Nonsense Story

Nonsense Story

11





ポケットの秘密 11




 引っ越しのことを打ち明けると、幼馴染は泣きそうな顔をしていた。
「九州? 冗談でしょ?」
「本当。とうとう両親が離婚することになって、お母さんと一緒に叔父さんの家に行くことになったの」
 家が近所ということもあり、彼女はうちの事情を全て把握していた。
「いつ行くの?」
「二学期から転校することになるから、夏休み中に引っ越す予定」
「どうして今まで教えてくれなかったの?」
「私がそのことをお母さんから聞いたのも、つい最近なのよ」
「一人だけ残ったりはできないの?」
 彼女はほとんど泣きそうになっている。
「お兄ちゃんは残るんだけど・・・・・・。お母さんがあのとおりでしょ? 私は一緒に行かなくちゃ」
 私は彼女を励ますように、明るく言った。
「それでいいの?」
「よくはないけど、仕方ないもの」
 雨のせいか、この日の教室は少し肌寒い気がした。
「私だってショックだったわ。離婚も転校も、なんの相談もなく勝手に決められてた」
 気が付くと、私の口は勝手に心の内を吐き出していた。
「私はお母さんを支えなきゃって思って頑張ってたつもりだったけど、大人達にとっては結局、ただの子供でしかなかったのよね。私の意見なんて聞いてもくれなかった。信用されてなかったのかも」
 こんなことを人に話したのは何年ぶりだろう。私は自分自身の方が泣きそうになっていることに気付いた。
「ごめんね。こんなこと・・・・・・」
「どうして謝るの?」
「だって・・・・・・」
 幼馴染は人懐っこい笑顔を向けてきた。目の端に少しだけ涙を浮かべて、今度は彼女が私を励まそうと笑っている。
「遠くに行っても、ずっと親友でいようね」
 彼女の言葉に、とうとう私の目から涙がこぼれた。
 親友でなんかいられるわけがない。彼女は何も知らないからそんなことが言えるのだ。本当のことを知ったら、きっと彼女は離れていく。
 小さい頃、一緒に遊んでいると近所のおばさんによく言われた。
「二人は本当に仲がいいわね」
 私達は決まって手を繋いでおり、いつも声をそろえてこう答えた。
「だって、親友だもんねー」
 あの頃は、何でも話せた。ずっとそんな関係でいられると思ってた。明るい陽だまりの中の日々。永遠に続くと思っていた暖かな日々。
 でもその陽だまりは、いつからか翳り始めた。もうあの頃とは違う。『親友』という言葉は、ただの気休めや飾りでしかなくなってしまっている。
 もう、何が悲しいのか分からなくなっていた。両親に信頼されていなかったことなのか。幼馴染を騙していることなのか。彼と遠く離れてしまうことなのか。
「ね?」
 顔を覗き込むようにして確認してくる彼女に、私はいつもどおり演技の笑顔でコクンと頷いた。
 それでも今、私は一人で帰宅の途についている。今日は用事があるから先に帰るね、と言い残して、急ぎ足に教室を出た彼女を追う気にはなれなかった。
 靴の中に水が入ってきて気持ち悪い。歩くたびにガバガバと音がする靴を引きずって、私は進む。
 こんな風に、これからも嘘の笑顔を引きずって私は生きていくのだろうか。転校した先でも、また靴を求めて彷徨うのだろうか。
 雨は永遠に降り続くように思えた。




 翌朝、ぼくはあることに思い当たって、また早めに登校した。
 今日は一番に、昇降口ではなく旧校舎脇の焼却炉へ向かう。焼却炉の横にあるゴミ集積場の裏側では、案の定、タカヨシが眠っていた。昨日降った雨のせいで地面はぬかるんでいるのに、犬は気持ち良さそうに丸くなっている。
 ぼくは自分の推測が外れていないことを確かめてから、昇降口のある方へ引き返した。
 この日も盗まれた靴の返却は行われなかった。

 昼休みになると某スポーツ用品店のビニール袋を持って昇降口へ行き、赤松の靴をその中へ押し込んだ。それから旧校舎へ向かい、彼女が多目的教室にいることを確認してから、教室の扉に箒を斜めに立てかけた。多目的教室の扉は片側だけの引き戸になっているので、これで中から開けることは不可能だ。
 ぼくは、閉じ込められたことに気付いていない扉の向こうの少女に、両手を合わせて心の中で謝った。
 赤松達の教室では、今頃、藤田が「赤松さんの靴が盗まれた」と騒いでいるはずだ。
 赤松が犯人であるかのようなメモを藤田の机に入れたのは、他ならぬ犯人に違いない。
 ぼくの推測では、犯人は二人いる。赤松はそのうちの一人を庇っているのだと思うが、それはあのメモを書いた奴ではない。そいつに靴を切るなんてことはできないからだ。
 赤松に罪を着せた奴は、まんまと彼女の優しさの尻馬に乗り、さっきまでほくそえんでいたはずだ。しかし、赤松の靴が紛失したと聞いた今、焦りまくっているに違いない。全ての靴泥棒をそいつがやっていたわけではないが、今やその罪は、全て赤松にあることになっているのだ。
 彼女が恨みを買うほど関わっていた人間がいるとも思えない。まともに言葉を発しないから問い詰められると否定できないだろうと思われたのか、単に浮いているから濡れ衣を着せてもかまわないと思われたのか。
 どういう理由かは分からないが、赤松が罪を認めたのは、メモを書いた犯人にとっては好都合だったはずだ。これを期に足を洗うかもしれない。そうなったら真犯人を捕まえられなくなってしまう。
 赤松はそれでいいと言うだろうが、それではぼくの気持ちが治まらない。他の人間ならともかく、あのお人好しの抜け作に罪を被せてのうのうとしてるなんて許せない。しかもそのせいで、赤松はぼくを遠ざけようとしているのだ。絶対にふん捕まえてやる。
 奴は必ず赤松の靴を探しに来るだろう。もう一人の犯人が盗んだものと思って。この盗難を赤松の狂言にするつもりで。
 盗みをやめようと思っているかもしれない犯人を捕まえようとしていることを知ったら、赤松は絶対に止めにくる。だから彼女には、おとなしく多目的教室に閉じ込められてもらうことにした。
 ぼくはそっと旧校舎を出ると、すぐ脇にある焼却炉の裏に、ビニール袋を抱え、上履きのまま身を潜めた。

 午後の授業が全て終わっても、人っ子一人来なかった。ここを根城にしているはずのタカヨシすら来ない。幸いこの日の午後は芸術科目の授業はなかったらしく、教師が来ることもなかった。ぼくは午後の授業を全てサボって、まだ乾ききっていない地面にしゃがみ込んでいた。
 午前中に少し晴れ間を見せた空は、また雲に覆われつつあった。あらゆる匂いが濃く感じられる。雨が降り出す前に決着を付けられればいいのだが。
 昼休みが終わる頃、旧校舎の上の方からドンドンと扉を叩く音が聞こえた。赤松がやっと閉じ込められたことに気付いたらしい。しばらくすると窓が開き、彼女が顔を覗かせた。しばらくキョロキョロと辺りを見回していたが、人の気配がないので観念したのか、窓の奥に姿を消した。
 それから授業の終わる鐘が鳴る度に、彼女は窓から顔を出した。最後の授業が終わった時には、くしゃくしゃに丸めた紙を落としてきた。ぼくは彼女の姿が見えなくなるのを待って、その紙を取りに行った。紙を開くと『多目的教室に閉じ込められています。助けてください。』と書いてあった。
 しばらくすると、また紙が落ちてきた。今度は『多目的教室のドアを開けてください。トイレに行きたいんです。お願いします。』とある。ぼくは「すまん、赤松、もう少し我慢してくれ」と呟いて、彼女に見付からないように紙を回収した。
 少しするとまた彼女が紙を投げた。どうやらメモを書く為に一回ずつ顔を引っ込めているらしい。ぼくはまた赤松の顔が見えなくなるのを待って、紙を拾いに行った。
 今度のは風に流されて、比較的焼却炉に近いところに落ちていた。ぼくはゴミ集積場の影から少しだけ身を乗り出して、紙くずを拾おうとかがみこんだ。その時、人が近づいてくることに気が付いた。雲間から覗く太陽が、薄い人形の影を作り出す。その人物はスカートを穿いていた。
 女子生徒はぼくに気付かず、どんどんこちらへ近づいてくる。彼女のスカートが、弱々しい風に翻る。
 それがぼくの視界の端に入った瞬間、また既視感に襲われた。そして、ぼくの中の鍵が開いた。
 焼却炉。物を拾おうとする自分。風に翻るスカート。
 それは、開けないようにしていた記憶の抽斗のものだった。
 人影は焼却炉を覗き込もうとしてようやくぼくに気付き、すぐに引き返そうとした。そこここに水溜りの残る地面を、歩きにくそうに、それでも急ぎ足で去っていこうとしている。
 ぼくは彼女の名前を呼んだ。
「田口」


つづく



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