23話 【Worrisome Heart!】


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23話 (―) 【Worrisome Heart!】



■ 杣庄 ■

伊神さんには訊きたいことが山ほどあった。
何をって? それは勿論、透子とどう過ごしていたかをだ。
野次馬と言うなかれ。自分でもそう思う。思うが、気になるものはしょうがない。真相を知りたがってる人間は、意外にも多いのではないか。
例えば其の一。いたいけな透子に避妊具を譲ったという平塚鷲は、朝食バイキングの最中にこんなことをのたまう。
「夜中じゅう、ずっと気になってて。『今頃何が起きてるんだろう』って思ったら気が気でなくて、俺、マジで寝不足なんスよ……!」
「俺はお前を簀巻きにして三河湾に沈めたい気分だ、平塚」
「俺は! てっきり馬渕さんが使うと思ったんですよー! まさか馬渕さんが潮嬢に渡すなんて誰が予測出来ます!?
ソマ先輩は2人がどうなったのか御存知なんですよねぇ!? 教えて下さいよー!」
「ちっ……」
馬渕サンを恨んでいいのか悪いのかも分からないし、2人のコトにしたって質問しづらく、聞けずじまいなのだ。
やり場のないモヤモヤ感を、ウィンナーをフォークで貫くという行儀の悪さで払拭しようとしたが、上手くいかなかった。
テーブルの斜め向かいの席で平塚はサバの味噌煮を頬張っている。その様子を眺めながら、俺は疑問をぶつけた。
「で? 不破の野郎は何してた?」
「別に。俺の知る限り、どこにも行きませんでしたよ」
「気になるならコソコソ嗅ぎ回ったりせず、直接本人に訊けばいいじゃないですか。ソマ先輩? 平塚、前座るぞ」
出やがったな。真相を知りたがってる其の二にして最大の捻くれ者、不破犬君。
和を中心としたおかずを盛り付けたプレートを平塚の前に置く。不破と俺の席は隣り合ったわけだが、顔を見たりはしない。
「お前と話なんかしたくねーんだよ。それに、」
「……何ですか」
むっつりと椀物に手を伸ばす不破。
「お前、馬渕さんと寝たって話になってんぞ。その件についても素直に教えてくれるのか?」
その瞬間、不破は味噌汁を盛大に吹き出した。


■ 透子 ■

「潮ちゃん、お隣りで食べてもいいかしらぁ?」
「嫌です。あっち行って下さい」
速攻で答えたのに、馬渕先輩は「んふふ」と、私からしてみれば不敵極まりない笑いを漏らしながら隣りに陣取る。
その後ろには、暴走気味の馬渕先輩を御するのに疲れた様子の八女先輩がいた。私の真向かいは千早さんだ。
「透子ちゃん、あまり眠れていないのかしらぁ? 目元が二重になってるわ」
朝っぱらから立派なセクハラだ。早速根掘り葉掘り聞き出しに来た。
「元から二重瞼です」
「そうだったかしらぁ。……つまんないなぁ。いいわ潮ちゃん、もうズバーって訊いちゃお。伊神君とはどこまで?」
オブラートにさえ包まれていない、正真正銘ストレートな質問。思わず割り箸を握る手に力がこもる。
私の斜め前では八女先輩がこめかみを押さえ、千早さんはと言えば、ゆでダコのように真っ赤な顔を俯かせていた。
「伊神さんは……っ、や、優しかったですよ!?」
昨日馬渕先輩は、私と伊神さんが一緒に過ごすことさえ無理だろうと予測していた。だから彼女は驚いていた。
それ以上に、狡猾なこの女性はこの展開を楽しんでもいた。
「そう、やっぱり伊神君は優しかったのね。よかったわぁ。わんちゃんったら、夕べは激しくて」
「!!??」
意味が分からなかった。というか、分かりたくなかった。宣言通り、馬渕先輩は不破犬君と一緒だったのだ――!
「ストップ。ウソを広めないで下さいよ」
背後から聞こえて来たのは不破犬君の声だった。
「いやん、バレちゃったぁ。駄目よわんちゃん。少しは泳がせてくれなくちゃ」
「そのウソに何のメリットがあるんですか? ……透子さんに話があるんですけど」
「私にはないから」
「透子先輩」
小声で窘めたのは千早さんだった。私は渋々「分かったわよ」と呟き、席を立つ。
返却口があれば隙を狙って逃げ出せたのに、生憎このホテルはサービスが行き届いていて、使用済みの食器はスタッフが抜群のタイミングで提げてくれる。
お陰で私は口実も逃げ場も失い、とうとう不破犬君と対峙せざるを得なくなってしまった。


*

私たちはロビー片隅で話すことになった。ここなら色んな意味で都合がよかったからだ。第三者が近付いてきても、距離感が掴める絶好の場所だった。
「僕が一番ショックだったのは」
隅ギリギリの壁にもたれ、窓ガラス越しに外の景色を眺めながら、呟くような小声で不破犬君は言った。
「伊神さんと付き合い始めた話を、本人からではなく、噂経由で面白おかしく聴かされたことです。未だに透子さんから説明して貰えないのもツラい」
「あ……謝らないわよ。そもそもそんな約束をした覚えはないし、私が誰と付き合おうが勝手でしょ……っ」
天邪鬼な私は、千早さんに説明した言葉とは真逆の態度を取ってしまう。
不破犬君には自分からきちんと説明する――。彼女にはそう誓ったのに、今の私は彼の神経を逆撫でするようなことばかり口走っている。
「僕って、本当に眼中になかったんですね」
寂しそうに笑う不破犬君が不憫で、でも今更、そう思っていい権利など持ち合わせていない。
「……貴方も、その毒舌を引っ込めればそれなりに見えるんだし、さっさと他の女性を好きになりなさいよ。
本当にわけ分かんないわ。こんな意地悪で、いやな気分にさせる女を、どうして好きでい続けられるの?」
「透子さんを見初めた理由は秘密です。悪しからず」
「またそんなことを言う……」
前回尋ねた時もそうだった。ひとに教えられないような理由なのだろうか。かえって怖い。
「確かに透子さんは意地悪なところもあるし、ひとを不愉快にさせる天才ですけど、伊神さんが選んだ女性ですからね」
「貴方の口から伊神さんを褒め称える言葉が出るとは思わなかったわ。どういう風の吹き回し?」
「僕だってユナイソン4年目です。色んな話を聞きますよ。
伊神さんを悪く言う人はいないし、僕が惚れた透子さんの想い人ですから。総合すると、お2人共『いい人』ってことになるでしょ?」
一見、筋が通っているようで、雑な理論でもあった。予想の斜め上を行く男なのだ、不破犬君は。
「これだけは知っておいて下さい」
「何?」
「この先、例え何かが起きたとしても、僕は透子さんを想い続けます。好きな気持ちは変わりません」
「……あのね、人の話聞いてた? 他の女性を探しなさいって言ってるの」
「何が起きたとしても」
不破犬君は繰り返した。揺るぎない言葉に、とある一計が浮かんだ。
私はポケットに忍ばせていた小さな包みを渡す。中身はハンカチで包まれているが、彼にはお見通しだったようだ。
「これ、平塚君に返しておいてくれる?」
「……未使用? ま……まさか中だ……」
「殴るわよ?」
物騒なことを言い出す前に、私は鋭く睨みつける。やれやれと不破犬君は肩を竦めた。でもホッとした様子なのは傍目にも分かった。
「……使わなかったんですね。じゃあ2人はまだ……」
「心は繋がってる。……伊神さんは、その……」
「……あぁ、そう……だったんですか。一瞬喜んだ自分が情けないです。伊神さん……可哀想に」
私は耳を疑った。てっきり『ざまぁみろ』だとか『情けない』などと、チキン呼ばわりすると予想していたのだ。
なのに不破犬君の顔は深刻そうで、心の底から侘びているようだった。
計算外だった。
彼が伊神さんを否定した瞬間、私は『最低ね、貴方とは口もききたくない』と言って仲違いをし、彼の恋心そのものを粉砕しようと目論んだのだ。
私は腑に落ちず、呟きにも似た質問をしていた。
「どうして……? 喜ばないの?」
「……!」
途端、彼は怒りと悲しみが綯い交ぜになった表情へと変貌した。顔を紅潮させ、何か言いたそうな言葉を飲み込み、それでも最後は振り絞るように吐いた。
「ひどい侮辱ですね。僕は、同性の深刻な病気を嘲笑ったり、喜んだり、悪く言ったりしませんよ……!
僕をそんな下劣な人間だと思っていたんですか!? 心外です」
目には静かな怒りの炎、吐き出される心情は責め苦にも似た訴え。
私は本気で彼を怒らせた。
「もう行きます。荷造りの準備をしないと。それじゃあ」
私は……不破犬君に見限られるのが私の望みだったはずなのに。
それどころか、取り返しのつかないことをしてしまった。ひととして最低な暴言を吐いて彼を踏みにじったのだ。
(これで私への恋心は木っ端微塵、跡形もなく、綺麗になくなったわ。よかったじゃないの。こうなるのが望みだったんでしょう?)
(そうだけど、でも……! 私は、彼の人格そのものを否定したかったわけじゃないの!)
(彼を完全に見くびっていたわね。あなたも相当の女だわ。ひどい女!) 
(私は……っ)
(もういいじゃない。あなたには伊神さんがいる。何が不満?)
(今のやり取りで、不破犬君は相当傷付いたはずだわ!)
(あはは、今更何を言ってるの? 彼はずっと傷付いてたわ。4年前からずーっとね! 毎日毎日、あなたから『伊神さん伊神さん』って聞かされて!)
(……!!)
(あなたこそ、不破犬君の前から去るべきなのよ。寧ろ『去れ』と言ってもいいのは彼の方だわ。潮透子側にその権利はない)

『この先、例え何かが起きたとしても、僕は透子さんを想い続けます。好きな気持ちは変わりません』

(……あはは。凄いわ、透子!)

『何が起きたとしても』

(3分と経たない内に不破犬君の宣言を破壊してみせるなんて! やっぱり透子、あなたは相当ひどい女よ!)


*

「透子ちゃん。……透子ちゃん?」
ハッと我に返り、顔を上げる。心配そうに私を見つめる伊神さんが目の前に立っていた。肩にはボストンバックを掛けている。
「チェックアウトの時間だよ。そろそろ行こう」
「伊神さん……」
私は『何でもないの』とばかりに笑顔を作る。伊神さんはただ黙って笑みを返してくれた。
「透子先輩」
今度は千早さんの声がした。彼女の右肩には自分の旅行カバンが。左手には私の旅行カバンを持っていた。
「……千早さん! 荷物纏めてくれたんだ? ありがとう」
「いえ、どう致しまして」
この旅行で私が得たものは大きい。失ったものの大きさも、比ではなかった。
全てを受け入れるしかない。これは私の慢心と横柄な態度が招いた結果だから。


2012.05.07
2019.12.23 改稿


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