土曜日の書斎 別室

土曜日の書斎 別室

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January 21, 2007
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  1793年1月21日
  フランス王国首都パリ。

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  革命圧殺を目論む普 ・ 墺連合軍との戦闘は、 日毎に激化の一途をたどっていた。
  存亡の危機に瀕した革命政府は、 義勇兵を急募すると同時に、 反革命勢力の巻返しを封じるため、 国王処刑の決断を下す。

  前年8月10日の急進派蜂起以後、 権利を剥奪され、 家族とともに、 タンプル塔内に幽閉されていたフランス国王 ルイ十六世 は、 是の日・・・。
  革命広場にて、 二万の群集が見守る中・・・ 断頭刑 に処された。
  享年 40歳であった。
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ルイ十五世 の孫として生まれる。
  1765年11月、 王太子に擁立される。
  1770年5月、 オーストリア皇女 マリー ・ アントワネット と結婚。
  1774年5月、 ルイ十五世死去に伴い、 19歳にして国王位を継承。
  困難な時代の国政を担わされる。

  やがて、 三部会から国民議会を経て革命政府が成立すると、 旧体制の最高責任者として糾弾される立場に置かれる。

  愛妻家で、 子煩悩の、 温和な家庭人。
  争い事を好まず、 他人に対して、 まるで悪意を抱かない。
  質朴で、 無欲恬淡とした性格の所有者。
  絶対王制の体現者 ・ 圧制者と云う印象は更々なく、 逆に・・・革命の生贄に饗された犠牲者であるとする、 同情的な見方が浸透している。 取分け日本では。
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急進的 ・ 暴力的 な様相を呈する事なく、 英国名誉革命 の様に穏健な路線を取って、 立憲君主政体 へ移行していたなら、 ルイ十六世の性格は、 「国王は君臨すれども統治せず」 との基本理念に見事適合し、 寧ろ理想的な君主像として奉られていた・・・かも知れない。 (^.^;
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  然しながら、 フランス絶対王制の君主として、 是等の性格は、 意志薄弱を意味するものでしかなく、 無能 ・ 無定見と同義的に作用し、 革命の到来を早め、 ブルボン王朝を破滅へ導く遠因となった事も否めない。

  また、 巨費を投じて、 遊興に耽溺する王妃を間近に見ながら、 夫として、 国王として、 全く諫言を成さないでいた事の責任も重大であろう。





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Last updated  January 21, 2007 11:30:08 AM
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