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父が小学校を卒業する頃、もう日本は中国と戦争をしていた。
父も軍歌をうたって育ち、男の子たちの将来の夢は将校になって手柄をたてること。
兵隊になることがステイタスの時代、結核になって一学年下げて勉強している、クラス一チビな男の子はそれだけでもう、男子としては「欠陥児」扱いされておかしくなかった。
「お前には兵隊は無理だな」
バカにされても人一倍負けず嫌いな父は言い返した。
「オレは参謀になる」
叔母の話では父は成績優秀、首席だったので級長をずっとつとめていたそうだ。
仲間の遊びを楽しくするアイデアもいつも父から出ていたから、皆もう、父をおとしめる言葉を言えなかったそうだ。
父自身いっしょにいて面白いキャラでもあったろうが、妹たちが器量よしだったので、男女クラスが別の時代、旧友たちはやたらと父につきまとい、家に遊びに来たがったとか。
そんなわけで、父は自分よりずっと体格のまさった級友を従えて走り回っていた。
(叔母の話ではあながちウソではないようだけど、オレサマな父の誇張も多少あると思う)
父の家は魚屋で、仕出しもしていた。
仕出しの配達は小さい父の仕事だった。
足のつかない大人の自転車に自分より重そうな荷を乗せて、坂道を下ると後輪が上がってスリリングだったとか。
父は仕出しが結構好きだった。
なぜなら、ちょっと遠い高級住宅街にも行けたからだ。
はじめ、父は気おくれして、その界隈に行くのが嫌だったそうである。
ところが、線路を渡った向こうの一軒に、レースのカーテンの中からいつもピアノの音が聞こえる家を見つけた。
ピアノを弾いているのは自分とあまり年の変わらない、長い髪をたらした女の子だった。
(当時、長い髪を三つ編みにしていない子は珍しかった)
父はその子のピアノ聴きたさに?姿見たさに?家業の手伝いを喜んでした。
いつか、あの子と友達になりたい。
いつか結婚するときは、あんなお嬢さまがいい。
もし、それがだめでも、自分が家庭をもったら、娘にはピアノを習わせるんだ。
だから、絶対金持ちにならなくちゃ。
それが、父の夢になった。
時期に日本はアメリカとも戦争をはじめ、威勢のいいことを言っていばっていた大人たちはちりじりになり、東京も焼け野原になった。
父の家はなんとか焼け残ったが、線路向こうは焼けてしまったそうだ。
女の子がどうなったのか、父は知らない。
良い家の子だから、どこかに疎開して生き残ったのかもしれないし、
家と焼けてしまったのかもしれない。
父は夢のとおりに娘二人にピアノを習わせた。
日本、フィリピン、ブラジル、引っ越すたびに一番にピアノを買い備えてくれた。
姉娘が受験を口実にピアノを習うのをやめてしまうと、妹娘のわたしに期待をかけた。
わたしはピアノが好きでよく弾いたけど、練習がきらいだった。
レッスンをやめたいと言い出すと父は「小遣いやるから、やめるな」と、父親としては情けない買収策に出た。
わたしは高校までだらだらとピアノを習った。
長じてクリスチャンになってから、讃美歌を弾くようになった。
父は「曲のジャンルが違う」とボヤきながら、まんざらでもないようだった。
娘の下手な讃美歌は、初恋の女の子への鎮魂歌であり、平和の調べであったから。