おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2018.08.27
XML
カテゴリ: 歴史/考古学/毛人
今回の科野旅行で見て実感したいと思ったのは、土器における北陸からの影響と、日本海側からの金属流入である。

中野市の柳沢遺跡は銅鐸5個、銅戈8本を出土した遺跡で、これだけの数の銅鐸、銅戈が一つの遺跡から出土するのは全国的に見ても珍しい。銅戈のうち1本は九州型で、畿内型と九州型が一緒に出土したのは初めてである。これ等銅器の埋納時期は弥生中期後半から後期初頭と推定されている。

中野市内その3 : 中野市柳沢遺跡 (全国遺跡報告総覧)

柳沢遺跡の周辺

©2018 Google、ZENRIN

柳沢遺跡は千曲川と夜間瀬川の合流地点に在り、青銅器埋納抗だけでなく、水田や住居址、礫床木棺墓群も見つかっている。遺跡の東は高社山から延びる尾根が迫り、西は千曲川と夜間瀬川となっており、山と川に挟まれたような場所だ。水田の水はどこから引いたのだろうか。千曲川は大きすぎるだろう。水田の位置からすると夜間瀬川か東の山から流れ出す小さな流れが手ごろに思える。




遺跡は千曲川の堤防の下に埋まっている。


〔左標柱〕南側約百五十メートルにわたり弥生時代中期の水田跡が発見されています。
〔右標柱〕約十メートル西側に弥生時代中期の青銅器埋納坑が発見されています。

肝心の銅戈と銅鐸は中野市立博物館に展示されている。

 ​ 中野市立博物館 ​(公式HP)


九州型の1号銅戈。2本の樋が先で合わさっている。右側は模造品。出土当時は赤銅色をしていたというので模造品のような色だったのだろう。


〔左〕2号銅戈、〔右〕3号銅戈。2~8号銅戈は樋が交わらない近畿型。


〔左〕4号銅戈、〔右〕5号銅戈。


6号銅戈。


〔左〕7号銅戈、〔右〕8号銅戈。形、大きさ共にそれぞれ個性があることが分かる。




柳沢遺跡で出土した銅鐸は外縁付鈕式で弥生中期後半のものと思われる。塩尻の柴宮出土銅鐸は弥生後期の三遠式銅鐸で時代も由来も異なる。柳沢遺跡は出雲などの西側との関連が考えられるのに対して、柴宮の銅鐸は東海との関連がうかがわれる。

 ​ 塩尻市立平出博物館②―科野旅行 ​(おぢさん)
  柴宮出土銅鐸が展示されている。

日本海側から科野を経由し毛野に至る金属器流入ルートは弥生中期後半から継続して存在していたと思われる。鉄釧は千曲川流域に分布の中心がある。

長野市立博物館―科野旅行 (おぢさん)
  鉄釧、銅鉾、石鉾、石戈の展示。


にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.08.27 21:25:05
コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:柳沢遺跡と中野市立博物館―北科野旅行(08/27)  
こんばんは!

「九州型の1号銅戈。2本の樋が先で合わさっている。」

興味深々、拝見拝読しております。 (2018.08.28 22:41:20)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

たそたそ@ Re:土器-編年(02/14) こんばんは。 ブログのチェックされてない…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ (続き)昔ある人がお…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ お久しぶりです。永ら…
おぢさん@ Re[1]:土器-編年(02/14) 上毛野形名さんへ 長いこと返信もせず失…
なんだかね@ Re[2]:無(03/15) おぢさんさんへ 遅ればせながら「人新世の…

Calendar

Favorite Blog

今日は恥を忍んで。… クマタツ1847さん

日本海夕陽旅行(2… 小野寺秀也さん

再出発日記 KUMA0504さん
格物致知~ゆとり世… さいとうじゅんさん
みゃ。の日記♪ 愛。… ミンちゃん2294さん

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: