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今年は明日から三連休。いよいよクリスマス・ホリデーです。今年は日本全国が節電傾向にあって例年よりもイルミネーションが控えめな気もしますが、先日たまたま通りかかった表参道は煌びやかな光で真昼のような明るさでした。クリスマスが近づくにつれて、テレビでもあちこちのイルミネーションスポットが映し出されます。人々はそんな情報に心を躍らせてチャンスあらば一目見ようと足を運ばれることでしょう。日本のクリスマス・イルミネーションは確かに美しい。この世の喧騒から一時解き放たれて非現実的とも思える幻想的なまばゆいばかりの光に包まれてしあわせの魔法にかかるのです。でもそれは中身のない美しさ。まぼろし。そんなイルミネーションに私は底知れぬ寂しさを感じずにはいられません。温かいはずの光なのにまるで氷のように冷たく放たれているそれをながめていると、この空虚なまやかしの後の無の残像が私の脳裏をかすめるのです。華やかで美しいけど愛のない冷たい光。私が求めているものとは真逆のもの。クリスマス・イルミネーションならぬクリスマス・イリュージョンだと思えてなりません。
2011年12月22日
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代々木で行われたマイケル追悼ライブ。私は行けなかったけど友人の何人かが行った。ジョン・レノンにつづいてマイケル・ジャクソン、どちらも偉大なアーティスト。彼らはなぜそんなに早くこの世を去らなくてはならなかったのだろう。こんな曲が今こそ私たちに必要なのに。http://www.youtube.com/watch?v=Dxfqi2bPO1ohttp://www.youtube.com/watch?v=2C8GQOHhzU0
2011年12月14日
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「黎明」という言葉が好きです。明けない夜はない・・・。
2011年12月13日
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スペイン語とイタリア語って似てると思っていたのに全然違っていた。イタリア語も語尾の変化が多くて原型がわからないとまともに辞書も引けない。活用を覚えないことには始まらないということかな。きっと英語は最もシンプルな言語なのだろう。
2011年12月12日
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人は、せっかく生まれてきたのになぜ死ななくてはならないのだろう。当たり前のことが未だに当たり前として受け止められない未熟な私。
2011年12月12日
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今夜は皆既月食が見られるそうですね。日本全国でその一部始終を見られるという好条件は11年ぶりだとか。昨日からとっても楽しみにしていたのですが今日はなんだかとても疲れていて頭痛がひどくて眠くて起きていられそうにありません。月が欠け始めるのは21時45分頃からで太陽、地球、月が一列にならんで赤い月が見られるのが23時半前後とのこと。まだまだ2時間半もある。今夜の空は晴れていてさっき見上げたら明るくまん丸いお月さまが光ってました。ああ、赤い月、見てみたいな。実際に自分の目で見たらどんなに素敵でしょう。せめて今夜の様子を明日のニュースか何かで見られるかな。どなたかもし見た方がいらしたら、どんなだったか教えてくださいね。ああ、残念だな、悔しいな、やっぱり眠くてどうしてもダメみたい・・・。
2011年12月10日
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身体から離れたら魂はどれほど解放されるだろう。どれほど自由になるだろう。空を飛びたい。月まで行ってみたい。"Fly me to the MoonAnd let me play among the starsLet me see the spring is likeOn Jupiter and Mars..."「月まで連れて行って。星の間で遊びたいの。木星や火星の春を見てみたいの。」http://www.youtube.com/watch?v=2z2CmrVsc2E&feature=channel_video_title
2011年12月09日
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Imagine there's no heavenNo hell below usImagine all the people Living for todayImagine no posessionsImagine all the peopleSharing all the world ...http://www.youtube.com/watch?v=2xB4dbdNSXY&feature=channel_video_titleR.I.P.John,diciembre 8,1980 31 anos sin el mas grande...
2011年12月08日
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このところ久しぶりに新宿に行く用事が何回かあった。この季節の新宿といって思い出すのは新宿駅西口、スキー夜行バス。高校生の頃から友人たちと夜行バスに乗って長野や新潟のスキー場によく行ったものだった。その夜もスキーバスに乗るために友人たちと西口で待ち合わせをしていた。約束の時間よりも早めに着いた私は特に何をするでもなく改札から少し離れたところに立っていた。すると一人の老女が私の前を通り過ぎた。その老女、なんとネグリジェを着ているのだ。驚いた私はしばらく彼女のうしろ姿を見ていたのだが、次の瞬間、度肝を抜かれた。ネグリジェの老女がこちらを振り向いたかと思うと突然腹這いになり、ヘビのようにくねくねしながらシュルシュルシュル~~っと凄い速さで向かって来て私の足首を掴んだのだ。思わず「ギャーーーッ」というような悲鳴を上げるとその老女はすくっと立ち上がりまたフラフラ歩きながら私から離れて遠くに消えて行った。深夜の新宿駅西口は人もまばらだったがそれでも全くいないわけではない。なのに誰も振り向く人がいないのだ。ヘビ女のような老女に私の悲鳴。どうして誰も気づかないのだろう。私はただ一人、呆然と立ち尽くしていた。今のはなに?今のはなに?友人たちを待っているあいだ、私は立ちながら居眠りでもして悪夢を見たのだろうか?いや、今でも鮮明に覚えているが私は決して眠かったわけではなかったし頭がおかしくなってまぼろしを見たわけでもない・・と思う。そのときの様子が今でもありありとスローモーションのように浮かんでくる。いったいあれは何だったのだろう。謎に包まれたままのこの出来事を今でも新宿駅西口を通るたびに私は思い出すのです。
2011年12月05日
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吉本興業の子会社から"面白い恋人"というお菓子が関西で販売されているという話を先日耳にしたばかりだった。"白い恋人"は古くから北海道の銘菓として知られているが、"面白い恋人"とは吉本やるなーと思っていたところだった。ところが、北海道"白い恋人"の製菓会社がこれを訴えているという。ロゴが似ていて、実際に間違えて買った人が続出しているとか。webで写真を見たけれど、全然似ていない!と私は思いました。まあ多少似通った部分もあるけれど、これ間違えるかなあ?"白い恋人"は北海道銘菓、一方"面白い恋人"は「関西銘菓」として関空などで売られているそうで、関西の空港で北海道の銘菓が置かれているわけがないし、「関西銘菓 面白い恋人」とでかでかと書かれているので間違えるどころか、見た人はすぐにでも笑えるような気さえする。なにもそんなに目くじら立てて訴えなくてもいいのになー。ジョークの効いた関西ならではのものだと思うけど。売上を気にしているのかもしれないけれど、元祖"白い恋人"は間違いなく唯一の美味しい銘菓"白い恋人"なのだからフフンと笑っていればいいと思うけど、やはり製菓会社も生き残りの厳しい今の社会、そうはいかないのかな。そういえばアップル社がドイツのカフェを訴えたという話もありましたね。りんごのロゴが似ているとかで。ロゴにりんごを使えばどれだって似てしまうのは仕方ないと思いますけど。やはり訴訟の国アメリカ。
2011年11月28日
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昨日付でここにアップされていた日記を削除しました。どうしてかって?だって私が書いたものではないから。あれはきっと私の心の中のバグが何かのはずみで現れたのでしょう。コンピュータのプログラムにバグは付きもの。バグのない完璧なプログラムなんてあり得ません。人間だって同じです。だけどどちらも発見して修正すれば大丈夫。そのためにデバッガという修正機能があるのです。コンピュータ・プログラムにも私の心にも。あなたの心の中にもきっとバグはあるはず。でもそれに気づいたらちゃんとデバッグしてね。平気平気。全然だいじょうぶ。完全無欠なものなんて世の中にひとつもない。やり直しはいつだってできるのです。昨日のバグを偶然にも見てしまわれた方、まぼろしだと思って忘れてくださいね。そんなこともあるのです。
2011年11月21日
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理屈なんていらない。難しく考えることもない。直感を信じて自分の心に素直になってまっすぐ飾らずシンプルにさっぱりと日々を生きよう。そんなふうに思えた日でした。
2011年11月18日
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飼い主の都合により捨てられた犬の現実がyoutubeにアップされています。なぜ動物の命がこんなに粗末に扱われなくてはならないの?飼い犬は人間の"所有物"ではない。あまりにも愚かな人間の身勝手さにとても腹が立ちました。この残酷な現状に人間は決して目を背けてはならないのです。http://www.youtube.com/watch?v=i1jcZjtJ11Qイラストスクールの先生のお宅にも可愛いわんちゃんがいて、先日、わんちゃん連れのお友だちが遊びに来ていました。お友だちのそのわんちゃん、口を大きく開けて一生懸命吠えているようなのですが、声が全く出ていない!驚きました。ブリーダーの都合で声帯を取ってしまったとか・・なんてこと!ひどいブリーダー、許せません。先生のお友だちはそれを見て可哀そうに思い、飼うことにしたのだそうです。人間は一度、犬や猫になってみるといいのかも。
2011年11月13日
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昨夜イラストスクールからの帰りのこと。レッスンが終わって、いつもどおりスクールのF先生の車に乗った。最寄の駅まで送ってもらうためだ。通り慣れたT駅前を通り抜け、踏切の脇を抜けようとしたとき、なにやら異様な光景が目に飛び込んできた。踏切の中央で電車が停まっているのだ。よく見ると車掌室のドアが開いていて、中に車掌さんはいない。まばらな乗客が車内で右往左往している様子がガラス窓越しに見える。線路沿いには2、3のタクシーがハザードを付けて停車している。人身事故だった。しかも、今私たちがまさに横目で見ながら通っていた踏切での事故らしい。中学生の少年がひかれたのだと、詳細をその日の深夜のニュースで知った。なぜ、まだ幼い少年が?一体なぜ?心の中が苦しくなった。眠いはずなのにどうしても眠れない。イヤな気持ちで朝を迎えた。明けて今日は冬至。(←ではなく"立冬"でした~)。昨日までの暖かさとは打って変わって、今日は冬至立冬にふさわしい寒さを感じる。昨日の異様な光景がまだ頭から離れない。今夜はかぼちゃ煮を作って、ゆず湯でゆっくり温まろう。↑これは冬至に行いましょう。今日は立冬・・何度も訂正。衝撃を受けた心を少しでも癒すために。↑かぼちゃやゆずがなくても、のんびりしよう~私、何を血迷ったか今ごろまだ冬至のわけがないですね。今日は立冬。今日から冬ということですね。ああ、大好きな秋はもう去ってしまったのかなあ。
2011年11月08日
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11月に入ってもう5日も過ぎてしまったなんて!連休で混雑しているせいか?それとも年の瀬が近づいているせいか(ちょっと気が早い)?なんだか最近街に出るとイライラしてる人が多くてこわいです。このあいだは本屋さんで肩にかけていた私のバッグに思い切りぶつかりながら通路を急ぎ足で歩いて行った人。そんなに狭い通路でもなかったのにー。今日は駅で電車を降りようとしたら初老のおじさんが私の背中を手でバンバン押しながら降りて行った。ホームに降り立った瞬間に私のことをジロジロ見たりして。私だってそんなにのろのろ降りてないのにー。他にもなんかいろいろあったような気がするなあ。みんななぜそんなにイライラしてるの?満員電車とか人混みがこわくなっちゃうよー。イライラしたって始まらないんだからもっとゆったり行こうよ!
2011年11月05日
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こんなふうに言う人がいるそうです。「厳しい勝負や仕事の世界で成果を出すためには、余計な感情に流されたり小さなことに動揺したりすることなくいつも冷静でいなくてはならないため、どうしても感覚や感情に対して不感症ぎみになるけど、成功することを優先させるならば仕方のないことだ。世の中の大抵のことは達成したいことに的を絞ればそこに法則性が見出せる。法則内での最適化に特化して、不必要なノイズは見ないよう訓練することで成功率は高くなるのではないのか。」こんな考え方や言い方をする人が他にもいることを思い出しました。まさに仕事、地位、名誉などのためには無駄なものは一切必要ないということをオブラートに包んだ柔らかな物言いで豪語しているような人です。その人は理系出身の世間的には立派な経歴の持ち主、頭脳明晰で容姿端麗、人望厚く人脈も広い。非の打ちどころのないような人。一見茶目っ気たっぷりなのに実際はとても無駄のない卒のない生き方をしている人です。彼のブログには感情の全く入っていないと言っていいほど、仕事の成果や書物について、日々の出来事(何故かグルメ中心なところが笑える)などが淡々と語られています。見事なほどに人の心の機微については一切触れません。まるで何かのレポートでも読んでいるような感じ。初めて会った時も「まあなんと無駄のない人生を生きている人なのだろう」と思ったものです。この人って絶えず笑顔でいるのに、笑顔という仮面をつけた感情のない冷淡なアンドロイドなの?って。ところがそうではありませんでした。彼の心の深いところにある感覚的情緒的な部分と、人知れずそれと対峙して闘っている彼の苦悩を、ある時私は垣間見たのです。そしてそれゆえに、彼はこんなにも多くの人から慕われているのだということも。それ以来、私は彼をとても見直しました。見直すというと偉そうだけど・・何と言ったらいいのかな・・"彼の生き方"を見直した、というのでしょうか。仕事やあらゆる人間関係において、感情や感覚というものについて真に不感症な人はいないのだと私は思っています。何も感じないのではなく"感じないように努めている" 人はいるでしょう。成功するためのその人なりの規則を見出して、その規則に合わない物事や人間関係は極力避けようと努め、感情や感覚のスイッチをいつも意識的に切り替えているのかもしれません。そして確かにそうしなくてはやっていけない環境もあるのだと思います。自分の中の感性や感情、感覚といったものを意識的に抑えて自分を律しながら目的に立ち向かっていかなくてはならないような厳しい環境の中においては、そうせざるを得ないこともあるのでしょう。私はそのように理解します。本来人間は感情を与えられた生き物であって、動物でもアンドロイドでもないのです。
2011年11月04日
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今日から11月。長年居た職場を辞めました。今日から私はとっても自由!"しがらみ"という名の列車から飛び降りた。思いのほか怪我はなかった。一瞬胸がチクッとしたけれど、それももう今では何ともない。これからは大好きな本や絵本を思い切り読もう。たくさんたくさん絵を描こう。図書館さん、これからもお世話になりますよ。ひんやりした朝、澄んだ空気、柔らかな日差し。なんとステキな日、なんとステキな季節なのだろう。大好きな秋。思いっきり味わおう。ああ!今日の私はこんなにすがすがしい。
2011年11月01日
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シスターが一編の詩を読んでくださいました。皆が涙しながら聴きました。今日という一日を後悔のないように生きたい。最後だとわかっていたなら 作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたらわたしは もっとちゃんとカバーをかけて神様にその魂を守ってくださるように祈っただろうあなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたらわたしは あなたを抱きしめて キスをしてそしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろうあなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたらわたしは その一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろうあなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど最後だとわかっていたなら一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」とわたしは 伝えただろうたしかにいつも明日はやってくるでももしそれがわたしの勘違いで今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは 今日どんなにあなたを愛しているか 伝えたいそして わたしたちは 忘れないようにしたい若い人にも 年老いた人にも明日は誰にも約束されていないのだということを愛する人を抱きしめられるのは今日が最後になるかもしれないことを明日が来るのを待っているなら今日でもいいはずもし明日が来ないとしたらあなたは今日を後悔するだろうから微笑みや 抱擁や キスをするためのほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと忙しさを理由にその人の最後の願いとなってしまったことをどうして してあげられなかったのかとだから 今日あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめようそして その人を愛していることいつでも いつまでも大切な存在だということをそっと伝えよう「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とうそうすれば もし明日が来ないとしてもあなたは今日を後悔しないだろうからTomorrow Never Comes by Norma Cornett Marek If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise, I would tape each word and action, and play them back throughout my days.If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?For if tomorrow never comes, you'll surely regret the dayThat you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.So hold your loved ones close today and whisper in their earThat you love them very much, and you'll always hold them dear.Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today. ※YouTubehttp://www.youtube.com/watch?v=8bTnp9ETuEs
2011年10月27日
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ある人のブログを読んで、自分はどうかなと考えました。以前の私だったら、好きな物事、興味のある物事は、とことんまで知りたい追求したいと思っていたでしょう。でも今の私は違うのです。物事であっても人であっても、そのすべてを知るというのは不可能です。どれほど知りたいと思ってもそれはきっと無理。例えばその対象が"人"であれば尚更です。自分自身のことですらわからないこと、思い出したくないこと、誰にも知られたくないことはあるのだから、他人だって同じでしょう。とことんまで追求しなくてもそこに好きだと思える物事や人という対象が存在していればもうそれだけでいいのではないかな。何が真実かなんてわからないし。こんな私ってつまらないかな。冷めているのかな。きっと私はもうすべてを諦めたのでしょう。
2011年10月20日
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フレデリック・バック展の会期終了が近づいて、結局行けなかったなあと思いながら何となくHPをのぞいてみたら、何と会期が1日延びていて、幸運にも最終日に行けることに!フレデリック・バックと言えば今回の「木を植えた男」しか知らなかったのですが、他にも気が遠くなるほど沢山の絵画やイラスト、アニメーションなどが展示されていました。展示は、彼の現在に至るまでの人生や時代背景を順を追いながら観ることができました。決して楽ではなかった忍耐ばかりの彼の人生において、「木を植えた男」というお話との出会いは彼にとって必然的だったように思います。片目を失い80をとっくに超えた現在でも、環境保護、動物愛護、文化継承などの活動を積極的に行っているそうです。あまり知られていないアニメーションもいくつか。そのどれもが優しさに溢れていて思い切り感動しました。今の世の中に足りない何かとても大切なものを今回の展示を通して私はフレデリック・バックという人の中に見ました。「木を植えた男」はまさに彼自身であるような気がします。
2011年10月06日
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小学校時代の同級生数名と集まりました。参加人数は6名という少なさ。都心から離れた場所だったので来られなかった人もいたでしょう。この二年間ほど、なんやかやでなかなか顔を出せず、みんなとの久しぶりの再会。小学校から知っている友だちというのは不思議なもので何年会っていなくても空白の時間などまるでなかったかのように、昨日も会ったじゃないと思えるほどに、違和感なくスッと馴染んでしまうものです。私が暫くご無沙汰している間には同級生の突然死、毎年会を仕切ってくれている代表幹事二人の仲たがい(お互いにもとに戻りたいのにキッカケがつかめないだけ・・)、病気で手術、入院している友人、などなど、いろんなことがあったようです。まあ、人が集まればいろんなことが起きるでしょう。私はこの集まりがとても好きです。なぜ好きかというと、決してエリート集団とは言えない友人たちの集まりだから。過去には学校でいろんな問題を起こした人もいます。成績だって、決してよかったわけではありません。でもそんなみんなが、今、本当に一生懸命に毎日を生きているのです。それも自分本位ではなくて他人のために本気で一生懸命になれる人たち。勉強なんて、誰でもやればできるもの。でも人を思いやれる純粋な心は誰にでもあるわけではありません。ただがむしゃらに勉強して(若しくは、させられて)、結果一流と言われる大学に進み、一流と言われる職業に就き、エリート家族を築いたりするけれど、そんなエリートたちには大切な何かが欠けていることが多いような気がするのです。(もちろん、すべてのエリートがというわけではありません。)昨日の友人たちの中にいて、久しぶりに心から笑っている自分がいました。なんの見栄も駆け引きもなく、思ったことをそのまま言い合える自然体の集まり。純粋で思いやり深い人たち。今の私に必要なのは、そんな空気なのかな。
2011年10月02日
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肺炎で入院していた母が、今日退院しました。今日はお仕事もお休みだったので、母を迎えに朝から病院へ。15日間の入院生活ですっかり体力も衰え、病気もまだ完全に快復というわけではないようですが、どうにか熱も下がって帰れることに嬉しい様子。帰宅した途端に元気を取戻した母。ほっとしたのかお喋りが止まりません。病院での出来事、昔話、私のこと、妹のこと、亡き父のこと・・・普段なかなか話相手にもなれないので今日ばかりはゆっくりと母のお喋りを聞いてあげようと思ったのでした。「自慢の娘だもん。」と母。これまでこんな言葉は母の口から出たことなかったのですが、今日はよほど嬉しかったのでしょう。退院祝いにプレゼントした黄色いお花の鉢植えをとても嬉しそうに眺めていました。
2011年09月29日
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先日、目白の絵本カフェでとても素敵な童話に出会いました。大井三重子さんの「水曜日のクルト」という6つのお話が収められた短編集です。これは一度絶版になったものが最近になって復刊されたもので、最初は挿絵のイラストに惹かれて買ったのですが読んでみたらどのお話もとても面白くてステキ。どこか不思議で、短編なのに深くて、お話の中にぐいぐい引きこまれます。短いお話って展開が中途半端でどこか物足りなく感じる作品が結構あったりしますが、これはどのお話を読んでも想像力が掻き立てられて心が満たされるのです。中でも特に「めもあある美術館」というお話は有名で、小学校の教科書にも載っているそう。「めもあある美術館」、なんて印象深くセンスのよいタイトルでしょう。せっかくの素敵な短編集なのに、単行本でなく文庫になっているのがちょっと勿体ない気がするのですが。これでまたひとつ、心の中の宝物が増えました。貴重な"出会い"って思わぬところにあったりするものですね。
2011年09月28日
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「自分が死ぬとき、それまで自分が生産したものより消費したものの方がもしも上回っていたとしたら、とても怖い。」友人がこう言った。「誰でも消費したものの方が多いに決まってるわ。」とっさに私はそう言ったけれど、なんの励ましにも慰めにもならなかったことはわかっている。この地を離れてみようと思うと言いながら友人から渡された3つの品物。ずっと大切にしていたものだろう。今私は友人の気持ちをちゃんと理解してあげられているのだろうか。2度、握手をした。離れていても私たちはいつまでも友だちだよ。
2011年09月20日
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昨日までの暑さが嘘のように、今日は肌寒いくらいの涼しさ。外は朝から雨です。今朝は目覚めた途端にとてつもない寂しさに襲われた。なぜだかこんな日がたまにやってくるのです。それはホントにたまにノックもせず突然やってきては、私をがんじがらめにして何もさせてくれないのです。こんな寂しくて途方に暮れる日は、私はただ息をするほかは何もできないのです。傘をさして外をひたすら歩き回りました。どこに行く当てもなく、どこを歩いているのかもわからず。ふわっとした草の香りが雨にのって漂ってきます。なんと優しい香りでしょう。しとしとと、そして時折ザーザーと激しく降る雨の音が、次第に寂しさを紛らわしてくれます。心の中を真っ白に洗い流してくれます。雨の音ってなんと心地よいのでしょう。命の水を得て草木も花も嬉しそうにキラキラ輝いています。「私はなんと不器用な人間なのだろう、何も求めてはいけない、期待してはいけない、人との距離の取り方ってなんと難しいのだろう。孤独でいたいのか、孤独が怖いのか、人が好きなのか、そうではないのか、誰かのためになりたいのに、こんな自分は果たして役に立つのだろうか。」ふとそんなことを考えたりしたけれど、雨の中にいるとそんなことさえ可笑しく思えてきました。大抵の人は雨を嫌がるかもしれないけれど、私は雨が結構好きだったりします。変かな。とにかく今日の雨にとっても感謝。
2011年09月20日
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台風が過ぎ去って今日あたりは秋の音でいっぱい。うっすらと横から射してくる陽の音。日が傾いてあたりが徐々に闇に包まれていく夕暮の音。草むらで忙しそうに演奏する虫たちの音。やわらかで涼やかでにぎやかでとてもとても寂しい秋の音。
2011年09月05日
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"「私にはできる」と自分を信じる心なのだ"これは、なでしこジャパン、佐々木則夫監督のことば。"つらい境遇を我慢しているわけでもなく、誰かの命令にただ従っているからでもない。彼女たちはみな、自分を信じ、チャレンジし続けているのだ"仕事、絵本、絵、プライベート、もろもろ・・・このところ上手く行かないことばかり。って、めげてばかりいないで、「私にはできる」って自分を信じないといけないな・・。なでしこたちにもずーっと苦しい時代があって、今があるんだよね。私もがんばらなきゃ。
2011年09月04日
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今日から9月。日中はまだ蒸し暑いけれど朝晩は涼しくて夜になると虫の声が心地よいです。そして今週末は待ちに待ったミスチルのライブ。でも・・。夏以来、相変わらず体調が今一つで、やりたいことも沢山たまってしまってて、さんざん悩んだのだけど職場の方に譲ってしまいました。ミスチルは私の元気の源だから行ったら元気になれたかな。ミスチルの曲を直に聴きたいな。桜井さんの歌声が聴きたいな。代わりに喜んで行ってくれる方が見つかってよかったです。またいつか行けるチャンスがあるといいな。
2011年09月01日
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そろそろ秋の気配が。朝晩涼しくてよく眠れちゃいます。今月も今日でおしまい。明日から年内は、応募したいところがたくさん、訪れたいギャラリーもたくさん、絵を描く時間も欲しいしお仕事も休めないし、あれもこれもたくさんあって頭がこんがらがってます。私、要領悪いからな~。どうしよう~。
2011年08月31日
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このところ、どうも体調がよくありません。毎日酷い頭痛と吐き気が。目の奥から頭を締め付けられるような強い痛み。そこに吐き気が加わって一層ツライ。市販の頭痛薬は勿論、病院で処方されたお薬も一向に効きません。やっぱり暑さ負けかしら?もともと暑さに弱い私ですが、ここまでツライのは初めてです。しかもこんな時に限って毎日仕事が忙しくて。職場の友人にも「顔色が悪いよ」と言われます。ああ、この夏、身体がもつかなあ、早く涼しくならないかなあ。
2011年08月16日
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今日、お盆の日の朝、夢を見ました。先日通っていた翻訳講座の授業を受けている夢。そして私のうしろに、もう久しくお会いしていない方がずっと立っていて講座を聴講しているのです。その人は暫くすると、「〇〇で待ってるね」と私に言い置いて、教室から出て行きました。決してそんなことを私に言うはずがないので、夢の中なのに嬉しくて懐かしくて本当に泣いていた私。私の夢に初めて現れたその人、よりによってお盆の日の夢に。今朝はとても心配になりましたが、どうしているかなあと日頃から思っていたせいかもしれませんね。おそらくお元気でいることでしょう。会えなくてもお元気で過ごされていますように・・。
2011年08月15日
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宮沢賢治の作詞作曲「星めぐりのうた」を教えてもらった。人間は星にはなれないよと言われたけど、私も星になりたいな。よだかのように、星になりたいな。http://www.youtube.com/watch?v=HHNEhT2Ckck&feature=related
2011年08月11日
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3週連続の翻訳講座、今日が最終回でした。とにかく内容濃く楽しく充実していて、目からウロコがたくさん落ちた授業でした。課題絵本の翻訳に、なぜか"金メダル"をいただいてしまった私。他の皆さんの訳文もどれも負けず劣らず素晴らしかっただけに、金メダルの理由は謎に包まれたままです(笑)。個性溢れる方々との貴重な出会いでもありました。今後も集まる機会がありそうです。そして何よりも講師の先生の素晴らしさに惹かれました。翻訳家としても一人の女性としても。児童書の翻訳は奥が深いな。それだけに面白そうだな。いつか絵本の翻訳もできるといいな。でもまずはやはり絵本を描きたい。翻訳はその次です。いずれ訪れるかもしれないその時のために、今回学んだことはしっかり脳裡に焼き付けておきましょう。ステキな機会を与えてくださったことに感謝♪
2011年08月09日
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長年携わってきた図書館での仕事を辞めようかと悩んでいます。勤務時間は増える一方で体力的にもう限界。ハードな仕事を終えて帰宅するとゲッソリ疲れて、本当にやりたいこともできない。そして、人間関係のドロドロにも私の心はボロボロです。どこにいても人間関係は大変ですけどね。図書館は大好き。図書館での仕事も大好き。だから辞めたくなんかないし、辞めることなんてこれまで考えたことなかったけど、さすがに今のままでは心身ともに辛すぎるのです。悩んで悩んで、酷い頭痛で目の前が見えなくなるほど悩んで、悩んで悩んで悩んで・・・。そろそろ決断しなくてはなりません。悩んで決めて悩んで決めて・・人生は本当に選択の連続ですね。
2011年08月08日
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前回の日記で触れた絵本翻訳講座で、講師の先生がこんなエピソードをお話しくださいました。*先生のお話*- - - - - -私には、今はもう大学生になっている娘がいます。私は職業がらというのもあって、娘には幼い頃から沢山の絵本を読んであげてました。娘も絵本が大好きでした。でも小学校にあがるとだんだん絵本も読まなくなって、うちの娘は絵本が好きな子だとばかり思っていたのにそうでもなかったんだとちょっとがっかりしたんですね。ところで昔の絵本の文章には、今ではもうほとんど耳にしない古めかしい言葉などが使われていて、その一つに「すわ、一大事」という言葉があります。こんな言葉、今ではあまり使わないし聞くこともないですよね。実はこの言葉、娘がお気に入りの絵本に使われていて、私はその絵本を何度も何度も繰り返し読んであげたものです。最近の若い子には若い子の言葉があって、娘も今では他の若い子同様、「ちょー可愛い~」とか「ヤバくな~い?」とか「うざーい」とかしょっちゅう言ってるんですけど、以前娘が友だちに電話で話してるのが聞こえてきたんですね。それが、「うっそぉ~、マジ~?それ、すわいちだいじじゃーーーん!?」って言ってるんです。それを聞いてなんだか嬉しくなりました。幼い頃大好きだった絵本に出てきた言葉を今でもそんなふうに使ってて、忘れてないんだなあと思いました。小さい頃の絵本の記憶って凄いですね。- - - - - -素敵なエピソードだなあと思いました。子どもにとって絵本の記憶というのはずっと残る大切なものなのですね。だからこそ、よい絵本、よいお話、よい言葉ってとても貴重なのだと思います。「すわ、一大事」古い言葉ですが、いい言葉だなあと思いました。やはり絵本っていいな・・。
2011年07月31日
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3週連続の絵本翻訳講座に参加することになり、先日、第一回目の授業を受けてきました。講師はカルチャーセンターなどでもクラスを持っている女性の絵本翻訳家。私の中にある絵本・児童書の翻訳家のイメージは、高学歴でどこかスノッブな近寄りがたい人という感じでしたが、今回の講師の先生はそのイメージを覆すように気さくで楽しくて、理知的だけど親しみを感じるとてもステキな方です。文学や産業翻訳のスクールとかhow-to本などはいろいろありますが、絵本や児童書の翻訳については学ぶ機会が殆どありませんので、よいクラスに出会いました。第一回目の授業では、「げんきなマドレーヌ」を題材として、その対訳プリントで絵本翻訳のポイントや面白さ、難しさなどを学びました。マドレーヌシリーズは私も大好きな絵本ですが、その訳者である瀬田貞二さんの名訳をあらためて感じました。私は以前、コンピューターマニュアルの翻訳を仕事としていた時期がありました。産業翻訳は原文にできるだけ忠実に翻訳することが大切ですが、逆に言うと、その分慣れればとても簡単な作業だと思います。専門用語や知識は必要だけど、想像力や日本語力は要らないからです。それに対して、絵本の翻訳には独特の難しさがあります。ただ原文に忠実に訳せばよいというわけではありません。そこには、絵を読み取る力、想像力、いかにふさわしい日本語を使うか・・ほかにも沢山の必要不可欠な要素が加わります。「絵本の翻訳は、絵本をよく知っている人に翻訳してもらいたい」と講師の先生から。この言葉には私もとても納得できました。絵本の翻訳というものは単なる"翻訳"ではなく、"創作"に近いからでしょう。来週は課題絵本を使っての授業。とても楽しみです。
2011年07月29日
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今日の私、こんな詩にとても心が慰められるのです。どちらも、まどみちおさんの詩です。リンゴリンゴを ひとつここに おくとリンゴの この 大きさはこの リンゴだけでいっぱいだぼくが ここにぼくが ここに いるときほかの どんなものもぼくに かさなってここに いることは できないもしも ゾウが ここに いるならばそのゾウだけマメが いるならばその一つぶの マメだけしか ここに いることは できないああ このちきゅうの うえではこんなに だいじにまもられているのだどんなものが どんなところにいるときにもその「いること」こそがなににも ましてすばらしいこと として
2011年07月23日
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不思議なことが起こりました。先日は夢での出来事だったけれど、今度は実際に起こったこと。今日のお昼間、ソフィが急にワンワン吠え出しました。続いてお玄関のドアが開いて誰かが入ってきたような音が。インターホンも鳴らないし、誰かがいきなり入ってくるはずがないのです。読んでいた本を伏せてお玄関に行ってみると、誰もいない。外は台風で凄い雨風だったけれど、その音とは違って明らかに誰かが入って来た音。夢と言い、このことと言い、一体何なのでしょう?怖いお話かもしれないけれど、何故か怖く感じないのも不思議。もしかして、亡くなった父のしわざかな・・。
2011年07月19日
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夢を見ました。家の鍵がちゃんとかからないのです。鍵が壊れているのか、ドアがガタガタなのか、どうしてもかからない。これでは物騒で眠れない、どうにかしなくちゃ、どうしよう・・。今朝も見たこの夢、実はもう何度も見ているのです。いつもまったく同じシチュエーション、ただひたすら家の鍵がかからない、怖くてどうしようと怯えている自分。トンカチでドアを治すとか、誰かが応援に来てくれるとか、少しは発展性があってもいいのにな。よし、今度は夢の中でもう少し頭を使おう、使いたい(笑)。この夢、なぜこんなに何度も何度も見るのか、とても不思議なんです。
2011年07月17日
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信じてみようかな。人を、信じてみようかな。今日はそんな気持ちになれた日。しあわせは探すのではなく気付くもの。そう思えた日。
2011年07月16日
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10年来の古い友人がとうとう調子を崩してしまった。私の愛用の洗濯機だ。これまでエラー表示が出て止まってしまうことは何度もあったけど、そのたびに解説書を見ながらあれこれ格闘の末、どうにか稼働してくれた洗濯機。今回ばかりは給水できなくなりにっちもさっちも動かない。家電も10年もすればそろそろ寿命なのかな。メーカーさんに一応修理の予約を依頼しておきながら、一方では念のため大型電気店に洗濯機を見に行く。店頭に並んだピカピカの洗濯機を見て、その機能の充実ぶりにびっくり。10年という歳月を感じる。ある洗濯機が目に留まり、"〇日までの特価"というのに負けて自分でも驚くほどあっさりと購入してしまった。呆れるほど悩む時もあればまさかと思うほど素早く決断する時もある自分。要するに面倒くさくなったのかな(笑)。でも届くのにはまだまだ日にちがかかる。そして今日。ようやくメーカーから修理の方が。給水弁という部品が10年間ですっかり消耗してしまい、通電しても弁が開かなくなったとのこと。交換すれば直りますと言われ、お願いしてみた。すると愛用の洗濯機、何事もなかったかのように調子よく再稼働。まだまだ頑張ってくれそうな愛用の洗濯機ちゃん、お別れするのはやはり寂しい。でも私、既に新品を買ってしまったんだ、どうしよう・・。返品というのはとっても勇気のいる作業だけどやはり愛用の洗濯機を手放したくない気持ちの方が強い。意を決して電気店に電話した。「申し訳ありませんが、洗濯機を返品させてください。」修理のおじさん、暑い中ありがとう。私の洗濯機、10年来の友人、もう少し一緒に頑張ってね。
2011年07月12日
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昨日、関東地方もいよいよ梅雨明けしましたね。今朝外に出てみたら、昨日までとは打って変わって真夏の青空。太陽がギラギラと照りつける暑さ。この暑さに節電、元来夏が苦手な私は、一体この夏を乗り切れるのでしょうか。このところの私は、自分の意思に反して、何かに流されて物事がどんどん進んで行っているような気がします。自分の意思が無視されているわけではないけど、何かに導かれるままになっている。これは本当に自分が望んでいることなのだろうか。ふと冷静になって考えてみると、本当の自分が望んでいることではないと気付いたりする。自分自身が気付いていないふりをしているだけなのかも。物事が何でも自分の思い通りに進まないのは世の常ではありますが、あえて進まなくてもよい方向に、いえ、進まない方がよい方向にどうやらいつのまにか流れて行っているような気がしてなりません。私はきっとこんな自分を望んでいるのではない。なぜなら、そこに心からの喜びが見い出せていないから。強い意志を持ってすれば引き返すことができるはずのこと。それができていないということは、自分の意志があまりにも弱すぎるのでしょう。このままでは自分だけでなく周囲をも傷つけることになりかねない。すべては自分の責任にある。さあ私、これからどうする・・?
2011年07月10日
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今年もまた、ホタルの季節がやってきた。昨年夏には見たい見たいと思いながら結局見に行くことができず。来年こそはとひそかに思った一年前。「ああ、あれからもう一年が経ったんだ」今年もまたちらほらとホタルの話を耳にする。月日の流れはあまりにも速くあまりにも残酷でもの凄い勢いで私をすり抜けていく。まるで私など存在しないかのように。すべては幻想なのではないか。ホタルの光のように。見に行きたいのに見に行きたくない。なんと矛盾した自分の心。私はホタルに憧れる。そしてきっと私はホタルが嫌いだ。それはあまりにも美しくてあまりにも儚すぎるから。
2011年07月05日
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寂しい。さびしい。サビシイ。どうしても、やはり、一向に、相変わらず、逃れることができません。私の心の中に棲みついて、出て行ってくれないのです。一体私はこのお方とどのように付き合って行けばよいのか、依然としてわからないのです。サビシイ・・。なんて冷たい響きなのでしょう。なんて儚い言葉なのでしょう。どうか皆様、誠に勝手ですが、コメントはなさらないでください。せっかくいただいても返す言葉が見つからないのです。ただの愚かなつぶやきとしてこのまま閉じてください。
2011年06月29日
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イラスト関係のイベントでたまたま知り合った人たちとの飲み会。こんな機会でもなければ知り合えなかったであろう人たちと、こんな風にお酒を飲みながら会話していることがとても不思議に思える夜だった。同じテーブルを囲んで4人で会話していたときのこと。20代の男の子B君が私に言った。「〇〇さん、変わってますよねー。オレ、今までかなり色んな人と接してきたけど、なかなかいませんよ。かなり変だと思います。」お酒が入っていたとはいえ、唐突なこの言葉は衝撃的だった。その日初めてまともに会話した人に、変わってる変わってるとこれほど強く言われたのはかなりのショック。変わってるどころか、言葉のニュアンスからして変人扱いである。一体この人は私をけなしているのだろうか、それとも単に素直な感想を言ってるだけなのだろうか。変わってると言われてもそれは仕方ないと自分でも思えるけど、さすがに変人扱いは未だかつてされたことがない。次に、30代後半と思われる女の子がそれを受けて言った。「自分の世界を持ってますよね。変わってるというより、うーん・・、声の感じなのかなあ、同じことを〇〇さんが言うとすごく響いてくるんですよね、何なんだろう、周波かなあ・・、違うなあ・・。」一応変人扱いの発言ではなかったけど、やはり私は普通ではないような言い方だ。自分でも普通だとは思わないけれど、まだ会って間もない人からこのような発言、特に「かなり変だ」と言われたことには辟易した。何て失礼なことを平気で言うのだろう、もう首絞めちゃおうかな・・なーんて思ったけれど(笑)、まあ今時の若い子は私にとっては宇宙人のようなものだから、ここは気にせず流しておこうと思った。ところが一夜明けても、その発言が私のガラスのように繊細な心に(?)グサグサ突き刺さったままで痛いのだ。傷口が疼いて心が泣いているのだ。ねえ、B君、私はそんなに変人ですか?ああ、一体この傷は癒されるのだろうか。
2011年06月28日
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無念にも事故や病で命を絶たれてしまった場合を除いて、生きとし生けるもの、みんな平等に寿命は決まっている。アリにはアリの、ゾウにはゾウの、そして人間には人間の寿命というものがある。人間の寿命は約80年として、その人生は人間にとって果たして短いのだろうか長いのだろうか、それとも妥当なのかな?もしも倍の160歳まで生きられるとしたら、さすがに長すぎるかな。もうやめて~、もう十分だから死なせてくれぇ~~~、なんてことになるかな。まあ、感じ方は人それぞれだと思うけど、それにしても時間という概念はとても不思議だ。そんなことをイラストレーターの寺門孝之さんも先日お話しされてたっけ・・。夜眠れなくなるので、あまり考えるのはやめよう。
2011年06月27日
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今朝ちょこっとテレビをつけてみたら、震災被害地でのチャリティライブの模様が出ていた。知らないオジサンが歌っている。でも声には聴き覚えが、曲にも・・なんと、あの稲垣潤一だ!暫く見ない間にこんなに年とっちゃったんだあ、でも声は変わらないなあ。次に登場したのは、「元気ですかぁ~!?ダーーーッ!!」のアントニオ猪木。名前の横には年齢が。68歳。猪木もいつのまにかこんなに年とったんだ。それなのにあんな大きな声で叫んで、脳の血管が切れないか思わず心配になった。気力はあってももう若くないんだから、ほどほどにした方がいいですよ。それにしても、人は皆、年をとるんだなあ、当たり前だけど。いつまでも同じではいられないんだ。どんな人も平等に年をとって、やがては死を迎える。人生を楽しく生きてもそうでなくても、成功してもそうでなくても、お金持ちでもそうでなくても、孤独でいてもそうでなくても、結局みな、最後は同じ。いったい、生きるって何なんだろう。あ、思考が変な方向に行きそうなので、もう考えるのやめようっと。
2011年06月27日
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相変わらず公募に挑戦しているのだけれど、落選つづきの日々。たとえダメ元でも、応募するからには心のどこかに僅かな期待を潜ませているのが人間というもの。私ももれなくそんな人間の一人である。落選通知が届いた瞬間、微かな希望の光が一瞬にしてポッと消えてしまい、暗黒の奈落の底へと真っ逆さまに突き落されてしまうのだ。しかし、このままではいけないと一生懸命に心を奮い立たせ、ひとしきり落ち込んだ(ひとしきり泣いた)後は性懲りもせず次に向かって再び進むのです。自分のやり方に固執していた私。そろそろこのへんで新たな試みをしてみようかとも思う。落選、絶望、リベンジ・・の苦悩の日々は果たしていつまで続くのかな?
2011年06月23日
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検査を含めての手術を受けた妹に付き添った。普段は患者さんを治療する立場にいる妹。今回は立場逆転。感情を滅多に顔に表さない気の強い妹ではあるけれど、今回ばかりは心細い表情が読み取れた。医学に関する知識があるだけに、自分でわかっていることもあるのだろう。手術から戻ってきて目を覚ます妹のために、絵本と小さなぬいぐるみのプレゼントを枕元に置いておいた。透明なセロファンに包まれて綺麗なリボンで飾られたそれを見て、目を覚ました妹はにっこり微笑んでいた。「ありがとう」というその言葉はとてもか細かった。多忙で滅多に会わない妹のために、この日だけは夕方まで傍にいた。病気のことではなく、たわいもない雑談をした。妹から聞いた原発関連の話。3.11の後、妹の病院で写した複数の患者さんのレントゲン写真に、小さな黒い斑点がたくさん見られたとのこと。当初はそれが何であるかわからなかったらしいが、それ以降、特に横浜界隈で、そのような報告があちらこちらの病院から上がったそうだ。結局、地震、津波によって水素爆発を起こした福島の原発から、遠く離れた横浜付近に目に見えない放射能の粒子が飛んできて着地していたのではないかと。それがレントゲンに使用するフィルムに付着し、レントゲン照射によって感光されたらしい。レントゲン室には窓は一切ないはずなのに、人の出入りや空気の自然な流れによって密室であるはずのレントゲン室にまで放射能の悪魔は入り込んでいたのだ。目に見えないだけに本当に恐ろしい。私たちは今、たとえ原発からどれだけ離れていようとも、結局人体に何らかの悪影響を受けていることは間違いない。水、食料、空気・・・どれだけ安全に気を遣っても、狭い日本にいる限り逃れることはできないような気がする。おそらく5年後くらいにはガンが多発するだろう。そんな話をしながら病室で妹と過ごした一日だった。妹に悪い結果が出ないことを祈りつつ。
2011年06月23日
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カフカの『変身』を読んだ。以前から気になっていた小説ではあるけれど、今回たまたま読む機会が訪れた。僅か100ページ足らずの短編だが、一見これは非常に奇怪な小説だ。一体どう解釈したらいいのだろう。主人公に救いは全くないように思われる。始めはただただ気持ち悪かった。でも読み進んで行くに連れ、主人公に起きたこの悲劇の結末が一体どうなるのだろうと心配になってきた。微かでも何らかの救いを期待していた私は、最後のページをめくって愕然とした。本当に救いは全く無かったのだ・・と思う。これは一体何を象徴しているのだろう。『変身』は複数の出版社から出されているが、どれも至ってシンプルな表紙のもばかりだ。カフカ自身が扉絵に直接的な絵が描かれるのを頑なに拒否したという。もしかするとあれは美しい光を放って短い生涯を終えるホタルだったのではないかな、などと思うのは、この季節だからだろうか。
2011年06月16日
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