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松下電器の社員の愚痴「私たちは来る日もせっせと電球を磨いているだけや。こんな単調な仕事にどれほどの意味があるのか」に対して、「きみがせっせと磨いている電球な、それがどこで光っているかを考えたことがあるか。たとえば、その電球が真っ暗な夜道の電柱に使われていれば、それまでのその暗い道を避けて、遠回りをして家に帰っていた人がまっすぐ帰れるようになるかもしれん。 あるいは、子どもが家で絵本を読んでいるとき、夕方になって家の中が暗くなってしまえば、子どもはそれ以上、読めなくなり、どんなに楽しい絵本も閉じなくてはいけなくなる。 でもな、そこに一個電球が灯ってみい。子どもは絵本を読み続けられる。彼らの夢は続行されるんや。だから、あんたは電球をつくっているんやない。人の喜びをつくっているんや。あんたが磨いているのは電球であって電球やない。あんたが磨いているんは子どもの笑顔や。そう思って仕事をしてほしい」と言われたそうです。(「今日は心を見つめる日」 著者 衛藤信之著 サンマーク出版より抜粋)日々の仕事をルーチンワークだと思い、やる気を失いがちな事務仕事。何のために仕事をするのか、意味深く受け止められる言葉です。反面 私の夢・・自分が考える商品は、ここに思いがあることそれを深く感じています。
2012年07月23日
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感動しました。第83回選抜高校野球大会 選手宣誓 (創志学園 / 野山主将)23日、甲子園阪神淡路大震災の年に生まれた子供たちが選手として活躍するのか、もうそんなに年月きが流れているのか・・・と、改めて思い・・・心に響く 選手宣誓でした。応援していた創志学園は惜しくも初戦敗退(北海2-1創志学園)Yahoo!ニュース でしたが、立派なプレーでした。創志学園はきっと夏の大会へも出場を決めてくれると期待し、応援しています。
2011年03月27日
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新聞のコラム 飛鳥圭介 おじさん図鑑に種田山頭火の俳句、捨てきれない荷物のおもさまへうしろ が紹介されていました。年齢を重ねれば重ねるほど諸々の執着をはがし落として行かなければ身動きが取れなくなる・・・と、私はてっきり、荷物=物 と勘違いしていたのですが、自責の思いであったり、欲望であったりだったのですね。父の葬儀を終え、改めて家の物の多さを知り、今年は年末までに荷物=物 をすっきりさせたい!!捨てられない性分の母を何とか説得し、不用品は処分したいと思っています。
2010年04月06日
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ブログの更新・・・ご無沙汰していました。3月24日に思いもかけず、病気療養中の父が亡くなり、お通夜、お葬式、初七日と慌ただしい日々でした。未だ、亡くなったことが信じられない・・現実ではないような感覚でいます。桜の時期・・・父の死にお悔みの手紙の中に「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」西行法師の一首を添えてもらっていて・・3月24日は、父の誕生日そして3月24日は、父が亡くなった日こんな偶然があるんですね、生前は、存在感のある父でしたが、最期はあまり苦しまず、安らかに逝きました。皆様のお陰で、良いお葬式が行えました。ありがとうございました。
2010年04月02日
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友人のブログから・・・徳は孤ならず、必ず隣あり 「徳のある人物は孤立しない。 必ず共鳴者が現れてくる」という意味だそうです。 ... この「徳」という言葉、ブームの「論語」のなかでも度々登場しています。徳のある人は、自分のことだけ考えるのではなく、周りのことも考え行動してるから孤立しない・・・ってことなんでしょうね~。心に留めておきたい言葉です。って、何か・・・以前にも 紹介、書き留めていました
2010年01月18日
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「半泥子」とは、「なかば(半ば)なずみて(泥みて)、半ば泥まず」という意味だそうです。何にでも没頭して泥んこになりながら、それでいて冷静に己をみつめることができなければならない…そんな意味なんだそうです。発明の世界には、この言葉が合っていますね~。出来るだけお金をつぎ込まない。不要な時間・労力をかけすぎないなど・・冷静に己をみつめること・・・近頃、大切に思うことです。
2009年12月23日
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友人のブログから今日は、論語の衛霊公篇から。子曰わく、人にして遠き慮(おもんぱかり)無ければ、必ず近き憂有り。孔子先生は言われました。「長期的な展望がなければ、かならず近いところで心配事が起きるものですよ」長期的な展望ねぇ・・・ぼんやりは浮かぶけど、より具体的に浮かぶといいんでしょうね私の場合は・・自分の商品が多くの人に満足しながら使ってもらえること。一つの商品だけでなく、自分の考えたものあれこれがちゃんと売れる商品になること。そして、シンプルに、スマートに、しなやかに生きていけれたらいいなぁって、・・・ところでしょうか。
2009年07月02日
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講談社「週刊少年マガジン」懇談会レポート&第9回コミックイラスト選抜展特別賞という記事・・・(KFSフェーマスアート受講生に送られて来る月刊フェーマス2008.12月号を見返していました。)編集部の方の言葉に「個性とひとりよがりは紙一重」って、書かれていて・・なるほど~、これは個人発明の場合も同じですね~。似たようなことをよく言われているような気が・・・漫画家の世界も読む人に分かることが大前提で、オリジナリティだとか個性だとかで、自分だけが分かるではダメのようですし・・・個人発明家も同じに 商品を買ってれる人あっての発明品だから・・自分だけ満足ではダメなのでしょうね。個性とひとりよがりは紙一重・・・inputしておきたいと思います。
2009年04月12日
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友達のブログに・・しおりの言葉が紹介されていて・・いいなぁと思ったので・・たいせつなのは どれだけ たくさんのことを したかではなく、 どれだけ 心をこめたかです。 マザー・テレサいつの間にかいろんな事に追われてこなしていくことが目標になってないかな。・・・・・私もこなしていくことが目標になってるかも・・・で、この言葉を心に留めておきたいと、私のブログにも掲載。 ・・・心を込める・・・あんまり出来てないなぁ
2008年12月06日
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論語に「徳は孤ならず、必ず鄰(となり)あり」って言葉があるそうです。徳はとかく煙たがられて一見「孤立」することもある。しかし、どこかには必ず理解してくれる人がいて、忍耐と寛容を持って誠意を尽くせばやがて多くの人にも支持してもらえるという「徳不孤」。良いことである限り、理解者も現れる・・あまり周辺の人のやっていないことを目指している私は、やってることが周囲の人達には理解されにくかったのかも・・・でも今は、応援してくださる方や仲間、アドバイスしてくださる方が現れています。ありがたいことです。
2008年10月10日
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毎月読んでいる月間誌「経理WOMAN」の8月号(書店では入手できません。)浅木久仁子さんのコラム わたしの金銭哲学いざというときこの家の中に溢れているものを、どこまで削れるか、・・・いつも「今、背負いすぎていないか」と考えるようにしています。・・・それは、お金に限らず、人間関係もそうだし、仕事もそうだし、すべてについていえることではないでしょうか。必要以上のものを背負わない。背負いきれないものは背負わない、でも一度背負ったら最後まで背負っていくつもりです。とあって・・・私の背負いきれないもの・・・を思い浮かべました。必要以上のものを抱えていないか?不要な心配になるようなもの抱えてないか?また、背負わされそうになっていないか?、と・・・ものは処分したい、整理したいと思いながら はかどらず、削れる部分もあるはずなのに、ダラダラとを仕事をし、なんか、不要に背負わされているものもあるなぁ~。と、自分自身が成長できるものへの挑戦は、必要でしょうけど、気が付かないうちに、何でもかんでもやっていると、いつの間にか抱えすぎてたりしますよね。私も半年ほど前、欲張っていろいろとやっていたことを削ってみました。大切なものを見失わないためにも、「背負いすぎていないか」を私も考えるようにしたいと思います。
2008年08月30日
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論語「子曰く、賢を見てはひとしからんことを思い不賢を見ては内に自ら省みる」友達のホームページから仕入れた言葉ですが・・・解説:「有徳の優れた人を見れ ば、同じようになろうと思い、徳のない劣った人を見れば、自分も同じように愚かなので はないかと心の中で反省する」印象に残ったので心に留めておきたいと思います。(学生時代に習ってたのかも知れませんが、まったく忘れています。)
2008年08月05日
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待ち時間に読んだ女性週刊誌に、『 智に働けば角が立つ情に棹されば流される』印象に残ったので、メモりました。(私の場合、智に働けば・・・は、ないかなぁ。)夏目漱石の「草枕」の有名な冒頭・・・は、 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。でしたね。
2008年01月28日
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昨日、待ち時間に読んだ本の中に(数ページ)、「ブランド品は持たないとか、お金持ちにはならなくても・・・なんて言葉は使わない(思わない)ようにしないと、お金は入って来ません。それは、自分がお金に対して制限(見えない境界線)を持っているようなもの。」とありました。昨日まで、私のブログの紹介文の中には、「なかなか思い通りにならない」とか、「お金持ちになって贅沢をするのではなく」という言葉が入っていました。これらは、知らず知らずに、私自身が贅沢をしてはいけない、思いどおりになってはいけないと思ってたんですね。だから、今日から紹介文は、「やりたいことや買いたいものに、上手なお金の使い方が出来、時間の使い方や日常の生活をより良く改善して、楽しい発見や感動がある日々を過ごしたいと思っています。」にしました
2007年12月15日
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先日、たまたま隣席となった剣道7段の先生とお話をする機会があり、この言葉を教えて頂きました。「無念無想」とは、迷いの心を離れて無我の境地に入り、何事も思わず、無心になること。「明鏡止水」とは、曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態をいうそうです。そうした状態でいると、相手の心が読め、相手の来る手に応じる手が見えてくる。勝ちたい、相手を打ちたい気持ちが先に出ては勝つことが出来ず、自分の心の中を「無念無想明鏡止水」の状態にし、無心で打つことで勝てるのだそうです。この状態でいることは、剣道7段の先生でも難しいそうです。とても奥深い言葉だと思います。
2007年10月27日
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出会った言葉も大切にしたい・・・そこで、ここに書いてみようと思いました。「一粒は わが胸にまく花の種」 千代女この言葉は、友達の友達が出版した書と言葉の本「雪月花」から引用しています。一粒の種に夢と希望がつまっていて、まず思い、願うこと。自分の蒔いた種から花が咲けばうれしさは格別。この句はその種を自分に蒔くというものだそうです。同時に地球人として、各々が平和の種まきも訴えられています。
2007年10月15日
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