小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

夢で読みましょう



読みたくて仕方がなかった本が目の前にある。
私はうきうきと本を開き、むさぼるように活字を追う。
至福の瞬間だ。
その時私は意識の隅で、夢だったりして・・・と思う。
そして唐突にそれが真実であることを知る。
意識しては駄目だ。
私は無理やりその考えを押しこめる。
意識すれば夢は覚めてしまう。
そう思ったとたん。
 ピンポーン!と玄関の呼び鈴が鳴る。
鳴ったのは夢の中でだったが、私はびっくりしてもう少しで夢から覚めてしまうところだった。

私は呼び鈴を無視する。
すると、
 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
呼び鈴はしつこく鳴り始めた。
なんてしつこい。夢から覚めちゃったらどうするのよ!
私はしぶしぶと立ち上がった。
 『はい。はい。ちょっと待ってください。』
そういいながら玄関まで来ると、
 『どなた様ですか?』と尋ねた。
男の声がした。
 『佐藤です。』
 『どちらの佐藤様ですか。』
 『・・・・・・・・・。』
私は仕方がなく魚眼レンズを覗こうとした、とたんにガチャとドアノブを外から廻す音がする。
これは間違いない。しつこいセールスだ。
 『このあたりで外壁塗装をお安くしておりまして。』
おなじみのセールストークが私の耳に入った。
ふん!誰がドアを開けるものか。
 『うちはけっこうです。』
強く言ってさっさと本のところへ戻ろうとした。
その時、外の男が言った。
 『本の続きを読もうったってもう駄目ですよ。』
私はドキッとした。
そのとおりだということが解ったからだ。

本を置いて玄関に来てしまったことで、夢が変わってしまった。
 『なんてことしてくれたのよ!』私は怒鳴った。
 『そんなに大きな寝言を言ったら、ご主人が心配して起こすかも知れませんよ。』
私はいらいらと言った。
 『さっさといなくなってよ。本を読むところまで夢をやり直すんだから。』
 『意志の力ですか?あなたにできるかな?』
男が含み笑いをした。
私は夢の中なら男を八つ裂きにしたって罪にはならないだろうと思った。
不穏な空気を感じたらしく男があわてていった。
 『私は本のありかを知っているんですがね。』
 『どこよ!』
 『ドアを開けてくださいませんか?』
セールスにむやみにドアを開けることの愚かしさは解っているつもりだったが、夢の中では自制を働かせるのは難しい。
私は本欲しさにドアを開けてしまった。

 『何で塗装屋の営業がそんな姿なの?』
男はなぜか白いタキシード姿だった。
しかも白いうさぎの耳としっぽまでつけている。
 『さあ。あなたの意識では夢の案内人は白兎みたいですね。』
 『「不思議な国のアリス」の影響かな?』
白いタキシードにうさぎの耳としっぽの男は50代のバーコードのおやじだった。
よく見たら主人の会社の部長ではないか。
私はあわてて頭を下げた。
 『いつも主人がお世話になっています。』
とたんに白兎がそっくり返った。
 『うむ。ちょっとお邪魔させてもらうよ。』
私は白兎をリビングに通し、取って置きの玉露と生のにんじんでもてなした。
 『ところであの?』
 『うむ。春の人事異動のことかね?』
 『いえ、あの本のありかを。』
白兎は玉露をずるずると飲み干したあとおもむろに言った。
 『白羽小学校4年2組の学級文庫になっておる。』
 『げッ!!』私は小さく叫んだ。

小学校の頃、私は体が弱くて学校を休んでばかりだった。
たまに登校してもなかなか友達が出来なかった。
そして魔の4年2組。
ふだつきの悪ガキ愛川優一と同じクラスになって、さんざん苛められた場所だ。
上履きに濡れた雑巾を突っ込まれたり、体操着を焼却炉で燃やされたり、殴ったり蹴られたりした。
名前からは想像も出来ない残酷さで女の子にも容赦はなかった。
先生に訴えても、話し合いで解決しなさいだとか、いじめられる方にも悪いところはあるとか言うばかりで取り合ってもらえなかった。
大人になった今でもほんのたまに思い出して嫌な悪夢を見たりする。

 『どうするね?諦めて眼を覚ますかね。』白兎が言った。
私は身悶えた。
私はホラー映画の主人公が、どうして怪しい場所へ自ら赴いていくのか、なんとなく理解したような気がした。
 『行きます!』
こうして私は白兎と共に、白羽小学校4年2組の教室へと向かった。

懐かしい登校ルートをたどり、
学校に着くと、どうやら放課後らしかった。
私はこっそり校舎に忍び込んだ。
いつの間にか白兎は消えていたが、あんな親父兎と一緒にいたくないに決まってる。
ひんやりした長い廊下をひたひたと歩く。
あった!4年2組の教室だ。
がらりとドアを開けると黒板けしが降って来た。
黒板には相合傘がチョークで書かれ、隣にあるう○この絵と妙にマッチングしていた。
その前に生徒の机がぎゅうぎゅうづめに並んでいる。
教室の後ろには棚があって、その上に学級文庫が乗せてあるのだ。
 『あった!』
私の大切な本は確かにそこにおいてあった。

私は本を手に取りそこで立ち読みを始めた。
いつまた本が消えてしまうとも、夢から覚めてしまうともかぎらないからだ。
私は本の世界に没頭しようとした。
最初の二行ばかりは字を追うばかりだったが、すぐに夢中になる。
夕暮れの差し迫る教室は日が斜めから窓に射しこみ私の影を長くする。
私はふとわれに帰った。
しまった。ここは夢の世界なのだ。
このままでは『学校の怪談バージョン』になってしまう。
私の頭にトイレの花子さんだのひとりでに鳴るピアノだの校庭を走り回る二宮金次郎の像だのが次々と湧き上がってきた。
考えては駄目だ!
そう思ううちにも、廊下を誰かがぺたぺたと歩いてくる音がする。
私は逃げようとした。が、指いっぽん動かせない。
か、金縛りか・・・。
教室のドアがガラリと開いた。
そこに立っていたのは、いじめっ子の愛川優一だった。

優一は私を見てぎょっとしたようだった。
 『忘れ物を取りに来ました。』
優一は罰の悪そうな顔をして私に言う。
私を先生と思ったようだ。
そうだ。私は大人なのだ。こんなガキにびくつくことはない。
思いながらも私にインプットされている恐怖は去らなかった。
 『そう・・・早くお帰りなさいね。』
私はようやく動くようになった体をギクシャクと動かして教室を出ようとした。
 『待てよ。』
後ろから声がした。
 『おまえ先生じゃないだろう?』
何で、何でばれたんだ?
怖がるな、怖がるな、今の私は優一よりずっと大きくて力も強い。
そう思ったとたん、私の足元にまで伸びた優一の影がどんどん大きくなっていった。
 『わッ!』
私の考えを読んだ優一が大きくなっていっているではないか。
私は本をしっかり小脇に挟むとそのまま走り出した。

気がつくと私は薄暗くなったオフィス街を走っていた。
後ろからずしんずしんと足音が聞こえる。
優一だ。
私はビルの間の路地に入った。
そこにはじりじりと消えそうな街頭がぽつんと立っている。
私はうずくまるようにして本を開いた。
あと1章だ。
この本さえ読み終わってしまえば・・・。
ビクビクしているので、せっかくの本の中身がなかなか頭に入ってこない。
ここでは読めない。
どこかにいい場所はないだろうか。
私はふと、ここが夫の会社のすぐそばであることに気がついた。
気がついたとたん私はまた走り出した。

主人の勤める会社のビルの受付に行くと、
そこには、箱根の関所が出来ていた。
私には当然のことながら手形がない。
私はロビーに並んでいる杉の植木の影からこっそり様子を見た。
受付・・・いや御番所には刺す又を構えた受付嬢がにこやかに応対している。
だがその後ろでは、関所破りをしようとしたのであろう男が、石抱きの刑を受けていた。
私が躊躇していると、向こうからやってきたのは白兎ではないか。
白兎は目ざとく私を見つけた。
 『これは、これは・・・。』
 『私を中にいれてちょうだい。』
私が言うと白兎は困った顔をした。
 『あんたがここにいると、あれがここに来るだろう?会社がつぶれたら困る。』
外からは不気味なずしんずしんという震動が近づいている気配がした。
確かに主人の勤める会社がつぶれてしまっては家のローンが困る。
 『もう少しで読み終わるのよ。』
私が悔しそうに言うと、白兎は、
 『そろそろ社長の大名行列の時間だ。』
と言った。
 『社長のかごに同席させてもらって、そこで読むといい。』
 『そんなことしていいの?』
白兎は舐めるように私を見た。
 『たぶん大丈夫だろう。』

そして、私は社長と共にかごの中にいる。
中は真っ赤なソファーが向かい合わせにあり、ルームライト、テレビ電話、洋酒の並んだバーセットなどがそろっている。
 『ニャハハ♪・・・新しい腰元かのう。』
社長はいやらしい笑いを浮かべながら本を読んでいる私の脚に触ろうとする。
社長はキンキラの衣装を着けた明石やイワシだった。
私はその手を思いっきり缶コーヒーでつぶした。
 『社長。コーヒーです。』
社長は痛そうに手の甲をもう片方の手でさすりながら、
 『コーヒーはやっぱり缶コーヒーだのう。』とご満悦である。
こんなアホにかまっていられない。
私は本に没頭していった。

大名行列は、下にぃ~下にぃ~との声も高らかにオフィス街を行く。
あと数ページで本は終わる。
それなのに、いつの間にか私の隣に移っていた社長が、私の肩を抱こうとした為に気がそれてしまった。
 ずしんずしんという音がすぐ近くで聞こえた。
カラリ。
遠慮もなくかごの戸を開けたのは白兎だった。
白兎は私と私に引っ付いている社長を見るとにやりとした。
 『これは、お邪魔でしたかな。』
 『それよりあの音は何だ。』
社長は眉をしかめながら聞いた。
 『そちらの腰元の知り合いで。』
ずしんずしんという振動で道路は大きく波打ったようだった。
その時私は見た。
満月に照らされ、東京タワーを今にもなぎ倒さんとする、巨大な優一の姿を。
 『な、な、な、なんだゴジラか?』
 『いえ、そこの腰元の幼馴染で。』
 『幼馴染なんかじゃないわよ!あいつは私の子供の頃の悪夢よ!』
 『トラウマって奴か・・・ずいぶん大きく育っちまったようだな。』
白兎がしみじみと言った。
 『この際、前向きにがんばって立ち向かっていったらどうだ。』
優一がガオオォ~~~ッと吼えた。
 『冗談じゃないわよ!』

私はかごを飛び降りた。
社長が後を追って飛び出そうとした。
そのとたん社長の足元に、ぴかぴかに磨いてあるマレリーの高級紳士靴が飛んできて、見事に踵をそろえてぴたりと並んだ。
それを投げた男の顔を見たとたん私はあっけにとられた。
夫ではないか。
 『懐で温めておりました。』
確かに夫のスーツの前は開き気味になってシャツもはだけていた。
私は感動した。
夫は下克上を狙う野心家だったのだ。
夫の野望を応援する為にもこの騒ぎに巻き込んではいけない。

私は本で夫から顔を隠すようにして走り去った。
あとほんの少しなのだ。
優一を囲むように自衛隊のヘリが辺りを飛び回り、サーチライトがまぶしく辺りを照らす。
私はその光の中で最後の数ページを読む。
その数ページのあまりの感動のラストに、
その時、私は無心になった。
サーチライトが私を後光のように照らしあげる。
私はいつの間にか、悟りを開いていたらしい。
私の姿を見たとたん、帰依したサラリーマンやOLたちがひざまずく中を、ゆっくりと私はすすむ。
目の前はまぶしくてもはや何も見えない。

まぶしくてまぶしくて、そして私は目を覚ました。
カーテンの間から差し込む日はとっくに高くなっている。
今日は日曜日。
思いっきり寝坊してしまった。
私は隣で寝ている夫を起こさないように、そっと布団を出ると朝ごはんの支度をする為に台所に向かった。
夢見た内容はちゃんと残っている。
それこそ驚くほど細部まで。
たった一つ覚えていない事。
それは、私が読んでいた本の内容だった。

          ・・・end







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