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<続き> この映画がひどく政治的である理由のもう1つは、原作者のヴェルコールがメルヴィル監督に、レジスタンス活動家による「検閲」を映画化の条件としたためだ。完成した作品を見て、レジスタンス活動家の1人でもNGを出せば、公開はさせない--このやり口は、まるで旧ソ連の共産党政権下での言論統制のようだ。原作者とレジスタンス活動家に配慮したのか、映画の最後には、「この小説はナチス占領下の1942年、愛国者によって出版された」という文言がわざわざ入る。ドイツ人将校ヴェルナーがパリの街を歩いているときも、アウステルリッツの戦いの勝利を称える凱旋門の石碑だの、ジャンヌ・ダルクの彫像だの、フランス人の愛国心を煽るようなモニュメントがさかんに出てくる(それを見て、ヴェルナーのほうは、自分の理想が幻想に過ぎないことに目覚めていく)。自由への希求を謳ったはずの作品が、逆の意味で非常に不自由な条件のもとで制作されたという事実。この作品を見るときには、鑑賞者はこうした背景を含んでおくべきだろう。だが、ジャン・コクトーがメルヴィル監督を気に入った理由を、この作品に色濃い「フランス愛国主義」に求めるのは、完全なる間違いだと思う。占領時代、ジャン・コクトーは確かに対独協力派からの猛烈な攻撃を受けた。それは主に俳優のジャン・マレーとの「不道徳な関係」が原因であって、コクトーの政治的立場とは直接関係がない。個人的な友情を何より重んじるコクトーは、対独協力派フランス人どころか、ヒットラーの側近である彫刻家アルノ・ブレーカーとの交流を続けていた。この態度がのちに、コクトー自身対独協力派だったのではないかというあらぬ疑いをかけられる原因にもなる。また、コクトーはフランスが世界に冠たる文化国家であることを誇りにしていたが、フランス政府や一般人の態度についてはかなり批判的だ。フランスを偉大にしたのは誰か? ヴィヨンであり、ランボーであり、ヴェルレーヌであり、ボードレールだ。このお歴々が皆、留置場に押し込められた。人々は彼らをフランスから追放しようとした。病院で死ぬにまかせた。(ジャン・マレー著「私のジャン・コクトー」岩崎力訳、東京創元社)コクトーのこの言葉は、フランスの名声を世界に高めた詩人がいかにフランスに冷遇されたかを皮肉ったものだ。どうみても、いわゆる愛国主義者の言葉ではない。また、コクトーは占領時に以下のような、彼なりの「抵抗論」を書いている。戦ってはならない。フランスはアナーキーの伝統という秘密兵器をもっている。それは強大な民族をも戸惑わせる力をもっている。戦ってはならない。侵入したければするがいい。フランスはあなたがたを打ち負かし、最後にはあなたがたを支配するだろう。(前傾書より)レジスタンス活動家とは一線を画した思考のもち主だったコクトーが、では、なぜこの作品を気に入ったのか。その秘密を解く鍵は、老人と青年将校の「関係性」にあると思う。小説『海の沈黙』では、老人の姪の心理にスポットが当てられている。フランス贔屓のヴェルナーは姪に惹かれているが、姪のほうも紳士的なヴェルナーに次第に惹かれていく。そうした心理的葛藤の後、去り行くヴェルナーに、「アデュー」と一言告げるのが小説のハイライトだ。ところが、映画『海の沈黙』では、監督のメルヴィルの関心はむしろ、老人が青年将校に抱く不思議な共感にあるように見える。ヒロインは存在感が薄く、脇に追いやられている。もともとメルヴィルとは、『白ゲイ』、じゃなくて、『白鯨』の作者ハーマン・メルヴィルから取ったもの。監督自身、「男による男だけの世界」に引き寄せられる体質だったことがよくわかる。映画は、老人のナレーションと青年将校のモノローグで進行していく。老人は青年の心理にぴったり寄り添い、その想いを代弁する。たとえば、激しい雨の晩、外出先から戻ったヴェルナーは老人と姪がくつろぐサロンに直接入ってくるのではなく、自分の部屋に戻って、服装を正してから挨拶に来る。それが、「威厳を損なうような格好を見せないため」であることを、老人は理解している。礼節を重んじるヴェルナーに対して、シカトを続けるのは、「つらい」と老人は感じている。彼が姪に惹かれていることも察している。沈黙を続けながら、老人は常に青年の心を思っている。非常に印象的なのは、老人の青年を見つめる「まなざし」だ。老人とは思えない強く、鋭い、強烈な意志を感じさせる。それもそのはず、老人役の俳優ロバンは、撮影当時は30代半ば。実際には老人ではなかったのだ。ヴェルナー役のヴェルノンが1914年7月生まれ、ロバンは1913年12月生まれ。つまり2人はほとんど同い年といってもいい。ヴェルナーを見つめる老人の射抜くような視線は、表向きは激しい抵抗の意思を示したものとして描かれているが、それだけではない「何か」が漂っている。たとえば、老人がドイツ軍本部に出向いて、そこでヴェルナーと視線を交わす場面。ヴェルナーは鏡に映った老人の視線に気づいて、一瞬たじろぐ。そして、鏡から視線をはずし、老人と眼を合わせ、何か話しかけようとしたあと、そっと頭を下げる。その遠慮がちの態度は、猛禽類に狙われた、いたいけな小動物めいている。ラスト近くでも、2人の視線が絡み合う。パリで上官や長年の親友の無慈悲な態度を見てナチスドイツに絶望し、自ら前線への配置転換を願い出たヴェルナーが、老人と姪の暮らす家から出ていこうとする場面。戸口のそばに置かれた本を開くと、そこには、切り抜かれたアナトール・フランスの言葉。それを読んだヴェルナーがはっとしたように振り返ると、そこにはまた、部屋の隅から自分を見つめる老人の燃えるような視線がある。そこで音楽が急に、切なく激しく盛り上がり、ここが映画のハイライトであることを強く示唆する。老人がわざわざ青年に読ませたアナトール・フランスのメッセージは謎めいている。「罪深き命令に従わぬ兵士は素晴らしい」。この解釈は幾通りにも可能だ。それは見るものに委ねられている。昨今の「説明しすぎ」の映画にはない態度だ。Mizumizuには、老人が青年に「(前線なんかに)行くな」と言っているように思えた。そう解釈した理由の1つは、パリで会った親友の変貌ぶりに絶望したヴェルナーの涙ながらの独白を聞いたときの老人の態度。これまでかたくなに沈黙を保っていた老人が、ヴェルナーに何か言おうとするのだ。それもかなり勢いこんで。ところが、それをヴェルナーが止める。「私と話してはいけない。あなたはあなたの抵抗を貫くべきだ」と言わんばかりに。そこで老人は再び沈黙し、前線に復帰するというヴェルナーの決意を聞く。彼と彼の間にある、越えられない境界線。最初ヴェルナーは、フランスへの共感と未来への明るい希望を言葉にすることで、その境界線を越えようとした。だが、やがてそれが許されざる宿命だと悟り、自ら去ることを決意する。最後の最後に、アナトール・フランスの言葉に託して老人は、「もう一度境界線を越えてこちらに来い」と言ったのではないか。フランスの文学を愛し、支配者ではなく友人として自分たちと接しようとした心清きドイツ人将校。むざむざ命を捨てるような前線に、老人は青年を行かせなくなかったのではないか。彼ほど彼の心情を理解した人間は他にいなかったのだから。ヴェルナーも姪のいる家に未練があった。出発の手伝いをするために部下が部屋をノックしたとき、彼が彼女の来訪を期待していたことは明らかだ。ヴェルナーがメッセージを読み、老人と視線を交わしたあと、部下がやってきて、出発の準備ができたとヴェルナーに告げる。そこでしばらく沈黙が流れ、ヴェルナーの「Ich komme(今、行く)」という台詞が来る。このときヴェルナーは部下も老人も見ていない。「私は行く」--これは、部下への返事という以上に、老人への返答のように聞こえた。これがヴェルナーの最後の台詞だ。そのままカメラは老人の視線となり、戸口から出て行く青年のたくましい後姿を追う。彼はドイツ人らしく、規律に殉じることを選んだのだ。その内面の苦悩を誰よりも理解したのは、敵として存在するほかないフランス人の老人だった。『海の沈黙』が愛国と反ナチ勢力に取り巻かれつつも、凡百のプロパガンダ映画で終わらなかった理由も、触れ合うことを許されない魂の間に生じた微妙な電流を、陰影に富んだ独特の映像美で描出できたことにある。老人は立ち尽くし、青年が開けたまま出て行ったドアの方向を見つめ続ける。外の見える開いた戸口、老人――このショットが3度も繰り返され、最後に老人が眼を伏せ、肩を落とす。ああ、彼は行ってしまった――声にならない老人の声が聞こえてくる。哀しくも美しい、2人の人生の別れ。老人の留まる部屋は暗く、青年が出て行った戸口の外は明るい。だが、彼が向かったのは、この世でもっとも暗い地獄なのだ。ジャン・コクトーが『恐るべき子供たち』をメルヴィルに撮らせたいと思ったのは、この老人が青年にむけたプラトン的視線ゆえだと思う。『恐るべき子供たち』で核になるのも、ダルジュロスとポールの関係性。ダルジュロスの出番は少ないが、ポールは常にダルジュロスに支配され、彼に導かれるままに死の世界へ旅立つ。もう1つ理由があるとすれば、青年将校役のスイス人俳優ハワード・ヴェルノンが完全に「ジャン・マレー風」の演技を披露していることだろう。この映画が撮影された当時、マレーはフランス一の人気イケメン俳優だったから、その演技スタイルの影響を受けたとしても不思議ではない。『美女と野獣』の話題も出てくる。話題にするのは映画ではなくて小説のほうだが、『海の沈黙』の撮影の前年にコクトーの映画『美女と野獣』が封切になっている。コクトーは、自分の映画の影響を、ヴェルナー役に見たのかもしれない。それにしても・・・岩波ホールは、シニア世代でいっぱいだった。20代はほぼ皆無。戦争あるいは戦後の混乱期を体験した世代は、若いころはレジスタンス活動に対して気真面目なシンパシーをもっていたのではないかと想像するのだが、年齢を重ねた彼らが今、この映画をどう見たのか、膝をつめて聞きたい気がした。
2010.03.15
岩波ホールに『海と沈黙』を見に行った。ジャン・ピエール・メルヴィル監督の処女作で、この作品を見て感銘を受けたジャン・コクトーが、それまで誰にも許諾しなかった『恐るべき子供たち』の映画化をメルヴィルに託すことになった。 原作は、レジスタンス文学の傑作とされるヴェルコールの小説。第二次大戦下、自宅をナチスドイツに接収されたフランス人家族(といっても叔父と姪)が、「沈黙」で支配者であるドイツ人将校に抵抗するという物語。だが・・・日本ではほとんど触れられない事実がある。ジャン・ピエール・メルヴィル監督の本名は、ジャン・ピエール・グルームバッハ。苗字が明らかにドイツ系なのはアルザス出身だからで、しかも、彼はユダヤ人。そして、ヒロインを演じた女優、ニコール・ステファーヌ。彼女の本名はニコール・ド・ロスチャイルド。言うまでもなく、大銀行家ロスチャイルド家のおぜふ様なのだ。もちろん生活のために女優なんぞをやる必要はない。と言っても、勉強熱心なユダヤ人の例にもれず、彼女も真剣に演劇の勉強をしているし、出演した作品ではそれなりの存在感と演技力を見せている。のちにイスラエル建国にもジャーナリストの立場から尽力している。メルヴィル監督は低予算で苦労して映画を作った--というような美談ばかりが喧伝されているが、それは少しおかしいと思う。資金援助をしたのは、当然ニコールの実家で、だからこそ彼女が主役を務めた。世界有数の資本家なのだから、映画作りのカネくらい、出そうと思えば、もっと出せたはず。それが「低」予算だったのは、つまり、大富豪のロスチャイルド家が「渋かった」ためだ。『恐るべき子供たち』でもニコールの従姉妹のヴェズベレール夫人が資金提供をして映画化が実現した。もちろんユダヤ人だ。コクトーはお金持ちで、何不自由なく好きな芸術活動を思い切りできた・・・などという誤解が広まっているが、実際のコクトーは何をやるにもスポンサー探しに苦労している。南仏の教会の壁画を描くための資金を集めるのに大変な思いをしたのに、それを取材に来たテレビ局の番組の予算が、自分が作品を描くためにかき集めた資金より上だったと聞いて、ジャン・マレーに怒りをぶちまけている。『恐るべき子供たち』で生じたユダヤ人との友情をコクトーは生涯大事にし、サインに添える星をダビデの六角形の星に変えている。だが、ヴェズベレール夫人がイスラエル国籍を取得したことは長い間伏せていた。ユダヤ資本の映画への進出がいつごろから本格的になったのかは知らないが、この『海の沈黙』は、フランス人のレジスタンス活動に相乗りした、ユダヤ人による反ナチプロパガンダ映画の「はしり」のような側面をもつ作品なのだ。2007年だったか、ロスチャイルド家の当主が東京に居を構えたとかいう噂が流れた(その後すぐパリで死亡が伝えられた)、ここにきてユダヤ人監督がロスチャイルド家のお嬢様をキャスティングした大昔の作品が映画館で公開(しかも劇場初公開)になるってのは・・・単なる偶然でしょうかね?ポスターもロスチャイルド家のお嬢様のアップ・・・ 演技は別に悪くはないのだが、これだけ台詞が少なく、しかもドイツ将校に想いを寄せられる役なのだから、もうちょっと容姿に華がある女優が演じるべきではなかったかとチラリと思う。映画作りにはこうした裏事情が付きまとい、わかりやすい商業化がさなれればなされるほど、スポンサーのプロパガンダ精神がいかんなく発揮されることになる。当然と言えば当然のことだ。アカデミー賞なんて、それの冴えたるものじゃないだろうか? 所詮はアメリカ人のご都合主義の価値観と政治的思惑によって決まる受賞作品を、日本人がいつまでたってもやたらとありがたがって見に行く姿は、多少滑稽ですらある。反ナチプロパガンダ映画は、常に紋切り型の絶対悪としてナチスドイツを描く。それは、ある意味でラクな選択だ。ナチスを美化するわけにはいかない。絶対悪として描けば、どこからもとりあえずクレームはこない。だが、こうしたプロパガンダ映画に共通して欠落した視点は、「なぜドイツ――世界でもっとも民主的な選挙制度をいち早く築いた国――の人々が、ナチスを支持したのか」「なぜユダヤ人迫害を、ヨーロッパの多くの人々が見て見ぬ振りをしたのか」という点だ。こうした点を避けて、ナチ=問答無用の絶対悪として断罪しているだけでは、結局は、違った絶対悪が世界の密かにどこかで台頭してきたときに、歴史はそのストップ役を果たさない。実際、イスラエルがパレスチナでやっていることは? 自分たちの革命――それは最初暴動から始まった――やレジスタンスを美化したフランス人が、アルジェリアでやったことは? あるいはタヒチの暴動の際に取った態度は? 「ホロコースト」と「レジスタンス」をさかんに世界に吹聴して回った2つの国が、今はむしろ告発されるべき立場にあり、それをさまざまな手段ではぐらかしているという現状はあまりに皮肉だ。『海と沈黙』でも、きわめてわかりやすいナチ=絶対悪の図式が展開される。たとえば、フランス人家族(叔父と姪)の家を接収したドイツ人将校は、基本的に純粋な性格だ。彼がパリに行き、絶対悪に染まった上司やかつての友人と会話してその罪深さに衝撃を受けるシーン。上官は、フランスの文化・精神を破壊しなければいけないと主人公にまくしたてる。主人公の青年将校は音楽家だが、フランスの文化、ことに文学に憧れをもっていた。「文学ならフランス。でも音楽ならドイツ。我々は戦争をしたけれど、これからは結婚すべき。この2つの国が融合すれば、どれほど偉大な国になることか」と、彼は自分を無視して沈黙を守るフランス人の老人(叔父)とその姪に熱く語っていた。つまり、それは一種の「ヘレニズム的理想」だったのだ。ヘレニズムとは、アレクサンダー大王の東方遠征により、オリエント文化とギリシア文化が融合して生まれた文化を指す。その概念を提唱したのは、19世紀のドイツ人歴史家だ。彼らの根底にあるのは、結局のところ東洋に対して常に文化的・倫理的に優位にたつ西洋が、遅れた東洋を啓蒙したという考え。これは軍事力による支配を正当化する理由付けとして、今日に至るまでしばしば利用される。そのくせ、モンゴルによるヨーロッパ侵攻は、あくまで野蛮な侵略と強奪であって、そこには何らの文化的意義も認めようとしない。純粋なドイツ人将校の「文学の国・フランスの音楽の国・ドイツの結婚」という空想も、結局は支配者の手前勝手な押し付けにすぎない。老人と姪は沈黙をもって、この押し付けを拒否する。青年将校は、パリで上官と会話することで、自分の理想が単なる絵空事だったと知る。そして、上官から聞いた戦慄すべき事実。それはアウシュビッツの話だ。「今は1日500人殺している。やがて1日2000人殺せる装置ができる」。むしろ得意気に話す上官の姿に観客は、ナチスドイツの非人道的思考を激しく嫌悪することになる。のだが・・・冷静に考えてみよう。1日500人殺しただけでも、その死体の処理は大変だ。それが2000人に増えたら? もちろん殺すのも大変だろうが、2000人の遺体処理・・・ どれほどの焼却設備が必要になることか。ドイツ人がいかに働き者でも、想像を絶する作業ではないだろうか?「1日2000人殺すつもり」――この数字に裏づけがあるのかないのかについて、Mizumizuは論じるほどの知識はもたない。常識的には考えにくい数字だと思うだけだ。だが、裏づけがあろうとなかろうと、映画で残忍そうな軍人が得々と話せば、ナチスの残虐性が一瞬で強く印象づけられることになる。非常に有効なプロパガンダだ。もう1つ、こちらのほうがMizumizuにとっては不愉快だったのだが、この映画に色濃い、「ドイツ人、悪いでしょう」の図式だ。青年将校は、「自分はドイツ女性が怖い」などと言う。いやしくもドイツの軍人がフランス人女性の前で、自分の国の女を悪く言うなんて設定がそもそも信じられないのだが、彼によれば、結婚するはずだった女性が森で虫に刺されたとき、「罰してやらなきゃ」と言いながら、虫の脚を1本1本むしったのを見て嫌悪感を覚え、結婚話を反故にしたのだという。ゲシュタポによるレジスタンス活動家への拷問が凄惨を極めたことは、多くの証言から疑う余地はない。それを彷彿させるようなエピソードなのだが、見ていて気分が悪いのは、ドイツ人は普通の女性でさえ、そうした残虐性をもっていると印象づけようとする意図が感じられることだ。かつての西部劇ではインディアン(ネイティブ・アメリカン)が徹底して悪者だった。インディアンならどれほど野蛮で残虐に描いてもオッケー、という時代が長く続いた。『海と沈黙』でのドイツ女性のこのエピソードは、昔の西部劇でのインディアンの描き方に共通する、それこそ「野蛮な」悪意がある。そこにいくと、ルキーノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』でマルティンを通じて描かれたナチスの戦慄すべき悪の姿は素晴らしい。マルティンは、エッセンベック財閥の1人息子で、母親の退廃を見てナチスに傾倒していく。母親は一族の内紛に勝利するためナチスを利用するのだが、やがて息子に裏切られ、自殺に追いやられる。最初はうまく利用するつもりだっただけのナチスに息子を取り込まれ、破滅する母。その母の遺体に向かって、敬礼する軍服のマルティンは、怖いぐらい冷たく、美しい。人間的な情を完全に喪失したマルティンの顔が美しければ美しいほど、ナチスという悪が1人の内面を占拠し、魂をとことん蝕んだ現実が否応なしに突きつけられる。これこそがナチスの真実ではないだろうか? あるいは、あらゆる「カルト」の? マルティンは最初から悪人だったわけではない。むしろ権力欲に取りつかれ、親族殺しさえ厭わない母の度を越した悪行を目の当たりにして、若者らしい憤怒に駆られたという側面もある。歪んだ正義感がこころの中で暴走した結果、彼は、さらに大きな悪の下僕となってしまった。そこに単に「ナチス=悪」を超えた、普遍的な人間の業に対する警告をMizumizuは見るのだ。<続く>
2010.03.14
ヌーベルバーグの先駆けとして現在では高い評価を得ているジャン・ピエール・メルヴィルの『恐るべき子供たち』。新進の映画監督だったメルヴィルの『海の沈黙』を見て感銘を受けたコクトーが、長い間同意しなかった自身の小説の映画化を彼に委ねた。条件はエドゥアール・デルミットを主役にすえること。もう1つの条件として、美術はクリスチャン・ベラールに担当させるはずだったのだが、ベラールが急死してしまったことで、設定年代の変更を余儀なくされた。コクトーは1947年に、パレロワイヤルの画廊で画家志望だったエドゥアール・デルミット(当時22歳)に出会った。レーモン・ラディゲの面影を宿すデルミットを一目で気に入ったコクトーはその場で、ミリィ・ラ・フォレにジャン・マレーと共同購入した別荘の庭師の助手として採用。まもなく「息子」として厚く遇するようになった。同年のコクトー監督の映画『双頭の鷲』でもデルミットをエキストラとして出演させる一方、監督の助手も務めさせる。その後、マレーはコクトーとの同棲を解消し、デルミットがコクトーと一緒に暮らし始める。デルミットは、1949年8月に撮影が始まった『オルフェ』でのセジェスト役を経て、12月からこの『恐るべき子供たち』の撮影に入った。デルミットは1951年に正式にコクトーの養子となり、唯一の遺産相続人に指定されている。ジャン・コクトーとしては、『恐るべき子供たち』の主役に抜擢することで、マレーに与えたような飛翔のチャンスをデルミットにも与えようとしたのだろう。だが、病弱で線の細いポール役にデルミットは明らかにふさわしくなかった。おまけに演劇経験がほとんどない未熟さはいかんともしがたかった。『恐るべき子供たち』は、公開当時は批評家からは不評だった。だが、その後作品自体は見直され、評価が高まっていく。時代がコクトーに追いついてきたのだ。だが、主役がミスキャストだったという事実は変わりようもなく、監督自身も認めざるをえなかった。たとえばこれ。親友のジェラールにポールが寄り添うシーン。少年の面差しを残すジェラールにはそれなりの雰囲気があるのに、ポールが妙にゴツいせいで、バランスがとても悪い。こちらも、ショットとしては素晴らしい。ゆったりと曲がって下る石畳の道。両脇の石造りの商店街。そこを脱兎のごとく駆けていく少年と少女。絵画的な美しさと詩情にあふれたシーンなのに、デルミット(右)のやけに発達した下半身と半スボンがすべてをぶち壊している。阿片の幻想の色濃い場面でも、ポール役のデルミットが台詞をしゃべらずにナレーターのコクトーが全部フォロー。夢幻の世界にふさわしい不思議な効果…といいたいところだが、デルミットが「しゃべれない役者だからナレーションでごまかしてる」という印象に。デルミットはみょ~に肉体を露出させる。この変にセクシーな黒い(黒じゃないかもしれないけど)パンツは何!? いっておくが、ポールは石入りの雪球を投げつけられて吐血し、そのまま学校に行けなくなってしまうような病的な少年なのだ。一度なら許すとしても…Mizumizuの選ぶ『恐るべき子供たち』、ワーストシーン。姉ちゃんと弟が無邪気(?)に、どちらが先にお風呂に入るかでケンカし、どちらも意地になって譲らず、結局2人で入ってしまうという展開なのだが、2度までもこのムチムチに発達した下半身を見せられて心底ゲンナリ。このときデルミットは24歳。ジャン・マレーも同じ年ごろの頃コクトーと出会い、コクトーの原作・演出の舞台『オイディプス王』でほとんど裸で舞台に立っいる。これがコクトーとマレーのコラボレーション第一作。どっちかというと、この「頭のてっぺんからつま先までミケランジェロのダビデ」とパリの観客を瞠目させた美青年の動画映像を残してほしかった。マレーは初期の時代こそ、コクトーの演出に素直にしたがって脱いでいたが、すぐにそうした肉体美を売り物にすることを嫌がるようになる。マレーが25歳だった戦争直前の1939年には、『恐るべき親たち』を映画化しようとしたのだが、ヒロイン役をめぐって出資サイドとコクトー&マレーが対立し、結局映画は流れてしまった。今となってはジャン・マレーが文字通り(?)「見かけだけ俳優」だった20代半ばの映像は、舞台のスチール写真しか残っていないのだ。『悲恋(永劫回帰)』のマレーは、すでに29歳だった。『恐るべき子供たち』に(気を取り直して)話を戻そう。肝心の主役でスベったにしても、やはりこの作品は名作だ。なんといっても俯瞰を多用した斬新なカメラワークがいい。撮影はアンリ・ドカエ。後に『死刑台のエレベーター』『大人は判ってくれない』『太陽がいっぱい』『サムライ』などの名作に携わっている。そして、鮮烈なラストシーンも、俯瞰。実はコクトー自身は、このラストシーンは「スクリーンには死者が残り、生きている者が退場し、徐々に視点が上へ遠ざかる」というイメージをもっていた。だが、それは『悲恋(永劫回帰)』のラストで使ってしまった(占領下日記)。『恐るべき子供たち』の最後は、コクトーのもともとのイメージよりずっとリアルで残酷なものになっているかもしれない。だが、それが他のコクトー映像にはない新鮮な驚きを与えることに成功している。エリザベート役のニコル・ステファーヌの熱演も賞賛に値する。ポール役のデルミットの未熟さを彼女の烈しさがうまくカバーした。小説執筆時、コクトーのミューズはグレタ・ガルボだったという。コクトーは10代後半のガルボの写真を脇におき、ガルボが眼前にいるように想像しながら小説を書いた。映画は「若きガルボ」とは違ったイメージになったかもしれないが、ダルジュロスの幻影と格闘するエリザベートの嫉妬と苦悩がよく伝わってきた。ダルジュロス役はアガート役のルネ・コジマの2役。ポールの線が太すぎるせいで、ダルジュロスの印象が薄くなった恨みはあるものの、1つ1つのシーンは絵画的で美しい。アガートとエリザベートの衣装はクリスチャン・ディオール。毛皮のコートを首元でおさえるルネ・コジマの指の表情がエレガント。「聖処女エリザベート」に思いを寄せるジェラール。このシーンは『オルフェ』を彷彿とさせるようなモーション。コクトーとメルヴィルの感性が入り混じっていることを印象づける。Mizumizuの選ぶベストシーンは、やはりコクトー作品にふさわしく、「死」の場面。深い霧の中で、エリザベートの婚約者が事故死を遂げる。幻想的な場面にかぶさる詩的なナレーション。首にまきついたマフラーが車輪に絡まって命を落とすというのは実際にあった話だという。このあと回り続ける車の車輪が映る。静けさと恐怖と美しさに満ちた場面。ちょっと残念なのは、物語上も重要な意味をもつ雪合戦のシーン。小麦粉か何かを使ったのか、雪がうまく雪球になっていない。雪がもっとリアルだったらさらに美しくなっただろうに、予算不足だったのだろうか。しかし、この映画のDVDの解説はヒドイ。まずはジャン・コクトーについて。「舞台と映画に主演した美形ジャン・マレーとの同性愛に結ばれ、マレーに看取られながら死の世界に向かった」。『恐るべき子供たち』とは何も関係のないマレーの名前を出したあげく、主演のエドゥアール・デルミットと混同している。コクトーを看取ったと言えるのは、死の当日まで一緒だった養子のデルミットなのだ。動かぬ証拠↓「1963年10月11日 ドゥードゥー(=デルミットの愛称)が電話をかけてきた。ジャンは肺腫瘍に負けてしまったのだ」「ジャンが息切れの発作に襲われるや、ドゥードゥーはフォンテンブローの病院に電話をかけた。酸素吸入の道具が間に合わなかったのだ。私の生は停止した。どうやってミリィまで車を運転したのか、思い出せない」(ジャン・マレー自伝より)さらに映画の音楽について、「ときにはかき立てるように高鳴り、ときにはひそかに胸をかきむしるように、4台のハープシコードが交錯する4人の心情を代弁する」。解説ではバッハの「4台のハープシコード(ピアノの前身)協奏曲イ短調BWV1065」となっているが、映画の冒頭にちゃんと書いてあるとおり、「4台のピアノのための合奏協奏曲イ短調BWV1065」なのだ。concerto grosso (合奏協奏曲)だから、ピアノだけでなく弦楽器も参加している。だが、ハープシコードは使われていない。あくまでピアノだ。音聴きゃわかるだろうに。だが、このバッハの音楽が素晴らしい効果を与えていることに異論はない。オーダーメイドの音楽ではないのに、この作品のために作られたように聞えるから不思議だ。もう1つ、間違いとも言い切れないが、大いに誤解を生じさせる記述も。「(コクトーは)シュールレアリズム派の芸術家とも親交が深い」コクトーの生涯にわたる最大の天敵はシュールレアリズムの父アンドレ・ブルトンだった。コクトーが親交を結んだのは、ブルトンからいわば一方的に「破門」されたシュールレアリスト。たとえば、エリュアールがブルトン陣営にいるころ、コクトーとエリュアールは対立していたが、のちにエリュアールがブルトンを離れて和解している。だが、ブルトンは生涯コクトーを徹底的に敵視し続け、コクトーがフランスの詩王に選ばれる際にも、頑強に反対している。ジャン・マレーも『私のジャン・コクトー』の中で、コクトーを死ぬまで攻撃したブルトンの偏狭さに疑問と苦言を呈している。
2008.07.07
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