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さて、O君の「論文」引用もそろそろ決着を付けなければならない。
この間、いろいろな方々の「国語論」を拝見してきた。とりわけ、 考える学習をすすめる会 (ちょっとニックネームがユニークです)の記事はいろいろなまとめの要素を持っている。しかも、実践的に述べられている。
ここから、いろいろリンクがあり、まさに「まとめ」。(笑)
また、 masa/k先生のこの記事 もいろいろな視点を喚起してくれる。
さて、私は、国語力を、「本来の国語力」と「受験国語力」に分け、後者が何か劣るもののようには捉えない。
塾という限られた時間を共有することしかできない場において、O君が受けたような「討論」と「書くこと」に多くの時間を割くことは不可能だ。
その上、様々な試みを行ってはいても、「得点アップ」に繋がることは一種の「暗黙の了解」とも言えるし、そのことが「真の」国語力からかけ離れるものでもない。
また、前書きが長くなった。
☆ここから引用☆
「話し合いが一段落すると、必ず2回目の意思表示となる。一方が優勢に討論が進めばそちらに人が流れるし、それでも考えを変えない人もいれば逆に劣勢の方に移る人もいて、ともかくそれまでのやりとりを通して変化し、またはしなかった意見を自分の中で整理してはっきり表明する機会が与えられた。
もちろん「わからない」ままの人や新たに「わからな」くなる人もいたが。
そんな討論は、先生のゆるやかな総括によって幕を閉じ、自分の中での結論は授業後に書く「評論文」の中でまとめることとなる。
最初に問いを示された時から、討論を経て、そして書く段階に至るまでの考えの推移を「文」として表現し、ひとつの討論が完結する。」
☆ここまでで引用終了☆
このような授業が小学校(それも普通の公立の)で行われていたことに驚きを禁じえない。
様々な「授業案・方法」に関する「マニュアル」が氾濫していることは承知しているが、仮にその一つであったとしても、現に、「現国」が大好きで、表現力豊かな文章を書くことができ、新聞を読ませてもスラスラ読め、勿論、点数も取れる。
そういう一人の人間が誕生したことは間違いない事実であって、その事実の方が観念的論理よりも遙かに重要だ。
もう一つ、(本人の承諾はとっていないが、ブログで「公開」しているのだからいいだろう)、最近のブログからリンクしておこう。 卒塾生T君の「学びの記録」 である。(笑)
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