土曜日の書斎 別室

土曜日の書斎 別室

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January 22, 2007
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  1879年1月22日。
  アフリカ南部ナタール地方イサンドルワナ。

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  先住部族国家 ・ ズールー王国 は、 英国植民地政府の服属要求を拒絶し、 臨戦態勢を着々と整えていた。
チェルムスフォード中将 麾下の英国軍一万余が、 国境線のツゲラ河を越えて、 ズールー領内へ侵攻を開始したのは、 同月11日の事であった。
  情報を軽視し、 敵の兵力と攻撃力を過小評価するチェルムスフォードに対して・・・。
ズールー王 ・ セヨワテ は、 英国軍の動静から眼を離さなかった。

  ツゲラ河東方16kmの イサンドルワナ に宿営中の英国軍先遣隊は、 ズールー王国軍主力一万二千余の反撃に遭遇する。

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  槍と楯を翳しながら押し寄せるズールー軍に対し、 英国軍は一斉射撃で応じるが、 弾薬の消耗も凄まじく、 補充を得られない儘、 陣地への突入を許してしまう。
  白兵戦に移行すると、 ズールー戦士の槍は俄然・・・その威力を発揮し、 英国兵を圧倒した。

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  繰出される槍の前に、 次々と斃れていく英国兵。
  方陣も崩され、 部隊は壊乱状態に陥る。
  戦闘は、 何時しか虐殺の様相を呈していた。

  英国軍の戦死者は、 千数百名と云われる。
ダーンフォード中佐 を指揮官とする、 現地人義勇軍も、 多くは戦死を遂げた。

  先遣隊壊滅の悲報を受けたチェルムスフォードは、 作戦の破綻を悟って、 全部隊に、 ズールー領内からの撤退を命じた。
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イサンドルワナの戦闘 は、 最新式の銃器を装備した近代的編成の軍隊が・・・。
  白兵突撃を主体とする前近代的戦闘集団に、 惨憺たる敗北を喫した、 史上最悪の戦例とされている。





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Last updated  June 20, 2009 05:50:01 AM
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