種差別・動物の権利(アニマルライツ)・動物の解放を考える

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南茶手 美井雁

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2016年02月16日
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テーマ: ビーガン(783)

と、タイトルのことを述べるのは細田麻央さん。
続きを読んでみましょう。


動物が犠牲になっている食材に触る時、
わたしの手の細胞は氣づいていたろうし、
わたしの無意識は、渾身の力で、拒絶し、
嫌がっていたのだろう。
でも、料理以外の場面でもそうであったのだろう。
人間の無意識の利口さを考えたら、
そんなことが料理の場面だけのはずがない。
わたしたちの無意識は、知っている。
屠殺の動画を見たことがなくても、
殺処分の動画を見たことがなくても、
動物実験の動画を見たことがなくても、
ちゃんとちゃんと知っているのだ。
体は、無意識は、ちゃんと知っていて、
そうしたことを、そうしたものを食べたり
使ったりすることを、嫌がっている。
何故だと思う?わたしたちは、愛で出来ているから。
命あるものは愛の波動で出来ているから、
それに逆らうことを、嫌がる。
でも、鈍くなったり、壊れてしまうと、
自分が嫌がっていることを感じられない。
体や心が、愛に反することをしていても、わからない。
それが、鈍くなるということ。壊れるということ。
愛に反することを、やればやるほど、鈍くなる。
愛に反することを、やればやるほど、壊れる。
だから、やめることにした。完璧にやめられなくても、
出来る限りやめることにした。
わたしがヴィーガンになったというのは、そういうこと。
まだまだ鈍いけど、まだまだ壊れてるけど、
一生の間にぜんぶは修復出来ないかもしれないけど、
それでも鈍いまま、壊れたままではいたくない
わたしがいた、そしてこの選択をしてくれたんだと思う。
だから、わたしはこの選択と、この選択をしてくれた
自分を大切にしようと思う。
たとえ大切に出来なかったたくさんのものがあって、
今でも大切に出来てないたくさんのものがあっても。
それらが取り返しのつかないものであっても。
生まれてきたことの意味が、たくさんのものを
壊しながらも生きてきた意味が、秘密が、謎が、
そこに隠されていると思うから…………

https://www.facebook.com/mao.okuyama.3/posts/929134907202113

あなたもあすからビーガンに。
ビーガンじゃなくてもいいからベジタリアンに。

「そんなの無理だ。なりたくない」

というのであれば、「ミート・フリー・マンデイ」ということで、
週一回でもお肉をやめてみませんか?



「ミート・フリー・マンデイー」の提唱者










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Last updated  2016年02月16日 22時16分36秒
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