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『遺体―明日への十日間』石井光太原作 君塚良一脚本・監督 西田敏行主演 山形村アイシティシネマのメンズデイに合わせて、ようやく見に行くことができました。以前、見に行こうと決めていた日があったのですが、お葬式が入ったりしていくことができなかったのです。 知人の中には、映画を見るのが怖い、という方もいたのですが、私自身は、映画だし、あまりリアルには遺体が映るということはないのでは、という思いがありました。震災があった直後の様子に関心を持っていましたし、釜石や大鎚の町並みがどんなふうに映っているのだろう、と興味がありました。 映画では、震災直前の人の様子が描かれた後、地震があったときの揺れや津波については、何も描かれず、その直後に、町を津波が襲った、人が沢山亡くなった、という情報が行き交うところから物語が展開していきます。 山手のほうの人たちは、地震の被害が大きい、と思って、津波には、ほとんど頭がいっていない、その被害がどれほどのものか想像がついていっていない、ということが、弟から聞いていたこともあって、リアルだと思いました。 そして、遺体安置場所となった体育館を舞台に、ほとんど外の様子は描かれることはなく、「ご遺体」と向き合う西田敏行扮する相葉恒夫や市の職員、医師や歯科医たちの働きが描かれていきます。 亡くなっていった人たちの体が運び込まれ、皆が立ち尽くしてしまうところで、まず涙が溢れ、その後、妊婦さんの遺体、子どもの遺体、助けられなかったと罪悪感を持ち続ける母親などが登場し、また、自分の知り合いが検査する遺体の中にあることが分かって涙する歯科医、またお世話になった人の遺体を前に号泣する歯科助手の様子も、ぐっと迫るものがありました。 私自身、釜石に行ったときにも、今日、海のほうで一人見つかった、とか、人が手をつけていないところで片付けに入るときに、「(亡くなった人が)出るんじゃないか」と町の人が声をかけてこられたことを思い出しました。 その中でも、相葉が遺体に声をかけていく、家族に慰めの言葉をかけていく、という中で、市の職員の「僕らには言葉があるんですね」というセリフがあり、言葉を失った、ということがあっても、言葉の力が持つところを改めて教えられた感じもしました。 ただし、映画についてではないのですが、なんと映画を見ている途中に、携帯電話が鳴り出し、その電話に出て話をしだすおじいさんがいたのにはびっくりしました。私の席の前だったのですが、一度電話がなったら電源をきるか、マナーモードにしておけばよいのに、再びかかってきました。さすがに二度目のときは席を外しましたが、電話にどうしても出なきゃいけない状況があるのなら、映画を見てはいけないし、映画を見るなら、他の人の事を考えて電話にでない、電源を切っておく、ということを徹底してほしい、と感じました。 ところで、畠山直哉さんの『気仙川』を読んでいたときに、自分自身が最初に釜石や大船渡に行った時のことも思い出しましたが、震災直後の動揺や恐れや悲しみを忘れてはいけないな、とこの映画を見ながら、思いました。
Apr 18, 2013
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ビートルズのGolden Slumberがテーマになっている小説として関心があったが、映画化されていたものでDVDを借りて見てみた。 特に期待していたわけではなかったが、思いのほか感動してしまった。涙が出てきてしまうシーンもあった。映画を見た後、夜遅くなっていたのだが、ついついもう一回見たいシーンもあって、飛ばしながらも、また見てしまう、それぐらい胸を打たれるものがあったし、主人公よりもその両親たちの姿に感動したのかもしれない。 堺雅人扮する主人公青柳は、首相暗殺の犯人として仕立てられてしまう。彼の大学時代の友人で家族によって借金地獄に陥った森田が、その役割を担うが、森田はそれでも精一杯青柳を思い、死の直前「信頼が武器だ。何としても逃げて生きろ。無様でもいいから生きろ!」という言葉を残す。 警察から青柳が犯人であると断定され、青柳は逃走するがその間に、マスコミが彼の実家を訪れていろいろと質問攻めにするシーン。彼の父親は、彼の無実を信じている。マスコミの一人が「息子さんを信じたい気持ちは分かりますが...」というと、父親は「信じたいんじゃない。知ってるんだ。何もかも...」と語り始める。 「信じたいんじゃない。知ってるんだ」。そんなふうに言ってもらえる存在があるっていうのは、本当にすごいな、と感じたのと同時に、ルカ福音書15章の「いなくなった息子の帰りを待つ父親」の姿とも重ねられた。 学生時代の友人たちの信頼、両親の信頼、他の仲間たちに支えられて青柳は生きる。 他、学生時代の回想シーンで、ポールがどんな思いでアビーロードを編集し、ゴールデンスランバーからThe Endまでメドレーでつないでいく様を話し合っているシーンもちょっと印象的。 伊坂幸太郎の原作も読んでみたいと思わせられた。 それにしても、キルオ役の濱田岳は、よくよく火野正平に似てるなぁなんても思ってしまった。【送料無料】ゴールデンスランバー【25%OFF】[DVD] ゴールデンスランバー
Feb 18, 2011
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こんな映画が公開されてるんですね。 初めて知りました。大場栄さんという方のこと。 公式ホームページはこちら。 太平洋戦争において、サイパンにおいて、日本軍は玉砕したと聞いていたし、バンザイクリフなどで民間人も皆捕虜となるよりも自害を選んだと聞いていた。しかし、その中でも、たった47人で連合軍に立ち向かい、多くの民間人を守り抜き、最後には敵であるはずのアメリカ軍から称賛を得たという、大場栄大尉という人がいたという。竹之内豊が主演。監督は、「しゃべれども、しゃべれども」の平山秀幸監督。 大場大尉は、将校ではあったが、もともとは地理の教師だったとのこと。多面的な見方ができていたのだろうか。興味ある映画である。 こちらも参考まで。 タッポーチョ 太平洋の奇跡 「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語 (祥伝社黄金文庫) (文庫) / ドン・ジョーンズ/著 中村定/訳
Feb 14, 2011
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今日は、「六ヶ所村ラプソディー」や「ヒバクシャ」などで知られる鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」という山口の上関原発の建設反対運動と持続可能なエネルギーについてのドキュメンタリー映画を見てきました。 海の埋め立てに反対する祝島の人たちがカヌーや漁船を出している姿は、辺野古を思い起こさせました。それに対して中国電力の人が、「農業や漁業で島や地域が発展するとでも思っているのですか。お子さんやお孫さんが島に戻って暮らせるとでも思っているのですか」ととんでもないことを言っているのが情けなかったです。第一次産業を捨てて、自然を捨てて、子孫に残せる社会があるのか、と画面に向かって問い返したい気持ちでした。 ほか、鯛を一本釣りする漁師の方、島に戻ってきて海草やびわ、野菜で生計を立てる若者、自分の生きる場を守ろうと声をあげるおばちゃんたち、豚を育てて土地を耕す出戻りの男性などの地に足のついた生活が紹介されていました。 ちなみに、祝島はハート型の形をしているということで、シンボリックです。 そして、対照的にスウェーデンの持続可能な社会に向けての取り組みも紹介されていました。原発のように初期費用がかかり、維持するコストも膨大なものではなく、小規模でできる発電所(風力、太陽、地熱、波力など)、自然エネルギーを利用した熱交換装置や、バイオマスエネルギーがどんどん普及して、排出CO2を減らそうと努力している社会ということでした。もっと知らなければならないことが多いのだと思いました。1か0かではなく、できることや知恵がたくさんあるのですが、何よりも日本では電力の自由化がなされていないという問題点が明らかになりました(郵政民営化よりも大事じゃないかという感じ)。また、大手の銀行や投資グループは、代替エネルギーや自然エネルギーへの投資はほとんどせずに、劣化ウラン弾開発の会社や原子力推進の会社への投資が多いということも問題だと感じました。 映画を見る前に、鎌仲ひとみ監督と 環境エネルギー政策研究所長の飯田哲也さん、地元のインディーズの歌手美咲さんによるパネルディスカッションがありました。世界的に見て原子力は下火であるということ、スウェーデンで原発を建設できることになったが、実際は建設予定はないということ、アメリカもいろいろあるが、カルフォルニアでは、再生可能エネルギーの政策は進んでいるようで、なんと東京都がそれを参考にしていることなどを伺いました(もちろん、知事は最低だけど...とのことですが)。 それと、映画のエンドロールを見ながら、水パトでお世話になった方が撮影に関わっていたことを知って懐かしくなりました。 上関原発反対の祝島島民の会のページはこちら。署名用紙もあります。 茨木のり子の詩の中で「時代おくれ」という詩も思い起こしました。 ...何が起ころうと生き残れるのはあなたたち まっとうとも思わずに まっとうに生きているひとびとよ 美咲さんの歌もよかったけど、祝島のことを歌った歌は、ちょっと抽象的な感じでした。ウミスズメ、ホンダワラ、スナメリ、びわなどおいしかったり、心地よかった具体的なことがうたわれるともっといい歌になるだろう、なんて思ってしまいました。
Jan 15, 2011
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土井敏邦監督の『沈黙を破る』を見てきました。 2002年のイスラエルのパレスチナ占領の様子と元イスラエル兵士の証言のドキュメンタリー映画です。2002年のジェニン侵攻・虐殺にはじまるジェニン占領をパレスチナ人の側から映していました。 占領される、とは常に戦争状態に置かれるということで、突然のイスラエル軍の発砲により、多くの人が命を失っていき、また家や財産を失っていく様子が描かれていました。血がたまっていたり飛び散った様子がなまなましかったですし、亡くなったり怪我をした人々の様子に目頭が熱くなってしまいました。 一方、20代の若き元イスラエル兵士が、パレスチナ人に対してしてきたことを語りはじめました。それが『沈黙を破る』という名の活動です。 イスラエルのパレスチナ占領の問題点だけでなく、国家の戦争宣伝や軍隊の非人間性について語たるものだったと思います。 ドロテ・ゼレという神学者がかつて『軍拡は戦争がなくても人を殺す』という書を著しましたが、この映画を見ながら改めて「兵士は戦争がなくても人を殺すのだ」と感じました。この場合「戦争がなくても人を殺す」というのは、他人だけでなく、自らの人間性をも殺してしまうことを意味します。 兵士として訓練を受けること、その訓練において人は人間性を剥ぎ取られていきます。戦争のときはこうしろ、という訓練を受ければ、占領だから、戦闘状態にない地域だから、という区別はもはやできない、とのこと。なぜなら、占領地域での自爆テロを恐れることになるし、テロリストを殺すためという名目で、家を壊し、まったく平和な町に発砲する命令にも感情をはさまずに従わなくてはならないからだ、と。 元イスラエル兵士の一人は、自分の親や祖父母ほどの人々を平気で辱めたり暴力を振るっても、その場にあっては無感覚だったことを告白しています。また、占領中の退屈さ、見張りの退屈さから、毎日"事件"を求めていたということや、戦闘命令にワクワクした、ということなどが語られていました。それを今は異常である、と気づき、元兵士たちの証言は、イスラエル軍は、国家によっては「世界一人道的軍隊」と宣伝されている嘘を暴きだしていました(かつての"皇軍"もそうだったんでしょうね)。彼らはパレスチナ人を救うためというよりも、イスラエルの国家がこんなことをしていては滅びるということを警告し、訴えているのでした。その活動はまだ多くの人には受け入れられていないようですが、顧問となっている人はパレスチナ人の自爆テロによって愛する娘を失った人でした。憎しみと報復によっては何も解決しないことを元兵士たちを支援することで訴えています。 キリスト教では、この時期イエスが十字架につけられるという受難を覚えていますが、イエスの十字架刑があった地域で、なおも争いが止むことなく、理不尽な占領と殺し合いが繰り返されていることになんともいえない無力感を覚えてしまいました。 また、土井監督の『"私"を生きる』という映画が完成したことの報告もありました。4月11日に明治大学であるようです。先の2.11集会でお呼びした佐藤美和子さんが出演しているので、見たいと思いましたが、日曜日だし東京じゃ行けません。いつか見たい映画だ、と思いました。土井監督が佐藤さんについて書いている記事がこちらにありました。ご参考まで。
Mar 27, 2010
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あっという間に、九月になってしまいました。夏の間は、いろいろとあって充実していたと言えますが、ブログの更新もせず、あれも書こう、などと思うだけで過ぎていってしまいました。今日は、分区の牧師会があって、喬木教会に行ってきました。(喬木教会のページはこちら しばらく見ないうちに、いいページになってます。XOOPSを使ってるのかな...?)そして、喬木教会の取り組みを伊那ちさこ先生から伺いました。小グループの育成、ジュニアチャーチ、中高生会、子ども英会話教室、子育て会、ゴスペルの集い、デボーションクラス、礼拝説教について感想やその後を語り合うロイス会などなど、独自の取り組みに驚かされると同時に、示唆されるところも多かったです。喬木に来て9年、ようやく実が結んできた、とのコメントもありました。今日は暑い日でしたが、車から見る景色は秋になっていました。秋といえば、芸術の秋ですかね。映画もみたいな、と思うこのごろですが、関心のある映画があります。「プール」という映画。公式サイトはこちら。小林聡美、もたいまさこらの出演が、興味をそそるところです。主題歌は、ハンバートハンバート、劇中では小林聡美が自作の歌を歌う場面もあるよう。小林聡美、もたいまさこというと、荻上直子監督の「かもめ食堂」を思い出すのですが、今回は監督は大森美香監督。雰囲気もまた違うようです。それでも、ちょっと気になる映画です。
Sep 7, 2009
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「ふみ子の海」という映画を見ました。 時代は昭和初期、視覚障害者の少女ふみ子が、家を出て按摩の修行に出る者の、様々な人との出会いによって、盲学校に入るまでを描いている映画です。 ふみ子が、物怖じせず軍人に対してきっぱりと主張する場面や、母を思う気持ちに感動すると共に、ふみ子をとりまく人々の暖かさも感じさせられました。なかなか按摩の客を取れないふみ子にアドヴァイスするお麩屋のおじいさん、彼女に目をかける芸者、盲学校の女性教師、按摩の師匠などの関わりがほっとさせました。 特に、按摩の修行を受けている同じ女の子のことが印象に残りました。彼女は、ふみ子の点字の本を届けようとして、雪の中で行き倒れてしまい、亡くなってしまったのです。その子が、「わたしは何のために生まれてきたのか」とつぶやく場面もありましたが、死ぬ間際、按摩の師匠に「ふみちゃんは、頭もいいし、このまま終わってはもったいない。勉強させてやってほしい」と頼む場面に心動かされました。 そうした人との関わりにおいて、人が生かされていくことを感じました。そして、この映画のモデルになったのは粟津キヨという方です。新潟の高田盲学校を卒業した後、東京女子大で学び―彼女はクリスチャンとなったわけですが―卒業後、高田盲学校で教えられ、盲女性の自立のために尽力した方とのことです。もっとも映画は、粟津キヨそのものを描いているのではないとのことですが、粟津キヨについても、もっと知りたいと思いました。 また、舞台が今の上越市高田だったので、かつて中越地震の頃、高田まで行ったことを思い出し、懐かしく思いました(もっとも風景は全然違いましたが...)。
Jul 3, 2009
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安曇野の堀金アリーナで、マイケル・ムーアの「シッコ」を見ました。 最近、病院が独立行政法人化され、病院単独の利益が求められたりしますが、そういう動きに不安を覚える医療関係者が中心となって上映会を催したようです。 アメリカの医療の矛盾をついた好作だと思いましたが、アメリカではニクソン大統領の頃に、医療保険制度を民間に行わせるということになりました。そうして、保険会社は莫大な利益を得て、現在に至っているとのことですが、医師ががんだと診断してこうした治療が必要だ、と認めても、保険会社の診断医師がそう判断しなければ、保険料は下りない、ということになっているようです。そして、保険料が下りなければ、多くの貧しい人たちは治療を受けられないのです。入院費が払えなくなった人たちが、ホームレス支援センターの前で「捨てられる」場面もありました。中指と薬指を切断した男性が、それぞれの指の接合費用を聞かされ、結果的に薬指だけ接合した、ということも紹介されていました。 一方、カナダでは、確かに国民皆保険制度が財政的に破綻しつつあるとのことですが、すべての医療費が無料ということを驚きをもって語られていました。アメリカに行く場合には、アメリカで事故にあってアメリカで治療しなければならなくなったときのために、保険にはいってから行く必要がある、ということも笑い話のように語られていました。 その他、イギリス、フランス、キューバで医療費無料が実現していることが紹介されていました。日本でも医療費負担額が年々増額していく感じがありますが、アメリカ型にならないよう国民が見張らなければならないと思いました。フランスのことが紹介されていたときに、あるフランス人が、「こうした医療費無料や子育て支援(出産後のハウスキーパーが週2回無料で利用できる)などが実現するのは、政府が国民を恐れているからなのよ」と語っていました。 民主主義とは何か、というのなら、「政府が国民を恐れる社会」と言えばよいのかもしれない、と思わさせられました。 ところで、この映画の監督のマイケル・ムーアは、カトリック信者で、毎日曜日のミサは欠かしていないとのこと。映画のパンフレットには、彼の信条はそうした信仰と無縁ではないだろう、と語られていました。敬虔なクリスチャンということでは、ブッシュ大統領だってそうだったのでしょうが、愛すべき隣人というときに、どこを向くのかによって、態度は大きく分かれるのでしょう。 さらに、パンフレットでは、デイブ・スペクターのコメントが寄せられていましたが、彼はマイケル・ムーアは眉唾ものと断定していますが、エンターテイメントとして認めています。アメリカの医療や医薬は世界で最高水準である、という面があり、ムーア監督にとって不都合な事実を述べていない、と語っていたのです。しかし、ドキュメンタリ-であっても、どの視点から撮るのか、ということが極めて大事である、ということを理解していない発言だと思いました。どんな報道にも視点があり、多くはそれを客観的であるかのように装いますが、そんな客観性はないのだ、と私は思っています(聖書解釈だって本当はそうなんですよ)。どの視点に立つのか、そのことをかえって明らかにしている点、ムーア監督の撮り方は誠実であると私は思いました。 最高の医療、医薬品がありながら、それを享受できない国民がいる、というアメリカ民主主義の問題点が、この映画が訴えるところであり、それは、日本ではどうだろうか、ということを考えさせるものとなっていると思いました。 【中古DVD】マイケル・ムーア アポなしBOX 初回限定版/ヒューマンアホでマヌケなマイケル・ムーア 華氏911 コレクターズ・エディションマイケル・ムーア傑作問題作「ボウリング・フォー・コロンバイン」よりも以前に、テレビシリーズとして放映されていたドキュメンタリー!その”過激さ”と”大胆さ”で話題をさらったマイケルの世界観!■マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人<全3巻セット>■傑作問題作「ボウリング・フォー・コロンバイン」よりも以前に、テレビシリーズとして放映されていたドキュメンタリー!その”過激さ”と”大胆さ”で話題をさらったマイケルの世界観!■マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人<全3巻セット>■マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人 1/マイケル・ムーア[DVD]
Mar 19, 2009
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夜中、ひっそりと種をまく。花の種。工事現場に、線路端に。ある日、いっせいに花を咲かす。それを誰かが目をとめて、慰められたり、微笑んだり。花ゲリラって映画があるみたい。こちらがそのサイト。種をまくっていうのもいい。それもひそかにっていうところ。そんなふうに、僕も、昔イエスさまが蒔かれた種を蒔きたいものだ。花が咲き、そしてまた実を結ぶために。
Jan 14, 2009
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歌うことは力。そんなことを感じさせる映画が全国を巡っているようです。 ヤング@ハートという映画が、最近、気になっています。アメリカのドキュメント映画ですが、「世界一いかしたロックンロール・コーラス隊」なんてキャッチコピーがついていたりします。なんと平均年齢80歳以上の高齢者によるロックのコーラスグループ「ヤング@ハート」の様子が描かれたもの。ジミヘンからレディオ・ヘッドまでレパートリーがあるというグループで興味深いかぎりです。公式ページはこちら。 塩尻の映画館に3月上映予定なのでぜひ行ってみたい、と思うこのごろなのです。 誰か、見た方がいれば、感想聞かせてください。 ちなみに、Googleの口コミはこちら。
Dec 30, 2008
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娘が幼稚園のときから映画というものの存在を知って、映画を見たいと言い出したことがあった。それは、○映漫画まつりみたいなシリーズだったのだが、そのときは「今は小さいからだめ、大きくなったら見に行こう」と答えていた。そして、自分もたしか父親に連れて行ってもらった頃を思い出して「一年生になったらね」と答えた。 娘はこの春から小学生となり、今日は、土曜日の授業参観日の振り替えで学校は休みだった。ということで、かねてからの希望により映画館に行くことになった。そして、前にも本で読んで聞かせたことがあった「ナルニア国物語」の第二弾「カスピアン王子の角笛」を見に行った。 設定は、まぁまぁ原作通り。やや違うところもあったが、ストーリーとしては良かったと思う。ただ、先頭シーンが多く、それが目が回る感じがして、小さい子どもには刺激が強かったかなぁ、と反省した。 しかし、娘は楽しんだ様子。 よかった、よかった。 ちなみに、わたしが小さい頃見た映画は「チキチキ・バンバン」(1968年)か「クリスマス・キャロル」(1970年)だったと思う。いずれも、小学校に上がる前に行ったのだと思うが、娘には当分内緒だ! (「クリスマス・キャロル」は怖かった、というイメージがある。)
Jun 16, 2008
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今、話題になっているのかなぁ。 その辺はよくわかりませんが、1000円の鑑賞券を知人より売りつけられ(?)たのがきっかけで、、山田洋次監督、吉永小百合主演、淺野忠信らも出演する映画「母べえ」を夫婦で見てきました(子どもが二人とも幼稚園に行っている隙にです)。 午前9時50分開演ということでしたが、半分ぐらいの席が埋まっていました。この映画館でこれだけ人が入っているのにあったのは、久しぶりです(いつも、マイナーな映画しか見ていない...)。 原作は、野上照代という映画スクリプターの『父へのレクイエム』ということですが、治安維持法で捕らえられたドイツ文学者・思想家(?)の父親と、その父の留守に家族を守る母親と、それを支える周囲の人たちを描いていました。 戦争下における社会の様子を描いたものとして関心を持たれるものですが、山田洋次監督の映画の手法に、分かっていてもはまってしまいました。 吉永小百合さんっていったい何歳?とか、子役の女の子たちが賠償美津子や戸田恵子になってしまうのは...とに内心つっこみながら、「山ちゃん」こと山崎徹に扮する淺野忠信さんに、つい感激してしまいました。すごいいい役者ですね。ああ、次は絶対こうなる、って分かっていても、つい笑ってしまったり、泣いてしまったり。40歳すぎると涙腺が弱くなるっていうけど、そんなもんでしょうかね。 古い町並みが結構緻密に再現され、人々の感情が豊かに表現されていて、そして、悲しみ深く考えさせられる良い映画でした。最後の「母べえ」の言葉も印象的でした。 ベルリン音楽祭でも結構評価されたんじゃないでしょうか。 それにしても、あの戦争が正しかったという人は、おそらく、こうしたことがあったことに目を向けても、犯罪者やその家族には何をしてもよい、という考えなのでしょうかね。それとも、そうした出来事そのものがなかったと主張されるのか...。映画『ミリキタニの猫』でも感じましたが、戦争体制に入る社会の中でどれだけの人が苦しむか、そのことを考えさせられると、簡単に戦争の準備ができる社会にしてはならない、戦争をしないで外交努力によって解決しなくてはならない、という思いを強くさせられました。 音楽の点では、冨田勲が担当といいつつ、スペーシーなシンセサウンドではなく淡々とバックを支えるものでなかなかよかったです。特に、父 滋の死の際に流れ、またエンディングでもながれたバッハのオルガン曲"Ich ruf zu dir,Herr Jesu Christ BWV639"を佐藤しのぶのボーカルで演っていたのは、う~ん、なかなか個性的でした。
Feb 15, 2008
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先週のこと。作家の柴田翔が本を紹介していました。『バベットの晩餐会』小説は読んだことがないのですが、映画を見ました。20代前半、就職したての頃で、見終わった後、幸せになれる映画でした。 もうほとんど記憶にないので、また見るか、今度は読みたい、と思うのですが、居候していたバベットが最期に食事を振舞うところ、食べる一人一人が驚きながら、そしてだんだんと喜びに満ちていく様が、印象的でした。 バベットの晩餐会
Feb 10, 2008
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映画館に1000円の入場料で入れる日。前から意識にあった「ミリキタニの猫」を見た。 この映画を私が見るときに場内に何人がいるだろうか。上映15分前に入ると、私のほかに一名。若い女性がいた。その方はちょっと出たり入ったりしていた。その後、他のお客が入る様子はほとんどなし。上映ぎりぎり一人の女性がまた入ってきた。 ということで、今日は70名ぐらい入る会場で3名で見た。ほぼ貸切!やった~(!?) 映画は、というと、自然に涙があふれてしまった。 ジミー・ツトム・ミリキタニは米国生まれの日本人。一旦は日本に住むものの、芸術家を目指して、日本での徴兵を逃れアメリカに行く。 しかし、太平洋戦争の勃発。米国市民でありながら、敵国人として強制収容所に入れられ、市民権を放棄して、その後、職を転々とするが最後は絵を描くホームレスとしてニューヨークに住んでいた。9.11貿易センタービルの崩壊時にも絵を黙々と描き続け咳き込んでいたところを、映画監督に保護された。 独身女性の映画監督のもとに80歳のミリキタニ氏が一緒に住むことになるが、彼は決して動じず、マイペースを貫き、自らの芸術性に誇りを持って絵を描いてる。監督が夜遅く帰ると、「独身女性がこんなに遅くまで...」と小言を言うが、それも彼女を心配してのこと。ミリキタニ氏は猫の絵を多く描いているのだが、そうしたミリキタニ氏自身が「猫」のようであった。居候しながらある意味、偉そう。絵を描くペンや絵筆を当然のように所望している。 監督は彼を高齢者福祉を受けさせようと、過去のことなどを調べ始める。収容所の文書を取り寄せて、その後市民権がなくなっていないことを確認。また、ミリキタニという女性の作家の記事を発見し、彼との血縁関係をつきとめ、さらに生き別れた姉の居場所を突き止める。 ミリキタニ氏と姉との電話のシーンは感動的。また、高齢者福祉の関連で、彼は高齢者に絵を教えることになるところも、うれしい瞬間。 しかし、クライマックスは最期に訪れる。彼のいたツールレーク収容所にツアーを組んでいったシーン。 姉との再会。そして姉の家族との出会いのシーン(お姉さんのほうが若く見えたのは、ミリキタニ氏の苦労のせいだろうか...)。 彼は、自分が受けたすべてを話し、すべてを理解されたと感じる。そして、そこに赦しが訪れる。 誇り高い人間が描かれていると同時に、ホームレスを一人の人間として誠実に扱おうとした映画監督の姿も感じた。 (ドキュメンタリーの編集の技術もあるだろうが、日常生活をずっとカメラを回しているのだろうか。撮られていることを意識していない自然な姿にも不思議な感動を覚えるのだった....)
Feb 1, 2008
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どうやら今年は合唱ブームの予感が... といっても、今年公開の映画が合唱関連のものが二つもある、というだけ(-いや、それは大きいことですよね)ですが...。 ひとつは、『歓喜の歌』という映画と、もうひとつは『うた魂』という映画です。 ということで、合唱関係の映画も世の中にはたくさんあるわけで、このたび、一昨年日本で公開された『合唱ができるまで』というドキュメンタリー映画を購入・観賞しました(楽天でDVDが26%OFFということもありましたが)。 映画は、教会を会場にミサ曲を歌おうとする大人から子どもまで総勢100名近い合唱団の練習風景を撮ったものです。体を動かしたり、手で糸を引っ張るようなしぐさ(本当はチーズフォンデュを巻くようなイメージなのですが)をしての発声は、大変興味深かったです。今、わたしが入っている合唱団も面白いですけど。 そして、こうした映画を、かしこまって映画館などで見たら、きっと欲求不満になってしまうだろうな、と感じさせられました。というのも、とても歌いたくなってしまうからです。映画の中の指揮者の支持にあわせて、自分も声を出してみたくなり、否、実際に歌いながら見てしまったからです。 おまけの映像は、映画公開時に来日した指揮者へのインタビューでしたが、映画を見ての感想の中には、合唱未経験者が歌いたくなった、というものがあったとのこと。 歌を歌っている人も歌っていない人も見て欲しい映画でした。 合唱ができるまで なお、合唱ドキュメンタリーということでは、『歌え!フィッシャーマン』も見たいんですけどね、まだ見ていません。そのへんは、また後日...。
Jan 7, 2008
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気になる映画があります。 東京の方では既に上映されていますが、長野では1月の後半からの上映です。 「ミリキタニの猫」という映画です。 詳しくはこちら。 前に新聞でも映画評を見たり、ミリキタニさんの来日について読んだような気がしましたが、内容や上映館を調べることもしていませんでした。 このミリキタニさんという方。世界貿易センタービルが崩壊するときも路上で絵を描いていたとのこと。カルフォニア生まれの日系人で当時80歳。第二次大戦中、アメリカの敵国人政策で強制収容所に収容され、その怒りを忘れず、アメリカ国籍を返上し、国を信用しない反骨の人。その方のドキュメンタリー映画。 監督がその路上画家を家に招いて共同生活をしながら撮ったとのこと。 見てみたい、と思って、ここにメモしておきます。 ネット上を見たら、いろんな方が感想を書いていて、そういうのも映画に期待させるものがあります。
Jan 4, 2008
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最近の映画、何をやってるんだろうって探していたら、心惹かれるものがありました。「胡同(フートン)の理髪師」って映画です。岩波ホールで来年の2月公開とのことですが、いい感じです。気持ちいい風を受けたいです。公式ページはこちら。
Dec 14, 2007
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「めがね」見ちゃいました。 小林聡美ともたいまさこが、「かもめ食堂」の監督 荻上直子さんの下で撮った映画です。 先日、ラジオを聴いていたら、あるパーソナリティーが渋谷で見てきましたって言っていて、途中寝てしまうぐらいゆったりとした感じでよかったです、と述べていました。 「かもめ食堂」の世界が好きだったので、「めがね」って見たいね、と連れ合いと話していたのですが、今日、牧師会のため街中の映画館の前を通り過ぎるとき、「今日は、映画の日だ」と気付きました。そこで、上映されている映画をチェックしてみると、ありました。「めがね」が。でも、一日二回しか上映していないですし、午前中に一回と、午後に一回でした。午後4時25分からというので、牧師会のあと、連れ合いに、「ねぇ、映画が見たいんだけど出かけていい?」と聞くと、OKでしたので、見に行ってきました。 良かったです。「たそがれる」というのがキーワードですね。タエコさんが「たそがれるって」「夕陽を見ていると黄昏るって感じですかね」というと「それって単純」と一蹴されてしまう。何かをしなくては、と思う私ですが、南の島、それも真夏ではなく春の海でしたが、まったりとして何もせずにすごす時間にあこがれました。そして、メルシー体操とカキ氷。もたいまさこ演じるサクラさんの姿が不思議でとても魅力的でした。涼しくなったのに、あずきのカキ氷が、食べたくなりました。さらに、ヨモギ君が、去る前に口ずさむドイツ語の詩。意味は、結局分からず。Freiheit bedeutenとか、Ich bin hierというのや、ところどころの単語は聞き取る程度でしたが...でも、たぶん、エンディングの大貫妙子さんの歌を聞いてたら、それのドイツ語訳かな、なんて思ってしまいました。登場人物は皆、どんな人間で何をしているかなんて詳しくはわからないのですが、それでも目の前の人をそのまま見ていて、いらない詮索は必要ないなということも感じました。映画のパンフレットもちょっとしゃれていて、そしてハードなつくりで感激します。
Oct 1, 2007
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最近の映画の紹介で、みたいなぁって思ってる映画があります。「しゃべれども、しゃべれども」です。 TOKIOの国分太一扮する落語家が主役で、それは別にどうでもいいかもしれませんが、テーマに興味があります。伝えたいこと、表現したいことがなかなか伝わらず、なんとかしたいって思うことが多いこのごろ。職業柄、話さざるを得ないことが多いですが、実は、人前で話をするってホント苦手です。牧師になる前にいた教会の牧師さんの話は飽きずまた深いものがあり、そういうのは自分にはマネできないと思いつつ、やっぱり憧れではあります。ただ、聖書でもそうですが、ほんと口下手な人間がよく用いられていますから、そうしたところでちょっと励まされるものです。 それにしても話をするって難しいですね。短く話をしなければならないときに、長い話をされたり、最近もとある集まりで、ある方の自己紹介でそんなことがありました。誰も聞いていないのに、って言う雰囲気が話している本人にだけ伝わってないって感じでした(私の周りの人は、ほとんど早く終わらないかなぁなんて顔で下を向いたりして耐えてる感じでした)。(自分もそんなときがあるような気がして最近、ちょっと怖いです...) 昔よく説教者は落語を聞きなさい、と言われたもんです。最近といってもちょっと前ですが、「タイガー&ドラゴン」には結構はまってたことも思い出しました。
Jun 14, 2007
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選挙のドキュメンタリー映画が6月に公開されるようです。 その名も、映画『選挙』 公式ホームページはこちら。 川崎市の市議補欠選にひょんなことで立候補することとなった「山さん」こと山内和彦さんの選挙の舞台裏を撮影したものです。ありのままの選挙の実態が描かれているとのことで、関心を持ちました。予告編を見たら、結構、笑えます。これがドキュメンタリーというのも驚きです。 長野では、7月公開とのこと。以下、映画公式ページより切手コイン商・山さん、40歳の挑戦主人公の山さんは、気象大学校、信州大を中退して東大に入り、卒業後は切手コイン商を営むという一風変わった経歴の持ち主。自由奔放な性格で、鉄道と旅と猫が大好き。座右の銘は「明日は明日の風が吹く」「他力本願」「たいていの無理は何とかなる」「根拠はないけど大丈夫」。子供の頃からの趣味だった切手・コイン収集を生業とし、暇を見つけては世界中を鉄道旅行。各地の切手や貨幣を買い集めるという気ままな人生を送っていた。そんな山さんに転機が訪れたのは、2005年の夏。自民党から突然、「川崎市議会選挙の候補者公募に応募しないか」との誘いを受けたのだ。その場で決断を迫られた山さんは、「じゃあ応募します」と思わず返事。山さんは、小泉首相の大ファンだったのだ。その後の選考過程を無事通過した山さんは、ほとんど成り行きで、自民党の公認候補として市議会に立候補することになってしまった。ところが、多額の選挙費用はほとんどが自腹。山さんにとって、負ければ借金だけが残る大バクチだった。しかも自民党は、日本型組織の代名詞のような政党。スーツを一着も持っていなかった自由人の山さんは、伝統としきたりと上下関係を重んじる党の関係者から、「何をやっても怒られ、何をやらなくても怒られ」てばかり。『選挙』は、不惑を迎えた山さんの、一世一代の奮闘記でもあるのだ。ベルリン映画祭で話題沸騰、世界に『選挙』旋風が吹き荒れる!『選挙』には、ナレーションや音楽、説明が一切無い。監督・製作・撮影・録音・編集を手がけた想田和弘は、ニューヨーク在住の気鋭の映画作家だ。想田監督は、「ドキュメンタリーには作者のメッセージが必要」という固定概念に真っ向から挑戦し、敢えてメッセージ性を封印。映画を観た観客が自由に観察し、感じ、考え、解釈できる「観察映画」を実現した。想田監督にとって初の長編ドキュメンタリーである本作は、今年のベルリン映画祭に正式招待された。ベルリンでは、世界の批評家から「一大センセーション」「天才的で凄まじい筆致」「最良のダイレクト・シネマ」「恐ろしくも楽しめる、稀にみる宝」などと大絶賛され、ドキュメンタリー映画の世界的巨匠・フレデリック・ワイズマンとしばしば比較された。また、映画祭に出席した山さんは、上映後観客から拍手喝采とスタンディングオベーションで迎えられ、「可愛い」「どんなにいじめられても決して腐らないのは、聖人並みの精神力」「痛々しいほど純粋」などと称賛された。ベルリンで世界に衝撃を与えた本作は、各国映画祭からの招待が殺到。BBC、ARTE、ZDF、TV2、CBC、アルジャジーラなど世界26か国で短縮版が放送されることも決定した。今、世界中に『選挙』旋風が吹き荒れる!
May 30, 2007
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以前、森の朝ごはん(ドキュメンタリー映画監督の森達也さんのインタビュー番組)で、「誰も知らない」の是枝裕和監督へのインタビューを聞きました。それは、丁度「花よりもなほ」という映画が公開されたときにあわせて行われたもので、その映画の趣旨を語っていました。映画は、時代劇でありながら、ちゃんばらはしない、というものでした。そして、赤穂浪士の討ち入りを対比させて、生きることについて語ったものだということでした。折りしも、時代劇では庶民的な下級武士を描く藤沢周平の小説が映画化されている頃ですが、視点は庶民にありながら、絶対的に異なるのが、剣を抜かないというところに興味を覚えていたのです。 そして、その番組を聴いたあと、連れ合いに、「花よりもなほって映画、みたいね」というと、「わたしも見たい、って言ってたの覚えてる?」というではありませんか。「そうだっけ?」「ほら、メゾン・ド・ヒミコも見たいって言ってたときあったでしょ?」と言うので、「ああ、そうだった」と思い出しました。 レンタルで探していたのですが「メゾン・ド・ヒミコ」はあったのですが(といってもまだ見ていない。)、「花よりもなほ」は見つかりませんでした。 ということで、彼女の誕生日に合わせて購入いたしました。 そして、昨晩、ようやく見ることができました。 随所に笑いあり、映画として楽しめ、そして、深いメッセージがありました。 是枝裕和監督の言葉にもありましたが、「逃げることが大切」「人を殺して戦うことにどれだけの意味があるか」というメッセージがありました。また、子どもがいじめられるところで、その子どもが、先手をとって自ら泥の中に身を投げる場面がありました。それをいじめっ子はあきれて、立ち去っていきます。そこで、思い出したのが、先日読んだ「イエスと非暴力」というものでした。非暴力抵抗は相手の意外性をつく抵抗運動であり、知的で楽しいものだ、ということです。多くの方と分かち合いたい映画だと感じました。 それにしても、出演者は豪華な面々。どんなチョイ役も名の知れた、あるいはどこかで必ず見た役者が勢ぞろい。すごいなぁ、と思いました。岡田君なかなかいい感じです(「たそがれ清兵衛」の真田を思い出すアングル、雰囲気がありました)。「誰も知らない」では、本当YOU以外、誰も知らなかった...。
May 9, 2007
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待ちに待った映画「日本の青空」を見ました。憲法成立に関わる過程で鈴木安蔵や高野岩三郎といった人たちが作った「憲法研究会」の草案がGHQの日本国憲法草案に多大な影響を与えた、ということをドラマティックに描いているということでしたが、まず映画として楽しめるかどうか、という点も興味深かったです。 ストーリーの展開は、とても面白いものがありました。端的にいうと、雑誌の特集で「日本国憲法」を扱うという設定で、ベアテ・シロタ・ゴードンか、白洲次郎か、といった話題が挙がる中で、編集長が「もっと違う観点はないのか」というところから、田丸麻紀扮する派遣のヒロインにも課題が出されます。彼女は正社員になるチャンスとばかり一所懸命課題に取り組み、その中で鈴木安蔵らの憲法研究会の存在を知ります。鈴木の日記を家族に借りて流れをつかみ、さらにGHQや戦後の様々な資料を当たって、憲法研究会草案のGHQ草案への影響を確定していくあたりが描かれていました。 鈴木安蔵は、治安維持法の検挙者第1号であり、そのとき京大での学生であったため退学を余儀なくされました。獄中で書を読み漁り、経済学専門から憲法学へと専門を変えていきます。自由民権運動の流れを汲んだ何冊もの書は、アメリカの図書館においても置かれるようになっていたのですが、日本ではほとんど無名の憲法研究家でした。その鈴木安蔵のもとに、ハーバート・ノーマン(長野に宣教したカナダ人ダニエル・ノルマンの息子)が訪ねてきて憲法草案を作るように言ったり(こんなセリフないだろう、なんて感じで笑えましたが...)、沖縄戦を体験した米軍兵士が天皇制反対を訴えにくるといったシーンもありました。 そして、現在も争点となっている憲法九条や平和主義について、鈴木安蔵らの草案は条項を持っていなかったのですが、そのところも描かれていました。それは、書ききれないものとして空白にした、軍隊について規定しないことが平和への思いだったということです。そもそも憲法研究会は、大日本帝国憲法の改正ということで草案を作り、大日本帝国憲法の条項の並びで憲法を作っていきました。しかし、軍隊について条項を設けるとき、国民主体の軍隊で戦争はなくなるだろうか、という議論の中で、軍隊を持たないというところまでは書けなかったようです。しかし、妻との会話の中では、女は自分の生んだ子どもを進んで戦争になんか送りたくないという思いと、女が世の中に関われば戦争は無くなる、という思いが表れてきました。男女平等という思想が戦争反対という思想と結びついているのだ、と描かれており、新しい発見もありました。 そして、軍隊の条項を書かなかったということは、鈴木安蔵の妻俊子が見た敗戦直後の青空が、キーワードになっていて、映画の「日本の青空」の意味を教えられ、なるほど、そういう意図だったのか、と分かりました。そういう点で、ストーリーの展開はよく練られていると感じさせられ、映画としても楽しめるものでした。 また、頑固に大日本帝国の国体護持を主張する松本烝治の姿は、ある意味、現在の安倍政権のように見苦しく情けなく描かれていました。 また、鈴木安蔵とその妻俊子の関わりにおいて、夫に対して言いたいことが言えなかった彼女が、その自分をさらけ出すところに、憲法成立を描くということを越えて、人間のリアルな存在がありました。 今後も、ロードショーでの上映はないかもしれませんが、全国各地で多くの人に見ていただきたいと感じさせられました。当時の民主憲法を待ち望む人々、戦争はもうしたくない、という人々の思いに、熱くさせられました。さらに、俊子の姿と言葉に涙腺が弱くなってしまった自分を感じさせらてしまいました。 今日は、午後から、1月に天に召された兄弟の納骨式があり、バタバタしましたが、納骨式の後、わたしの連れ合いにも映画を勧め、見に行ってもらいました。ただ、雑誌月刊アトラスの編集長は...う~ん...。大げさなわざとらしい演技で、あれだけが...。
Apr 30, 2007
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鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディー」を見に行きました。上映時間が午後と夜にあったので、昼間はわたしが子どもを見ることにして、夫婦で交代で見に行きました。 連れ合いが午後4時半ごろ帰ってきて、「いい映画だった。もっと多くの人に見てもらいたい映画だね」と言っていたので、期待して行きました。 率直な感想は、すごい映画だ、ということです。そして、危機感を持たされた映画でした。できるだけ多くの人に見ていただきたいというのもそうですが、国の原子力政策の欺瞞が現れている面があり、今からでも遅くはない、六ヶ所村の核燃再処理工場の運転をストップさせなければならないということが分かりました。 映画の中で、東大の班目春樹教授がインタビューに答えて次のように言っていました。 「原発や核燃サイクル工場が安全なんてのは嘘ですよ。でも、安心は与えることはできます。人間がすることですから完全に安全なんてありえないです。でも、これまでも事故はありましたが、なんとか来ています。普通に考えれば不安だから、建設はできないでしょうが、金の力でなんとかできるんですね。普通の買収でできなければ、二倍、五倍と出して土地を買えるんですから。実際、土地買収で20億ぐらい使っているようですが、原子力事業にとってそのへんは、はした金みたいですね。相当儲かるんでしょうね」などと笑いながら応えているのです。(うちの連れ合いは、悪徳代官みたいだ、と言ってましたが...) ああ、結局、エネルギー政策だとか、環境問題(CO2排出規制)とかいっても、お金によって動かされているんだ、というのが透けて見えてしまっただけに、そのインタビューの答えに憤りを感じさせられました。 そして、核燃サイクル工場は、海と大気に放射能を垂れ流してしまうようになっています。原子力政策推進側は、それは大気と海で拡散し濃度は薄められる程度である、と発表しているらしいですが、実際に、イギリスではプルトニウムは近海にたまって行くし、海水浴場だったところが汚染されてしまった例があるとのことでした。また、大気放出も、六ヶ所村というところは冬は雪が降ります。雪や霧、雨といったときには、ほとんど拡散されず近くの地域に降り注いでしまいます。こうしたことにたいして、地元は地域開発、経済的に豊かな地元を子どもたちに残そうということで動いているようですが、一方で、農業や漁業に関わる人たちは、自然の美しさを残さずにどうして子どもたちのために、と言えるのか、という気持ちであろうと思います。そして、再処理工場に反対してチューリップ畑などで地場産業を起こそうとしている人のことも映し出されていました。 映画のあとに、監督の挨拶もあったのですが、その中で、昨年テスト運転した際に、放出された放射能は、当初原発の300倍という話が、実は1000倍となっていたとのことであり(これは青森県の情報公開のデータとのこと)、本格的運転となれば2000倍となる恐れがあるとのことでした。核燃サイクル工場で生み出されるプルトニウムは、猛毒であること、この工場を動かしたらずっとプルトニウムは減らないこと、原発の使用済み燃料を使うので、原発からの放射能プラス他のものが出る可能性があることも言われていました。また、六ヶ所村には工場建設時に縄文文化の大規模な遺跡が見つかったとのことでしたが、調査が入ることができなかったとのことでした。三内丸山遺跡のようになれば、それはまた観光資源となり地元を豊かにするひとつの方向だったかもしれない、と思うと、きれいごとではない力で動かされ、だまされてしまっている現状があるのだ、としか思えない感じがしました。 このことに対して、映画の中で、苫米地さんというお米農家の方の発言が印象的でした。彼女はこれまで中立でいたい、と思っていたとのことでしたが、このことに関して中立であることは、反対しないことであり、結果的に再処理工場推進派を支えてしまうことだと気づかされた。もう中立であることはできない、と述べていました。 そして、エネルギー問題に関しては、少しでも電力の無駄遣いを止めることであり、効率よく発電し、効率よく消費することのほうがより具体的で持続可能な世界に向かうと思われますが、原子力政策は動き出すとなかなか停められないのが大きな問題ではないか、と感じさせられました。映画のページはこちら。その他の関連ページはこちらです。
Mar 24, 2007
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長野のグランドシネマという大きな映画館では、今、ミニシアター系が4作ほど一週間おきで上映されています。どれも興味深いものですが、「グアンタナモ、僕達が見た真実」という映画が見たいものの一つでした。木曜日はメンズデーということで料金が1000円になるのにあわせて、昨日、教会の祈祷会が終わった後、雪も降る中、映画を見に行ってきました。9時20分からの上映で、時間の10分前にならないと場内に入れないので、しばらく、暖かいものを飲んでぶらぶらしていました。アナウンスがあり、場内に入る人は、わずか5人、ほとんど貸しきり状態で見ましたが、いろいろと考えさせられる映画で、本当はもっと大勢の人が見たらいいのに、という思いを持ちました。 グアンタナモ収容所は、アメリカの捕虜収容所で、キューバから借りている土地に設営しているため、アメリカの国内法やキューバの法の下に置かれず、アメリカ軍法だけが適用されるということで、問題になっている収容所です。この映画は、実際にアフガニスタンでテロリストとして2年半にわたって拘束され、拷問を受けてきたパキスタン系イギリス人の青年たちの経験が元になっています。友人の結婚式で、パキスタンに向かい、結婚式前の数日を友人たちで過ごしているのですが、隣国アフガニスタンへの援助ということでアフガン入りします。そのときは、大規模な戦闘に巻き込まれることなど考えもしなかったのですが、しかし、戦闘に巻き込まれ、タリバーン勢力と一緒に北部同盟につかまり、米軍に身柄を拘束されたのです。 何度も、さまざまな拷問や辱めを受ける中で、「アルカイダである」「ビン・ラディンやテロ行為と関わっていた」という自白を強要され、しかし、最後は、無実が証明されたのですが、その間、彼らが命を落したり発狂しても仕方ないような状況だったことを思うと、恐ろしさに震えました。ブッシュ大統領の実際のコメントや実際のニュースの映像なども交えて描かれる映像は興味深く見ることができましたし、実在の彼らのコメントも混ぜられていました。非常に過酷な体験をしたにもかかわらず、生き延びた彼らが、積極的に前を向こうとする姿にも感銘を受けました。ある青年は、前よりも宗教的に熱心になったことを述べたり、世の中に対しての見方が随分変えられたことを語ると同時に、後ろを振り返らないことを語っていたのです。 現在なおも、この収容所には500名以上のテロリスト容疑者が収容されているということですが、この映画ではたまたまイギリス人でありテロリストではない証拠が確定できることがなんとかあったから、2年半という長い時間を経て帰ることができたと思うのですが、まだまだ理不尽な拘束を受けている人たちがいることが考えられます。 次々に、明らかにされる捕虜に対する人権侵害にもかかわらず、ブッシュ大統領は、「彼らは人殺しであり、テロリストであり、我々とは価値観が違う」ということで、自らを正当化しているようです。恐怖のタネを撒き散らしているのは、米軍も同様であることを直視して欲しいものです(少なくとも聖書を真摯に謙虚さをもって読もうとするのであるのならなおさらです。) 世界警察気取りで戦争をする国、テロリストと武力で戦う国とは、こういう国であることを考えると、そうした国に同盟的関係を結び、国益にかなう、などと言うのは、滅びに向かう大きな一歩ではないか、と思わせられました。
Feb 16, 2007
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もともとは酒見賢一氏の小説で、漫画にもなって人気だった「墨攻」が、とうとう中国で映画化されたようですね(正確には日中韓合作)。映画のサイトはこちら。 高校の倫理社会で(実は、授業はとてもつまらなく、授業中は内職していたのですが、受験科目だったので勉強しました)、中国の思想家で、キリストの愛の思想に近い思想家ということで墨子が取り上げられていました(墨子のほうが古いから、キリストが墨子に近い、というほうが普通の表現でしょうが) 。酒見氏は、その見方を大胆に変えるものとしてとりあげ小説化したのですが、とうとう海外の方の目にも止まったのですね。長野でも公開予定があるようなので、ちょっと楽しみにしています。
Feb 3, 2007
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「日本の青空」という映画が作られている。 映画のホームページはこちらから 日本国憲法に関する映画なのだが、今、安倍首相は「現日本国憲法はアメリカの押し付けだ」といった論を展開し、改憲への意志を強くしているが、それに真っ向から対抗する主張をする映画である。戦後すぐの日本で、新しい憲法を!という機運が、政府筋よりも、民衆よりの知識人たちにわきおこった。そして多くの憲法草案があったようであるが、中でも、憲法学者、鈴木安蔵をはじめとするグループが作成した憲法草案がGHQにも注目され英訳され、日本国憲法の素案になったという説がある。その案は、国民主権、男女平等、象徴天皇制などを盛り込んでおり現憲法にかなり近く、GHQが求めていた民主憲法に近いものであったようである。彼らのグループにおいて、象徴天皇制については、議論があり、本来は、天皇制を廃止し共和制を実現することが理想だが、今はそのときではないとして、天皇制を定めたらしい。そして、その案の最後には、憲法施行10年後には、国民投票によって改正することという一文も盛り込まれている。その趣旨は、10年もたてば、天皇制は必要なくなるという声が起こるだろう、という鈴木氏の展望があったのだが、その後数年を経て、それが甘い見通しであったということである。 現憲法が押し付けかどうか、現状にあわない、という論理だけで改正されてはならない、と私は考えているが、多くの人に見ていただきたい映画としてここに紹介した。実は、私もまだ見ていないのだが、長野では4月30日に若里市民文化センター(だったかな?)にて上映される予定であるが、その他の場所でも多数上映されることを希望している。 そして、一方の政府筋の流れでは、「押し付け憲法」であることなどを強調した憲法の映画ができるらしい。監督は「プライド」を撮った伊藤俊也監督ということだが(プライドについては、こちらをご参照のこと)、20~30億といった制作費で、うち20億は、とある企業からの寄付があったらしい。こちらは、全国ロードショーなどで話題をさらい多くの人が見ることになると思うが、金と力に任せた映画に、草の根の流れが立ち消えないことを祈りつつ上映会の成功を祈りたい。 関連して、ベアテ・シロタ・ゴードンのこちらの書などもお勧めです。映画もありましたがね...。
Feb 2, 2007
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長野の同僚の牧師がSchool Of Rockを見たいといっていて、70年代ロックのテイストがあふれるものとして、私も関心はあったので、今度一緒に見よう、ということになりました。で、一応、昨日レンタル屋さんで借りて一応チェックしました。 笑えるという点では面白かったのですが、ありえない設定と主人公の妄想癖にあきれるしかないもので、またロックの本質というところで「大物(The Man)への反抗」というのは、一面的過ぎるという感じでした。もっとも、小学生の生徒一人一人にCDを宿題として手渡すシーンには、ついつい「知ってる、知ってる、持ってる、持ってる」と頷いてしまいましたし、ついついZepやYesなども聞きたくなるのでした。それから、この映画に出演した子どもたちで将来ミュージシャンになる子もいるかしら、と思わせられましたし、誰かと一緒に見るのも、音楽談義のネタには良いものではないか、と思いました(I牧師、一緒に見ましょうね)。 今日は、上原ひろみの"Spiral"を聞きながら、JazzのカテゴリーながらこっちのほうがRockしてる、なんて思ってしまいました。彼女の新作タイムコントロールも今年の春に出るようですね。
Jan 10, 2007
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最近、三谷幸喜のややファンになりつつあります。 彼が舞台の脚本をした「笑の大学」の映画も面白かったし、一昨年のNHK大河ドラマ「新撰組!」も結構楽しんでました。新聞のコラムも連れ合いとチェックしながら読んでますし、年末テレビで放映された「有頂天ホテル」も見てました。(古畑はところどころ面白いですが、当たり外れがあり、今ひとつなのですが...) そういう中で、昨年DVDで見て印象に残った映画を紹介します。 タイトルは『12人の優しい日本人』です。 元ネタはいわずと知れた『12人の怒れる男』であるが、日本に陪審員制度が出来たという仮定のもとに描かれたもので、舞台から映画になり、また今も舞台で好評を博しているようです。最初は、三谷作品の延長ということで、たわいのないギャグに期待してみたのですが、なかなか興味深く考えさせられるものでもありました。 というのは、陪審員の議論がなかなか興味深かったのです。 テーマとなった裁判は、ある殺人事件として告発されたもので、最初は、ほぼ全員が被告の女性の無罪に賛成していました。ただ一人、相島一之扮する男性だけが、彼女の有罪を主張し論を展開していきます。 大勢が、被告を無罪とした理由は「被告がそんな悪い人に見えない」という理由でした。それを相島一之扮する男性が、そんな理由で無罪になるのはおかしい、合理的に考えましょう、と議論することを勧めます。そして、被告が、トラックにはねられたもと夫を、人気のない国道に誘い出したのではないか、被告がその元夫をトラックに向かって突き飛ばしたのは故意であるはず、といった議論などを展開し、次第に賛同者を集めていきます。陪審員の中には、仕事の用があり一刻もはやく審議を終えたいという人や、難しい議論はわからない、という人がいますが、そうした人々が次第に巻き込まれていきます。そうして、今度はほぼ全員が、被告の有罪に賛同するとき、おとなしそうな人間、あまり強い意見を持たない人間がつぶやくように「いやぁ、私には彼女が有罪なんて思えない」と言うのです。 今度は、それを受けて、どうしてそう思うのか、皆で考えてみよう、ということを豊悦扮する男性が中心となり議論を先導します。そして、再度、大多数が今度は合理的な判断によって被告の無罪を主張するようになり、相島だけが孤立します。そこで、最後、相島のこだわる理由に非合理的な理屈があることが明らかになるのです。 結果的には、無罪から有罪そして再びもとの無罪になっただけかもしれませんが、この議論において、合理的な考えを勧める人における非合理なこだわりが明らかになっていく過程、そして、弱い立場の人のつぶやきによって新しい見方が与えられていく点に、とても面白さを覚えたのです。また、そのつぶやきを支えるようにして、思いを言葉化し論理付けていく人(豊悦)がいるという点も面白かったです。 私自身、教会の中で、なかなか議論が進まない、平行線をたどってしまうという経験をしています。特に、会堂建築のことに関してそのことが停滞している状況があります。議論をする際に、平行線になったとしても、なぜ、あの人はこう考えるのか、相手の立場に立つ訓練が求められているのかもしれません。議論することが下手だと言われる日本人ですが、ただ相手を論破し自分の正しさを主張するだけでなく気持ちに寄り添った議論をどうしたらよいのか、問われているところで、この映画は、いろいろな示唆を与えてくれるもののように思えたのです。 なお、この映画では陪審員の審議室という密室が舞台でしたが、三谷幸喜さんの脚本が案となっている映画では、「笑の大学」も取調室という密室が舞台でした。こちらも、言論の自由が封じられるとき、いかにユーモアをもって切り抜けていくか、というテーマが明らかにされており、感動しました。
Jan 3, 2007
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先週、金・土と、教会関係で青年の交流会を企画した。自称青年も集まろう、ということで呼びかけていたが、予定されていた参加者は0。しかし、会場を紹介してくれた教会に縁のある比較的若いご夫婦たち3組が集まり、交わりを持つことができた。珍しくノン・アルコール(?)でも語り合い、軽井沢の秋を堪能させていただいた。ホント紅葉がきれいだった。 分区で最も若いM・I牧師も交えて話をしながら、映画会をしたい、という話で盛り上がった。劇場で見逃したもの、前に見てもう一度見たい映画など、プロジェクターを使って有志で見ようよ、という話になった。プロジェクターも余っているのがあるらしい、という話にもなった。大学生の頃「お楽しみはこれからだ」などと称して、ビデオを見る会を友人が企画していたことがあったが、独りでDVDを借りて見る、というだけでなく、共に見て分かち合うことができたらいいな、という思いがしている。最近、連れ合いと話をしているところでは、「カモメ食堂」「メゾン・ド・ヒミコ」などが挙がっているが、他に個人的にもう一度見たい映画としては「モントリオールのジーザス」というのが見たいのだが、こちらは残念ながら日本語字幕版が出ていないようなのだ。20年くらい前、当時通っていた教会青年の間では結構話題になったものだが、一般的には知られていないようだ。それから「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」もよかったな。「誰も知らない」も見たかった映画。今、公開中の「デスノート」も、先日、前編を見て、興味が惹かれた。古いところでは「道」「奇跡の丘」「怒りの葡萄」などもみんなで見てみたいな、と思わせられている。 いろいろリストアップして見たら、大変なことになりそうだ...。 それから、今回宿泊したところは、有名な「あさま山荘」のそばだった。ちょっと見学してきたが、下の方は修理されていたようだったが、上の方には銃弾の跡がある感じがした。 また、紅葉も見事だった。これは碓氷峠のほうだった。こちらのほうで食べた餅もおいしかった。
Nov 6, 2006
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思えば、長野に来る前、新宿紀伊国屋で人と待ち合わせているときに、本当は4巻で終わりだったはずのゲド戦記の最後の刊(アースシーの風)が出ているのをその場で購入して、再びゲド戦記熱が甦った状態。これまで持っていなかった2巻、3巻、4巻、外伝を購入したところ映画化の話が出ると、ちょっとしたマイブームが、公になった感じで嬉しさ半分だったのだ。 そして、今日は6月に新しくできたグランドシネマズに行ってきた。木曜日はメンズデイで1000円というのが魅力だった。 さて、映画の方は、なんといって良いのか、単純に良い悪いを言えない難しさがあった。 生きるということについての、それなりのメッセージ性を持っているが、これはもはやゲド戦記ではないような感じがした。死の恐れからの解放、善悪や光と闇の二元論に立たない包括的な現実の捉え方は、ル・グインが提示したものが生かされているかもしれないが、これは宮崎吾郎によるゲド戦記登場人物による別の物語とでもいうべきものかもしれない。一巻の「影との戦い」の若きゲドがアレンにかぶさっている感じがしたし、アレンの父親殺しは、思春期の人間の親に対しての怒りや親を乗り越えようとする力を示しているのかもしれない。ストーリーは第三巻と第四巻を足してみたものの、第四巻を足した意味が感じられなかった。登場人物は原作の過去を背負っているものの微妙に設定が異なり、その意味は?と問わずにはいられない。例えば、原作において登場するクモは男性だがそれが映画では女性の設定となっているし、アレンとテルーやテナーとの出会いは何を意味するのか(3巻はほとんど男性中心の物語であるが、これに女性を重要な位置で登場させたかったのだろうか。それによってフェミニズム的なル・グインの思想を表そうとしたのだろうか)...などなど。したがって、原作ではどうなっているのだろう、といった考えは捨てなくてはならない。かといって、作品そのものが原作を離れて楽しめるものになっているか、というとよく分からない。原作を知るものとしては、テハヌ(テルー)が竜であることを知っているし、この世の均衡が崩れたところは、クモが関わっているのだが、それは、最果ての島の黄泉との境界が破れていることを知っているし、原作との対比で見てしまったからだ。 映画を見終わってから、改めて第三巻を斜め読みしてみた。そこには、永遠の命を得ようとして、自分自身であることを売り渡してしまったクモを見ることができる。自分を失った空虚なところをあらゆるもので埋め尽くそうとするが埋めようがないでもがいている姿もあった。映画のクモにもそうした姿を感じさせてほしかった。 それから、テルーの声優は新人ということもあってか、物足りなさを感じさせられた。 以上のようにいろいろと不満はあるのだが、見て損したか、と問われれば、否と答えるだろう。映画を見て、原作を読んだ気にさせない、というとこともあるし、原作の印象深い言葉もちりばめられていて、考えさせられる点もあったからだ。
Aug 3, 2006
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長野の佐久出身で女性の地位向上のために尽力した丸岡秀子さんについて描いたドキュメンタリー映画「ひとすじの道」を見ました。木曜日の昼間でしたが、500席ある会場のほとんどが埋まっていました。平塚らいちょうや、市川房枝さんとも親交があった方で、著書「ひとすじの道」(ひとすじの道(第1部)、ひとすじの道(第2部)、ひとすじの道(第3部))で知られていた方です。 乳児期に母をなくし、祖父母に育てられ、成長した後、実家に引き取られるものの、冷たい処遇を受けたということ、「女に学問は必要ない」という言葉を投げかけられたり、農家の娘たちが身売りされて行く様を見て育つ中、中込小学校(長野県で最も古い洋館、旧中込小学校として重要文化財に指定)に通い、その後、長野高等女学校(現長野西高)に通ったことが、大きく人生を変えたようでした。中込小学校の卒業時の先生が、小学校の太鼓楼の中込中心の世界地図を見せて、「この中込が世界と繋がっているんだ。この中込から世界が見えるのだ」と言ったことで、学問の大切さを心に刻んだようですし、長野高等女学校では、校長の「女性も仕事につくべきだ」という言葉に感銘を受けたようでした。ところが、奈良の女子師範学校にも進むのですが、そこは良妻賢母型の教育で、その中でなんとか卒業し教師となっていきますが、女性の権利に理解のある男性と結婚し、農村問題にも関わっていくのですが、戦中は特高に追われ北京にわたりました。そして、戦後、女性を中心とする民主主義、平和運動を進めてきた姿に触れることができました。 彼女の言葉で、「民主主義とは異をとなえること」というものがあるそうですが、これは、少数者、弱いものの意見がいかに尊重されるかが、民主主義なのだ、という意味で述べているとのこと。私が、小学校の頃の先生が「民主主義とは大勢の人の意見が反映されることにある。多数決は民主主義の原理」と言っていたのを思い出すと、それとは随分違うな、と感じました。多数決の原理が、「みんなが思うからひとりだけが主張してもしょうがない」と思う世の中にしてしまっているかもしれません。
Jun 29, 2006
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友人から、メールをいただき、映画「蟻の兵隊」を紹介されました。東京の一般公開が7月とのことですが、なかなかいい映画のようです。 特に、5月27日に東京でこの映画の試写会があるとのこと。この映画に興味を持ってくださって、宣伝して下さいそうな方」を集めての試写会があるそうです。 どなたか、東京近辺にお住まいで、この映画に興味を持ってくださいそうな方がいらっしゃいましたらお願いします。また、「前売り券を1万枚売って、上映期間を8月15日まで延ばそう!」とこの映画を観て感動した面々が動き回っているのですが、まだまだ遠く及ばない状況ということです。この映画は、戦争の悲惨さを描いたものではありますが、同時に、人間への信頼を呼び覚まさせてくれる映画ということで、わたしにメールを下さった方は、「どうしても一人でも多くの人に観ていただきたくて、足掻いています… 」とコメントをされています。監督の池谷薫氏からのメールも転送されていましたので、以下に内容を紹介させていただきます。長野でも上映することができたら、と思わせらる映画です。・・・以下 池谷薫氏からのメール・・・「蟻の兵隊」の公開もあと2ヶ月あまりに迫りました。 一人でも多くの方に観てもらうために全力疾走を続けています。 そこで今日はお願いがございます。 前売りチケットの販売にご協力いただきたいのです。 実は東京での公開は7月下旬からですが 観客動員しだいでは8/15の終戦記念日の前に 終わってしまう可能性もあります。 敗戦後も戦った元日本兵を追った「蟻の兵隊」を なんとして終戦記念日をまたいで1日でも長く上映したいのです。 そのためには前売り券が勝負です。 この映画はたくさんの人に観てもらうべき映画だと自負しております。 ご協力のほど何卒よろしくお願いいたします。 「蟻の兵隊」監督 池谷 薫 「蟻の兵隊」公式HP http://www.arinoheitai.com 関連サイト: 「蟻の兵隊を観る会」ブログ http://blog.livedoor.jp/the_ants/ 「蟻の兵隊・竹藪勝手連」 http://wind.ap.teacup.com/arinoheitai/ 「蟻の兵隊」mixiコミュニティ http://mixi.jp/view_community.pl?id=457078
May 18, 2006
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小林政弘監督(http://diary.jp.aol.com/jqmmwd9hztq/)のバッシングという映画を見ました(全国に先駆けて、ということでややネタバレ注意です)。これは、高遠菜穂子さんがイラクに拘束された後、バッシングを受けたという出来事にヒントを得たフィクションです。 そして、小林監督のインタビューとミニコンサートつき、というのに出かけてきたのです。 映画よりも監督の人となりに触れた事が面白かったです。 小林監督は、かつて歌手だったのですが、そのいきさつも聞けました。昨年なくなった高田渡さんと親交があり、前座をしていたということもあったようです。ミニコンサートでは、高田渡さんの「仕事探し」を歌ってくださり、感動いたしました(実は、私はこの歌は知らなかったので、終わってから監督に直接曲名を伺いました。これは、メロディックやリズミックな曲というよりも、詩とその歌い方にすばらしさがあります)。 それから、映画の中で、主人公がコンビニのおでんやマックのハンバーガーを自宅の部屋で食べるシーンの理由なども伺いました(そこには、食生活を貧しくして何かを目指していた小林監督自身との重ね合わせもあるとのことでしたが、映画を見ているとホント疑問でした)。 そして、この映画はカンヌでも上映されている(第58回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門公式参加作品)のですが、カンヌでは、40人の記者に全部同じ質問をされた、ということです。「ストーリーはわかったが、なぜ、海外でボランティアをしてきた人が人々のバッシングに合うのかわからない。何故か」と問われたということでした。それが、日本社会の閉鎖性なのでしょう。「自己責任論」もわきおこりましたが、イラクで人間の盾となった木村公一さんが、「国家は全力でどのような人の命も救うものだ」と論じ、同時期に人質となったフランス人やイタリア人の人々をその国家が最大級の扱いをしたことを述べていました。 一方、映画についてですが、背景に、海外ボランティアをしていた女性が、帰国後、国に迷惑をかけたということでバッシングにあい、職を失い、家族もまた苦境にたたされ、父親が自殺する、というような物語でした。高遠菜穂子さんの講演会を企画しているときに、長野グランドという映画館でこの映画を上映するというので興味をもったわけです。ストーリーは、高遠さんとは全く関係のないものといえるもので、淡々と主人公有子が嫌がらせにあう様子が描かれていくのです。バッシングや彼女がボランティアをしていく背景、家族関係は、映画の中ですこしずつ出てきます。 有子の元カレが、「なんで他の国にまで行ってボランティアしなきゃいけないんだ。それよりも、日本でもっと困った人がいるだろう」なんて発言をして有子を責めるのですが、前編通じて、ボランティアは人に理解されないもの、という見方があったようにも見えました。ボランティアって苦労ばかり多くて、人に理解されないものだ、と思われてるのでしょうか。 そして、彼女は、海外の戦場でのボランティア活動によって、子どもたちと出会い、自分の存在意義を見出し、人と人とがつながるすばらしさを知った、子どもたちに日本のお菓子を持っていくととても喜ばれるの と継母に話す場面があるのですが、実は、日常においては、彼女は人と人とのつながりをつくるのに苦労する人でもあったのです(映画の中でどのようなボランティアが想像されているのだろう、と思うと、なんか貧弱なイメージしかないような感じもしました)。 暗い描写が続く中、最後に、一緒に暮らす継母との関係回復(?)というのが、一つの希望として示されていることのようにも見えました。 小林監督の姿には、面白さを感じましたが、映画を人にお勧めできるか、もう一度みたいか、というと微妙なところでした。でも、ずっと音楽も入らない淡々とした流れは、私は気に入りました。
Apr 9, 2006
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いくつか気になる映画があるが、友人のページで「ホテル・ルワンダ」が紹介されていた。ルワンダにおけるフツ族によるツチ族の虐殺において、ツチ族の命を守った人の話のようだ。何日か前の新聞にも紹介されていたが、「アフリカのシンドラー」と言われていることが、記憶に残っていた。長野では上映される機会はないかもしれないが、記憶にとどめておきたい、と感じた。(シンドラーというとスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」で初めて知ったが、彼のことを考えると、ルカ福音書16章の「不正な家令の喩え」をなんとなく思い出してしまうのだが...。「日本のシンドラー」と呼ばれた杉浦千畝も思い出す。自分の地位や立場を最大限利用して多くの人の命を助けようとする、そのために様々な知恵を用いていく、という点が、これらの人々に共通しているかもしれない。) さて、もうひとつは、できれば映画化されて欲しくなかった、という思いを抱いている「ベロニカは死ぬことにした」である。パウロ・コエーリョというブラジルの作家の作品が原作で自殺しようとした若い女性が、自分の死を身近に感じつつも新しい生き方をしていく物語、といえばそれまでだが、私にとっては、トーマス・マンの「魔の山」を思い出させるような病院での生活や哲学的議論などが興味深かった。日本で映画化され、キャスティングを見たが、作品自体が多くの方に知られるのはよいが、映画自体はあまり期待していない。パウロ自身は、神秘的キリスト教に傾倒しているのかもしれないが、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」では、フェミニスト的な視点から神を再発見しているように見えるし、「11分間」という作品においては、セックスの問題を真正面から扱っていて興味深かった。『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』『ベロニカは死ぬことにした』 『11分間』
Jan 27, 2006
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先週、近くのホームセンターでDVDが税込み470円で売っていました。DVDが、その値段? びっくりして近寄ってみると、世界名作映画DVD50タイトルセットの一枚だった。この値段なら、と思って何かないか、探してみると、「武器よさらば」とか第三の男」など有名な映画がごそっと並んでいました。噂だけ聞いて見ていないものほとんどでしたが、スタインベック原作の「怒りの葡萄」(ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演)があったので購入して、見ました。 かつて、原作を読んでみよう、と思って文庫を書店でとってみたこともありましたが、原作も結局は読んでいません。 アメリカの古き時代における移住民の物語ですが、過酷な暮らしをする農民たちの話です。中西部から土地を奪われ、カルフォニアまで仕事を探しに行く農民の家族たち。ボロボロのトラックを運転する旅の途中で、年取った家族を失い、たどり着いた町の外でのキャンプにも火をつけられたり、労働運動がつぶされたり、資本家や町の人々によって人間以下に扱われていきます。主人公に、熱く労働者の権利を話すのは、かつてPreacherだったケイシーという男でした。ケイシーは結局殺されてしまい、主人公は、ケイシーを殺した一団の一人を殴り殺してしまいますが、彼はケイシーの意思を嗣ぐ、という形で、逃亡しつつ、働く農民の闘争に身を投じていきます。主人公と母親との別れの場面も、とても印象的でした。 アメリカにおける差別や貧しさを克服しようとする闘いとして見ることができますが、このような闘争は今もなお続いています。貧しい国から豊かな国に移動する人々は絶えませんし、人間の歴史が繰り返していることを見たような気がします。 ケイシーが、主人公に闘いへの誘いをする場面は、あまりにも短かったのですが、それが主人公の心に火をともしていきます。解説によると、ケイシーは、キリストを象徴しているとのことですが、キリストの生涯も、とても短いながら、弟子たちの心に、そして私自身心に灯火をともしてきたのだと、感慨深く見ました。 さて、この「怒りの葡萄」をコンセプトに、作られた音楽が、Camelの「Dust and Dreams」です。それもあって、映画を見たくなったんですけどね。映画を見終わった後に、"♪Go West, Go West♪"というボーカルが聞こえてくるようでした。改めて、キャメルのダスト・アンド・ドリームスの解説を見ると、このアルバムでは、原作にはない生まれた子どもがなくなる、という場面も付け加えていたようです。音楽に触発され、映画を見る、映画に触発されて、また音楽に戻る、そんな日々でした。これに触発され、次は原作を読んでみるつもりです。ケイシーがどのように描かれているか、確かめてみたいのです。
Jan 25, 2006
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先週、図書館から借りていた「疾走」(重松清著・角川書店)を読みました。重松清はティーンエイジをリアルに描く作家として関心を持っていたのですが、年末に図書館に行った際に、特に考えもせず、というよりも、それしかなかったので、借りてきていました。想像していたよりも重いストーリー展開で、寝つきが悪くなる、そんな感じでした(教会員の方でも読まれた方がいて、ちょっと怖かったとおっしゃっていましたが...)。1/4ぐらいまで、少しずつ読んでいたのですが、返却日が過ぎてしまったので、あわてて一気に読んでしまいました(読み始めると、途中でやめれなくなるという展開でもありましたが)。 「浜」と「沖」と呼ばれる二つの集落のある地域の物語で、「沖」は差別を受ける集落でした。「浜」の少年、シュウジの家族関係、ヤクザとその情婦、「沖」の少女との出会い、「沖」の小さな教会の神父との出会いを軸に、孤独と孤高、生きることと死ぬことについて語られていました。 重いストーリーというのは、誰でも出会う体験というのではなく、誰もが体験することの最悪の出来事を少年が体験していくように見えたからです。 その中で、最後は、希望が語られますが、主人公が、自分自身を孤独から孤高への転換を図ろうと、「言葉」をむさぼり求めている点が印象に残りました。聖書の言葉、特に旧約聖書の「伝道の書」(引用されている聖書は、口語訳ですが、新共同訳の「コヘレトの言葉」)や「ヨブ記」「申命記」が引用されていました。どんな形ではあっても、希望を「言葉」の中に、「聖書」の中に見出そうとする少年のひたむきさを感じさられたのです。神父は、そんなシュウジを暖かく見つめているのですが、ストーリーはどんどん落ちるところまで展開していきます(この神父も、大きな痛みを抱えているのですが)。 自ら死ぬことを心におきながら、最後は、生きる、誰か一緒に生きてほしい、というところで物語が終わるとおもいきや...。 (エリという少女が、閉められたシャッターに書き残す言葉と、シュウジが書き残す言葉との対照が感動的であるのですが...) もちろん、最後には一筋の希望が残されていますが、希望とは、そこにしかないのか...という展開だったのです。 このようなことを、思い巡らしていると、ちょうど今朝の新聞で、映画『疾走』の紹介があり(こういうのを、共時性というのですね。東京奇譚集の中の村上春樹流には、映画の神様ということかもしれませんが)、松葉杖をもった少女を後ろに乗せて自転車をこぐ少年の写真がありました。「光求めて自ら走る少年たち」という大きな文字とこの写真だけ見ると、なんかさわやかな青春映画って感じがするのですが、どうなんでしょう。長野では上映予定はないようですが、いや~、気になる映画としてコメントしておきます(あの重さはどうやって出すんだろうって気にもなるんですがね)。 映画をごらんになった方、本をお読みになった方、いましたら、コメントなどよろしくです。
Jan 22, 2006
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新聞の一面から見れば、いろいろと関心のある出来事はあるのですが、今日はジブリアニメの次の作品が発表されていました。監督は宮崎駿監督の長男の五郎さんとのこと。関係記事はこちら。なんと、『闇の左手』でも有名なル・グィンの『ゲド戦記』がアニメ化されるとのことです。第三作が中心と言うことであるが、大学生のころは、第一作を何度も読んだ記憶があります。 連れ合いに言ったら、「きっと、ディズニーのナルニアに対抗するのよ」と言っていましたが、アニメ化されて注目されるのは嬉しいのですが、映像としてイメージが固定化されてしまうのは、やや悲しいものがあります(もっとも海外ではドラマ化されていたようですが)。 魔法の国の世界を描きながら、「言葉の重さ」や「自己受容」の問題、そして近年は多文化共生やフェミニズムに関することをファンタジーとして描くまさに大人が読むべき物語なのだと思っています。 (あるとき、「礼拝説教」で、言葉(LOGOS)に関して話したら、あるご婦人の方に「『ゲド戦記』は、まさにそういうことなのよ」と言われ、内心ニンマリした記憶があります。) かつて、神学校に入ったとき、大先輩たちがまとめた「神学生ならこれを読め」という冊子にも、『ゲド戦記』シリーズが取り上げられていました。魔法使い養成所(ハリーポッターなんかとは全然違いますからね)を神学校に見立てた評を学校長がしていました。 ゲド戦記関係のページはこちらに。そのほか、気になった記事は大佛次郎論壇賞の『中村屋のボース』という作品の紹介。白水社から出ていますが、著者は当時若干29歳の研究者中島岳志氏。インドに関心もなかったのに、大阪外語大ヒンディー語専攻に入学し、ボースを知ったことが書れていました。中島氏はボースの娘さんから彼の遺品を預かり「自分に生まれた価値があるとすれば、ボースの人生を書くことにある」と述べていたのですが、ここでいうボースとは、インド独立運動の闘士で、イギリスの追っ手を逃れ1915年に日本に亡命し、今の新宿中村屋にかくまわれた方です。日本のアジア解放主義に同調したものの、その後、失望し1945年になくなっているのですが、結果的には、中村屋の娘と結婚し、中村屋のインドカレーは、そのボース氏との出会いがあったのです。ボース氏についてはじめて知ったのは、臼井吉見氏の『安曇野』(ちくま文庫)でした。中村屋創始者でキリスト者の相馬愛蔵や相馬黒光について触れる中で登場してきます。ただ、こんな本がでていたんだ、というのを知り関心を持つのは、私の母が、その昔東京にでると中村屋のカレーを「なつかしい」といって食べに行ったのを覚えているからなんですが、この本は、アジアとの関係をどう捉えるのか、示唆が与えられるような評者たちの意見にもそそられました。 それから、96歳で、今もお元気なまどみちお氏の依頼によりまとめられた「資料 水上不二さんの詩」も紹介されていました。水上氏はまどみちお氏の同人仲間とのことですが、亡くなる前に、まど氏に詩集を作ってほしいという依頼をしていたとのことです。水上氏は私の郷里に近い気仙沼出身ということもあって関心を持っています。
Dec 14, 2005
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先週の水曜日に、以前から平和問題などでお付合いさせていただき、何度か教会にも来ていただいた近所の映画会社の会長さんから電話があって、いわゆる飲み会のお誘いを受けました。飲み会といっても、ちょっと話題になった藤沢周平原作の映画「蝉しぐれ」(黒土三男監督)の映画を見て、感想などを語り合う会とのこと(「蝉しぐれ」あらすじはこちら)。慌てて、4日に見に行きました(ちょうど、長野ではこの日がこの映画の最終日だったのですが)。「蝉しぐれ」って、テレビドラマでも話題になっていたんですね。全然、見ていないものだから知らなかったのですが、藤沢周平は、なんとなく気になる作家でしたし、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」や「隠し剣 鬼の爪」などによっても、興味がありました。 全然、テレビドラマを見ておらず、小説を読んでもいないものとしては、まったく先入観なしに見れました。 気骨ある尊敬する父親が、勢力争いに巻き込まれ、切腹せざるをえなくなるときに、主人公の牧文四郎が最後の面会後に言えなかった言葉に後悔する場面、友人の逸平が「人間は後悔するようにできているんだ」というセリフが心に残りましたし、文四郎とふくとの心の通う様子に、それぞれの子ども時代の俳優に堅さがありましたが、それが返ってその雰囲気を表していた感じがしました。 一方で、男と女の関係を描き、他方で、文四郎の剣について描き、最後は宿敵を倒していくという中で、反権力の思想、下層の人々へのまなざしを感じる映画でもありました。父を切腹に追い込み、文四郎をも陥れようとした家老に対して、「死んでいくものの気持ちが分かりますか?」というようなセリフを残す場面は、なかなか感じさせられるものがありました。 しかし、不満も残ります。架空の海坂藩を庄内地方に設定していたはずが、言葉は標準語でした。文四郎の友人与之助役の今田耕司の標準語はかえって笑ってしまうのですが、建物などを風雨にさらして作ったというリアルなセットに比べ、言葉のリアリティが今ひとつでした(これは、わたしが東北出身ということだからかもしれません。藤沢周平の出身も山形鶴岡のはずですが...)。 それから、ふくの少女時代からイメージする大人のふくのイメージは、私にとっては木村佳乃では、ないんですね。それから、文四郎役の市川染五郎も生活感というか下層の雰囲気がないので、その辺がやや不満でした。 テレビ版や小説と比較する方は、映画では、男と女の描き方が綺麗すぎると言われていましたが、わたしはTV版も見ていないぐらいなので、含蓄のある終わり方で良いと思いました。 ただ、これを機に、今まで読んだのは上杉鷹山を描いた「漆の実のみのる国」だけでしたので、もう少し藤沢作品も読んでみたいと感じさせられたことは事実です。 ところで、飲み会は、最高齢80歳まで一歩の方をはじめ、ご高齢の方々が多く、それなりに楽しかったです。俳人で一茶の研究家がいたり、「今はもう、テレビを信用してはいけない」という元テレビ局に勤めていた方や、映画のプロデューサーの方がいたりと面白い出会いでした。私が牧師だというと、元教師の方が「わたしは英語の授業のとき聖書の言葉から教えていましたよ」といって聖書のことなどにも関心を示してくださり、有難かったですね。
Nov 7, 2005
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もう随分前になってしまったが、上京した際に、吉祥寺のバウス・シアターで映画「リンダ・リンダ・リンダ」を見ました。昔、ジャニス・ジョップリンの映画を見たことも思い出してましたが、ブルーハーツが懐かしく、また聞きたくなってしまう映画でした。しかし、その映画で最も印象的だったのは、主役の女の子バンドではなく、またボーカル役のぺ・ドゥナでもなく、湯川潮音という声の主でした。映画の中で、高校の文化祭の最後の日、主人公たちのバンドは順番が来ても一向に会場の体育館に現れない。つなぎ役で歌ったのが湯川潮音扮する萌と山崎優子(me-ism)扮する中島(?)でした。 湯川はイギリス・トラッドフォークの"The Water is Wide"と自身の曲(?)「風来坊」という曲をアカペラで歌っていましたが、こんなの高校の文化祭で聞けたらすごいんじゃない、って感じでした。 ちなみに、"The Water is Wide"は、いろんな方がカバーしていて、有名どころとしてはPPMが"There is a ship"として歌っていたようですし、Jazz系、クラッシク系の方も演奏していますが、実は、賛美歌としても歌詞がついていました。「さんびか21」という曲集の104番で、結婚式のときの歌ですが、牧師で賛美歌作家としても名高いBrian Wrenが詞を作っています。 以下は、忘れないためのメモ程度ですが、ただ今、気になる映画はヴィム・ヴェンダース監督の「ランド・オブ・プレンティ」です。長野では上映する予定はないでしょうかね。
Oct 22, 2005
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新聞でThe Blue Hearts のコピーをする女子高生を話題にした映画が紹介されていました。http://www.linda3.com/main.htmlちょっと面白そうと思っていますが、それで、The Blue Heartsについて思い出したことです。「リンダ リンダ」は、はブルー・ハーツのメジャーデビューしたときの曲ですが、「もしも、僕がいつか君と出会い話し合うなら、そんなときはどうか愛の意味を知ってください」というところの「話し合う」となんて言葉に、不思議な魅力を感じたものでした。また、最初のアルバムでは、「どこかに世界の中心があるのではなく、あなたの生きているここが世界の中心だ」みたいなメッセージがあって、感動しました。あれは、私が大学の頃でした。それから、二枚目のアルバムが出て、その中の「Chain Gang」という曲がラジオで流れて、こんな曲も歌うんだ、と驚かされたのですが、まさにゴスペルでした(これを普通にカラオケで歌ってもいけてないのだが、あのマーシーの歌う声は魅力的です)。前半で、罪やキリストの死なんてことが出てくるのも驚きだけど、 生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない 死んでしまうという事は とってもみじめなものだろう だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し 人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ という歌詞が耳に残りました(いや~、はじめてラジオから聞いたときは、じ~んときたんですよ)。そののち、ラングストン・ヒューズという黒人のシェークスピアとも評されるブルース詩人に、この最後の節とそっくりの詩がありました。それは、「助言」というタイトルでしたが、次のような詩です。「助言」 ラングストン・ヒューズ/木島始 訳みんな、云っとくがな、 生れるってな、つらいし 死ぬってな、みすぼらしいよ───んだから、掴まえろよ ちっとばかし 愛するってのを その間にな。そうか、ブルー・ハーツの真島は、ブルースにも傾倒していたって聞いていたけど、ラングストン・ヒューズも知ってたんだ、と思いました(ここだけ見ると、ちょっとパクリすぎ?)。(因みに、ラングストン・ヒューズの木島始の詩は在庫切れとのこと、ジャズの本というのが楽天にありました。http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/969725/ )(それから、映画の主役はぺ・ドゥナですが、彼女のページで、その映画での曲が聞けます)ところで、「リンダ リンダ リンダ」のホームページを見ていて、The Blue Hearts の名前はThe Whoの映画の中の薬Purple Heartsから来ているのだと今更ながら知りました。The Whoというとパンクの元祖的に言われ、ロックオペラ「トミー」など有名ですが、ブルーハーツは、もっと後期パンクのイメージがしていました。
Jul 28, 2005
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ちょっとお知らせです。 長野では、平和音楽祭というのがあって、7月24日がその音楽祭だったのですが、それと関連して、平和音楽祭特別企画映画が上映されます。井上ひさし原作、黒木和雄監督の「父と暮らせば」です。オフィシャルページはこちらです。 原爆に関する映画で、宮沢りえや浅野忠信というキャスティングもありますが、原田芳雄のお父さん幽霊にちょっと期待しています。 上映日は、7月31日(日) 長野市民会館、時間は 2時から、と5時からです。入場無料というから行きたいと思っていますが...。日曜日は、いろいろとあるので、考えてしまうのですが、なんとか5時からのに行きたいと思っているのです。 黒木和雄というと、わたしは20年ぐらい前になるのでしょうか(正確には17年前だった)、岩波ホールで見た「TOMORROW/明日」を思い出します。原爆投下寸前までの人々の生活をドラマにしていて、こんな描き方もあるんだ、と感銘を受けました。何万人死んだ、というだけだと統計的な感じですが、具体的にこんな人がこんなふうに生きていたのだ、ということを考えさせられると泣けてきました。
Jul 26, 2005
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映画会社に勤める知り合いの方から、ジャン・ユンカーマン監督の「日本国憲法」という映画のプロモート用のビデオをちょっと見せていただいた。日本国憲法について、国内外の名ある方々、日高六郎さん、「敗北を抱きしめて」のジョン・ダウアーさんや、ダグラス・ラミスさんらのインタビューなどで構成されている。「憲法9条」が、こうした人々にも注目されているということは、興味深く面白かった。プロモート用ののために、すぐに返してほしい、とのことで、今は手元にはないのだが、各地で上映が企画されている。上映スケジュールはこちら。長野では、松本で上映の予定がある。 そして、なんと言っても、私が驚かされたのが、音楽担当がソウル・フラワー・ユニオンであったことだ。彼らは、平和や今の政治状況に関して積極的に歌にして、パレスティナや韓国でもライブを行っているのであるが、アメリカの監督にも知られるほどメジャーだったとは、知らなかった(でも、カラオケにもあるから、結構メジャーなんでしょうね)。
Jun 30, 2005
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「掘るまいか」は山古志村20村郷のひとつの小松倉での機械を使わないでのトンネル工事のドキュメント映画です。なぜ、トンネルを掘ることになったのか、山を越えなくては医者にも診てもらえない(緊急の往診はまず無理)、夜になれば、谷あいに落ちて命を落としそうになる、などのことが重なっていたということですが、直接的には、トンネルが欲しいという母の願いをかなえようとした息子が動き出したから、ということのようです。トンネル賛成派、トンネル反対派というように最初は村を二分することになってしまったのですが、戦後、村はひとつとなってトンネル工事に当たったのです。戦争中は、工事に必要な道具を国に物資として取られないように隠していたり、養蚕用の木のさおをトロッコのレールにしたりという苦労が語られていました。すごいな、と感じたのは、つるはしの先端を打ち直す必要があると、女性たちがつるはしの先端をいくつも担いで峠を越えていったとのことでした。最初は、トンネルを掘る際に、どのようにつるはしを当てたのか、などという技術的な話から始まったのですが、最後のほうは、村中、家族ぐるみで真剣になってトンネル工事にあたったということが伝わり、感動しました。反対側からも掘り始め、それがあるところで測量したところ、ちょっと方向が違っていたことや、途中で大水が流れ出し絶望的になったことや、酸欠の問題なども語られていました。最後は、向こう側から掘る音が聞こえてきた感動、夜に開通したときにみんなで抱き合った話など、胸が打たれました。 会場では、山古志村の被災者へ絵手紙を送ろう、ということで、宛名つきの葉書をいただきました。少しでも、被災されて仮設住宅に住まわれている方の励ましになれば、という思いで、手紙を送ろうと思いました。
Jun 24, 2005
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6月24日(金)、長野県民文化会館で映画「掘るまいか」を上映します。私たちの教会の教派の北信分区も協賛しています。およそ1kmの手彫りのトンネルを掘った記録映画で、トンネルの完成まで着工から16年かかったという村民たちの熱意とエネルギーが描かれているとのことです。中越地震前に完成したもので、今回の上映の売り上げの一部が、山古志村支援にもなります。映画案内はこちら。上映時間は24日の午後2時から3時半までと、7時から8時半までの2回です。前売りは、1000円です。当日は1500円ですが...。前売り券は、平安堂でも扱っていますが、私のところにもあります。メールでご一報いただければ、1000円でお譲りいたしますよ。では、長野近辺にお住まいの方、よろしくお願いします!
Jun 11, 2005
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「笑の大学」を見た。興味はあったもののロードショーでは見れなかったので、DVDを購入した。戦前の検閲制度を背景に、喜劇作家が検閲を受けながらも、笑いを失わない作品を作り上げようとする物語。もともとラジオドラマや舞台においても二人芝居が基本であり、それをどう映画化するかが問われた作品でもある。メインキャストは、SMAPの稲垣吾郎と役所広司。緊迫した取調室、笑いなど理解できないという役所広司ふんする検閲官は、稲垣扮する喜劇作家、椿一に手直しの指示をしていくが、それがもとで次第により面白い台本へと変化していく。椿は検閲に対して、「こんなもの直せるはずはない」といって諦めるのでも、また、表現の力を奪われたままにしておくのでもなく、制約された中でいかに本来意図する笑いを完成させるかということに情熱をかけていた。密室での取調べが、台本作りの場になっていく面白さ。最後は検閲するものとされるものの間に友情まで芽生えさせるのだが、原作者三谷幸喜流「表現の自由を守る戦い」が示された点でも興味深く、笑い泣ける作品であった。スペシャルエディションでは、製作秘話やら解説もつき、また「許可」「不許可」のはんこまでおまけについてきた。 原作は三谷であるが星護の手で映画化され、三谷も気づかなかった人物の深め方もあり、作家の描いた人物が作家の意図を超える、といったコメントもDVDの副音声では聞けるのも面白かった。
Jun 6, 2005
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