全218件 (218件中 1-50件目)
ログインでてこずってずっと来てなかった。長男がベビーの頃に日本で始めた日記。皆大きくなってきてる。結婚して16年から20年目が離婚する率がぐっと上がるんだそうだ。ここだけの話、家もやばいのかなあ・・・と毎日考えている私がいる。別に黒人だからとか人種は全く関係なくなってしまっているのはもちろんだけど、年を取るにつれてお互い頑固さに磨きがかかってきているというのかケンカばっかりで嫌になる。ケンカというよりはこれだけ長い間一緒にいるのに毎日のことでもやり方に文句が出るし同意できない。夫はまあ、こんだけ気の強い女(前世は黒人だったんだろうと言う)と一緒になったんだと怒りながらも付き合ってくれている。でも気がすまないのが私なのだ。不景気でこれまでやっていた程の仕事はなかなか見つからないから給料もダウンした。それでも彼のせいじゃないから怒ってはいない。何度話し合っても勝手に銀行からお金を引き出して使ってしまって、後で支払いをしようとネットで残高を調べたら初めて使い込んでいたというのが発覚する、ということが今回で5度目。そのたびに最初は逆切れして怒って家からしばらく姿を消すんだけど、後で落ち着いて話し始めたら「僕が悪いのは分かってる。だけどストレスが溜まってどうしても・・・」とかなんとかいう理由で。これからはお金のやりくりは本当に、本当に私だけに任せてって約束してもまた何度も繰り返す。クリスマスも近いし、そのために置いておいたお金が無かったときは情けなかった。大した金額じゃない。だけど黙って勝手にネットで買い物して商品が届いた後で説明されても困るし。こっちはクーポン切ってスーパーで買い物してるんだ。そういうことにだって時間が費やされる。夫にしたらのんきに家で座ってハサミでチラシを切ってる私しか想像できないだろう。何でそんなに怒るの?って。そういう心理を察せないどんくささがそろそろ嫌で嫌でしかたがなくなってきたんだ。いや、もしかしたら本当はかなりの所まで私の切羽詰った心は知っているのかもしれない。それを大げさな、と切り払って無視して毎日過ごしているんだろう。だから私が大爆発したらすごく驚く。言いたくないけど子供たちを除いたら夫と結婚したのは間違いだったのかな・・・?と思い始めてる。そして毎日少しずつだけど自立できるように専業主婦を脱出するべく案を練っている。離婚したって死別したって夫から金は入らないだろう。ずっと専業主婦だし、仕事を探してもなかなかない。どうなるのかなあ・・・。その間私は出来ることだけをやる。子供にかける時間は惜しまない。出来る範囲で趣味を広げることを考えている。少しずつだけど地元でのネットワークも増やし始めたいと思う。チビがそろそろ2歳になるし、長女や夫とだけでも大丈夫な時間が増えてきたから。これまでがむしゃらにやってきたけど、自分というものをこの辺でもう一度見つけ出してあげないと、かなり精神的にやばいことになってきているんだもの。20年前アメリカに来たときに志していたこと、その当時の自分を忘れてしまった。いい意味でも悪い意味でもいい母として自分を二の次にしてやってきた。これからは少しずつだけど、やっぱり自分も大切にしていく。夫に求めても期待できない見返りは求めないし、そうすれば彼に対する怒りもなくなる。自分の面倒を見られるのは自分だけ。こう考えて生きていくんだ。もちろん子供たちは将来、私から巣立った後にもいい関係でいたい。そのためにも私は酒やドラッグにおぼれたり、浮気に走ったりはしたくない。ここで日本語で吐き出してすっきりした。英語じゃどうもピンとこなくて。
2009年11月17日
今日はマックスウェルの5歳のパーティーだった。初めて学校からの友達、ジュリア、タイラー、エリアスの3人といとこたち、姉兄弟たちだった。自宅でやったのでまた飾りつけとか買出しとか案の定ストレス。こんなの天性的に好きで上手だったらなあと思う。祝ってあげるのは嬉しいけど、この予算内での飾りつけや料理の準備、ケーキ、ろうそく、プレゼントや来てくれた子たちのおみやげなどやっぱり最低でも100ドルはいく。毎回仕方ない出費だけど周りには私は家族が義家族しかいないのでお手伝いも期待できなくて、いつも大変。夫も期待できない。今日も天気がいいからって新しいバイクで行ってしまった。私としたら精一杯やってるつもりでも彼にとっては全くダメなやつってことらしい。長女に愚痴をこぼしながらがんばった。長女は一生懸命手伝ってくれたし頼もしい。お猿がテーマの今回のパーティーは両親のいざこざはさておき、マックスウェルとゲストたちは楽しんでくれたみたいです。
2009年06月27日
Dくんは調子がいいみたい。朝起きてもこれまではずっとベッドでおっぱいを捜して今まではぐずぐずしてたのに、ちょっと様子が違う気がする。昨夜は3度ほど目を覚まして、ぐずったのでカップに入れておいたミルクを飲ませたら驚くほどゴクゴク飲んでしまった。ゆらゆら抱っこもパンパンに張るおっぱいに当たって辛いって・・・。あと数日したらこのおっぱいもしょぼ~んってなるんだよね。これも断乳を延ばし続けていた理由の一つだったの。日中もパパと一緒におばあちゃんの家に行って、戻ったら爆睡していた。やはりおばあちゃんの家では着いたとたんに大泣きしてしまったらしい。眠かったんだね。帰りの車内で寝てしまったのね。添い寝もしてたんだけど、結果必ず半分寝ながらおっぱいを捜し続けて寝返りを打って泣くので、寝室に入れてあって使わずじまいだったベビーベッドに寝かせてみた。やっぱり泣く。火がついたように泣くから気の毒になってきてしまったけど、安全なベビーベッドの中でお腹も満たされてるししばらくはゆらゆら抱っこをして寝させて、熟睡する直前で降ろしたので眠いはず。朝の5時を回ってた。Dくんは30分ほど大泣きをして私の心を揺さぶり続けた。可哀想だけど、これも彼のため。添い寝だと夜中しょっちゅう起きるし朝はすっきり起きられないもの。母子ともやっぱり夜はぐっすり眠りたいし。最後の30分は甘い泣き声に変わって頭がグラグラして、もう気力でレールにつかまって立ってるって感じ。眠いのにどうしていいか分からないんだろうな。可哀そうだけどずっと眠い私も「がんばれー、横になって寝んねしなよー」と心の中で応援する。1時間後にはコテッと横になってそれからは3時間ほど朝まで眠った。この方法はテレビのスーパーナニーとかのしつけ番組で学んだ方法なんだけど、やっぱり根気勝ちだわね。昼間は一日お腹が空くのかたくさんご飯もおやつも食べて牛乳を飲んでいたDくん。この調子だったらあと数日で普通になるかな~?
2009年05月03日
今までずっと延ばし延ばしにしてきた三男Dくんの断乳の日が前ぶれもなくやってきてしまいました。それというのも一週間前から首の右側のリンパ腺が腫れていて喋ってても首に力を入れてもすごく痛くなってきて一向に良くなる気配もないので今日、医者に見てもらいに行って来たのです。そこで医者が炎症などを抑えるためにステロイドを処方したのです。ピンと来た私は「あのー、まだ授乳してるんですが、どうなりますか?」って言ったらおっぱいにでるから搾乳ポンプでしのげないか?と。でも使うのは嫌いだしもう14ヶ月目なのでこの期にキッパリ断入してしまおうと決心したの。悲しい思いでいっぱいなのは夫にはわかってもらえないみたい。これが一生で最後のベビーだし、死ぬまで授乳という幸福な時間は味わえなくなるんだな、と思うと・・・。悲しい。写真も撮ってなかったしあまりにいきなりだったから。家に戻る前にもうすぐに薬を飲む時間になっていて、写真撮れなかったよ。泣かないようにするわ。これで夜通しぐっすり眠って、朝からもりもり幼児食も食べて大きくなってくれますように。Dくんにとっては最良のことなんだって思って悲しまないようにする。いつもはおっぱいを飲みながら眠りにつく彼だけど、たくさん夜ご飯食べさせてミルクもカップで飲ませてお腹をふくらませておいた。眠い時に甘えた泣き声でシャツに顔を擦り付けてきて急かした後、満足げにおっぱいを飲んで目を閉じる顔が可愛かったの。今夜はおっぱいに頼れないから遊ぶだけ遊ばせて眠さで目をこすりだすくらいになったら抱っこしてゆらゆら。これも癖にしちゃだめなんだけど、ベビーベッドに寝かせて一人寝させる練習もしなきゃいけないし。おっぱいに顔を書いたらあまりに可愛い顔なんで笑ってつままれて、それでも飲もうとするので失敗。今夜は何度か起きてぐずりそう。次男のマックスも先週のウィルス性の風邪がぶり返した様子で、世間では豚インフルエンザで騒いでるのでちょっと不安です。明日もひどかったら病院に行ったほうがいいのかなあ・・・。母親って生んでからも衣食住の世話をするだけじゃなく、ほんとに看護婦さんみたいなこともしょっちゅうしなきゃいけなくてここまでは想像してなかったよ。女性で独身の時に看護婦の免許を取っておいたら子供ができたらこれほどいいことってないと思うわ。子供の誰かが何かもらってきたら電話でナース相談してばっかり。でも病院にちょくちょく連れて行くよりはいいと思って。なんだか飲んでる薬のせいかすごく眠い・・・。おやすみなさーい。今夜は忙しい夜になりそうだから早めに寝て体力温存です。
2009年05月02日
ワディー(夫)が投票に行きその夜11時には大統領と確定となり嬉しかった。もう5日ほど経つけど、あまりにクリントン女史との選挙も含めるとすごくながかったのでようやく終わった~とほっとしている。とにかく何かの間違いででもマケインになってたら、あと4年カナダにでも移住するしかない!?とワディーと大騒ぎしてただろう。4年前ケリーがブッシュに小差で負けた時はがっかりきたもん。今となってはブッシュはインチキして勝ったということらしいけれど。ワディーと長女メーちゃん(10才)はオバマがまだクリントンと闘っていた時に近所の高校に選挙活動に来たときに会っている。3時間くらいずっと待って一番前まで出て見たのだから、今となってはすごく価値のある経験だよね。演説が終わって握手に来たとき、メロディーと一緒に写真を撮らせてと頼んだら本当はツーショットは駄目なんだけど、なんならここでお喋りしてるふりをするからその時に撮ってください、と言ってくれたんだって。メロディーはオバマとハグをし、言葉をかけてもらった。非黒人には分からないかもしれないけれど(かく言う私も日本人です)、オバマが大統領になったということは黒人の子供たちに新しい可能性を開いてくれたということ。ワディーが子供の頃、学校の先生が「大きくなったらがんばれば何にでもなれるんだよ」と言われたけれどピンとこなかったらしい。だって大統領も国を動かす大物も白人ばかりで、目標になるような黒人男性が誰もいなかった。だから黒人の子供たちが毎日勉強をがんばって上を目指せば必ず夢は叶うよ、と大人が心から言える日が来たんだと思う。ちなみにうちの長男のナイくん(6才)だけは今の法律上では大統領にはなれない。彼だけは私たちが日本に住んでた時に生まれたから。もちろん市民権は生まれた時にアメリカ領事館で取ったけれど、大統領となるにはアメリカ領土で産み落とされてないとだめなんだって。だからケネディー家の血筋のお嫁さんをもらった元人気俳優のシュワルツネッガーも、どれだけ議員として政治家の道を進んで行っても大統領になれないのだ。だから彼は本気でアメリカのその部分の法律を変えようとしている。ってことは彼はロナルド・レーガンのように俳優→大統領を目指してるんだろうね。シュワルツネッガー大統領。プレジデント・シュワルツネッガー。なんかすごく言いにくいなあ。
2008年11月08日
夫が黒人なもんでむっちゃ気になるんですよ。ニュースを見てたらそんな報道が。まだクリントン女史は退いてないとか。これは、11月にもめそうだなあ。人種は関係ない、というのは当たり前なんだけど、やっぱり優秀で過去に汚点のない大統領・・・期待が持てます(っていっても私、まだ投票権ないんだけど)。縮小した写真を添付してみます。できるかな?
2008年06月03日
毎日眠い・・・・睡魔との闘いって感じの日々なんですが。一日中子供たちを順番に相手しながら、夫も相手にして家事して、ともう目が回るような忙しさでちょっと想像を絶してます。だから夜、子供たちが眠って静かになった時間に色々やろうとして起きてるともう、朝の2時近くまでなってて、しかもベッドに入っても必ず起こされるから熟睡できない。やっぱりこれが一番辛いな~。母乳だからまだ楽なのかもしれないけれど、ベビーだけじゃなくて他の子たちも「鼻血がでた」とかただ単に「ゥギャー!」って怖い夢を見たのか叫び声が聞こえたりして面倒を見なきゃいけない。6月6日で今学年もお終いになる。あとは9月の初めの新学期まで夏休み・・・長いでしょ。これで困ることっていったら3人に3食準備してその後片付けもしなきゃいけないこと。また仕事が増えるなあ。子供たちの相手で近頃、夫とは全くと言っていいほど意思疎通できてない。もう「私子育て、あなた外で働いてきて」という役割で機能してるだけといっても過言ではない。夫はまだ、家にいるときは余裕があるけれど、私は7日ぶっ続けで休みもないし、毎日必ずたまった家事をやり続けてるからのんびりと会話とかしてられないのだ。いつまで続くのかなあ・・・。好きで産んだけどさすがにちょっとギブアップ気味の今日この頃。子供たちが可愛いのがなによりの救いだよ。
2008年05月29日
ベビー・D(男の子、10週目)は順調に育っている。今12ポンド。おっぱいもよく飲むし、お兄ちゃんたちやお姉ちゃんも焼きもちどころかとっても可愛がってくれているからなんてラッキーな子なんだろうって思う。4人も産んじゃってどうしようって最初の数ヶ月はずっと思ってたけど、この頃はスケジュールも落ち着いてきたし、夜も心なしか長いこと寝てくれてる気がする。やっぱりおっぱいは楽だな~。マックス(3歳)は時々赤ちゃんがえりしてしまうけど、一日中一緒にいる私よりもパパの方がお気に入りなのでいる時はおだててどんどん預けてしまうことにしてる。毎週水曜は先生が来て家で1時間、つきっきりで知的な遊びとかをして秋からの学校に備えている。先週マックスを上の子たちと同じ学校に入学させる手続きをしてきた。こっちでは年長さんも小学校にある保育園みたいな所に通うことになるんだけど、そうなると朝から4時近くまでずっと学校で、上の子たちと3人ともいないのでベビー・Dと一緒に買い物や家事したりゆっくりできそうだ。
2008年05月07日
29日に予定通り朝6時に起きて病院に行くと確認の電話をし、子供たちを学校に送り出す準備も同時にして8時前に家を出た。着くとお腹にモニターをくっつけられて点滴のための針を刺すためにナースが何度も刺すんだけどなかなか上手くいかなくて、結局4度も違う場所をつつかれた。それがすごく痛くて、まだ一番最初のステージなのにへこんでしまった。ほどなく麻酔の医師が来て背中からエピデュラルを注入して、もう一つの管からは促進剤を注入してモニターで陣痛の進み具合をナースがチェックする。1時間もしないうちに子宮口が5センチになり、ナースたちが入れ替わりに来てチェックしていた。すると「あら?頭の横に腕があるわね」と言い始め、他のナースが超音波を使いながらチェックするとやっぱり・・・。担当医のスターリング先生を呼び、先生が確認すると頭の上にぐるっと腕を巻きつけている状態で、このままでは頭が上手に降りてこられず自然分娩しようとすると肩の骨が折れてしまう可能性も高いと。あと1時間様子を見てそれでも腕が動かなかったら帝王切開にしましょう、と言われたのでワディー(夫)と二人ショックで顔を見合わせてしまった。私は医者がそう言うんだから諦める時には腹を据えて言うとおりに手術してもらうのが一番だとあっさり思ったんだけど、ワディーは諦めきれないようでお祈りしたりお腹に話しかけたりと一生懸命。手術を実際受ける私よりもワディーの方が何倍も不安そうだった。そして担当医が他に医者を数人呼んで確認して最終的には帝王切開で行きましょう、と言われた時はがっかりしたというよりも怖いな~というのが感想だった。妹も周りにいる女友達でも帝王切開してる人は多いからまあ、死ぬほどではないだろうし、麻酔もするから大丈夫だろうと。そこからは陣痛も早くついてきてるし、急いで手術しましょうということでワディーも付き添うと決めたので手術室で着る上っ張りやシャワーキャップ、靴カバーをもらい私は準備のために先に手術室に運ばれていった。生まれてこのかた手術を経験したことがないので、上を向いて寝かされ、まぶしい天井のライトだけを見ながらじっとしているというのはなんともいえない経験だった。腰から下は全く感覚が無いので、先生が切ったりしても何も感じない(当たり前か)。妹が甥を出産した時は麻酔の量が正確じゃなくて切る感覚も全て痛く、痛い、痛い・・・と言いながら出産したんだけど、これも怖い。お腹からベビーが出た瞬間にもうすごい大声で泣いた息子。すごい肺活量やな~、と思いながら。目の前には青いビニールの幕があって、生まれた瞬間もきれいにしてもらってる間も何もみれなかったのが残念だったけど・・・。自然分娩で生んだ3人は生まれてへその緒が付いている状態で抱っこさせてもらえたし、きれいにしてからは胎盤が出るまで母乳を含ませることもできて感動もひとしおだったんだけど。でも健康だったし、今は無事に家に連れて帰ってこれて嬉しい。入院してた3日間は天国だった~。結局ワディーは仕事を2日休み、週末もつぶして計5日間ほど子供たちと家にいて面倒をみた。いつもは何も手伝いたがらないのに、まあ家もめちゃくちゃではなかったし、今日も戻ってからは夕飯作ってお皿も洗ってくれてがんばってくれた。やればできるやん!って言いたい。ベビーは大声で泣き、夕方は1時間ごとに授乳する。すごい吸入力で、もう慣れてると高をくくっていたのに乳首が痛い!これからが楽しみ。
2008年03月04日
のんびり構えてたワディー(夫)を差し置いて、プレイペンと次男のブースター・シートをネットでオーダーした。AAAのカードを持ってるので、それによって10%の値引きとベビーフェアーということで送料も無料になったからかなりお得。安くなったから可愛い赤のダイパーバッグ(ママバッグっていうのかな?)もオーダーした。今は買い物にウロウロ歩き回るのも一苦労だから、欲しいものがネットで、しかも送料無料で玄関まで届けられるというのは本当にありがたい。次男が新しいチャイルドシートを買った理由は、今使ってるチャイルドシートを三男に回すことに決めたから。3歳だし背中付きのブースター・シートに変えて、またもうちょっと大きくなったら背中を取り外して使えるから。ベビー用のチャイルドシートよりも断然安いというのが第一の理由だったんだけど。29日に妊娠促進剤を使って無痛分娩することになっている。4人目なのにやっぱり、ちょっぴり不安・・・。出産は100%必ず予想していたように進むとは限らないから。朝8時に出向くということは子供たちが学校から帰る頃にはもうベビーは生まれてるんだろうな。子供たちは毎日指折り数えて、毎日まん丸のお腹に顔をひっつけて話しかけてるのが可愛い。結婚して15年目にして4人もの子持ちになるなんてまさか、全く予想してなかったなあ・・・。我ながらすごいよ。
2008年02月25日
昨夜から雪が降り続いたらしく、朝になったら子供たちの学校が休校になっていた。これは朝ニュースをつけるとテレビで各学校の名前と休校と何度も何度もテロップで流される仕組み。それならばもっとゆっくり眠っていられたのに・・・。子供たちは7時過ぎから、先日買ったばかりのシリアルを食べたいからって私を起こすんだもの。勝手にやらせたら絶対ミルクをこぼしたり粗相するだろうから、仕方なく起きる。今日は最後の診断だった。先週も天候が悪くてどうしても行けずだったので、今回は絶対に行かなきゃ!と午後には道の雪も整備されてることを願って支度を進めた。雪道の運転は慣れていないし、ワディー(夫)が仕事の間は子供たちと4人で万が一道で立ち往生になってしまったら・・・と不安になるから。でもこんなことじゃここには住めないし、何とかなる!と積もった雪をミニバンの後ろから少しずつどかして出発。いつも病院に行く時はチビ(3歳)は義母の家に1時間ほど預かってもらうんだけれど、今日は休校になってしまったのでこれにも困った。義母はすでに1歳と2歳の姪っ子たちと、休校で家にいる7歳の甥との3人で手一杯だろうと義妹に頼むことに。彼女は保育園に勤めているので、そこも同じく休校で彼女も家にいたから快く預かってくれた。感謝・・・。病院に行くとあまり待たされることもなく、すぐにナースに呼ばれいつもどおり検尿と体重を量り(139ポンド・・・何キロだ?)、しばらくして先生に診てもらう。子宮口は2センチほど開いているとのこと。これまで何度もお願いしていた通りに生む日を決めた。2月28日か3月1日と言われていたので、ワディーは28日に仕事を休むようにアレンジしてあったのに、なんと28日には3人出産の予定なのでできないとのこと。29日にしましょうって言われて・・・ひえー!閏年じゃないの。これだけは避けたかったんだけど、結局そうなってしまった。ベビーのための準備、ワディーにお願いしても全く進まないからイライライライラ。もう最後の子供だってことでなるべく新品は買い揃えないようにというのはわかるんだけど。欲しいものがあっても何にでも二の足を踏むので今日はさすがに切れた。「あと1週間で生まれるんだよ!!」って。なるようになるという性格が一番嫌いな所なのだ。そして案の定、最後まで待つので結局ストレスをためながら大騒ぎして行ったり来たり、余計な出費も増えたりする。私が3日間入院してる間に慣れない育児と家事(これは当てになりそうに無い)をしながら、ベビーのスペースを作るのか!?と。2つのことを一緒にできないのに。でも準備しなきゃ、という言葉よりものんびり構えることを選ぶならばそうさせる。そしてバタバタして血眼で焦ってるのを見て「ほーら、言ったじゃないか」と余裕で言ってやるんだ。ギャーギャーわめいても全く時間とエネルギーの無駄だというのは長年の結婚生活でもう学んだから。ベビーはすっかり降りていて、グリグリと押すのが分かる。胃はすっきりしたけれど今度は股間の骨とかが痛い。朝ベッドから降りるのも一苦労。これが最後の妊婦生活となるから、エンジョイしないとねー。
2008年02月22日
だけど面白くて可愛いのもこの年齢だと思う。毎日のように語録が増えていっているのも分かるし、お兄ちゃん・お姉ちゃんの言ってることを真似したり、ビデオで見る映画の台詞を真似したりととにかくお喋りが好き。ごね始めるとかなり大変だけれど、目の位置を低く合わせてゆっくり説明する。そうするとほとんどの場合は分かってくれる。先日買い物に連れて行った時、匂いのいいハンドソープが半額になっていた。店内を走り回るのを防ぐために買い物カゴを持ってもらい、私の後についてきてねー、とお願いしていたのだけど、ハンドソープをカゴに入れたら!お得意の眉間にしわを寄せる表情(不快・怒った時などにする)で「マミー!これ何買ったの!?バースデーまで買うのは待ってなさい」とまるでいつも私が言うのと同じ口調で言い放ったのだ。これにはあまりにおかしくて吹きだしてしまった。いやー、よく私の言動を見てるんだなと気付かされた出来事だった。
2008年02月13日
今日検診に行ったら1.5cm子宮口が開いてると先生に言われた。どおりで痛いはずだ。早かったなあ、夏にびっくりの妊娠を知ってからもうあと20日くらいで出産となるんだから。近くに住むワディー(夫)の家族たちも、久しぶりに会うたびにお腹の大きさに驚いて「そろそろだねー」とかコメントする。1人目のときと違ってベビーのスペースの準備もマイペースでのんびりしたものだ。今日さすがにワディーにやってほしいこと(力仕事)やベビーベッドの組み立てなどをお願いした。マックスウェルの幼児用ベッド(彼はそこで絶対寝ない)を解体して、そこにベビーベッドを置くことに。促進剤で産む予定なので、今月末の28日か3月1日のどちらか選んで下さいと言われた。3月1日は土曜だから子供たちも家にいるし、学校に行かせる支度もしなくていいからワディーにとっちゃ楽かもなあ、と思うんだけれど。でも戻ったってすぐに家事に復帰する気もないし、多少パパにはがんばってもらわなきゃ。
2008年02月08日
ワディー(夫)のいとこが土曜の朝、長い闘病生活の末ガンと糖尿病で他界した。私は妊婦なので、葬式やその前日にある"Wake"(棺を開けたままにして、色んな人たちが教会に顔を見せる集まり)なども行けないという。日本ではどうだったんだろう?高卒すぐで来たからお葬式って参加した覚えは数度しかないから・・・。明日は朝からお葬式で教会のあとは墓地に出向き、最後に棺の上に花をみんな一輪ずつ置いてまた、教会に戻る。そこで家族たちが持ち寄った料理やケーキでディナーとなる。ディナーには私も来ていいよということらしい。週末から遠方に住むワディーとはもう30年も会ってないおじさんとか、いとこたちがたくさん参加しに集まった。毎日連日義母の家に集まったり、他の親類の家に行って忙しいので私は独り家でお留守番。葬式とはいえ、もう3日も連続朝は仕事で起きる前に家を出て行くし戻れば夕飯も大急ぎで出て行くので寂しい。今日は1月だというのに暖かくて、家で退屈しているマックス(3歳)を外に出してあげることに。独りの時は良かったけれど、学校が終わってお姉ちゃんとお兄ちゃんが戻ると大変だった。今32週目でお腹はかな~り大きい。やはり3人も産んでいるとお腹が大きくなるのも早いのか。だから外で子供たちがあっちこっちに行ってしまったり、また近所の子供たちもやって来て色々やらかすのでそれにも目を光らせたりして、正直クタクタになってしまった。男の子って特に、外に出ると必ず棒っきれか石ころを拾うの何でだろ?そして雨で濡れた土を一生懸命ほじくってるの。女の子たちは縄跳び。冬の寒さで全く裏庭で遊べなかったから、とても嬉しそうだけどやっぱり母には辛いわ。昨日お風呂に入れたけれど、息子たちは女の子が遊びに来たからって見せびらかすために庭ででんぐり返ししてたので、また今日も入れて頭を洗うことに。お風呂に入れるのも一苦労。日本式に一緒に入って洗ってあげるのならば楽だけれど、こっちは湯船の外に服を着たまま座って体をひねって膝をついて洗うのでこれも厄介。早くもっと大きなお風呂の家に引っ越したいよ。できたらマジで日本式のお風呂を付けたいね、ってワディーと話してるのだ。
2008年01月08日
クリスマスの数日前に今月始めに面接に行った結果のグリーンカードが届きほっとしてる。面接にピッツバーグまで出向いた私とワディーは、普通に結婚したばかりの新婚カップルと違う私たちの状況に首を傾げつつ、「よく分からないけれど、私が何とかしておくわ」と言ってくれた。というのも私は結婚して14年も経つので日本に移住する前はちゃんとグリーンカードを持っていた。それを日本に長期滞在している間に失効したものとばかり思っていたのだ。ペンシルバニアに越してきたばかりの頃にピッツバーグの移民弁護士にも相談したのに、移民局に今回でかけて面接を受けた面接官の話ではまだグリーンカードは失効していなかったとのこと?時間とお金をかけて申請したのに、と夫と二人ちょっとげんなりしてしまった。それにしても前回シアトルで取得した時と比べたら色んなことがコンピューター化していて、移民局も手続きが効率的になったなあ、というのが今回の感想。予定外の妊娠をしてしまったので無駄になったけれど、ちゃんと労働許可証も取ってあったんだ・・・。秋からぼちぼち仕事を探そうと考えていたので、4人目妊娠はかなーり痛かったけれどこれからもどうにかして母親業をこなしていくしかないね。今妊娠30週目。もう胃のすぐ下まで子宮が大きくなっているので、胎動もぐりぐりとダイナミック。胃が押し上げられて胸焼けがする。これまではそんなこともなかったのに、やはり妊娠は毎回、子によって違うんだね。
2007年12月27日
週はじめに病院に連絡して羊水検査の結果を聞いた。結果が怖いから先生がかけてくるまで待とうかな?とも思ったけれど、勇気を出して。案の定いつもどおりにナースのラインにつながり、メッセージを残しておいた。しばらくして折り返しかかってきたらしく、外出中だったので留守電にメッセージが残っていた。"Hello, this is XX. Your test result was NORMAL"と・・・。これまで何週間も抱えていた胸の中のつかえと不安が一気になくなった感じ。ダウン症だったら・・・と毎晩のように不安で、手放しで妊娠も喜べなかったから。昨夜、今日と胎動らしきものも感じるようになっている。ほんと、お腹に溜まったガスのようにかなりの間を置いて「ポコッ」ってなるから面白い。まだまだか細い手足で蹴ってるのかな。それを想像するとまた、可愛いなあ。妊娠は出産して健康なベビーを抱くまでは何が起こるかわからないんだけれどね。また今回も次男の時と同様、促進剤と無痛分娩になるだろうから産む時の陣痛の怖さはない。特に日本で経験した長男の時の痛みときたら・・・思い出しても怖いもん。お産はほんと、痛いんだよ~。
2007年10月05日
私はかなり長いこと、シアトルの日本レストランで働いていた。どれも日本人がオーナー、マネージャー、寿司職人、キッチンシェフの場所。そこでまかないを食べ、メニューを勉強して働いてた。この田舎で「ジャパニーズ・レストラン」と銘打って開店する店はほとんどが偽物。オーナーは中国人か韓国人がアジア人の見分けも、本物の日本食も知らないのをいいことに勝手に日本風のメニューをバカ高い値段で出してるのだ。近所のモールに富士ジャパニーズレストランというのがオープンしたので、メニューをもらいに中に入った。寿司カウンターがあり、一応従業員はアジア系ばかり。ウェイトレスの制服はだらんとした、よく昔のアメリカ人が着物と勘違いしてた中国風の袖の広がった「着物風」のもの。「ああ、ヤバイ・・・」とピンと来た。ホステスがやっぱり中国語訛りの英語で挨拶をしてきたので、テイクアウト・メニューくださいとリクエストしてそそくさと出てきた。メニューを見るとどのメニューも目が飛び出るほど高くてびっくりした。一品料理でいきなり"Ade Dashi Tofu"(あでだし とうふ)という間違い。もう怪しすぎる。メインは寿司バーとベニハナ風な鉄板焼きステーキの店なんだと思うんだけど、果たしてこの田舎町でどれだけの人がこんな金額の店に行くのかな。今妊娠中でお寿司も食べられないので、きっと行かないと思うけれどお気に入りのブティックをモールから追い出してまでオープンしたレストランだから余計ムカつくんだよね~。やっぱり日本レストランは日本人が多く住んでる街でしか行きたくないわ。
2007年09月25日
昨夜は夜更かししたうえに、つわりで眠れず。眠りについた、今度は明け方に雷雨が始まってこれがまたすごい音だったので目が覚めてしまった。しばらくしてうとうとすると今度はワディー(夫)が仕事に起きだす時間になり・・・朝になると長男がまた「学校に行きたくない」ので色々理由を作って駄々をこねだしまた、イライラ。やっと支度を済ませバスが止まる場所に行くと、いつもどおり20分近くも遅れてくる。学校で朝食も出るけど、これじゃ食べてる時間もないだろうに。だからなるべく家で食べさせないと。朝食はヨーグルトにグラノーラのシリアルをのせて混ぜて食べた。最近はこればっかりだ・・・。昨日体重を量ったときも先週から増えてなかった。あんまり食欲もないし、食べづわりだから口にするだけだからな。臭いも気になるので食事を作るのも億劫。特に揚げ物類がね~。これといって食べたいものがないから、作る気力もおきないや。クリニックからもらったリストによると、食べられないものがものすごく増えた気がする。生魚、半熟卵とかは知ってたけど、リストによるとデリのポテトサラダなど作り置きしてあるようなもの、サンドイッチ用の量り売りのターキーやハムなんかもスライスしたてものもを買うこと、買った後は熱々になるまで加熱して3日以内に食べきる・・・うへー。このほかにもボローニャ、ホットドッグやなんかも添加物が危険だしなんて。日本食はなかなか手に入らないから困るんだよね。一人目の時は実家の母も日本から色々レトルトの日本食を送ってくれたけど、今は期待できないな。ここで手に入れるにはピッツバーグまで出向くか、ネットで買うことしかできないのだ。シアトルに住んでたときはなんと恵まれてたかだね~。新鮮な鯖や納豆も手に入ったりして。ワディーの仕事が一段落したらもっと都会に引っ越すぞ、と計画中。
2007年09月11日
今日は用事でダウンタウンまでバスで。イミグレから取り直しの労働許可カードが届くまで免許が取り直せないので、今は勝手に車は運転しないようにしてる。9月には届くと毎日郵便受けを調べて首を長くして待ってるんだけど・・・来ないなあ。日本に3年半移住したのでグリーンカードは失効してしまっているから。上の2人は小学校へ行ったので、平日は次男(3歳)と2人きり。子供が3人もいると、外出一つとってももう大変なのだ。だから次男と二人きりで過ごすのはいい機会だし、じっくりと彼の芽生えつつある自我と多少は根気強く向き合ってあげられる。いつもは好奇心で寄り道ばかりだから時間だけ食うのでストローラーに乗せて、押して移動するんだけど、今回は「言うこと聞くんだよ」と家を出る前にしっかり念を押した。手をつなぐのを嫌がったり、いきなりダッシュしたりするのでとにかく危なっかしいから目が離せない。家族で移動の時はもっぱらワディー(夫)が次男をみることになっている。やんちゃで破天荒な次男だけど、こうやって二人だけで時間を過ごすと案外いい子なんだなあ、と嬉しくなった。彼もご機嫌で、バスの中ではずっとWigglesのDorothyの歌を何度もリピートして口ずさんでいる。きっといつも他の姉兄たちが一緒のときは目立ちたいのも手伝って、ドンドンやんちゃがエスカレートするのかもしれない。借りていた図書館の本を大急ぎで返却して新しい "Curious George"シリーズの本をいくつか選んで貸し出し。夜眠る前に読んであげるために借りるんだけど、年齢に関係なく子供たちはみんな好きなので何冊も読み続けなくてもいいし、たくさん種類が出ているのでいい。ジョージが取る行動がかなり次男に似ていたりするから、読み聞かせながら笑うこともしょっちゅう。「いい子にしてたからお昼はピザにしようか?」とお気に入りのピザ屋さんへ。ちょうど正午過ぎで、店内はビジネス系の客で忙しそう。前子供たち3人とも連れて来た時は、5ドルでピザ・サラダ・スープ食べ放題セットを頼んだけど、今日は早く帰りたかったのでチーズピザ2枚と飲み物のセットに決めて次男と分ける。半分食べた所で大食いの次男の食が進まないのに気付いた。ハグ、ハグと抱っこをずっとねだり続けるのも調子が悪い時の特徴なので無理強いさせないでおいた。結局歩く!と言ったのに町中を私が抱っこして歩く羽目になってしまった。帰りにバスを待つ間、いつも気になっていたドーナッツ・ショップで買い食いすることにして初めて立ち寄ってみた。妊娠してからは甘いものばっかり食べたい気持ちになってしまった。カスタード入りが食べたかったのでボストン・クリームとシンプルにクルーラーを頼んだ。2つしか頼まなかったのに3つ入れられてて、2つでよかったのだけど・・・と言うとなんと1つぶんを返金してくれた上に「もう袋に入れちゃったから持って行って!」とおまけしてくれた。涼しいと思っていたのに蒸し暑くなってきていて、バスを降りると大急ぎで家に戻りやっぱりグッタリと元気のなさそうな次男をお昼寝させる。夜もいつもは「寝ない!!」と大暴れするのに、今夜はあっさりと「グッナイ」と横になって寝てしまった。毎日のように蒸し暑かった気候が夜になるとぐっと寒くなるので、長男も咳が出てるしこれからの季節は子供たちの健康管理が大切になるな~。いつも自分は二の次なんだけどね。
2007年09月10日
子供たちの学校も始まった。家も少しだけ静かになって喜ぶべきなのに、それができないでいる。毎日イライライライラ・・・これも妊娠してるからホルモンのせいなんだろうけれど。元々短気な上にこれだから、ワディー(夫)が正直気の毒だ。何を見ても悲観的に取ってしまい、ホームシックで涙もろくなってしまった。だけどどうしようもない。子供たちにも当たってしまう。そんな時は独りシャワーを浴びて、クーラーの効いた自分のベッドルームでゆっくりする。ワディーと無理に一緒の空間にいても、またイライラして当たってしまったら悪いし。これっていつまで続くのかな?これまでこんなことってなかったのに、毎日ブルーだし全然幸せじゃないの。4人目という不安もあるのかも。CVSのテストの結果を先生から受けた。なんと、結果出ず。サンプルを送ったラボで私のが繁殖(?)しえず、結果はわからないままだという。今度は別の方法で第二のテストをやりましょう、ということで来週の半ばにはまた出向かなければいけない。ワディーはぽつり、と「でもさ、子供がダウン症だって分かった時、その子を堕胎してしまうというのも冷たい話だよな」と言った。私は「うん、それはそうだけど・・・でも今でさえ子育て大変だから、意地悪なこと言ってしまう短気な私が障害児に気長に、優しく接してあげられるか疑問」と答えた。彼は黙ってたけど・・・。生んであげることが優しさなのか、心の余裕がないのを知っていて生まないのを選ぶのがいいことなのか・・・。これはまだテストの結果が出てないから突き詰めて考えたくない。どちらにしても後悔しそうだから・・・。
2007年09月05日
今妊娠13週目になった。やっと夫の会社から出るいい保険が使えるようになり、遅ればせながら近くの総合病院の産婦人科にお世話になりに先週行った。すると・・・超音波を見たナースが、ベビーの頭の後ろの厚みがちょっと大きすぎるというのでドクターを呼びましょう、となった。私の年齢が出産時に高年齢出産となるので、それとこの超音波の結果を合わせてみるとベビーがダウン症である可能性が1:146なので検査をしたほうがいいと薦められた。実は長女の時も腸にグレーの影が見えると言われ、お腹に注射されて羊水検査をした経験もある。その時はあまり痛くなかった記憶があった。早速週明けに病院にまた今度は夫と出向き、膣内から細い管を通して胎内上部の壁から液体を取り出すという。それがなかなかできず、何時間も待たされて今度はお腹の上から注射でへその緒から液を抽出しましょう、と言われた。あ~、あれは本当に痛かったよ・・・。長女の時のように軽いかな?と思ったのが間違い。もう3時間もオフィスにいて疲れ気味の夫に悪いと思い、また再度予約を取り直すのも・・・と腹をくくったのはいいけれど、不快な痛みだった。家に戻ってもしばらくはお腹の中が痛くて、子供たちには飛びついてこないでとお願いしたくらい。まだ結果待ちだけれど、あまり心配しすぎないようにしている。長女の時は結局影が薄れてきています、と毎月やってた超音波のたびに言われて娘は健康に無事生まれてきた。今回は高年齢出産と言うことで、自分も年を取ったのねーと実感した出来事だった。
2007年09月01日
この頃蒸し暑い日々が続いておりますが、やっぱりそうなるとちょっと甘酸っぱいレモネードがうちでは人気です。いつもはポッカレモンみたいなボトル入りのレモンを使ってるんだけど、今日はレモンメレンゲ・パイを作ろうと思って取って置いたレモンを絞って作ってみました。まず・・・水125cc(アメリカの1/2カップです)を沸騰させて、ピッチャーに入れて砂糖を1カップ半(375cc)とよーく混ぜ合わせてシロップみたいにします。そこにレモンジュースを1カップ半(375cc)と冷水を5カップ(250ccx5です)まぜてできあがり~。暑い日にお客様が来た時、氷いっぱい入れたグラスにレモネードを注いで出すと喜ばれますよ。
2007年08月09日
昨日はアメリカの独立記念日と同時にうちら夫婦の14年目の結婚記念日・アニバーサリーだった。長かったような短かったような・・・。色々あったなーと考えてみる。子供たちがやってきてからは給速度で毎年が過ぎていってしまってる気がするな。毎日何気なく過ごしてやっている事がうちの家族の思い出となっているんだと思うし、子供たちはいずれ自立して巣立っていくんだからやっぱりワディーとの絆は何ごとがあってもしっかりと大切に育てたい。義母の家でBBQにお呼ばれした。ベビーバック・リブとチキンをBBQソースをたっぷりつけてグリルしたものは最高♪何度食べても美味いわ~。他にも定番のポテトサラダ、茹でたとうもろこし、西部風ベイクドビーンズとデザートはワディーが買ってきた結婚記念日のケーキと義母さんが焼いたスイートポテト・パイ。お腹がいっぱいで夜になってもデザートは食べられなかった。これもいつもどおり家に持って買えるためのプレートを盛って取り置き。夜は花火を見にダウンタウンへ義妹たちや姪・甥っ子たちと急いで出かけ、日本の感覚からすればしょぼいけど打ち上げ花火を見て家に戻った。明日はワディーの仕事もオフだからもっとゆっくりできるだろうと。
2007年07月05日
実はグリーンカード再申請中なので、明日はピッツバーグまで遠出して指紋採取と写真を撮りに行く。日本に3年半住んでたときにシアトルで持ってたグリーンカードは無効になってしまったので、こちらで取り直しとなった。まあ新婚当時(14年前)とは申請料も移民局の名前も何も変わってしまって、弁護士を通さないので独りで何度も何度も読んで確認して書類を提出したのが先月。でも驚いたのがインターネットで申請の経過も書類のダウンロードもできるようになっていて、すごくスムーズに申請が進んでいる。ワディーと移民局に面接の日程がしていされて出向くまでは、労働許可証を申請しているのでそれでこちらの運転免許などを取り直しする。ピッツバーグではゆっくりできずワディーの仕事の都合でとんぼ返りになりそう。
2007年06月18日
今朝朝寝坊して起きてくると、長女(8歳)が嬉々として電子レンジでスクランブルエッグを作ってました。私と一緒で食べることが大好きな彼女、平日の朝は簡単に済ますことになってる我が家の朝食。トーストと卵を食べる、と決めて私を起こさないで卵を冷蔵庫から出して塩、こしょうもしたと言ってました。レンジで卵が作れるなんて知らなかったよ!と言いながら最初の一口を味見させてくれた娘。これも私を見て学んだんだな~とちょっと感激。
2007年06月08日
当時、高校生だった私。親友の子が大のヘビメタ・ハードロック好きで彼女のお気に入りの曲を集めたテープ(懐かしい!)をしょっちゅうくれてたっけ。あの頃夢中だったアメリカ、その象徴だったMTVでしょっちゅうかかってたボンジョビ。今ビデオを見ると信じられないくらい、違う時代だったなー・・・。ふわふわにスタイルした長髪、中には化粧してるロッカーもいたりして。今見ると笑っちゃう。でも歌詞を見ると結構いい曲も多くてあなどれない。ジョンをはじめボンジョビは先日も新曲のプロモでテレビに出ていて、まだまだ健在。一度は彼らの故郷のニュージャージーに出向いてコンサートを見てみたいな。
2007年05月14日
先日から一番視聴率の高い朝の番組から始まって、Imusという白人のおじさんのラジオでの発言が大問題にになっていた。その人は30年以上ラジオ番組を持っている人で、人種差別・女性蔑視の発言は初めてのことではないらしい。今回は大学のバスケットボールチームの女の子たち(1人を除いて黒人)がプレイ中の映像に向け、"Nappy headed hoes"(ちりちり頭のあばずれ達)と笑いながら言ったのだ。これには今朝一緒に見ていたワディーも「・・・信じられない。嘘だろう」とお互い、顔を見合わせてつぶやいていた。今朝の時点では2週間謹慎という形だったが、今晩のニュースではスポンサーが降板しラジオを放送していたNBCも彼の番組を放送しないことに決めたらしい。これは今のアメリカの風潮を示しているのかな、とちょっと嬉しくなった。朝からスパイク・リーやウーピー・ゴールドバーグがコメントしていたので、かなりの反発があったのだろう。Imus爺の反論は「ラッパーや他の黒人の男性たちも同じことを口にしている。悪意があって言ったのではなく、ただのジョークだった」と。この人、口を開くたびにドンドン深みにはまっていくねえ、と思った。大学生のたちは試合に優勝したにもかかわらず、複雑な気持ちなのだという。いきなりこんなこと言われて、傷ついた、と。そうだよね。ナッピーは黒人の女の子が一番気にすること、その上にホーだもん。日本人の私だって他人事として見ていられない。自分の娘だって同じように将来、扱われるかもしれない。だからこういうニュースには敏感にならざるを得ないのだ。肌の色や性別で相手をこき下ろすことがなくなる世の中はいつ、来るのかなあ?
2007年04月11日
明日もまた長男のスクールバスのために早起きしなきゃいけないのに、子供たちがちょっと早く眠ったからってまた夜更かししてる。コンピューターしてるだけなのに、次の朝やっぱりきついよ~。昨日また、ワケありのシアトル時代の友人から連絡があった。もう何年も前から彼女の夫の無責任、浮気など・・・。彼もブラックだしうちのワディーとは音楽という共通点もあるからってシアトルで一度は落ち合って遊園地に行ったりもしていたから面識もある。その彼がまた浮気してる、どうしよう、という。もうその悩み相談は何度も聞いてるし喧嘩するたびに連絡は来るけど、次の日に結果とか報告も何もなくプッツリ連絡が途絶え、また次に何か新しいドラマの展開が起こったら連絡が来る。彼女はティーンの子供たちが二人いるから、浮気してることで派手に喧嘩したりとかってダメだよ、とは言うんだけど。結局は本人のがんばり、というか決心でどこまで相手に馬鹿にされてもそれを続けて行くかというのにかかってる。彼女はずっと、子供にさびしい思いはさせたくないから彼女たちが成人するまではパートナーとして浮気にも目をつぶるとまで言っていた。でもそれが納得行かないからまた、女が原因で喧嘩勃発になる。悩みは聞いてあげるけどもうアドバイスも言ったってきっと聞かないだろうし、と諦め気味。今度はどうなったのかな?と話を聞くたびに彼の無責任で心無い行動に腹が立つ。これが黒人の女の子だったら刃物沙汰か即離婚されて養育費とかがっぽり取られてるよ、彼って言っといた。「そうそう、そうなのよ。だから彼は黒人の女とは付き合えない、気が荒いからって言ってるよ」だって。こういうとき日本人の女の子は遠慮がちというか、ひどいことされてるのにそれでも相手の男を思いやってあげてしまう。私だったら・・・どうだろう?ワディーは浮気性じゃないから仮定もできないけど・・・。先ずは子供たちの影響を考えて二人きりの時に冷静に、じっくり話し合うかな。浮気したいならば離婚してから自由にして、でも子供たちは私が引き取るしそのための養育費はまた独身になって楽しみたいんだからしっかりもらうよって。浮気はしたい、でも都合のいい家政婦・妻を家に置いておきたいから浮気相手に嘘を付きどっちも続けようなんて何考えてるんだろう?私に言わせたらほんと自分勝手で最低だと思う。
2007年04月09日
ごにょんさんのご主人もがんばってる、という日記を読んで私も8歳の娘の日本語学習にもっと力を入れよう!と先週決心した。というのも、娘は4歳まで日本に住んでいたので英語は話せず日本語だけで実家の家族たちと喋っていたのに、こちらに来て保育園などに通い始めるとぐんぐん英語力の方が伸びてしまったのだ。・・・あと私が継続して教えたり話しかけたりしなかった、というのが正しいんだけれど。ワディーが日本語がダメなことと、英語で喋ったほうが家の中ではコミュニケーションは早いという理由でずっとさぼっていた。これじゃだめだ、と考え直し日本から持ってきていたキティーちゃんのかるたであいうえおから始めた。パパと同様、やはり「た・ち・つ・て・と」の発音が怪しい。「ち」はCheeseと同じに、などという感じで教えていく。ティーンになる頃には日本に行ったり、もっと日本のクールな文化に触れることになるだろうしそうなった時に親類たちと全く喋れないというのは私の責任以外ないからね。子供たちの小児科のドイツ人の先生も毎回診てもらうたびに、口をすっぱくして「日本語で話しかけてるかい?うちは当時の医者の言葉を鵜呑みにして2カ国語を子供に一度に教えると言葉が遅くなる、と信じて教えなかったんだ。それを今は後悔してるから是非、日本語を毎日話しかけてあげてよ」と。あとは娘は東京ミュウミュウやポケモンが好きなので、Youtubeで日本語で見たりして。ドラえもんを見せる時は日本の普通の子供たちの文化や学校の様子なども説明したり。こればかりは毎日の積み重ねが大切だから、一緒にがんばりたいな。
2007年04月08日
楽天のトピックを見ると、日本は春爛漫なんだな~。嫌で嫌で飛び出した日本。でも年を経るにつれ、懐かしい、楽しいことが季節の折々に思いだされちょっぴりホームシック。こちらでは今週の日曜がイースター(復活祭)になる。いつもはワディーが行く子供の頃から行きつけの教会にちびたち3人に晴れ着を着せて、自分も春らしいドレスを着て行く。1時間ちょっとのサービスの後は義母さんの家でイースター・ディナー。ハム、ターキー、マッシュド・ポテトなどもう13年も結婚してると定番のメニューばかり。新しいメニューなど持ち寄ってもいいんだけど、なぜかうちのファミリーはママの味が一番らしくあまり評判が良くない。義兄の新妻である白人のミッシーは張り切ってクリスマスの時などクッキーなんかを焼いて持って来ていた。それが全然手がつけられないのでがっかりしたのか、みんなの前で明るく愚痴っていた。私も経験があるから、苦笑いしてしまった。義母さんの料理のものすごい分量と、その美味しさで定番の物を食べたらもう、お腹が一杯になってしまうのだ。週末が来る前に義妹と一緒にドレスの買出しに行かなきゃ、とワディーに言っておいた。子供たちを連れて買い物に出るとかなり悲惨なことになるのは分かってるから。こうやってギリギリまで待つの、アメリカに来て慣れてしまったわ・・・。
2007年04月02日
メロディー(長女・8才)が6才からずっと親友のザネヤがお泊りに来た。夜更かしをしたがるのはいつものこと、夜は静かにという約束でPCゲームなどをしてた彼女たち。お調子モンでいつもジョークばっかり言う娘と対照的にザネヤはもうしっかりしてて、お姉さんかママ、という風格。二人がゲームをしてた時、相性を占うというのがあって名前をタイプしてどれだけぴったりかというのが見られるという。その時ザネヤがメロディーはロドニーという子が好きなのよ、と教えてくれた。正直好きな男の子がいるなんて初耳で驚いて嬉しかった反面、何も教えてくれなかったんだー、とかなりガッカリしてしまった私。どんな子?と明るく聞いてみた。肌は何色?→私くらいの色合い(ブラックの男の子らしい)。その子はメロディーの友達なの?→私と話はしてくれないの。だって。その時見せたはにかんだ表情が何とも初々しくて可愛くて、抱きしめてしまいたかった。これまでずっとまだまだ子供だって思ってた彼女が見せた、見たことの無い一面。あ~、こんな風に子供たちは毎日ドンドン大きくなっていってるんだな。ワディーにこっそり教えると複雑な表情。これはさすがにパパも予測してなかった事態らしい。
2007年03月31日
先日ワディー(夫)にグリーンカード=市民権じゃないの?と無邪気に尋ねられた。えー、なんでこんなことも分からんかね!?とちょっと呆れながらやっぱりアメリカ人ってこういった市民権や永住権の法律なんか一般的に無知。グリーンカードは合法的にアメリカで仕事したり外国旅行して出入りしたり出きる権利のある移民や一時滞在者たちが持つもの。市民権は生まれた国を捨ててアメリカ市民になる、という試験を受け、合格したらアメリカ人になりパスポートもアメリカのものを持つことになる。グリーンカードでは政府機関の仕事には就けないし、大統領選挙などの選挙権も無い。日本に帰る時も自分の生まれた国なのにビザ取ったりしなきゃいけなくなる、と理解している。「どうしてアメリカ国籍が欲しくないの?」と聞かれた。「うーん・・・どうしてって言われても」と言葉に詰まった。やっぱり生まれ故郷だし、万が一離婚したりとかアメリカが戦争で攻撃されたりした時に家族が日本にスムーズに戻れるようにかな?確かに日本に私が長期戻って仕事したり、移住したりという可能性は今のところほとんどといって無いに等しいと思う。もうすでに4年前日本に家族で3年半暮らしてみたから。日本語の不自由な夫には何も頼めず支払いや書類に目を通したりするのも全部自分だった。役割分担ができなくて、育児に加えて自分が担わなければならない責任がとにかく多すぎて。NHKのおっちゃんが来て請求、とワディーに言うと「義務じゃないのに何で払うの?」という質問。それを間に入って説明。結局おっちゃんは一時帰ったけれど今度は英語のパンフレットと説明書を持ってきてくれた。やれやれ。私は英語が苦手ではないし、学生時代からもうそろそろ人生の半分はアメリカ暮らしになってきている。だから日本が恋しい、というより家族が恋しい、というのが本当かもしれない。だから市民権獲得もまあ、悪いアイデアではないんだろう。今のご時世、やっぱりアメリカは「移民はもういらない」って風潮だし。市民権持ってると移民とはまた違ってアメリカ人も差別出来ないはず。アメリカ人が嫌がるのはアメリカに住みながらまだ自国の文化を持ち込んでコテコテに生きている移民たちだと思う。私にしたら余計なお世話だし、人の人生どう過ごそうがいいじゃない?って思うんだけど。私と結婚してるワディーでさえ、近所のインド人ファミリーの経営するコンビニで、彼の相手をしながら夫婦が早口の母国語で喋ったので(もちろん彼には英語だけれど)、家に戻ってきた時ちょっと不快を示していた。そこでまた、私キレかけたんだけど・・・私:「何で母国語で喋ったら嫌なの?」ワ:「アメリカに居るんだから英語で会話すればいいのに、何を言われてるのか分からないから気分のいいもんじゃないもの」私:「手っ取り早いから仕事のこととかパパッと母国語のほうが間違いもないし、ビジネスだから・・・なんでそんな意識過剰になるのよ!?」ってケンカ腰になってしまった。学生時代、嫌なアメリカ人に日本語で喋っていた時意地悪された経験があるから怒ってしまったのかな。2度ほどあったけどね。とにかく世界中でも大国のアメリカ、だけど国民はまだまだ外国のことに無関心・無頓着な人たちの集まりなのかも。そういう人たちと肩を並べて暮らし続けるのならば市民権も悪い選択ではないのかな~。
2007年03月29日
今日は何だかいつもよりも我慢強くなくなっていて、生理前でもないのに自分はおかしいな?と思った。1日のうち家族のメンバーの予定やスケジュールに合わせて怒涛のように忙しい時がたくさんあってしんどかった。娘は2年生なのにやっぱり宿題もあるし、てきとーに流せないし・・・。宿題を見ている間、息子たちが大暴れして机に登って飛んだり部屋をめちゃくちゃにしてしまったりして。後で片付けたり口うるさく言わなきゃいけないのか、とげんなり。夕食も手抜きで(スパゲティー・ミートソース)怒鳴ってばかりの自分に自己嫌悪。早く寝てくれ!と思う自分に罪悪感。特にちびが最近ひどくて。何につけても反抗するし、怒ったらもう手がつけられなくなる。一生懸命諭しても、タイムアウトしてもダメな時はもう、根気比べになる。6月には3歳になるから、そうなったらもうちょっとは楽になるのかなー?だったらいいけれど・・・。
2007年03月27日
先週の金曜に初めて(!)ニューヨークへ行った。車で私の住む場所から片道6時間前後(!)の距離。方向音痴の私とワディー(夫)はカーナビも完璧にプログラムし、おまけに以前は服の買い付けでNYまでしょっちゅう行っていたという義妹のBF(J)を運転手にお願いした。17才の姪、キアラも買い物目当てでついてくることに。3人の子供たちはおばあちゃんのお家で預かってもらうことにし、前夜から泊りがけで朝は4時半起きで身支度もそこそこ、物音を立てないように抜き足で家を出た。専業主婦してて毎日育児に追われていると、とにかくぼんやりとドライブに出る、というイベントがいかに嬉しいことか!と感じた。いつもならば3人をワディーと分担して迷子にさせないようにとか、トイレやスナックに気を配って、とかとにかく大変なのだ。と・こ・ろ・が・・・。家を出てしばらくするとすごい吹雪にみまわれ、Jは「ニュースでは8センチくらい積もってハイウェイもひどい状況になるらしい」と言っていた。キャンセルしたい、というニュアンス。どうする?どうしたい?とワディーとJ、私3人は問答を続け、隣町に出てまだひどかったら引き返そうということになった。Jは雪道の運転は慣れているし、この冬に新しいオールイヤータイヤを取り付けたので大丈夫だろう、と私は思っていた。またしばらく車を走らせると、何とハイウェイには事故った車が何台も、転倒したものもあったりしてびびってしまった。昼前にはNYに着きたかったけれど日本領事館がお昼に閉まる時間ギリギリに到着してしまったので、Jがしょっちゅう行っていた安いショッピングの穴場へ出かける。マンハッタン周辺、近くにはチャイナタウンもあるらしく、とにかく雪景色の中でもNYは素敵だった。ドラマに出てくるNYPD(NY市警)の建物などを横目に、道を早足で歩くニューヨーカーをチェックする。やはり寒さには慣れているのか、皆ブーツやロングコートをおしゃれに着こなしていた。車を駐車場に預けて硬いあられを顔面に受けながら早足で歩いた。ニューヨークではのんびりあるいていてはいけないらしい。この夏に来そうなトップだけを買い、ワディーは野球帽2つとTシャツを買った。暗くなる前にまた戻らなくてはいけないので買い物も早々に領事館に向かう。カーナビがあるのにJはなぜか全然従わず、迷ってグルグルと色んな道を行ったり来たりする羽目になった。途中マディソン・スクエア・ガーデンやブロードウェイ(ほんまもんやぁ)、タイムズスクエアーの写真を撮ったりしながら、通行人に領事館のある場所を聞いて車を走らせた。「カーナビは役立たずじゃないか」などと言うJを横目に、結局は到着していたのに無視して通り過ぎた彼が悪かったと判明。でもまあ、連れてきてもらったんだし急いで帰りたかったので領事館に入り、無事パスポートをピックアップして建物を出た。エスコートしてくれたカリブ系の年配の黒人男性と他愛ない話をした。道が悪いから一泊して帰れば、というので小さな子供たちをおばあちゃんに預けているんです、というとそれは、それは、と笑っていた。帰りは8時間以上かかり、帰宅したのは翌朝の1時ごろだった。駆け足のニューヨーク訪問、今度はちゃんと観光で来ようね、と誓った。
2007年03月22日
大きくなったなー。彼が10ヶ月の時に渡米してもうそんなに経つのね。顔は私に似て日本人してるのに、日本のことはもうすっかり忘れちゃったね。次男がもうちょっと大きくなったらきっとまた、生まれ故郷を見せてあげなくちゃ。定番の近くのピザとゲーセンが一緒になった場所で親戚たちだけを招いてパーティーをした。長女はもう、そこはしょっちゅう行くので飽きてしまったらしくボーリングかアイススケート場でパーティーをしてほしいとねだったんだけど、とにかくまだいとこたちが小さすぎて難しいからパス。ケーキは大好きなパワーレンジャーのカップケーキをくっつけたやつで、まあすごい原色のアイシングのやつ。ピザもケーキも食べるのもそこそこに皆走り回ったりゲームをするのに夢中だった。まだ春になったばかりで室内でしかパーティーができないから残念。6月にマックス(2歳)のバースデーがあるけれど、その時は裏庭で色々ゲームしたりBBQしたりと目新しいこともできそうなんだけれど。日に日に話す言葉も内容もお兄ちゃんらしくなってきていて頼もしい限りのナイル。ケーキのキャンドルを消す時に身を乗り出してたマックスに一瞬先に吹き消されてしまい、怒ってました。次男は吹き消した後「イエーイ!勝ったぞ!」と得意になってた・・・。大好きなブロックとパワーレンジャーのおもちゃをプレゼントした。とても喜んでたので良かった良かった。
2007年03月18日
今年もまた、普通に始まりました。こちらでは2日からもう学校が始まっていて、クリスマスが終わってからは全然ホリデー気分も下降してしまいました。やっぱり日本の正月が恋しいな。土曜の夜、夜更かししてます。SNL(サタデーナイト・ライブ)を見てる。歌のゲストはクリスティーナ・アギレラ。やっぱり彼女の歌は最高!!私生活ではちょっと???な部分が多いけれど、ブリに比べたら雲泥の差だ。アギレラってラテン系の苗字だけど、彼女はなぜか金髪に抜けるような白い肌。目も青いし・・・。なんなんでしょう。ホワイト・ソウルと言われてるところからみても、彼女は白人なんだろうね。子供たちを寝かしつけてからゆっくりできるはずなんだけれど、今日は長女(8歳)の親友ザネヤがお泊りに来てる。前のアパートの下に住んでた子で、4年前に会って以来の親友。こんな小さな頃からずっと友情を育めてある意味、娘が羨ましいな。ザネヤのママはシングルマザーで、この町ではなかなか仕事がないから弟のいるフロリダに引っ越すことになりそう、と言っていた。そうなったらもう、長女はすごく悲しむことになるだろう。実際、その可能性を告げたらその場で突然、長女の目から涙が溢れて止まらなくなってしまって・・・困ってしまった。私よりも一回りも若いのに独りで二人の小・中学生を育ててる彼女。黒人と白人のハーフの彼女は白人の母親に育てられ、回りにも白人しかいない環境で大きくなった。そして社会に出て初めて、黒人に対する人種差別を経験したんだと言っていた。銀行で真面目に働いているのに一向に昇進できない。後から入ってくる白人がどんどん彼女を追い抜いていく。そんな毎日に疲れた、と言った。だから引っ越そうと思うって。子供たちが遠いフロリダとペンシルバニアになってしまうのは私も悲しい。だけどこればっかりは・・・私にはどうしてあげることもできない。だから多少疲れても長女がザネヤをお泊りに呼びたい時は、必ず呼んであげる。これからあと何度、お泊り会ができるかわからないから・・・。フロリダまで運転していけない距離ではない。でも・・・やっぱ遠いな。家族でバケーションをするならばフロリダ、と決めているのでその時に会いに行けばいいのかな?願うは引っ越してしまっても、末永く交友を続けられること。
2007年01月07日
クリスマスは朝から賑やかだった。昨夜ずっと寝ようとしない次男の相手をしながら、プレゼントを包んだり間違いのないように名前を書いて付けたりして結局朝の2時まで眠れなかった。長女がまず目を覚ましたらしく、後で聞いたら朝の5時に起きたらしい。でも早く起きても時計が8時を指すまではプレゼントは開けないから起こさないでね、と言ってあったので半分眠りながらも興奮した子供たちの声や足音を聞いてうとうと・・・。結局7時半に起きてプレゼントを開けることに。私は前から頼んであったコダックのデジカをワディーからもらった。メロディーはけなげにもよい成績で貯めたお小遣いでいい匂いのボディーローションセットを買ってくれていた。子供たちはそれぞれ20こ程ずつのおもちゃ『サンタさんから』もらって大喜び。長女(8歳)がどれだけサンタを信じているのか半信半疑だった。だけど義母の家でまた親類たちからたくさんプレゼントをもらって帰ると、彼女は一言「ああ、サンタさんがこんなに家に持ってきてくれたなんて信じられないなあ!」と可愛いセリフ。ああ、まだ信じてたのね・・・ちょっとほっとしました。
2006年12月25日
日本とアメリカのクリスマスの違いといえば、日本ではカップルがロマンチックな夜を過ごして素敵なプレゼントを交換する、というイメージで子供たちはいくつかプレゼントはもらえるけれど親はもらえない。アメリカではロマンチックではなく、家族で過ごすか教会に出向くかなどして過ごす。こちらではまだ24日なのだけど、日本にワディー(夫)と住んでた時はクリスマスを24日にするのでとっても不思議な気分だったっけ。早い人たちは10月からもうプレゼント・ショッピングを始めていて、とにかくたくさんの人に義理ギフトから本命ギフトまで揃えなくてはいけないのでかなりの労力と出費になる。私ものんきなワディーを待っていたら最後ギリギリになって買い物に回らなくてはいけなくなるので、先月に子供たちのおもちゃをアマゾンでいくつも買っておいた。大きなものもいくつかあって、トイザラスで50ドル以上したものが18ドルで買えたりしてけっこう得した。なにせ大きなものを家まで配達してくれるほど便利なことはないなあ、と実感。こちらではとにかく子供たちはプレゼントをたくさんもらう。両親からはもちろん、祖父母やおばさん、友達同士、学校の先生からも小さなものをもらって帰ってきたり。マックス(2歳)はお昼寝を逃していたので夜ご飯を食べている途中に居眠りして椅子から落ちてしまった・・・。急いでベッドに入れ、残りの二人にパジャマを着せて歯磨きをさせ、サンタさんのためにクッキーとミルクをコップに入れてツリーのそばの机に置いておく。その後クリスマスの絵本をいくつか読んであげた。でも気もそぞろで全く話を最後まで聞きたがろうとしないので、これも切り上げて寝かすことにした。9時前にベッドに入れて洗面所で顔を洗っていると、お隣の玄関先の自動ライトが付いた。ブラインド越しに見ると、家主のトムとティーンの息子が大きな箱を外の物置から家に運び出していた。早速おもちゃをツリーの下に置くんだろう。うちはまだもうちょっと遅くなるまで待って、抜き足差し足で屋根裏に行って隠してあるおもちゃを出してツリーの下に置く。普通は買って包むとどんどんツリーの下に置いておくんだけど、うちはちびもいるし絶対いじって破って開けたりしてしまうだろうから、今晩まで隠しておいた。一応全部がサンタさんというのではなく、ママとパパからのものとサンタさんのギフトがあるよ、という方向で説明している。今日まで隠れて買い物に行ったり、買ったものを隠したりサンタさんのお話をしたり、とけっこう大変だったんだ。なにせアメリカで育っていないので、その説明とかがいまいちうまくできない気がして。メロディーももう8歳だからあと何年サンタさんのお話が通じるのかちょっと寂しいところだけれど・・・クラスの子が『サンタなんていないんだよ。プレゼントは両親が買って置いてるんだ』って言われたと言っていたけれど、うまくその場はなんとか言ってつくろっておいた記憶がある。だから一応今年は信じているみたい。でも、「うちは煙突がないのに、どうやってサンタさんは入ってこられるの?」とかいきなり聞かれるとかなり困る。「うーん、ドアからじゃないの?」なんて、しどろもどろ。クリスマスは朝早くからきっと起こされるだろうな。ワディーと二人だけの時は静かなものだったけれど、子供たちとにぎやかに過ごすのもとてもいいもの。プレゼントを開けてお昼過ぎには義母の家にクリスマスディナーのお呼ばれと、そこに置いてある私たちや子供たちへの親類からのプレゼント交換のために出向くことになる。日本のお正月のお年玉と同様、もらう分出費もするから結局一番うれしいのは子供たちだけだね。
2006年12月24日
ホリデーシーズンになると、こちらの人たちはいつもにも増して甘いものを食べたがるようだ。でも日本のようにクリスマスケーキというのはなくて、一番近いのはフランス人が作るブッシュ・ド・ノエルだろうか。うちではいまだ義母が健在でホリデー(感謝祭・クリスマス・イースターなど)はもちろん、長年のメンバーである教会で食事会があればそこでも腕を振るう。もちろんメニューは南部風のソウルフードが基本だ。パウンドケーキやパイナップル・ケーキ、バナナ・プディングなどに混ざって私が必ず食べるのがスイートポテト・パイだ。作り方はいたってシンプル。できあがったパイはふちの砂糖がちょっぴり焦げてて、そこがまたおいしい。パイにして焼く時間がないときは、ただ同じ要領でスイートポテトを茹でて砂糖とバターを加えてつぶしただけのものも出たりする。甘いスイートポテトはしょっぱいハムととても合うのだ。何度食べても飽きないのがソウルフードの魅力・・・。
2006年12月02日
今週は次男が風邪気味。体がかっと熱くなったり、咳が夜中薬をあげたのにもかかわらず止まらない。昨日から一日中ほとんど私にべったりでずっと抱っこしていなければいけないから、晩御飯を作るのもかなり苦労した。鼻が詰まっているからやはり、夜も熟睡できないんだろうな。今また抱っこされたまま、眠ってしまった。数週間前までは長男が風邪引いてたし、子供がいる親にとっては冬はすごく気を使うし疲れる季節。12月には色んなところへクリスマスイベントのため、子供たちを連れて行くけれど、それまでに直ってますよーに。しかし年中いつでも、母親は風邪を引いてダウンしていられない。パパはしょっちゅう、風邪だのなんだのって言って体の不調を訴えて椅子に座って休めるのにね。
2006年11月28日
今年初めて、ブラック・フライデーなる感謝祭の翌日の超安売りセールに出かけてきました。ブラック・フライデーというのは特価品を揃えた各店が、まだ暗い明け方(うちの近所では朝の5時)にオープンするため。今年はワディーが寝ている子供たちと家にいてやる、というので私が行くことに。義妹たちと3人で朝の3時半に起き、子供たちを起こさないように抜き足差し足で身支度を整えていると・・・電話がなって飛び上がってしまった。末の義妹のタイニーで「ミシェル(もう一人の義妹)は髪をとかすだけでもう迎えに行く準備できるから、もう大丈夫?」と確認が入った。寒いことを考えて2重にズボンを重ねてはき、玄関先のベンチに座る。静かーな中、霧が濃く出ていて「私、いったい何してるの?」と眠いながらも考える。やっぱり行かなきゃよかったかな?と。目標は長男と次男のおもちゃと、別の店で20ドルで売ってるという携帯用のヘッドセット(耳に取り付けてハンドフリーで喋れる)。最初はアメリカでナンバーワンの量販店”Walmart"へ。http://www.walmart.com/?adid=1500000000000000624600&dest=19288ここでV.Smileという、3-6歳児用のテレビゲームをもともと50~80ドルのものが30ドルになっていたので、これを第一目標に。タイニーはベビーに人気のDoraというキャラのお人形を絶対ゲットしなくちゃいけないので、V.Smileも私の分も一つ、取ってきてと頼まれた。ミシェルはティーンの息子にヘッドホン付きのゲーム椅子。やはり人気は破格のフラットスクリーン・テレビやビデオカメラ、コンピューターなどで、すごい人が列をついていた。ウォルマートでは店内のその品物の回りで時間が来るまで待てるので、別の店では外で寒い中ずらりと行列してた人たちよりは楽したみたい。4時近くから開始の5時までは商品に手を触れてもいけない決まりらしい。でも人気商品の回りの人たちは、抱えるように箱の上に覆いかぶさっていたりして「・・・す、すごい」と思った。とにかく朝も早くから人・人・人。買い物が大好きでこれを楽しみに毎年来る人もたくさんいるわけで、もう目が生き生きしている。私は結構はじめに箱の周りに到着したので、他のライバル(?)たちと和やかに談話して時間をつぶした。後ろにいた白人のおじさんが女性たちに囲まれた中、申し訳なさそうに立っていた。話を聞いてみると「娘に頼まれて孫のためにゲーム機を一つと、すぐ隣のミシンを妻に一つゲットするように頼まれてるんだ。今年初めてなんだよ・・・」だって。5時10分前に箱の回りでしきっていたお姉さんが「うん、もうそろそろいいわよね。・・・じゃ取っちゃいましょ!」と箱をかごに入れだした。そこで回りにたくさん増えていた客たちも動き始めたので私も2つ取り、その場を離れた。結局この後も2軒回り、コダックのデジカメを69ドルで買ったりできたので幸せだった。でもクリスマスショッピングはまだ始まったばかり。これからもワディーのものや子供たちの細かいもの、義母さんのものとかもあるし・・・。大変なのです。
2006年11月24日
先週、久しぶりにバイキング式のレストランへ家族で出かけた。いつもはあっちこっち立って歩き回ったり、食べ物をおもちゃにしたりするからあまり外食してもゆっくりできないから避けてたんだけれど。入ってすぐ、カウンターで先にお金を払って中に入った。席についてワディー(夫)と順番に子供たちの皿を取りに私が先に席を立ち、ウェイトレスがカウンターでオーダーしておいた飲み物だけを持ってきていた。皆の料理もテーブルに並び、普通に食事をしていた。バイキングだから食べ終わった皿が積み重なって行き、だんだん置いておく場所も無くなってきてワディーが不満顔になってきた。20分ほど経っても取りに来ようともしないし、おかしいな?とは思ったんだけれど。結構忙しかったし、ワディーがおかわりに立って行ってしまっていた時は、ウェイトレスは一度様子を伺いにやって来たから余り何も感じなかったんだけれど・・・。過去に利用した時は飲み物が半分になった時点でもう、何度もリフィルを聞きにやって来ていたのに、今回は全く来ない。グラスはもう底を尽いてた。食べ終わったお皿も、余りの遅いサービスに待ちかねたワディーが空いているテーブルに重ねて目立つようにわざと乗せておいたのに、取りに来て謝罪もフォローもなく、無言で持って行ってしまったのが2,3度続いた。私は元ウェイトレスだったから、悪いサービス=チップ少なめで制裁、という公式ができていたし、あまり敏感になることもなく黙々と(恥)食べ続けていたら・・・。ワディーがかなりご機嫌斜め。私は気づかなかったけれど、最初にドリンクを持ってきたのは今私たちのテーブルを無視しているのとは違う、もっとフレンドリーなウェイトレスだったらしい。私たち担当のウェイトレスは、ワディーが席についてからは一度も、テーブルに来ないで隣のテーブルに重ねた皿を無言で持ち去る、という行動を繰り返すのみ。「これは人種差別だ。隣の白人の老夫婦にはフレンドリーなのに、このテーブルには一度も来ないなんて。一度来たときは僕が席を立ってた時だけだろう」と。せっかくの外出の雰囲気が壊れるのも嫌だったから、気のせいじゃない?サービス悪ければチップ置かないで分からせればいいんだし、と言ったら私にもすごく怒ってきた。「僕と長くいる君だから、こういう状況の時は僕の側について欲しいよ。僕は滅多なことで人種差別だなんて叫ばないタイプだ。でも他のテーブルとの差を目にして彼女をテストしてみた。忙しいならば僕が別のテーブルに皿を置いた時、取りにきたら『まあ、ごめんなさいね~』とかフォローする一言があるだろう。それを無言で何度も持って行くのはやっぱり、馬鹿にされてるとしか思えない!!」って。そして彼の言ったとおり最後までドリンクのリフィルには来ず、彼が自分で立って飲み物をリフィルに行ったのを目の当たりにしても見ない振りしていたウェイトレス。チップは置かず、彼は直接マネージャーに直訴に行った。彼いわく、マネージャーが言うにはこれが最初のクレームではないとか。彼女については過去にもマイノリティーの客が悪いサービスを受けた、と文句が出ていたとか。だからマネージャーも疑うことなく、これは本当だと信じてくれたと。マネージャーから無料の食事券をオファーされたけれど、それを断り、謝りの電話もいらないからあのウェイトレスをどうにかしてくれ、と頼んで出てきたらしい。結局彼が正しかったのだ。いくら黒人の夫と長年結婚していたといっても、やはりアジア人の女である私とは人種差別については感じ方、敏感さの温度差があるのはしかたがない。こんな時、黒人である彼を改めて意識させられる。日常生活ではもう、忘れているというのに・・・。これが国際結婚、日本人を配偶者として持たない私の現実。この経験が惨めだとも、夫が可哀想だとも思わない。ただ、彼の毅然とした行動がとても誇らしく思う。もし他の人だったらいきなり怒って怒鳴りだしていたかもしれない。でも、それをしてしまうと逆効果なのだ。「ああ、やっぱり黒人って怖いな」とか非黒人たちが信じてしまいがちな感覚を正当化させてしまうからだ。こういう時はとっても尊厳があって感心してしまう。夫を尊敬できるというのがやはり、結婚の長続きのコツなのかもしれない。
2006年11月21日
週末に時間を割いて夜、一生懸命ネット上でできるカラオケ(英語)を探していた。いつもは慣れた安全なリンクなどしかクリックしないのに、夢中になって探していたからか・・・。長女とネットゲームのデモを終え、コンピューターを閉めて眠った。次の朝メールを見ようと開けると・・・あれ?なんか、変な感じだ。スタートボタンも押せないし、真ん中に青い四角の広告が出て、スペイン語で書いてあるから読めないし。これはやばい!とピンときた。その広告のリンクを押さないとにっちもさっちも行かないと思ったので、スペイン語が理解できないのにもかかわらず押した。すると何度コンピューターを再起動しても、スタートボタンを押して修正できなくなり・・・。怒られるのを覚悟で朝一番からワディーに「コンピューターの調子が悪いみたい。昨日いろいろ検索して回ったからかな?」と言った。寝ぼけてベッドから起きてきて一服した後、直そうとしてくれたけれど、やっぱりウィルスらしくコンピューターはまったく良くならない。結局HPのサービスセンターに電話したりして改善を試みたけれど、結局2日かかってようやくワディーは自力で直してくれた。かなり強烈なウィルスだったらしく、初期化のCDを使ってみてもびくともせずにしつこく同じことの繰り返しで、Windowsだけが何度も何度もスタートしようと試みるだけ。直ってよかったよ。でも、画像とか全部消えちゃったけど。HPめぐりはこれからはもっと気をつけたい。
2006年11月05日
懐かしい~・・・。多分あれは小学校4、5年生の頃だったのかなあ?箱入りのパピー、というお菓子がありました。キャラメルコーンみたいなパフで、ハートの形、味はイチゴ味。それよりも一番のお目当ては、おまけだったパピーちゃん人形・・・。いっぱい持ってた記憶がある。パピーちゃんはプラスチック製の小さな人形で、服やカツラもパッチンとくっつく仕様で、何種類もあったから夢中だったなー。友達の家にむりやり(!)押しかけて、毎日のように遊びたがってったっけ・・・私って。覚えている人いるかなあ?ちなみに今、アメリカでも似たようなヒット商品のおもちゃ"Polly Pocket"があります!昔のものよりはずっと、プラスチックもラテックスっぽく硬くないし遊びやすいのです。これはお菓子のおまけじゃないんですけどね。でも、カツラがついてたり、洋服を着せ替えするコンセプトとか全くパピーちゃんと似てます。なつかしのパピーちゃん!こんなだったっけー?こちらがポリー(ブロンドの娘)と仲間たち。ずっと立体的。
2006年10月31日
うちはちびが3人もいるので、映画館でゆっくり鑑賞は無理です!!だから夫が日本のテーマの映画だからってレンタルしてきてくれました。感想は・・・まず、映像が美しい。これはカリフォルニアのセットで1930年代の日本を再現するために、シルクスクリーンの上からカメラで撮影したからだとか。アカデミー賞も納得です。はじめは主演の女優が中国系だからとか物議を醸し出していたけれど、それは関係なくエンジョイできました。日本から参加していた俳優たちも英語を駆使して活躍していたので、とても誇らしかったし。うちのばーちゃんが若い時、芸者だったので、最初のナレーションを聞いた時から引き込まれてしまいました。美しくて神秘的な世界。でもこの本の元になった女性は、インタビューで映画の原作者に話した事実を曲げられて、苦悩の部分や不幸な所を大げさに作り上げられたんだとか。本名は使わないと誓ったのに使われて、関係者たちを怒らせ、自殺まで迫られた彼女は結局、彼を訴え勝訴したそうです。本当は少女の頃にも意地悪などされず、優遇されていたそうで、そうなるとまた映画としてのストーリーには面白くないから付け足したんだなと思います。美しいチャン・ツィー・イーを着物で見てるだけでうっとりだったので、最後の展開はやっぱり嬉しかった♪これはDVDのコレクションに入れたいと思います。
2006年10月23日
今日はワディーのいとこである女性の息子(享年24歳)のお葬式だった。彼は先週末にもめごとがエスカレートして、家にやってきた男たちに銃を向けられ、逃げたものの階段で意識不明になってしまった。病院に連れて行かれたものの、結局命は助からなかった。この町に越してきてお葬式は2度目。子供たちが小さい上に、ワディーがお葬式の準備や棺おけを担いで霊柩車に乗せたりする役目をになったので、独りで式の間は悪戦苦闘していた私。全くしんみりお葬式に参加できる状態ではなく、どちらかといえば皆に迷惑がかからないように教会から悪がきどもを外に出すのがやっとだった。日本のお葬式のようにずっと湿っぽいということはなく、久しぶりに遠方から訃報を聞いて集まった親類たちが顔を合わせる場所でもあるので、途中で笑顔で会話することも珍しくない。もちろんお祈りの時などはみな、神妙だ。教会で最後のお祈りをした後は、段の下に置いてあった棺おけを霊柩車に移して、お墓までみな連なって運転していく。そこでまた、お祈りして最後に花を一輪ずつ棺おけの上に乗せてお別れをする。本人の直接の家族で無い限りやはり、あまりぴんと来ないものだけれども、最後のお別れの後は気丈に笑顔を見せていた彼の父親も大声で泣いていた。ずっと育ててきた息子が、つまらないケンカの末に暴力でしか威力を示せない奴らにいとも簡単に殺されて・・・いったいどんな気持ちなのだろう。子供を持つ親としては想像を絶する気持ちなのだろう、と思う。親が子を葬る、というのはやはり何にも比べようのないせつなさ。彼を撃った男たちはすぐに捕まり、今は裁判の日を待っている。どんな判決が出ようとも、彼がもういないことには変わりはない。このことで銃社会のアメリカが怖い、とも私は思わない。日本でだって通り魔が刃物で、とか電車を降りて刺されたとかニュースが尽きないもの。こればかりはやっぱり、運なのかな。
2006年10月21日
うちのはとってもマイペース。結婚した時からちょっとずつ気になっていたのだけれど。例えば外に用事で出かけるときも、私と最初にするべきことや行くべきと思うのとは逆のことを考えていてそれでイライラ・・・。なんでそんなに時間を無駄にするかな?とか、いつも考えてしまうせっかちな私です。これって日本人的なのかな?いつも時間通りに!とすごくがんばってしまうところ。夫は、彼の家族も含めてすごくのんびり、というかまあ30分や1時間約束の時間が押しても全然オッケーな人たちなのです。これも育った環境なんだろうね。立ち寄った場所、場所で車に乗ったまま15分以上待たされたりすると、私的にはかな~り怒ってしまう。彼にしたら、それで怒る私が???なのだろうし、これがカルチャー・ギャップなのかもしれないね。
2006年10月08日
ここ数日、大好物のガムに釣られて次男がおまるでおしっこに連続で成功!嬉しいけれど、ここがまた、微妙なんだよね。外出の時に言われても2歳の彼の小さなお尻が清潔に座れる便座はないわけで、困るんだろうし。また完璧におむつが取れるかといえば、まだまだうんちができるようになるまでは一山ありそうだしね。長男だってトイレでうんちができても、一人では紙で拭けない。これも困る。というか腕がまだ短いから、しっかり届かない様子でこればかりはどうしようもない。夏の間にと思っていたのに上着がいるほど肌寒いこの一週間。もう夏も終わりなのかな?5日には長女と長男の学校(新学期)が始まる。これも嬉しいけれど、朝が早くなるし規則正しく寝かしつけなくちゃ次の日の授業や機嫌にかかわるので結構真剣に臨まないといけないのだ。長女の宿題も毎晩、大変そう。帰宅後→夕飯→寝る支度の間にすべりこませて集中して勉強を見てあげらるんだろうか。こればかりはワディーに頼んで息子たちと遊んでもらうしかなさそう。長男は今年から一日保育になり、午後の2時過ぎまでは帰ってこないので楽は楽なんだけど。二人ともたくさんのことを学んできてほしいな。
2006年09月02日
夏休みだから3人とも家に揃っていて、しかも近所にも同年代の子達がたくさん住んでいる。だからお昼過ぎからランチを食べてるともう、勝手口のドアにいつもの子たちがドアに張り付いて「あーそーぼー」が始まる。最近おばあちゃんの家に越してきたのが、昔のアパートで偶然近所で顔見知りだったファミリー。長女とその男の子は元クラスメートでもあり、彼の母親はちょっと「???」な行動が昔多かったために、あまり交友させたくなかったんだ。簡単に言うと、彼女は喧嘩っ早い。何が起こって一発即発になるのか、怖かったりして。今のところはその家の子たち(7歳、4歳)は毎日家に来て、時には上がらせてテレビゲームしたりしてるから一応笑顔で挨拶する仲だ。こういう判断とか、小さなとこでは子供たちが「ねー、○○していい?」「○○に行っていい?」とか質問攻めで、そのたびに返答しなきゃいけなくて大変。自転車に乗って家の周りの車道沿いを走りたい、という長女。私は大丈夫かな?と思うから「ダメ」と言う。目の届く範囲の裏道を往復するのみ。そういうことでもしっかり考えて答えないと、命に関わったりするかもしれないし安易にできないんだよね。おやつの回数、食べる物、遊べる時間、家に戻る時間、寝る時間・・・。もう、決めることだらけ。子供がいると怪我をすれば看護婦役、勉強の世話のために家庭教師、料理をすればシェフ、片付ければ家政婦、お金の管理で税理士・・・大変なはずだ。これも子供たちがどの子も立派にしっかり育って欲しいから、私たちはがんばってるんだよ。こういった現状を知って子育ては大変だって産まない決心をする人たちがいっぱい出てくるのも仕方ないよね。特に今の世の中、暮らしにくくなってるからなあ。キャリア組の子供なしならば自由にできていいのかもしれないけれど。だから日本脱出することに決めた私たち。日本で子育てするいい点ももちろん、たくさんある。でも私たちのキャリアの状況や子供の数を考えて、やっぱり土地が広くて家が安いこの街に越したのは正解だと思っている。日本の父親からメールが来て、海水浴場の写真が添付してあった。子供の頃に行き慣れていたビーチ。懐かしいな。久しぶりに子育ての合間にホームシックになった。来年あたり、次男が3歳になったらもうちょっと楽に相手ができて長時間のフライトも平気になるかな。ワディーとは上の二人を連れて何度も飛んでるので大変なのは承知だから・・・。
2006年08月07日
今日は朝からワディーと口論しながら忙しく支度し、銀行に大急ぎで立ち寄って長男の園へ。そこからバスに乗って、1時間ちょっとの遊園地に行った。休日なのに朝から出かけるのも子供たちのため、とワディーも機嫌よく子供たちの相手をしていた。9時には園に着いたのに、そこから子供たちは朝食を食べ、おしっこしたりして園を出たのは10時過ぎ。これでたくさん遊べるのかな~?と思っていた。バスの中で隣り合わせになったジョセリンというママは、朝食の時から娘さんがあっちに行ったりこっちに行ったり、思うように行かないと金切り声を上げて反抗していて可哀想だな、と思っていたんだけれど。話してみるととにかく、おしゃべりが好きで私となんだか波長が合うな~、と思っていた。ワディーをそっちのけにしてずっと喋って、遊園地でも一緒に行動することに。彼女はこの辺でありがちなシングルマザーなのかな?と思ったら、ご主人は海軍で今はバージニアに駐在してそこの基地に住んでいるという。週末には帰ってくるけれど、基本的には独りで2歳と4歳の女の子を育てている。だからうちも3人だし、こんな大きな場所でだと特に大変なのは分かっているから、乗り物に乗せたり移動する時に助けてあげた。なにしろ2歳の娘さんはとにかく、ずっと走り回っていないとダメらしく、ママとは逆の方向に走り出し、止められるとすごい絶叫で反抗するから帰る頃にはジョセリンもかな~り疲れていた。なにしろここまでしても、ご主人には理解されず、「何で子供相手にイライラしてるんだ?」みたいな呑気なことを言われてイラつくらしい。そのくせ、今度は男の子を産んで欲しいと望まれていて、育児に参加するまでは絶対にごめんだわ!と言っていた。私より一回りも年下の彼女、アメリカ人の女の子にしてはすごく物腰も優しくて意外だった。何度も「あなたに今日出会えて本当によかったわ!!」と言われて照れた。帰りもずっと話し続け、電話番号を交換して別れた。4年も戦争が続いて、夫はイラクにもいたらしくかなり精神的にも困っている様子が伝わってきた。戦争は反対。でも、その家族はサポートしたいな、と思う。今は金銭的状況から狭いアパートでやんちゃな子供たちといる、と言っていた。うちも同じ状況から今の大きな家に越してきたので、気持ちは十分分かるんだ。だからたまに家に遊びに来てもらったら娘さんたちもおもちゃで遊んだり、裏庭で裸足で存分に走り回ったり水遊びしたり出来るし、気休めになるんじゃないかな?と思う。そして何よりも同じ価値観を持つママ友が出来たかな?と淡い期待を持っている。ワディーも私の気持ちを聞く前に「あの女の子、君と相性が会うんじゃないの?バスでうたた寝して目を覚ますと彼女、まだ喋ってたから君とぴったりだよ」(ジョークのつもり?)だって。まだまだ自分の全てを話してしまわないよう注意しながらも、少しずつ友情が育って行ったらいいなあ。
2006年07月11日
全218件 (218件中 1-50件目)