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ミュンヘンで日本人ツアーはたいていアルテ・ピナコテークに行くらしいが、個人の方はノイエ・ピナコテークの方に入る率が高いらしい。
印象派など近代の絵画を収蔵しているノイエの方は絵の知識がなくても解り安いかららしい。
アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)
ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)
クラナッハとルター
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)
ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)(1472年~1553年)
Klage Unter Dem Kreuz 1503年
Lucretia(ルクレティア)
前回デューラーの所で紹介したのと同じ画題です。
後年特にクラナッハはルクレティアに加えてイヴ、ヴィーナスなどの聖女の裸体を多く描いています。
そして 必ずと言っていいほど女性は裸体の上に当時流行の装飾品を見につけている
のです。
デューラーの古典主義と事なり、 クラナッハの作品は画家の個性が強く独特の女性の姿に官能美がある
と言われていますが画題はそもそも女性の裸体を描く方便だったのかもしれません。
Das Goldene Zeitalter(黄金時代) 1530年
クラナッハとルター
以前「ポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)」の回でクラナッハの手によるマルティン・ルター夫婦の肖像画を紹介した事がありますが、 ルターとは親友であり、意外ではありますが、宗教改革側の公認画家でもあった
そうです。
彼自身プロテスタントに改宗しているかについては書かれていませんが、 ザクセン選帝侯を通してルターと親交を深め、宗教改革後はそれら教義にのっとった主題や神話画が増えたようです
。
クラナッハとルターに関しては別にとりあげています。よかったらリンク先見てね。
2017年3月「 クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)」
2017年4月「 クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)」
リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)
リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)
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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio) (1488年/1490年頃~1576年)
盛期ルネッサンスのヴェネチア派の画家であるティツィアーノは私の好きな画家の一人です
腕は素晴らしいし、何より 品格のある絵なので当時から王侯貴族が彼の絵を求めていた・
・と言うほど。
アルテに大作と呼べる作品はないが、美術書に紹介されるティツィアーノ作品は意外に多かった。
それは特にカール5世のおかげかもしれない。 1533年カール5世の宮廷画家に
なっているからだ。
最もスペイン王でもあったカール5世(カルロス1世)の事情? ティツィアーノの大作はヴェネチアだけでなくプラド美術館にも多い。
Die Eitelkeit Des Irdischen(地上の虚栄心) 年代不明であるが1515年頃ではないか?
選帝侯マクシミリアンIのコレクションより
聖母子と洗礼者ヨハネと寄進者 1520年頃?
一緒に描いていたジョルジョーネとの共作に思える一枚であるが同じ主題で寄進者が異なる絵を他にも描いている。
Kaiser Karl V(皇帝カール5世) 1548年
カール5世(Karl V)(1500年~1558年)
神聖ローマ皇帝(在位:1519年~1556年)、スペイン国王(在位:1516年~1556年)
アウグスブルグ滞在中に皇帝からの依頼で仕上げられたカール5世の肖像は神聖ローマ皇帝の称号のみならず、ブルゴーニュ公、ブラバント公、フランドル伯、ルクセンブルク公、ネーデルラント君主、ミラノ公、ナポリ王、シチリア王などの
沢山の称号を持つ権力者の肖像と言うよりは、一人の人間としての有りのままの姿を映している作品
のようだ。
まだ48歳なのに通風で、すでに杖(つえ)を使用していると思われる。
早くから権力の中枢に置かれたカール5世の人生は戦いの一生。孤独な支配者? 哀愁を感じる一枚となっているこの作品はさすがティツィアーノだからなのだろう。
それとも二人は気心知れる友人だったから描けた一枚なのか?
夕刻の風景の中の聖母子 1560年頃
荊の冠(いばらのかんむり)のキリスト 1570年~1576年
ティツィァーノの晩年、未完の作品である。
1540年、ミラノのサンタマリア・デレグラッツェ教会の為に描かれた絵のバリアント(variant)らしい。
工房に残った作品をティントレットが購入。後に選帝侯マクシミリアンIに売却される。
ティントレットぽさがあると思ったのは逆でティントレットがこれを真似したのだろう。
描きかけの筆のタッチが逆に劇的なダイナミサックさを表現しているかも・・。
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)(1450年頃~1516年)
ヒエロニムス・ボスについては、2014年2月「ピーテル・ブリューゲルとヒエロニムス・ボス」の中で取り上げていますが、今回のアルテの作品を一応紹介します。
ボスについては前にも書いていますが、 ボス存命中より非常に人気が高く、かつ彼の死後1550年頃にボスの回顧的ブームがわき起こり、非常に偽物が出回っている
のです。
基本祭壇画などが多いボスの絵、下はそう言うものの一部とされていますが、果たして本物なのか?
ちょっと疑問です
Fragme
nt Eins Jungsten Gerichts(審判の断片)
最後の審判の一部分(死者の復活)と考えられている絵らしいが、どこが復活かよくわからない。
自分の所にあるボス作品を照らし合わせて見てもパーツの雰囲気は似ているものの同じ怪物や行為が他から見つからないのである。
1817年以降ニュルンベルク城に所蔵されていたらしいが、それ以前の来歴が不明で製作年代も不明。
しかし、当局はこの作品が1504年にブルゴーニュ公フィリップ美男公が発注した「最後の審判」の祭壇画の一部と考えているらしい。
そしてウイーンの造形美術アカデミーにある祭壇画(三連幅)はそれの小品では? としているが、造形美術アカデミーの作品の中に同じ怪物はいなかった。
※ 別の回でウイーンの造形美術アカデミーの作品を紹介します。
さて、少ししか紹介しませんでしたが、芸術に造形の深かったヴイッテルスバッハ家のコレクションなのに全体の印象ではそこそこだった気がします。(ウイーンやパリの美術館と比べると・・)
想像の範疇ですが、もっと素晴らしい目玉となる作品が本来あったにもかかわらず、ナチスの時代に持ち出されているのではないか? と言う憶測がわきました。
ミュンヘンはヒトラーが関係した土地故に美術の造形の深かったヒトラーやその参謀であったヘルマン・ゲーリングらによって主要作品が散逸してしまった可能性があるのではないか?
オーストリアではヒトラーに持ち出された絵画を後から取り戻した・・と聞いた事がありますが、敗戦国ドイツの場合、そのまま戻る事はなく国外に持ち出された可能性が大です。
特にドレスデン爆撃で消滅したと言われるゲーリング空将の個人コレクションについては、アメリカ軍に持って行かれた可能性が・・。
以前ドイツの方に「ヒトラーやゲーリングの収集していた絵画はどうなったのか?」と質問した時に「アメリカに持って行かれた。」と返されました。それが真実ならメトロポリタンにでも行っちゃったのかな?
アルテ・ピナコテーク終わります。
back number
リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1
リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサイン
関連リンク
リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)
リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)
リンク ナチスのアートディーラー、ヒルデブラント・グルリットのコレクション
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