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7月に、息子の経口誘発試験で落ち込んでいたのもつかの間。薬を飲ませ間違ったり(夫)、確認しないまま飲ませたり(夫)。(以前は乳製品から作られていた薬。現在は乳は使われてなくて、結果的には良かった。この話は、ブログに載せるつもりだったけど、あまりにも情けなくて、その気が起こらなかった。同じ過ちを繰り返すところだった。)その後、娘がストレス性胃炎を起こし、胃カメラ検査。原因は学校でのコミニュケーションによるトラブル。というか、思春期に起こりがちなストレス。これは時間が解決するだろうけど、今娘は戦っている。次に、部活中の熱中症。今年は暑いので、体育館で締め切ったスポーツというのは、辛い。まあ、点滴一本で、解決。次に、舅が倒れ、一週間後には、実母が倒れた。二人とも、今ICUで戦っている。二人とも、最初は危篤だった。舅は、80歳も過ぎているので、普通は、この状態だと、大抵死にます、たぶん、もうダメでしょう、などと言わるほど酷い肺炎だった。が、日ごろ畑仕事などをしているせいか、なんと、持ち直した。今日は、自発呼吸も出来るようになったという報告があった。危篤は脱したのだ。良かった。問題は私の母。腹部に激痛が走り、普段我慢強い母が、自分で救急車を呼んだという。救急病院から私の携帯に電話がかかったのが、朝8時半。不運1 評判の良くない病院からだった。救急車の人に希望も言えないまま、空いている病院に、そのまま運ばれてしまったのだ。そう思い込んで、居てもたってもいられなかった。駆けつけると、「便が溜まっていたので、浣腸しました。もう帰っていいですよ。」と言われ、なぁんだ、と、ホッとしたが、どうも様子がおかしい。帰れる状態ではないようなので、落ち着くまで少し待合室で、休ませてくださいとお願いしたが、一歩も動けず、冷や汗をびっしょりかいている。ますます、痛みが強くなる母。不運2 日曜日だった。若い当直の先生。所見では、悪いところは見当たらないが、検査する必要があるかも知れないので、明日内科の先生に診てもらいましょう。と、入院することになった。明日…?今日は、内科の先生が居ないから?…。この状態で明日まで我慢して待つのか。ところが、入院してベットの上にやっとの思いで座っている母は、ますます全身の痛みを訴え、冷や汗が次から次へ出てきて、どんどん状態が悪くなってくる。「もう、何もすることないから、あんた達(私と妹)は、もう帰り。」と強くいうし、朝飛び出したまま、息子の昼ごはんは、アレルギー用レトルトを電話で指示したままだったので、家の方も気になる。こんなとき、息子がアレルギーでなければ、外食でもさせたら良いのにと、悔やみながら、一旦家に戻り用事を済ますと、ほどなく病院から電話がかかってきた。「お母様の様子が急変しました。すぐに来て下さい。」急変?一体…。訳が分からない。便秘って言ったよね。朝、激痛が走ってから、11時間経過していた。「お休み中の先生を呼んでいますから、もう少しお待ちください。」自転車を飛ばし、汗を拭きながら到着した病院のナースステーションで言われた。すぐ来て下さいって言ったでしょ…そして、母の顔も見られないまま、廊下で30分以上待たされる。妹も駆けつけていた。ほんっとに、この病院は、どうなってるの!と、半ば腹も立ちながら、母の容態が心配でたまらない。やっと来た先生は、内科ではなく外科の先生。「腸に穴が開いて、破裂しています。そこからお腹の中中に、便が撒き散らされて、とても危険な状態です。すぐに開腹手術をしなければ、致命的です。」つまり、ほっとけば死ぬってこと。更に、手術中や、後にも、危険が伴うという説明を受けた。説明は、とても丁寧だ。手術だから、内科ではなく、外科の先生が来てくれたのだ。何で、朝の8時に救急車を呼んだ母が、夜の8時に、そんなことを言われているのか。ずっと痛みを我慢していた、母がかわいそうでならなかった。腸が破裂して穴が開いてれば、そりゃー痛かっただろう。この前、娘が胃に穴が開いた胃炎とは、スケールが違う。でも、こうなったらお願いするしかない。休日中の看護士さんも、呼び集める必要があるので、もう少し待つようにいわれ、ひたすら待つ。そして、やっと手術室に入ったのが9時すぎ。手術時間、早くても、日付は超えます。と言われ、手術室の前に待つところがないので、1階の外来の待合室で待った。待っている間に、「さっきまで、偶然だけどよその救急病院の看護士さんと、話をしていた。」という、叔母が駆けつけて来た。おばは、「その看護士さんの居た病院は、さっきまでてんやわんやだったらしいよ。」と言った。この病院は、…少なくても私が待っている間、救急車の音が2回だけだった。早朝見た医師がまだ働いている姿を、何度も見かける。不安材料を数えても、仕方がない。先生を信じよう。あんなに一生懸命になって、説明してくれたではないか。休日なのに、至急駆けつけてくれたではないか。母が死ぬと決まったわけではない。手術は、12時半に終わった。意外と早くて、それはほっとしたが、実は、炎症が酷くて、時間をかけると危険だから、早く閉じたかったのだとのこと。だから…、不運3 母は、人口肛門になってしまった。もっと早く、破裂をみつけてくれて、すぐに手術してくれたら良かった。日曜日じゃなかったら良かった。倒れた時、意識がしっかりしていて、沢山の医師がいる希望の病院を言えたらよかった。たら・れば、を言っても仕方ないが、命にあてはまらないと思う。そして幸運…母の手術は成功し、この世に戻ってきて、回復に向かっている。外科の先生、手術で母の命を助けてくれて、本当にありがとうございました。休日を返上して、駆けつけてくださり、感謝します。看護士さんも、何人かの方が、休日を返上して集まってくださり、ありがとうございました。気が緩んだため、夜中に大声で泣いてしまって、患者の皆様、ご迷惑をおかけしました。でも…母にとって幸運かどうかわからない。人口肛門になったことを、母はまだ知らない。70歳過ぎてもバレエの先生でいることを、生き甲斐にしていた。日曜日、その日は、他のレッスンを受けに行くのだと、張り切っていた。娘である私にとって、死ななかったことがどれだけ嬉しいか分からない。でも、母は意識がしっかりしてくると同時に、いろんなことを知るだろう。その時に、どう思うのか。自分の姿を受け入れ、これからしっかり生きていけるのか。母の強いプライドは、ずっと健在のままでいられるのだろうか。母のバレエ人生は、死ぬまで続けることが出来るのだろうか。8月24日、永い1日だった。
2008年08月26日
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