7 言い訳する人には魅力がない
「過去を引きずって生きている人」は、言い換えれば「ネクラ」人間である。人は誰でも過去に何らかのハンディを背負って生きているものである。
「片親だから」「学歴がないから」「内向的な性格だから」「からだが丈夫でないから」「いい会社に入れなかったから」「いい人脈がないから」「いい家に生まれなかったから」「頭がよくないから」「勉強が嫌いだから」「風采があがらないから」「口下手だから」「もう年だから」
こんなふうに生い立ちや肉体的条件、家庭環境から性格まで、いいだせばキリがないのである。
「自分は100%満足な環境だ」といいきれる人は、ほとんどいないのではないか。
そして「だから、できなくても仕方がない」と言い訳をしたがるのである。しかし、そんなことをいっても何にもならない。まわりの人を「暗い気持ち」にさせるだけである。こうして、本書のテーマである「弱い人間」「ついてない人間」になってしまう。
「当社は中小企業だから、人材がいない、売上が伸びない、競争に負ける」
こういっている経営者や管理職者、営業マンも同じこと。そんなことをいってみても、現在抱えている問題が解決するわけではない。まして誰かが同情して、救いの手を差し延べてくれるはずもない。
まわりの人たちを暗い気持ちにさせ、自分も気持ちが暗くなり、事態はますます悪い方向にむかうだけなのである。
意外なことに、世の中にはこうした人が多いような気がする。こういう人のまわりには、「貧乏神」は寄ってきても、決して「幸福の女神」は微笑みかけてくれないのである。
どんな逆境にいても、楽天的に考えることである。いいかえれば自分の環境にグチをいい言い訳したがる人は「甘え」があるといってもよい。そういう人は魅力がなく、いつまでも、逆境から脱出できないのである。
「自分には○○というハンディがある、だから××できないのは仕方ない」
というように
「できないのは自分のせいではない、まわりが悪い(不運なのだ)」
と、環境の悪さや運勢に甘えているのだ。こういう人に、まわりの人たちは決して魅力を感じない。だから、いい人も集まらず、人脈もできない。そして、ますます事態は改善されないということになる。
いつも「価値ある目標」に向かって前向きに努力し、いろいろな角度から工夫してチャレンジする。しかも「やってみせる」という決意を示し、「やれるはずだ」と楽天的に考える。
ものごとをポジティブにとらえるから、周囲の雰囲気も明るくなってくるのである。
こうした人のまわりには、いつの間にか、いい人材が集まる。
〇今、何が求められているのか
現代は情報化社会であり、これからの社会はモノを離れて精神的な「充実感」や「満足感」「自己実現」「ゆとり」といったようなものを、求める社会になりつつある。
これを経営や仕事の面におきかえてみると、従来は「人」「モノ」「金」が重要と考えられてきたのに対し、これらの要素によってもたらされる「効用」つまり「目に見えない要素のウエイトが増してきた」ということになる。「情報」の重要性が、これまでになく増してきたといってもよい。
そうはいっても「情報」は決して単独で論じられるものではなく、当然「人脈」や「仕事」と深く関わり合っている。そして「情報」というものの価値を決めるのは「人」であることを考えると、「情報」以前に「人間理解」が前提になることは充分に注意していただきたいと思う。
これをもう少しわかりやすく、具体的に示せば、次のようになる。
仕事をキチンとやれば、それなりの「情報」を提供できるし、そうすれば「人脈」も育ち、それがまた新たな「出会い」をもたらすということである。
もう一歩突っ込んで考えれば、「仕事をキチンとやる」といっても、その仕事自体に価値がなければ何もならないということになる。
たとえば「どんなに規格通りに製品を仕上げた」としても、その製品が市場で受け入れられなければ、「規格通りに仕上げた製品」には何の価値もなくなるということだ。
これは、とくに先端技術やソフトウェアなどにいえることで、自分たちがどれほど一生懸命に努力して成功しても、それに代わる技術が開発されれば、旧式の技術やソフトウェアは価値を失うのである。
実際に、技術の進化のペースが速い業界や、ユーザーのニーズの多様化や変化の激しい業界では、こうした現象はいくらでも見られる。つまり、すべての前提になるのは、
・今、私たちの環境はどんな状況にあり
・今後どう変化していくのか
・その中で自分たちは、どんな分野、どんな面で存在価値を見いだしていくのか
これがないとせっかくの「情報」も、紙屑同然になるおそれもあるわけだ。
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