ちょこっと そこまで★
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振り返る自分史 【バブル!バブル!バブル!】 20代 アパレル業はバブルの全盛期。 DCブランド、テクノカット、肩パット、ワンレン、ボディコン。 この業界にいることで、自分が時代の最先端にいると思えた時代。 表舞台が華やかな分、裏に回れば恐ろしい程数字に追われ、反動で仕事上がりは六本木、麻布、 三宿、恵比寿を遊びまわっていた。 一人暮らしをしていたので、お金があって遊んでいたわけでは無かった。 若さと、時代の勢いに乗せられ、それが衰退することなど全く考えてもいなかったのである。 優遇され、お金を出さずとも女性は着飾ればイケているという幻想の一瞬であった。 ジュリアナ東京、有明のゴールド、どんな新しい場所にもこぞって出かけて遊びながらも 当時の仲間たちと話していたことがある。 このまま原宿で、一線を張っていけると思う? 世間がこんなに賑わっていて、アフター5や花金、月曜ナイトが楽しいけど・・・ 何か数字がおかしくない? この一等地で、レジが午後まで開かない、来店客が一桁って何なの? そう気付いていながらも相変わらず、世間は勢いづいていたようにしか思えない。 会社がお客様に出すノベルティが、海外で買い付けしてきたブランド物のストールやポーチだっ た。 ショップの袋は、高級紙を使いロゴを大きく派手に入れた 。 毎日毎日顧客に電話をかけては、「新作が入りましたので、是非ご来店ください」とお願いをする。 来店し、購入してくれたお客様には館内の資生堂パーラーで好きなものをご馳走する。 そして20代そこそこの雇われの自分が、 「領収書、空で」 と、一丁前の口をきいて経費で接待費として会社に計上していたのだ。 社員旅行は、北海道、ディズニーランドの年2回。 部屋はデラックスツイン。 お小遣いまで貰っていた。 店舗がテナントとして入っている森ビルでは、年に何度か従業員だけを集めてパーティが開かれ る。 ビンゴの商品が現金の束だったことがあった。 あれは当時もビックリしたが、今振り返ってみると何と恐ろしい出来事だったのだろう。 私も、当時の仕事仲間も、皆仕事に関しては本当に真面目だったと言える。 誇りを持ってアパレル業をしていた。 【陰りを感じるどころか、あっという間に奈落の・・・】 何かおかしい。 それが、確実に「おかしい」とわかった時は既にあちこちの仲間がアパレルから去り、 かしこい仲間は皆が遊んでいる間に独立の準備を進めていた。 家賃の高い神宮前で、生き残れたのは半分くらいだったと記憶している。 バブル崩壊。 あれからもう20年の年月が経つ。 バブル時代の申し子だとか、昔を忘れられないかわいそうな現代っ子世代だとか世間は好きなこ とを言う。 後悔もしていないし、やはりあの時代を勢いの中で“生意気”に生きていて面白かった。 頑張った。 アパレルを去ったのは、数字への疲れ。 現実的に雇われ店長が出来ることへの限界。 お金が回らなくなると商品力が落ち、店舗撤退という現実が降ってきた。 ******************************************* 雑記ですが、とある理由からどこかに出し、自分が書いたことを残そうと思います。 何度かにわけてアップしますので、お許しを・・・。
2014年01月26日