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特に、「内部」の人及び入塾を考えている人への連絡です。当ブログを見た人は伝達してください。電話をもらった人には既に伝えました。英和辞典は必須ですので購入してください。(ジーニアス英和辞典)和英辞典は必要ないし、使わないと思うので購入の必要がないと思います。国語辞典は、今持っているのでいいでしょう。必要なのは古語辞典。塾では「旺文社古語辞典」を薦めています。漢和辞典はいらないでしょう。また、入学祝などで「電子辞書」を手に入れた人は、学校でも使えるそうです。それでも英和辞典は買っておいた方がいいと思います。明日から「点数開示」も始まります。みんな早めに開示してもらいましょう!「卒塾記念写真」も出来ていますよ。
2009.03.22
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今日の新聞に国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表されていた。中には、学力低下「歯止め」なるヘッドラインもある。相変わらず「国家の教育権」の立場に立つとしか思えない「日本の中学生」という一般表現をとっている新聞や識者への是非は措いておきましょう。その中で中2の理科の「地球の地軸の傾きが引き起こす現象についての問題」は正答率が国際平均を下回っていたそうだ。この記事を書いた人(恐らく共○通信の人)は、もう少し「学習課程」の勉強をしてから記事を書くべきだ。つまり、この問題の学習をするのは中3の、それも2学期が大半だということだ。だから「できる」方が不思議だ。はっきり言って、こんな調査は文科省の存在証明のためにあるとしか思えない。かの「学力テスト問題」もそうだけど。まあいずれにせよ、小中学生の「基礎知識」の向上は、通塾率とも関係があるはず。そして、「詰め込む」ことによる「基礎知識の向上」は、当然のことだけど、勉強が楽しいことには結びつかない。「楽しい割合が国際平均より大幅に低い」ことが何を意味しているかは想像できるだろう。
2008.12.10
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かなり冷え込んでいます。このまま雪になると困ります。すでに若干山寄りの子は迎えに来ました。20cmくらい積もっているそうです。なので、センター試験について、「ヤマ」をかけてみました。ここです。(笑)入塾申込は、何人来ているのか・・・・不明です(笑)。あとで(坂出校へ帰れば)分かるでしょう。本当は今日の受付は申し込む人にとって楽しかったはずなんですけど。というのも、「塾の顔」とも言うべき生徒諸君が受付をしていましたから。明日からも生徒たちは来ますけど、学校がありますから時間が短いのです。塾がどうのより、どういう生徒がいるのがが問題ですから。我々は入塾試験で初めて顔を合わせた方が「先入観」なく見られますから。さて、思いのほか出来が悪くて落ち込んでいる諸君、もう過ぎ去ったことだよ。今からが大事なんだから。悔しかったら、その悔しさを「これから」に繋げないと!
2008.01.20
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ブログで注目の「南の海の音がする」さんから質問をいただきました。答えられる範囲で(これは、秘密があるということではなくて、私の能力的に、ということ)、書いてみます。順序通りではないのですが(笑)。まず、「前提条件」から。私のところでは、中学生の場合、ほぼ10校前後の学校から来ています。学校では3年前まで(今の中3)は「全県一斉」で東京書籍の教科書を使用していました。今の中2からは、地理と歴史に関して、東京書籍と帝国書院の二本立てになっています。そうすると、同じ教室で2種類の教科書を使っている子たちがいますから、今までのやり方ではスムーズに行きません。今までのやり方は、こういうものを作って「問題集」として渡していました。初版の発行が1982年ですから、かなりの年月になります。一時は書店販売も行っていました。(今は教科書図版の著作権が気になって(笑)、販売していません。)というのも、「ずーっと」全県一斉の教科書だったからです。ところが、2種類になりました。そうすると、2種類の「短答式問題集」を作成するのか、別の方法にするのかということになります。短答式が威力を発揮することは分かっているのですが(勿論真面目にやれば、ですが、それは何でも同じですね(笑))、高校生になって(高校生の6~8割は「持ち上がり」です)、社会関係の学習をどうするかを考えた時、やってみる価値はありそうです。そこで、今の中2からこのようなものにしてみた訳です。もちろんすべて「自作」です。【これで(3)と(5)はOKですね(笑)】次に全体のシステムですが、基本的な予定は、このようなものを作っています。基本的に、「この範囲をまず自分で学習する⇒質問を受ける⇒テストをする⇒答案を交換して、教科書を開けて解説しながら採点する⇒答案回収」という手順で行います。教科書を(こちらは)2冊見るのは大変ですが。次に、この小テストやカリキュラムに見られる「実力テスト」は2月に全県一斉で行われる「学習の診断テスト」(一種の「校長会テスト」)に向けたものです。学習の診断テストは中1・中2は年に1回、中3では年間5回行われ・・・ほぼそれが学校での「進路指導」の基準になっています。(内申よりむしろこの点数かもしれません。配点は入試と同じ。)ですから、「定期テスト」とはちょっと違います。定期テストは2学期制と3学期制の混在、テスト時期はばらばら、教科書も違う、と一斉に行うことはまず不可能です。しかも、ワーク類そっくりの学校から、教科書関係なしの学校まで様々です。もっとも、基本的に定期テストは自力で、というのが建前ですけど(笑)。学校配布の問題集(「社会の分析」という名前のものや学校によっては別の基本的な問題集を与えています)がそれなりによくできているので、「Key work」は任意で購入してもらっています。それらをしっかりやれば、できる(はず)です。ちなみに、社会の分析は、高松地区(最も人口が多い)で採択されている帝国書院にぴったり合っています。逆に言えば、坂出地区の子にはちょっと可哀相な「学校ワーク」です(笑)。さて結果(成果)ですが、少なくとも去年の場合、社会の教科平均点に大きな変動は見られません。総合成績では中学校のトップ3名、塾生の約3分の1が1桁です。塾作成の「実力テスト」答案を見た限りでは、もう少しきっちり「範囲指定」をして、学校進度にかかわらず(これが重要ですね)やれば、できるという感触は持っています。とりあえず、こんなところで。今日から入塾申込受付で~す!
2008.01.20
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約1年前に始まった、2006年度中3の社会テストが最終回を迎えた。(授業は明日でオシマイ。)そう、33回目のテスト。今、問題を配布したところ。ほぼ2月以降のテストの復習テストだ。もちろん、入試予想問題。つまり予想の予想(笑)。本当の力をつけるには、予想は「よそう」なんて言っても、入試本番は8日。「全員余裕で」という状況では残念ながら・・・・ない。さて、最後の「答案作成状況」を見よう。綺麗な字で書いているかな?今日の試合の「決勝戦」は1-3で負け。惜しかったけど、やっぱり4番の力は偉大(かな?)(笑)。
2007.03.04
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「世界史未履修」に端を発した問題は、他の教科にも及んでいる。(公民科、保健、情報・・・)社会でも世界史Bを選択した子で、もう一つの教科(日本史または地理)をやっていない子もいた。学習指導要領の不当さ、更に法的根拠の曖昧さにまで遡った対応は今のところ無い。そこまで問題が拡大すれば、文科省の責任問題は免れないだろう。マスコミも本質を追及しているようには到底思えない。「世界史必修」が悪いのではなく(それ以前には、世界史も日本史も必修だったのだ!)、大学入試制度を放置したままで、「ゆとり教育」を推し進めた者こそ責を問われるべきである。(まあ、張本人のT氏は退官したが。まったく見越していたように・・・・)そして、更に言うなら、ばれなければ何をしても良い、あるいはせいぜい、法スレスレでも、摘発されなければよい、という風潮(政界から経済界まで途方も無く多い)こそ、その元凶の大きな位置を占める。そもそも「順法精神」などないのだ。正確に言えば、そのような価値観を排除してきたのだ。もちろん政府そのものが。そういう視点で見たとき、果たして今回の事態を「弾劾」できる人間がどこにいる?話がずれた。私たちの時代には、世界史・日本史・地理・政治経済・倫理、全て必修だった。(私は、大学入試は、結局、世界史・日本史)地理も今は面白いと思うし、世界史と関連付けて学習すれば、もっと面白い。ただ、昔は「誰が教えるか」は結構重要なファクターだった。勿論、「人確法」以前の話である。ある程度世界史Aの教科書をお読みになった方々は知っておられると思うが、日本のこともしばしば登場する。そして、「世界の動きの中でどう位置づけられるのか」という視点が貫徹されているように思う。対外関係が重要視されるというより、それなくしては存立し得ない今日、若者が世界史を学んでおくことは先達の責務であるとさえ思う。日本史がやがて「国史」となり、排外主義と優越感で再び戦争への道を辿ることは決してあってはならないと思うのである。(その危険性は極めて大である!)
2006.10.30
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今,かちー先生もご存知のK先生と話していました。「高松地区はどうですか?」(生徒の集まり具合では勿論ない(笑)。かの「未履修問題」。)恐らく,もう一段階の「発覚」があると思うが・・・ 「ほんま言うたら,世界史くらいは勉強して大学生になってもらいたいですよね。」「そうですね。」「これから世界に飛躍していく子供たちが,世界史を知らないでは話にならないと思うんですけどね。」「そうですね。」さて,今日も朝から練習(雨模様で欠席者多数)。高校の掲示板に,「まともな意見」を発見して,ちょっと安心したところ。
2006.10.29
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世界史必修に関わる問題が各地で噴出している。昨日取り上げた「四国新聞」の一面に次のような記事を見つけた。「県内の公立高35校問題なし」・・・・県教委によると・・・・各校に対して在校生が教育課程表の通り履修しているかを、直接確認。問題のある高校はなかったとしている。これが事実かどうかは、「学校当局」でなく、「在校生」そのものに聞いてみれば分かる。新聞がそれをしないで、しかも一面でこのように書くことが「マスコミ」の実態を表していることにもなる、ということに気付かない!それなら、単なる県教委(乃至「権力」)のスポークスマンに過ぎない。それでは「危険な時代」と同じではないか。本論からそれた。実はこの問題は、既に述べておいた。「手口」の巧妙さは開いた口が塞がらない。「表題」は世界史、テスト内容は日本史だったり地理だったり。「学校は決して信実を教えるところではない。」という真実を反面教師として教える必要はない。また、現在の教育課程が「受験」との関係で「おかしい」のなら、そちらを変える方向に向かうべきだ。あくまで嘘を嘘で塗り固めているとすれば・・・・もっと大きな問題になるだろう。そして、何より恐ろしいのは、ある程度しか「自分」が出来ていない子供たちに、「ばれなければ嘘を言えばよいのだ」ということをしっかり教えていることになるということだ。社会1教科くらいは、独学でも何とかなる程度だし、今はA教科もある。間違いは直すのが「すじ」である。
2006.10.26
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Kamiesu先生が、ちょっと前に「公民の教科書」から引用されていた。その教科書は、帝国書院の教科書だと思われる。(p.94~95)その同じページに、コスタリカの平和憲法が紹介されている。ちょっと引用しておこう。『外国の憲法にも、平和主義を取り入れたものがあります。たとえば、コスタリカの憲法もその一つです。コスタリカには国境警備隊は存在しますが、恒常的な組織としての軍隊をもつことは禁止されています。非武装と平和外交を実践し、軍事費は教育費に、という政策がとられています。』この憲法を持つに至った経緯については、ここあたりで分かる。更に、わが国の「防衛費」のグラフや諸外国との比較のグラフも掲載されている。さて、わが国が軍事力(武力)をもつべきか、もつ必要はないかを議論するに当たっては、個人的ないし感覚的判断だけではなく、法律的な側面からの学習は不可欠だ。現在のわが国の「最高法規」は日本国憲法であり、軍事に関わる条文は憲法第9条なのだから、それらをきちんと読んで判断することは、学習者としては当然の責務である。勿論、現在の北朝鮮の核実験などの問題も当然議論の材料として出されなければならない。しかし、同様に、今年の8月30日に行われたアメリカの「臨界地下核実験」のことも俎上に載せなければならない。(このことを知る人間がどのくらいいるだろう?マスコミ等の報道が、既にかなり偏っている。)しかも、現にわが国に原爆を投下したのはアメリカをおいて他にはないというのに。そういう諸条件を吟味し、その後に「軍備が必要」と考えるのなら、「憲法改正」(実は「改悪」だと私は思っているが)に向かうのが「すじ」である。私たちの県では、長い間「全県一斉」で東京書籍の教科書を使ってきた。そう「天下り」が最も多いとされる出版社である(笑)。今回、帝国書院の教科書が採用され、「こんな教科書もあったんだ」というくらい、きちんと整理されて編集されている。不勉強を恥じるばかりである。私は、編集者に敬意を表したい。
2006.10.14
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さて、O君の「論文」引用もそろそろ決着を付けなければならない。この間、いろいろな方々の「国語論」を拝見してきた。とりわけ、考える学習をすすめる会(ちょっとニックネームがユニークです)の記事はいろいろなまとめの要素を持っている。しかも、実践的に述べられている。ここから、いろいろリンクがあり、まさに「まとめ」。(笑)また、masa/k先生のこの記事もいろいろな視点を喚起してくれる。さて、私は、国語力を、「本来の国語力」と「受験国語力」に分け、後者が何か劣るもののようには捉えない。塾という限られた時間を共有することしかできない場において、O君が受けたような「討論」と「書くこと」に多くの時間を割くことは不可能だ。その上、様々な試みを行ってはいても、「得点アップ」に繋がることは一種の「暗黙の了解」とも言えるし、そのことが「真の」国語力からかけ離れるものでもない。また、前書きが長くなった。☆ここから引用☆「話し合いが一段落すると、必ず2回目の意思表示となる。一方が優勢に討論が進めばそちらに人が流れるし、それでも考えを変えない人もいれば逆に劣勢の方に移る人もいて、ともかくそれまでのやりとりを通して変化し、またはしなかった意見を自分の中で整理してはっきり表明する機会が与えられた。もちろん「わからない」ままの人や新たに「わからな」くなる人もいたが。そんな討論は、先生のゆるやかな総括によって幕を閉じ、自分の中での結論は授業後に書く「評論文」の中でまとめることとなる。最初に問いを示された時から、討論を経て、そして書く段階に至るまでの考えの推移を「文」として表現し、ひとつの討論が完結する。」☆ここまでで引用終了☆このような授業が小学校(それも普通の公立の)で行われていたことに驚きを禁じえない。様々な「授業案・方法」に関する「マニュアル」が氾濫していることは承知しているが、仮にその一つであったとしても、現に、「現国」が大好きで、表現力豊かな文章を書くことができ、新聞を読ませてもスラスラ読め、勿論、点数も取れる。そういう一人の人間が誕生したことは間違いない事実であって、その事実の方が観念的論理よりも遙かに重要だ。もう一つ、(本人の承諾はとっていないが、ブログで「公開」しているのだからいいだろう)、最近のブログからリンクしておこう。卒塾生T君の「学びの記録」である。(笑)
2006.10.12
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あちこちで、国語論が語られている。そういう風になるのは、「ブログ」の存在にとって、とてもいい傾向だと思う。なぜなら、このままランキング競争やらが隆盛を極めると、それこそ、やがて飽きられ、衰退の憂き目を見ること必定であるから。私は、少なくとも「明日のテスト作り」は済ませてからブログにかかることを、最低限のモラルとして守っていこうと思っている(笑)。だから、50件更新などは別世界の話題だ。それに、もしかしたら、ヴァージャーさんが述べられているようなところ(「サービス」云々)が真相かも分かりません。ちょっと前置きが長くなりすぎました。まるで長い来賓挨拶にイライラするような方も居られるでしょう(笑)。現国の出来る子は、読むのが速い。勿論、語句をたくさん知っている、そして所謂観念用語にもイメージを持つことが出来る・・・要するに、言葉を知っているのだ。☆さて、ここからO君の『現国論』の引用☆「何よりおもしろかったのは国語の授業。特に「手袋を買いに」と「ごんぎつね」の授業は、今の現国に対する姿勢の全てを育んでくれた時間だったと思います。内容はひたすら討論。「ごんは死んだのか」「ごんがうたれたのか、兵十がうったのか」というような問いが提示され、自分の意見をはっきりさせようと言われた。ただし、この時、「どちらともいえない」とか「わからない」という意思表示も尊重され、その考え方は、その後の討論においても第3の視点として重要なものだったと思うし、Yes、Noだけにとらわれないというのは新鮮でもあった。討論は、自分の意見を裏付ける表現を十分探した上で行われ、ある程度の誘導、助言のもとに、生徒同士の意見の応酬、今思えばびっくりするほどのやりとりが行われた。助言が的確で、かつ生徒の意見を押さえ込まない尊重したものだったからあんなにもみんな夢中になったのだろう。そして討論中にはメモ。これは後に書く「評論文」につながっていく大切な作業だったが、クラスメイトのきらりと光る発言には、少なくとも自分がそう判断した発言にはもちろん赤ペンのチェック。」☆引用ここまで☆ちょっと疲れた。いえ、ブログではなく、テスト作りに(笑)。そういえば、私が太宰を読み出したのは、高校1年のときの教師の影響が大きい。彼は、太宰情死の新聞記事の切り抜きノートなどを持っていた記憶がある。ということは、授業はいわゆる「お話」のオンパレードだったのだろう。(もっとも、昔はそういう教師が多かった。今は・・・?)さて、どうやら、少なくとも、個性的な(笑)国語教師は必要だと思われるが、また次回をお楽しみに~!
2006.10.06
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ちょっと話題に遅れ気味だけれど・・・猫ギター先生やZEST艦長が、「国語不要論」を述べておられる。それに対するアンチテーゼとまではいかないが、いつか披露しようと思っていた論文(?)があるのだ。現国のとてもよく出来る、ある子(とりあえずO君としておこう)がいた。彼は現役で文1に合格し・・・もうすぐ「官僚」になる。その彼に、現国の出来る理由を以前に書かせたのである。今、その論文を一挙に掲載するのはちょっと無理なので、何回かに分けて、「引用」しよう。彼の現国の出来る素地は、どうやら小学校3・4年生のときの教師によって形成されたものと思われる。☆ここから引用。「今、彼(注:小学校3・4年のときの担任)のせりふの中で憶えているのは、『ノートは鉛筆と赤ペンだけで勝負しろ』ということ。読んだ内容や聞いたことをシンプルにまとめ上げることを常に意識すること、そして赤ペンというたった1つの強調の術を使う部分を見つけ出すこと、それを自然に行うことを目指した言葉だったのかな、と思っています。日記の継続も彼がすすめたことの1つです。それもおもしろい日記を書けと。例えば、インパクトのある文を書くには、文は話し言葉、つまりかぎかっこや、さらには擬音語で始める手があると。とても単純だった当時の自分は、とにかくその一日の「音」を思い出し、導入の表現をさがしていました。そうやって書き上げた日記には、当時の自分にとってはご褒美に近いような、小学生心をくすぐる知的な言葉が添えられました。「百日継続」というのをとりあえずの目標に、ネタがなくてもどうにかして何かを書き上げるという経験は、一日一日に意味を持たせるということからも貴重なことだったような気がしています。」☆とりあえず、第1回はここまで。小学校の先生は重要だなと本当に思う。その子の一生を決めてしまう。私にも似た経験がある・・・・。では第2回をお楽しみにー!
2006.10.05
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