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登武那覇城(とうんなはぐすく)今は、高台の公園になっていますが
登武那覇城の笠未若茶良按司(かさしわかちゃら)は、伊敷索按司(ちなは)の
三男で二人の兄とは、腹違いの若按司が治めた城だと云われています。
按司(あじ又はあんじ)とは城を拠点とする地方豪族やその家族など貴人の
称号としてつかわれています。
伊敷索按司14~15世紀頃の伊敷索城主(久米島町字嘉手苅西新田(西新田)にある城跡
では登武那覇城へ御案内致します。
中腹の第一公園の休憩場所 この先の坂を上がっていきます。
頂上の第二公園 休憩所
頂上からの景色をお楽しみ下さい。
お楽しみいただけたでしょうか
ここで笠未若茶良按司にまつわる民話をひとつ
その優秀さから親子で戦争した際に母親が自分をかばったため父親によって粟国に島流しにされた母親をおもって泣いた石が涙石と呼ばれたそうです。
この石は馬の爪の形をしていたらしいくそれに水がいつも溜まっていてかれることは
なかったとのこと 奥武島の護岸工事のため壊され今はもうないとか
事の真意は分かりませんがひとつの物語とし語られています。
とここで歌を
トンナハ山にがんかけて
おみくじ引いて詣(もう)すれば今度のしあいは
仲中(なかちゅう)の勝ち勝ち(それ勝ち勝ち)の応援歌があったはず
でももうはるかむかしのこと・・・・・・簡単に計算できないぐらいの中学時代の応援歌なのであっているかどうか
仲中・・・・・町立仲里中学校 隣に久米島町仲里庁舎があります。登武那覇山は
西方の位置にあり字真謝からの通学路の途中にあります。