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「何で神戸に行くん!?」
礼拝のあと、お昼を食べながら、かえるくんが不機嫌そうに言った。
午後から私たち牧師家族が出かけると、教会を閉めて行かなければならない。
かえるくんの日曜の午後のたまり場がなくなるわけだ。
「とーる先生から聖書の話を聞きにいくのよ。」
「ふーん、泊まりがけで?俺ん家なんて、どこも連れて行ってくれん」
我が家がディズニーランドにでも行くかのような口ぶり。
ええ、きみが楽しめる場所なら一人くらい、どこへでも連れて行ってやりたいよ。
明日は国民祝日だしね。
でも、教会学校の短いお話の時間でもじっとしてるのが大変なんだから
延々と続くお話につきあってられないっしょ。
ウチの子たち、おとなしく機嫌よくしてられるかなあ、とちょっと心配。
ぎりぎりまで教会玄関で腹這いになって遊んでいたかえるくんを思い、
いつか本当にみんなをディズニーランドにでも連れて行きたいなあ、
と出発の車中で思った。
クリスチャン生活23年。
生まれつきの凝り性もあって教会の集会は行ける限りどこにでも行き
聖書通読(聖書をはじめから終りまで読むこと)も何度かしたし
神学書・霊想書もいろいろ読んだ。
こうなると牧師の説教は大抵、どこかで聴いたり読んだりしたことがある内容である。
話の次の展開とか、話足りなかったと思われることも推察したりする。
にも関わらず、週ごとの礼拝・祈祷会の説教は楽しみだし、
こんな泊まりがけで聖書の話が聴けるとなると、ワクワクするものだ。
同じ空間で同じ話を聴いていても、ある人には無味乾燥で、
ある人には神の臨在と力が注がれるものとなる。
まさに、求める人にだけ与えられる世界がある。
最近は携帯メールで聖書の言葉を配信するサービスもあるけれど
時間とお金をかけて、時には煩わしさも感じる「人と会う」ということを通してでしか
与えられないものがある。
経験してない人々にとっては私たちは「もの好きなひとびと」なのかも。
神戸の清楚な施設で、穏やかな笑顔の人々と挨拶を交わし、
声を合わせて気持ち良く賛美を歌い、
神の聖さ・あたたかさを偲ばせる説教者の語る言葉に耳を傾けた。
我が家の他にも子連れのご家族があって、子供たちは集会室の後ろで
静かに、熱心に遊びつつ、友情を育んでいた。
不思議で素敵な秘密の世界を、彼らも、かえるくんと仲間たちも見いだせるように祈る。
とーる先生の深い洞察に満ちた説教の要約が教会にあります。
興味のある方はご一報を。