小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

アニマル的コミュニケーション



2015年。
人々の社会におけるコミュニケーション能力がますます低下し、人々は、互いの言葉で傷つきあい、もはや自閉や鬱を抱えない人間は稀になった。
結婚出産が低下、若者の引きこもり率が、70パーセントを締めるようになると、自然と都市の機能は麻痺状態に陥った。
そこで国は、ムツサブロウ博士の考案した、新しいコミュニケーション方法を、人々に提唱したのであった。

ネネコは、恋人のイヌオに会うために急いでいた。
最近どうもイヌオの様子がおかしい。
何か隠し事をしているのではないか?
待ち合わせの公園に来ると、イヌオが噴水のそばに立っているのが見えた。
すぐに恋人のもとへ行こうとしたネネコは、はっとして木の陰に隠れた。
イヌオのそばに、同僚のミケコがいるのが見えたのだ。
ミケコは、額をしきりにイヌオにこすり付け、自分の匂い付けをしているのだ。
イヌオは、はっはっと嬉しそうに、舌をだらりと垂らしている。
ネネコは、怒りのあまり髪の毛が、一本一本逆立つのを感じた。

ネネコは腰を落とし、後ろ足で何度もタタラを踏んだ。
そして矢のごとく、さっと、ミケコに向って飛び掛っていった。
『ふぎゃおおう!』
ネネコの口から怒りの声が漏れた。
『しゃああああっ!』
ミケコが威嚇する。
2人は互いの鼻を、今にも触れんばかりに近づけて、互いの匂いを嗅ぐ。
(ふん!下品な香水。)
(なぁに~この女ぁ~汗くさぁい~。)
互いに視線ははずさない。
不意にネネコはミケコを押し倒した。
そのまま喉笛に噛み付こうとする。
ミケコはすかさず、ネネコの腹にけりをいれ、真っ赤なマニュキュアを塗った爪を、ネネコの顔につきたてようとした。
ネネコは、バッと飛びのいた。
『おおなああぁあん!』
『ふしゅううぅ~っ!』
互いにグルグルと相手の後ろを取ろうと徘徊する。

ネネコは自分を落ち着かせようと、ペロペロとむき出しの腕を舐めた。
ミケコも手の甲を舐め、ぐるりと顔をぬぐった。
今度はミケコが飛び掛ってきた。
ネネコは一瞬のうちに、背中にミケコが飛び乗るのを感じた。
そのままうなじにミケコの歯が当たる。
ネネコは思わず目を閉じた。

その時だった。
さっと白い影がよぎったかと思うと、ネネコは背中の重みが失せているのに気がついた。
『ふにゃ~~ん!』
ミケコの声が聞こえた。
イヌオは、ミケコの首根っこを掴んでネネコから引き離すと、
『グルグルグル~。』と唸り声を上げていた。
イヌオが手を離すと、ミケコは、さっと噴水の手すりの上に飛び乗った。
そのまま恨めしそうにこちらを見ている。
イヌオが、
『わんっ!』と一声吼えると、ビクッとしたように背中を丸めて空中に一瞬飛び上がり、そのまま一目散に公園の出口に向って駆け去っていった。
ネネコが、へたへたとその場に崩れ落ちると、イヌオは、赤いハイヒールの片方を持って、おどおどと上目遣いに近づいてきた。
ミケコとの戦いのさなかに、脱げてしまったハイヒールだ。
『くうぅ~ん。』
イヌオが慰めるように、ネネコの鼻の頭をぺろりと舐める。
だが、ネネコの気持ちは、既に醒めていた。
イヌオの女癖の悪さは、今にはじまった事ではない。
それこそ、ちょっと好みだと思えば、盛りのついた犬のように始末に負えないのだ。
(こんな男。こっちから捨ててやる!)
ネネコがフイと顔をそらしたのにも、鈍感なイヌオは気がつかなかった。
いつものごとく、ネネコの顔を嘗め回し、はしゃぎながらじゃれ付いた。
ネネコに向って腹を見せ、公園の芝の上で転がってみせる。
ネネコはそんなイヌオを冷たい眼で見下ろした。
そして、くるりと背中を向けると、後ろ足で砂をかけ、悠々とその場を立ち去ろうとする。
驚いたのはイヌオだ。
(ミケコより、ネネコを取ったのに、なぜ機嫌が悪いのだろう?
女って奴は、嫉妬深いくせに気まぐれだなあ。)
それでも、誰にでも愛想を振りまく、浮気っぽいイヌオだが、心の底からネネコに惚れているのだ。
『くううん。』
イヌオはネネコの肩に手をかけると、自分のほうを振り向かせ、訴えるような眼でうるうると見つめた。
だが、いったん思い切ったネネコは、あくまでクールだった。
『にゃ~~~ッ!』
一声びしりと別れの言葉をイヌオに突きつけると、呆然としたイヌオの腕を振り払い、あとは振り返りもせず、ヒールの音も高らかに、足早に去っていったのだ。
残されたイヌオは、まるで石になったようにその場を動けなかった。
やがて、自然に鼻がピスピスとすすり泣き、
『ウオーン!ウオオォーン!』という男泣きの声にかわっていったのだった。

それからもその公園で、イヌオは、ネネコが思い直して帰ってきてくれるのを、ずうっといつまでも待っていたという。
やがて、忠義者イヌオの話は語り継がれ、この公園の噴水前で、愛を誓い合った恋人達は、必ず結ばれるという伝説まで生まれたのであった。

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