Nonsense Story

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13023




風鈴 5




「でも、どうして風鈴のある場処が多聞院てところに・・・・・・」
 わたしが呟くと、老人は微笑んで ( くび ) を傾げた。
「さぁねぇ。こんな形のせいかねぇ。あの時、梵鐘は供出でなかったんじゃけどね」
「比治山の多聞院といえば、平和の鐘があるんでしたね。きっと、彼女が以前行った時には、まだあったんでしょう」
 旦那の言葉に、老人はそうかもしれんですと ( うなず ) いて、キャップを被った。
「せめてあの時、ちゃんと逢えとれば・・・・・・」
 そう呟いて肩を震わせる老人を見て、わたしは彼女を引き止めれば良かったと後悔した。信じ難い話ではあるが、たとえばあれが過去の人だったとするなら、あの閃光も爆風のような突風も、全ては過去の残像ということになるだろう。それならば、あの爆風が過ぎ去るまでうちの中に引き止めていれば、あるいは彼女は助かっていたかもしれない。
 後悔が ( かお ) に出ていたのか、老人はわたしの方へ向き直って ( ) った。
「奥さん、ご自分を責めんとってください。わしはひと目見れただけで十分じゃけぇ。それに、どうやっても過去は変えられん。だからこそ、繰り返しちゃあ 不可 ( いけ ) んのです」
 その言葉を潮に、老人は踵を返した。キャップを被り直し、空を見上げる。
今日も暑くなりそうじゃなぁ。
 そう云って翳した老人の手のひらで、何かがきらりと光ったように見えた。
「あの、手に何か雲母のようなものが・・・・・・」
 追いかけようとしたわたしの肩を、旦那が掴んだ。何故だと見上げると、ゆるゆるとかぶりを振る。けれど、老人の耳には既に届いてしまっていたらしく、彼はこちらを振り返って云った。
「硝子です。あの時の爆風で張り付いて、その後の熱で皮膚と同化してしもうたらしくてね。取れんのですわ。ああ、安心してください。あんたがたの ( からだ ) に影響はないですけぇ。さっきの放射線も爆風も、ただの残像に過ぎん」
 老人は顔の右側だけでにっこりと 微笑 ( わら ) うと、キャップの ( つば ) を深く下げ、今度こそ行ってしまった。


 台所に戻ると、点けっぱなしにしていたテレビが天気予報を流していた。老人の言葉どおり、今日も暑くなるそうである。
「この前の広島出張ってね、 ( かた ) ( ) をしてる人の取材だったんだよ。その人も身体に硝子が張り付いててね。おれは仕事でその写真を撮らせてもらったんだけど、なんか、泣きたくなった」
 旦那は云って、テレビを消した。
「だから平和記念式典を見てたんだね」


 しばらくして、姑がすっきりとした貌で起きてきた。微熱も下がり、その日のうちに咳も治まった。
 姑の夏風邪は、旦那を呼ぶためにあの風鈴が仕掛けたことだったのかもしれないと思うのは、考え過ぎだろうか。








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