とんかのクローゼット

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2009.07.22
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カテゴリ: いろいろ

父の結婚の条件は二つあった。

一つは健康であること。

父は幼くして母を病で亡くした。二度目の母は力を尽くして父を大事にしてくれたそうだが、母を亡くした悲しみは大きかった。父の家の主婦は健康でなければならない。 

二つ目は育ちの良いお嬢さんであること。

これは個人的好みかな。

いくつかお見合いもしたそうだ。

ある令嬢は感じ良い人だったが、父がジョークを飛ばすと大きな口を開けて笑った。

その口の中で金歯が光った。

こんなお獅子のような女性とは嫌だなあ、と思ったから、歯はよく磨いて大事にするように、と父はわたしに命じた。

ある日会社の上司を通じて見合いの話が来た。

「君は仕事が忙しすぎて結婚相手を探す間もなさそうだから、探してみたよ。

すごいお嬢さんだよ。母方は加賀百万石の前田家の筆頭家老を務めた家系だ。」

「そんな家のお嬢さんが貧農の子孫のわたしと、いいんですか?」

「さばけた家だから、人柄が良ければ構わんよ」

と、いうことで、会ったのが我が母。

父は見合いの席で恥ずかしくてまともに母を見なかったらしい。

けれど、つきそいで来ていた祖母の知的で凛とした居ずまいに感服し、この人の娘ならと話をすすめた。

母は当時としては適齢期を過ぎようという年であったし、信頼できそうな人だというので、父とのつきあいを決めた。

父は第一条件を満たす女性かどうかを試すために母をハイキングに誘い、体力検査をしたが、母より父の方が先に疲れてしまい、母の健脚ぶりに舌を巻いた。

いよいよ結婚の運びとなったが、 母の実家のお堅い家柄に、婿として認めてもらえるか、祖父にお伺いをたてたそうだ。

祖父は一言「おもしろいから、いいじゃないか」

新婚時代は父の出張・単身赴任で瞬く間に過ぎてゆき、間に姉が生まれた。

マージャンが好きで、家にいる時間は少なかったらしい。

父はどうしても家族同居したかったので、会社に家族づれで海外に行くことを交渉した。

母は会社ではじめて海外暮らしをする駐在員妻となった。

そこでなかよくなった母のフィリピン人の友人は父母の結婚生活の別居期間の多さにあきれて「そんなの離婚ものだわ」と言ったそうだ。

それでも、父は仕事熱心ではあったが、滅私奉公するタイプではなかったので、有給はきっちり取り、海外駐在の合間に家族旅行を楽しんだ。

母は父が連れてくる客のためによく料理を作り、もてなしていた。

夫婦二人三脚、日本にいて残業で食事もろくに一緒にできないより、海外生活の方が楽しかったようである。

父は家で食事をするときは晩酌も加えて平気で2~3時間を費やした。

母はいつも父の話の聞き役をするのだが、途中でし残した台所仕事を片付けたくて消えてしまい、わたしと父だけ食卓に残される。(姉はもっと早い段階で逃げる)

そうなると、酔いも手伝って父の話は自慢話とのろけになるのだ。

「うちのお母さんみたいにできた女性はいないぞ。

料理はうまいし、教養はあるし。

結婚した頃は色気がなかったけど、年々いい女になるだろ」

(娘には意味不明)

娘に妻のことをのろける男性が世の中にどれくらいいるんだろう。

「お母さんのような女性になれ」

いや、無理だって。別人だし。わたし、性格はお父さん似だし。

会社を定年退職してから父はいろんな企業の相談役として自分のやりたい仕事だけを選んで過ごした。

父は鳥を好み、母は野草を愛で、よく二人であちこちウオーキングしていた。

わたしが三十路近くになってようやく結婚することになった頃、父は体調をくずし、検査入院をした。

結婚式の花嫁のつきそいは、検査入院の合間に病院から来てくれた。

そして、検査の結果、膵臓と肝臓に癌ができていることがわかった。

治療しようがなくなったことがわかったとき、父が願ったのは母と暮らす家に帰ることだけだったが、末期ガンの痛みを抑えるための処置は自宅ではできず、無理な願いだった。

わたしの結婚式から3か月、父は病床にふしたまま逝った。

聴覚は最後まで残る、というので、意識を失った父を囲んで、母と姉と私と、父の妹で歌をうたった。

父がミッションスクールで歌ったという賛美歌

「主われをあいす」・・・神さまの愛よりアイスクリームが食いたいって?

青春時代は甘いものに飢えていた戦中だったから、、、

「主は強ければ われ弱くともおそれはあらじ」

「御国の門を開きてわれを招きたまえり いさみて昇らん」

母に手をとられ、娘妹が身体をさする中、父の心電図は止まった。

同時に、黄色くむくんでいた顔が白く明るい色になり、父はかすかにほほえんだ。

それが医学的なよくある反応であったのか、本当に天国に旅立ったという神が残したしるしであったのか。。。。 

7月7日、夏の到来を告げるような、やけに明るい日だった。

織姫彦星のように父と母は別れ、からっぽになった父の身体だけが父の恋しい家に帰ってきた。

父親が子供にできる最高のプレゼントは、その母親を誠実にただ一人の女性として愛し通すことだという。

そんなわけで、彦星とうさんは、数多の苦笑してしまう欠点エピソードにもかかわらず、妻と娘にとっては大したヒーローなのである。 






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Last updated  2009.07.23 01:31:52


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