小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

ラムネ



空には幾重にも雲がかかっていました。
雲はゆっくりゆっくり動いていましたから、
上空には少し風が吹いているのでしょう。
分厚い雲が押し流されると、ほんのわずか空が開け、
そこから懐かしい顔が見えました。
月は小さな町工場を照らしました。
工場の隅には、箱がいくつも積み重ねてあります。
その箱の上に小さな窓がありました。
月の光はまっすぐに、窓から工場の中を覗いていました。

奥深いジャングルの中に、崩れかけた神殿がありました。
その神殿は、古い古い神々を祭ったものでした。
昔々は、捧げられた花々で埋まっていた神殿も、
今は忘れ去られ、誰にも知られることなく密林の奥で、
ひっそりと砂に戻ろうとしていました。
神殿の中にはひとつの神像がありました。
顔は半分欠け落ち体もあちこち崩れ、それでもまだ、
かろうじて神殿の中に立っていました。
ジャングルの空気は、昼間の暑さを忘れたように冷たく澄んでいます。
露が降りたのでしょう。
神像の瞳にある宝珠にしずくが宿って、
そのままなめらかな頬をたどってぽたりと落ちました。
まるで涙のように。
神像の上の天井は既に無くなっています。
そこから月の光が、しずかに涙を宿した宝珠を照らしてました。

工場の中には、大きな機械とベルトコンベアーがありました。
そこにはいくつものガラス瓶が並んでいます。
月の光がまっすぐに差し込んできて、機械の上に落ちました。
するとどうでしょう。
 ガタゴトゴト・・・。
機械が動き始めましたではありませんか!
ガラス瓶が次々とコンベアーの上を流れていきます。
 プシュー!プシュー!
ガラス瓶にチューブが刺しこまれ、泡立つ透明な液体が注ぎ込まれました。
 ガタゴトゴト・・・プシュー!プシュー!
瓶のふちまで注ぎ込まれると、
ふちから溢れかかった液体に、キラリと月の光が宿りました。
 キラキラキラ・・・と踊るように。
そして光はくるんとまるまって、瓶の中にシュポンと吸い込まれたのです。
またガタゴトとコンベアーに運ばれた瓶は、上からしっかりと蓋をされ、
終点にある箱の中に一つずつ詰め込まれてゆきました。
ちょうど1ダース。
箱いっぱいに瓶が詰め込まれたとたん。
機械は動きを止めました。
月は再び流れてきた雲に隠されてしまったようです。
あたりは暗闇に閉ざされました。
そして工場は、何事もなかったように、闇の中でシンと静まり返っておりました。

次の日、出勤した工場長は、一箱の商品を見つけました。
「商品を積み忘れるとは、たるんでいるな。』
工場の従業員は、その箱をあわててトラックに詰め込みました。

5月の昼下がりの事です。
日差しが暑くなってきました。
『おばちゃん。これ頂戴。』
握り締めた硬貨を、お店のおばさんに渡して、
ひとりの子供が、1本のラムネを受け取りました。
ラムネの蓋を開けてもらうと、中のビー玉がコンと落ちて、
しゅわ~ッと泡が溢れます。
子供は目を細めて、おいしそうにごくごくとラムネを飲み干しました。
『ああ~美味しかった。』とにっこり。
空になった瓶に、カラコロと涼しげな音を立ててビー玉が転がります。
『綺麗だな~。』
瓶の中のビー玉が光にキラキラと輝きました。
『瓶を割っちゃおうかな。』
子供は思ったけど、なんとなくそのまま家に持って帰りました。
ラムネの瓶は子供部屋の窓辺に置かれました。
窓辺には、赤いゼラニウムの花が、たくさん飾られています。
その花陰におかれた瓶の中では、
小さなビー玉が、日の光に花の色を映して瞬いていました。

それはまるで、あの神殿の神像が、
昔々、捧げられた花々に埋もれて、
キラキラと誇らしく宝珠の瞳を輝かせていたようでした。






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