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今回もウイーンの王宮宝物館(Kaiserliche Schatzkammer Wien)からの紹介です
聖遺物については度々紹介していますが・・・。
キリスト教においては
、 イエス・キリストを筆頭に聖母マリア、12使徒、キリストに関係した人々、他にバチカンで公認された聖人列伝に叙せられた諸々の聖人に関するお骨や彼らにまつわる品物などを総称して聖遺物と呼ばれています。
聖遺物は当然カトリック関係者からみればそれ自体が信仰の対象物となり、どんな高価な宝石にもまさるお宝なのです。
※ 2014年4月「ブルージュ(Brugge) 7 (ブルグ広場 3 聖血礼拝堂と聖遺物の話) の中、 聖遺物(聖遺物収集、聖遺物産業、聖遺物の略奪)で書いています。
リンク ブルージュ(Brugge) 7 (ブルグ広場 3 聖血礼拝堂と聖遺物の話)
リンク 聖人と異端と殉教と殉教者記念堂サン・ピエトロ大聖堂
聖槍(Heilige Lanze)(Holy Lance)
皇帝の十字架(Imperial Cross)
キリストの聖遺物・・・十字架の破片
聖槍
ロンギヌスの槍(Lance of Longinus)
聖
マウリティウスの槍(Lance of St. Mauritiusu)
ハプスブルグ家か所有していた神聖ローマ皇帝の表章(レガリア・regalia)は前回紹介した帝冠(ていかん)、王笏(おうじゃく)、宝珠(ほうじゅ)、以外にもたまだたくさんあります。
その中でも 特にパワーがあり最重要のお宝がハプスブルグ家が所蔵する皇帝の十字架の中に納められていた聖槍(Heilige Lanze)
です。
皇帝の十字架(Imperial Cross)
この宝石で装飾された 皇帝の十字架は、実は本来の用途は遺宝容器
なのだ
そうです。
つまりこれは皇帝の所蔵する聖遺物を収納する為の入れ物。1024年~25年頃の品?
その中に納められていたのが(上の写真)十字架の下に置かれている槍の穂先と十字架の木片です
。
左・・聖槍 右・・十字架の破片
聖遺物の中でもキリストに直接かかわるこれらは最も位の高い聖遺物。
裏側にはエッチングで福音書記者の印や使徒達が描かれていて、その裏板ははずせるようになっている。
中央のヒツジはキリスト自身?
信徒だけでなく、イエス自身も人の罪を取り除き神の犠牲となる神の小羊に例えられる。
左・・マルコ・・ライオンがシンボル
右・・ルカ・・牛がシンボル
上・・ヨハネ・・鷲がシンボル
下・・マタイ・・人がシンボル
ちょっとマンガちっくな絵ですね
キリストの聖遺物・・・十字架の破片
ゴルゴダの丘でキリストが磔にされた・・と言う十字架の木片・・・らしい
。
血の浸った釘穴がある・・と信じられているとか・・。
キリスト受難の象徴の1つだけにキリストが持ち主を守護してくれる・・と信じられている特に神聖な遺物。
出自についてはよくわかっていない。宝物館の資料に入手の解説もない。
コンスタンティノープルに保管されていたものが12世紀頃に散逸して欧州にでまわった・・と言う説もあるが、そもそも磔にされていた十字架が残されていたとは思えない。
(張り付け板は使い回しされていた可能性だってあるし・・。)
12世紀頃に散逸して欧州に・・とは、まさに十字軍の遠征後に世にそう言うものが出回った・・と言う事なのだろう。以前紹介した聖遺物産業が頭をよぎる
本来は木片のみ支柱に納められていたのものを後にカール4世(Karl IV)(1316年~1378年)により1350年頃十字の枠が作られたそうだ
。
聖槍
宝物館の資料によれば、この槍はローマ教皇ハドリアヌス1世(生年不明~795年)からカール大帝(742年~814年)に贈られた品とされている
。
カロリング時代の槍の中央は鉄のピンが入れる様に削られていて、3つの真鍮製の十字架がついている。
槍の中に組み込まれた鉄のピンはいつしかキリスト磔刑の十字架に打ち込まれた釘と考えられるようになったらしい。
金の被いは、カール4世(Karl IV)(1316年~1378年)時代に欠けた部分を被うようにかぶせられたもので、「主の槍と釘」と刻印されている
。 (それによりこれは
ロンギヌスの槍と釘・・と言う解釈になったらしい。)
しかし、近年クリーニングした時に金の被いの下から別の刻印が出てきているそうだ。
287年に殉教した聖マウリティウス(St. Mauritiusu)の名前が・・。
これは以前は聖マウリティウスの槍(Lance of St. Mauritiusu)と解釈されていた・・と言う事だ
。
聖槍は、金の被い
以降にロンギヌスの槍(Lance of Longinus)になってしまった と
言うのだからおそらくその
犯人はそれらを施したカール4世(Karl IV)であろう。
カール4世は政治的にも様々な工作をして家権強化を図った人だ。
特に位の高い聖遺物を所有している・・と言う事はただのステータスだけではない。他の諸侯より神聖ローマの皇帝はずば抜けた聖遺物を所持していなれば笑いものである。
だからもっともらしい話で正当性を強調したのだろう・・と推測できる。
現在の宝物館の資料によれば槍は8世紀、フランク王国時代のカロリング朝・・と表示されている
。
つまり聖マウリティウスの槍(Lance of St. Mauritiusu)でもないかもしれない・・と言う事だ。
オット
ー1世の伝説
がある。
オットー1世がこの槍を持ち、侵略する異教徒よりキリスト教国を守ったレフィフェルト(Lechfeld)の戦い。
勝利した事によりローマ教皇より正式に神聖ローマ帝国の帝冠を戴いた
。
そんな奇跡の勝利をもたらした無敵の力備わったこの槍は王者の絶対的シンボルとなり皇帝のレガリア(regalia)になった・
・と言う事だ。
※ レガリア(regalia)・・それを持つ事でことによって正統な王、君主であると認めさせる象徴となる物品。
因みに聖釘はハプスブルグ家に所蔵されている他の聖体顕示台の中にも存在している。
ロンギヌスの槍(Lance of Longinus)
キリストの脇腹を刺した聖槍はそれを刺したローマの兵隊、ロンギヌスの名に由来していると言うが、それ自体が実は後世の創作で実在の人物ではないらしい。
そもそもキリストを刺した槍の存在はヨハネの福音書のみに記載されている話。
(しかも生きている時に槍でつかれたわけではないから血が噴き出す・・と言う事も物理的にありえない。)
※
ロンギヌスの槍については、2013年8月「十字軍(The crusade)と聖墳墓教会 2 (キリストの墓)」の中、キリストの墓 で少し触れています。
リンク 十字軍(The crusade)と聖墳墓教会 2 (キリストの墓)
聖マウリティウスの槍(Lance of St. Mauritiusu)
キリスト教徒が迫害されていたローマ帝国時代。 ローマ帝国の軍隊の指揮官だったマウリティウスはガリアに進軍。しかし皇帝との宗教的トラブルで兵は皇帝に従わない者は異教徒として殺害。287年に殉教した。
槍は彼が持っていたものか? 打たれたものかは不明であるが、件の槍は聖マウリティウス(St. Mauritiusu)の槍(Lance of St. Mauritiusu)とされている。
ローマ皇帝マクシミアヌス帝(Maximianus)の時代に迫害された・・と書いているものもあるが、彼はそんなにキリスト教徒の迫害には荷担していないそうだ。もしかしたら聖マウリティウスの殉教にかかわったのは当時ローマ帝国を東西に分けて共同統治していたディオクレティアヌス帝(Diocletianus)による迫害によるものかもしれない。
実際ロンギヌスの槍は他にも存在するし、釘や十字架の破片などもあちこちに存在。
その3点に限って言えば、本物は1つもないのではないか? と思うのは私だけだろうか?
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