です。そして渦巻く模様の多様さは、圧巻。自分の中のエネルギーは、強大だと示してくれるんです。また、広いものでもあります。その辺が認識出来たとき、自分のあり様に余裕が出来ます。例えば、人への都合の付け方。自分自身へも同じです。都合を付けるというと聞こえが悪いのですが、映画や小説にあるようなサクセスストーリーのヒーロー像とは、違います。社会的にどう見られているかという都合にかまけることなく、本来の自分自身の幸せを探求しているかという感じかと思います。他人からどう見られようと、自分自身を認識できるかという感じ。どんなものも、笑って蹴飛ばせるくらいの認識。自分自身のあり様の認識です。そこに、いつもより大きなOKが出せるかと思います。そうしたら何が怖かったのか、見てください。依然として怖いものではありますが、見ることが出来たとき、怖かったものの、やみくもな支配力は失われています。本来の自分の行動力が、回復されているんです。「成功した人」とか「いい人」なんかでいなければならないことなんてありません。もっと自然な、普通に思う、人のあり様って信頼できるものです。ましてや、自分がやりたかったことって、そんなのよりもっと魅力的でしょう。石を持って、共に過ごしてみてください。無意識の方へはずっと働きかけてありますので、変化、成長はどこかに必ずあるものです。頼もしい、美しいアシスタントであります。
2008.08.16
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とても細かな粒子の流れを感じます。霧みたいに、背骨にそって流れていくようです。特殊な役割なのだろうと思います。霧の流れは、この石にしか通れない流れであるようです。どのチャクラと言わず、感情も、思考も、わけへだてなく包み込んで、一つの流れにまとめ上げていきます。ちょっと変わった神秘的な感じ。そして、さわやかですっきりした気分です。ターコイズの、禅で言う『空』を現している感覚と、似ている気がしますが。人間って、感情だけでも、思考だけでも、ただ一つにまとめるのは至難の技。あっちこっちに思いを残しながら、惰性の勢いを借りて進みます。ついそうしていると、自分が誰だか忘れてしまいそう。分散した自分、自分の中の隔たり。どの自分にも、本当らしい言い分があるでしょう。もっともです。だからといって、隅々まで全て本当ではありません。一つひとつに、少しずつ別のものが入っています。思い込みや、怖れを隠すための仮面など。越えられないと思うのは、固着した、自分の思いなんじゃないかなと考えさせられます。この石の流れでつながって行けば、意識のどこかで連携をし始める気がします。さわやかな霧の流れに、広大な無意識の中、どんな自分も手をたずさえて、日常的ではない意識も同じように含めて、本当に心地よい姿へ。自己をまとめあげて行こうと願い、動き始めるようです。さわやかな心地よさに遊んでいればいつの間にか、別の背骨が、新たに成長していく気がします。内面的な、霊的な背骨です。そこにあれば、自分自身へも新たに気付いて行くだろうと思いました。
2008.08.09
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圧力で、加熱で、プラス極とマイナス極を持ち、微かな電気を流すので、電気石です。人間の細胞も電気で動くので、持つと、すごい働きになります。ヒーリングでは、通すことや、根付かせること、エネルギーを強調して集中したいところなんかに使いますが、普段、持ち歩くにもいいですね。作用が速い。単純明快。肉体にも、精神・感情にも、ストレートに響いてきます。不断の実力派で、「使えるヤツ」です。職場なり何なり、いい顔で居なければならない所でも、イヤな時期はあるし、そんなネタは事欠きません。それをとって、自分を見せられているとか、心理学的にはシャドウだとか言いますが、イヤなものはイヤ。逃れたいばかりです。そんな自分のイヤは、相乗効果を起こして、雪だるまを転がします。ブラックトルマリンは、ふと気分をそらしてくれます。イヤでよじれた気持ちを、軽く持ち上げて、本来落ち着くところにストンと降ろしてくれます。状況を変えるわけではありませんが、それでも延々と続くしかないと感じるイヤに、隙を作ってくれます。これもまたグラウンディング。本来の自分を、根付かせるということなんでしょう。平和で落ち着いた気分になれますが、それが本来、自分を持っている場所なんだと思います。その場所を、まず踏みしめてみてください。執着する必要はありません。そこから動いていくのですから。そうしたら、大丈夫へ持っていけるのだと、教えていると思うんですよ。イヤなときにも、肉体的に後押しがほしいときにも、手っ取り早く、確実に効果を出してくれます。まずは第一選択、かも知れません。
2008.08.02
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グラスファイバーを束ねたみたいです。――何となく、うれしい感じ。――今日は良い気分かな。そんなノリの石だと感じます。そういうの、日常の中にもぽつりぽつりとだったら、ありますね。朝、カーテンを開けたとき。ふいに、ゆとりある時間が持てたとき。おいしいお茶がいれられたとき。小さな幸せ、と言われそうだけど実は、大きなものだと思います。幸せ感を呼び込む下地になりますよね。幸せ感は、脳波で言っても代謝で言っても、大した影響があるものです。スピリチュアル的に言えば、それはもう山ほど……遠慮なく呼び込んで行きたいものです。幸せ感に、理由なんていりません。その先を心配することも。感じたから、感じてみる……それが答えじゃないかと思います。そこから始まるのですから。十分に感じ取って味わえたら、先に出会うものもまた変わってくるでしょう。この石は、そんな素直な幸せ感によく同調して、そこに遊ばせてくれるようです。増幅して、広げてくれます。次へ次へと転がるように。この石と一緒に楽しむと、効果倍増だと思います。
2008.07.26
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夏バテが本格的な季節になりました。押さえつけるような、真っ白な日差し。ビルの排気、焼け付くアスファルト……逃げ込んだ日陰にも熱風は吹き付け、密度を増した大気は、呼吸するのもおっくうです。夕立や雷、早朝のすがすがしさも、都会からは遠くなりました。そんな時節に、私はよくペリドットにすがりつきます。すがりつくにも、この石はだいたいが小さいものですが、それでも夏バテには、いい感じです。肉体的な作用がすばやいようで、身につけた瞬間に、ちょっとした、さわやかな風が吹くのを感じます。それから、私は眠くなります。消耗して疲れ果てた眠りではなく、リラックスからくる眠り。とても自然な感じで眠れるんじゃないかと思います。どうしようもない、仕方ないって、あると思います。意外にたくさん。考えをめぐらせてみても、同じところを回るのならそうなのでしょう。仕方ないって、何も悪いことではありません。悪いことのように思い詰めてしまうと、そこから抜け出せなくなります。ならば他のことを考えればいい。つまらないことでいいから、出来ることを探すまで。肉体的な状況へ、考えの目先を変えてみるのはヒントだと思います。エネルギー的な状況です。考えなんて、あとから付いて来るもの。体で理解するって、ものすごい速さがあるようです。ペリドットはそうした転換を、思い付かせてくれるところがあります。さわやかに、活動的に……明るい黄緑が楽しげに推す提案が、どうも、あるように思えます。
2008.07.19
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名前の由来は、ギリシャ語の『月』だそうです。月のパワーも流体みたいな感じを受けますが、この石もそんなところが大いにあって、ぴったりな名前だと感心します。水に溶けてしまう性質も、似合いなことでしょう。変わった石というより、石の形をした何か別のもの、という気がします。白くきめ細かい粒子が、どこか上の方から来て、流れを作っては、洗っていくような感覚を受けます。洗われながら、自分自身の核の部分だけが浮き上がり、余計なものを遠くあとにするようです。心地よい、透き通った気持ちにさせてくれます。自分はどこにあるか。そういうことなんだと感じました。振り回されているからとか、迷っているからとかじゃなくて、自信がないとか、意志を強く持てないとか、そういうのはまた別の話として……周囲の状況を判断する以前の、自分自身です。自分の感情を理解することは大切です。でも大切にすることと、飲み込まれるのとは大違い。それでもつい我を忘れがちなのが、正直なところですね。この石は『高次の』ともよく言われますが、つまり、日常的なしがらみや感情などとは、距離を置いたもの。非個人的なんです。非個人的な領域を通しての、『自分はどこにあるか』を感じることが出来るようです。貴重な感覚だと思います。セレナイトを、ただ感じる。遊ぶ。それだけです。それだけなんですが、そこには月光の中に一人立つような心地よいすっきり感や、他にも、もたらされるものは、きっとたくさんあると思いますよ。
2008.07.12
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赤い結晶がきれいで、見とれます。真っ黒に入り混じる灰色の島が、赤を際立たせます。パワーストーン百科全書には、『勇士の血』の話が載っていますが、どうしても私の印象は、赤と言うよりもマゼンタ。血というよりも、流れること自体。『マゼンタの流れ』なんです。サラサラと、滞りなく続く流れを感じます。これは、物質的とも肉体的エネルギー的とも違う感じがします。マゼンタって、ハイヤーセルフの色とも言われるようですが、現実的なごちゃごちゃした所から、少し離れた意識を思うんです。少し離れて、長い目で、全体的に眺めている意識。そんなものが、いつも流れているのだと思わされます。魂の呼び声です。世間的に言われる事柄に、自分を押し込めるのではなく、独自の理解から判断して、独自の動きをすること。世間的なことを学ぶ時期も必要でしょう。だからって、ずっと学び続ける、従い続けるしかないんだったら、病気になりそうです。どうにかして、自分を活かそう、表現していこうと一生懸命になりますよね。魂の呼び声なんです。長い目で全てを加味した意識が、顕在意識のすぐ近くに流れているのだと思うんです。人は何となく、これを感じて汲みとっていると思います。汲みとって、これを純粋なものにするために、精錬していくいろいろな作業をしていくのでしょう。この石は『マゼンタの流れ』は、いつもしっかりと流れていると、教えてくれます。かなり信頼していいのだと思います。こうしたものを、自分はちゃんと聞いていると……どこかで知っていると……汲みとり方を間違ったなら、現実の反応がそう示すでしょう。だったら、やり直すまで。もし汲みとれないと思うなら、その代わりに守れると思うものは何なのでしょう。そんな風に考えてみてもいいかも知れませんね。流れに乗れなんて、石は強制したりしません。安全なものです。ですが感じたければ、いつでも『マゼンタの流れ』を感じさせてくれます。進むときにもやり直すときにも、欲しい人にとっては、この意識は大きな助けになるかと思いますよ。
2008.07.05
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チベットの宗教的紋様を焼き付けた玉髄、ではあるんですが、石というには、あまりにも異質です。お守りとしての雰囲気、というのもあるのでしょうが、それよりも密教道具というほうが合っている気がします。伝説では、神が天から投げ捨てたものといわれたり、霊力をもつ虫、とされていたり……そもそも作るものではなく、土の中から掘り出すものなんだそうです。これだけでもうじゅうぶん神秘的ですが、身につけるともっと神秘的。生き物みたいに思えるんです。天珠の図柄、これ自体が、ある種の生命を吹き込むようになっているんでしょうね。意味を調べても、何だか願いごとの分類みたいな気がしてきますが、図柄は、神話的シンボルとして、時代や民族をこえた、ヒトに共通したものなんでしょう。不思議なほど、そこからどこか、又は何ものか、に通じることが、ストレートで強力に思えます。人が、意識して手を加えた結果、その通りの意味を持つというのは、他にもあります。でも天珠の場合は、それとは違います。この図柄をシンボルとした存在が、ある、と感じます。天珠には存在が、ある、なんてファンタジーに聞こえますね。深層心理から学問的に追求することも出来ると思いますが、見えないものなのは同じです。確かなことは、「人は願う」ということじゃないでしょうか。そして、かなえてくれる相手に願います。結果、かなえることになった現実のものは、何だっていいですね。願い、追い、到達を望む。それをくり返します。願いがないとき、無力感や脱力感が大きく、迷っているとして、苦しいと感じるくらいです。魂、あるいは無意識というものは、常に拡大と成長を望むので、願いをもつ方が自然です。その相手として天珠に惹かれる、図柄にインスピレーションを持つという場合、それをシンボルとするものと共にある、という幅広く大きなものを含めた『宣言』かも知れないと思うんです。願いごとに、人は執着してしまいがちですが、このシンボルの方に焦点を当ててみれば、何かが見えてきそうに思いました。何かって、願いごとを含めた客観的な自分像から、この自分像と世界とのつながり様などです。天珠の魅力は尽きません。願いごとの、かない具合を思うのもいいですが、生き物のように感じてみること、それが変化していくさま。そんなのを感じてみるのも面白いかと思います。
2008.06.28
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和名は金雲母。雲母族らしい作用の仕方です。雲母って、薄い層が重なっています。心も同じ。無数の層があります。その一つ一つへ、作用を届けてくれる……結果、何があってもまるごと包んでくれるような感じになります。我を忘れて、やさしさに浸れます。その中でも、フロゴパイトのやさしさが私は一番、好きです。くたくたの、お気に入りの毛布かタオルケット。自分の中の小さな子供が、そんなものを与えられてあやされているような気がします。安心で包み込んで、不安から来る緊張感から、とりあえず解放してくれます。不安って、ろくなことがありません。訳もわからないうちに、いつの間にか締め付けられています。この状態でいくら理論的に考えたって、やっぱりろくな考えにならないんです。いっそう不安材料をかき集めてしまうのが関の山。理屈はムダです。あてにはなりません。気分転換が上手か下手かなんて言っている場合ではなく、とにかく不安から、一旦、離れないと始まらない。考えることの外へ、自分を持っていくことが第一目標ですが、なかなか、うまく身動きがとれない状態というのもよくあります。この石なら思考と係わらずに、心の層に届きます。ボケ~と放心状態で、ただいじりまわしていれば、その間にも作用しているので、「――ねば、ならない」というところからきた気分転換より、よほどいいですよ。人の不安をあおるには事欠かない情報社会に生きているのだから、ボケ~と安心に浸る時間は、意図して必要ではないでしょうか。和みグッズに最適かと思います。
2008.06.21
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オレンジから赤、黒の色は、ヘマタイトが入っているからなんだそうです。あとは外見からしても、カルサイトらしいカルサイト。だけど受ける感覚は、カルサイトらしくありません。温かで、とても人情味にあふれています。よくあるカルサイトってそもそも、周波数が高い感じで、日常的には、何をやっているのか、わかりにくいと感じます。たまに、ハッとするほど欲しいときがあるにはあるんです。そのときには身近に持ってみて、なんだか感動したりするんですが、結局、何をどのように作用したのかは、全体を通して振り返らなければ、やっぱりわからないものです。よほど意識の進化があれば、また変わるのだろうかとも考えますが……よほどの進化、なのかどうかはわかりませんが、時代がどんどん変わっていくのは確かなようです。エネルギーの高まりも大きく、振り回されないようにするだけでも大変かと思います。そんな中、高尚な教えや気付きがいくらあったとしても、今や、地に足を着けるものを、自分で選択しなければならない時代、とも言えるかと思います。もうそろそろ、カルサイトの高い周波数のやっていることを、日常意識で、観察・理解できてもいいんじゃないかな。この時代に、必要になってきている気がします。マリポサカルサイトは、その架け橋かと思うんです。ヘマタイトを包みこんだ、文字通り「血の通った」カルサイト。カルサイトの精妙さを、等身大の気安さでもたらしてくれる様は、気心の知れた友人みたいです。だからこそ理解できる、だからこそ現実的な前進へ、つなぐことができるものを、もっている気がします。この時代だからこそ。ある程度は進化した というか、進化にさらされて、ややこしくなった現代に対しての、地球からの助け舟。そんな気がするんです。しっかりした役割を担っている石じゃないかと感じました。これから、いろんな場面で重宝されたらいいなと思います。
2008.06.14
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ミャンマーのマウ・シット・シット渓谷で産出される石、ということからの名前です。その他の生成的なことや成分の定義などは、いろいろあったようで、結局どれくらいの解明がされたのか、わかりません。ヒスイ専門の方に伺ったところ、『ヒスイではない』と、『コスモクロアを含む可能性がある』とだけは、教えてもらいました。コスモクロアの標本も見ましたが、ペンダントトップの石とそっくりです。だけど、他のマウ・シット・シットの名前で売られている石を見ると、色味に大きく幅があったので、『ほとんどコスモクロア』と紹介することは出来ません。マウ・シット・シットはマウ・シット・シット、でした。特殊な強さを持っていると思います。エネルギーというより、光の精妙さを持ち、光というには、物質的なうねりがある……――奇妙な質感をともなうエネルギー。これが石?そう思ってしまいます。みぞおちの統合センターとハートにダイナミックに根を下ろし、強く、しっかりとした人格に変えてしまいそうな力を見せつけるように思います。身につけると、乗りこなすための、ちょっとしたバランス感覚の必要性を感じました。どこか、自分のなかの核のような部分を強調しているとしても、それは何なんだろうと、考えさせられましたが……でも、この馴染み方は、人によって大きく違うようでした。石はもちろん、そうしたところはあるんですが、この石は特に違いが大きい。持つ人の希望するところを、ド派手に返してきているように思えます。望みを映す鏡というと大げさですが。これは無邪気ではない、ちょっと皮肉な楽しさ、ブラックユーモアを感じます。自分に対するブラックユーモア、大切だと思います。自分に自信をもつことって大事ですが、過信して、自信が油断になってしまうのは避けたいですね。自分自身を、客観的に見られること。自分に必死であればあるほど、対照的に存在を増して消しきれない、ごまかしやフリ。それを悪びれずに認めて、ジョークにできるのは、冷静さと、少しの余裕でしょうか。――まあ、ブラックユーモアとして楽しめればカッコイイですよね。この石から受け取るものに、そうしたブラックユーモアを思えます。今は、乗りこなすバランス感覚が必要に感じましたが、もっと状況が変われば、違うものに思えるでしょう。楽しみな石であり、石らしくない石だと思いました。
2008.06.07
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水色のは、以前からヒーリングで使ってきたものです。フワッとやさしくリラックスさせてくれる感じなので、ヘミモルファイトはみんなそんな感じだと思っていました。無色の結晶は、最近サラスヴァティで買ったものなんですが、これでヘミモルファイトへの考えは、変わりました。無色の方もリラックス感が確かにありますが、手にした一瞬のことで、後の感じは違いました。螺旋の渦にグイッと持っていかれる気がします。流れに乗せて、人の周波数というものを変えてしまうんじゃないかって、思いました。この石の解説に『古代から儀式の道具として……』というくだりが、ないのが不思議です。異極鉱の形に違いがありそうです。尖って収束する端と、反対側の広がる端。まっすぐに育った結晶って、特徴的な流れをもっていると思います。周波数を変えるような作用も、きっとここからだと感じました。石を持つだけで、そうした感覚になるので簡単です。――簡単で、いいんじゃないでしょうか。周波数を変える感覚って、たいそうなことに考えてしまうけど、たいそうなことからの感覚だったら、自分自身に帰って来にくいんですよね。ふとしたこと、等身大の感じが、自分自身の核心と近そうです。人間って考える生き物で、いろいろな考えや理由や理屈をつけたくなりますが、あまりにそちらばかりに目が行ってしまうと、目的がすり替わってしまいそうです。結局、全ては自分のなかにあるというものなんだろうと思うんです。だからこそ『本来の自分にもどる』という、鉱物界らしいメッセージがあるのでしょう。かわいい色のアクセサリーのヘミモルファイトもいいですが、長く結晶したタイプのものも、ぜひお勧めです。
2008.05.31
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ゴールデンの名前は、業界名かと思います。大きくはグロッシュラーであるようですが、ガーネットっていろいろあるので、はっきりとはわかりません。ロシア産です。褐色ではないし、緑色の気配もなく、「ゴールド」がぴったり。ゴールデントパーズで、ピンク色を含んだ金色のものがありますが、これもちょっと似ていて、かすかにピンクを含む気配があると私は思いました。しっかりしたエネルギーは、さすがガーネット。でも赤やオレンジのものより、軽い感じ。肉体的エネルギーというより、意識よりなんでしょうか。頭へ効いてくるのが意外でしたが、どうしてもこの感じが強いです。脳ミソを意識させられます。それから後頭部とか、首の後ろ側とかに、ずっしりとエネルギーの存在を感じました。ハートとつなごうという経路なんだろうかと考えたりしましたが……この経路、感情的な動きからも、そうなんじゃないかと思いました。この色、好き嫌い抜きに、見ているだけでうれしくなります。うれしい他には、豊かさを思う人も多いでしょう。うれしい気持ちと金色のエネルギーが、よく同調するんです。そんな同調はまた、ハートへもいい感じです。「強さ」って、こういうものかも。ふと思いました。防衛のためにふるい起こした「強さ」じゃなく、自然とそうなった、というものです。自発的と呼ばれるものですね。ヒーリングでは、頭上の金色とヘソの金色を、つながった状態に持っていくことは、全一性を高めるものとして、目指したいところなんですが、それが簡単ではない。なぜ簡単ではないかというと、ノド、ハート、感情の統合センターという、なかなかもって開くには、悟るしかないという所を通らなければならないと思っていたからです。そうでもないかも知れないと思いました。この石から思った「自発的な強さ」が、それです。いつだって答えは、頭で考えてひねり出すものじゃなく、体験して見つけるもの……人間ってうまく出来ているんじゃないでしょうか。信用してもいいものだと思います。ごちゃごちゃ言わない、言う言葉を持たない鉱物界は、その辺をよく知ってる。ただ実感させてくれます。ちょっとした後押し。ちょっとした気付き。うまいことやってくれるものだと思いました。
2008.05.24
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近頃、太極拳に通い始めたのですが、不慣れな私には、周囲の気に圧倒されてしまうことがあって、そこで急きょ作ったのがスモーキーシトリンのペンダントトップでした。安心させてくれる感じが、素早くスムースに、自分の内側へ連れ戻してくれます。シトリンが丹田を強調して、スモーキーが更に基底へと落ち着かせる。そんなうまい働きに感心します。磨かれて丸くなっていますが、ちゃんと先端もあるので、しっかりと流れを集約する構造も持っています。とても自然になじむので、石の働きを意識することはありません。それはこの石が小さいからとか、ちゃちだからじゃなくて、水晶族特有のものだからだと思います。地殻を形成する成分の大部分を占める、酸素と珪素。その二つでできている水晶族。大地とそっくりなこれらのクリスタルは、人にとって、地面を歩くようなものですね。肉体とのなじみは、ピカイチです。その働きを詳しく感じても、意識に対してどうのこうのというより、先に肉体的なエネルギーの流れを整えて、そこに意識を、引っぱっていくように思います。太極拳から実感しているのですが、肉体を鍛錬するってとても大きな変化を見せます。筋肉と骨で練ったエネルギーの流れというのは、「意識」には想像できないものがあるんですね。この三次元で生きているからには、肉体の役割が、かなめということでしょうか。あたりまえなんでしょうが……このあたりまえを、得意とする水晶族のサポート。きっちりと丁寧で、確かなものです。水晶族に対してよく言われる『基盤』とか『基本』とかいう意味を、実感と共に考えさせられました。
2008.05.17
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黒に見えますが、よく見ると赤く光る点があるし、明るい日差しの中では、にじむ赤が感じられます。真っ黒なほど濃密な赤です。丹田以下に伝わるエネルギーを感じますが、これには、チャクラがどうとか、精神体やら霊体やらがどうとか、そういうものは通用しない感じでした。持つと、原始的なものになったような気がします。先祖返りして、サル? もっともっと、原始的な気分です。哺乳類以前、脊椎動物より、もっと前……単細胞まで遡って、アメーバとか……それはもう時間も、個も越えた、進化の記憶なのでしょう。どれほど科学の時代になって、進化したと言われても、どこかに細胞の記憶ってあるんじゃないかなって感じたんです。生物の根源、生命のスープとしての海水。あるいは、地球を形作るマグマの流れ。この石は、そんなものを思わせます。思い出させる感じです。そして、そんなものを思い出すとき、人の可能性は意外な方向へ、もっと広がれそうだと感じました。思考というものは、どうしても経験や常識などのワクにはまってしまいます。だけど思考も道具の一つに過ぎないのだし、まだワクの外にある使い方だってきっとあることでしょう。この石によって、細胞はもっと、とてつもないものを記憶しているんだ、と思えるのですから。いろんな事情に振り回されたり、がんじがらめだと感じたり……身動きのままならない社会でも、構成しているのは人間です。その人間の体を形作っているのは、細胞の一つ一つです。その一つ一つが、実はスゴイ、って教えてくれるんです。本来の自由って、よく言われるものとはもっと根本的に、違うところにあるのでしょうね。そんなことも、考えさせられました。何かを揺り起こして、ゆっくり育てるような作用を感じます。海の王という名前、ぴったりだと思いました。
2008.05.10
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画像下はサラスヴァティで、以前買ったイルグサイト隕石ですが、上は今回の石ふしぎ大発見展で買ったものです。月の石と、カンボ隕石。月のは石質の隕石ということで、初めてで、嬉しがっています。カンボ隕石は、鉄・ニッケル質。強いです。なんだか隕石ファンになった今回のミネラルショーでした。隕石には石質と、鉄・ニッケル質とがあるそうで、ギベオンなんかは、その構造を化学処理によって浮き立たせたものということです。ギベオンに似たタンボ隕石というのもありましたが、高額でした。欲しかったんですが……どれもそうですが、隕石って独特の意識を変性させるような感覚をもたらします。細かい好みは、それぞれにうんちくのあるところなんでしょうが、鉄・ニッケル質の方が、肉体的にも作用がくっきりと出るんじゃないかと思います。買った日の夜には、いつもとは違う、変性意識とか体外離脱の経験をしました。そこで見たものの強烈さもありますが、とても興味深く、しみじみと別の次元、その住人ってあるんだと感じました。隕石なんて、古代から伝説的に扱われてきたわけで、今さら驚くこともないのでしょうが……ただ付き合い方の注意は、必要ではないかと考えさせられました。現象そのものに、良いも悪いもありません。しかし強いものなので、感情が左右されてしまうんですね。実際にあるいろんな現象と、現象に出会った自分。そのバランスです。ニューエイジだの、進化の時代だのと言われ始めてけっこう経ちますが、確かにいろいろな現象に出会うことって多くなっていると思います。隕石を持って、不思議な体験をして、人間以外の存在に出会ったら、昔だったら『神だ~』と言えばよかったのでしょうが、今はもう、そんな時代ではありませんし……楽しくワクワクするような出会いを、出来事の流れとしてそのまま受けとめることも、大切だと思いますが、それ自体が、どこかへ連れて行ってくれるものではありません。個人的な「原因と結果」、だからどうなんだ? と冷静に、客観的に、その意味を自分自身へ帰さないと、振り回されてしまいます。このところ、隕石の楽しさに浮かれ騒いでいるのですが、この流れを楽しむためにも、自分自身の芯をしっかりと確認したいと思いました。
2008.05.02
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頭にキン、とくる感じとか、丹田あたりに置いても、腰や腰椎なんかにミシッミシッと、強く作用してくるものがあります。鉛なんだそうで、ずっしりと重いです。外見も金属そのもので、クールな冷静さを思うけど、持ってみれば、私は、意外なほどの陽気さを感じます。そして何より、とても器用です。体操選手が、演技のラストにクルクルッっと複雑な宙返りを決めて、すたっと着地。きれいなポーズを決めて、スマイル! という感じ……バランスをもたらす、といわれるところですね。バランスって、ビミョーな話に思いますが、時には人を、大きく左右するものだと思います。生きていれば、じっと止まってることなんてなく、自分自身への理解や、価値観の変化など、いつも変化しているものですよね。変えられないとするのなら、それはそれで力が必要でしょう。しがみつく力です。何にしがみついているんでしょうか。力ある自分?ポジティブな理想像へ向かって、成長し続ける自分?人に好かれる自分?――しんどくなりそうです。いくら理論的にはいいものでも、しがみついてしまうと自分自身とのズレは、大きくなるばかりだと思うんです。ズレに気付いたとしても、しがみついていた時間が長すぎたりで、どうしたらいいのかわからなくなっている、というのもよくあります。それならいっそ、しがみついているその手を放してしまったら、話は早いのでしょうね。そこから落ちれば、どこかに着地します。落ちながら、本来の自然なバランスも、素顔の自分も思い出すでしょうし。落ちるなんてコワイと思うけど、しがみつき続けるしんどさの方がよっぽどコワイと、私は感じるんです。何にしがみついているのかも、気付いてみればコワイ話だったり。それがわかれば、そうやってしがみついていることが、本当は何を犠牲にしているのかも、わかって来ます。そうしたらもう、しがみついている手を放すのは、コワイことだと、思えなくなっているでしょう。自分から手を放すことを選ぶとき、柔軟で、自分の力を取り戻した状態なんだと思います。迷いや、悩みが消えたわけではないけれど、そんな自分も楽しいかも知れないって、思えるかも知れません。ガレーナの陽気な軽快さは、そんなとき、まっすぐに入ってきて、器用なバランス、上手な着地ができる状態を、はげまし、教えてくれるように思うんです。『あなたも出来るよ』と軽く言って、笑っているような気がします。
2008.04.26
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何千年だか、何万年だかをかけた成長のあと。神秘的です。急に現われたという話もあるけど、それはロマンチックだと考えていました。だけど実際、ロマンチックでした。摩尼宝珠に興味があって、探して買ったんですが、普通の水晶の摩尼宝珠だったんです。買ってから一ヶ月くらいは、摩尼宝珠気功だ! とか、摩尼宝珠瞑想だ! とか、ひとしきり遊んでいたんですが、そのときも普通の水晶だと思っていました。更に数ヵ月後のワークショップへ、お守り代わりに持って行った帰り際、駅の人ごみの中で皆さんと挨拶をしていて、ふと気になって鞄の中をのぞいて見て……初めて、摩尼宝珠の中のファントムを発見したんです。じっと見つめていたわけでもないのに、そんな状況で見つけるのもおかしな話です。現われた、としか言いようがなくて、結構、驚いたものでした。その時期は、仏教に深くかかわるような明晰夢がよくあったし、菩提樹の実に惹かれてブレスを作って気に入っていたし、第一、ワークショップの場所が高野山だったし……自分の中の、仏教にかかわるルーツの何かだろうと、エシャさんに言っていただきました。もともとあったものに、気付いただけかも知れませんが、それでも発見するタイミング、その時期には、十分に意味深いものがありそうです。また、スモーキーのファントム入りには、変性意識で見ていた、過去生だか何だかの、晩年バージョンを見せてもらったこともありました。それをとって、どうこうと言うことはないんです。「あ、そう。そういうこともあるね」それだけです。でもどうやらそこに、ファントムらしいメッセージが、ありそうだと思いました。石に惹かれるときはいつも、どこかでその石の何かと同調しているのでしょうが、ファントムの場合、そのときだけではわからない、もっとずっと長い期間から見た、その時期の係わり……というものがあるように思えます。ファントムって、ずっとスクスクと成長したわけではありません。成長が止まったようなときもあって、また成長のときを迎える。「タメ」が、あったんですね。この「タメ」があるからこそ、次の成長の意味があるし、喜びの意味も変わってくるんでしょう。「タメ」のときって、動きのないとき。成果の出ないとき。苦しいですね。でも、そんなときこそ大事なんだそうです。長い期間から見れば、次の成長のため、土台を確認し、調整する時期。「タメ」が苦しいのなら、なぜ苦しいのか、何を思ってあせるのか。何と比べようとしているのか。考えてみれば、そのときなりの答えがあるのでしょう。それをかなえることは、本当に自分のためなのか。自分のどこまでが、信じられるのか……かなり行き詰まりでもしない限り、じっと見つめるなんて出来ないことです。それこそ「タメ」のときが、いい機会かもしれません。あせらず、 逃げ回らず、深く静かに、今の自分を感じてみること。ファントムは、つい急ぎたくなる人間とは逆とも言えるほどの、表面的な時間の流れにとらわれない視点から、そう教えているかのようです。タメがあるから成長があり、成長があるからタメがあると。宇宙には、何一つムダはないということを、時をこえて、ただ体現しているかのように感じます。とりたてて伝えてくるでもなく、じっと現し続ける……そんなものも、ときにはいいんじゃないかと思います。鉱物界ならではの、スケールの大きさを感じました。
2008.04.18
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独特の深い青。吸い込まれるような青が瞑想的です。この石を手にすると、頭がキリキリします。こめかみの水平の線。額の中央から後頭部までの垂直の線。そこに長いネジがあるようです。アズライトが、キリキリと締めていきます。きっぱりと。力強く。それから、ネジが交わる点から背骨にそって、ゆっくりと、作用が降りていきます。自分自身の深くへ向かって。それがアズライトの力です。洞察の力。古いパターンを塗り変える力。でもね、石が勝手に塗り変えてくれるとは思えないんです。だって古いパターンって、何を指しているかすぐにはわかりませんよ。わかりやすい表面的なことをひとつ挙げたって、そこからずっとさかのぼるものがあります。とても古くからのクセ、かたより。たくさんの自分を洗い出さないと、これが古いパターンだ、なんて出ないんです。イヤですよね。抵抗あります。都合よく飾った自分ではなく、ありのままの自分を見るなんて。そんなのは自分を卑下するようだと、思うでしょうか。自分だけは、自分を特別な存在だとしなくては……そう思っていなければ!――思っていなければ、どうなるのでしょうか。「特別な存在」があるうちは、「つまらない存在」があります。自分はそうじゃないとするためには、いろんなものをくっつけて行かないといけない。くっつけ続けるのは、しんどいんです。くっつけていることを隠すために、更にくっつけてまわらないといけないし、自分に対してそれを隠すためにも、またくっつけないとすまない。これがまたいっそうしんどい。ありのままになったからって、つまらないものに変わるわけではないというのに……本来つまらない存在なんて、あり得ないのに……人は皆それぞれに、いろいろとくっつけています。そうやって大人になってきたんだと思います。でももうウチへ帰ってもいいんです。もっといいもの、本当に大事なものが置いてあるウチへ、本来の力、輝きを取り戻せるウチへ、帰るんです。誰しも本当はそれを知っているのでしょうね。だから、ただウチに帰る、その帰り道を探すんだと思います。でもそのままでは、くっつけたものが帰り道を隠していてわけがわからなくなっていることに気付きます。くっつけたものを、勇気を出して、正直に、まっすぐに見つめれば、帰り道は、チラチラと見え始めます。道中では、くっつけたものの多くがあまりにも昔からのものなので、あるいはバレることの怖さのために、そうと見分けるのが難しいでしょう。アズライトが、助けてくれます。私の思う、アズライトの真価がそこです。くっつけたもの抜きの、自分自身をくみ上げるサポートです。キリキリと、頭のネジのゆるみをしっかり巻いてくれますよ。癒しや浄化のグリーン系の石を併用した方がいいかもしれません。それでも向かっていこう、という決心をするときがあるはずです。みょうにアズライトが欲しいとき。それを進化のとき、あるいは修行のとき? と言うのでしょうね。解放のときと呼びたいんですが。アズライトの力。それが特別な意味を持つときが、人には必ずあると思っています。
2008.04.12
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きれいな色、面白い形。そして、わかりにくい石。はじめは、そう思っていました。言われているのは、思考(マインド)の石……――何それ?! だいたい思考ってどこにあるの?ゼリーみたいな色や、内側に浮かぶ筋。にじみ出る虹を見つめていると、確かに頭の中がスッキリしていく感じはあります。――思考が癒された? ――スッキリすればいいの?そんなことも考えていましたが、このスッキリを観察すると、「思考の石」の謎がとけました。効果が劇的なときに、わかりやすいんですよね。例えば、行き詰っていてどうしようもないとき。考えたってしょうがないのに、考えてしまうとき。頭の中には、ワタが詰め込まれたよう。肩や関節までこってくる。そんなときフローライトが欲しくなります。八面体をいくつか使ってのレイアウトがあるんですが、これがわかりやすいと思いました。思考って、「流れ」のようです。体の外側にある、透明でビミョウなものの流れを感じました。悩んで行き詰まるって、この流れが硬直してしまっているんですね。フローライト、八面体の先端を持つ構造が特に、この流れを整えていくのが、得意なようです。体の上の効果的な位置に置いて、瞑想状態に入ります。するとフローライトの働きが、始まっているのがわかります。上から下へ、押し流していく力です。はじめはゆっくりと、ときどきバチッとスパークみたいなものを弾かせながらも、次第に、速い流れに持っていきます。スムースになって、また感知しにくいビミョウなものもどっていきますが、頭の中のワタは、とりあえずどこかへ行ってしまうようです。スッキリする感じは、こんなところからも来ています。さて、どうしましょうか。なぜ流れが硬直していたのか。整えられた流れから、理解して変えていく隙間が、一時的ですが得られたわけです。出来れば、前進のチャンスに持っていきたいですね。人って、常に成長、拡大していかないと居心地悪く感じるもののようです。そして状況は成長に合わせて、変わっていくもの。そのように出来ているらしいです。そこへ考え方が過去のままでは、無理が出てきて、しんどくなります。古い流れを、少しでも変えていけるように、サインはたくさん送られてきていますが、これを解凍するのは「思考」です。それに、実際の生活に使っていくには、またここを通ります。フローライトは、癒すというより示す、整えるという感じです。大層な教えじゃなく、一番身近なもの。その時々の自分自身に対して、スッキリ、であることや、そこから始まる思考の「いい使い方」をサポートしてくれます。わりとどこででも見かけるし、安価なので、気軽に手にすることができます。この辺にも、地球的メッセージがあるんじゃないかって感じます。あまり、もてはやされる石ではないんだけど、フローライトのサポートが大切なときって、かなりあります。そしてこれからの時代、ますます重要になってくるんじゃないかな、という気がしています。
2008.04.05
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ビーズの形での出会いでした。小さく丸く削られて、真ん中には穴が開いていても、作用は強いです。褐色の自然な風合い。ぼんやりとした縞模様。そのどこにこの強さが入っているのだろうと、思わず首をかしげます。身につけたくて、ネックレスを作ろうとやる気いっぱいなのに、ビーズをコロコロと目の前に並べただけで圧倒されてしまい、その場を離れて、休憩しなければなりませんでした。なかみはカルセドニーとオパールということですが、カルセドニーだけなら、強さはもっと安定した平和な感じでしょうし、オパールだけなら、繊細さがあっただろうに。この石は、また違うものです。混じりあっているものからの予想は、たいてい外れるんですね。1+1=2、ではないと、サラスヴァティでエシャさんも、よく言われてましたが……このとんでもない強さも、その例にもれません。感情をあおって、そこへ強いエネルギーが持ち込まれるようです。腹の底に、真っ赤に熾った炭を詰めこんだみたい。驚いたって仕方ない。それは、もともと自分の中にあったものなんです。隠して、見ないでおいたもの。なぜでしょう?感情むき出しの人間にはなりたくないから。そんなの大人じゃないし、人に嫌われるし、どうせムダだし……いつの間にか、そんな考えになっているのに気付きます。感情って、とらえどころのない空気のようなものではなく、これこそが、本質的な部分からのサイン。自分の核につながるための、確かなツテです。普段からたくさんの規制をはめ込んでそれに見合うものしか取り上げられないようにしてありますが、行き過ぎると何が楽しいのか、何が大切なのか、わからなくなりますね。そして自分を、弱々しいとか、強いとか、がんこだとか思いこむ。だけど、人の本質的な部分って、柔軟で、かしこく、のびのびとやっていけるものを持っているはずです。それを上手に持ち出す方法を、自分なりに体得していくことが、本当の成長なんでしょう。そのための大事なツテである感情を、強調してくれます。感情のみに支配されてしまっては、危ない話なんでしょうが、心地よい方向はどっちなのか、上手に使えば、その方向へ行くための強力な道具となります。また人格自体にも、エネルギーがわきあがってくるようで、まったくすごい石だと感心しました。世の中、なんてたくさんの驚くようなものがあるのだろうと思います。自分自身も、世の中も、日々変わっていくのだからこの驚きは、尽きることがありませんね。ありがたい出会いに、感謝しています。
2008.03.29
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癒し、癒しって、世の中にはいろいろなものがありますが、『なんだかもう、めんどくさい!』というときもありますよね。『もう、いらんわ』『ほっといてくれたらいいねん』ただそれだけ……ということはあるものです。それはそれで、プロセスのひとつです。それって、他人も自分も許せない、あるべき姿にあてはまらない。こんなはずじゃない! って、どこかに緊張をためこんで、それに疲れてしまったときなんですね。結局、全部を放り出したいばかりになる。『自分を許そう』的な石もワークも多くありますが、すでにそんなのを考えるのもイヤなんです。ペトリファイドウッドは、特に癒したり、何かを促したりという感じではありません。ただ、存在している。それだけなんです。だから、『もう、いらんわ』という気持ちもじゃましません。簡単に思えますが、これが案外難しいもので、「もう、いらんわ」と投げやりになっている自分に対して、すぐに罪悪感を持ってしまう。投げやりでいたいのに、今度は罪悪感と戦わなくてはならない。こんな戦いこそ、放り出したかったはずなのに。こんな循環は、しんどいです。石は、循環してしまいがちな心のシステムも関係なく、まるで違う次元を通ってくるかのように、感じられます。存在しているという単純な事実。そして原点ですね。存在している。これは、許すとか許さないとか、積極的とか消極的とか、そんなのどうでもいいんです。存在のしかたなんて、ありません。存在している。ただそれだけの話ですが、これを体感してみると、自分自身への評価や罪悪感なんかの方が、変わっていきます。少しずつかもしれないし、感じ方も人それぞれでしょうが、確かです。めんどくさいもの、全部いらない。それも大切なときなんだと思います。めんどくさくない、ちょうどいい感じの石もあると感じました。
2008.03.21
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新月まであと数時間。そんな時でした。あるのは、どうしようもないような圧倒的な闇ばかり。寝付けないからって、電気を点けてもしょうがない。落ち着かないのは、不安のせいだということがわかっていました。起き上がって、何となく部屋を見回すと、棚から、身を乗り出すような位置にある石が目に付きました。それがネブラストーンでした。ごそごそと近づいていって、ひったくるように握りしめます。それが思いがけない機会となりました。(いままで、この石がわかってなかった)そう思いました。伝わってくる感覚は強く、はじめてのものだったんです。広がりを、持たせてくれる……闇を、納得できるようになる……という感じ。『あなたは自由なんだ』そんなメッセージと共に、力強く感覚を広げてくれるんです。不安って、否定しようと押さえつけると、もっと力を持って、もっとあばれ出します。でもこの石のくれる感覚は、とても気持ちよい広さのあるものなので、不安を押さえつける必要はなく、押さえつけようとしなければ、怖れるような影響力があるわけでもない。じたばたしないで、悪いほうにばかり考えてないで、じっと待機することができるようになります。とりあえず納得、なんです。昼があるから、夜があるんだし……闇って、どうやったって闇なんですよね!不安だからって、不安に浸りこむかどうかは自由。自分の意志で自由に選ぶことです。闇の中で本当に必要なのは、とりあえずそんな自由は十分にあると思い出すことじゃないでしょうか……そこから何が生まれるか、誰にも予想は出来ません。それくらい、広いものがあるらしいです。この石、普段は無愛想で変わりものだけど、いざ出番! となると、力強いですよ。この石がくれる意味は、とても貴重なものでした。
2008.03.15
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