自分らしく生きる

2009.09.11
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4 ブレない生き方を発見しよう
不和雷同するのは、もっとも愚かな生き方である。高度成長からバブル(崩壊)までは、それでも、他人の後塵を拝しても、「落ちこぼれがもらえた」ものだ。
パイが拡大していたからだ。しかし、今はそうはいかない。人の後についていっても、おいしい収穫物は先発にとり尽くされ、ペンペン草も生えていないからである。
 多少、損に見えても、「じっと時期を待つ」という姿勢が必要である。
 バブル時代に「うまい投資話」に目もくれず、「儲けそこなったように見えた時
バブルが崩壊して、一斉に投資家?が撤退したあと、満を持して、資産を買いあさり、メジャーに成長していった企業や企業化を私は少数だがよく知っている。実に賢明なやり方に見えたものだが、考えてみれば、彼[賢明な投資家]は賢いというより、起業や人生に対する考え方が、一本しっかり通っていて、「ブレない生き方」をしていたに他ならない。
 これは戦後GHQと渡り合って、日本の復興に貢献し、アメリカの一方的な占領政策にも一矢報いて語り草になった白洲次郎のいう「プリンシプル=生きる原理」に他ならない。
白洲については最近いろいろな本も出版されベストセラーにもなり、またNHK初めTVドラマやドキュメンタリー番組にもなっているので、戦後の白洲については、改めて説明を要しないだろう。
が、戦前、若き日の白洲については、あまり知られていない。実は私にとっても個人的にいささかかかわりのある人なので、ちょっと触れておこう。

ところがその後間もなく国司浩助は夭折する。当時の新製品として日本で初めて開発に成功した冷凍えびを、担当役員の白洲は国司家を訪れた。母に報告方々の弔問だった。
「国司(浩助)専務の命で取り組んでいた冷凍えびが出来ました。専務の仏前に供えてください」といって白洲氏が我が家に届けてくれた話を母から聞いたことがある。「えびは本来仏前の供え物としては、ご法度なのですが、この仏は例外ですから」と白洲はいったそうだ。予てから葬式無用戒名不要といっていた白洲だが、さすがに、国司の葬儀や法事には仏頂面をして列席いていた、と兄直彦は語った。国司が亡くなり、戦争に協力体制をとる会社には魅力を感じなく立った白洲は、町田郊外に引っ込み、農家を買って移り住み、農業をしながら隠棲する。これが後の武相荘。
そういえば、国司浩助が、若き日の白洲次郎氏を買っていた、ということを物語る第三者の記事がある。
国司浩助は『人を読む力の卓越した人物であった』と、鮎川義介(日産コンツェルンの総帥)が書いている。*鮎川義介『百味箪笥』より引用
国司は、鮎川が日産をつくった時、三人の人物を紹介して次のように述べた。
「これからはいろいろたくさんの会社を操縦されるだろうが、どうしてもいろいろのすぐれたトップ・クラスの人物がいることでしょう。それには、あなたの子飼いだけではできぬ相談だから、急いで各方面からスクープされねば間に合いますまい。ついては、今、あなたにぜひとも会っていただきたい三福対の人物がいます」(原文のまま)
そして名前を上げたのが、白洲次郎、井野碩哉(後農林大臣、法務大臣など)、高碕達之助(東洋製罐創業者、経済企画著長官、通産大臣、日中国交回復にも尽力、AAバンドン会議首席全権)の三人。
いずれも国司が見抜いた偉材で、鮎川には未知未開の人たちであった。
(小島直記著「松永安左衛門の生涯と人物」より)
 国司浩助は、人の面倒見も良く、それは、自分が世話になった人に直接ご恩返しをするというよりも、「社会還元」である、と心得ていたようだ。因果応報、この辺は彼の仏教思想に基づくものだったのかも知れない。

白洲の生きた戦前、戦中、戦後の時代と今とは異なるので、彼の生き方がそのまま現代、近未来にも当てはまるかどうかはわからないが、

 これは、小林一三がいう事業の精神にも通じるだろう。
 小林は宝塚、阪急、東宝などの企業グループの創業者として知られているが、彼の事業は「大衆の喜ぶ事業」が中心で、「金儲け」は2の次ぎであった、といわれている。
 グループのある企業の社長が「インサイダー取引まがいの株式投資をすすめて、「君たちは、そんなに金儲けがしたいのか」と一括されたというエピソードが伝えられている。
 「金儲けして悪いのですか」と開き直ったファンドで違法行為をして逮捕、起訴された拝金主義の投資家に、小林の爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ。
 小林の遺訓には「平凡の積み重ねは非凡」という金言がある。

 「儲かりそうなものはないか」とあちこちつまみ食いしても、手元に残る実績は少ない。それどころか、結局借金だけが残る、ということになりかねない。
 日本の企業の特徴である下請け。「寄らば大樹の陰」で、ひとつ親会社をつかんでおけば「半自動的に受注できる」。それに比べて、自主独立路線の中小企業は、何もかも自前で受注しなければならないから、非常に苦しい。しかし、下請けは、日本の人件費高騰などの経済的要因で、相次いで、海外に生産拠点を移す過程で、深刻な受注難に陥った。自主独立路線の企業は、堅実に業績を上げていった。この点については改めて後の項で取り上げる。個人の場合も同様で、しっかりした信念、持ち味があれば、世の中が変化しても影響は受けないで生きられる。






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最終更新日  2009.09.11 07:07:04 コメントを書く


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