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アンドレ・ユヌベル監督という人は、なぜかジャン・マレーの胸をいたぶることが好きで……宿敵リナルドとの一対一での決闘でも、ド・カペスタン(マレー)は胸を切られている。『ファントマ 危機脱出』でも、ジャン・マレー演じるファントマが……こんな台詞を吐きながら、これまたマレー演じるファンドールの胸に……自分の名前の頭文字Fの焼印を押すというシーンがある。まるっきり『O嬢の物語』(O嬢? 悪い本を読んでるなあ……)で、しかもやるほうもやられるほうもジャン・マレーという1人SM状態。『ファントマ 危機脱出』では、このあとマレーの得意技「失神」も入れるというサービス(?)ぶり。さて、『怪傑キャピタン』の続きを見ると、胸やら腕やらを切られつつも、ド・カペスタンは城の上へ上へとリナルドを追い詰め、お決まりの結末に。このときのマレーの表情は、ゾクッとするほど冷たく美しい。ジャン・マレーという人は、いくつになっても、ときどき思いがけないシーンで、思いもかけない色気を発散させる不思議な役者だ。演技が巧みなのはもちろんとして、こういう「雰囲気」をいつまでも失わなかったことが、マレーが長く第一線で活躍できた理由なのだろう。ジャン・コクトーは、マレーが一時多く撮っていたメロドラマにはわりあい批判的で、「今、XX(=プロデューサー)が撮らせている映画は、君にふさわしくありません」とマレーに書き送ったりしているのだが、この1960年前後の一連の剣豪モノは、そもそも自分が『ルイ・ブラス』でマレーに与えた役だったせいか、非常に気に入っていて、城塞の決闘:「せむしはあの瘤に、ラガルデールの巻き毛と同じくらいの夢を入れて運んでいます。君は2倍素晴らしかった」怪傑キャピタン:「観るのを楽しみにしています」カピテーヌ・フラカス:「いとしいカピテーヌ・フラカス、ぼくは君を愛しています」とマレーへの手紙で、常に関心を寄せていることを示している。そうこうしてるうちに、城内では、フランス人形が……親友のリボンの騎士をかばって死んでしまった。ああ、これじゃ、もうド・カペスタンにはリボンしか選択の余地がなくなった(あ、最初からリボン一本だったっけ?)……しかし、リボンの騎士は実は、ルイ少年王のブルボン家と並ぶ銘菓ババロア、いや名家ヴァロア家の血を引く高貴な貴族の出で、ド・カペスタンは、結果、ルイ少年王のお墨付きで逆玉に乗ることになるのだ(王の友情と高貴な姫の愛を両方手に入れる騎士カペスタン、ホント都合がいいなあ……)。ド・カペスタンが、切られた胸を最後まで押さえてるのがみょ~に気なったりして。ルイ少年王は水戸黄門なみの口上で最後をまとめるのだが……もうちょっと華のある役者はいなんだか?? そう、ユヌベル監督作品で唯一足りないもの、それは「若いイケメン男子」なのだ。エキストラにさえ美少年をずらりとそろえた『ルイ・ブラス』とはえらい違い。主役のジャン・マレーがくわれるのを避けたのか、あるはヘタにイケメンを共演させてマレーのお手つきとなってしまうのを恐れたのか、はたまたユヌベル監督が若い美男子にはまったく興味がなかったのか? ローティーンの女の子にもアピールするような王子様タイプがいないのが気になるところ。『ファントマ』もそうだが、ユヌベル監督というのは、基本的に、どちらかといえば「男性向け」の映画作りをする人かもしれない。それでも、やはりこの監督はベテランのプロ中のプロだと思う。難しいゲイジュツ作品ではない、刺激的なシーンや過激なシーンはゼロの家族で楽しめるハッピーな大人のお伽噺。ストレスの多い現実社会を生きている一般庶民は、結局、こういうたわいもないハッピーエンドの夢物語に救いを求める――そのことを監督も主演俳優もよくわかっている。さて、ここまで読んで「どうして、ド・カペスタンの話なのに、タイトルはキャピタンなんだ?」と思った方。このどうでもいい大いなる謎を解きたければDVDをご覧ください。◆新品DVD★ 0922PUP2 【080918_dvd】 【080925_dvd】 『怪傑キャピタン』
2008.09.22
アンドレ・ユヌベルという監督が、ジャン・マレー主演のコクトー作品を好きだったことは間違いない。『怪傑キャピタン』がそもそも、『ルイ・ブラス』をさらにわかりやすく大衆的にした作品といえるもので、似たシーンも多くある。まんまコピーした、綱につかまっての振り子移動に関しては、5月24日のエントリー(『ルイ・ブラス』)と8月27日のエントリー(『怪傑キャピタン』)参照のこと。『ルイ・ブラス』では、この危険なスタントをみずからやりたがるマレーと替え玉を使うつもりだった監督の間で1時間以上言い争いになった。そして、昨日紹介したように、『悲恋(永劫回帰)』とそっくりなショットが急に入ってきたりする。さらには、なんと、ピエラルも登場するではないか。ピエラルは『悲恋(永劫回帰)』では、マレー演じるパトリスに屈折した感情を抱くアシール役を演じた。表面的には悪役ながら、哀しさもあるキャラクターで、パトリスを死へと導く水先案内人でもあった(詳しくは4/12のエントリー参照)。『怪傑キャピタン』でピエラルが扮するのはタダの悪人、天才錬金術師。肉体的なハンディのある人にこういう役をやらせるのは、今では難しいかもしれないが、ピエラルは生き生きと、楽しげにこの超悪役を演じている。この悪人に毒を盛られた馬が暴走し、ルイ少年王(15世)は川に馬ごと落ちてあわや溺死というハメに。それを救うのが、またしても……相当な高さから飛び込むド・カペスタン。ルイ少年王が落ちるシーンでは、馬だけ草と一緒に落として役者は落っこっていなかったゾ――なんて突っ込みはともかく、見事な飛び込みブリに思わず「北京オリンピックに出場?」と思ってしまった(あ、もうジャン・マレーはお墓の中か)。スタントマンかと思いきや、水中に飛び込んで出てきた顔は間違いなくジャン・マレーだった。崖から飛び込こむところから入水、そして顔を出すまでを長いワンカットで撮ってるから間違いない。自伝では「冷水は大嫌い」と言っていたのだが……。これでルイ少年王のハートをがっちりつかんだド・カペスタンは、「余の友となってくれ」と全幅の信頼を得て……とルーブル宮殿の王の居室でご挨拶。ルーブル宮殿は、空間をすべて装飾で埋め尽くす豪華さ。これぞまさしくフランス式。一方、(自称)詩人と愛犬フランスのまさお君はといえば、宮廷に出入りするようになってゴージャスなお食事に目を奪われる。これは「テーブルの下に隠れろ!」と命令されたまさお君が……ご馳走ののったテーブルから離れられないお姿。一応前脚で顔を隠してご主人の命令にしたがってるつもり。こちらは隠れ家での食事シーン。運ばれてきたスープにちぎれそうなほど尻尾を振るまさお君。ルックスでは本家日本のまさお君にはチト負けるが、性格ベクトルは同じ方向を向いている。さて、ド・カペスタンは姿を消したリボンの騎士と対面。ところが、リボンの騎士一派は、悪人の宰相ともどもルイ少年王も廃位に追い込むべきだと考えていた。宰相を排除することには諸手を挙げて賛成のド・カペスタンだが、ルイ少年王は守るべきだと主張してリボン一派と対立。すると愛するリボンの騎士は……「……私たちは二度と会えない。意味はおわかりになるわね?」と思いつめた顔。王か、私か――愛する美女から選択を迫られても、「王には背けない」と、きびすを返すド・カペスタン。う~ん、サムライのようだ。騎士道原則その3:なによりも主君への忠義を優先させるべし。決して、ジャン・マレーだから美女より少年を選んだ、ってワケではない(だろう)。こうしてリボンの騎士と気まず~く別れてしまったド・カペスタン。そこへ金髪の美女がやって来て……泣いてる……やっぱり、こっちでもイイんじゃ…… などと外野が余計なことを考えてるうちに、ド・カペスタンはフランス人形とともにリボン一派の城を訪れ、と説得。あっけなく説得されたリボン一派のところに悪人宰相の手下がなだれ込んできて……始まりました! テキは赤いからわかりやすい!祝! 太田雄貴選手! 北京オリンピック、フェンシング男子フルーレ銀メダル!!フルーレっていまだにナニかわかりませんが……(苦笑)。<続く>
2008.09.21
この映画の売りであるフェンシングでの格闘シーンは、律儀なことに、ほぼ25分に一度は行われる。「体育会系ジャン・マレー」の魅力が炸裂する場面。コクトーやヴィスコンティ作品では重きをなしていなかったが、ジャン・マレーという人がもっている溌剌とした陽性の魅力を、飛んだり跳ねたり走ったりといったアクションシーンで引き出したのは、ユヌベルのような純粋な大衆向け娯楽作品を得意とする監督だろうと思う。マレー自身も自伝の中で、初期の『カルメン』(1945年)のクリスチャン・ジャック監督は、マレーの中に冒険を好む気質があるのを見抜き、それを利用した、と書いている。クリスチャン・ジャックとマレーは、ずっと後の1966年にも1本映画を撮っている。さて、騎士が恋する姫のために、悪者と戦っているというのに、巻き込まれたくない詩人のほうは……言ってることはハムレットだが、要するに馬の足に細工して走れなくし、戦闘が終わったあとに登場しようという魂胆。リボンの騎士のほうも、自分を救うべく闘ってくれた騎士にお礼も言わずに行ってしまったうえ、今度は城に幽閉されてしまう。逃げられても追いかけるド・カペスタン。幽閉された彼女の救出に(頼まれもしないのに)やってくる。城に着いた騎士とその友・詩人(自称)。時間は、…って言ってますが……どっからどう見ても晴天の真昼間ですが?このあと湖を泳いでわたり、この城壁をよじのぼってリボンの騎士を救出するド・カペスタン。どうもジャン・マレーという人は、もともと「高いところによじ登る」のが大好きだったらしい。戦争中、非常に高い鐘楼の上での見張り役をやっていたマレーに、ジャン・コクトーは手紙で、「なにがあろうと、鐘楼の十字架によじ登るような無意味な勇ましさを見せようとしないで。ぼくが君だけに生きていることを忘れないでほしい。お願いだから、ぼくの苦悩を君の生来の好奇心やむこうみずで倍加しないで」と書き送っているのだが、コクトーの懇願は、このシーンを見る限り……無視されたと思う。キャロル・ヴェズヴェレールも「マレーが俳優連合の余興で、酔っ払い に扮して街灯によじのぼって、てっぺんで体を揺すってみせたとき、コクトーは真っ青になって今にも倒れそうな様子で見守っていた」と言っている。最愛の人に「やめて」と泣きつかれても、サッパリやめないジャン・マレー、あんたはエライ! コクトーがいみじくも言い当てたように「生来」なんでしょう、この人のswashbuckling(むこうみず)は。映像の合成技術が発達した今なら、こうしたシーンで役者が実際に城壁に張り付く必要もないだろうが、この当時の映像を見ると、合成された画面(たとえば走る車の中と流れていく外の景色)などは、とてもチープ。やはり、ジャン・マレーが実際に城壁に張り付いて、ロッククライミングよろしく、ある程度実際に登っているのは間違いない。このあと、高い窓からロープでぶら下って左右に振られたりしてる。イマドキの映画と違って、ワンカットが長く、マルチカメラでアングルを変えて撮ったカットをつないだりもしない(カメラはせいぜい上に1つ、下に1つ)ので、観客はまったりと「危険なシーンを体当たりで撮ってる役者」の姿を追うことになる。このクラシカルでシンプルな映像には、逆に、「これは相当アブナイ撮影だったでしょ」と思わせる、現実的な臨場感がある。さて、そんな危険をおかして忍び込んだ城内。リボンの騎士を捜してると、向こうから悪者たちの足音が……!で、こんなふうに身を隠すド・カペスタン。40代半ばで赤いタイツとは、おフランスの伊達男はやることが違う。頭上にこんな目立つ色のタイツを履いた脚があるというのに……何も気づかずに通り過ぎる悪者たち。無事リボンの騎士を救出し、隠れ家に連れてくるド・カペスタン。ヨーロッパ中の美女をお姫様抱っこしてきたジャン・マレー。当然、エルザ・マルティネリも……マルティネリのカワイイこと、カワイイこと。ド・カペスタンの腕の中でつぶらな瞳をパチパチ。このころのマルティネリのコケティッシュな美しさは最高。思わず巻き戻してじっくり観賞……(笑)。で、このあとは、もちろん……こうなるワケで(なんて、わかりやすいベタな展開だろう、時代劇はこれでなくっちゃね)。2人は結ばれました、メデタシメデタシにはちょっと時間が早かった。それを観客に予感させるのが、このあとのシーン。隠れ家が映し出され、太陽の位置が変わっていくのを早回しで写して、時間の経過を暗示してる。これは明らかに、ジャン・マレーの出世作『悲恋(永劫回帰)』で、マレー演じるパトリスと駆け落ちしたヒロインのナタリーが、2人が暮らしていた小屋から姿を消してしまうシーンで使われたショット(『悲恋(永劫回帰)』のこの場面については、4月16日のエントリーを参照)明らかに過去のジャン・マレー作品へのオマージュなのだが、案の定、隠れ家にド・カペスタンが戻ってくると……置き手紙を残して、またもリボンの騎士は消えるのであった。<続く>
2008.09.20
1950年代末から1960年代の初めにかけてフランス映画界で巻き起こった時代劇ブーム。騎士道華やかなりしルイ王朝時代のロマン活劇を、ジャン・マレーは3年の間に4本も撮っている。そのうちの3本の監督を務めたのが、アンドレ・ユヌベル。時代劇ブームが去り、スパイ映画が流行ると、今度は再びジャン・マレーと組んで『ファントマ』3部作を撮り、これもヒットさせた。『怪傑キャピタン』はアンドレ・ユヌベルがジャン・マレーをキャスティングした騎士道活劇の2本目(1本目は『城塞の決闘(Le Bossu)』)で、日本でもDVD化されている。◆新品DVD★ 0922PUP2 【080918_dvd】 【080925_dvd】 ユヌベル作品のよいところ――好みによっては、物足りないところにもなるかもしれないが――は、過剰なお色気がない、残酷なシーンがない、娯楽に徹していて深刻でないことだ。ジャン・マレー主演作品に関して言えば、ジャン・マレー+喜劇役者+美女をセットにしたことが映画がヒットした最大の理由だと思う。ファントマで共演したルイ・ ド・フュネスは、騎士道モノでもマレーと組んでいるが、彼のおもしろさは、なんといっても弾丸のようなそのしゃべり。一方、 『怪傑キャピタン』のブールヴィルは「間」のおもしろさが絶妙の喜劇役者。そしてブールヴィルは外見からは想像もつかない(?)美声の歌手。『怪傑キャピタン』でも、ブールヴィルはハッピーな歌を存分に披露してくれ、結果、作品にミュージカルのような楽しさが加わった。下の写真は王妃(イタリアのメディチ家から来たマリー・ド・メディシス)付きの侍女との間に、恋が芽生えるシーン。聞きおわったあとすぐ口ずさみたくなるようなキュートなメロディにのせて、楽しげに侍女の周りを踊るブールヴィル。ブールヴィルはどうみても大道芸人なのだが、自称「詩人」。だからって、この歌詞…………ジャン・コクトーへのイヤミですか?(笑)コクトーはジャン・マレーへの手紙で、「君の『怪傑キャピタン』と『クレーヴの奥方』を観るのを楽しみにしています」と書いている。『クレーヴの奥方』はコクトーの脚色、大御所ジャン・ドラノワ監督だったのだが、現在の日本では観ることはほぼ不可能。封切り当時も『怪傑キャピタン』のほうがヒットした。騎士道物語の原則は、日本の時代劇と同じく勧善懲悪であること。なので悪役は……「完全超悪」なワルモン面。リナルドという名前といい、巻き舌でRを発音するところといい、明らかにイタリア人。今じゃ、こんな差別的な設定は難しいだろう。『ファントマ』でジャン・マレーの恋人役だったのは、コケティッシュでセクシーながら、「脱がない美女」だったミレーヌ・ドモンジョ。ユヌベル監督というのは、この手の過剰でない媚態を発散させる美女をキャスティングするのが得意。そして、しばしば「もう1人のタイプの違った美女」も登場させる、とっても視覚にウレシイ監督なのだ。それでいて、007シリーズのように、入浴シーンだのベッドシーンだののような露骨なお色気シーンがない。この「慎み」もMizumizuがこの監督が好きな理由だ。1960年代のフランス映画ならではの、洒落た大人の演出という気がする。ハリウッドでもルイ王朝時代の騎士道モノは作られるが、どうしてもアメリカンな俳優がフランスの時代劇の主役を演じると違和感がある。そこへいくと『怪傑キャピタン』は衣装といい、景色といい、役者の表情や立ち振る舞いといい、フランスそのもの。フランスの香り、という気取った言葉よりむしろ、土着の匂いと言ったほうがふさわしいかのもしれない。そう、ルイ王朝時代の騎士道物語というのは、必ずしも絢爛豪華なだけではない、そこはかとない「ローカルさ」もただよっているのが魅力なのだ。『怪傑キャピタン』のヒロインはイタリア人のエルザ・マルティネリ。ちょっと離れ気味のつぶらな瞳がなんともチャーミングな美女。初登場シーンは……なぜか男装!? ストーリー的にはあんまり意味のない男装。コスプレの原点かもしれない。彼女は勇敢にも、ピストル一発でジャン・マレー演じるド・カペスタンの危機を救う。彼女の名はジゼル。緑の羽飾りをなびかせた「リボンの騎士」といったところ。とにかく麗しいの一言。さっそく一目惚れしたド・カペスタンは、「私につかまって!」とかけよったリボンの騎士の背中に……早くもジワジワ~と腕を回し、つかまるというより、ほとんどすでに抱きしめている。騎士道原則その1:気に入った美女には、すばやくストレートにモーションをかけるべしでもって、傷ついた自分を手当てしてくれるリボンの騎士に、ド・カペスタンは……またジワジワ~と腕をなぜたりして、わかりやす~いアッピール。ところが、いつの間にかリボンの騎士が、フランス人形に変わってる!?こ、こっちでもイイのでは? と思わせる金髪碧眼の美女。さてさて、ブールヴィル演じる大道芸人のコゴランは、「まさお君」をさらにダメにしたようなワンちゃんを連れて旅をしている。左、フランスのまさお君。右、コゴランの芸を楽しんでみてるド・カペスタン。コゴランは得意の美声を披露。ところが! コゴランは旅の途中で、強盗に襲われ身ぐるみ剥がれてしまう。主人の大ピンチだっていうのに……馬車で「お座り」して見物してるまさお君(右)。全然役に立たない…(笑)。さらに、ご主人がこんなになっちゃったというのに、まさお君は……明らかに足元でノンビリしてる。そこへ、都合よくド・カペスタン登場。2人はともに旅することに。しかし、コゴランのこの↓台詞には驚いた、というか笑った。道で動物を使った芸を見せてコインを投げてもらっていたので、旅の大道芸人と思いきや……え? 詩人だったの?ジャン・コクトーに対抗してるだけでは?ちなみに、コゴランは映画中歌は歌うが、詩を披露することは一度もない。歌う詩人ということなのだろうか。詳細は映画公開から50年たった今も不明……「旅する騎士の友になってくれ」とド・カペスタンに言われ、喜んで承知するコゴラン。「あなたの恋人たちのために、(詩人の私が)愛の詩を作りましょう」とまるでシラノ・ド・ベルジュラック気取り。そんな詩人に騎士は、「恋人は……」と純な台詞。騎士道原則その2:騎士は一途であるべしそこへなんと、消えてしまったリボンの騎士が、貴婦人になって登場。喜んで声をかけるド・カペスタン。ああ、なのに……貴婦人になったリボンの騎士は、こんなにもつれないのであった。ガ~ンとなるド・カペスタン(左)。「これは何かある」とふんだ騎士は詩人に、「彼女の使用人に酒を飲ませて、彼女の名前を聞きだせ」と軍資金を渡すのだが、夜酒盛りをした詩人は自分のほうが酔っ払ってしまい、相手から情報を聞き出すどころか……ド・カペスタンのことをベラベラ。さすがにまさお君の主人だ。「何か聞き出したか?」というド・カペスタンに……って……。詩人って役に立たないなあ。翌朝、リボンの騎士はパリに発ってしまい、恋する騎士は後を追いかける。美女は途中、山賊に襲われ……そこへ、ド・カペスタンがマントをひるがえしてカッコよく登場!もうもうと上がる土煙、カーブを描いた道を疾走する馬、馬上で大きくサーベルを引き抜く騎士、たなびくマントと帽子の羽飾り――すべてが完璧。ことに衣装に使われている赤が非常に印象的で、かつ美しい。これぞまさしく、騎士道映画の王道を行く場面。<続く>
2008.09.19
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