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1965年の10月12日ビートルズはアビー・ロードのスタジオで「NORWEGIAN WOOD(THIS BIRD HAS FLOWN)の録音。21日にリメイクされたそうです。ジョン「(これを書いたのは)僕さ。でも歌詞はポールに手伝ってもらった。・・・・・付き合ってた女とのことなんだ。でも相手が誰だったかちゃんと思い出せない」ジョンの伝記を書いたレイ・コールマンに拠れば、この女性は『有名なジャーナリスト』だった。歌詞は詩としても芸術性を認められ、古典的なイギリスの詩を集めたアンソロジーにも収められている。ビートルズの曲でシタールが使われたのはこの曲が初めてで、ポップ・ミュージックの録音に使われたのも最初だった。ジョージ・ハリスンはそれを西洋の音階に合わせてチューニングした。(シタールは『HELP!』のアメリカ・ヴァージョンに収録されたタイトル曲の導入部にも使われていたそうです。)ボブ・ディランはこの曲のパロディーをレコード化している。『BLONDE ON BLONDE』に収録されている(4th TIME AROUND)だ。ジョンはこれを知って不信感を抱き、ロンドンでディランがこの曲を目の前で演奏したときには、いたたまれない様子だった。しかし後に、ディランには何の悪意もなかったことを知ったそうです。
2007年10月12日
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ビートルズ・ストーリー、きょうは1966年です。ビートルズファンならだれでもこの時期になると彼らが来日したことを思い出すのではないでしょうか。その年の6月21日、新しいレコード「REVOLVER」の最後の録音日です。ジョンは前の年に作った「SHE SAID SHE SAID」を選んだようです。「SHE」とはピーター・フォンダのことですが、ジョンはわざと置き換えています。そういえばピーターという人が日本にもいましたね。どうして俳優のピーターとビートルズとの交流があったのか僕は不思議でした。これは少し話がややこしいので間違っているかもしれませんが、1942年生まれの歌手ジェームズ・ジョゼフ・マッギンは1964年にロサンジェルスで二人の若者と出会ったそうです。ステージを終えたら、ジーン・クラークという人に声をかけられデュオの結成を持ちかけられました。そのあと二人でコーラスをしていたら、突然デヴィッド・クロスビーというビートルズファンが参加してきたそうです。そして後にバーズへと発展していったようです。同じくビートルズのファンだったマッギンは歌手で俳優もしていたらしいボビー・ダーリンのバックをしていて、ラスベガスのツアーのときにピーター・フォンダと出会い「イージー・ライダー」のサントラを担当することになったようです。その頃バーズもヒットをとばしていたようでビートルズも音楽を参考にしていたようでした。この曲はジョンの複雑な心をよく表しているような「転調」が使われているようです。そしてポールが初めて曲作りに一切、口を挟まなかった曲なんだそうです。イージーライダー ポスター / ポスター(^ ^2000円以上お買い上げ!!送料無料!!■■未開封CD■■【イージーライダー/深田恭子】イージー・ライダー/ザ・バーズ[CD]【返品種別A】 【中古】洋画DVD イージー・ライダー(コロンビアプレミアムコレクション)
2010年06月21日
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