全1414件 (1414件中 1-50件目)
引っ越し先は、以下のアドレスです。http://mukashiimatetsu.blog.fc2.com/取り急ぎ、引っ越し作業を終えました。これからの更新は、引っ越し先で行ないます。ブックマークの変更など、お手数をかけますが、どうぞよろしくお願いいたします。この楽天ブログも、しばらくこのままにしておきますが、2月からの写真機能の変更により、画像閲覧に不具合が生じるかもしれません。楽天さん、長きにわたって、お世話になりました。でも、もう少しちゃんとアナウンスしてほしかったなあ(笑)
2012.01.15
コメント(0)
このブログを見ていただいている皆さまへ昨日(1/12)から、楽天ブログの機能変更により、現状では写真のアップロードができなくなりました。足あとやブックマークリストがなくなることは事前にわかっていたのですが、写真関連の変更はこれからアナウンスされるようです。急遽、引っ越し作業を行なっています。とりあえず、一度、他のアドレスに引っ越す予定です。作業完了しましたら、ここでお知らせしますので、新しいエントリー更新を含めて、数日間、お待ちいただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。また、非鉄な内容もかなり含んでおりますが、ツイッターアカウントは@shinagawa530、フェイスブックは本名で時おりつぶやいたりしてますので、こちらもあわせてよろしくお願いいたします。品川530 敬白
2012.01.13
コメント(2)
わずか2輌のナベトロといえども、荷受場で機回しの上で正向き牽引となったデイビッドは、時代錯誤な雰囲気と、このうえない愛想を振りまきながら、走り慣れた併用軌道を戻っていきます。バックの家々、これのどこがインドらしいのか、アッサムらしいのか今一つわかりませんが(笑)、家々がファインダーに入る集落のところで、まずは待ち構えることにしました。これまた名取さんのブログで知ったことですが、このデイビッドは20世紀末には、同じアッサム州レドの煉瓦工場で稼働が確認されていて、工場閉鎖により行方不明、、、その後、21世紀になって数年、ここティポングへの転籍が、ワールド・スチーム・フリークの間で大きなニュースとなって駆け巡ったといいます。それからさらに5年以上が経過し、さすがにこの辺境でダージリンまがいの観光開発が行われるとは思いませんが、90年近く前に宗主国イギリスがアッサムに送り込んだこの文化遺産、ダージリンの登山鉄道に伍する、もうひとつの世界遺産にふさわしい、というのは、果たして鉄な異邦人の戯言に過ぎないのでしょうか。。。
2012.01.10
コメント(0)
ダージリン&牛のスナップに興じているうちに、デイビッドは炭鉱のほうに行ってしまいましたが、その後、ナベトロ2輌を牽いたチャーター列車が組成されて、ゲートに近い荷受場へ向かうことになりました。しかし、1924年のイギリス製と伝えられるこのサドルタンク、よくぞこんなカマが今も走っているなあ、と思います。キャブの英文表記に「MADE 1851」とあるのは、ボイラ?工場?……この文字は、2005年に訪問されたRM名取さんのブログの写真にはなく、いったいどういう意味なのか、謎は深まるばかりです。その当時、ダージリンとともに石炭列車の牽引に活躍していたこの古典機、今はダージリン&DLの予備として待機しているものの、長い編成の牽引は最早難しいそうで、半分、楽隠居って風情です。しかしまあ、わずか2輌のナベトロが、フレームしかないキャブに似合うこと、似合うこと! チャーターならでは、と言えばそれまでですが(笑)また、6年前には片側にしかないと報告されていた「DAVID」の銘板も両サイドにギラリと光っていて、もしかしたら保存への前向きな何かがあるのかもしれません。いずれにせよ、2011年の暮れ、こんなカマの写真が撮れる幸運に、感謝の気持で胸が熱くなりました。
2012.01.09
コメント(3)
現地ティポングにも小さなゲストハウスがあるのですが、我々のツアーチーム(ジャパニーズ6+ガイド・ドライバー)は定員オーバー、クルマで1時間の距離のディグボーイの大きめのゲストハウスに宿をとることになりました。何しろ初の渡印です。実は胃腸をこわすのでは?激辛な料理ばかりでは?と心配していたのですが、瀟洒なゲストハウスのダイニングは心配無用、グランドマザー心づくしの料理は激辛ではなく、ビールと一緒に毎日、楽しむことができました。ま、若い頃にエスニック研究会と称した合コンもどき(?!)で胃腸を鍛えた甲斐が今こそあったのかもしれませんが(笑)翌朝、パンと紅茶、オートミールの簡単な朝食をとって出発。ティポング炭鉱の入場ゲートから自動小銃を持ったガードマンがクルマに同乗し、緊張が走ったのも束の間、クラの前に着くと、すでにダージリンが煙を上げていて、思わず歓声奇声を上げざるをえませんでした。もう年内に掘る石炭がない、とか事前情報は悲観的なものばかりでしたが、チャーターの交渉が上手く進行しているようで、デイビッドはすでに出区、どうやらカマは2輌とも今日は動くようです。動物が道路を普通に通行するのは中国でもよく撮りましたが、カマが違う、場所が違う、空気が違う(爆)……6時過ぎの気温は4度ぐらいでしょうか。東京の朝と同じか、少し寒い感じです。牛が行きかう朝の風景を気軽にスナップすることから、ウォーミングアップを始めました。
2012.01.08
コメント(0)
昼前に成田を発ったJL749便は夕刻にデリーに到着、市内で1泊した翌朝、国内線でアッサム州北東端のディブルバーへ向かいました。1時間遅れの14時半過ぎ、ローカル空港のタラップを降りて小さなターミナルへ。荷物をピックアップしたら、クルマで3時間弱で、目指すティポング、というスケジューリングです。と書くと、まあ辺境への物見遊山って感じですが、紅茶の産地で有名なここアッサム州は、実は10年ほど前まで民族間紛争が時おり勃発していたところで、空港に自動小銃を持ったガードマンが立っているのを見るだけで、天下泰平に慣れきったジャパニーズには、けっこうなかなかの緊張感です。さすがに以前と違って入境許可は不要になりましたが、現地警察への撮影申請が必須で、許可を受けた我々のツアーチームにもガードマンが付くという、未体験ゾーンでの撮影となりました。ティポング炭鉱エリアのゲート前のゲストハウスで、O谷連隊長以下の先発隊が待っていてくれました。あたりはすでに暗くてこのときにはわからなかったのですが、3km弱の専用線と並行、ときには併用の道路を辿って、炭鉱手前のクラに到着すると、いきなり照明灯に鈍く照らされた2輌のカマの姿が、視界に飛び込んできました。おお、生きてたか!デイビッド!……写真右のB型サドルタンク「DAVID」は1924年製と言われていて、サイドの表記では何と1851年製?! 製造年の真偽はともかく、現役蒸機としては世界最古?の部類の超貴重品です。そして、左のダージリン型と称されるBタンクも、観光用でない現役機としては、おそらくこれが唯一の存在とか。成田を出てから2日目の夜、インド辺境に現役蒸機が息づくナイトセッションに、いきなりノックアウトを食らったのでした。
2012.01.06
コメント(0)
夕方、東京の自宅に帰ってきました。京都の実家でお正月の数日を過ごした後、帰りの新幹線に乗る前に、仕事でお世話になってる方にご挨拶するのと前後して、鉄の産湯を使った我が懐かしの梅小路へ初詣に行くのが、ここ数年の通例となっています。開館当初から行われてきた、正月の日の丸の旗掲げての全機前出しが、福知山線事故による自粛で中断していましたが、たしか去年から復活、今年も京都の寒空の下、ズラリ並んだ御召装備(?!)という、正月らしい緊張感溢れる場面を見せてくれました。C51239号機の御召装備も、梅小路に欠かせないワンシーンとして、すっかり定着しましたね。東鉄栄光の御召専用機、その雄姿が再現されるだけで、今もって感動モノではありませんか。そして、梅小路に保存の装備品を纏うのは、なぜかC581号機、こちらも変だよなあ、と思ってる間に、すっかり定着しました。今日、この並びを撮影しながらふと思ったのですが、これはもしかしたら、C571の予備機としていったん山口入りし、横浜や大分のイベント列車にも登板して長く本線上での活躍をみせると思いきや、予期せぬボイラ故障で静態保存機となってしまったC58への、どなたかのせめてもの心遣いではなかったのか。。。今年で梅小路40年、その間にはまた、幾多の歴史が重ねられてきたことに、思わず身震いして、懐かしいクラを後に、京都駅へ向かいました。
2012.01.04
コメント(3)
新春2日、恒例のひくまさんとの関西撮り初めで、住吉大社に行ってきました。押すな押すなと太鼓橋を渡る善男善女の人ごみの向こうを、ここぞとばかりに総動員された阪堺電軌の旧型車が行き交う。。。これほど、カメラ片手に鉄な初詣!にふさわしい場所は、他にはないのかもしれません。臨時の乗降場が方面別に設けられ、参道の両側には、色とりどりの露店がいい匂いを競っていて、さっき昼食をすませてきたことをちょっと後悔します。押し寄せる人々は2012年の関西人ですが、まるで昭和レトロ(笑)のテーマパークに来たような、不思議な気分になります。そして、老若男女に混じって、少なからぬ鉄があちこちで蠢いています。次々とやってくる路面電車を、三脚立てずに手持ちでスナップするのがここでの暗黙のルール、なぜか無言で一定の秩序が保たれているところも、どこか昭和チックですね。ほんとうは太鼓橋の上から人ごみ越しの旧型車を1枚、といきたかったのですが、ガードマンの「立ち止まらないでくださ~い」の声がひっきりなしでとても無理、代わりに横断歩道を行き交う人々越しのアングルを選んで待機しました。もう間もなく路面全体に影が伸びる14時半、初詣客を降ろして浜寺へ向かう163号の後ろ姿が、2012年、鉄な初詣の画面にいい感じで収まりました。
2012.01.03
コメント(0)
1日遅れになりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。鉄な皆さまには、出撃時の好天、桜田順光、朝夕のギラリなど、今年も数々の僥倖が訪れますように、また仕事や非鉄な世界でいつもお世話になっている皆さまには、今年が良い年になりますよう、お祈りいたします。今朝、インドから帰ってきました。心配した飯の辛さもそれほどではなく、お腹をこわすこともなく、アッサム州の辺境の炭鉱に息づく現役の蒸気機関車を、2日と少しの短い間でしたが、堪能してきました。今回の写真は、2012年初の朝の光を浴びる、というのは嘘で(笑)大晦日の撮影ですが、朝日が山の間から差し始めた午前6時過ぎ、短いトロッコ編成を牽いて発車するダージリン型の蒸機です。デリーからインド北東のアッサム州・ディブルバーまで、国内線を乗り継いで4時間のフライト。そこからクルマで3時間で、こんな光景に到達できるとは。。。海外蒸機撮影に名だたるO谷連隊長をもってしても、幾多の艱難辛苦を乗り越え今回の手配や撮影許可が実現したといいます。これから、京都の実家に行ってきますので、とてもとても個人では到達しえなかった、辺境の情景の数々は、またあらためてご報告したいと思います。
2012.01.02
コメント(6)
友人のブログで、なるほどなあ、と思わず唸らされるエントリーがありました。それは、今年復活したC6120号機、震災で復活が先延ばしになり、それでも少し遅れて復活を果たし、度々の各地のイベント列車で活躍するものの、どうやら問題を抱えたままの状態らしい。。。その心配される現在の状態、真偽のほどはわかりませんが、このカマのこの1年こそが、我々のこの1年とも重なっているのではないか、と友人は推察していました。たしかに、何とか迎えた師走ですが、どことなく街のイルミネーションも中途半端に見えて、今年の年末、盛り上がってるのかどうだか、よくわからない、、、ここは、来る年の前進を、C6120号機に託したいと思います。先週、信越線では初のトンボ組成による蒸機のPP試運転が行われました。高崎車セのELの将来を思うと複雑なものがありますが、まずは現実的なところから、C61の活躍舞台の広がりが期待できそうです。返しの試運転列車は安中の小休止で見事な斜光線に光って、素晴らしいシーンを見せてくれました。今年もあと数日、ちょっと早くお休みをいただいて、明日から、初めてのインドに行ってきます。アッサム州の山岳地帯のTipongの炭鉱鉄道が今回のターゲット、毎食カレー!にワクワクドキドキしながら、楽しんできたいと思います。帰りは年始の2日になります。皆さんも、いい旅、いい休み、いい鉄を。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2011.12.27
コメント(2)
今年もクリスマス三連休の信越・北陸は寒波襲来で、磐西のクリトレ運転日繰り上げは結果オーライとなったようですが、西のやまぐちクリトレは、三連休初日の23日だけの運転でした。で、その日に雪が降るのですから、いずこもやはりクリトレ!の神通力、もうここまでくると、人智を超えた何かとしか思えませんね(笑)長門峡の手前から降り出したと思った雪は、どうやら地福より北では前夜から降っていたらしく、地福発車も、徳佐の先のカーブも、いつものアングルがうっすらと雪化粧して、クリスマスのヘッドマークを掲げたシゴロクを迎えるのにふさわしい舞台となっていました。去年の磐西みたいに豪雪と戦う蒸機も魅力的ですが、撮影がラクにできるということも含めて、積雪はこれぐらいが、優雅でいいような気がします。で、遠くの山がしっかり白くなってくれれば、なお良し。例によって地福から何とか追いついた徳佐では、ズームを望遠にシフトして、雪景色の山を強調することができました。復路の9522レが来る頃には、このあたりの雪もすっかり溶けてしまいましたが、すでに11月末のDL寿号のときより日は長く、最後の蒲鉾屋まで、追っかけクルージングを楽しみました。それにつけても、新幹線にすればよかったなあ。何しろ、春には♪のぞみで行くからね~~♪の300系も引退というのですから。。。
2011.12.26
コメント(2)
イブイブの23日、蒸機クリトレを追って今度は西へ、山口線に行ってきました。年末PT稼ぎのためNH便での山口宇部往復でしたが、ちょっと後で後悔しました。JR東海のクリスマスのCM、いつもエンディングは100系だったよなあ、たしか山陽区間にももう1往復しか走ってないのか、それでも、片道だけでも新幹線にすればよかったなあ。。。国鉄がJRになって、シンデレラ・エクスプレスからクリスマス・エクスプレスへ。何だか急に新幹線がオシャレな物語の舞台になって、ガキの頃から京都との往復に0系ばかり乗ってきた関西人には、100系が何だか眩しい存在に思えたりもしたものです。その実、出張時には2階建て食堂車でビール飲みすぎて酔っぱらったりしていましたが(笑)YouTubeには、当然のごとく、80年代末から90年代初頭の懐かしいCFがほとんどすべてアップされていました。やはり、あの時代の主役はいつも100系で、後の「ファイト・エクスプレス」や「ホームタウン・エクスプレス」にも佳作がけっこうあって、昨夜はひと通り見た後、けっこう感極まってしまって、♪ジェーアール、トウカイ♪のジングルがしばらく耳から離れませんでした。で、一昨日のやまぐちクリトレ、雨は夜更け過ぎに~♪ではなく、お昼前に仁保の峠を越えて篠目から先が雪になりました。まだ山村に雪が積もるには、もう少し時間がかかりそうです。うっすらと雪化粧を濃くしていく岩山を、レンズと列車との間の粉雪のベールが隠して、幻想的なクリスマスのシーンになりました。
2011.12.25
コメント(2)
その最終日の磐西クリトレですが、鉄人騎士さんのタクシー鉄に便乗させていただいたおかげで、日出谷のクリスマスイベントも初めて見てきました。花火、イルミネーション、素晴らしいとは聞きながら、これまでは野沢あたりで終わりにして、新潟でのちょっと一杯、を優先させていました。停車は18時前の、わずか数分間。すっかり夜のとばりの下りた山あいの村、小さな駅のホームにクリスマスのイルミネーションが光っています。徳沢方から新しいトンネルを抜けて、クルマが日出谷にさしかかったとき、ちょっと現実とは思えないものがありました。やがてシゴナナが入線すると、夜空に花火が打ち上げられ、ホームでは地元の子供たちのクリスマスソングが聞こえてきます。そして発車時刻。三々七拍子の長い汽笛が、今年のすべてを締めくくるかのように、真っ暗な闇に向かって響きます。もちろん、ホームにも、構外の道にも、駐車場にも、三脚を立てた無数の鉄が蠢いています。デジタルの時代、すぐ画像が確認できるのも、1枚でも成功した時に限っては悪くありませんね(笑)三脚をたたんで車に戻ろうとしたとき、平瀬の鉄橋にさしかかるシゴナナの汽笛が聞こえ、最後の花火が夜空に上がりました。
2011.12.24
コメント(2)
割畑でワムを見送った前日は、クリトレ運転最終日(12/17)の磐西へ、日帰りで行ってきました。しかし例年ならクリトレが終わるともう師走も秒読みって感じなんですが、今年はまだクリスマスまで1週間、、、ちょっと調子狂いますね(笑)先週に続いて、鉄人騎士さんに便乗させていただいてのタクシー鉄、五泉のベテラン女性ドライバーのYさんとも顔なじみになり、今日のお仲間、Aさんは聞くとsenrobataさんの学生時代からのご友人とか。やはり、鉄の世界も狭いもんですなあ。馬下、三川と追いかけた後、いつもなら鹿瀬あたりで…となるところですが、ご同乗の皆さんにお願いして、端村踏切へ先行することにしました。今年いちばんの雪景色、ここはキッチリ、ベストなアングルで抑えたかったのです。そして、この写真が撮れれば、もう何も申し上げることはございません。晴れれば順光とか、クリスマスツリーは雪がだいぶ落ちてしまったとか、贅沢を言えばきりがありませんが、雪景色にフィットする最高の煙を棚引かせて、今年ラストランのシゴナナがやってきました。
2011.12.20
コメント(0)
この季節にワム!といえば、「ラスト・クリスマス」なところですが、鉄の世界では貨車のワムの引退がこの冬の大きなトピックとなっています。そんななか、焼島貨物に使われていたワムの廃車回送が始まり、今日(12/18)は新鶴見から一旦川崎貨物へ向かうと聞いて、久しぶりに、新鶴見はずれの割畑信号場へ行ってきました。この場所ではいったい何度、冬の午後、キリッとした順光線で貨物を待ったことでしょうか。最もよく通ったのが世紀が変わる前後の数年間、岡山の65のコンテナから始まって、高崎の65の秩父ホキ、5764レに続いて、タンク需要時には高機65同士の重連がやってきた時期もありました。1時間ほど前に現地に着いて、そういえばまだパイオニアのビルも慶応のキャンバスもなかったなあ、と脚立に乗って(笑)物思いに耽っていると、Oさんが昔とまったく変わらない笑顔で登場しました。そうそう、新鶴に来たら彼らに会わなければなあ、、、日がな一日、次の貨物は何番で、その次はウヤで……と過ごした時代がほんの一瞬、甦ります。インターネット初期の時代、たしか彼のハンドルネームは割畑みゆき、でしたね(笑)信号場の名前つなぎあわせて、あの広大だった新鶴見操車場そのものです(爆)すでに、マンションのモデルルームがオープンしていましたが、この割畑周辺だけはまだ空き地に建物が建っておらず、短い冬の光がまだ列車全体に届いています。PFは更新機でしたが、もうこの時代、贅沢は言えません。38車を連ねたワム最後の大舞台にふさわしいワンショットになりました。
2011.12.18
コメント(4)
次のポイント、山都鉄橋の周辺も、夜半から降った雪で、うっすらと雪化粧していました。いつもなら、鉄橋を渡りきったところか、その先の小布施原のカーブで待ち構えるところですが、今日はちょっと「らしくない」(笑)アングル、真横の遠景を狙うことにしました。このアングル、春先や秋の盛りに晴れで決まったりすると最高で、何度か挑戦したことがあるのですが、ドピーカンの日に限って、煙が出なかったり、前に倒れたりで、なかなか納得するショットが今までに得られていませんでした。今日もドン曇り時々雪ですから、「ここなら間に合った」窮余の一策ではありました。積もった雪に足をとられながら、ポイントに到達すると、そこには我々以外に先客1名様のみ、、、ま、この天気だからなあと思い直してカメラを構えたとき、山都発車の長い汽笛が聞こえました。そのあと、ファインダーを横切って行った竜のような煙の軌跡を、幸運と言わずして、何というのでしょうか。やはりやはり、クリトレには、今年も想像を絶するドラマが待っていたのでした。
2011.12.16
コメント(3)
鹿瀬から峠を越えて西会津に入ると、いよいよ小雪がちらついてきました。国道沿いの山間部の風景も、白い薄化粧を装い、行く手の雪カットに期待が高まります。いつもならレンタカーの運転席で、今冬初めての雪道を慎重に……となるところですが、今日は鉄人騎士さんにタクシーに便乗させていただいて、運転はプロにおまかせ、少し気楽な道中です。だらだらと坂を下り切って、上野尻に到着。陸橋から見る踏切にはまだ多数の鉄が待機していて、30分の遅れは回復していないようです。よし、このあたりで1回、撮って行こう。野沢方の立体交差も魅力的ですが、下り込みながら前日は煙が出たという、中間の素直な小築堤に今日は賭けることにしました。すぐに、上野尻通過の汽笛が聞こえました。陸橋の下まで見えていた煙が、あっという間にカットオフ(泣)、、、呻き声をあげながらシャッターを押しましたが、モニタで確認した画像には、小雪の行路を深々と走るシゴナナの優雅な姿が映しこまれていて、これで煙があればなあ、という恨み言は、もう言わないことにしました。
2011.12.13
コメント(2)
例年より早く、磐越西線で「SLクリスマストレイン」の運転が始まりました。クリスマス直近の運転が大雪に見舞われた昨年、一昨年……でも3年前は素晴らしい晴天下の運転でしたから、必ずしも大雪を避けたわけではなく、12/17の終電後から始まる新潟駅高架工事の影響もあるようです。それでも雪に見舞われるのが、さすがクリスマストレイン(笑)、金曜の夜半から山間部に降り積もった雪が日曜まで残り、雪晴れの日差しには恵まれませんでしたが、随所でさすがクリトレ!というべき、煙と蒸気のドラマを見せてくれました。土曜に第三舞台の封印解除&解散公演のチケットを入手していたため、日曜(12/11)に悪天候覚悟の出撃となりました。最初の馬下から、早速、横殴りの雨に強風、、、なのに列車は来ない、、、信越線内の強風抑止により、20分延での通過となりました。三川の先は、日陰に少し雪が残る程度でしたが、川沿いに響く汽笛と、唸る鉄路に絡みつく美しい白煙は、さすが冬の蒸気列車! 降りしきる小雨の中、デジカメの感度を上げられる幸せを甘受しつつ、煙を画面上部で切らないように、慎重にフレーミングして、連写に入りました。
2011.12.12
コメント(0)
晩秋の日曜日、とうてつ沿線を行ったり来たりしているうちに、釣瓶落としの時が近づいてきました。そういえば三沢~十和田市、この路線長は、井の頭線の渋谷~吉祥寺とほぼ同じです。3000系、最後にもう一度走ることはなかったなあ。。。始発の三沢駅は、まるで古い映画館か何かのように、群青色の空に浮かび上がっていました。まだ新幹線が八戸までの頃は良かったんです。八戸から在来線でやってきた観光客が、戸惑いながらもこの駅舎を見つけて、ステンレスの電車に乗って十和田を目指しました。それが今は、地元の高校生や年配の乗客がガラガラと扉を開けて待合室に入って、いつもの電車の時間まで、のんびり思い思いの時間を過ごしているだけです。駅そばのいい匂いが改札へ抜ける狭い通路に漂っていますが、間食は体に悪い、泣く泣く諦めましょう(笑)刻々と暗くなっていく駅前でスナップを続けていると、雪の降る季節の十鉄に、まだ一度も来たことのないことに思い当りました。この駅舎が雪に半分埋もれたところ、撮りたいなあ、、、冬の間の再訪を約して、今日の帰りは三沢空港からのJEX運航便にしました。
2011.12.10
コメント(2)
とうてつ、といっても昔の東京鉄道管理局でもなく、国鉄本社内で局報売ってた書店でもなく(笑)、十和田市と三沢を結ぶローカル私鉄、十和田観光電鉄の愛称です。古い電機や東急から譲渡された電車が活躍するわずか14.5kmのこの路線には、チャーターイベントなどで何度もお邪魔していましたが、既報のとおり、来年3月末の廃止が決まっています。南部縦貫が新幹線を待ちきれなかったのに対し、こちら十鉄は新幹線延伸開業による八戸→三沢ルートからの乗客の激減、さらに東日本大震災の影響による観光需要の減少が加わって、地元自治体からの補助も見込めず、廃止に追い込まれてしまいました。電機や旧型電車を使ったイベントが相次いでいた11月中旬の週末、久しぶりにこの沿線を行ったり来たりしました。雪と戦う冬になると、古い車両を使ったイベントは困難になります。来春、雪が解け始めてから廃止までにはわずかの時間があるものの、最後の秋、落葉を踏みしめるように走る、彼らの姿が印象的でした。70~80年代つか演劇の名作「寝盗られ宗介」の旅一座も、八甲田山が雪に覆われる前に、峠を越えて青森へ向かっていきました。この日(11/20)は雨の予報でしたが、昼前からどんどん日が差して、虹のアーチもかかる、好天の午後となりました。落ち葉の舞い散る停車場に~~♪(笑)、2両編成のステンレスがやってきました。
2011.12.08
コメント(0)
報告が遅れましたが、11月には東北新幹線「はやて」で七戸十和田へ、2度出かけました。まず1度目は、南部縦貫鉄道の旧七戸駅跡に保存されているレールバスの「夕暮れ撮影会」でした。残念ながらこの日(11/5)は曇りで夕陽ギラリとはいきませんでしたが、刻々と群青、濃紺と色を変えていく空の下、ホームに1本残された紅葉の樹がライトアップされ、それはそれは幻想的な、晩秋の銀河鉄道の夜が演出されました。ここ七戸から十和田市、五戸、八戸と「縦貫」する計画を果たせず、また1997年の休止後においても東北新幹線延伸時の接続を模索したといわれる、東北の小さなローカル鉄道。今は現役時の雰囲気を想像しながら、新幹線でこうしたイベントに参加できるのを、せめてもの慰めにするしかないのでしょうか。来年の春まで、旧機関庫に保存された車両が、地元観光協会の方々の案内で時おり公開されていますが、その先行きは不透明のようです。今後も、この古いレールバスの動態保存が継続され、こうしてイベントに馳せ参じることができることを、切に祈りたいと思います。
2011.12.06
コメント(0)
週末は京都から大阪へ、ミラーレス片手の気楽な旅でした。ちょいと仕事の挨拶もこなしたりでしたが、メインは正やん60thライブin大阪。いやあ、凄かったなあ。東京のビルボードがプライベートライブ風でオシャレ&ちょっとあっさりだったのに対し、大阪は熱い、熱い。めちゃ盛り上がり、最後には感きわまった、最高のライブでした!まだ、感動が醒めません。セットリストでいうと2曲目に、いきなり「あの頃の僕は」が流れ始めました。イルカのソロデビューナンバーで有名な佳曲です。もう、お金では買えない、大きなプレゼントを貰った気分(C/unikoさん)です。で、2度目のアンコールのMCで「みんなと歩いてきた青春でした。そして、これからも」……うう、カッコ良すぎる! 感動しすぎて、涙も出ないとは、このことだったのか。。。今朝、京都では梅小路に行ってきました。いきなり鉄ネタですが、山口から帰ってきたシゴナナが整備中でした。こうしてみると、梅小路にはやはりシゴナナが似合いますね。何だか、あの頃の5号機がいるみたいです。そして、ここへ来るといつでも、あの頃の自分に会える気がして、あの頃と同じように、夢中でシゴナナにカメラを向けました。
2011.12.04
コメント(3)
通常のシゴナナ牽引の場合は、本門前から追いかけて渡川あたりで追いつくこともある「やまぐち」スジですが、この日(11/27)は篠目までノンストップ、篠目で長く停車していつもの交換列車を待つことになりました。青列車さんのご指摘の通り、長らく下関にあって「やまぐち」の影武者や工臨運用に充当されてきたDD51844号機が今年9月に廃車、代わりに宮原から1043号機が転属してきました。いわば影武者二代目、その1043号機にとって、このブライダル列車は、初めての大きな晴れ舞台となりました。JRになって20年以上も経つと、こういった代替わりも行われるのですね。1043号機はその昔の亀山時代、帯なし塗装のDDとして、当時の関西のファンの人気を大いに集めました。これからは、あるときはシゴナナの補機に付いて蒸機ファンに嫌われ、またあるときは工臨や、ごくごくたまに団臨を牽いてネタ屋さんの喝采を浴びるのでしょう。篠目発車は16時を過ぎ、すでに晩秋の太陽は山影に入ってしまいました。寒風吹きすさび始めた峠路に、DDの紫煙がほんのりと立ち昇ります。
2011.12.02
コメント(2)
somtamさんのおっしゃるように、今日は煙は関係ないのですから、下り込みのニューアングルにも挑戦できるのですが、追っかけのペースが身につきすぎて(笑)、いつも通りの長門峡、徳佐とこなして、返しの1発目は、言わずと知れた本門前踏切です。15時20分過ぎの際どい時間でしたが、何とか薄日が差しました。今日のヘッドマークは往路は白基調、復路は赤基調で、いずれもDDの赤とよくマッチしています。このマーク見ると、やっぱり、もともとDDをリクエストされたのかなあ。。。そういえば、なぜか挙式せずに結婚した某友人が「ウチもやりますかね、DDブライダルトレイン」とメールをくれました。で、「新郎は沿線で追っかけ撮影。ヘッドマークなし、では幸せになれませんかねえ」……笑えました。いえいえ、そんなことはないでしょう。行きはヘッドマークなし、反省して返しに寿マークを付ければ大丈夫ではないか、と(爆)この列車に乗車中の新郎(&新婦?)も、ほんとうは沿線で撮影したいのではないか。昔からブライダルトレインを撮影するたびに、そう思います。そして、この沿線の鉄ほど、世にも珍しい、ほかの趣味ではちょっと考えられない、まったくの他人を祝福する、世にも奇特な人々ではないかと(笑)
2011.11.29
コメント(5)
先週末でシゴナナの運転が終わって、お正月のSL初詣号の運転には、ちょっと間が空く、微妙なシーズン。そんな晩秋の山口線に昨日(11/27)、DD51+やまぐち客車の編成が運転されると聞いて、ついつい(笑)、行ってきました。現地で聞くところによると、地元の鉄な方のブライダルトレインだそうで、ほぼSLスジでの運転ですが、微妙に各駅での停車時間が違っているようです。とりあえず、最初はいつもの踏切で待ち構えることにして、あとは流れに任せることにいたしましょう。そういえば、JR線でのブライダルトレインは、いっときほどは見られなくなりましたね。東サロ(→ゆとり)や江戸、ユーロライナーやなにわなどJT華やかなりし頃は、ロクイチを始めとするネタガマの牽引で、けっこう頻繁に運転されたものでした。あ、そうそう、今日の新郎新婦は、最初からDD牽引をリクエストされたのでしょうかね(?!)シゴナナ牽引が果たせなかったからなのか、あるいは初めからDDのほうがよかったのか……何だか後者のほうが、今日の寿ぎいとをかし、というのは他人の戯言ながら、沿線で待ち受ける鉄の祝福のシャッター音を浴びて、DL寿やまぐち号(笑)がやってきました。
2011.11.28
コメント(4)
思いのほか鉄の数も少なく、クルマをすぐに発進できたので、池月の手前から、小牛田へ向かう試運転列車と短い並走を繰り返すことになりました。途中でカットを稼ぎたくなるところですが、ここ陸東もまた、自分はドシロートですから、安全策をとって、岩出山停車のうちに平野部の撮影ポイントへ先行することにしました。西大崎を過ぎたあたりから、線路に並行して走っていくと、やがて数人の鉄が待ち受ける、格好の小築堤がありました。すでに有名な鉄人タクシー(笑)も到着済み、鉄人騎士さんがすでにビデオのセッティングに入っておられました。その間に方向転換して追っかけの準備、さらに他の鉄の顰蹙を買わない位置に駐車するスムーズな動きは、まさにプロの仕事です(爆)D51の思わぬ故障によりC11が急遽登板した一昨年の運転のときも思い起こしましたが、C58のイメージが強い陸羽東線ですが、たしか小牛田方には、石巻線と共通のC11の区間列車がありました。後部のDEはともかく、C11の牽く短い旧客編成は、ことのほか平野部の空気に馴染んでいます。大崎平野と称される、この一帯の穀倉地帯は、ササニシキ、ひとめぼれなどの銘柄米のルーツの地として知られています。大変だったこの1年の農作業も終わって、年越しの冬枯れに入る前に、来る年の復興を祈るように、C11とDE10の汽笛が響きました。
2011.11.26
コメント(0)
ほんとうは鳴子温泉で一風呂といきたいところですが、「SL湯けむり復興号」試運転列車の小休止は1時間弱で、鳴子温泉駅で給水中のC11をスナップしたあと、鳴子御殿場の有名鉄橋へ先行することにしました。バックの山々が綺麗にファインダーに入る、この場所のオーソドックスアングルですが、麓にはまだ赤々とした紅葉が残っていて、かたや遠くの山は、うっすらと雪化粧しています。季節はまさに秋から冬へ。嗚呼、ニッポンの四季の移ろいは何と美しく、何と切ないのでしょうか。。。残念ながら、およそ1絞り分、日が陰りました。しかし、今日は風がないだけでも良しとしましょう。編成後部のDE10も今度はキッチリ写り込んだのが吉か凶か(笑)、いずれにせよ、このシーン、いかにも晩秋の陸東ではありませんか。そして、次は岩出山の先で、いかにも平野部、のラストカットを撮ろうと、レンタカーをすぐにスタートさせました。
2011.11.25
コメント(0)
晩秋の斜光線だギラリだと感極まっているうちに、東北の山間部では、もう雪になりました。昨日(11/23)の陸羽東線、「SL湯けむり復興号」の試運転は、新庄から堺田までの区間で、数日前の積雪が残っていて、今シーズン初の雪と蒸機とのコラボとなりました。この日は上り片道の運転で、ほんとうは前夜に新庄入りしてスルーで追っかけたかったのですが、前夜に急な打ち合わせが入ったため断念、朝イチのやまびこで古川へ、速攻でレンタカーを借りて、新庄からの試運転列車とすれ違わないうちに、サミットの堺田に何とか到達しました。雪の残る森を見下ろす陸橋上には、遅い夏休みを堪能中の03 1010さんがすでに待機されていて、傍で撮らせていただくことにしました。陸東で蒸機運転の際にはかなりの激パとなる、この有名ポイントも、後部にDEが付くこともあってか、今日はさほどの人出ではありません。少し、列車が遅れているようです。20分遅れて最上発車との一報に、03さんと、雪のどんどん溶けていくのに気をもみながらの小半刻、やがてやってきたC11の煙はいささか上品であったものの、後部のDE10だけが微妙に上手く隠れる形となりました。
2011.11.24
コメント(0)
今でこそ、東京駅から新幹線で2時間で仙台に到達、もうそのすぐ先が今回のC61の運転区間、一ノ関や北上ですが、関西に暮らす人たちにとって、東北はいまだに縁遠いエリアではないでしょうか。自分自身、仙台や盛岡に初めて行ったのは、大人になってかなり経った時代だし、これも東京に住んでいたからで、京都にずっといたら、もっと後になったかもしれません。鉄的に見ても、往時の奥中山の三重連は、布原や呉線に比べて、ずっと遠い存在でした。また、自分がまだ中学生の時に姿を消したこともあって、撮りたかった、という現実味もあまりありません。ただ、やはり日本人は、源義経です(笑)非鉄な東北のほうが、ずっと近い(爆)大河ドラマで見た平泉のシーンの数々は、今も鮮明に思い出すことができます。それと、例の大カーブを行く三重連の写真、いつも煙が薄くて、場合によっては2両目か3両目のカマだけ、煙を吐いてたりしましたよね。もちろん冬場には素晴らしい煙が上がったのでしょうが、なぜか春夏の写真ばかりが脳裏に残っています。ちぎれる白煙の次は、薄い黒煙が、東北の本線筋のイメージでした。幸運にも、北上に近づくにつれて天気が回復し、旧客試運転のラストショットは、サイドを鈍く光らせたC61の、高速に棚引く薄い黒煙で締めることができました。
2011.11.22
コメント(0)
既報の通り、24系ハネ3Bで試運転の始まった「SLがんばろう岩手号」試運転ですが、11/15からはPCが本運転と同じ高崎の旧客5Bとなって、冬支度を急ぐ北上盆地に、C61の望郷に汽笛が響くこととなりました。東北とはどうも縁の薄い関西人ですが、中学生の時に手にした保育社のカラーブックス「蒸気機関車」で、たしか廣田さんの写真だったでしょうか、C60だかC61が客車列車を牽いて渋民あたりの丘陵地を駈ける、真横を狙ったカットを思い出します。たしかその写真も、白煙が千切れるように進行方向にフェイドアウトしていたように記憶しています。この日の朝は、山形や秋田の山間部では、この冬初めての積雪があったようです。24系ハネで盛り上がった週末とはうって変わった曇り空の下、東北に冬を告げる蒸気機関車の白煙が、40年ぶりに乱れ舞いました。
2011.11.21
コメント(5)
京王3000系さよなら運転の最終日(11/13)、渋谷や吉祥寺だけでなく、沿線の各駅で、ケータイを電車にかざす老若男女の姿が見られました。そして、車内に掲示された、国内各地に譲渡されて活躍を続ける3000系の写真が、ゆる鉄(笑)な人々の関心を大いに呼んだようでした。この日、ツイッターで、こんなツイートがありました。「各地へ嫁いで行った娘たちが、お父さんの定年退職をお祝いするために、実家へ帰ってきたようだ」……いい話ではありませんか。140字のヒューマン&レール・スクランブルですね。ある友人が「猫顔になってから、どうもねえ…」と言ったら、またある友人は「え~、昔の顔のほうがネコみたいに見えませんか」と侃侃諤々、昭和の湘南顔を引き継いだパノラミックウィンドウへの賛否両論、哀惜の念は尽きませんでした。つるべ落としで日が暮れてしまわないうちに、駅撮りのナンバーワン・ポイント、高井戸で渋谷行急行を待つことにしました。やはりここでも沿線最年長(爆)、そうか、この少年たち、自分が阪急デイ100を撮った頃なんだなあ、と思いながら、西日に輝く昭和のステンレスを300mmで狙い受けました。
2011.11.19
コメント(0)
翌日の日曜日(11/13)は、またまた井の頭線へ出動しました。前日の一ノ関日帰りの疲れが残る日曜の朝、いろいろと所用をこなして、昼過ぎからのんびり渋谷へ。3000系さよならHM付運転も、最終日にして初の晴天に恵まれ、晴れたら晴れたでビル影のマンダーラが気になります。車窓からマンダーラの有無をあらためてロケハンしてみると、ごく限られた数か所しか、編成全体に光が当たりそうにないのがわかります。なおかつ、午前中の渋谷行が順光になるところが主流で、午後はかろうじて後追いが順光……最終日に気づいても遅いんですが(笑)この日も、渋谷行が急行、吉祥寺行が各停という運用でした。そして、ローレル賞もどき(?!)のヘッドマークは6日とは逆に吉祥寺方に装着されました。思えば、井の頭線の急行には、昔は小さな急行ヘッドマークが付いていて、今回の運転では、その当時のマーク掛けに、当時の大きさでお名残りマークが付いているんですね。関係者の小粋な計らいに、思わずじ~んときてしまいます。池ノ上から渋谷方に歩いていくと、まだ線路面がマンダーラになっていない、鉄な皆さんが集中しているポイントがありました。前からサイド光で狙うか、後追いで桜田順光といくか迷ったのですが、ローレル賞もどきのマークを生かしたくて、後追いにカメラを構えました。
2011.11.17
コメント(0)
北上へ到着したC61+24系は、機回しの後、先に回送されていたDE10×2を先頭に連結して、「DLがんばろう岩手号」の試運転列車となって、一ノ関へ戻っていきます。これまた貴重な珍ドコ編成、往路のC61より断然素晴らしい光線状態の中を走るのが皮肉です。晩秋、北上発車が14時23分ですから、水沢停車を過ぎた15時前から、一年で最も美しい、鉄道写真に適した光線を浴びて走ります。往路のC61を撮ったあたりの逆側をめざしてレンタカーを走らせ、何とか通過直前に到着、サイド狙いで畦道にアングルを選びました。真横を撮ってから、さらにファインダーを後追い方向に振って、3つ目のスパンでした。背後の森をバックに、3両の機関車がいきなりギラリと輝いたのです。やはりこの季節のこの時間帯です。この珍奇な編成さえも、神々しい鉄道情景に昇華させる、光のマジック!この後、さらにもう一度、平泉の先で待ち構えたのですが、16時を過ぎ、太陽は低い山の向こうに沈んでしまい、ギラリの再来とはなりませんでした。しかし、このワンスパンの間でだけ繰り広げられたシーンは、2011年晩秋のハイライトとして、深く深く脳裏に刻み込まれたのでした。
2011.11.16
コメント(2)
そうは言っても、オヤジ鉄の一員として客車を途中で切った数枚を撮ってから(笑)、後追いを撮ろうと振り返ると、そこにはただ風が吹いているだけ~~♪ではなくて(爆)、格好の家族連れの皆さんが、模型のようなミニブルートレインを出迎えていました。お~、テールサインは「はくつる」になっています。もちろん、イラストマークですから東北特急の蒸機時代とは何の関係もありませんが、何となく嬉しい気分になってくるから、不思議ですね。思えば、東北特急でも一般形客車の時代の写真はモノクロが多く、カラーといえばC62の常磐「ゆうづる」ぐらいしか見たことありません。もうひとついえば、金帯が最近っぽくて、私にはどうも「ブルトレの再来」には見えないのです。願わくば、せめて14系ハネか、24系の帯を白に変えていただいて、何とか5B以上の編成で、C61牽引というわけにはまいりませんでしょうか。そうしたら、オヤジ鉄も、若いネタ鉄も、仲良く三脚を並べられるような気がするのですが。。。
2011.11.15
コメント(0)
来週末に運転される「SLがんばろう岩手号」の試運転が一ノ関~北上で始まりました。本列車の旧客使用はすでにアナウンスされていますが、その旧客が他の運用で使用中、高崎の12系も回送できず、結果、24系ハネを試運転に充当するという珍事が実現しました。これは、けっこうなネタですね(笑)24系と蒸機との組み合わせは、先日九州では肥薩川線で例がありますが、JR東管内ではおそらく初めて、ちょっと記憶にはありません。24系ですから、東北ブルトレの再来でも何でもありませんが、ネタ鉄としての興味関心沸々と湧き上がり、土曜日(11/12)、大休ウィークエンドパス利用で、くりこま高原へ向かいました。この区間はビギナーもビギナー、前夜にネットで少し検索しただけのドシロート出撃でしたが、目星を付けたポイントに着くと、いつもの蒸機試運転と比べると、明らかに年齢層が若いのがわかります。そう、やっぱり、ネタなんです、これは、、、ネタならネタで、編成切らずに(笑)、まずはキチンと撮ろうではありませんか(爆)曇りと晴れを行ったり来たりのお昼前、客車のブルーを出すためには、やはり順光がいいのですが、線形からみて、どうやらなかなか難しそうです。サイドに光が当たる小築堤にアングルを決定、勾配から見て煙切るかもしれないなあと思っていたら、案の定宍戸錠(笑)その通りになり、晴れをちょっぴり恨むという、珍しいパターンになってしまいました。
2011.11.14
コメント(2)
好天に恵まれた長電リンゴ&リンゴ狩りの一日(10/29)も、フィナーレの時間が近づいてきました。山之内線普通列車のチャーター代走運用を終えた2000系D編成は、今まさに山の端に夕陽が沈んでしまったリンゴ畑の中を、回送列車となって家路を急ぎます。夜間瀬の鉄橋のほうが、まだ光が残っているのでは……と少し迷ったのですが、朝の回送を撮った桜沢~都住の開けたポイントで、日没後の空の色を目当てに、待機することにしました。すでに一日を彩った秋の日輪の姿はなく、紺青に変わろうとする空の下のほうで、名残りの橙色だけが、感度を1600に上げたデジカメの味方をしてくれます。まあ、1600まではしようがないけど、3200にはしたくないよなあ、と思っていると、やっと背後の踏切が鳴り出しました。朝と同じく、再び、後追いでのシューティングになります。秋の入日の色が消える寸前、室内灯を優しく点したリンゴ編成が、住み慣れたネグラの須坂へ帰っていきました。
2011.11.12
コメント(2)
ドン曇りの井の頭線で足踏みしてしまいましたが、ま、今週末にもう一度、3000系撮影のチャンスはあるので、晩秋の夕陽が綺麗なうちに、長野のリンゴ狩りに戻りたいと思います。湯田中まで2000系が入線すること自体、今では貴重なんですが、昼過ぎまではリンゴ絡みの撮影に終始、斜光線が綺麗になってきた14時過ぎから、ノーマルなシューティングに戻りました。桜田順光、秋の色といえば、やはり上条手前の直線しかありません。リンゴの木の影が、徐々に長くなって線路面に到達しました。一瞬、アングル変更を考えましたが、ここは若干の影のマイナスがあっても有り余るほどの、素晴らしい晩秋の色を選ぶべきでしょう。10月下旬から11月初旬の15時台は、1年で最も美しい、鉄道写真に適した光と色の時間だと思います。この日も、泣きそうに美しい晩秋の色を帯びながら、リンゴ特急が最後の秋を踏みしめるように、静かにやってきました。
2011.11.10
コメント(0)
え~と、井「の」頭線でよかったんだっけ?……今日も東横線から乗り換える渋谷駅構内の案内表示で「←井ノ頭線」というのを見て、はたと考え込んでしまいましたが、各停で渋谷から吉祥寺方面へ向かうのはいったい何年ぶりのことでしょうか。今日(11/6)はふらり気が向いて、3000系ラストランへ2度目の出撃、まずはロケハンというわけです。大学生のとき、駒場東大前に高校時代からの友人がいて、下宿(死語!)へ遊びに行きました。20代半ば、新代田と下北沢の間に女友達が住んでいて、よく送っていったなあ。終電ギリギリまで、あるいはわざと終電外そうとして、よく渋谷の屋台で飲んだよなあ。各駅のホームの先端に群がる数人の若い鉄を眺めながら、物思いに耽る2011年、オヤジの秋ってところです(笑)下北沢は、芝居を観たあとの酒の思い出ばかりが、次々と甦ります。シモキタ、とカタカナで呼ぶのが似合う街ですね。ちょうどスズナリに続いて本多劇場がオープンした頃、黒テント赤テントからつかさん、野田さん、如月さん、渡辺さん、、、越後って居酒屋はまだあるのかなあ。Sさんの地下のバーは今も朝までやっているのかなあ。。。いくつかの駅で、次代を担う若い鉄の肩越しに撮らせていただいた後、駅間撮影も試みました。ここでも、場所を譲り合う、若い同好者のご親切にじ~んときました。2往復目を撮ったところで雨が降ってきて、この日の沿線最年長の撮り鉄(爆)は、このギョーカイもまだまだ捨てたものではないなあ、と過ぎ去りし日々の思い出につつまれて、満足の撤収を決めたのでした。
2011.11.06
コメント(2)
伊勢崎への出動を見送り、のんびりした休日の朝を過ごしていると、非鉄な仕事の先輩からケータイにメールが入りました。吉祥寺の駅で、井の頭線の電車に子供が群がってるけど、いったい何?……早速調べてみると、今日から3000系のさよなら運転が始まったのでした。そりゃあ井の頭線だって車両の代替わりはあるよなあ、とウィキで調べてみると、え?この3000って窓を改造してるだけで、70年代からのステンレス初期の名車がそのまま走っていたのか!、、、知りませんでした。湘南窓、あっという間になくなってしまったなあ、早かったなあ、と思っていました。長く鉄やってますが、首都圏通勤電車、それも私鉄にはまったくのドシロート。井の頭線は、大学時代に吉祥寺に住んでいた時期があり、その頃によく乗りました。まだ旧1000系の緑一色の編成も走っていて、3000系が来ると何となく嬉しかったのを思い出します。夕方、渋谷へ出る所用があったので、ミラーレス片手にふらり、井の頭線のホームに入ってみました。最初は誰もいなかった行き止まりのホーム終端に、鉄がぞろぞろと現れると、間をおかず、小さなヘッドマークを付けたレインボーカラーの電車が到着し、ケータイのカメラの放列が一段落すると、すぐに発車していきました。
2011.11.03
コメント(2)
一昨日のDD重連鳥取御召、鉄人さんブログや個別のメールでVな写真をたくさん拝見しましたが、恨み節はもうやめにしましょう(笑)土曜(10/29)は、快晴の長野へ久しぶりのリンゴ狩りに行ってきました。ぴ~助さんのお誘いで、山之内線の定期列車をリンゴ編成に差し替えた、チャーター運転会に参加させていただいたのでした。春の定期運用引退後も、ときおり代走やイベント運転に登板している2000系D編成ですが、いざ来春まで残ってしまうと、こちらも安心してしまって、夏から秋、長野へ出かける機会もありませんでした。それが今回は、ほとんど入線しなくなってしまった山之内線を、リンゴの実の真っ盛りの時期に往復するというのですから、これは見逃すわけにはいかないと、おっとり刀で駆けつけました。珍しいことに、予報がどんどん好転し、信州中野への回送を待つ頃には、ほとんどゲリラ雲の心配もない青空が広がりました。沿線のリンゴも、場所を選べば、線路沿いにたわわに実っていて、アングルに十二分に入れられそうです。まずは、朝夕の2度の回送しかチャンスのない、中野までの区間で、リンゴがらみのカットを早速、頂戴いたしました。
2011.11.02
コメント(0)
今日(10/31)、山陰本線の鳥取~倉吉で、全国豊かな海つくり大会への行幸啓に伴う御召列車が運転されました。前日から新幹線乗継で、あるいは当日朝のNH便で現地入りする知人友人を尻目に、はい、平常通り、働いておりました。はい。。。JR西管内の非電化区間の通例で、DD51重連+大サロ5Bの編成でした。心配された旗も付いたようです。最も集中した泊~松崎の築堤は直前に曇られたとか……各撮影ポイントで晴れ曇りの悲喜こもごもが展開されたようで、まったくもってご同慶の至りです(笑)今の自分は、週の前半に東京を離れることが絶対的に困難な身の上です。7月に一度だけ、週末に運転された12系使用のハンドル訓練を撮れただけでも、ここは良しとしましょう。遅ればせながら、今日、その写真をアップしておきましょう。今回が最後の客車御召?……そんな話は聞かない、聞かない(爆)
2011.10.31
コメント(0)
9月末に三重に非鉄な所用があり、その帰り道に遅ればせながら、JR東海のリニア鉄道館に行ってきました。名古屋から初めてのあおなみ線に乗って、おいおい、ここは貨物が来るのか、お、原色のDDだ、などとド素人そのものの短い道中でしたが(笑)この博物館に収蔵された保存車両のうち、最も見たかった2輌の機関車が、アクリル?の通路を挟んでではありますが、並んで展示されていたのには、ちょっと感動を覚えました。名古屋機関区のC57139号機と、浜松機関区、そしてJR東海静岡運転所のEF58157号機です。C57139は厨房の時に名古屋駅で1枚だけ撮ったことがあり、その後、DD54故障の代替予備機として梅小路に待機していたのをドキドキしながら撮りました。そして、イゴナナはJR東海最後のゴハチとして、とくに飯田線に入るようになってから、数えきれないほどの思い出があります。かたやC57が梅小路の時と同じような御召機さながらの装備であるのに対し、イゴナナは茶色、原型小窓に戻されて印象がかなり変わっていますが、こうして「名」と「浜」の時代を象徴する機関車が、当時の姿を確実に伝えて博物館に君臨している、、、何と素晴らしいことではありませんか。それは、C62より、新幹線よりも。
2011.10.30
コメント(0)
長崎へ向かう復活急行「雲仙・西海」を、冷水峠の次は肥前大浦あたりの海沿い区間で迎え撃とうと思ったのですが、その前に佐賀平野で一発と欲張ってしまった結果、白浜の有名ポイントには間に合わず、小長井に停車中のキハにやっと追いつきました。いつの間にか天気は晴れ、島式ホームの向こうの青い海がキラキラと光っているのを見て、急遽、停車中のスナップを撮ることにしました。例によって乗客の皆さんがホームに降りてきて、ミニ撮影会の真っ最中、ヘッドマークが二つ付いているのはご愛嬌ですが、陸橋の中ほどから海入りのアングルが容易に得られました。長崎の海沿いの駅といえば、3年前に通った島原鉄道の駅を思い出します。そうそう、この駅と同じように、堤防のすぐそばまで海が迫っていて、キハ20が朝夕にやってくると、それは素晴らしい光景が眼前に繰り広げられました。ほんとうは、もう少し早く晴れてほしかったけど、ザ・冷水峠なアングルは晴れると逆光のようでしたから、これはこれで良しとしましょう。ま、晴れるとわかっていたら海沿いに直行したのに……などという戯言はやめておきましょう(爆)
2011.10.28
コメント(2)
新飯塚の停車中に先行して、冷水峠へ向かいました。昨年の「復活急行」運転時に2度ばかり、この区間に来ているのですが、新しい有料バイパスへ入ると峠の区間のポイントのありそうなところをスルーしてしまったりで、なかなか冷水峠らしい写真が撮れませんでした。コンビニへ寄っているうちに時間がなくなってしまい(笑)、すでにキハは桂川を発車……それでも、まわり道覚悟で旧道に入り、サミットの先を目指します。これで見る鉄になったら、いったい何のための遠征なのか、と冗談とも本気ともつかない会話を車内で交わしていると、国道の脇に駐車車両が数台、、、鉄だ、撮影ポイントだ!(爆)切り通しを抜けてくる線路を見下ろす陸橋上に、正面アングルのかたが数名、なるほどなあと思ってふと逆側を見ると、後追い狙いのかたが数名、、、あれ~、あ、あ、このアングル、アウトカーブ、おいおい、これぞ、ザ・冷水峠!その昔、この地を訪れたガキ鉄の時代、たしか「天草」が筑豊経由で、DL牽引ながら後部補機がまだD60でした。あまりにも軽やかに峠を駆け下りてきた客車急行の後ろにぶら下がったカマを、柄にもなく流し撮りしたことを思い出します。アングルを決めるなりやってきたこの日の「雲仙・西海」も、同じように軽やかな足取りで、峠を下っていきました。
2011.10.26
コメント(0)
昨年夏、「ファイナルひかり」で終了したと思っていたJR九州の国鉄色キハによる「復活急行」、どっこい走っていました。先だっての週末は、今も長崎・大村線で定期運用に入るキハ66・67を使った「雲仙」「西海」が門司港~長崎間で運転されました。国鉄色に塗り直されたキハが4輌あると聞くたびに、早いうちに長崎へ行かねば…と思ってはいたのですが、なかなか果たせぬままでした。その4輌が長距離を走破すると聞くと、やまぐち行き過ぎ(笑)の昨今ではありますが、Gさんの青組解脱(謎爆)にも便乗して、早朝のNH241便で福岡に向かいました。日田彦山線・後藤寺線から冷水峠を越えて原田に至る2日目のコースは、筑豊暮らしが長いキハ66・67にとって、通い慣れた道ですね。あいにくのドン曇りの空ではありましたが、ボタ山をバックに何度も向きを変えながら進む国鉄色のツートンは、筑豊の風景にしっくり溶け込んでいました。現役蒸機の時代、デコイチの夕方ギラリで有名だった石原町や採銅所のあたりも、この日(10/23)は天気の回復が遅れ、光線状態を気にしなくてもいいまま、キハ4連の通過時間を迎えました。ほんとうは、渋い駅舎をじっくりスナップしたかったのですが、やはりここまで来たら冷水峠の魔力捨てがたく、先を急ぐことにしました。
2011.10.25
コメント(2)
今週は久しぶりに、やまぐちに行かない週末でした。といっても、今日は日帰りで別のところに鉄活しに行ってるんですが(笑)、重連+青い12系感動のシーンの数々を反芻する毎日が、しばらくは続きそうで、まだまだ名残惜しいのですが、ご報告は今日で終わりにしようと思います。上り9522レ撮影のフィナーレといえば、やはりこの有名空き地(笑)になります。ちょうどこの季節は、晴れれば、ですが、今まさに山蔭に隠れようとする秋の西日が、高速で通過する列車をキラキラと照らし出し、もう大変なことになってしまいます。この日(10/8)も、モニタを見てシャッタータイミングを確認しながら、素晴らしい色になったなあ、と悦に入っていると、客車の一部が別の色に反射していることに気づきました。いったい何の色?と考えて、同行のGontaさんが、はたと思い当ってくれました……蒲鉾屋の建物の色だ!山口は有名な「宇部かま」をはじめ、蒲鉾の美味しいところです。この有名空き地手前、踏切至近のベージュの壁の蒲鉾店も、地元ではけっこう有名なところのようです。次回は空港で宇部かま買うのをやめて、ここの蒲鉾屋さんで、お土産を買うことにいたしましょう。それが今年の紅葉か、はたまた来年の桜か、いずれにせよ、やまぐちとも、しばしのお別れです。
2011.10.23
コメント(3)
地福と同じく煙が手前に倒れることの多い徳佐のSカーブに何とか到着、ここでも幸運にも3度目にして客車にも煙がかからないカットをものすることができました。下りの徳佐、そして上りの本門前の晴天リベンジを果たせば、あとは追っかけの流れに乗って、PPらしい写真をもう1枚、押さえたいところです。短い停車のある鍋倉の先は、この季節、サイドライトが綺麗だったことを思い出しました。よし、ここは思いきって、後追いで行くか。本来、このポイントは普通に撮るのと後追いと、同じ踏切から両方が可能ですが、ここはサイドがちに構えて、後追いオンリーでいくことにしました。先週の篠目発車では、イージーに後追いが成功しましたが、実はこのテのカット、走行中、駅間になればなるほど、シゴロクの煙が巻いてしまい、特徴あるテンダや後ろのナンバープレートが見えなくなってしまうのです。う~ん、これには気がつかなかったなあ。。。ここなら発車直後だし、、という理由で選んだポイントでもありました。この1枚目のアングルでは何とかテンダもはっきり見えていましたが、この後、ズームを望遠側に振ってアングルを立て直すと、すでにシゴロクの後ろ姿は煙に巻かれていたのでした。
2011.10.22
コメント(2)
篠目発車を撮影してすぐにクルマをスタートさせると、長門峡に停車中か発車直後の9521レを追い抜いて行くことになります。いや~、圧倒的多数のギャラリーの前をこちら参加することなく通過していくのは、何だか不思議な気分であります。やまぐち号運転開始直後は、たしか長門峡の次は三谷で停車があったのでしょうか。ある時期から地福に変わって、構内外れの直線を抜けた踏切は、オーソドックスなアングルを得られる、格好の撮影ポイントになりました。ところが、踏切の手前で煙が終わってしまうことも多く、風の悪戯にもたびたび邪魔されてしまうのが、ここの難しいところです。今回もあるときは煙が手前に倒れ、またあるときは先頭のシゴナナの、その翌日は次位のシゴロクの煙が薄かったりで、リベンジを最終日に託す結果となっていました。踏切からはよく見えないのですが、篠目と同じように乗客が客車に戻って、長い汽笛が山と山の間の平野部に響いて、二つの黒煙が立ち上ります。よ~し、そのまま、そのまま……幸いにして風もないようです。やがて縦二条のまま、ファインダーを煙が横切るとすぐ、最後のポイント・徳佐に向けて、こちらもラストスパート(笑)に入ります。
2011.10.21
コメント(5)
重連最終日(10/16)に戻って、12系やまぐち、もう少し続けます。この日の下り9521レ、峠の先の撮影は、前週に惜しくも直前に曇られてしまった、篠目の発車をリベンジすることにしました。UBJ着陸直後からゲリラ雲が大活躍しており、いつもながら、あとは時の運。。。篠目の発車というと、上りの給水塔バックが有名ですが、前週に上りの後追いを撮ったときに、そういえば下りの発車をずいぶん前に狙ったことを思い出しました。で、現地ヘ行ってみると、柔らかいサイドライトがやや後方から当たって、背後の山にも陰影のコントラストがいい感じに出ていました。上りと同じく、短い停車時間に乗客の皆さんがホームへ出てきて、発車寸前になると、あっという間に列車に戻っていきます。まだ時間はお昼前、津和野での折り返しもたっぷり時間があるため、上り列車と違って、淡々とした雰囲気が山あいの踏切に漂っています。重連がゆっくりと動き出したとき、ゲリラ雲が消え、ファインダー全体が明るくなりました。急いで露出を変え、バックの電柱の重なりとのタイミングを測って、連写に入りました。
2011.10.20
コメント(4)
SL見物の観光客で賑わう長門峡の駅をやり過ごして、篠目駅手前の踏切までやってきました。発車を狙うため駅の仁保方まで行こうとしたとき、おい、ちょっと待てよと、何年か前、この踏切から12系の後追いを撮ったのを思い出しました。この季節はちょうど、篠目停車の9522レの全体に日が当たる最後の時期で、青い12系客車のサイドに、秋の夕陽が差しています。同行のGontaさんも、後追い選択に(無理やり?!)ご賛成の様子、そうだそうだ、縦位置のアングルだよなあ、そうだそうだ、300mmだよなあ、と数年前を思い出しながら、発車時刻を待ちました。あれほどホームに溢れていた列車の乗客が、あっという間に車内に戻って、ホームには一組の親子連れだけが残りました。専務車掌が窓から前方後方を確認すると、やがて二つの長い汽笛が、山あいの給水塔のある駅に鳴り響きます。浜田の検修施設が何らかの事情でままならず、益田の入換に使われているC56が、今日は12系団臨の後部回送で小郡へ検査に向かうことにでもしましょうか(笑)そんなこじつけも楽しいけれど、このシーン、2011年秋の日本の鉄道情景としてでも、十二分に美しく、素晴らしいと思います。感動のうちに三脚をたたんでいると、峠に挑む2両のカマの、今度は短い汽笛が、遠くの山あいに響いていました。
2011.10.18
コメント(9)
全1414件 (1414件中 1-50件目)