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リュウちゃんの記事の紹介(コピペ)です(#^.^#)今回もリュウちゃん盛りだくさんで素晴らしい日記です(*^-^*)リュウちゃんいつも(人''▽`)ありがとう☆です奈良の2大コスモスの名所、斑鳩町と藤原宮跡のコスモス、今年も行くことが出来た。(斑鳩町、法起寺五重塔とコスモス)(藤原宮跡、畝傍山とコスモス)11月4日、久々にリュウちゃんの住んでいる斑鳩(いかるが)の里のコスモス見物に出掛けてみました。ブログでは、過去に何回か斑鳩の里のコスモスのブログをアップしたことがあります。以前は、法隆寺の西側にある「藤の木古墳」の周辺や、「斑鳩三塔」の一つ、「法輪寺」の傍にもコスモス畑があったのですが、数年ほど前から「藤の木古墳」や「法輪寺」周辺のコスモス畑は、次々と稲田や宅地に代わってしまい、現在では、「法起寺(ほうきじ、ほっきじ)」周辺と、新たに「コスモスの名所」としてオープンした「中宮寺跡地」の2か所のみが「斑鳩の里のコスモスの名所」となってしまったのです。今は亡き「藤の木古墳」と「法輪寺」周辺のコスモスが懐かしい!(「藤の木古墳」とコスモス、2016年撮影)(「法輪寺」とコスモス、2016年撮影)なので、今回の「斑鳩町コスモス巡り」は、いきなり「法起寺周辺のコスモス」から始まります。「法起寺」周辺のコスモスも、以前と比べると、作付面積が1/3位に減ってしまった。「法起寺周辺のコスモス」と云えば、本ブログ冒頭の写真のように国宝の「法起寺三重塔」とコスモスのコラボです。毎年、斑鳩町の「秋の観光ポスター」には、必ずこの図柄が使われるのです。斑鳩の里の秋のシンボル、「法起寺三重塔」とコスモスのコラボ、久々に撮ることが出来た。「藤の木古墳」、「法輪寺周辺」に代わって、斑鳩の里の新しいコスモスの名所に躍り出たのが「中宮寺跡地」のコスモス」です。「中宮寺跡地」は、「法起寺」から県道を500m程、南に行った所にあります。「中宮寺跡地」???「中宮寺」は法隆寺夢殿の裏手に在る!「跡地」って、何なのだろう???<「中宮寺跡地」について>(中宮寺弥勒菩薩)本尊の「木造菩薩半跏像(弥勒菩薩)」(国宝)で知られる「中宮寺」は、現在は法隆寺東院の「夢殿」の裏手にありますが、江戸時代以前は、現在の場所から500m離れた「跡地」にあったのだそうです。「跡地」の発掘調査は昭和30年代から始められ、2018年(平成30年)、「中宮寺跡史跡公園」として整備されました。発掘調査の結果、以前の「中宮寺」には、「三重塔」が存在していたことが判った。現在は、「斑鳩三塔」だが、江戸時代以前は「斑鳩四塔」だったのだ!整備された「中宮寺跡史跡公園」の周辺には、コスモスが植えられ「法起寺三重塔」と並ぶ「斑鳩町のコスモス名所」となったのです。本日のコスモス、やや盛りを過ぎて、しかも11月2日の強風で、かなり倒れていたが、天候に恵まれて、まずまずの写真が撮れた。<藤原宮跡のコスモス>11月8日、今回もリュウちゃん一人で、「藤原宮跡」のコスモスを観に行ってきました。午前9時過ぎ、家を出発、電車を乗り継いで近鉄「畝傍御陵前駅」に着いたのだ午前11時ジャスト、当初の予定通り、駅前の「餃子の王将」に入り、早い昼食、プファ~、ビールが旨い!定番の「餃子」、「エビチリ」、少量だけど、ビールのツマミにはこれで充分なのだ。駅前から「藤原宮跡」までは徒歩15分位です。「餃子の王将」から徒歩5分の所に、「本薬師寺跡地」があります。この辺りから、この地特有の古代のアトムモフィア(雰囲気)が濃厚になってくる。「藤原宮跡」が見えてきました。まだコスモスは咲き残っているかな?コスモスが見えてきました。良かった!まだコスモスは咲き残っていた!<「藤原宮跡」について>「藤原宮跡」は、持統天皇8年(694年)に造営された「藤原京」の跡地です。「藤原京」は、古代中国の「唐」の都を参考にして作られた日本初の本格的な「都」です。和銅3年(710年)に「平城京」に遷都されるまで、16年間に渡り「日本の首都」だった場所なのです。「畝傍山」、「耳成(みみなし)山」、「(天の)香久山」の、所謂「大和三山」のトライアングルの中心部に宮殿が築かれ、その壮麗さは、後の「平城京」「平安京」を上回ったと推定されています。(「藤原京」復元図)コスモス畑に入ります。例に拠りまして、背景の「大和三山」とコスモスというコンセプトで写真を撮りましたので、本ブログも、そのコンセプトに従って写真をアップします。<畝傍山とコスモス>大和三山の中では、「藤原宮跡」から一番遠くにある山です。「畝傍山の背後に霞んでいる山並みは、右から、「二上山(にじょうざん)」、「葛城山」、「金剛山」です。<耳成山とコスモス>「耳成山」は、「藤原京」の宮殿の背後にある山です。持統天皇が宮殿の玉座に座った場合、完全に「背後の山」となり、玉座から見ることは出来なかった筈の山ですね。「耳成山」の遥か背後に、710年に造営された「平城京」があるのです。<天の香久山とコスモス>「天の香久山」は、百人一首の持統天皇の和歌で有名になった山です。この山の右側の道は「明日香村」に続いています。背後の山は、「大化の改新」で中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が談じ合った「談山神社」のある「多武峰(とうのみね)」なのです。本来だったら、「藤原宮跡」から3キロ東にある「安倍文珠院」まで歩いて「コスモス迷路」を観に行くのですが、足の調子が悪いので、今回は諦めました。足の具合が悪いため、行動半径が狭くなってしまったが、今年も奈良のコスモスの2大名所を歩くことが出来た。少々満足。<藤原宮跡、世界遺産に登録か?>10月15日に更新した「明日香路の彼岸花2024(2)」のラストに、<明日香村と隣接する藤原宮跡、世界遺産に登録申請>というトピックスを書きました。順調に行けば、今回、コスモス見物に訪れた「藤原宮跡」も、2年後に世界遺産に登録される筈です。そうなると観光客が激増して、「藤原宮跡」独特の「古代のアトモスフィア」が失われてしまう恐れがある。痛し痒しなのだ!
2024.12.02
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