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2020.05.09
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新田次郎著「剱岳 点の記」を読んだ。


旧日本陸軍の陸地測量部(現国土地理院)では、明治中期より日本全国の測量が行われていたらしい。測量の仕事自体はもともと総務省の管轄だったが、陸軍がそれを取り上げたとのこと。

話は三角科所属の測量官、柴崎芳太郎を中心に描かれる。明治39年に次年度の仕事として命を受けその年のシーズン暮れに下見、冬を越えた翌明治40年の7月12日(公式には撰点7月13日)に、長次郎谷を詰めて測量隊としての初登頂を為し遂げた。7月12日というのは気象学者であった著者の見解だ。

立山には立山信仰という山岳信仰が存在し、イコールではないが立山曼荼羅というものが信仰の根幹となっているらしい。
立山曼荼羅における剱岳の体はまさに剣山であり、実際に別山乗越から見た剱岳の様相からも納得できる表現だ。緑に覆われた周囲の山々とは違い、剥き出しの岩がそのまま剣沢から天に向かって伸びている。何物も寄せ付けない、岩の殿堂である。

明治40年の剱岳登山は困難を極め、登頂は果たしたものの当初予定していた三等三角点の荷揚げと設置は厳しかった。三角点の設置は撰点、造標、測量の手順を踏むが、造標の建設材料の揚重は諦めざるを得なかった。柴崎は代わりに四等三角点(通常、三等三角点の補助として設置される)を設置し、剱岳の測量を行った。なお、陸軍公式の測量記録である点の記は三等三角点以上の設置について記録する規則のため、剱岳についての記録は一切残されなかった。

柴崎らが登頂した際、頂上には錫杖と鉄剣が放置されていた。山岳信仰の行者が遺していったと思われる。事実として、柴崎らは初登頂ではなかった。しかし、彼らの前に登頂した人間がいたとしてもその詳細は不明だ。公式記録としては柴崎測量官らを初登頂として問題ないだろう。

2004年、国土地理院によってヘリコプターで三等三角点が剱岳に埋標された。国土地理院は規則により点の記を作成、その撰点日と記録者は明治40年7月13日・柴崎芳太郎と記された。



2018年の夏に、北アルプスの縦走登山をした。新穂高温泉から双六岳、三俣蓮華岳、水晶岳に寄り道し、雲の平、薬師岳、越中沢岳、五色ケ原、ザラ峠、雄山、雷鳥沢を経て最終日に剱岳の絶頂を極めた。一週間の縦走だ。

縦走五日目には剣沢に到達していたのだが、低気圧が接近しており未明から翌日の天気は酷い荒れようだった。一晩雷鳥沢に踏ん張り、いつ吹き飛ぶとも知れないクロノスドームの中で一睡もできなかったのはよく覚えている。
低気圧の通過した七日目は台風一過のごとく晴れ渡り、無事に別山尾根から剱岳を登頂した。

現地に訪れていたおかげで、内容をはっきり想像しながら読むことができたのが嬉しかった。次回立山訪問の際には、立山信仰に是非触れてみたいと思っている。





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Last updated  2020.05.09 13:50:48


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