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確かに入社前、つれてきた若い相棒に「すぐに主任くらいには成るから、それまで辛抱してや。」なんて言ってたし、和夫も自身、パチンコ屋の主任くらいにはすぐに成れなくてどうする。とかなり強い自信もあった。自惚れとは違うどこか確信のようなものであったが・・・・しかし、入社して僅か3ヶ月足らず、おまけに新規の店・・・・・・ 和夫はどこに行っても上司にはよく見られていたし、どこの職場に行ってもなぜかしらその職場の中枢にいつもいた。同僚にもたいして好かれるわけではなかったし、嫌われる訳でもなかったが、なぜかいつも上司に対しては非常に受けがよかった。彼が、「ゴマ」を擦っていた訳ではないし、特に仕事に対して特別な功労があったわけではないが・・・・・・なぜかしらいつも、どこでも職場の中枢にいた。が、今度ばかりはなぜか気が乗らない。不安の方が一層つのってくる。「こんなことは前にもあったじゃないか。つい最近も主任の代行をしているようなものだったし・・・・・・・」自分でそういい聞かしてみたが・・・・・。なぜか不安ばかりが・・・・・。 しかし、不安がってばかりはいられない。開店が目の前に待っている。しかも、主任2人はパチンコのホールに専従。和夫にとっては生まれてはじめてのパチンコ屋の開店を僅か100台そこそこのホールとはいえ、責任者として迎えなければならないのだから・・・・・・。 主任が2人いて、どちらもパチンコのホール。確かにパチンコのホールは350台と台数は多いが・・・・。かなり後で支配人と常務に聞いてみたところ、確かに主任が2人いて、1ホールに1人づつ配置するのが一番だと思ったが、主任二人ともいまいち信用が置けなかったとか。それなら開店前に主任代行みたいに仕事をさせた釘宮を狭い・・・・、100台の方の責任者にしておいたほうが安心だったらしい。「釘宮さん大丈夫ですよ。フォローします。」なんていった川合の言葉がなんとなくむなしく思い出されてきたから・・・・・・悲しい。 早速、開店の準備にかかるが、開店準備はもうほとんど終わっている。後は当日の人員配置くらいなものだった。主任が二人で話し合って決めていたが・・・・和夫はそれとは別に心配が・・・・・・。新規の開店の、開店放送・・・・・・・。今では、どこの店もあまり呼び込み放送なんてしないが、当時はまだまだ、呼び込み放送の全盛。街頭に向けての放送はさすがにしないが、館内に向けての放送は一種の煽り・・・・考えようによっては、軍艦マーチよりも重要な位置と考える経営者の方が多かった。
2009年07月16日
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↑新登場↑大充実の機能^^人気の日立が色々使えます♪☆格安リフレッシュパソコン☆CPU:Pentium(R)4 (3.0GHz)/512MB/40GB ★yahooBB!!新規加入セット (NTT光でも可!))【家電guru0617】 後で聞いた話であるが、新山の姉さんが本店の専務の奥さんであった。新山が入社したときから新店舗の常務となることは決まっていたらしい。ホンと、事実は小説より奇奇怪怪である。 釘宮にとっては天から神様が降臨して来たよりありがたかった。なんといっても気安く相談に乗れる人間が降ってきたようなものだったから。しかしながら新山も若いといっても常務、つい先日のように気安く声を掛けることはできなかったが・・・・。 新店舗に着任してからそう・・・・・10日ほどたったころ、その頃には一番きつい玉の搬入も済み、島の中、天井裏の樋(玉が通っていくところ)等の掃除もやっと終わり、後は試験打ち、店舗の機械をフル稼働させ、不具合箇所が無いか、また各台の調子はどうか・・・・などなど、フル稼働で検査していく。台は1ホールで350台、従業員は約20名、1人で12~3台を動かさなくてはならない。台にドル箱1箱分くらいの玉を用意して、ハンドルにアースをつけ、コインで固定、合図と同時に打ちはじめる。フィーバーがかかる台、玉がなくなる台、玉の補充、かかった台は皿から玉を引く。2~3台同時にかかるものならてんてこ舞いである。しかしながら、なぜかしらこの仕事は楽しい。一応トラブルがなくなるまで全稼動を何回かさせられたが、この仕事もなんとなく終わり後は、開店を待つだけ。開店も当初、11月の初めにはオープンする予定だったが、かなり遅れてもうクリスマスの時期になっていた。開店まであと2~3日だったか、みんなホールの最終の掃除にかかっていた。店の前面のガラス、床のタイル、かなりの重労働だったが、あと少しで開店と言うことで従業員全てが何かしら浮き浮きとしていた。そんな時である。若い従業員が、「釘宮さん、トイレですけど、何回掃除してもすぐに汚れるんですけど。誰かちゃんとしてないみたいなんですが。」「えっ、まだ開店前ですよ。限られた人間しかいないのに・・・・」「でも掃除して後で行くともう汚れているんですよ。」そこに、川合と福井が。「なん、トイレがすぐ汚れる。そんな馬鹿な。」「でも本当なんですよ。さっき掃除したばっかなのに、支配人から汚れているなんていわれて、行ってみると本当に汚れているんですから。私はちゃんと掃除したのに。」福井が「そういえば前からなんとなく掃除をしてもすぐ汚れていたな。気にしなかったけど。」「開店前にそれではだめですよ。お客さんが見たらなんて言うか。」喧々諤々・・・・・釘宮はふと、依然見たあることを思い出した。「いっそしばらく張り紙をしますか。」川合「なんて、清潔になんて書く?。」「そうですね。従業員か、業者か、其の中の何人かでしょうから、見ているわけにも行きませんし。」 結局言いだしっぺの釘宮が書いて貼ることになってしまった。「なんて書く。清潔にだけでは面白みが無いし。」「いいですよ。少し面白く書いてみましょうか。」 と、書いたのが、「一歩前進、捧げ銃、君のはそんなに長くない。」事務所でマジックと画用紙を借り、書いていると、常務が、「釘宮さんなんですかそれは。一歩前進、捧げ銃・・・・・・笑えますね。」「堅苦しく書くより笑えるくらいの方がいいですよ。」「しかし、今時、捧げ銃なんてわかる人がいますかねぇ?」「なんとなく判るでしょ、それでいいんですよ。」この標語と言うか、なんというか、しばらくの間は従業員、業者の間で結構笑い話になっていたようだった。 釘宮はこの標語を(?)以前海上自衛隊の教育隊で見たことがあって妙に印象に残っていたのだったが、それから数ヶ月後、町のスナックに行ったとき、トイレに同じことを書いて貼ってあったからまた笑い話。聞いてみると、従業員が来たとき其の話しが出て、「じゃ、ここにも貼ってみよう。」ということになったらしい。お客にも評判がよかったし、トイレがあまり汚れなくなったらしいから、意外なところで役に立ったと・・・・・・笑い。 明後日が開店という日、やっと釘宮が解放される日がやってきた。支配人と、常務、専務が話し合って、やっと役職者が決まったらしい。「釘宮さん。今日は午後から従業員は休ませます。今からざっと掃除をして終わったらカウンター前に集めてください。開店の段取りと、役職者の指名をしますので。」「はい。判りました。やっと解放ですか。」支配人は「うん」とは言わなかったのは気になったが、釘宮は間違っても自分が役職になるなんて思ってもいなかったので、ある意味ほっと・・・・掃除が終わり、例によって女の子にマイクで集合の声を頼んだ。 従業員が集まり、事務所に声を掛け、支配人が出てくる。「お疲れ様。今日はこれから休みます。あさって開店なので十分休養を取っておいてください。」「それから開店の段取りを決めますが、其の前に懸案の役職者を任命、発表します。」やっとと思う人、意外に思う人それぞれが、それぞれに思惑があり、一様に複雑な顔である。中で釘宮だけがなぜかホッとした顔・・・・・・「では、指名します。主任、川合君。それから副主任を3名おきます。釘宮君、福井君、山口君以上。釘宮君には開店当初スロットのホールを中心に回ってもらいます。」釘宮にとっては寝耳に水。本人は間違っても役職になるなんてことはおもっていなかったし、ましてや筆頭副主任なんて・・・・・・「では、開店の段取りは明日の朝礼で言いますので、今日はこれで終わります。お疲れ様。今指名された人は昼食を取ったらホールに出てきてくれ。段取りを決めるから。」「お疲れ様でした。」「お疲れ~」等と口々に言いながらみんな寮のほうに上がっていく。釘宮は「支配人、すみません。」「なんや」「すんません。私、役職が決まるまでのつなぎやなかったんですか?副主任なんて言う話は聞いてないですよ。」「じゃけん、今日決めたやないか。頑張ってくれや。」「しかし、先輩が多いのに飛び越して副主任なんかいったら気分を悪うする人もいるんじゃないですか?」「そういうのは止めてもらって結構じゃ。専務と話して一番いい人選をしたんじゃから、あまり気にせんと頑張れや。今までも十分主任の仕事をしてきたんじゃからできん筈はないじゃろ。」「でも、開店前にまたこの前みたいなことにでもなったら・・・・・・・」川合が横から、「釘宮さん大丈夫ですよ。私もフォローしますから。」川合も自分が待望の主任に成れたからか機嫌よく言ってきた。
2009年07月04日
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その夜近所のスナックに・・・初めは、男5人で行くつもりだったらしいが、「最初ですから、両方の奥さんを連れて行ったらどうですか。心配するだろうし、今後を考えると、お互い知っていたほうがいいと思いますが・・・・。」釘宮の一言で夫婦2組と、支配人、釘宮、大塚tとかなり大所帯になってしまった。 何はともあれ、スナックに着いて、支配人からの一言、「みんな、すまんかったのう。わしの早とちりでみんなに嫌な思いをさせてしまった。特に、福井君と川合君にはやる気になっているところを腰を折ってしまって、本当に悪いと思ってるき。」どこの方言か知らないが、どこかの方言交じりの話。 まさか、ここまで素直に頭を下げるとは釘宮も予想してなかった。みんな黙っている。場がなんとなく白けた雰囲気。このままでは・・・・・・不味い。仕方なく、「福井さん、川合さん、支配人がああ言って下さってるから、この辺で機嫌を直してくれませんか。縁があって一緒に仕事をするようになったのですから。」釘宮もなんと言っていいか判らなかったが、何か言わなければ場が白けたままになってしまう。そうなれば何のために一緒に飲む機会を作ったのかわからない。まだ、みんな黙っている。堪らず、「川合さん、あんたが一番古いんですからここは一番大きなところを見せてやってよ。」仕方なく、川合が、「支配人、すみませんでした。自分で勝手に思い込んでいた自分が悪かったです。」その一言で、場が自然と和んだ。福井も、「いや、私も悪かった。主任なんて言われて、先輩達がいることも考えずに勝手に引き受け、また、今日は河合さんたちに、頭ごなしに言葉を使ってしまいました。川合さん、支配人、本当にすみませんでした。」それからは、みんななんとなく話ができるようになり、スナックを出る頃はみんな、和気合い合い・・・・特に二人の奥さんは、10年来の親友みたいに話が弾んでいるようだった。福井はというと、やはり、支配人が主任に押すだけあって、話をしてみれば、割りと頭の低い感じのいい男だった。 釘宮はというと、やっと肩の荷を降ろしたような気分。只、今夜だけは世話役に徹しよう・・・・・。そんな考えでみんなの世話を焼いていた。それがまた後で釘宮にとってはいい方向に導いてくれたのであるが、まだそんなことは誰も知らない。人生万事塞翁が馬・・・・糾える縄の如し・・・・・・とはよく言ったものである。 さて、スナックでの手打ちがすんで、上のほうが仲良くなると、下のほうもなんとなく仲良くなるものである。 翌日からの仕事も順調にこなせる様になって行ったし、川合にしても、福井にしても、釘宮に一目置くようになっていった。 だが、またまたその翌日、驚くことが起こった。釘宮がホールの清掃をしていると、本店で仲のよかった同僚が車でやってきた。気軽に声を掛けた。「新山君、今日は何?何で来たの。本店はいいの?」新山は釘宮とは入社が数日しか違わなかったし、まだ年が若かったしで、釘宮とはかなり仲がよかった。彼にはどうしようもないと言うか、度胸があると言うか・・・・変な前科の持ち主だった・・・・。それは、入社して1月程たった頃だったろうか。閉店後1人で飲みに行ったことが発端だった。 その頃寮は閉店後の門限が決まっていて、門限を過ぎるとシャッターを下ろし外からは入られないようになっていた。 飲みに行って、帰ってみるとシャッターは閉まっている。寮には入られない・・・・彼は、店の横の電柱をよじ登り、2階へ、2階から非常階段で4階へ、4階のベランダからガラスをノックし中から開けてもらって・・・・・・後で下から2階を見上げて、本当に電柱を登ったのだろうか・・・・と酔って4~5メートル登るなんて、・・・考えられなかった。 それでよくすぐに名前を覚え、気安く話すようになったのだが・・・・新山は、「釘宮さん、どうですか?忙しいでしょ。ちょっと事務所に行きますから後で・・・」本店から何かの用事で来たものと思い込んでいると、支配人から、「おーい釘宮君。皆をカウンター前に集めてくれ。」なんだろうと思いながら、カウンターの中で忙しそうにしている川合の奥さんに声を掛けた。「川合さん。みんな集合のマイクをお願いします。」従業員が三々五々カウンターの前に集まってきた。その頃ではもう本店と同じく、入社が古い順に並ぶようになっていたが・・・・集まったのを確認し、事務所へ。「支配人、全員揃いました。お願いします。」「わかった。すぐ行く。」カウンターの前で待っていると、支配人が出てきた。後ろに新山が・・・・・・川合も怪訝そうにしている。「みんなお疲れさん。新しい常務を紹介します。今日からみんなの世話をする新山常務です。」とたんに本店から来た従業員は一様に驚いた顔を・・・・それはそうである。釘宮より古い連中は、新山に仕事の内容、手順・・・いろんなことを先輩風を吹かせながら教えていたのだから。中には「こんなことも解らんのか!」等と罵声を浴びせた従業員もいた。それが常務で来たのだから、驚くのも無理は無い。嫌な思いをしている従業員もいるはずだった。「今日から常務としてお世話になる新山です。半分の方はよく知っていると思いますがこちらで採用された方は初めてですね。よろしくお願いします。」こんなことがあるのだろうか。つい先日まで一緒に表廻りをしていたし、二人で馬鹿言い合ったりしてもいた。川合などは釘宮と同じく、手取り足取りよく面倒を見ていた。それが今日からは支配人を通り越して常務・・・・・・・雲の上の人間である。しかし釘宮にとってはあまり心配することは無かった。影では本店にいた頃となんら変わることなく友達付き合いをしてくれた。
2009年06月10日
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二人とも納得したのだろうか。・・・・・しかしながら店としては、「そんなのカンケーない。そんなの関係ない。」どこかのコメディアンの言葉ではないが・・・・しかしながら釘宮にとっては大変迷惑なことであった。支配人はというと、釘宮を主任同然に使ってくれるし、河合に相談に行きたいが、(顔を立てに)行ったら、今度は主任さん(?)に気兼ねしなくてはならない。 新店舗の状況はなんと言っても主任さん(?)が一番把握している。こちらにもいろいろ聞きたいことがあっても河合の手前なかなか聞けない。「どうにでもなれ!。」そんな自棄な気持ちである。結局、その日は、新店舗から来た人間はそのまま待機。釘宮だけは支配人から残された。何かと思ったら、明日からの打ち合わせ。「2~3日内に玉が入ってくるから、明日からどぶ掃除を徹底したやってくれ。」と、支配人・・・・・・が、釘宮に権限があるわけでは無し。新店舗採用の人間は後輩といっても名前もまだ知らない。本店から来た人間は半分が大先輩。・・・・・・・そんな中で、段取りがうまくいく筈がない。思い余って、「支配人、簡単に言いますが、私はまだ下から数えたほうが早いし、こちらにいた従業員は名前も気性もよく知りません。現実に何人いるかもわからないのにそんなに簡単に段取りなんか組めません。」「そうか、だったら、どうしたらいい。」「そうですね、せめて河合さんと、名前は知りませんが今までの主任さんと十分話ができるようにしてもらえませんか。決して河合さんも悪い人間ではありませんし、支配人が腹を割って話をしたら判ってくれると思いますが・・・」「そうか、なら、今晩飲みにでも行こうか。」「そうですね。主任さんを紹介してくれたら大分やり易いとおもいますし・・・」「よし、じゃ、今晩、お前ともう1人、連絡係りの福井と、河合、主任の4人と行こう。声を掛けておいてくれ。」 そんなこんなで夜飲みに行くことに・・・・「じゃ、作業の段取りは、4人で話し合って決めますから、それでいいですか?」「よかろう。皆仲良くやってくれ。」本当に他人任せであるし、釘宮にとってはいい面の皮である。すぐに、ホールに出て主任さんに声を掛ける。「すみません。支配人が今晩一緒に飲もうといってますので、今晩都合はいいですか。」一瞬いやな顔が表面によぎったが、「はい判りました。都合つけます。」そのほかになんとなく話がしづらかったし、そそくさと、「じゃ、寮に行ってきます。」とホールを後に・・・寮に上がり河合を探す。さぞくさくさしていると思って会うのが気が重い。「川合さ~ん。どこですか?」しばらく返事が無かったが、奥さんが出てきた。「すんません。奥さん今晩川合さんを貸してください。支配人が飲みに行こうといってますんで。」「どこに行くんですか。」「いや、よく知らないんです。7時頃支配人が迎えに来るようになってます。」「何か話があるの?」「いや、単に親睦じゃないですか。支配人もかなり気にしてましたし。」それを聞いてやっと川合が顔を出した。支配人が気にしてたなんて、釘宮には感じられなかったが、川合の手前、そのように言わざるを得なかった。川合は根が単純。支配人が気にしてた。 ・・・・・ その一言で若干機嫌を直したらしい。釘宮もある程度ホッとしたが・・・・・・。
2009年06月02日
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どれくらい時間がたっただろうか。「釘宮さん、釘宮さん。」声とともにドアをノックする音・・・しまった。寝過ごした。慌てておきてみると、もう11時を回っている。「今から挨拶に行くから起きて下さい。」河合だった。すぐに、着替えてホールへ、まだ閉店作業の途中だった。少し手伝って、待っていると閉店作業が終わり終礼の時間。新店舗に行く従業員が前に並び、一人一人挨拶・・・主任からも一言あって、珍しく社長も出ている。最後に社長にハッパを掛けられ終礼が終わる。三々五々寮へ・・・・翌日は割りと早い時間に新店舗に行かなければならない。皆への挨拶はそこそこに自室に帰ってすぐに横になるがなかなか寝付けない。(あぁ、こんなことが前にもあった。確かここに来たその日がなかなか寝付けなくて・・・)なんて思っているうちにうつらうつら・・・・はっと目が覚めると早、翌日の午前8時。その日の早出の人がもう顔を洗いに洗面所へ来ていた。「おはようございます。お世話になりました。今日新店舗に行きます。」などと声を掛けながら自分も洗面を済ませ、朝食。「おばちゃん、お世話になりました。ここで食事をするのも最後です。」「ガンバってね。」皆さん挨拶は同じようなもの。あちらでも、こちらでも、「ガンバってね。」まぁいいや。そうこうするうちに、10時の声を聞き、出発の時間がやってきた。夫婦者2組、男子従業員6名計10名。会社からは車が2台しか出ないと言う。4名はあぶれた。「じゃ、私達は電車で行きますから。」「あぁ、そうして下さい。向こうの駅に着いてから電話したら迎えに行くよう手配しておきます。」と、電車代を受け取り駅へ・・・・「あぁ、ここも最後か。」なんて、変な感慨に浸りながら、・・・・かと言って、なにか、浮き浮きした感じはなんだろうか。新店舗までは電車で僅か30分くらいの距離。すぐに着いた。駅から聞いていた番号に電話すると、「聞いてますが、車が無いんですよ。そこからタクシーで来てください。駐車場で待ってますから。」と・・・・タクシーを捜して乗っていく。僅か2~3分で着いた。「お疲れ様です。」の声に迎えられ、車を降りてみると、かなり大きな建物が・・・・ちょっと見は、ギンギラギンでどこか西洋のお城をモチーフにしたような感じ、前面は総ガラス。下を見れば総タイル・・・・かなりお金が掛かっているような・・・成金趣味みたいな・・・・感じ方もそれぞれ違うだろうが・・・・「他の人はまだですか?」「まだです。」「そうですね電車だと、30分くらいですが、車は混んでたら1時間以上掛かるから。」「ではこちらに来てください。」寮の方へ案内された。やはり新築は気持ちのいいものである。寮も結構広くて、本当に気持ちが好かった。「こちらが食堂です。この方達が食堂のおばちゃん。」「おばちゃん、昨日話した本店から来た人たちです。」と賄いの女の人を紹介してくれた。賄いの人が二人もいるなんてあまり聞いたことが無かったが・・・・「皆さん、揃ったら支配人がお話があるそうです。揃ったら迎えに来ますので、食堂に待機していてください。」 部屋割りをするかなと思ったが、それはまだのようだった。正直、部屋に入ってごろ寝したかったが、だめみたいである。しょうが無いから食堂でテレビでも見ていると、「主任さんはどこに行ったのかな?」賄いの女の人が何気なく呟いた。「おばちゃん、さっきの人が主任さんなの?」「はぁ、本人からそう聞いてますけど。」とたんに、同じ電車で来ていた河合がいやな顔を・・・・「専務は、主任はまだ決めてないとか言っていたが・・・・」案の定、河合が主任になると思っていたみたいである。釘宮も、本店の主任から、「新店舗の主任は、河合君になるはずだから。」と、聞いていたし、そのほうが、釘宮にとってもやり易かったが、もう主任は別の人に決まっているのだろうか?・・・・・・ それが、開店に向けトラブルのひとつになるなんてことはまだ夢にも思わなかったが。しばらくして、車で来ていた連中が着いた。ふと見ると、河合が早速専務を捕まえて話している。自分から馬鹿な話をしているのだろうか・・・・・しばらくして、河合が専務から離れたので、「河合さん、専務はなんて言っていたんですか。」「うん。まだ決めてないって言ってたよ。」「誰が決めたんですかね?後で揉めることが無ければいいんですが・・・・・」それが早々に揉めることになったのは後で知ったことだが。 早速皆が揃ったところで、さっきの主任さん(?)が迎えに来た。「では、皆さんご案内します。」言葉遣いは丁寧だが・・・・自分が主任だということをことさらに出すような感じで・・・・河合は、ハッキリと判るような態度でいやな顔を・・・・ 人が3人集まれば派閥ができるなんてよく言うが、新店舗で、現地採用した従業員が14~5名いただろうか。そこに本店から来た人間が夫婦者4名、独身男性10名来たものだから、当然派閥が生まれる。現地採用の従業員は、さっきの人が主任だと思っているし、現実に「主任さん」と呼んでいる。本店から来た人間は、総じて河合が主任だと思っているし・・・・本店から来た人間は一様に絶対何か起きる。と思っていた。そんな中、例の主任さんが(?)「では、皆さんカウンターの前に集合して下さい。」ときた。現地採用の従業員は、すんなり従ったが、本店から来た従業員は集まったが、集まっただけ、整列などしなくて三三五五ばらばらに集まっている。河合も敢えて何も言わない。苦虫を噛み潰したように、顔を赤くして今にも怒り出しそうだった。人情的には、本店から来た人間の方が皆入社は早いはずだし、いうなれば皆、先輩に当る。釘宮でも序列どおりにいくと、30人の中では、上から7~8番目の筈だった。それが、現地採用の人間が幅を利かせて、下のほうにやられる・・・・・・あまりいい気持ちはしなかった。河合などは、一番古いし、経験も多い。頭にくるのもむべなるかな・・・・・・と言った感じである。 そんなことは知ってか、知らずか若い現地採用の人間が、「主任さん、早く並ばせてください。」本人は悪気が在った訳でもなかろうが、本店から来た人間は、一様に、 カチン。中の1人が、河合に「河合さん、何を遠慮してるんですか。あんたが主任でしょ。あんまり舐められんでよ。」聞こえよがしに大きな声で言ったものだから、「並ばせて」といった人間は何か悪いことを言ったのか・・・・・という顔をしている。見渡してみると現地採用の人間は皆、何がなんだかわからないようで、また、本店から来た人間は、みな、不機嫌な顔をしている。事務所では、専務と支配人が、頭を抱えていた。専務は「支配人、従業員の人事はしばらくそのままにしておいて下さいと言ったじゃないですか。」支配人は何も答えず・・・・「本店から来る人間は、結構古い従業員もいることだし、会社のこともよく知っているので、つい最近入社した人間と同列というわけにはいかんでしょ」と専務。 確かに、勤務暦2年以上という人もいるし、釘宮でも入社3ヶ月を過ぎていた。本店でも、誰が主任になるかなんて言う話は出ていたし、本店の主任も、確定とは言わなかったが、河合が多分主任になるだろうなんてことは公言していた。専務さえ、まだ、ハッキリ確定はしてないがの一言があってその上で、河合を主任みたいに呼んでいた。河合にすれば、やる気が一編に無くなっていくような感じであろう。裏切られた・・・・・そんな気持ちもあったのかもしれない。 でも、専務、支配人にしてみれば開店前に変なトラブルは是が非でも避けなければならない。・・・が、あちらを立てれば、こちらが立たないの・・・・・弁はいつの世も・・・・結局主任は置かない・・・・ということになったが、では、副主任は、河合と例の主任さんを、副主任にしたところで、今度は河合のしたの古株が頭にくることは間違いなかった。それはある意味当然の事で、しばらくの間でも一緒に仕事をしていれば、ある程度納得するかも知れないが、(えてして本人同士では優劣はわかり得るものだから)したがって、副主任も置かない。ことに・・・では、連絡、指示はどうしたら・・・支配人もいい年で、全てを把握するのは、大変だと・・・・急遽、本店から本店の副主任が呼ばれた。その当日から、10日間ほど、主任代理で仕事をする。これなら河合もいやとは言えないだろうし、また例の主任さんも、本店の役付きとあれば一歩下がって受けざるをえない。やっと話が決まって、専務、支配人が、ホールに出てきた。「皆さんお疲れ様。今日やっと全従業員が揃いました。開店まであとわずか、いろんな作業があると思いますが、協力してやってください。また、本店から来た人は、支配人は初めてですね、支配人の山本さんです。こちらの総責任者になります。皆さん言うことをよく聞いて協力してください。」専務も何かしらいつもと違って歯切れが悪い。それは当然なのだが・・・「それから、今晩からしばらくの間、ホールの責任者として本店から副主任が来ます。彼の指示に従って仕事をして下さい。」なんとも歯切れの悪い、・・・・・・・・。それからが問題だった。「しかし、副主任1人では、こんな大所帯はなかなか大変だろうから、釘宮さん、大塚さん(現地採用の者)あなた達が一番年上だから、副主任に協力してください。皆さんも本店の副主任、釘宮さん、大塚さんの指示に従ってください。」釘宮も変なところで、いやな役が回って来た者だと・・・・「専務、協力と言っても、私より先輩が沢山いますし、先輩ではだめなんですか。私では荷が重いんですが・・・・」「副主任にはよく言っておきますし、ここの主任が決まるまでですから。それと今の主任さんは、従業員が全部揃うまでの便宜的なものでしたから、これからは皆と一緒に頑張ってください。」主任さんは(?)納得したのだろうか?・・・・・河合さんは?・・・・・釘宮は本当に「やれ、やれ・・・・」という気分だった。結局、その日のミーティングはそこまでだった。部屋割りも、各自が空いているところに入っておくことで済ましてしまった。「河合さんちょっと」河合が専務に呼ばれ、隅の方でこそこそ・・・・・こちらでは支配人が、例の主任さん(?)を呼んでこそこそ・・・・・二人とも納得したのだろうか?・・・・・
2009年05月25日
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仕事にも順調に慣れた頃、そう確か10月の中ごろだったか。仕事も終わり晩酌でもと思っていた。その時だった。従業員の中の3分の1程度の人間が事務所から呼び出しを受けた。終礼も終わりみんな今から夜食・・・・・という時である。何かあったのだろうか・・・・でも、何かあったのだったら主任が呼ばれてないのはおかしい?・・・・不審に思いながらも呼ばれた人達みんな、急いで事務所へ、「お疲れ様。仕事が終わった後急に呼び出しを掛けてごめんね。」専務がニコニコとした笑顔で待っている。ここは狭いからホールに行こうか。カウンターの前の通路の椅子に腰掛けさせられた。「皆さんお疲れ様。呼び出しを掛けたのは他でもない。来週早々、新店舗に行ってもらいます。この中で都合の悪い人はいませんか?」やっと新店舗の開店がそこまで迫っているのかと、集まった皆は複雑な想い・・・・釘宮みたいに当初から新店舗の要員として入っている者は、「やっと・・・・・・」と思う気持ち。が、前からそこの店にいて新店舗要員に選抜されたものは一層複雑な気持ちだったと思う。何はともあれ・・・・やっと新店舗にいけると思うと・・・・・・口ではなんとも言い表せない。「今度の日曜は第3日曜日ですから、皆さんの慰労会兼激励会を開きたいと思います。そして月曜日はみんな有休を出しますので、あちらに行く準備、静養に当ててください。」「専務、だったら皆、火曜日にあっちに行くんですか?」「そうです。あちらには常務が行きます。また新しい支配人が待ってますし、若干の従業員も待ってます。」 それからの2日間、土曜日、日曜日はなんとなく従業員同士落ち着かなかった。行くもの、残るもの、それぞれに感慨があるのだろうか・・・・・・?このホールで仲のよかった者同士が、片方は残り、片方は新店舗・・・・男性の従業員はそんなに感傷に浸ることは無かったが、やはり女性の従業員は、仲のいい者同士、影で泣いていた者もいたらしい・・・・ 月曜日、朝から洗濯、部屋の掃除、飛ぶ鳥後を濁さず・・・・なんて言う者もいたりして余計に部屋の掃除は念入りにしなければならなくなった。只、布団だけは一編に干すことができないので賄いのおばさんに頼んだ。荷物も直ぐに転勤できるよう準備・・・・・・・荷物といっても高々ボストンバックひとつに紙のバックひとつであったが・・・けれど、やはり夫婦で働いていたものはそれなりに荷物は増えている。「片付け終わりました?」河合のところに顔を出す。さすがに夫婦で働いていた者の部屋である。また、入社してから1年以上になるとのことでなおさら・・・・・。「河合さん、えらい荷物が多いですね。家から持ってきたんですか?」「いや、ここに来てから増えたものばかり。来たときなんか何も持ってなかったもんね。」「あんたが、何でもすぐ欲しがるから荷物ばっか増えてしょうがない。」変なところで河合の奥さんから河合に文句が出た。河合はそ知らぬ顔・・・・。「手伝いましょうか?」もうほとんど終わっているようだったが義理でも声を掛けないといけないような感じ・・・「いやぁ、もう終わりだから。釘宮さんはもう終わったの。」「私なんかかばん一つですから。」「今からどうするの?」「エンパイアでスロットでもしょうかと思って。」「いいよ、後で行くから遊んどきなよ。」奥さんがいやな顔をする前に釘宮は「じゃ、待ってます。」と、部屋を後にした。ついでに転勤する人の部屋を回ってみた。片づけが終わってもういない人、河合と同じく荷物が多くてまだ片付けている人、片づけが終わって昼間から酒を飲んでいる人などなど・・・・いちいち挨拶をして、寮を出て、パチンコ屋へ。店から若干の慰労金(引越し代みたいな)出ていたので懐はなんとなく温かい。 ギャンブルなんて言うものは不思議なものである。懐が寒い(金の無い時)、色気を出した時はなかなか勝てないが、懐が温かいとき、また時間が限られているときはよく勝つものである。その時も、何気なく座った台がすぐにボーナス。その当時、その土地では、1回掛かると、1万円以上あった。掛かるたびに交換しなければならないが、立て続けに4~5回掛かったので、僅かな時間で4~5万以上勝った事になる。丁度その時河合もやってきた。「どうね、勝ってます?」「ま、ぼちぼちです。」内心は自慢したい心を抑えて答えた。「香椎花園に行って見ませんか?今から=内=のと香椎花園に行くんだけど。」「かあちゃん孝行ですか。いいですね。でもせっかく二人で行くんですから野暮なことは遠慮しときます。」「そんなに気を使うことは無いじゃない。釘宮さんも香椎は初めてなんでしょ?香椎まで来て、香椎花園に行かないと、行く機会がなくなちゃうよ。」横から奥さんが、「そうよ。もう1人行くから一緒に行こう。」「誰ですか?」「いいから、いいから、じゃ決まったね。」「判りました。ご一緒します。このコインを打ってからでいいですか?」その時、掛かったコインを換えて新たに1000円分コインを買ったばかりだった。 調子のいい時はこんなものか。また、その1000円分で掛かってしまった。すぐにコインを換え、換金所へ。河合がついてきた。釘宮は、不味いなと思ったがしょうがない。ポケットから景品を出し、換金。そこの換金用の景品は小さかったので河合には判らなかったが、交換するとき見られてしまった。「釘宮さん、えらい勝ってるね。まだそんなに時間が掛かってないのに、7万円。いくら勝ったの?」時間のことまで持ち出されては嘘を言ってもばれてしまう。「元金が7千円ですから、6万と少し。」河合はびっくりして、「いいな。いいな。今晩の飯は釘宮さんの奢りですね。」「いいですよ。香椎花園から帰ってからですね。」すぐに、他の人と合流。「何で行くんですか。」「駅前からバスが出てるよ。」「バスで20分くらい。」釘宮は「タクシーで行きましょうや。私が出しますから。」すかさず河合が、「釘宮さんは、あれから1時間くらいで6万以上勝ったって。」ばらしてしまった。仕方なく、「今日は晩飯は奢りますから。」言わされてしまった。 香椎花園で2時間くらい散歩しただろうか?確かに女の人、子供は喜びそうな所であったし、月曜日ということで、園内は空いていた。天気はいいし、ほんとに行楽日和であった。久しぶりに公園に来て見て(あぁ、世の中にはこんなとこもあったんだな。)と・・・当然ながら感じていた。ま、自然を満喫というか、何も考えない時間を過ごせたのは久しぶりのことであった。 香椎花園から帰って、どこでご飯にしようかと思っていると、河合の奥さんが「釘宮さん、ご飯は寮に帰ったらあるから、どこか一杯飲み屋さんで少し飲んで帰りましょうか?」彼女は、お金をつかわせまいと考えたらしい。彼女らしい心遣いだった。「河合さん知ってます?」「よく行くところがあるから、そこにキープも在るし。そんなに掛からないから。」「いいですよお願いします。」河合に連れられ、飲み屋さんに・・・・。確かにこぎれいな感じのいい女将さんのいる店だった。「こんばんわ。また来たよ」「いらしゃい。」感じのいい掛け声が返ってきた。安心してしばらく飲むことに。一時間ほどたっただろうか。河合の奥さんが「もうキープもなくなったから帰ろう。」と言い出した。あまり飲ませたくない。釘宮にもそんなに金を使わせたくない。そんな気持ちだったのだろう。普通なら釘宮も素直に返事できるのだが、自分が奢ると言った手前返事ができないでいると、河合が「そうやね。今日は皆に挨拶しないといけないから、あまり飲んでも悪いね。」その一声で帰ることに。釘宮が会計を済ましてみると4人で結構飲み食いした割には僅かな金額であった。 寮に帰ってみるとまだ8時。閉店にはまだかなり時間があった。12時を過ぎないと他の従業員は帰ってこない。テレビでも見ながら待っていると、朝からの疲れで寝てしまった。
2009年05月17日
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慣れてくると毎日が単調になってくる。福岡市内といっても、若干はずれ、お客さんはいろんな方がいたが、九産大や私大の学生さんが多かった。また一般のサラリーマン、漁師、主婦などなど雑多な種類の人間で店内はいつも割りと混雑していた。 釘宮が勤めている店は、1階がパチンコ300台、地下にもホールがあって、パチンコ200台とスロット50台の店であった。幸運なことにそこの店は九州ではあまり見かけたことが無い純然たるスロットマシーンだった。他の店では当時からパチスロ・・・パチンコ台とスケール的に一緒の・・・が主流だった。コインの補給は手動だったが回収は全て全自動。最初の店でかなり珍しい機種にあたったのも幸運だったが、機械が最新式だったのも幸運だったのかもしれない。 また、主任が割りとくそ真面目で、決められたことは徹底して守らされたのも幸運だったのかも・・・・ 例えば、お客さんのブドウ・・・・ブドウというのは釘に玉が引っかかってブドウ状にしたもの・・・そこから穴に流し込む。 これに掛かると、飛行機タイプや、普通機タイプはすぐに一定の玉はでてしまう。当時はまだまだ終了制の店が多かったので、終了してから、見つけてもよくトラブルの元になったものだ。 懐かしくも終了なんて言葉が出たが、当時は3000個終了なんて言うことが多かった。その台から3000個出ると終了。終了が掛かると、司令室から「終了確認願います」の声が掛かる。すると表の(ホール)の係りがその台に行き、出玉を確認。確認したうえで終了の札を台に差し込む。確認に行ったときブドウなんかしてたら、即持ち玉没収。人情的に可哀想な気もするが許していると、次もまたなんてことにもなりかねないし、従業員もばれたら大目玉。 ブドウになっていた時点で後で主任からお目玉は頂戴することになるが・・・なぜなら、常に表を回っていて気がつかない方が悪い。・・・・唯、お客に対してはそんなことは言わないが。また、確認に行ったとき、出玉だけで無しに、盤面をよく観察、確認することも常々言われていた。釘折れが無いか、曲がった釘が無いか・・・・極端なことだが、皿に穴など開けられてないかなどなど。もし、釘が折れたままだったりするとその台はめちゃくちゃ出てしまう。支配人に知れたらそれこそ長い時間説教されてしまう。 釘宮にとってはそこまでは何とかついていった。しかし世の中には、またいつの時代にもパチンコに限らず、ギャンブルには不正が付き物。所謂、ゴト師という奴。彼にはどこか次元の違う世界のものだと思っていたが、現実にはやはり存在していた。 主任からは何度と無く注意され、表を回るときはお客さんの左手に十分注意を払うように・・・・また、2人組、3人組みのお客には十分に関心を持って見るように、・・・などいつも聞かされていたが、幸い、彼には現実にお目にかかったことは無かった。と、彼が思っているだけかもしれないが・・・・・ そんな或る日、彼が勤務時間になって、地下のホールに行ったときのことである。たまたま大学生風の男が、ブドウをしているのを発見。 その時彼はまだ勤務に降りてきたところで、台の鍵を持ってなかった。すぐに「お客さん、止めてください。このまま打つと玉を全部没収されますよ。」「何でや!」大きな声が返ってきた。「玉が留まって呼んでも従業員は来ないやないか!だからこのまま打つとるんや。文句あるか」若い大学生が、もういい大人に向かって言う言葉ではない。彼には喧嘩を売っているとしか思えなかったが、グッと我慢して、「すみません。しばらくお待ちください。」彼は降りてきたばかりで、タイムカードもまだ打ってなかったし、当然台鍵も持ってなかったから仕方なかった。すぐに台の上のランプを点け同僚を呼んだが、忙しいのかなかなか来ない。「来ないやないか!俺もさっきから何度も呼んでるんや。来ないからしょうがないやろ。」「すみませんね。来ないからといってこのまま打ってはだめですよ。不正行為になります。」 釘宮にとっては、前の職場で、荒くればかり相手してきたことからも、大学生の1人、2人はなんとも思ってなかったが、できるだけ穏便に、丁寧に・・・・・と しばらくして、同僚がやってきた。「すみません。これです。」とブドウを指差し、「まだ鍵をもらってませんのお願いします。」すると、大学生。「おい、逃げるんか?」「はっ?」釘宮は一瞬なんて言われたか判ってなかった。が次の一言、「逃げるんか?」釘宮の顔色が変わった。が、同僚もいるし、他のお客さんも大勢いる。大声を出すわけにはいかなかった。同僚も彼の顔色が変わったのを敏感に察知。「釘宮さん早くタイムカード押さないと遅刻ですよ。」明らかに直ぐに立ち去れ・・・・・・その事を言外に匂わせたが。釘宮もまだまだ若かった。「おい、兄ちゃん、先見て物言わんと怪我するで!。唯の表廻りと思って喧嘩売ると唯ではすまんで。」前の会社では、荒くれがいつも喧嘩していた。それをいつも中に入って止めていたし、少しぐらいの喧嘩はなんとも思ってなかったし、ドスの利いた声の一つや二つは見よう見まねで何とかなる。さすがに釘宮の豹変振りに驚いたのか、また低くても、ドスの利いた声にビビッタか・・・?目をそらし、黙ってしまった。それを見て同僚に「すみません、タイムカード押してきますのでよろしくお願いします。」と直ぐに立ち去ったが、タイムカードを押して、勤務交代のミーティングを済ませ、鍵を持ってホールに出るともうその大学生はいなかった。「釘宮さん」誰か呼ぶ声で振り返るとさっきの同僚。「あぁ、さっきはすみません。どうしました。」「横着だったから玉は全部没収したよ。でもかなりビビッていたから黙って帰ったよ。」「そうですか。すみませんでした。」それからであった。同僚からも、お客からもなんとなく恐れられたと言うか、釘宮の言うことに逆らうような言動をする人間はあまりいなくなった。それまではどちらかと言うと、大人しくて、くそ真面目で、口答えできないどちらかというと気が弱い人間だと思われていたらしい。実際、人が好くて気が弱い普通の人間だったのだが、頭に血が上ったら、少しばかり後先を考えずに物を言うことがあったが・・・・そのことは後で、変な噂が、同僚が彼の言い方にびっくりして、釘宮はどこかの組経験者じゃないか・・・・?どこかで下手を打って逃げて来たのではないか・・・・・?なんて言う根も葉もない話まで出てしまった。確かに前の職場でもそれらしい人間は出入りがあったし、付き合いもあったが、それと知っていて付き合ったわけでは無し・・・・・・・。 それから数週間が過ぎた。釘宮もかなり機械にも詳しくなり、客あしらいもそれなりになった頃、新店舗に行く従業員の選抜が始まった。釘宮は最初から新店舗要員だったし、彼もそのつもりでそれなりに頑張ってきた。ひとつでも機械のことを、また業務の運営のことを覚える・・・・そのことだけを考えて仕事を覚えていったのであるし、そこにいろんなしがらみが出てくるなんてことは考えても見なかった。
2009年05月15日
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久しぶりの酒が利いたのか、翌日は朝から頭がガンガン・・・・のどは渇くし、吐き気はするは・・・・典型的な二日酔い。朝食も喉を通らず、味噌汁を掛けて、いわゆる猫飯。ご飯を食べてなければ、まだまだ苦しい・・・・無理やり流し込んだが、食事の後すぐに吐き気、トイレに駆け込み今食べた猫飯を全て戻す。戻せばすっきりするかとも思ったが、なかなか元に戻らない。余計に悪くなった気が・・・・ホールに駆け込み、コーラを買い、一気飲み。飲んだらまた、戻しそう。「釘宮さんおはよう。顔色が悪いよ。どうかした?」「あっ、おはようございます。二日酔いです。」「贅沢病ね。あまり無理して飲んだら体壊すよ。」「判っているんですがなかなか。」挨拶もそこそこにすぐにトイレへ、今飲んだコーラを全て戻す。なかなか吐き気が止まらない。最後には戻すものがなくなっても、ぜーぜー・・・・戻すものが無いのは本当に辛い。それでも前から行きたかった博多の優勝戦。重い体を引きずりながら着替えて競艇場へ。行く前に地下のホールに下りて行き、昨夜頼まれていた船券購入資金と、購入する内容を書いた紙を受け取りに行く。さすがに私服ではホールには入れない。入り口に立ってそばにいた従業員を呼び、「おはようございます。藤本さんを呼んでもらえますか。」「さっきから待ってたよ。ちょっと待っててね。」程なく藤本がお金とメモ用紙を持って現れた。「お願いしますね。何か顔色が悪いけど大丈夫?」「はあ、二日酔いです。」「気をつけてね。」「じゃ、行って来ます。」ホールを出て、駅へ香椎から、博多まで。博多から地下鉄で、西鉄まで。案の定きつかった事、きつかった事。僅かな時間だが、競艇場までの長かったことと言ったら・・・・・・。やっと着いて、番組表を手に取ってみたがなかなか集中できない。頼まれたのだけは前売りで買っておこうと想い、前売り券発売所へ、そこで重大なミスを・・・・・。それも後で気がついたことだが。レース番号を間違えて購入してしまっていた。頼まれたのは、8レース、購入したのは9レース。気がついたのが9レース前。もう8レースは終わっていた。8レースの結果は、穴配当。4600円もつけていた。9レースを購入するとき、(確か藤本さんが頼んでいたな。頭がすっきりしないし、彼に乗ってみよう。)とメモを探し、よく見ると、そこには8レースと表記が。確か8レースは4600円の配当が・・・・・当っていた。都合特券2枚。2000円と記入が。とたんに、二日酔いはどこへやら、顔の血が引いていくのが自分でもわかった。(やってしまった。どうしよう。9万2千円どうしょう。)後の祭りである。 その日釘宮は、二日酔いも手伝って、そんなに購入してなかったとはいえ、その時点でもう2万円ほどは負けていた。残金はもう残り僅か1万円ほどしかなかった。最終レースで、自分の負けを含めて約12万円。これをどうにかしたい。このような時に、いい結果が出るはずも無いのが普通である。そのときの心境は、どうにでもなれ。そんな心境だった。彼は、(もういいや。)という思いで、残りのお金を、全て穴に入れることにした。本命一本買い・・・・・・と言うことも考えた。が、彼にはどうしても本命が来るとは思えなかったし、来ても、配当は500円つくか、つかないか・・・そんなものを買ってもどうせ自腹を切らねばならなかったし、15万円を目処に3~4点購入。祈る思いで発走をを待った。 定刻。ファンファーレとともに出走。祈る思いで見ていると、彼が買った選手がスタート後手を踏んでしまった。もうその時は二日酔いもどこへやら。一瞬、脇の下をつめたいものが・・・・・目の前が暗く・・・・・が、それもつかの間、彼はもう諦めてもう「帰ろう、かえって正直に謝ろう。」と帰りの支度に掛かった。その時である。場内が「わあぁっ」騒然とし始めた。釘宮は何が起こったのか一瞬わからなかったが、それでも水面のほうへ顔を向けた。信じられないことが起こっていた。目の前に1着で走っていたのは、スタート後手を踏んでもう無い・・・・・と思っていた選手。慌てて2着の選手を見てみると、3人で競っている。3人とも彼が買っていた選手。信じられなかった。何がどうなったのか。後でモニターのリプレイを見てやっと判った。2周目のめのバックで、1着と、2着の選手が競って、ぶつかり合って大きく流れ、3着を走っていた選手が繰り上がった。追い越したと言うことだった。彼にとってはこんな幸運があっただろうか。それまでも何回も競艇に行っていたが、こんな勝ち方をしたのは後にも先にもこれだけであった。狙って穴を買う・・・・・そんなことのついど無かった彼であったし、こんなことがあろうとはその時になっても信じられなかった。が、結果はどうあれ、配当金16万円と少し手にして、やっとほっとした。ほっとしたとたん今まで影を潜めていた二日酔いがまた出てきた。しかもそれまでよりもひどい形で。むかむかするは、頭がガンガンするは、本当に最悪の状態だった。「もう、帰ろう。」普通であったら、ボートが終わったら、パチンコでも行って時間をつぶすのが日常であったが、その日はそんな気分は全くしなかったし、すぐに帰らなければ、また何かありそうで、・・・・ ボート場を出てもうタクシーを奮発。一直線に寮に帰った。最悪の一日だった。帰ったら、すぐに藤本のところへ、配当金、9万2千円を渡しやっと人心地ついた。 それがまた後で、トラブルに巻き込まれてしまった。というのもお金を渡した相手が悪かった。釘宮にとっては、すぐにでも渡したかったし、このことはもう終わりにしたかった。が奥さんに渡してしまったのが不味かった。藤本にとっては負けてしまったことにしておきたかったのが、先に女房に配当金が渡ってしまった。奥さんは喜んだが、藤本はあてが外れてしまった。「釘宮さん、お疲れ様。ボートどうでした?」「あっ、藤本さんおかげさんで少し稼がせてもらいました。お金は奥さんに渡してます。」すると、「えっ、内のに渡した。しまった。」と「えっ、悪かったんですか。今日いろいろあったんで早く渡したかったんです。」「何かあったの。」「ええ、二日酔いで、頼まれた船券を買い間違えて、大失敗したんです。」「何でまた。」「二日酔いだったんで、間違ったらいかんと思って前売りを買っていたんですが、レースが終わった後確認したらレースを間違って買ってました。」「それでどうしたんですか。お金は?」「最終で勝負したんですよ穴で。たまたま来たからよかったんですが・・・」「何か、気を使わせてごめんね。後でうちに来て。祝儀を渡すから。」「いいですよ。もう今日のことは忘れたいし、まだ二日酔いですから。」 それから藤本は慌てて自分の部屋に帰っていった。後で聞いた話だが、奥さんからやっと半分だけ返してもらったらしい。当然釘宮へは奥さんから祝儀として後で1万円もらったが。当時仲間内では当ったら、配当金の一割は祝儀として頼んだ相手に渡すのが暗黙の了解だったが・・・・・・。 しかし、藤本からしばらくは恨まれたが、奥さんからは感謝されていたみたいだった。もう二度と頼まれまいと思った釘宮であったが・・・・・。
2009年05月11日
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その日は、月の第3日曜だった。毎月、第3日曜は9時閉店。毎日が11時までの営業だったから、大変有難かった。 その頃にはもう大分島掃除にも慣れていたし、若干の余裕もあったが、主任がたまたま釘宮の方を見て、「釘宮さん、今日はあんたが主役だから頑張ってね。」釘宮は、何のことかよく判らなかったし、聞き間違いかと・・・「はぁ、何のことですか?」「今日はあんたが主役ったい。」「何のことですか?何かするんですか?」主任はニヤニヤ笑いながら、黙っている。釘宮は途端に不安になったが、なる様にしかならない。そうこうしているうちに閉店作業も終わり、閉店後のミーティング。例によって挨拶の練習。それが終わると今度は幹部の一言。やっと終わったかなと思った頃、専務が、「今月もお疲れさん。寮の食堂にビールを用意してますので皆さんゆっくりしてください。」みんな挨拶もそこそこに寮へ。シャワーを浴びるもの、着替えるもの。みんな慌てているがなんとなく生き生きとしている。 後でわかったことだが、第3日曜は毎月閉店後、食事会があるそうだった。簡単な慰労会である。それにしても、主任の「今日はあんたが主役ったい。」の一言の意味がよく判らない。30分過ぎた頃、食堂に出て行くと、もう、あらかた揃っていた。正面に専務、その横に支配人、そして、見たことも無い女の人が、大抵、賄いのおばちゃんがいるのだが、今日は違う女の人が。姿は普通の割烹着だが、なんとなく威厳が。それに、結構美人である。年齢は(とし)50前か・・・・・その女の人が、釘宮を見つけると、つつっと傍に来て、「大山さんから聞いてます。あなたが釘宮さん?」釘宮は一瞬怪訝な顔をしてが、すぐにピンと来た。「はい。釘宮ですよろしくお願いします。」案の定後で聞いてみると、社長の奥さんだった。専務のお母さんということだ。「大山さんは、いろいろ言ってましたよ。今まで硬い仕事ばっかりだったとか、なかなか仕事が切れるとか。」大山、しばらくわからなかったが、あぁ前の仕事場でここを紹介してくれた人だな、と思い出して、「いえいえ、買い被りです。よろしくお願いします。」「期待してますから頑張ってください。」そこで話は終わり、専務が「そろそろみんな集まったかな、では乾杯しましょう。今日は無礼講ですから。」支配人が、「おい、みんなグラスは持った?じゃお疲れ様」なんとも簡単な乾杯の挨拶だったが、みんな堅苦しいのは嫌いだしこれには大いに喜んだ。 ある程度酒が回った頃、主任が、「皆さんお疲れ様。ではここで恒例の新人さんの自己紹介とかくし芸をひとつよろしく。」 今月入ってきた新人は釘宮を含め、4人だった。釘宮と、彼が連れてきた若い坊や、それと若い夫婦者だった。 釘宮が一番年上だった関係で一番に自己紹介をさせられた。逆にかくし芸は最後になったが・・・・結局、みんな歌でごまかしたが・・・・・さすがに釘宮はカラオケで金を使っていた分だけ拍手が多かったような・・・・やっと主任が、「主役」と言った意味がわかったような気がしたが、知らなかった分、度胸が据わったような気がしたのは反対に助かったような気がした。 ご馳走も酒もこ一時間もすると無くなってきた。やはり、普通の月ではこんなものか、支配人の「今日はお疲れ様。これで今日はお開きにしますが、明日も仕事なんで飲みにいってあまり羽目をはずさないように。」の声で三々五々自分の部屋へ。「釘宮さん、今からうちの部屋で2次会しませんか。」ふと見ると河合だった。「藤本さん所も来るし、もう少し飲みましょうや」「いいですけど、いつもすみません。奥さんに悪い気がするけど」「明日は釘宮さん休みでしょ。飲も、飲もう」結局誘われて飲むことに、その日は久しぶりに痛飲。まだ若かったとはいえ、10時から、延々4時間飲みっぱなし。いろんな話が出たが、河合も藤本もそしてまた、二人の奥さんもいやな顔ひとつせず、話をしたし、聞いてもいた。そのうち、「釘宮さん明日は休みでしょ。どこか行くの。」「ええ、久しぶりに競艇でも行ってみようかと思ってます。」すると藤本が、「じゃ、頼んでいいですか。」「いいですよ。何を買うんですか。」「明日、行く前にホールに寄って、紙に書いておくから。」これが釘宮にとっては大失敗だった。好事魔多し・・・・・・・よく言ったものである。
2009年05月09日
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その夜はなかなか寝付けなかった。明日は日勤だとか。朝、9時に出勤しなければならない。彼にとっては、今までが毎日、4時、5時に起きて朝ごはんの支度をしていたのだから、朝、9時なんて言うのはなんとも無い・・・というより、あまりにも時間がありすぎる・・・・・それでも床に入ったのが、1時、なかなか寝付けなくて、やっとうつらうつらしたのが3時ごろだったと思った。 しかしながら人間の習性とは恐ろしいものである。僅か、2年半の生活から、朝4時におきる癖がついてしまったのか・・・・翌朝目が覚めたのがやはり4時ごろ、たった1時間程度しか寝てないことになるが、それでも目が覚めて、今度はもう寝られない。仕方なくおきて、洗面所で顔を洗い、食堂で一服していたが、なんとも手持ち無沙汰。出勤時間が待ちどうしい。社会に出てから、もう何年になるか・・・・後にも先にも、出勤時間が待ちどうしかったのはこのときが最初で最後みたいな気がする釘宮であったが、なんとも時間を持て余し、散歩でも行こうと、・・・4階からエレベーターで降り、朝の空気を・・・・ここは博多といっても若干郊外。それでも3号線のすぐ傍、店から150メーター位のところには、当時はまだ国鉄だったが、駅が・・・・思いついて、駅の売店へ、スポーツ新聞を買って、それを片手にしばらく近所をぶらぶら・・・やはり駅前だからであろうか、駅を出てすぐに右にライオン、左にはエンパイアなんて言うパチンコ屋が軒を並べていた。さすがに新店舗を出すだけあって、彼、釘宮が入ったパチンコ屋さんは各が違うような・・・両店とも、昔ながらの店みたいで、間口もそこそこ、開いてないのでよくはわからなかったが、奥行きもそんなにあるようには見えなかったが、彼の店は、駅前でも一番といっていいほどの5階建てのビル。何もわからない釘宮にとっても何かしら、誇らしげに思えてくるのも不思議なものだった。寮に帰り、新聞を読んで、買ってきた缶コーヒーを飲んでしまってもまだまだそんなに時間が経ったわけでもないが、起きたときより大分気分はリラックスしている自分に驚いていた。 やっと、9時前、女の従業員がボツボツ起きてきだした。部屋に帰り、夕べ支給された制服、制服といっても、ジャンバー一枚だったが、それに着替え、店の方に降りていった。 「おはようございます。」「おはよう、早いね。夕べは寝れた?」よく見ると主任であった。「あっ、主任さんおはようございます。」「何か、寝れませんでした。朝も4時ごろ目が覚めて、散歩に行ってきました。」「初日から緊張してると、続かないよ、リラックス、リラックス」なんて。「はい。」そうこうしていると、早出の(日勤)人間が次々と降りてくる。 やがて朝の朝礼、昨夜同様、カウンターの前に整列させられ、主任、支配人、専務と、注意やら、申し送りやら、一言、一言・・・・それが終わると、今度は主任が指名した人間が皆の前に出てきた。何をするのだろうと思っていると、「お願いします。はじめます。」と・・・そして、「いらっしゃいませ。」・・・・・・と始まった。今度は従業員が声を揃えて、「いらっしゃいませ。」そしてまた、「ありがとうございます。」・・・・・「お待たせしました。」「如何しましたか。」そんな言葉を続けて何回か唱和した。主任は横で見ていて、「もう少し大きな声で、」「もう少し腰を曲げて、」なんてあれこれ注意していた。釘宮も最初は、どぎまぎしていたが、要領をすぐに理解、他の従業員同様挨拶の練習。やっと、朝礼が終わり、開店準備。何をどうしていいかよくわからない。「主任さん、何をしたらいいんでしょうか?要領を教えてください。」主任も心得たもので、傍にいた従業員を掴まえて、「河合さん、釘宮さんにいろいろ教えて。」「はい。」「そうそう、釘宮さん、今日は河合さんに付いて回って、いろいろ教えてもらってください。勤務も同じにしてありますから。」と釘宮は、その自分より五つ、六つ若い従業員に、「パチンコ屋さんは初めてなのでいろいろ教えてください。よろしくお願いします。」河合は、やはり自分よりかなり年上だということが解っているのか丁寧な言葉使いで、「こちらこそよろしくお願いします。」 釘宮にとっては、自分よりかなり若いだろう従業員にいろいろ教えてもらうことは別になんとも思っていなかった。 彼にとっては、昔自衛隊にいたころ、学校を出たての幼い顔、・・・童顔の、まだ、一般社会の何たるかも知らないであろう人間に自分から敬礼をし、またそんな男に、訳の解らない事なんかでガミガミ言われ、それでも我慢していたこともあった。そのことが、こんなことに関してはなんとも思わなくなったのであろうか。あくまでも先輩としてたて、真剣に話を聞き、解らない事、腑に落ちないことはその都度聞いていった。そのことが河合にもなんとなく解ったのだろうか。最初は、いやな感じであったが、時間が経つにしたがって、真剣に教えてくれるようになったし、節度はあったが、冗談も言うようになった。 釘宮も、河合が若いが何かと親切に手ほどきしてくれるので、その後しばらくは、頼るようになっていった。 河合もそんなことが解るにつれ、自分の部屋に呼んで一緒に晩酌をすることもしばしば。 何はともあれ、一通りの仕事の手順も覚え、勤務体制にも十分体がなじんできたころだった。好事魔多し。巷にはよく言われることであるが、釘宮にとっても、落とし穴が待っていた。それは解らないなりにも仕事にも十分慣れてきた頃、そう、入社して、3週間が過ぎた頃であった。
2009年05月07日
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それから何日か経った或る日、かの知り合いがまた訪ねてきた。「釘宮さん、社長は?」「今日は若松です。例によってまた競艇です。」「いいご身分ですね。現金商売はやめられない・・・・と言うことですか。」「ストレス解消じゃないですか。」しばらく世間話のあと、徐に「この間の話考えてくれました?」和夫は内心待ってました・・・・・と、しかし敢えて、「何のお話でしたっけ?」「もう、駆け引きは無しですよ。例のパチンコ屋の話・・・・」和夫にとってはあまり気を持たせ過ぎて話が無くなったら・・・と考えここはあっさり受けることにした。「いいですよ。唯、こちらにもお世話になったままですし、しばらく待っていただけますか?」「いいですが、開店が暮れの予定ですから最低一ヶ月は研修があります。10月末までは行ってくれますか。」10月末といえば後2ヶ月十分な間合いがあった。「結構です。唯、最悪の場合黙ってここをやめるかも知れませんが、内緒にしてくれますか?」「当然。私が誘ったなんて知れたら、ここの社長はカンカンです。」「じゃ、やめたらすぐにそちらに行きますから、場所を教えてください。」ということで話はとんとん拍子・・・・・・。しかし、辞めるとなるとなかなか辞めさせてもらえないのは解っていたが、そこはもう黙って辞めることに意を決していた。一般的に人夫出しの会社なんて、入るときは面接はするが、辞めるときは大半が黙って辞める。ほとんどが前借、前借・・・・で、給料日にはほとんど残ってないのが普通で、残っていても僅かな金額である。残していっても彼らにとっては痛くも痒くも無いのである。で、辞める人は大概「トンズラ」しかし、和夫のような或る程度幹部みたいになっている人間にとってそれがいいものかどうか・・・・・などと考えても仕方が無いのである。結局は、それから一月ほど経った或る日、和夫はそこを黙って辞めていくことになる。辞めたその夜は博多まで行き、サウナに泊まった。次の日、喫茶店で履歴書を書き、その足で面接へ、「すみません。飯塚の金田さんから言われてきました釘宮と言いますが。」・・・・すぐに事務所に通され、面接。彼も何度と無く面接は経験してきたが、そこの面接もまた変わっていた。何が変わっていたかと言うと、面接らしい話なんて全くしなかった。和夫が「金田さんに言われてきた釘宮です。」の一言でもう面接は終わっていたようなものだった。「あぁ、あなたが釘宮さん。昼ごはんは食べました?」「いえ、面接のことで頭が一杯で食べる気がしませんでした。」「そうですか、じゃ、ご飯を食べに行きましょうか。」「面接はいいんですか?」「あなたのことは金田さんからよく聞いてます。面接はもういいです。」さすがに、朝から一生懸命履歴書を書き、あれを聞かれたらこう、これを聞かれたらこう、姿勢は・・・・挨拶はなんていろいろ考えていた自分があほらしくなっていた。が、まさか、食事にかこつけてあら捜しを・・・・・という穿った考えもチラリ・・・・和夫もここまで来ればどうにでもなれ。とばかり、ご馳走になることにした。その後、昼食をとりながら新店舗のこと、それまでの研修のことなど話してくれた。それも終わり、寮に案内されたが、今までプレハブに2年以上いたことを考えると、天国と、地獄。5階建てのビルの4階部分が従業員の寮に当てられていた。割とこざっぱりした感じの部屋だった。6畳に2人。幸い前の会社でどうしてもついて行くといって聞かなかった男と一緒に入ることができた。その日は、夜まで、(閉店時間まで)ゆっくりした。閉店時間が来ると、主任らしい人が迎えに。「釘宮さん。今からここの従業員に挨拶します。新店舗要員も何人かいますのでまた教えます。」「はい、よろしくお願いします。」と彼について行った。ホールに一歩入ると、尾崎紀世彦の「また会う日まで」が掛かっていた。閉店と聞いたのに、蛍の光ではなく普通の歌謡曲・・・・・・まだ、閉店前なのか。と思っていると「本日のご来場まことにありがとうございました。当ホール後少々のお時間持ちまして閉店とさせて頂きます。・・・・・・・・・・」 今まで、閉店まで粘ってパチンコをしたことは何回かあるが、閉店の曲が「蛍の光」では無かったのははじめての経験だった。なんとなく新鮮で、ハイカラで、やはり、都会のパチンコ屋さんは違うなぁ・・・・・と また、もうひとつ、従業員が何人いたのだろうか、数名を残して、従業員が出口に整列してお客さんを見送る。「ありがとうございました。」「ありがとうございました。」かなり大きな声で、元気に見送っている。これも彼がよく行っていたパチンコ屋さんには無かったことだった。やっと最後のお客さんが帰り、さっきの主任が釘宮のところへ、「今から閉店作業をしてもらいます。この人に要領を聞いてやってください。」1人の従業員を紹介され、彼について閉店作業を・・・・・「島掃除」これがなかなかしんどい。釘宮にとって、何が一番きつかったか・・・・・なんといっても、「島掃除」が一番きつかった。それは、彼が主任になるまで仕事の中で一番苦しい仕事だった。今では、概ねどこの店でも業者を雇っているけれど、当時は閉店掃除も従業員の仕事だった。 やっと閉店作業が終わり、カウンターの前に全員整列。前の方に呼び出され、「今日から皆さんと仕事をする釘宮さんです。云々・・・・・・」と紹介され、慌てて自己紹介。初日は僅か1時間そこそこの仕事だったが、何から何まで、目新しく、感心するはびっくりするは・・・・・。何はともあれ紹介が終わり、閉店ミーティング。主任、店長、専務から各一言があって、解散。すると、またまたびっくりすることが、1人の女の子がカウンターに入り、タバコを選んで取っている。何をするのかと見ていると、従業員1人1人に配っている。そして、「主任、新人さんは何ですか。」主任が「釘宮さん、タバコは、吸いますか?何ですか。」きょとんとしていると、「毎日、タバコを1個支給します。好きなタバコを言って下さい。」「はぁ、ハイライトですが」「田中さん、ハイライトって」「はい。わかりました。釘宮さんハイライトどうぞ」釘宮は、わかったような、わからないような、なんとも不思議な気持ちでそのハイライトを受け取った。 それを横で、主任が見ながら、「国民のタバコハイライト、安くて本数が多い。国民の酒焼酎、安くて廻りが速い・・・・」なんて口ずさんでいる。それをまた、女の子が「主任、それを言うなら、国民のタバコ、しんせいですっ。」なんて言う声を聞きながら釘宮も、他の従業員と寮へ上がって行った。 それから、またまたびっくり、従業員みんな、なぜかしら食堂へ、釘宮も自分の部屋へ帰りそびれ、皆の後にしたがって食堂へ、すると、何のことは無い。全員が夜食。これにもびっくり。パチンコ屋さんには夜食まであるのか?・・・・・なんて、今日一日が全てにおいて一般社会とは異なった世界だと感じ入ったことばかりだった。
2009年05月04日
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今日もなんとなしに日が暮れていく。和夫にとって、人生30年にして始めての、経験だった。廻りを見回すと、飲んで酔っ払った男、風呂に何日も入らず着替えはいつしたかわからない・・・・・また、或る男は、道路に座り込み、通って行く女子大生をからかっている。 ここは、北九州のとある街角。すぐ傍には刑務所がある。また反対側には、警察署。北九州と言っても片田舎。 和夫はそれまで、固い職場にいた。国家公務員。 国家公務員と言っても、郵政事務官・・・・とは名ばかり、身分は保証されていたが仕事は、電話交換手兼電報の送受信。たまに郵便の窓口に出ることはあったが、・・・そんな生活に嫌気がさしたのか、また彼特有の名誉欲なのかよくわからなかったが、全逓の青年部長(地区の)に押され、また、自分も進んで引き受けた。このことが、結局は和夫の人生を狂わせる発端になったのだが・・・・公務員の組合専従職員は当時2年を限度とした。その2年を過ぎても、彼特有の名誉欲から和夫は、専従役員から降りなかった。その年の夏、組合総会。家庭主義者と言うレッテルを貼られ、3役解任。和夫はとうとう郵政には帰れなかった。体のいい解雇である。身分保全を主張することもできたのだが、それをしなかった。 それで、故郷に帰りぶらぶらしているところを、当時の地区労の委員長に救われることになる。 当時の地区労の委員長・つい最近は衆議院議員を経て、内閣総理大臣までなった人であるが・・・当時はそんなことは露にも思わなかった。その地区労の委員長が自衛隊の地連に手を回し、和夫を自衛隊に誘った。和夫は南極に行けることを希望して誘いに乗った。結局、自衛隊に入隊、南極にも行き、下士官の(3曹)の試験にも合格したのであるが、なぜかしょうに合わなかったのか除隊。先に除隊していた友達に誘われ、今の職場に着いたのだが、どんなにきれいごとを言っても、人夫出しの親方の補佐。和夫にとっては見るもの、聞くもの全て珍しかったが、生活そのものは人生最低の生活であった。 経済的には最低賃金は保証されていたし、一杯飲み屋も任され、売り上げの歩合も結構よかったが、どうしてもプレハブ住宅住まいと言うのは侘しかった。 が、誘ってくれた友達の手前、仕事は手を抜くわけにもいかなかったし、彼本来の真面目さからか、仕事は彼なりに頑張っていた。 朝は早くから人夫50人分の朝食の準備。弁当の手配。人夫を送り出した後は、朝食の片付け。それが終わると今度は翌日の人夫の割り振り。給料計算、人夫を出した所への請求書出し。電話番。それをしながらまたまた人夫50人分の夕食の用意、・・・・やっと1段落ついたところで、今度は屋台(一杯飲み屋)の仕込み。毎日が目の回るような忙しさだった。 和夫もなんとなく段取りもわかり、仕事の合間に一息つけるようになったころ、「もう、ここに来て2年。ずっとここで仕事を続ける?・・・・・」やはり、自分のおかれているところになんとなく合点が往かなくなっていた。確かに、人夫たちには、兄さん、兄さんと煽てられ、オーナーからも、オーナーの奥さんからも「釘宮君、釘宮君」と可愛がられてはいたが・・・・しかしながら、やはり和夫にとって人夫の中で生活するのは耐えられなかったのかもしれない。その当時、まだ18~9の若い、高校出たての人夫(アルバイト?)がよく和夫の元にやってきていた。彼が和夫にいつも、「どこかにいい仕事は無いですか?」「あんた位の若さで仕事が無いことは無いだろ。」「いつも面接までいくんですが、最後には断られるんですよ。」和夫は不思議に想い、「何で、」確かに彼は真面目だし、若い割りに礼儀はわきまえているし、なぜだかよくわからなかった。この職場に来たときも、和夫が面接をしたし、面接の時、変な感じは受けなかった。そこのところを尋ねてみると、「私、高校が朝鮮学校なんです。それで嫌うんじゃないですか。」その時初めて彼が、朝鮮人だと知った。和夫にとっては、朝鮮人が特にどうこうなんて思っていなかったし、その時のオーナーも朝鮮人だった。確かに公務員なら不味い場合もあるだろうが、一般の会社においてそこまで差別することは無いだろうに・・・・・・なんて思いながら「そんなものかね。」と・・・・彼も和夫が、そんなことを全く意に介さないのが解ったのか、それから一段と慕ってくるようになった。だが、和夫は一段と新天地を求めるようになっていく。 或る日、事務所に知った人間が訪ねてきた。やはり朝鮮人だったが、彼が、「釘宮さん、ここに来てどのくらいになりますかね。」「そう、かれこれ2年ちょいですね」「よくここまで辛抱しなすったね。社長も喜んでますよ。」「いえ、いえ私こそお世話になってばかりで。」と、気持ちとはうらはらに・・・・・すると「いい仕事があるんですがやってみませんか。」「何でしょう。」「社長には内緒ですが、私の友人が今度店を出すんです。そこに行ってみませんか?。」「何の店でしょう」「パチンコ屋ですよ。ここにいるよりはいいですよ。」 和夫にとっては、全くの畑違い。というより、パチンコ屋がどんなところか全く解らなかった。パチンコそのものは何度と無く足を運んだこともあるし、裏廻りのお姉さんがいるころから、通った事もある。当然、玉込め式のパチンコも打ったこともあるがそれでも、お客さんとしての事で、中の内情なんて全くわからなかった。「すぐ結論を出さなくてもまた来ますから、考えていてください。あなたならすぐに主任くらいはなれますよ。」「はあ・・・・・」そこまで話したところでオーナーが帰ってきたので、話は途切れたが・・・・結局、和夫が決心するまではそんなに時間が掛からなかった。パチンコ屋にいくことに決めたのである。ただ、かのアルバイト君を誘ったのは、後々後悔することになっていくのだが・・・
2009年04月28日
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「そうですね。できましたら山田さんも一緒に来ていただけたらいいんですが。」和夫は内心忸怩たるものを感じながらも、「そうですね、私が来たばっかりで明日の勤務はよくわかりませんので、本人に確認していただけますか?。」「わかりました。本人に確認します。では今日はもういいですよ。お疲れ様でした。」 やっと開放・・・・・。しかし、翌日のことを考えるとまた、うっとうしくなる和夫だったが、そこは相手が警察官、笑顔で署を後にした。 店に帰り、従業員に挨拶。みんな一癖、二癖ありそうな・・・・。が、警察での取調べに疲れきった体や頭はなかなか元に戻りそうもない。主任と山田を残し、他の従業員を帰宅させ、明日の打ち合わせ・・・・・。と言っても和夫、彼にとってはまだ店の勤務形態などは十分に把握してないから全て主任に任せることに。主任は山田の勤務を確認し、翌日の営業に支障の無いよう他の従業員とも連絡を取っていた。やっと終わり、パソコンの前へ。今日のデーターを取り出し和夫の元へ・・・・。和夫にとってその店でのはじめての釘調整。台の入れ替えも間近に迫っていたし、釘調整もそんなに長くは掛からなかったが本来、初めての店であるからには、一台、一台釘の表を見て回りたかったが、なかなかその気にはなれなかったのも元来仕方無かったのかも知れない。早々に釘を終わらせ、帰宅。遅い夕食を前に、晩酌・・・酒がなかなか進まない。まずい・・・・。初めは、警察に対してのやりきれない想いで女を相手に愚痴っていたが、だんだん死んだ女の人のことがあれこれ思い出され、無性に腹立たしくなる。腹立たしい、・・・・・いや、やるせない。なぜ、・・・・・・・・昔は結構、馬鹿話をして、鹹かったりもしたが、明るくて、人が好くて決して自殺なんかするような人には見えなかったものだ。負けて、「店長、この台どうなってるの、もう大分負けてどうしようもない。どうにかしてよ」なんて、また或る時は、「店長、今日は大分稼がせてもらいました。どこか飲みに行きましょうか?。」なんて、明るく笑っていた笑顔がなぜか思い出され、本当に、無性に、・・・・・・・・・・やりきれない。酒もまずく、早々に切り上げ、布団に入ったがなかなか寝付けない。よその店でよかった。あれが自分の店だったら・・・・・自分が調整した台だったら・・・・・・・・。自分が殺した・・・・・・。なぜか悪いほうへ、悪いほうへ考えてしまう。和夫がこの業界に入ったころは決してこのようなことは無かった。確かに、自殺した!・・・・・・なんて言うニュースは聞いたことがあるが、それは、パチンコだけに限らず、ギャンブルに手を出し、借金でどうしょうも無くなった。・・・・・ことが原因で・・・決してパチンコだけで破産なんて言う話はめったに無かった。けど、昨今はどうか。今日の自殺された店なんか、聞いた話によると、今度が初めてでは無いという。前はトイレで首をつって死んでいたなんて言う話もあった。何が原因なんだろう。実際、台によっては、ものすごいきつい台もあることは確かだが、今日の話では、朝からまったく当たりが無くて、一四~五万負けたと・・・そんなことがあるのだろうか。後ろで見ていたわずかの時間だが、スタートには結構入っていたような気がする。いや、普通の店よりかなり良く入っていた。あの台の確立から言っても、あの回りだと、(スタートに入ること、回転)本来店は赤字のはず。なのに・・・・・・・和夫は、つい先日のことを思い出した。久々にここに(この地区)来て、あの店で打った時のことを、五百円玉に両替して、わずか二~三回転で掛かった。立ち寄ってすぐに当ったのである。前の人がかなり打っていたのだろうか。いや、いや・・・・・やはり、・・・・・掛けてくれた。初めてのお客と間違われた。そうそう、あの時は、女と一緒だった。女も座ってすぐ当たりが来た。・・・・・・・やはり、あの時は、服装もおとなしい普段着だったし、さも、夕食後に遊びに来た近所の人と思ったのだろう・・・・・。今日の女の人も最初はそれで何回か勝たせてもらって病みつきに・・・・挙句、殺しに掛けられた・・・・・・。たぶん給料日も知ってた。そんなふうに・・・・・なぜかそんなふうにしか思えなくなった。和夫も、以前勤めた何件かの店でお客を殺しに掛けたこともあったが・・・決して、気が弱そうな人や、女の人をとことん殺しに掛けるようなことはしなかった。殺しに掛けるときは、態度が横柄で、従業員や、廻りの他のお客さんに迷惑を掛けているいやなお客に限っていた。しかし、それでも和夫はまさか自分のお客さんが、自殺なんて・・・・考えられなかったし、考えたことも無かったが。今後、そんなことが無いとも・・・・・・・。いろんなことが、頭の中を駆け巡り、なかなか寝付けなかった。 翌日、朝の朝礼を済ませ、警察へ、警察では、昨日のようなことは無く、調書が、淡々と書きあがっていく。それでも二時間。やっと終わって、開放。早速防犯課へ。「今日は、ラッキーの釘宮ですが。課長さんは?。」もうすでに話が通っていたみたいに、「やあ、あなたがラッキーの釘宮さん。昨日は大変でしたね。お疲れ様でした。」和夫が挨拶に来ることも、新しく来たラッキーの店長だと言うこともずべて知っていた。「今度、ラッキーを任せてもらうことになった釘宮です。よろしくお願いします。」「大変でしたね。これからもよろしく。」昨日、疑った・・・・・ことが原因か。警察にしては、愛想がいい。すまなく思っているのだろうか。お茶菓子と、お茶がすぐに出されたことにはびっくり。和夫はついど、警察署に挨拶に行って、お茶と、お茶菓子が出るなんてことはなかった。反対に恐縮して、尻がむずむず・・・・・挨拶もそこそこに退散して来た。
2009年04月25日
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「私、・・・・・釘宮と申しますが、何でしょう。」「この人とは、お知り合いですか?」「知り合いと言うほどのことはないんですが、かなり以前何回か話したことがある程度です。」 「今日は、この人とは?」「いえ、たまたま、この店に入るとき姿を見かけた程度です。」「さっき、この人が」と、山田の方を指して、「さっきの人とは何のことですか。」「あぁ、さっき駐車場から出てくるとき偶然見かけたものですから。」と、答えながら、できるだけ早くその場から離れようと頭の中で・・・・・しかし、やはりそのような態度は警察官にとっては、何か、胡散臭そうに感じるらしい。案の定、「では、この人に最後に会ったのはあなた方みたいですね。捜査に協力お願いできますか?」「はぁ・・・・、」和夫にとっては、赴任初日のことであるし、店の内情もまだ把握してない、自分の店の方もかなり気になる。そのようなことが、生返事になったのであるが、逆にそれがまた、和夫の離れたいという態度に合わさって、警察官にとっては、なおさら不審に思えたらしい。「失礼ですが、あなたは?、あまり見かけない顔ですが、どういう関係の方ですか。」と、警察官。「はぁ・・・・私ですか。」 和夫にとって警察は、しょっちゅう顔を出しているし、別段構えて話をするような所ではない、逆に顔見知りになって、以後の付き合いをやり易くしたほうが得になっていいはずなのだが、その時は、自分の店の事の方が気になって、この場に及んでもまだ煮え切らない態度であった、その時また横から、「店長、どうかしましたか、帰らなくていいんですか?」と山田が、柄にもなく気を利かしたつもりで言ったのがまた警察官に・・・・・「ちょっと待っててください。」当の警察官は慌てて、上司のほうへ行って何事か話している。帰るに、帰られずその場で待っていると、現場責任者らしい警察官が来て、「すみません、あなたたちが最後に会った人みたいなので、どうしても話を聞く必要があります。何ならパトカーで送りましょうか?」何かしら、有無を言わせぬ響き、態度。どうやら、目撃者から、当事者に格上げされそうな雰囲気・・・・・。やむなく、「わかりました。しかし何も知りませんよ。顔を見ただけですから。」そんな和夫の言葉さえ、胡散臭そうに斜に構えて見る。・・・・人を何か殺人者のように見ているのだろうか、それとも情夫?・・・・・ どちらにしても、警察まで行けば長くなることは目に見えている。店の方には確か社長も来るはずであるし、・・・・そんな風に考え、「太郎ちゃん、店に電話して、少し遅くなるって。」山田、・・・・そう山田は確か本名は山田何がしであったはずだが、従業員仲間で、太郎ちゃんと呼ばれていたので、和夫もつい・・・・すると、警察官が、「いいですよ、連絡はこちらでしますから連絡先を教えて下さい。」何か、こちらに連絡を取られるのがいやな感じ・・・・和夫は、またしてもいやな感じがしたが、もうどうにでもなれ・・・・・「太郎ちゃん、電話番号何番だっけ、教えてあげて。」山田は、まだ、自分の置かれている立場がわかってないみたいに、脳天気に答えていた。「じゃ、店長私は一足先に帰りますから。いいですか。」それに和夫が答えようとすると、間髪入れず、警察官が、「あなたも一緒に来てもらいます。」なにおか況やである。山田の、脳天気さや、警察官の横柄な態度に、和夫も苦虫を噛み潰したような・・・その後、自分の車に戻った和夫たちは、パトカーの先導に導かれ警察署へ。ふと、後ろを見ると、逃走を防ぐかのようにもう一台パトカーが・・・現場から警察署まで車でわずか、二~三分。何もこれほど物々しくすることもないと思えたのであるが、いよいよ被疑者に格上げかと、溜息が出そうである。警察署に着くとすぐ、取調べ室へ、山田はまだ、事務室でソファーに座って話を聞かれるくらいに思っているみたいだったが・・・・・、やっと事態が飲み込めたのか、和夫のほうを見て不安そうな顔をしていた。和夫は和夫で、-やっと気がついたかこの馬鹿-。と・・・・取調室ではまず、和夫の身上調査。本籍地、現住所、年齢、・・・・・・。やっとそれがすむと、しばらく取調官が席を外す。電話か何かで調べているのだろう。やっと帰ってきて、「現住所が違うけど、何か間違いですか。」「間違いありませんよ。そこのはずですが。」「お宅の言ってるところには、籍がありませんよ。何でですか。」和夫もやっと意味が飲み込めた。「それはそうですよ。まだ転入届は出していませんから。引っ越してきたやっと明日でも出そうかと思ってましたから。」「そうですか、引っ越したばかりですか。」解っているはずなのに・・・・・と思ったが、黙っていた。和夫が、後で聞いた話であるが、その時警察はすでに、パチンコ屋さんの監視カメラのビデオを入手、和夫がいかにも女の人が打っている様子を興味ありげにしばらく見ていたことに、気がついていた。しかも、和夫にとってはわずかな時間のつもりでも、警察にとっては、かなりの時間、女の動向を見ていたように見えていたのである。また、女の人が打つのを止めた時、声を掛けそうに見えたこと、帰るのを追っかけて行くように見えたこと、・・・・・・などなど、警察にとってはいかにも和夫が何らかの行為をしたように見えてきて仕方がなかったのである。 和夫にとっては、不幸に不幸が重なったようなもので、それからの取調べの長かったこと・・・・・同じ事の繰り返し、何度も何度も同じことを繰り返し聞かれ、ほとほと、いやになってくる。どのくらいの時間が経ったであろうか。もう、我慢ができなくなって、堪忍袋の緒が切れ掛かったと時、取調室のドアが開き、別の警察官が入って来た。和夫の前にいた警察官に声を掛け一緒に外へ・・・・それからだった。態度が変わったのが・・・・。口調も丁寧になり、お茶は進めてくれる、タバコは勧めてくれる・・・・・。和夫も狐に化かされたような・・・・・。何でも、女の人が死んだその時間、和夫と、山田が別のパチンコ屋にいたことがその店のビデオによって証明されたことが原因だった。和夫自身、そのことは気がついていなかったし、死んだ時間さえ知らなかった。女の人が立体駐車場の四階に上り(後でわかったことだが)死ぬ決心がつくまでかなりの時間があったのだろう。結果的に、そのことが和夫が無実であることを証明してくれたことになったのだが。四階に上がり、すぐに決行していればどうなったことやら・・・・・・・。 それでも、警察に入ってから、開放されるまでかれこれ、五時間。外はもうネオンが灯り、警察署の前にも酔客がちらほら・・・・和夫は慌てて、時間を見て、「すみません、(自分の店が)そろそろ閉店時間なんですが。従業員を帰さなければなりませんので、帰っていいですか。」その時はもう、だいたい疑いも晴れていたので、「いいですよ、でも明日もまた来ていただけますか。」「まだ何か聞くことがあるんですか。もうこちらは話すこともないんですが」「もう少し話を聞かせて下さい。」「いいですよ。どうせ明日は防犯課(今は生活安全課)に来るつもりですから。何時に来ましょうか?明日は私だけでいいですか。山田はもういいでしょう」
2009年04月19日
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エピローグ その日、和夫は久しぶりに近所のパチンコ屋をに足を運んでいた。パチンコ屋に行くのは、初めてではなかったが、その日はなぜか、見るもの、聞くものが新鮮であった。見るものが総じて物珍しく、何か懐かしくさえ感じ、その上、何かしら物悲しくさえ感じる。少し、イライラさえしてくる。遠くに目をやると、わずか五年前に慣れ親しんだ、山々、海、海岸、島・・・・来る途中の車窓の景色も懐かしく、「帰ってきた。」と、懐かしくさえ感じていた。やがて、市内に入っていくと、慣れ親しんだ、町並みの中に何かしら、違和感が・・・・・・たった五年の間にこんなにも変わったのか・・・新しいビルが建ち、新しい道ができ、・・・・道を行きかう人たちも何かしらハイカラになった気がするのは、勘違いだろうか・・・・・・・・。こんな田舎の町もわずか五年の間にこんなにも変わるのだろうか。振り返ってみると、自身は五年も経ってもいまだ、風来坊。 連れ添う女はいたし、今も社宅に帰れば、一人家事にいそしんでいるのはずだ。しかし、こんな仕事をしているうちはなかなか、籍を入れてやれないし、子供もなかなか作れない・・・・・・。そんなやくざな生活が、・・身の上がイライラさせるのだろうか。 複雑な想いをしてみたって、今の生活が変わるわけではなし、また、変えられるわけでもない。 気を取り直して、パチンコ屋のホールに入って行こうとして、前を見ると、いやに若作りの女の人がボウッとしている。よく見ると、以前よく和夫がいたホールに顔を出していた人だった。結構美人ではあるが、もう確か三十五,六歳のはずだ。和夫もその当時、まだ、三十半ばだったし、女っ気もなかった。(あわよくば)なんて思ったこともあった女である。さすがにお客さんに色目を使ったりはしなかったが・・・・。で、懐かしさも手伝って、「今日は、お久しぶりです。」声をかけたが、なんとなく無視されたような気が・・・・・決して無視をするような人ではなかったように覚えていたが、なんとなく再度声を声をかける気がしなくて、黙って、通り過ぎて、ホールに入って行った。 さすがに地元一番の店、パッと見ただけでも、四百台近くの台が約八割近くも埋まっている。お客さんの手元を見ても、みんな結構玉を持っている。従業員もかなり洗練され、忙しく動き回っている。さすがに地元一番の店であると感心して、一応、店の総てを見て回る。 すると、さっきの女の人が一身腐乱に打っている。人気機種のひとつの三回権利物・・・・・・・。なぜか気になって離れてみていた。どのくらい見ていただろうか・・・・・。わずかの間に、両替を三~四回しただろうか。全て、一万円札だったから、わずかの時間で三~四万負けたことになる。 聞くとはなしに聞いていると、朝からもう十万円以上負けていると言う。何でも、昨日給料日で、今日は久しぶりの休み、朝から好きなパチンコを楽しみに来ていたらしい。さすがに十三~四万も負けて、かなりイライラし、落ち込んで、もう回りも見えなくなっているみたいな感じであった。皿に玉が少ししかなくなって、また立ち上がって、両替機の前に財布を開いて、中に手を入れ札を取り出そうとして、ハッと、中を見てみて、何もなかったのだろう、慌てて今度は、バッグの中から、なにやら紙袋を取り出した。中をのぞいて・・・・・・・その時の顔を、和夫は当分忘れられそうになかった。なんと表現したらいいものか、びっくりした・・・、泣きそうな・・・・、人間、血の気が引く・・・・・、なんて表現があったが、正に、そのような顔だった。 と、ふらっとしたかと思うと、自分の打ってた台のほうへ、残りのわずかな玉を打ってしまって、立ち上がったが、しばらく、台を離れがたく、後ろに立ったままだった。やっと、あきらめたのだろうか、消沈した顔で、通路の外に出てきた。しかし、まだ諦め切れなかったのか、自分の打っていた台をしばらく見ていた。 すると、五分もしないうちに、隣に座っていたお客が台を変わりその台で打ち始めた・・・・・、と、球がスタートに入り回り始めた。最初の回転がやけに長い、しばらくすると当ったことがわかった。座ったお客は「してやったり。」と自慢げな顔をして喜んで・・・・・ふと、女の人を見ると、顔を真っ青にして、一歩、二歩台の方へ歩きかけたが、思い切って、振り返ってトボトボと玄関の方へ和夫は、声を掛けようと追いかけたが、思いとどまり、そのまま、他の店を見ようと、車の方へ・・・・車では、従業員が待っていて、「次はどこへ行きますか。」「そこでも、この店の次にお客さんの多い店に行こうか。」車を発進させ、降りて行くと、(そこは立体駐車場だったから)ばったり、さっきの女の人に会った。帰るんだ、自分の車の方に行くのだな・・・・、と思いまた、声を掛けようと、従業員に車を止めるように言おうと思って「ちょっと」・・・・まで言ったが思いとどまって、すると、従業員が「何です、忘れ物ですか。止めましょうか。」「いや、いいや。女の人に声を掛けようかと思ったが、もういいや。」「知ってる人ですか。」「前この町にいたときの常連さん。」「そうですか、止めましょうか。」「いい、負けすぎてるみたいだから、声を掛けるのがちょっと。」「はい。じゃ、次へ行きましょう。」結局この時声をかけなかったことが、ずっと後まで和夫の心に影を落として行くことになるし、警察に呼ばれることもなかった。 それから、この地区の、パチンコ屋さんを全部見て周り、「帰ろうか。」と、従業員に促し、帰る途中、先ほど見てきた、地区一番の店の前を通りかかった。すると、何か騒がしい。よく見てみると、警察の車が、三~四台、救急車も来ている。「おい、何だ。何かあったみたいだど」とすると、従業員は車を止め、「何でしょう、喧嘩かな。それとも強盗。」結局、それがことの発端だった。和夫にとって、警察とは、切っても切れない関係だし、次の日には、警察署に挨拶に行くつもりもしていた。それが、図らずもこんな形で話を聞かれようとは・・・・・「ちょっと、聞いてきます。」従業員は(確か山田といった。)野次馬みたいに、そそくさと近づいて行く。和夫も、後から目立たないように、行ってみた。すると山田は「何かあったのですか。」と警察官に聞いている。何も警察官に聞かなくてもと思いながら見ていると、警察官は黙ってある方向を見ている。手には、写真が山田は写真を覗き込みながら、「店長っ、さっき、駐車場で見た女の人が、・・・・」そのときは、和夫ももう何があったか見当はついていたが、まさか、さっきの女の人とは思っていなかったし、自分に関係があるとはまったく思ってなかった。実際関係はなかったのだが・・・・・・、山田の一言を警察官が聞き逃すはずもなく・・・・・、「もしもし、あなたは。」警察官の目は、当然和夫の方に向いている。「えっ・・・・・」「私ですか。」(山田の馬鹿変なところで声を掛けて・・・・・)と、それからが長い一日の始まりだった。
2009年04月15日
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今年はやっぱり、ついてなかった。新年早々、愛機は故障するし、修理終わったかと思ったら、今度は、本人が、故障・・・・・長いドッグ生活もやっと終わり、数日前、やっと出所・・・・・・・でもまだ、家族に監視が厳しくて、なかなか愛機の前に座れない・・・・・けれど、何事も、万事塞翁が馬・・・・これを人生のいい意味での、折り返し点にしたい。切実な思いで・・・・再出発。思い出にならないように・・・・ブログの方も何かしれ切れとんぼになってしまって、今は反省しきり・・・・この機会に、新たに項を起こそうと思う。前回のブログを見てくださっていた方はご意見多々あると思うし、現実に、このブログの犯人探しをしている人もいたというし・・・また、次を期待して待っていてくれた人もいるかと思う。けれど、今回は心機一転、今一度、視点を変えたり、面白い人々の動向など交えて、書いていこうと思う。で、もうひとつ前回は少し、回を急ぎすぎた嫌いがあったので、今回は、回想を満つにして、現状の取材などを踏まえ、少し、内容を濃くしたい。そこで、約1週間に1篇くらいに集約していきたい。前回のブログに負けない応援よろしく。また、前回に負けないご意見をお寄せくださるよう期待してます。PS なお、意見は多いに感謝しますが、 かなりの数のサイト案内などがあります。 これは勘弁してほしい。 出会い系サイトの勧誘は無駄ですのでお断りします。
2009年04月11日
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年配の方は覚えているだろうか。 昔、一発機のはしりの頃、一生懸命盤面を見て 打っているときはなかなか入らない・・・ で、タバコの火をつけたり、 落し物を拾ったり、盤面から目を離したときに よく入ったことを・・・ 入るときは、玉の動きがまともでないから、 目を放した隙によく掛けることが多かった。 これは、命の穴の裏に、ソレノイド(簡単に言えば電磁石) に電流を通し、穴のほうに玉を引き寄せる・・・・ したがって穴によく入る。このときは玉が不思議な動きをするから 打ち手に見せたくない・・・・ なんて幼稚な、初歩の遠隔操作があった。 今では、台の基盤に直接働きかけるから、 昔ほど難しくないし、いろんな操作がしやすい。 例えば、玉がなくなる頃掛けたり、連荘設定をしたり、 逆に、強制的に当たりを抑えたり・・・・ しかもパソコン自体昔ほど高価ではなくなったし、 いろんな設定、操作がそれほど難しくなくなった。 しかも、昔は、台それぞれを操作しなければならなかったし、 全体の割を考えてやらなければならなかったが、 今は、島ごとに設定が可能で、忙しければ、 ほったらかしでもそれ相応の割を出してくれる。 いい例が、 島で何台か出ている台があればその台が落ち着くまでは 他の台は決して出ない。 だから、現代は、1台1台見ても、その台が何回転していようが 他の台が出ていれば、その台は決して出ない。 よく雑誌等に確立が出ているが、 また、お客同士で、この台は何回転しているから、 もうそろそろ、なんていう話を聞くが、 もう少し、回りの状況を考えてみてもらいたい。 特に、我々がよく言う、殺し台なんかにはまったら、 何回転しようがあたりなんか来ない・・・・ 次回は私が現実に見たことのある機械の話を・・・
2009年01月30日
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マイマシーンが病院に入ってしまいました。 病名は、DVD関係の障害です。 約2週間の加療が必要とか・・・・・ 代替機はかしてもらえましたが、 ノートパソコンはなかなか使 いづらい。よってしばらくの間 日記を休みます。 みなさんごめんなさいね。
2009年01月08日
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日曜日も過ぎ、もう6日、なのにいまだ正月気分がなかなか・・・ 今日も、午後は一日ゆっくり・・・ なのに、ブログもなかなか先に進まない・・・・ 我ながら情けなくなってしまう。 この調子だと、今年一年が思いやられる。 さてさて、いまや業界は遠隔操作一色・・・ あそこの店、ここの店・・・ また、今流行の一円パチンコ、これなど普通に考えてみれば、 通常の釘調整で、成り立つはずがない。 なのに、結構遊べる。 と、いうことは・・・・・・ というのも、今の遊技台の当たり確立から考えると、 遊べるということは、スタートに結構入賞しているということ。 で、結構回転がいいということは、早く平均確立迄回っているということ・・ その割りになぜ掛からない・・・・・あたりが来ない・・・ 確かに確立と言っても、倍、3倍、4倍回しても当たらない台はあるが、 総じて回転の割りに当たりが少ない。 自然に台に(工場卸のままに)任せていると、まだまだ当たっても いいはず、が、何故か・・・・ それは、故意に当たりを抑制しているに他ならない。 こういえば、続者諸兄も心当たりがあるはず。 我々、釘師にとっては仕事が簡単になったが、・・・・・ というのも、釘を締める必要があまりなくなったし、 翌日の台の状況を考えることなく調整すればいい・・・・ 釘の格好だけを気にすればいい・・・・ 昔みたいに、天気がどうの、湿度がどうの、お客の動向がどうの、 果ては、カンパン台、回収台が・・・・ などと考える必要があまりなくなった。 要は、当日にお客の動向を見ながら操作すればいいだけのこと、 今は、そこまでコンピューターがやってくれるが・・・ 当時は、まだそこまでのものは高価で・・・・ で、お客の動向を見ながら、変なお客は殺す(掛けない) 一見さんでリピーターになりそうなお客には掛ける・・・ 常連さんには、生かさず、殺さずなんて・・・・ ただ、あまりに露骨にやると意外性がなくなるし、 ばれてしまう。そこだけは十分に考えながらやっていたが・・・・ さて、どんな方法があるのか それは次回のお楽しみ。
2009年01月05日
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常務とかなりきつく話し合ったが、 結局、どうにもならなかった。 相変わらず話は筒抜け・・・ 常務に問いただすと、 相変わらず丸め込まれてしまっているみたいでしたが・・ 三つ子の根性百までなんていうけど、 性分はなかなか直らないみたいである。 そうこうしているうちに、台の入れ替え、 台の選定などを済ませ、日取りも決めたが、 オーナーの返事がいまいち・・・ 何か歯切れが悪い・・・ と、普通定休日を利用して台を入れ替えるのだが、 今回は従業員の福祉のために慰安旅行をやるという。 それについては、当方も大賛成、 至急旅行会社を選び、担当者を呼び立案・・・ オーナーの決済もすぐに降り、 従業員へ話す。 従業員も大変喜んだが、何故か私は何か引っかかる。・・・・・ その当時、パチンコ屋で慰安旅行なんて、あまり聞いたことが なかったことも引っかかる要因の一つだったが・・・ 何はともあれ、当日を迎え、台の入れ替えが済み、 翌日、警察の検査も滞りなく済ませ、 従業員はといえばその日朝早く迎えの観光バスに乗って慰安旅行へ 私は警察の検査を済ませ、すぐに後を追った。 パチンコ屋に勤務すること20何年になるが、 慰安旅行はこのときと、後2回、計3回しか経験はない・・・ 従業員は大いに羽を伸ばし、 独身の従業員の中には前借までして、 風俗関係の世話になるものもいたり・・・ たった1泊2日だったが大いに楽しい2日間だった。 だが、帰ってからがびっくり、 翌日夕方、帰ったとき、 何故か、オーナー、専務、常務が・・・・・・・ すぐに、慰安旅行のお礼をいい、本部や、上層部へのお土産を 手渡したが、 何故か、笑顔が出ない・・・・・ 当然、従業員の前では、笑顔で話していたが・・・ そそくさと事務所へ、 私もすぐ呼ばれて、事務所に行ったが、 結構広い事務所がなんと2つに仕切られていた。 前の日に出かけたときは何も変化のなかった事務所が、 帰ってみると、パーテーションで2つに・・・・ 私は、なるほど、これが引っかかったことか・・・・と で、オーナーが「部長、部長が心配していたことは報告を聞いているが、 そのことは、こっちに任せてくれ。君は今日からこっちにも神経を・・・」 結局、私に内緒で、工事が終わっていた。 その後、かばんやさんに、(かばんやさんは以前も書いたが、裏専門の業者) 操作方法を、常務と二人で説明を受ける羽目に、・・・ その時の工事は3箇所・・・・ 一つは、遠隔、 一つは、発射速度 最後に売り上げのカット・・・・・ 当然3つとも違法・・・・・ こんなブログで書いていいやら、 かなり悩んだがもう時効だから、・・・・・と思って・・・ 詳しい話はまた次回
2009年01月02日
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皆さん明けましておめでとうございます。 やっと気ぜわしい年の暮れも終わり、 新年が明けました。 元旦は、一日、飲んで寝て、食べて寝ての繰り返し・・・ 今日になってやっとパソコンに向かう気になりました。 わが日記も、やっと一番気になるところを迎え、 やきもきしているむきも・・・・ 次回からはいろんな操作など書いてみたい・・ また税務署との攻防も・・・・ 期待して下さい。 さて、今年は元旦から、 急に冷え込みがきつくなりました。 わが南九州も、かなり冷え込み、 コタツから出たくない1日でした。 皆様、風邪等おひきにならぬよう、 新しい年を頑張って生きていきましょう。
2009年01月01日
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私も決して女の人が嫌いではありませんが、 女と見れば手当たり次第なんて 女の人にも失礼だし、 そんなに付き合えるものだろうか・・・・・・ 女性経験の少ない私にとって、 はなはだ疑問?・・・・よく判らない。 私が部長になってパチンコ、カラオケ両方の管理を始めてしばらく経った頃 一人の女性を、事務員として採用した。 そこから問題・・・・・・ その女性は、まあ、年齢もそこそこ、子供も2人いて、 印象派決して悪くなかった。 容貌もまずまず、 私も内心ほっとして、事務から若干解放されることを喜んだが、 かの、主任さんが何かと事務所に顔を出すようになった。 最初は真面目になったかなと・・・・ 思ったが、私があるときたまたま事務所に顔を出すと、 とたんに何か気まずい雰囲気 そのときは、何かしら変な気分になっただけだったが、 そんなことが何回か続くと、いくら私が 女性関係に疎いといってもだんだんと判ってくる。 何のことはない、一生懸命口説いている・・・・ それも勤務時間中。 それも一介の主任なのに、自分は本部直属で、会社は自分の言うことは 何でも通る・・・・・ この店では実質一番だ。 などと、法螺ばっかり・・・・・ 私としても一言注意をしたかったが、 妬いてるみたいで・・・・二の足を・・・・ 結局そのことはほっといたが、 よく聞いてみると、同じ事をカラオケの女子従業員にも 行ってたみたいで、かなりの女の子を口説きまくっていたらしい。 ただ、事務員の女の子は、ある程度付き合ってたみたいで、 夜中によくドライブなんかにも言ってたみたいだった。 そうなると、今度は私のほうが仕事がやりにくくなってくる。 人事や、台の入れ替えなど、事務所ではなかなか話ができなくなってくる。 下手にそんな話をしようものなら、すぐにカラオケのほうに筒抜け・・ それをまた、自慢げに他のお客に話すものだから、 秘密なんて・・・・・・ ただ、以前、常務を前にかなりきついことを言っていたので、 それ以上かかわりたくなかったのが本音で、 結局、事務所では、秘密な話は全くしなくなった。 それが、今度は絶対内緒にしなくてはならないことができてしまった。 その内緒の話は、 2つ・・・・ 一つはお金にかかわること、 もう一つは、皆さんご存知の、遠隔操作・・・・ 私は腹を決めて、秘密が守れないことを常務に進言・・・ その上でのことになったが、・・・
2008年12月21日
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巷に師走の声を聞き、 ジングルベルが鳴り響き・・・・ 繁華街に行くと、「お願いします。恵まれない・・・・」の声を いやというほど聞かされ、 回りが何かと騒々しくなると、こちらもなぜかしら、 何もなくても忙しい気分にさせられる。 で、ついついブログも書く気になかなかなれない・・・・・ その実、毎日家でゴロゴロ・・・・ なんともはや自分が情けなくなる。 世間の声のとおり、 家の大掃除でもすればいいのに・・・・ と思うだけ、本当に年末押し詰まらなければ、 体が動かない・・・ 反省しきり・・・・・ それで、ブログを覗いてみた。 書く気になった。・・・・・・ 閑話休題 新規の店も建築が終わり、 ラインの工事、コンピュウターの設置も終わり、・・・ 玉いれ、ラインの掃除などなど、 また、今回は日田と違い、従業員も全て新しく採用・・・ ほとんど、自分の好みに合わせて採用なんて・・・ それが許されるからまた楽しい、 ただ一つ、 困ったことが、それは主任だけは本社から連れてくるという。 それはそれでいいのだが、変な人間だと困る。 確かに面接したとはいえ、新規採用の従業員も、当たり外れはあるが・・ 変に経験した人間を主任なんていうことは、 よほどしっかりした人間でなければ、必ず問題になる。 案の常、不安が的中・・・・ それも一番悪い形で・・・・ その人は、他の姉妹店で副主任だったという。 それが主任で着任ということで、いうなれば栄転・・・・・ 本人は副主任から、主任になったということで、少し、有頂天になっていたし。 悪いことに、常務と非常に仲がよかったみたいで、 何かしら、自分の店に来た。 自分が一番偉い・・・・・と勘違いしていたみたいだった。 確かに店長たる私に面と向かっては、猫をかぶっていたが・・・・・ ただ、店の運営上、本当に困った。 やかましく注意すると、常務に、あることないこと告げ口をするし、 それを真に受けて、常務は、疑心暗鬼の目を向けてくるし・・・で 本当にやりづらかった。 最後は癇癪を起こし、本人をそばに置き、常務と喧嘩腰で話し合った。 それは自分で言うのもなんだが、口汚く、それまでのことを全て・・・ 本人がそばにいるから、そのつど、本人に問い詰め・・・ 結局、頭を下げて謝るから、 その場はそれで我慢したが・・・ 常務には、相当頑固者だと・・・ 使いづらいと思われたみたいだった。 その後、その主任はパチンコの現場を外したが、後でもいろいろと問題を 起こした。 それは、パチンコ店が開店して約2ヶ月ほど後に、カラオケの店を出したことに カラオケ店を、同じ敷地内に新築して、営業するに当たって、 私は、店長から部長に、主任はカラオケ専従になったのはよかったのだが、 そこからまたいろいろ・・・
2008年12月19日
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そろそろ、建築が終わり、島工事・・・・・・と いうとき、オーナーが視察にやってきた。 初めは、機嫌よく見て回っていたが、 店の顔というべき、カウンター前に来ると、 何故か、だんだん期限が悪くなって来る。 そのうちに、「店長、設計士を呼んできて」と・・・ その店は、設計士が、総監督として、建築に携わっていた。 呼んでくると、 とたんにオーナーのカミナリ 聞いてみると、カウンターの化粧があまりにも、田舎っぽいと・・・ 何でそうなのか私にはよく判らなかったが・・・・ 設計士はと見ると、オーナーが何を言おうとしているのか 理解に苦しんでいる様子・・・・ 結局、オーナーの希望をこまごまと聞いて、やり直すことに。 オーナーはといえば、自分の意見がすんなり通ったことに納得。 期限も直し、食事に行こうと・・・ オーナーと、オーナーの側近、設計士、私と、ほかに何人かいたが 揃って食事に・・・ 機嫌よく食事が終わって、「じゃ、店長頼むね」その一言で帰って行った ただ帰り際に、接待のことに話を少ししていったが、 そのときはもう常務に任せていたし、私も特に何もいうことはなかった。 そうそうAMマークのことを聞かれていたが、 昔は台の入れ替えの時、全て警察の、検査があった。(今でもあるのだが) それを何のためか、台の検査を自主検査に任せ、検査の印に、AMマークという 切手みたいな検査証を台に貼り付ける。 これが1枚いくらなんて馬鹿みたいな・・・・・ これをおおむね組合の事務所で売っているわけだが・・・ 組合に入らないとこのマークが簡単に貼れない。 警察の検査が終わって初めて貼る。・・・・ ただ、組合の自主検査と言っても組合の人間が来るわけでなし・・ 店が勝手に貼っているだけのこと。 また、AMマークがあれば警察の検査は特にそのつどしなくてもいいし、 それほど厳格にする必要もないはずなのだが、(建前としては、組合の検査は 終わっているはずだから)警察の担当者によっては(ほとんど) 昔と変わらず、厳格に検査をしている。 何のことはない、AMマークの事業そのものが、警察官僚の退職後の 仕事というのがとおりがいい。 そうこうしている間にも建築はほとんど終わり内部の島工事、ライン工事に 移ってきた。 その後はまた・・・
2008年12月14日
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久留米医大へ2ヶ月ほど通っただろうか・・・・ 最後は月に1度くらいでいいということになったが・・・ そうなると、自分では健康そのもの、(医師に言わせると?だが) 体をもてあまし、職場が恋しくなる。 で、次の仕事もすぐに見つかり、 職場に・・・・ なんと、新規の開店。 開店に伴っていろんな仕事が次から次へ・・・ 余禄も大分あったが・・・・・ 一番よかったのが、飲料機器の据付。 契約時には、契約金のほかに何パーセントか、現場責任者に入ってきた。 当然オーナーには報告、しかしオーナーも懐に入っているので、 「もらっとけ」の一言 給料以外にまとまった金が入った。 また、景品の卸し屋もまた、それと同額かそれ以上の金額が・・・・ 新規の店には、店長にとって以外にも余禄があった。 合計すると、給料の3~4か月分は合ったのではなかろうか。 パチンコ屋の釘師といえば、給料は一般の会社に比べてかなり高い。 いうなれば、大手の課長級、中小企業の社長ほどはあっただろうか。 それの何か月分だから、笑いが止まらない。 知人に高級車を購入した人もいるくらい・・・・ ただ新規の開店は、思った以上にいろんな仕事がある。 建築申請は通っていたが、現場監督との折衝、 建築現場の、監督、(建築そのものの監督ではない) 手抜きをしないか、また雑な工事をしてないか、 また、材料は設計図どおりか・・・ などなど、素人ながら、結構気を使う。 それがまた、建築途中の検査、建築が終わってからの検査、 消防検査、警察の検査などなど、検査もかなりこなさなければならない。 ただ、この頃の検査は、当事者が建築関係者だから、こちらとしては ただ立ち会うだけだから、気は楽だったが・・・・ やっと工事が終わる頃、今度は地区の遊技組合に加入手続き。 相手もパチンコのオーナー、 開店すれば即商売敵・・・・・ あまり、気安く受け付けてくれない。 それでも加入金を入金して、やっと加入。 加入してなければ、何かと不便。 当然、組合長ともなれば警察当局との信仰も深いわけだし、 加入しなければ何の嫌がらせを・・・・ 当然AMマークの購入も直接しなければならないし、 開店時の警察の検査も通常よりかなり厳しいものになる。 それで、加入手続きに、何回か組合に通う。 そこの組合は、大きな組合だった。 組合事務所も、組合独自のビル(2階建てだったと思う)をもっていたし、 組合自身の事務員も置いていた。 私の記憶している中ではそこが唯一だったと思う。 他の地区の組合は組合長(支部長)の店の事務所が組合事務所、 店の事務員が組合の事務員を兼任なんてところが多かった。 さすがにそこの組合長は(支部長は)県連の役員もかねていたし、 次は全国の遊技組合の役員になんて人だったから、見えもあったのか・・・ でも、さすがにライバル店の進出となるとかなりナーバスになるのも 判る気がするが、顔を合わせると、開店日時を知りたがるし、 どんな台を入れるのか気に掛かる様子で、 私に探りを入れてくる。 さすがに本当のことは言えず口を濁すが・・・・・ やはり行くのがうっとうしかった。 それと、警察の検査。 警察関係は確か3回ほどあったと思ったが、最初は淡々と終わった。 が、以前書いたことがあるせこい警察官よりひどい人が担当だった。 前の店では自分で打つコインをせびるだけだったが・・・・ 1回目の検査のとき、その担当者とは、なぜかしら和気あいあいと・・ 話が弾んだ。特に指摘されることもなく、それこそ淡々と、 その後がまずかった。 何かと電話が掛かってくる。 用事は些細なこと。 それからが本題。 「支配人今晩暇」 最初は気にもせず暇だと答える。 当然建築は昼間しかしないし、私の仕事はまだないも同然だから・・・・ すると、親睦のために飲みに行こう・・・・・・と まぁ、警察と付き合うのは悪くない。 そこで、お付き合い。 当然勘定はこちら持ち・・・ 最初は、こちらも当然警察に払わせるつもりはない。 それなりの用意もして行った。 その日も和気あいあいと・・・・ 帰って、接待が(そのつもりだった)無事済んだ。・・・・・ 事でほっと。 何日かするとまた電話・・・・ 飲みのお誘い・・・・ 2~3回はこちらも仕方ないし、何かあったら困るので 付き合う。そのつど経費は当方持ち・・・・ けど、3回が4回、5回、6回になるとこちらもいい加減頭に 最後は、従業員に、「店長はいません」とうそをつけせる始末・・・ そこらの赤提灯で飲むというわけにも行かず、 結構高いところばかり連れ歩かされたものでした。 オーナーからは少し経費を節約・・・・なんていわれるし・・ 私もたまたま、常務がいるとき電話が掛かったので これ幸いと常務に押し付けた。 すると今度は常務に電話するようになって、 常務が悲鳴を上げていた。 そうこうするうち建築も、順調に終わりが近づき、 最後にオーナーの視察と・・・・・・ それがまた・・・・
2008年12月03日
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久留米医大で診察し、女医さんに散々怒られて、・・・ だが、不思議なことに点滴を受けてからは、 以前の元気な体に(自分が思うだけ)なって 入院ができなかったことを幸いに、 病院からの帰りに、寄ってしまったところがパチンコ屋・・・・ 家にも帰らず、病院に直接行ったのに、 家族に、病状も知らせず、 寄ってしまった。 最初は、30分も遊べば帰ろうと・・・・・・・ ところが、神様はいたずら好き・・・・・・ こんなときに限って、確変、確変、また確変、・・・・・ ドル箱に何杯たまっただろうか、 帰るに、帰られず、 いつしか、病気のことも、家之子とも忘れ、 パチンコ三昧・・・・ 結局、7~8万勝っただろうか・・ はっと気がついたときには、もう夜の8時・・・・・・ 携帯電話の電源は病院に行った時切っていたので、 家からの電話もつながらない・・・・ 家族は心配して、何回も電話したらしいが、当然つながらない。 どれだけ心配したか・・・・・ 慌てて家にタクシーで帰った。 家では、事故でもあったのではないかと心配して、 警察に電話しようかと迷っていたらしい・・・・ そこに私が何のこともなく・・・当然体もピンピンして・・ 帰ってきたのだからたまらない。 一編に怒り爆発・・・・ 私はというと、やましさがあるので何の言い訳もできず、 怒りが収まるのをまっているだけ・・・・ この日は本当に地獄から、天国、また地獄・・・・ やっと収まったのは、夜も更けて、11時ごろだったか・・ それからやっと夕食にありつけたが、 病院に電話して聞いていたのだろう。 晩酌はなし、ご飯少々、こんにゃくに海草サラダ・・・ 今までの食事と全く異なって、味気もそっぽもない・・・・ これが毎日続くかと思うと、 グルメの私にとっては、これからがまた地獄・・・・ 翌日から病院通い、 病院に行って、治療をするわけでなし、 私の顔を見て、少し小言をいい、 それでおしまい・・・・・ 治療そのものより、食生活の改善・・・・・ それだけを何回も何回も・・・・・ 私はというと体がやせた分、体が軽くなって、 以前より元気一杯・・・・・ パチンコ屋、飲み屋の誘惑に耐えるのが・・・・・・・ そうこうして2ヶ月ほど経っただろうか、 病院も1ヶ月に一度くらいまでになったし、 何もすることはないので、 仕事をしていたほうが楽・・・・・・なんて気になって また職探し 幸いにも今度もすぐ仕事は見つかった。 これがまた、新規オープンの店。 改装オープンには、釘師になりたての頃、日田で経験したが 今回は新築・・・・ それも、全く最初からやらねばならない・・・・・ ただ、建築確認は降りて、工事には掛かっていたが、 それでも、建物検査、消防検査、警察当局との折衝、 遊戯組合との折衝、台の選定、いやその前に、ラインの選定 ラインといえば、玉の補給から、コンピューター等 また、それが終わると、建築やさんとの折衝、飲み物の自販機の折衝 などなど・・・・・目の回る忙しさ、 自販機の折衝は、かなり余禄もあった。 自販機はどのようにして契約するか知らない人も多いだろうが、 これが、店にとっても、現場の責任者にとっても大変おいしい、 1社と、契約するだけで、設置料が入る、・・・ それもかなりな額が・・・・ 現場の責任者にもそれなりの、 ただ、勝手に懐に入れると、信用がなくなるので、 オーナーにお伺いを立てるのだが、 大概が、そのまま自分のものになる。 それが数社になると、数倍・・・・・・ 新規の回転の話はまた
2008年11月30日
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こんな体験は願い下げ・・・・ なんていっても、こればかりは・・・ 自分の不摂生が招いたことだから・・・ 止めることが決まり、後は次の店長が来て、引継ぎが終われば・・・ なんて考えていた矢先、 体が、ものすごい倦怠感に襲われて・・・ もう、だるくて、だるくて・・・ おまけに夜なかなか寝られない。 挙句の果ては、喉が渇く、乾く・・・・ コーラのボトルを放されなかった。 後で考えると、コーラなんて持ってのほかだったが・・・ しばらくは、後少しだからと頑張ってみてはいたが・・・ 夜、のどの渇きに目が覚めると、 舌はひび割れ、のどはからから・・・ おまけに、約10日ほどで、体重が15キロ、ウエストが約15センチも 落ちてしまった。 おかげではくズボンがなくなってしまい、 買いに行く気力さえなかった。 けれど、釘をさわれる人間は私しかおらず、 必死で毎日頑張っていたが、 10日ほど経ったある日、 もうどうしようもなくなって、 タクシーで、市内の総合病院へ・・・ 離島から、市内まで、結構時間が掛かったし、 ついたときはもうへとへと。 早速、先生に、病状を話、 血液検査・・・・ なんと、なんと、血糖値が600を越えていた。 お医者からは、「自殺でもするつもりか」なんて 怒られてしまったが、今までが健康そのもの、 病気なんて思ったことがなかった。 即入院・・・・なんて・・・・ しかし、勤務地で入院するのはどうも気が重かったし 久留米で入院することにして紹介状を書いてもらった。 その足で、本部に行き 診断書を提示して、 早くなったけど止める旨、お願いして、 すぐ、寮のほうへ、 引越しの準備はできていたけど、掃除が大変 主任に頼んでその足で駅へ 久留米までの、時間が長かったこと、長かったこと。 久留米に着いたときは、もうダウン寸前・・・・ タクシーで久留米医大へ すぐにまた、血液検査・・・・ 血糖値がまた500オーバー・・・ 担当の女医さんによく帰って来れたね・・・・ なんていわれて、情けないやら、きついやら・・・・ すぐに、点滴を・・・ 入院のつもりだったが、部屋が空いてなかった。 そこで、栄養指導やら、病気の怖さやら、 長々と聞かされ、 毎日通院することに・・・・ けど、ここからが不思議。 点滴を終わったら、体が普通に戻った。 元気な時となんら変わりはない・・・・ あんなにきつい思いをして、帰ってきたのに、 前の病院で点滴をしてくれていたら・・・・ なんて考えると・・・・・・頭に 糖尿病なんて、私には全く縁がないものと思っていたし、 当然、それに対しての、知識もなかった。 常識範囲では判っていたが、全て他人のことと・・・・ 本当に自分に降りかかるとは思ってみなかった。 本当に初体験・・・・・・ これには続きが・・・・・・ 帰って家族から目一杯怒られた。 訳はまた
2008年11月28日
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このごろ、何かしら忙しい・・・・ 世の中、師走の声がそこまで迫ると、 気も何かしら、せいて、(何もないのに) 気ばかりあせって、何も手につかない。 楽天さんのブログのメンテナンスにぶつかって、 日記を書いていたのが、載せられなかったのをきっかけに 何日かブログを休む羽目に・・・・・ でも、書かねばならないと思って書いても、 いい思いは浮かばないし、筆も進まない・・・・ まぁ、気長に書いていこう。 それはさておき、 前回の話の続きだが、 結局田舎は、私にとってなかなか住みにくい。 今度の離島は特に住みにくかった。 最初はそうでもなかったが、 例の日本刀事件以後、 私の株は上がるし、店の成績も右肩上がり・・・ しかし、それだけになお、やりにくくなってしまった。 生活そのものは、近所の皆さんに優しくされ、 何かと気に掛けていただいて、 遊びには不自由したが、生活そのものはこれ以上ない。 快適な生活だったが、それだけになおさらやりにくかった。 不思議に思うだろうが、小さな田舎町。 来る客、来る客が、全て、常連さん。 その常連さんが毎日負けていくのだから・・・・ 少しはもって帰れといいたくなるが、 そういうわけにも行かず、 その点、前の離島は、宇宙開発事業団という、一見のお客さんもいて 若干やりやすかったが、 今度の離島は、お客がすれてないだけまだ、心が痛んだ。 私が来る以前は、結構船で、八代や、水俣、阿久根、出水、 果ては熊本までパチンコをしに行く人もいたらしいが・・・ 例の組合長が盛んに私や、店の元を誉めるものだから、 当然店は繁盛・・・・・ が、私みたいに、商売に徹しきれない人間は、 顔見知りが多くなれば、なるほど、 商売がやりにくくなる。 第一私は同じ地区にいるのは長くて3年と思っていたのですが、 こんなに、顔見知りが多くなるとやりづらくて、 早めに止めようと思い、1年経った頃、 本部に、止めると・・・・・申し出た。 本部としては、私の評判はいいし、店も以前と比べると、 かなりな成績を収めているので、 慰留したかったのだろうが・・・・・・ 私としては、成績がいいだけに、 同僚や、ライバル店の中傷が怖かった。 案の定、事務所に変な電話が・・・・ それはとるに足らぬものだったが、 これからも起こりうるし、また内容も過激なものになってくる そう思っていた。 それで、慰留を断り、いい区切りで止めさせてもらうことを 約束して、 毎日落とさぬよう仕事をしていた矢先、 予期せぬことが、 人生ではじめての初体験・・・・ こんな体験は・・・・ 次回
2008年11月26日
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幸か不幸か、日本刀事件以降、 店の評判は、下がることはなく、私の株も 変な感じで上がったり・・・・・ が、少し困ったことがおきた。 それは、例の組合長さんが、事あるごとに、 魚を持ってくること。 その当時、店のすぐ隣の部屋に住んで、自炊をしていたので 助かったこともあるが、 なにせ、もって来る魚が、あまり物ではないよな・・・ 立派な魚、店に卸しても、恥ずかしくないような、品物である。 断ってはいたが、あまり頑固に断ると、 また考え物だし・・・ 最後はあきらめてもらっていた。 幸いにも組合長自身はパチンコをしない人だったから、 その面では助かった。 パチンコをする人から品物をもらって、 もし勝ってしまったら、変な評判が立ってしまう。 極力そんな付き合いはしないようにしていたが・・・ 組合長だけは、別と考えることに・・・・ おかげで、魚だけは毎日贅沢なほど食べられた。 まぁ、組合長と付き合ってるおかげで、割と 店の営業も順調に行ったことは確かですが、 私自身としては、 あまり長いはするところではなくなったことは確か。 パチンコ店の店長などというものは、同じ店に長くいても2~3年 それ以上いると、常連客に変な意味で、感情移入してしまう。 お客の懐具合がわかってしまうと、なかなか締めづらい・・・・ そこまではいいとしても、 変なうわさが出ても困るし・・・ 中には、気安く言葉を掛けてくるお客もいるし、それに対して つっけんどんに応対するのも商売柄・・・・・ あまり親しく話すと、今度はそのお客が勝ったとき変な噂が・・・ また、オーナーもよく知っていて、2~3年以上いると、どんなに 腕がよくても、転勤、解雇を考え出すものです。 だから、こっちから、2年以上になると、止めることを切り出す。 都合もあるだろうから、前もって話をしておくと、 後が、いろんな意味で都合をつけてくれる。 退職金も若干いいし、(餞別程度の退職金)後の仕事も紹介してくれたり、 また、次の店に面接に行っても、いいように話を通してくれたり・・・ 逆に、なかなか止めないと、オーナーの心象も悪くしてしまい、 いいことも、悪く取られたり、 最後は喧嘩して辞めるなんてことも、・・・・・ 仲間の釘師なんかそれで失敗している人も多かった。 オーナーといえば、 日本人のオーナーは私が知っている限りでは、 全体の、1割弱もいただろうか。 ほとんどが、朝鮮系の人が多かった。 彼らを何故か悪く言う人も多いし、なんか変な目で見る人も 多いいが、付き合ってみると、本当に人情があって、 いい人が多い。 ただ、困ったことが、一つ。 今はよく判らないが、当時、北の関係か、南の関係かで それが判るまでは、下手なことはいえなかったこと・・・・・・ 南だと思い、北を悪く言ったり、北だと思って、南を悪く行ったりなんて とんでもない。 しいて挙げれば、南の関係の人のほうが、それに対しては淡白だったかな。 私個人としては、オーナー個人と付き合っていることだし、 北だろうが、南だろうが関係ない。 しかし、いろんな意味で、お世話になった。 私の考えだが 日本人のオーナーとは、仕事の上の付き合いはあまりしたくなかった。 話もわかるし、結構地方の有力者が多いから、損はないように思えるが、 パチンコの営業となると話は別。 オーナーとしては日本人のオーナーより彼らのほうが数段上だし 情報収集もかなりなものが、 仕事をする上では、彼らのほうがやりやすかったし、 個人的にも、信用してくれたら、とことん面倒見てくれる人の 方が多かった気がする。
2008年11月20日
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誰もけがはしていない、・・・・ あえて言えば、私が殴りすぎてこぶしを痛めた。 本人が、殴られて、顔を腫らした。 病院にいったが、特に私も、本人も特に問題なし・・・・ このような状況でも、模造刀とはいえ、 刀を持ち出した。当然刃引きがしてあるし、 切れるという代物ではない。・・・・・・ ただ、それは後でわかったことだが、 法律がどういうふうになっているのか知りませんが、 銃刀法違反になるのかならないのか・・・・・ ただ問題を起こし、ドアを破損させたことは確かであるが・ あまりにも長い取調べであった。 朝から夜遅くまでかかった。 翌日、疲れからか、ぼぉーとした頭で店に出て行くと、 かなり早くからお客さんが待っている。 私は、まだ釘調整をしていなかったが、 やむを得ず、会って話を・・・ すると、その町の漁協の組合長だとか・・・・ 組合長が何の用事かと・・・ 聞いてみると、例の一件。 本人は反省しているし、親も破損箇所の修理、その他面倒を見る。 また、本人は、年はそこそこだが、精神的にまだ、成長してない。 今で言う、精神障害者であると・・・・ そこで、何もなかったことにはできないだろうが、 減刑を嘆願して欲しい。 当然中に警察が入っていることだし、 どのようなことをすればいいのかわからない。 ただの暴力事犯であれば、告訴を取り下げればいいのかもしれないが、 で、こちらも問題にする必要もないし、あまり突っ張って田舎の お客さんにそっぽを向かれても困る。 ここは一番大きなところを見せて、 組合長に、任せることに、 すぐに、何かしら、文書をもってきた。 署名、捺印してくれと・・・ ただ、私のほうはかまわないが、一応オーナーを無視するわけにも いかず、おーなーに相談するというと、 オーナーとはもう話はついていると・・・・・・・・ 聞いてみるとオーナーとは旧知の仲で、店を出すときも かなり世話に成っている人だとか・・・・ それで、署名、捺印。 一緒に警察に行き、課長に話を通した。 すると、ここでももう話はついていたみたいで、 ようは、私が「うん」と言えば、すぐ片付く・・・・・・ 田舎の知名氏の影響力の大きさをいまさらながら 思い知ったが、 これが店のほうにもいいほうに向き、 いろんな事もあったが、お客さんも増え、 また、あそこの店長は話がわかる。と・・・・・ といいほうに向いてきた。本人はというと、 それからまもなく、店に親と一緒に謝りに来た。 すぐ開放されたものだと・・・・・・ 思いながら、話をしてみると、 何のことはない。気さくで、真面目な青年であった。 ただ、若干話が、合わないことも多かったが・・・ 本当に、日頃、やさしく、真面目な人間ほど、 怒らせたら怖い。 これだけは、胆に命じておこう・・・・・・・ ただ、今以上に従業員の教育は考えさせられた。
2008年11月19日
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店にとっては本当に些細なこと・・・ ただお客にとっては、 特に負けてるお客にとっては大事なことかも・・・・・ 発端は、フィーバーが掛かって、玉の補給が切れ、 打てなくなって、フィーバーが途中で終了したと・・・ 補給が切れたのは、当然店の責任 ただ、全て保障すると、中にはうそを言う人もある。 それで、従業員には相手をよく確かめて、 真偽をよく把握して保障するように・・・ と教育していたが、 原則として、そのフィーバーを現認した場合のみ保障。となっていた。 これは私が知ってる限り、どこでも同じだと思うが・・・・ それで、従業員がその旨説明、 聞き入れなかったので、主任に交代 主任もまた、丁寧に説明したらしいが、 若干、相手を馬鹿にしたようにとられたらしい。 それで、納得したのかしないのか黙っていなくなったらしい。 主任は、帰ったものと思い、帰ったのだから納得した。と 思って、通常の仕事に戻ったらしいが、 しばらくして、 その若い男の子が、なんか長いものを持って入り口から入ってきた。 そして主任を見かけるや否や、長いもので打ってきたらしい。 初めは棒切れだと思っていたらしいが、そのうち鞘を抜き、 初めて日本刀だと・・・・・ 気がついたときは、もう真っ青・・・(他の従業員の話) それでも、必死になって応戦したらしいからたいしたものだと・・・・ そのうち、主任も素手では・・・・と思ったのか、 ホールにあったこぼれ玉拾いようの磁石を手にしたらしい。 それを見て相手も逆上、 刀を水平に持って突きかかって来た。 そこに事務所のドアがあって、ドアに突き刺さった・・・・ そこを見て他の従業員、周りのお客さんが取り囲んだ・・・ そこに私が来て殴りかかった。 それが顛末・・・・・・・・・。 後で、考えると、私は少し(多少多めだったか)殴るのが過ぎたか・・・ また、主任がよく鉄棒の磁石で殴らなかった。 下手に殴っていたら、けがではすまなかったかも・・・・ 考えるとぞぉ~ まず、こちらのけがよりそのことが気に掛かった。 まぁ、私が、こぶしをいため、主任が制服を破り、 相手が、顔を腫れ上がらせたそれぐらいで済んで、 不幸中の幸い。 ただ、その後がっまた面倒、 警察へ行き事情聴取・・・ これがまたまたえらく掛かった。 いやになるほど。 ただ、取調べの警察官が、よくできた人で、 なんとか穏便にと、思う心が手に取るように判って、 反対に、何故かほっと・・・・・ 顛末は次回・・・
2008年11月18日
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2軒見ているもう一方の店から帰って 一服していると何故かホールが騒がしい。 当時私は店、2軒任されてました。 サブの店は閉店を待っていて、釘調整し、 その後メインの店に帰って、その店の釘調整・・・ スロットのモーニングは、主任に任せていたので、 スロットの設定と、釘調整だけ・・・ ただ、台が少ない分、かえってさわる台が多くなって、 大きな店と作業時間はあまり変わりありませんでしたが・・・ ただその日は、前夜用事があって、 サブの店の釘調整をしてなかったので、 早起きして釘調整に行き、 帰って一服・・・・・その時でした。 一瞬何のことやら判りませんでしたし、 何でそんな物があるのかなんて・・・・ 何はともあれ、裏口から、ホールへ・・・・ するとカウンターの横で 主任と、お客が喧嘩・・・ 回りはほかのお客さんが取り囲んで、 わいわいがやがや・・・・ 若い男のほうを見ると事務所のドアに足を掛け 何かしら抜こうとしているみたいでしたし、 主任と、他のお客さんが必死で止めようとしている。 何を・・・・・・・・ はっと気がつくとそれは日本刀・・・・・ そのとたん、我を忘れ、 その若いお客の顔をこぶしで・・・・・ 何回殴っただろうか、覚えてない、 とにかく必死だったことは・・・・・・・覚えている。 すると、今度は他のお客や、従業員が私を羽交い絞め、・・・・ 結局刀は取り上げ、事務所に軟禁・・・ 即駐在さんを呼んだ。 初老の人のよさそうな駐在さんが慌てて駆けつけたが、 そのときは、主任も、私も、その若いお客も落ち着いて・・・ 若い男なんかは、真っ青な顔をして・・・ 唇が震えている。 しかも口に出す言葉が、「すみません。すみません。」だけ 自分が何をしたか、しでかしたかやっとわかったみたい・・・ 反対に、私は少し殴りすぎた・・・・・反省、反省また反省 主任はというと何でこうなったか、よくわかっていない。 何が原因・・・ それは、やっと夕方従業員を全員集めて、 聞き取り判った。 が、結局その日は営業できず、警察の現場検証、尋問等で・・・ 次の日も、主任、私、騒ぎの当事者の従業員と・・・ 4人ほど警察へ・・・ 残った人間も忙しくてかわいそうであったがやむを得ない。 結局騒ぎの発端は些細なこと・・・ そしてそれを勘違いした若い客が日本刀を持ち出した。 そんなところであった。 しかし、つくづく、若い人は何があるかわからない・・・ 極端なところ、組関係の人間のほうが怖いけど、 そんな騒ぎには決してならない。 特に幹部クラスの人ほど、怖いけど、 話が、判る。 若い人ほど、頭にくれば何をしでかすやら・・・・ 後でわかったことだが、 少し発育不全なところがあったらしい・・・・ 詳しい発端と、事後のことはまたの機会に 以前書いたことがあるので知ってる人もいると思うが・・・・
2008年11月15日
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半年休養して、 現場が恋しくなって、 紹介された店がまたなんとまた離島・・・・ しかし、今度の店は九州と橋でつなっがていたので 離島という感じはしませんでしたが・・・ その代わり、田舎という感じでした。 ただ、スーパーもあるし、銀行もあるし、 生活そのものには何も不便を感じませんでした。 以前の離島と違い、生活物資も橋を経由して入ってくるので、 遅くなったりすることもないし、・・・・ ただ、遊ぶところは全くありませんでした。 遊ぶときは、 栗まで、九州まででて、遊ぶ、 ただ、飲むのは、 帰りが遠くやはり億劫に・・・・ お客に聞いてみると、車では、 飲酒運転に掛かるので、 船でのみに行くとの事 車でやはり1時間以上かかるところ 船では、30分もあれば着く。・・・・・なんて また、八代などにいく場合も車では、3~4時間掛かるのに 船では1時間少々・・・ だから、漁師の人は、買い物や、飲みに行くときも 船、帰りに少々酒を飲んでも、飲酒運転で捕まることもない なんて、少々うらやましかったり、あきれたり、 私も一回のみに連れて行ってもらったことがありましたが、 帰りはやはり不安。 変なところに行くんじゃないか・・・・・なんて、 ちょっと方向を間違えただけで、鹿児島が長崎になったりして・・・ まぁ、毎日は普通のパチンコ屋さんとも変わらず、平々凡々。 私も離島の釘師経験もあったし、 特に何の不安もありませんでしたが、 前と違うところは、 やはり、船で1時間も行くと、九州の本土に大きなパチンコ屋さんが あると言うこと。 そこは少々気を使いました。 また、困ったことが一つ、 田舎の人は、なんかしら世話を焼きたがる。 朝起きてみると、野菜を持ってきたり、 魚を持ってきたり、 下心はないにしても、 こちらは変なところで気を使うようになる。 ところがある日田舎では珍しいことが・・・ 私は2軒のパチンコ屋さんを管理していたのですが、 朝、1軒のパチンコ屋さんからかえって 事務所で一服・・・ すると表がなんか騒がしい・・・ なんかあったかな?と・・ ホールに出ようとして立ち上がり、 事務所を出ようと、ドアのほうへ・・・・ するとドアが大きな音を・・・・・ 見ると南下変なものがドアから出ている。 というより、ドアから生えている・・・・ そんな感じでした。 私は何が起こったのか一瞬わかりませんでしたが・・・ よく見ると、それはなんか冷たく光ってる。 それがなんか判ったときは本当にびっくり・・・
2008年11月14日
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本当にこの間の2年間は、 大変なものでした。 帰宅するのが昼前。 それから、風呂に入って、 やっと寝るのが昼過ぎ・・・・・ おきるのが、午後8時頃・・・ テレビを見ながら夕食、 夕食が済む頃になると、もう迎えのタクシーが・・・ それに乗って、家から一番遠い店まで・・・ その店で、閉店を待ち、閉店後すぐにデーターを収集(全店舗の) すぐにその店の釘調整。 釘調整が終わる頃、各店舗のデーターが机の上に・・ それを見ながら、 各店舗の主任にスロットのモーニング指示。 当時はまだ、モーニングを入れるのに、台毎にまわしていましたので これがかなり時間が掛かる。 それまで私がしていると全店舗回る時間がなくなるので、 各店舗の、店長、主任にスロットのモーニングだけは、 入れさせていた。 それが終わるとすぐタクシーで次の店に・・・・ 都合6店舗回り終える頃には明るくなっている。 で、最後の店の開店状況を見て、家に帰るのですが、 毎日、毎日それだけではなく、 たまにはオーナーから呼び出しも掛かるし 本部事務所にも顔を出さなければなりません。 我ながらよく続いたものだと今でも思っています。 が、やはりそんなに無理は続くものではないし・・・ やはり休養が・・・ それで、2年くらい経ったころ、オーナーに直訴 各店舗にやはり釘師を置くように頼み、 やっと開放された。 でも、全て投げ出すわけにも行かず、 それぞれの支配人が(釘師)落ち着くまでは 毎日、2~3店舗づつ見て回る・・・・ やはり大変な毎日でした。 やっと、各店舗が落ち着き、 私も、やっと暇をもらい、 半年ほどぶらぶら・・・・ そのときは、半年が1年でも何もしなくても 遊んで暮らせるほど、お金はありましたが・・・ 半年もすると、今度は現場が恋しくなってくる。 不思議なものです。 それで、またまた、友達の機械屋さんに頼んで 店を紹介してもらいましたが、 事も在ろうにそこも離島・・・・・・・ ただ、以前とは違い、 離島と言っても、 今では本土から、橋でつながっていたので・・ 前ほどの離島・・・とは感じが違いましたが・・・・ そこでも何やかやいろんな事が・・・ 日本刀で事務所に殴りこまれたり・・・ そこはまた次に
2008年11月13日
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さて、そこの店でいろんな事がありましたが、 経営状態はまあまあ・・・・ 私もある意味、店長生活を満喫していましたが、 ある日、電話が、・・・ 出てみるとオーナーから 聞いてみると、駐車場の一角を鯉の釣堀にするとか・・・ パチンコ屋と釣堀。・・・・・・ なんか全然畑違いの・・・ とは思いましたが、駐車場も広いし特に困ることもないので、 返事だけはしておきました。 すると翌日から工事・・・ 工事車両の出入りとかで交通整理に人員を裂かれ 頭の痛くなること・・・・ と、ある日オーナーが泊り込みでやってきました。 よほど、工事が気に掛かる様子・・・・ それまではよかったのですが、 オーナーと、それまではあまり話をしたことがなかったので この間は若干息が詰まりましたが・・・ どういう訳かオーナーに気にいられ、 いろんな意味でいいように使われましたが・・・ そのうち姉妹店の店長が辞めることになって、 店長不在・・・・ そこで店長兼任となってしまいました。 オーナーとしては私が一番話しやすかったのかも・・・ それでもまだ、よかったのですが・・・ ある日、 「今後は店長は自分の店で育てる。外部からは入れない」なんて・・・ で、当分の間は釘を叩かない店長を・・・・ 当然人件費の面から言えば、そのほうが安上がり・・・ しかし誰か釘は叩かなくては・・・・ それで私は店長を首・・・・・ 名ばかりとはいえ部長に格上げ、 仕事は毎日、釘だけを調整する。 初めは2店舗だけでしたが、最後には6店舗の釘を調整しなければなりませんでした。 1店舗に着き1時間でも、合計6時間・・・・ それを閉店から翌日の開店前まで全店回らなければ なりません。それも同じ地区にある訳ではなし 姉妹店から姉妹店の間の距離は相当なもの。 回るだけでも4時間くらい掛かったと思います。 それで自分で車の運転は危ないので、 タクシー借り上げ・・・ タクシー料金だけでも付きに4~50万掛かったと記憶しています。 私の給料は台あたり1500円くらいだったと思います。 それでも1店舗最低300台、6店舗あわせれば、 結構な金額になりました。 当時回り釘師が台あたり 3000円くらいだったと思いますが それでも体の心配をよそに毎日徹夜・・・・ 笑い話ですが(漫才だったか) ご飯も食べずにパン食べて、 夜も寝ないで昼間寝て・・・・ こんな毎日を過ごしていました。 たまには息抜きなんてできません。 酒は飲む暇なんてありませんし・・・ 大体酒を飲む時間は仕事ですから・・・・ 朝から寝酒はいいとして、きれいどころのいる所なんて開いてませんし 酒はともかく、 昼間遊びに行くなんて事は夜のことを考えると・・・・ 私もよく続いた・・・・・なんて思っています。 これこそわが人生で最高の高給で、また最高の仕事量 だったと・・・・・
2008年11月11日
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世の中には、本当にせこい人が 仕事もしないで、 毎日、・・・・・ 「店長、いる?」なんて声を掛けてくるから・・・ 最初は何で来たのか、様子でも見に来たかな?と 思っているとただの世間話・・・ 仕方なく相槌を打っていると、最後に 「店長少しコインを分けて」 堂々と・・・・ 少しぐらいならと、紙コップに分けてやった。 金額にして約3000円分くらいあっただろうか・・・・ それでスロットの島に・・・ 見ているとすぐに掛かってしまった。 結局その日はかなり勝って帰った。 するとまた翌日も・・・ また翌日も ありがたいことに、そのコインで掛からなければ帰っていくから・・・ けれど、元でも全然掛けずに掛かったら、丸儲け・・・・ 最初は、変なやーさんが来なくなるからいいやなんて・・・ ところが、変なやーさんより始末が悪い。 考えてみれば、今の社保庁の職員と同じ・・・ 自分の金でなければ、負けても関係ない。 挙句、負けたら、「出る台を教えてよ」と、来た。 警察官がこんな調子だから、たのお客も言いたい放題 「少しは甘くしてよ」 「少しは出せよ」 本当にいい加減頭に来た。 署長に電話してやろうか・・・・・ なんて思ったりしたが、後が怖いので・・・・・ しかしよくしたもので、 お客の誰がが、署に電話してばれてしまった。 おかげで、こちらも、防犯課長からお小言を頂戴する始末・・・・ 情けなくなってしまいました。 公務員もいろいろ裏の話がありますが、 ま、こんな話はかわいい物かもしれません。 まだまだせこい人が・・・・・・
2008年11月09日
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台風19号がさって、改めて被害の大きさに・・・・絶句 久留米のあるパチンコ屋さんなんて、停電で何日も営業できなかった。 また、家から久留米市外に行く道なんか、 電気の線は垂れ下がり、危険この上ない。 で、私もあきらめて、一日不貞寝。 次の日カのパチンコ店に意気揚々と・・・・ 実際にその台風の来る前までは、少しづつとはいえ、 生活費を稼ぎ、その上若干の小遣いも増えて、 またまた今日から稼ごう・・・・・なんて。 甘かった。 台風が来る前と、来た後ではなんか違う。 その日一日でかなりの負け。 次の日も、またその次の日も・・・・ なんかほかの店に行ってるような感じ。 とうとうあきらめたときは、稼いだ小遣いは、きれいに そこをついていた。 河岸を変えてもだめ、 なんか台風が私のつきを全部持って行ったような・・・・ 結局パチンコはそこで止めて、 また新しく職探し。 幸いにも、次の仕事はすぐ見つかった。 が、これが、地獄の始まり。 ま、ある意味では、人生最大の稼ぎ時だったかも・・・・ 早速、オーナーに挨拶、 任せられた店に、 初めは何のことはなく、店も順調・・・ 順調すぎて怖いくらいだった。 ただ、一つ困ったことが、 以前書いたと思うが、そこの店に変な常連さんが・・・・ 初めは、おとなしいお客さんだ、と思ってみていたが、 次の台の入れ替えのとき、 その人が来た。 店は休みだし、警察の検査ももうすぐというところに、 そのお客さん。 堂々と、休みの店に入ってくる。・・・・・・・ 慌てて「お客さん今日は休みです。今から台の検査で警察の方が来ますので ごめんなさい、」と追い出しに・・・・と、 そのお客「いい。いい。私がその警察」と・・・ 私は唖然とするやら、あきれるやら。 警察官が、ウイークデイの昼日中からパチンコをするなんて。 思っても見なかったので。・・・・ そこは、すぐ打ち解けて、検査も終わり。世間話。 すると、かのお客さん(警察官)勝手にカウンターに入り タバコを2つ、3つ・・・ 別に1カートン用意はしてたのですが、 堂々としていたので、・・・・ 気がついていたにしても文句は言えなかったが・・・・ その、お客さん、 私と面識ができたのを幸い、 次から大変だった。 昼間、事務所にいると、裏口からノック。 「こんにちは、店長います?」 それが毎日・・・・ 何のために事務所に来ていたかというと・・・・・
2008年11月06日
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やっと、離島の店を建て直し、 オーナーに挨拶に・・・・ 以前の店に帰りますので、・・・・と すると、なんか変な・・・・ 何はともあれ一応約束の期限だし、 次の店長候補も、育てたつもりだし、 私が、やめなければ、その人が店長になれず、 機体を裏切ることにも・・・・・ 次期店長ということでかなり教え込んできましたし、 本人もそれを励みに、休みの日でも、 私のところに来て、 しつこく聞く・・・・ かなり熱心だった。 オーナーにその旨、報告して、 次期店長の心配もなし・・・・ やっと開放された。 帰りの船は初めて高速船ではなしに、 定期航路の船に乗った。 高速船とは違い、ゆったりとしたスペースに 大いに楽をさせてもらったが、 時間がかなり掛かる。 高速船では3時間半のところ、まるまる一晩掛かった。 でも、ゆっくり船旅を楽しみ、 鹿児島へ・・・ 鹿児島から久留米に・・・ やっと我が家のマンションにたどり着く。 2~3日ゆっくりして、以前の店に挨拶に・・・ けど何かしら対応が冷たい。 変な感じがしてオーナーに そこでやっと理解。 姉妹店全店新しい店長が入っていて、私の勤める店が・・・・・・ 無い。 オーナーに、1年で戻してくれる約束だったと・・・ 言ってみても・・・ 「君は帰らないと聞いていたから、新しい店長を雇った」と・・・・ 誰がそんな話を・・・ と、思ったけどどうしようもない。 オーナーは気の毒がって、申し訳なさそうな顔をしていたけど、・・・ そこで、仕方がないので、しばらく休養することに・・・ 次の日からパチンコ通い・・・・ 当時は、まだ、裏がそんなに普及してなかったので、 私も大いにパチンコをして遊んだものです。 久留米でも一番大きな店。 毎日開店から・・・・ 打つ台はいつも決まっていたので(機種) 毎日そのコーナーの動向を記憶し、 せっせと通いつめた。 そんなに多く勝つことはなかったが、 毎日の日当分くらい、いやそれ以上はかっていたと思う・・・ それがかの悪名高き台風19号 19号の予報は聞いていたがその日はまだ大丈夫・・・ 私も、以前気象のことは少しかじっていたし、 予報も次の明け方か、朝だといっていたので、 勇んでパチンコへ・・・ 悠々あそんでいると、 なんか騒がしくなってきた。 外を見ると木がかなり揺れている。 まさかと思ったが、早々にパチンコをやめ、 久留米の西鉄の駅へ。 すると、電車もバスも止まっている。 やむなくタクシーを捜すけどなかなかつかまらない。 じっとタクシーの乗り場で待っていると、 軽自動車は横転するし、 カンパンは飛んでくるしで・・ 生きた心地もしなかった。 やっとのことでタクシーを捕まえて乗り込む。 自宅までの時間が長かったこと、長かったこと・・・ 普通は10分程度の距離なのだが、 そのときも掛かって15分くらい・・・ でも、気持ちは、1時間くらい乗っているみたいだった。 やっと自宅に帰ったときは上、下びっしょり・・・ やっと着替えて落ち着いたが、今度は停電・・・ ろうそくなんて用意していないので、慌ててコンビニへ・・・ またまたずぶぬれ・・・・ もう本当にいやになった。 結局停電は次の日の夕方まで。 食事もカップラーメン。 風はおさまったが、停電が続いたことには閉口した。 パチンコも、停電続きで、2~3日休んだが、 これが最悪・・・
2008年11月05日
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先日航空機事故のことを書いたが、 ついでに記しておくと、 我ながらいろんな職業を転々としたものだと・・・・ 中でも、以前書いたが、 組合幹部というのもやりがいがあったが、 それは、専従職の期間が少し過ぎた頃、 マイホーム者のレッテルを貼られ、不信任・・・・ これが結局、流転の人生の始まり・・・ 専従職の切れたとき、現場に復帰しておけば、 何のことはなかった。・・・・・ 宝木委員長(当時)には、変なことで、恨んだり・・・・ けど、やはり自分の人生・・・・ 後悔はしていませんし。 いろんな意味で、波乱にとんだ人生だったと思う。 面白いことも多かった。 沖縄海洋博にも、支援で行ったし、 グアムにも・・・・ そして、日本巡航。 日本は、海から一周したし、 南極にも行かせてもらった。 海外に行くことは結構面白かったし、 当時は、南極なんて、個人旅行では行く方法なんてなかったと思う・・・ その上、海外に行くと手当てが大きい・・・・ 危険手当、航海手当て、などなど・・・・ 一回行くとまとまったお金が手に入る。 そして、艦船勤務のあとは、航空隊勤務・・ しかも教育航空隊だったので、 割りと飛行機にも乗せてもらった。 いろんな経験をさせてもらい、 次は私の半生を掛けたパチンコ人生・・・・ なんか、硬いところから、軟らかいとこまで いろんな事をやってきた。 我ながら本当に感心する。 パチンコ時代も北は広島から、 南は種、屋久迄・・・・・・・ 大きな店から小さな店、古い店から、新しい新規の店まで・・ いろんな経験をさせてもらった。 中でも、印象に残っているのが、 広島八本松のバスジャック事件(博多から) これはわざわざ見に行ったし、 関西大地震の時は、山口だったけど、 次の日は天井が心配だったり・・・ 地震災害では、島原の噴火もかなり心配させられたり・・・ いつだったか、鹿児島、川内の地震のときは立っていられなかったり、 思い出すだけできりがない。 これらの話はまた機会があったら・・・・ 次は、離島から帰ってからの話を中心に・・・・
2008年11月04日
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楽天ブログのメンテナンスや、 体調の不良やらで、 2日間ブログを休みました。 このごろ体の調子がいまいち・・・・ ちょっと何かすると きつい・・・・ 睡眠不足かな~ おかげでパチンコのブログもいまいち進みません。 面白い話がまだまだたくさんあるのに・・・・ ま、2日間休んでまた明日からバリバリ書いていくことに します。 皆さんも体調には十分気をつけて頑張って下さい。 またね・・・・・・・・
2008年11月03日
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パチンコの話の中になぜかしら、 飛行機の話が出てきて・・・・・ 理等に再度行ったとき割と近くに空港があったので、時々は 飛行機を見に行った。 自分では絶対乗ろうとは思わなかったが、・・・ けど、時々、YSが飛んできて、懐かしく・・・・・ わざわざ、YSを見に・・・・・ たまたまその日は、休みの日に、行ってみると、 忌まわしくも、懐かしい、コマドリが来ていた。 よく見ると、隣にビーチも並んでいたが、(詳しい名称は知らない) コマドリは確か、富士重工の機体だったと思ったが・・・ ビーチは人一目で徳島から来たのだと判った。 なぜ、こんなところに来たのかは判らないが、 たまに、ナビの訓練で遠くに行くことがあったので、 それかなと・・・ そこで思い出すのが、航空機事故のこと・・・・ 忘れもしない、確か4月の終わり、当時は 天皇誕生日のときだった。 福岡県の宗像大社のの祭礼の記念に、 大社上空を、九機のダイヤモンド編隊をを 見せるということで、 ある、飛行場を離陸・・・・ その日は、晴れだったが若干ところどころに厚い雲が 出ていました。 それでも、視程20(20キロは見渡せる)あったはずですが、 あまり、天気予報がよくなかったので、 午前中に、ウエザーチエックにも確かメンターが(飛行機の1種) 上がっていたと思います。 結果、よかったので午前10時半ごろ、九機と予備機、計十機で 離陸、大社上空を正午ちょうどに通過する予定でしたので 玄界灘上空で待機・・・・・ 遥か右手に、北九州の町並み、関門海峡などが見えて 本当に快適でした。 で、11時半頃隊長機から集合の指令があり、 集合、ホーメーションを組んだ。 そのまま、宗像大社上空までわずかな時間のはずでしたが、少し 時間があったので、編隊を組んだまま、玄界灘を旋廻・・・・ そのときだった。 目の前におおきくて厚い雲があったのは・・・・・・ 編隊のままくもの中へ 雲の中でも全く見えないわけではないのですが・・・ 雲の中はやはり気流が悪い・・・・・・・ 飛行機が雲の中で上下・・・・・ ソロであればそんなにたいしたことはないにしても、 翼端数メーター(と言っても、3メーターも無かった) 前後も数メーターしかなかったので、 飛行機が上下すると言うことは本当に、ひやひや物・・・・ 映画なんか見ているとカッコいいが、操縦している人は 神経を使う・・・・・ その時のパイロットは10人全てベテラン教官・・・・ 安心していいはずが、 私の飛行機が急に左下方に旋廻した。 急なことなのでなんだ・・・・と と、目の前に二機の飛行機が、・・・・・ 一機は横向きに、もう一機はプロペラで左翼を切られ・・・・ 玄界灘へ真っ逆さま・・・・ 幸い、もう一機は旋廻しながら下降していくが・・・ 真っ逆さまに落ちた飛行機は大きな水しぶきを上げ水中へ・・・・ と、隣を見ると、パイロットが顔を真っ青にして・・・・ 「メーデー、メーデー」 と大声でイマジンシーコール・・・・ すぐに隊長機から、「散開、ホーメーションブレイクの指示」 その後、誰の機だったか・・・・ 一機だけ残し、飛行場へ・・・・・・ 着陸して、タクシーウエイから帰るときも帰った後も 整備の人間に声を掛けられるまで、 茫然自失・・・・ やっと整備の人間に助けられ、飛行機を降りることが できたが、 ひざがガクガク・・・・・ 立っているのがやっとだった。 しかし、私の本当の仕事はここから、 直接の上司が、私の乗っていた飛行機のパイロットだったし・・・ 指示を仰ぐわけにもいかず・・・・ すぐに事務室にとって返し・・・・ 次席に報告・・・ 次席はイマージンシーのことは知っていたし、 編隊の中に私と、総務班長が乗っているのを師っていたので、 こちらも心配・・・・・・・ 私が帰ってきたときには、もう空自のレスキュウ、や下関の 掃海艇も救難に出ていたが、 一機はすぐにヘリに回収され、けがもそんなに無かったが もう一機の所在が確認されず・・・・ 墜落者3名(一機に2名、もう一機に1名)のうち2名は 無事救出。 しかし1名は、真っ逆さまに落ちたため絶望視・・・・ 翌日下関の掃海艇の人が発見、遺体は無事収容・・・・ 詳しく聞いてみると、操縦かんで胸を強く打ったのが・・・・ 事故当日は、当然、救出本部が設けられ、 私も、総務班の一員として、 対外折衝(主にサブのサブとして)など寝る暇も無かった。 次席が心配して、「お前も当事者の一員だから少し休め」と 気を使ってくれたが、そんな気は全くおきなかった。 次席が心配したのは、体のこともあるが、 その後ある航空機事故調査のこともあったらしい・・・・ しかし、幸か不幸か私は少し話を聞かれただけで、 終わった。 一番つらかったのは、その後行われた、葬儀・・・・ 私も、本部の(群)管理と一緒に葬儀の実施に携わったが、 死んだ人の奥さんを見るのは、とても耐えられなかった。 押さない子供をつれ、おなかの中には子供が・・・・ それでも必死にみんなに挨拶して・・・・ 私は言葉も出なかった・・・・ それと、普通のお葬式と違い、 儀杖隊は最初から最後まで、棺の前で厳粛に立っているし・・・ 葬儀の時は、空砲とはいえ発砲するし・・・(礼砲) 音楽隊の葬送曲がなんとも言えず・・・・ ハンガーの中が(飛行機を入れる格納庫)一種別世界のような・・・ そんな雰囲気に、私も葬儀が終わるまで、 前後何日かは、ほとんど不眠不休・・・ 目の前で飛行機が落ちるのを見るし・・・ 自分も当事者の中で、もしかしたら自分の乗ってた機が・・・ なんて考えると・・・ もう二度と飛行機に乗ろうとは考えられない。 ただ、その時の飛行機は、4人乗りでレシプロ機・・・ めったなことでは落ちないから安心していい・・・・ なんて聞いてたし、 現実に、その何年かまえ、メンターでプロペラがはずれ、 日本海側から瀬戸内海沿岸にある空港まで帰ってきたと 当時の運用班長から聞かされていた。 確かに、ジェットや回転翼(ヘリ)ではトラぶったら 一命にかかわることが多いだろうが・・・・・・ それで私の記憶している限り、落下傘など持っているパイロットは いなかった。ような記憶が・・・・ それまでは、班長がパイロットの教官だったことをいいことに 教官訓練といえば、必ず同乗・・・ 離着陸はさせてもらえなかったが、上空で 何度か操縦かんを握ったことも何度か・・・・ また、本部勤務をいいことに、 シュミレーターに乗ったことも、またダッチング訓練なども勝手に させてもらっていたが・・・ 二度とそんな気は起こらなくなった。・・・
2008年10月30日
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再度、離島へ来て、丸3月 やっと、波もなく、お客さんが常時総台数の40%をキープ できるようになった。 九州あたりで40%なんていうと笑われるかも知れないし、 現実に、盛況な店では常時、70%以上の客数を もっているところは多い。 しかし、離島で、漁師相手の店では、 普通の店でも、やっと30%を確保し、多いときで、 60%~70%のほうが普通であると思う。それでも、 田舎のことですし、農繁期、漁の最盛期は やはり客数はがた落ち・・・・・ それでも、過去からのデーターを比較してみると、 新規でオープンした時と比べても遜色無いところまで もってきたと思う。 やっと、やれやれである。 私が、予想していた回復期まで、約半分で達成・・・・ しかしここからが問題。 元に戻った、客を減らさない・・・・ 固定客をがっちりつける・・・・ そこが一番大切な仕事で、また一番難しい・・・・ 毎日が苦労の連続・・・・ ただ、お客に言わせると、 私は、島のどこの店長に比べても、 変わっている・・・・・らしい。 何故かと聞くと、 他の店に行ってもあまり遊べない。 勝つことはまれだと・・・・ あなたの店は、よく遊べる・・・・・ また金額は少ないけど勝つこともh他の店と 比べて多い・・・・ 店はやっていけるのですか?・・・・ 多きにお世話である。 最低限の利益は、しっかり確保しているし、 儲けもかなり増えたはずで・・・・・・ その分他の店がかなりあこぎな営業をしていることになる。 お客さんは敏感だ。 ただ、困ったことがおきた。 私が以前いた店と部長の店が、あおりを食って若干 客数が減ったと・・・・ 考えてみると仕方がない。 車で20分も走れば、姉妹店に着くのだから、・・・ お客もよく知っているものだ。 そこの島は、1市2町、私が以前いた店は島の南端。 再度行ったときは、中部の店だったから・・・ 部長は以前から、 島の北端の市内の店だった。 ま、何はともあれ、3店合計も、以前よりかなりよくなった ので、良しと・・・・・ 私の仕事も半分は済んだみたいなもの・・・・・ しかし、約束の1年が近くなった時、 意外な問題が起きた。 結局その問題が発端で、その会社とは 二度と付き合うのはこりごり・・・・・・・・・ 見たいな感じに・・・・・ ある店長会議の席で、若い総務部長が(オーナーの甥だと思う) 全店、一発機を導入、全て一回交換にして欲しい。 当然、売り上げは、以前と比べて、 かなりあがるはずだから、利益率を、 今と、同じにしても、利益はかなり多くなるはずですから 頑張って売り上げを伸ばして下さい。云々・・・・ 確かに、一回交換にすれば、掛かったら、玉を交換して また打つ、・・・・・ 売り上げは、倍以上に伸びるだろう。 ただ、打ってる人間は変わらない。 交換して打ち、また交換して打ち、そのたびに、売り上げは 伸びるが、人間が変わらない以上、 負ける人は、同じ人。 お客にしてみれば、かかる回数は多くなっても、 負ける金額はうなぎのぼり・・・・ お金が続くはずがない・・・・・ 都会の駅前の、一見さんが多い店はそれでいいかも知れないが・・・ 田舎の、なおかつ島の中で、そういう考えは、 結局店をつぶす元だと・・・・ 私は理を分けて説明したが、 聞き分けない・・・・・ 結局、他の姉妹店は、押し切られ、・・・ 私一人が、反対、・・・・ ただ、機械そのものには私も必要だと考えていたので、 機械は仕入れてもらった。 台の入れ替えで、私が関与しなかったのは、 最初に来たときと、この時だけだった。 そして開店、 確かに姉妹店全店、売り上げはかなり上がった。 儲けが増えなかったのは私の店だけだった。 早速、電話 「店長、売り上げがかなり上がりましたね。いいですね。この調子で」・・・ 私は、言いたいことはわかったので、 「粗利はあまり期待しないでください。」と 最初に断ってしまった。 向こうは他の姉妹店は、かなり粗利が上がってることを告げて、 さも、あなたはいうことを聞かないのか。・・・・・ といわんばかり。 さすがに私も、若干頭にきて、 「店が後半年でいいなら抜きますよ」 相手は、それで黙ってしまった。 少し、言い過ぎたかなと思ったが、 約束はあと少しだから・・・・ 案の状、他の姉妹店の売り上げが、急速に、落ちてきた。 しかも、一発機にはお客さんがいないことが多くなった。 逆に、他の機械でそこそこだったお客が、 帰り際に、少しだけ打っていく。 それが掛かる。 店は一発機のおかげで、赤字を打つことのほうが多くなった。 確かに、若い部長の言うことは一理あるし、 私も、久留米あたりの店で、営業するときは、 大いに賛成したかも・・・ ただ、コップの中で、水を取り合いしても、 中の水だけでは、どうしようもない。・・・・・ 外から新しい水が入って来ての取り合いなら・・・ そういう考えもよかったのだろうが・・・ 店を任されている他の店長も、店長 毎日営業していて、 お客の、顔が変わらないのに、 島の人口が変わるはずないのに・・・・ もう少し考えて、釘を調整すれば・・・ 結局、一発機を最後まで、残したのは、 私の店と、私が以前いた店だけ。 さすが私が育てた店長と 自画自賛・・・・・・ 自慢話はこれくらい・・・・ これが、若い部長には嫌われる元になったばかりに・・・・・ 店は元に戻したが、 最後はあまり、面白くなく、 約束の日を待つばかり。 しかしこんな約束は向こうは、覚えてないから・・ 困ったものだ。 仕方ないから、約束の1月前に辞表を出し、 次の店長を至急探してくれるようこちらから頼む羽目に・・・ 何はともあれ、1年間を無事過ごしやっと終わった。 それが実感であった。・・・・ 次は飛行機事故のことを少し・・・・
2008年10月29日
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やっと、久留米の生活を満喫しようとしていた矢先 なんと、再び、離島へ・・・・・ 泣く泣く、荷物をまとめ、宅急便で送り、 翌日、また、トッピーに・・・(高速船) 船旅3時間やっと島につきました。 見ると、前にいた店の主任(現店長)従業員、部長と 迎えに来ています。 懐かしいのか、また来てしまったの後悔か・・・・ なんとも複雑な思い出・・・・・ しばらく喫茶店で話・・・・ 任せられた店に・・・・・ 夕方6時頃だったと・・・・・ なんと、店はガラガラ・・・・ お客さんが4~5人いるかどうか・・・・ 早速、主任を呼んで、 過去、1年の売り上げデーター、と集客データーを見せてもらい 愕然・・・・・ 私が島にいた頃そこの店は、私の店に比べて、集客3分の2、 売り上げが半分より少し上だったように記憶してますが、 データーを見ると、私が島を出た後、急に落ち込んでしまったようでした。 主任に「急に落ちているけど、何かあった?」と聞いても 要領を得ません。 近くに新規の店ができたわけではないし・・・・・ どうも、判らないことばかり・・・ 競合店が、あるにはあるが、そんなにいい店ではないし・・・ 情報の収集からはじめなければ・・・・と。 その日は、釘を叩く気もしないまま、 部長に電話して、何でこんなに落ちたのか・・・・と 聞いてみてもなんとなく要領を得ません。 仕方なくオーナーに電話をして、4~5日様子を見る旨 連絡をして、その間に、情報収集、そして、打開策を探って・・・ しかし、結局、台の入れ替えしかありません。 そこまで腹を決めて、店の中を見渡すと、 何か、以前より、暗くなったような感じ、 よく見ると、鏡はニコチンだらけ、島の飾りは汚れっぱなし・・・ お客を迎える以前の問題・・・・ そこで、至急台の選定を行い、 このときは都合2回分の台を選定したが・・・ 1回の入れ替えでは、多分、だめだろう、日にちをおかず 2回目も考えておく・・・・ それで、2週間後に第二回の入れ替えをするということで、 オーナーに話しましたが、 予算の面で苦労の連続、 2回分の台を購入する、代金の問題で頭を悩ませましたが、 結局、よく知った、業者に涙を呑んでもらい、 2回分の台を手当てし・・・・ やっと、金額の面でオーナーと折り合いが・・・・ 大至急日程を決め、3日ほど、無理を言って、 店を休み、(開けててもあまり・・・) 店内の大掃除からさせました。 従業員に、聞いてみると、 今までの店長は、入れ替えでもあまり掃除のことは言わなかった。 また、ほとんどホールに出ず、釘もあまり叩かなかった・・・・・ こんな店でやる気を起こすのはどうかと思ったが、 給料をもらい、1店舗の管理を任され、 それではどうかと?・・・・ オーナーは隣の島だしめったにこないから、 横着を・・・・・・ しかし、店長の仕事というのは、毎日の、 データーが正直に物語っている・・・ 結局、お引取り願ったわけだが、 その次の仕事が、簡単に見つかるとは・・ 私には思えない。 なぜなら、やはりこの世界広いようで狭い・・・ 店をつぶしたなんて言う、風聞が流れると他の店のオーナーは 雇わないだろうし・・・ 結構うわさは流れるものである。 それはさておき、店内、店外の掃除を徹底的にさせやっと 台の入れ替えを済ませ・・・ 折込チラシの確認・・・・ 今回の入れ替えは、台そのものよりも 店長が変わった・・・・・と言う事を宣伝しなければならない。 今までとは違う・・・・・ これを印象付けなくてはならない・・・・ そこで、チラシを、少し多めに・・・ 私が前にいた店のある地域にも、そして部長の店のある地域にも 若干配布した。 これには、部長も、以前いた店の店長も 嫌がったが・・・・・ そこで、開店。 私は、昔に戻って、ホールに出っ放し・・・ お客さんに、私の顔を印象付けることが第一だから・・・・ 幸か不幸か・・・お客さんに名前も、顔も覚えられ、 やっと当初の目論見を達成・・・・ それからしばらくは、儲けを半分に減らし、 ただ、半分といっても私が来る以前と比べてはかなりの 大幅アップ・・・ 2回目の開店(入れ替え)でだめを押した。 1月が過ぎた頃やっと私が、いた頃の店に戻り、 やや、上向いてきた。 従業員はと見ると、 私が来てから、口やかましく、接客態度、掃除、などなど・・・ 言うものだから、最初は嫌気がさしているみたいだったが、 私も、一緒にホールを回り、掃除をするものだから、 いやもおうもない。・・・ ただ、その頃になると(お客が増えてから) 従業員もかなり、 やりがいができたみたいです。 やはり、頭が、適当だと、下も適当・・・・・に お客も、従業員もかなり、意識改革ができたみたいで、ホッと ただ、生活面では、以前と変わりなく、 以前より面白みがなくなったみたいで・・・・ 打ち上げ場はないし、(ロケットの)海は以前の店と比べて 遠くなったし・・・ ただ、空港は近くなった。 私自身は、飛行機には、乗るつもりはなかったが・・・ 船と比べて、飛行機だとかなり時間短縮ができるなんて・・・言われたが 私は以前飛行機で、死ぬ思いもしたし・・ その時、上司の一人が死んでいたので、 飛行機は怖くて乗れなかった。 こういう風に言うと、 飛行機事故のことが思い出されて、・・・・ また、聞きたい人も多いと・・・ パチンコは1回休んで、 飛行機事故のことを書いてもいいかな・・・・ 請う、ご期待。
2008年10月28日
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主任を育て、店も以前とは、 かなり変わって、それなりの実績を作るようになりました。 そこで、もう、そろそろ帰っても・・・・・ ということで、辞めさせてもらい久しぶりに、久留米へ・・・・ やっと久留米に帰り、しばらく都会生活を?・・・満喫 そろそろ仕事を始めようかと、 失業保険も切れたし・・・・ で、友達や、先輩、に相談・・・・ やっと仕事にありつきましたが、 そこは、営業成績もそこそこ・・・・・ 日々客を落とさないように気をつけるだけの、平々凡々と・・・ すごさせてもらいました。 ある日、事務所でのんびりモニターを見ながら、 一服していると、見かけないお客さんが、・・・・ いや、見たことはあるのですが・・・・ 一瞬気がつきませんでした。 すると、従業員を掴まえて、何か話している様子、 何かあったかな・・・と 見ていると、従業員が事務所のほうへ・・・ 「店長お客さんです。」 私は何事か、誰かな、・・・と 出てみると、 かの、離島で世話に成った部長・・・・ その部長は当時60歳を過ぎていたような記憶が・・・・・ そこそこに挨拶を済ませ、 何で自分がいるところがわかったのか? 何の用事で着たのか? 不思議に・・・・ 言葉に出るのがそのこと(失礼だったが) すると、私が育てた主任に(今は私の後の店長)聞いたのだという。 用件に関しては、ついでがあったから、顔を見に来たと・・・・ そこで、ホテルを紹介し、 喫茶店へ・・・・ 2年以上お世話に成った上司であるし・・・ その後の店の様子も気にかかるし・・・で、 話をいろいろ聞いたが、 何か、全ての話が、上調子で、 何かほかにいいたそう・・・・・・・・。 そこで、「部長、何か心配事でもあるんですか。」と 聞いたところ、やっと本題に入った。 「申し訳ないが、もう1軒見てもらえないか。どうしても店が・・・・」 しかし、私も就職してまだ、半年、 急に辞める訳にも行かず・・・・ 「部長、行きたいのは山々ですが、この店を急に止めるわけには・・・」 はっきり断ればよかったのですが、 行きたいのは山々・・・なんて言ってしまったのが、失敗 次の日、オーナーに呼び出され、 何かと思い、本社事務所へ、 と、そこに夕べあったばかりの、部長が・・・・・ オーナー曰く「この会社の社長は以前から知っている。君も内に来たばかりで 大変だろうが、しばらく応援に行ってやってもらえないか。」 何のことはない、オーナー同士で話して、決めてしまったらしい。 私が、はっきり断っていれば、そこまでしなかったが、 行きたいのはなんて言った手前・・・・・ そこで、店の引継ぎをそこそこに済ませ、 また、もう一度、いくは目になってしまった。 大体の事情はわかっているので、 どこも店か聞いてみると、私が以前いた店の隣町の店らしい。・・・ そこで、前の店に電話し、以前の主任にそこの店の状況を聞いてみた。 すると、かなり、悪いらしい。 冗談で、「お前、そこの店の店長で行ってみないか」 すると「私が行ってもだめです。いやです」 あっさり・・・・・・ 最初、そこの島に行ったときよりかなり不安にさせられる。 両方のオーナーとは、1年間ということで約束し、 帰ったら元の店か、姉妹店にいけるように約束して、 やっと、離島の店に行くことを・・・・・・・決めた。
2008年10月27日
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鹿児島の離島の店にいた頃、 苦労したのが台の入れ替え、 離島と言っても、台の入れ替えは、考えざるを得ません。 初めの入れ替え、2回目の入れ替えは、 本社サイドで台の選定、発注をしてくれましたが、 3回目になると、勝手にやってくれ・・・・ そんな感じでした。 自分で、台を選定し、稟議書を上げ、 決済が降り次第、発注・・・・ そんな感じでした(大体どこでも同じですが) 1回目、2回目はまだ離島に慣れてない・・・と 言うことから、本社サイドで、全て、やってくれましたが、 3回目となると、やはり、自分でしなければなりません。 それで、大まかな台の選定を行い、根回し、 すると、希望する台は高い・・・・というクレーム 聞いてみますと、さらの新台は1機種、2~3機種は中古 ということで、中古の価格が高い、 他の台に・・・と言う。 価格を聞いてみると、確かに高い。 そこで、いくらぐらいまでならいいか聞いてみたところ、 私の思っている値段の役1.5倍・・・ それなら、その範囲で買えればいいんですね。と念を押し、 自分で、交渉することを認めさせ、 早速、私の知っている業者に電話、 その機種があるか確認したところ、「ある」と・・・ いくらで卸すか交渉したところ、 かなり安い値段で手に入った。 条件は、入れ替え時に立ち会わない・・・という条件。 それで、整備だけお願いし、発送を依頼・・・ すぐ、本社に稟議書を上げると、 オーナーがびっくり・・・ なぜ、こんなに安いか・・・ そのときの値段が、鹿児島の業者に比べて、半額以下、約3分の1程度 大いに喜び、即、OK そんなわけで、それ以降私の店は、値段の交渉から、 全てやる羽目になってしまった。 また、そのおかげで、他の店が入れ替えを2回するところ 私の店は3回と、入れ替えの回数も多くなった。 その上、姉妹店の店長が、台を紹介してくれと、くるものだから 姉妹店の分まで交渉する羽目に・・・・ 口は悪いが、根っからの離島の店長とは機会やさんとの付き合いが まるで違うし、また九州や中国の情報はこちらが多いし、 入れ替えのときは、何かと相談をうけたものです。 そんなある入れ替えのとき、 全台の3分の1ほど入れ替えたのですが、 どうしても、もう1機種欲しかった。 それで、入れ替えて、検査が済んだ後、 もう1機種倉庫に眠っていた。台を活用した。 当然、違反、無許可ですが、・・・・ それで、3ヶ月ほど営業したし、 そんな台ほど、客付きはいい・・・利益は上げてくれる。 次の、開店のとき外すのが、勿体無い・・・・ ただ、その台は、中古を探してもなかったし、 新台としてもなかったのでやむなくあきらめたが・・・ さすがに、私も、次の入れ替えまでは、内心ビクビク物でした。 離島だったからこそできたことですが、・・・ 当然、オーナーも知らないことに・・・・・ そこの、島では、めったに経験することのないことを いろいろしましたが、 特に、「ひまわり」の打ち上げには、 無理を言って、近くで見せてもらいました。 前の、宇宙開発事業団の方には、感謝してます。 また、釣りにも行きましたし、貝も採りにいきました。 ただ、いやなことも、・・・ 相撲、・・・・鹿児島は相撲の盛んな土地柄で、 特に、田舎に行けば行くほど・・・ そんなことで、秋祭りといえば、奉納相撲・・・ 春祭りといえば奉納相撲・・・・ 体育祭といえば、相撲・・・・ 誰が言ったか、私が田舎相撲の経験者、中学時代は、 県でもいいところまで行った事を、オーナーに話したものだから、 祭りのたびに出場する羽目に・・・・ もう、30の声を聞くというのに、若い者と一緒に 相撲をとらせられて・・・・・ これだけは、いやでした。 その、店で足掛け、2年弱いましたが、 その間に、主任を育て、 釘を任せられるようにして、やっと開放されましたが、 もう、二度と行くことはナイト思っていた、 所に再度行くことになろうとは、思っても見ませんでした。
2008年10月25日
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離島に住む皆さんには、大変悪いんですが、 離島の生活自体は、かなり不便を感じました。 不便というより、都会で(久留米)生活したものが、 何かと贅沢ということでしょうか。・・・・・ そこに住む人は、そんなに、不便を感じてなかったのではないか・・・ 私が一番困ったのは、食料品である。 単身赴任だから、まず、買い置きは無駄ですが、 買い置きしていなければ、いざというとき、 何もない。下手をすると、おかず無しでご飯を食べることに・・・ 食堂に行けば・・・・なんて思う人もいると思うが その食堂が近所に無い・・・・ 次に困ったのが、停電・・・ 今はどうか知らないが、私がいるときは、 何回も停電したものです。 勤務して初めての頃、 家でテレビを見ていると、 停電・・・・・ はっとして、即ホールへ、 久留米や、日田、宗像などは、下手に停電しようものなら、 セブンが掛かっていた・・・保障してなんて・・・ 店の責任ではないので、当然保障はしないのだが、 負けている人、初めて掛かった人、何かあれば文句を・・・なんて 言う人が本当に多かったし、対処に苦労したものだ。 で、慌ててホールに顔を出すと、従業員も、お客も みんなで和気アイアイ・・・・ 私は、狐につままれたようで、・・・ 従業員は、私が慌ててホールに駆け込んだものだから、 逆になんかあったかと、心配してくれる始末・・・・ こっちは停電で、みんな苦労していると思って ホールに行ったのだが、それを聞いて、従業員も、お客も ここはいつもだからみんな慣れてますから、・・・・・ なんて。・・・・・ その時、私は本当に離島に来たんだなあ・・・・と つくづく思い知らされました。 反対に、いいこと・・・・楽をしたことは、 いくら、絞ってもお客からの苦情があまり無かったこと・・・ 福岡あたりでは、当時売り上げの10%以上抜けば・・・儲けが お客さんが来なくなる。・・・そんなときに、毎日の営業が 50%カット(儲けが5割)・・・ その上、いくら負けても、1回掛かれば、喜んで帰っていく・・・ そんな土地柄でした。 正月、お盆、それと6月くらいのモジャコの(養殖用のぶりの稚魚) 季節は輪を掛けて6割、7割の営業・・・・ こんな商売なら本当に楽・・・・ 私が赴任したときはあまり、お客がいなかったが、 私自身、そんな商売になれてなかったことが、幸いし、 約3割営業で(内心は恐々)いったのですが、 結局それが、評判を呼び、かなりのお客の回復を見たものでした。 その上、お客が増えたから、当然売り上げが増える・・・ 3割の営業でも、以前の(私が赴任する前)儲けをかなり 上まっているので、オーナーも、変に感心するし、 喜ぶし・・・・・ その意味では本当に楽でした。 もう一つ、私が困ったのが、(贅沢で)本の発売がかなり遅い その上、読みたい本があまり無い、注文すれば、 忘れた頃にやってくる。・・・・・ 笑い話ですが、 私が久留米に帰って、週刊誌を買って、もっていくと、 それを、お客や、従業員が見る。 島の発売日よりかなり前だから、 島では、今週号と、来週号を一編に見るようなものである。 おかげで、島の本屋さんから、支配人が家に帰ると、 売り上げが、半分以下になる。なんてやわらかい苦情が来た。・・・・ これは北九州の人はよくわかると思います。 門司の発売日が、水曜なら、下関の発売日は月曜・・・・ この差が福岡と、鹿児島の離島では、4~5日から1週間も違うし しけでもあったときは、発売日が、10日以上贈れるなんて事は ざらでしたから・・・・・・。 一時が万事そんな調子・・・・ 時間の概念が、九州と離島では、かなり違ってました。 さすがに、仕事に遅れるなんて事は無かったが、 飲み会の時間、会合の時間などは、30分くらいはさばを 読まなければ、頭にくることが多かった。 さすがに、今はそんなことは無いと思うが・・・・・ そこの店で、私が唯一違法な営業をしたことがあった。 それは、ひやひや物でしたが、 ばれずにすみました。 そのことについては、もう時効ですので、次回白状します。
2008年10月24日
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私は、計3回ほど、離島を経験しました。 日田の店を、なんとかきどうに乗せ、 少し、体を休ませている頃、 コンピーター屋さんが、ある店を、紹介してくれました。 それは、鹿児島の、ある店でした。 どうも最近調子が悪いので、 しばらく、様子を見てもらえないか。 との事、私は、田舎の店は、初めての経験ですし、 なおかつ、鹿児島から、船で、かなりの時間がかかる・・・・ 二の足を踏みましたが、どうしてもというので 恩を売るつもりで、面接だけとの約束で 久留米の自宅から、鹿児島のある離島へ・・・・ 面接は、勤務する場所とは別の島で行いました。 わざわざ、港まで迎えに来られ、 面接は、ホテルの、食事つき・・・・ 確かに給料は安かったけれど、なかなかオーナーの 人当たりがよさそう・・・・ それで、返事を保留し、 翌日かえって相談して返事をすることにしました。 その夜は向こうが用意したホテルに泊まり、 寝ようとすると、統括部長という人が訪ねてきました。 何の用か聞いても、少し体を貸して・・・・・と 言うだけ・・・ 何のことかわからず、ついていくと、 島のわびしいスナック。 つまり、飲みに誘い出した訳ですが・・・ 私は、一面識もない人がなぜ・・・・ すると、オーナーから一緒に飲んで来いといわれたとか・・・ しょうがないので少し付き合うつもりが、 なんと4時間・・・・おかげであくる日は二日酔い・・・ 帰りの船が、きつかったこと、きつかったこと・・・ 生まれて2回目の船酔いを体験しました。 おまけに、帰るまえ、面接の旅費だということで、 封筒を渡されました。 旅費なら、最初約束していたので、 受け取りましたが、・・・・・ かえってあけてみると、旅費の数倍のお金が入っています。 受け取ったときなんで気がつかなかったのか・・・ 二日酔いと寝不足で・・・・・ しかし、受け取ってしまったのは仕方ない・・・ 紹介者に、どうしたものか相談したところ、 受け取っておきなさい・・・・ やむを得ず、受け取りましたが、 今度は、断るに、断れず、仕事に行くことにしました。 それで、離島のことゆえ、住まいが心配で、そのことを 訪ねたところ、店の隣に家があるとのこと。 やむなく数日後に赴任することにしました。 離島の生活はある意味面白かったし、楽しさを満喫しましたが 離島ゆえの、困難さが多数・・・・ それはまた・・・・・
2008年10月23日
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パチンコ屋の従業員の、一般的な生活・・・ いろんな、形態があると思うが、私の知ってる 一般的な、生活を書いてみよう。 私はおおむね関西以西しか知らないが、どこも似たりよったり・・・ だと思う。 鹿児島や熊本南部、大分や宮崎の郡部に行くと 自宅から通う、従業員も多い。 昔はそれが大半だったと思う・・・ なぜなら、台数規制が解除になるまでは、 郡部で100台、市内で150~200台の店が多かった。 その中で寮を完備することは、難しかったと思う。 その点、北九州、福岡、佐賀、長崎、や中国地方の台数が 300台以上の店は、従業員を確保するためにも、 寮が必要不可欠。 店の2階がおおむね寮というところが多かった。 従業員の大半、大体全ては、寮の中で生活・・・・ 食事は大体2食のところが多い。 朝食が(一般的な)昼の時間帯、 夕食が、一般家庭より、早い時間帯(5時から7時頃) 夜食は、残り飯に、おかずは自分もちというところが 多いみたいですが、 一番困るのが、朝食、 早出で朝8時半ごろ出勤する人は、 朝ごはん抜きである。 慣れたら、そんなに感じないが、 慣れるまでは、朝大変です。 近所の店でパンを買い、それで済ますなんて事は、 日常茶飯事・・・・・ 私がパチンコ屋さんにお世話になった頃は、コンビニなんてなかったから・・・ また、部屋は、6畳くらいが多かったような・・・ 独身者は、2人・・・ 夫婦者は、夫婦で1部屋・・・・ 薄い壁今で仕切っているから、夫婦の人は 大変だったと思う。 今ではいろんな意味で改善されてきたが・・・・ また、特筆は、パチンコ屋さんに入ると 毎日、タバコが現物支給・・・ 吸う一も吸わない人も、1箱・・・ タバコを吸う人は大変助かったものだ。 ただ、今では、タバコの現物支給はなくなった店が多い。 そんなわけで、お金を使い切って、飛び込みで面接に 来る人も多かった。 また、江戸っ子ではあるまいし、 給料日からわずか、1週間程度でお金を使い切ってしまう 人間も多かった。 食事と、タバコの心配をする必要がないから・・・ 古い、オーナーの中には、従業員確保のためには、 お金を持たないほうが止めずにすむと・・・ せっせと前借をさせたオーナーもいたものです。 そして、前借をしなくなると、 止めるのではないかと心配する。 こんなことは、今の店ではほとんどなくなったが・・・ 第一、飛び込み面接なんて、ほとんど通用しなくなった。 そんな人ほど、店がことわってしまう。 そういうわけで 現在のパチンコの従業員は昔と比べても、 かなり質が上がってきていると思う。 次は、離島や、昔の郡部のパチンコ屋さんの生活を・・・
2008年10月21日
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唐突ですが、皆さんは、 松方弘樹主演の最後の博徒・・・・ 見たことがあるでしょうか、・・・・ 私もこんな世界に身をおいていたものですから、 よくビデオを借りてみてましたが・・・・・ 計らずもこんなところで・・・と・・・ 日田で営業を始めてから、しばらくして まだ、私が赴任してまもなくだったと思いますが・・・ 店で何かトラブルが、・・・ その時、私を呼ぶより早く、古参の従業員が事務所に来て 電話を掛けている。 私に断りもなく・・・・ それを、横でなんとなく聞いていると ある組の(丸暴の)事務所みたいで、 「すぐ来て欲しい」みたいなことを言っている。・・・・ 電話が終わり、なんかあったのか聞いてみると、 ホールに、その筋の人間が来ている。 問題を起こす前に、呼んだ。と 私は、あきれるやら、びっくりするやらで・・・・ この店は、なんと言うことをやっているのだろう・・・・ そのときは、従業員を入れ替えるつもりでいたので、 何も言わなかったが、 ある機会にオーナーに聞いてみた。 確かに付き合いはあったみたいだが、 それを、幹部でなく、一従業員に教えていることを それとなく注意したが(オーナーに)判ったのだろうか そのときはなんとなく、その組の県北支部長という人が来て 収めていったらしいが、いくら取られたのか・・・・ 何がしかのお金が動いているのは、なんとなく・・・・ ただ、そのときは、私も紹介してくれただけなので、 黙っていたが・・・ そのことは改装から、開店にいたる忙しさで忘れていたが、 開店から3~4日経った頃、 支配人といるかと訪ねてきた人がいた。 誰かと思ったら、くだんの県北支部長、・・・・ 「支配人、忙しくなかったら、しばらく付き合って・・・」と 何かと・・・ 私も面と向かって、人前で付き合うのはいやだと思ったのですが、 「今回だけ、損はさせないから」というので ついて行った。 すると、一軒の小料理屋に入って行く。・・・ 何かな・・ すると、一人の小柄な男を紹介された。 ついていくとき、何かしら、あたりに その筋の、しかもかなり上の幹部と思しき人間が、かなりいたので 何か変・・・・ 自分でも不安に感じていたので・・・ 「それで」と自分で納得。 で、もう一つ疑問が、 関西でもかなり有名な、大幹部を私に紹介・・・・ 最後の博徒(松方弘樹主演の映画の主人公)でモデルになったほどの・・・ 紹介、・・・なぜ・・・ いくらパチンコ屋の支配人と言っても住む世界が違う私に・・・ その、疑問は程なく消えた。 何のことはない、紹介して一緒に食事をするだけで、 その料亭の勘定がこっちに回ってくる ただそのことだけのために・・・ 少し頭に来たが、文句も言えず・・・ ただ、ここで、私のそのときの正直な気持ちを言うと やはり、大幹部になる人間は違う・・・・ 言葉では言い表せないが・・・ また、物腰も、言葉遣いも、大会社の社長か・・・・と 思えるほど・・・ しかし、連れてきた下の人間に対しては一瞬本当に怖くなるような 態度であったが・・・・それも私に気づくと一瞬で 普通に戻った。 後にも先にも、そんな大幹部、大御所に会ったのは その時だけ・・・・ 以後も何度か、組長とか言う人種にあったことがあるが、 そんなに、畏怖することはなかった。 どちらかというと、心の奥では、いやな気持ちのほうが 先だったような・・・ しかし、こんな経験二度とごめんだ、と・・・ ま、酒の席では、その話が好きな人には、 話して聞かせることもあったが、・・・・ そんな人ほど、俺はどこどこの組の人間を知っている・・・・ なんていうけど、その話をすると なぜか黙ってしまう人が多い。
2008年10月19日
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日田に行って、初めての開店(入れ替え) 支配人になってはじめての開店・・・・・ なんか、感慨ひとしお・・・・ 今は、そうではないんですが、 昔は、夕方の開店が多かった。 6時、6時、6時、3時、12時と来て、 土曜日にやっと定時、10時開店なんてこともままあった。 従業員は喜びますが、私たちは、それだけ、釘の調整が 難しくなります。 夕方の開店はそれなりに、出さなければ、見栄えが 悪いし、 3時になって前日のままにしておくと、大赤字になります。 また、定時開店で、そんなに早く閉店するわけにもいかないし それなりに、釘を閉めていくわけですが、 これがまた、急激に閉めると、評判が悪くなるしで、 ここが本当に、腕の見せ所、・・・・・ 今は、メーカーの釘師さんが、最初の何日かは叩きますが・・・ 私みたいな、昔気質の釘師は、最初の1日だけ メーカーの釘師さんに頼んで 後は自分で叩く人が多いと思う。 何はともあれ、入れ替えのときにどのくらい お客さんの心象を良くするか・・・ これが一番です。 ただ、出玉だけでなく、従業員の応対 これもまた大いに関係があります。 私は、オーナーの許可をえて、 福岡の、有名なホテルの、支配人を呼び、 一日、接客の教育を受けさせました。 やはり、ホテルマンは接客のプロ、 かなりの効果があったように感じましたが、自画自賛?・・・ 今では、大きな店ほど、 ホテルマンや、銀行マンを呼んで、教育しているところが 多いみたいですが・・・・・ ま、つつがなく開店を済ませ、 翌週には、平常営業。 お客さんに、支配人が替わったこと、 従業員を入れ替えたこと・・・ などなど、大いに宣伝し、かなりの好評を得たと・・・ 営業成績も以前と比べ、かなりな大幅アップ・・・ まさに、順風満帆・・・ ただ、一つ、事件が・・・ この世界、切っても切れない、事件が・・・・ また次回
2008年10月19日
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