「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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05話 【白山羊と、黒山羊】
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05話 (迦) 【白山羊と、黒山羊】
___01
白やぎさんからお手紙着いた 黒やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに
「白やぎさんを『青柳さん』に替えようかしら。語呂もピッタリだし。アオヤギさんからお手紙着いた、シキカリンたら読まずに食べた」
「正確には『読まずに食べた』じゃなく、『読んでから千切った』んですけどね」
不破君だった。彼は出勤早々、未読分のFAXに目を通している。後輩の茶々を黙殺し、私は続きを口ずさむ。
「仕方がないのでお手紙書いた、一昨日の手紙のご用事なあに」
「書いたんですか?」
「何を?」
「手紙ですよ。今歌ったでしょう? 仕方がないのでお手紙書いたって」
「書くわけないじゃない」
「ですよね。えぇ、分かってますとも」
心なし、不破君は不服そうだった。
___02
ドライ売り場バックヤード。細長い廊下の先には納品されたての段ボールが積み上げられていた。
商売道具である品物が納められており、今から陳列の為の開封作業を始めるところだった。私はカッターナイフ片手にひとつずつ開けて行く。
音は一種のGPSだ。そう思ったのには理由がある。開封音を頼りに、青柳チーフが私の居場所を突き止めてしまったからだ。
私を見付けるなり、青柳チーフは有無を言わさず前に立ちはだかった。逃がす気などないらしく、鋭い双眸でしっかり見据えられてしまう。
それでも悪足掻きを試みた私は、足を1歩、それとなく下げてみる。
隙を見て駆け出すつもりだったのに、行動は容易く読まれていたようで、チーフに腕を捕まれてしまった。
「……セクハラですよ」
そんな脅しも彼には通用しない。
「話がある。聞け。上司命令だ」
「……パワハラです」
言い終わらない内に、段ボールの壁に押し付けられる。後頭部をしたたかに打ち、痛みと乱暴さに私は顔をしかめた。
「俺をからかうのもいい加減にしろよ? 今までは大人しく見逃してやったが、これ以上逆らう気なら本気でお前の懲罰処分を望むからな。
それが嫌ならその性格をどうにかしろ。プロなら公私を分けろ。俺が嫌いならそれで構わない。だが仕事の時だけは俺の話を聞け。お前は俺の部下なんだから」
鼻同士がくっ付きそうな距離まで近付かれてしまい、口も挟めないほどの弾丸トークを展開されてしまっては後手に回るしかなく、反撃不可を悟る。
「反論なら後でまとめて聞いてやる、お嬢様。俺が先に言わせて貰う。お前の考案した朝食フェアが大当たりで、ネオナゴヤがドライ部門1位を取った」
「え……」
「おめでとう。よくやった。一昨日はそれを言いたかったんだ。ブッキングされたがな」
少しだけ後悔の念に苛まれる。てっきり何かの失敗を突き付けられるとばかり思っていただけに、この展開は全くの予想外だった。
だったら呼び出した紙に一言添えてくれればよかったのに。朝食フェアについて話があるとでも。……それで出向いたかどうかは分からないが。
本題はあっさり終わり、続いて私へのお小言が始まる。私の態度に、青柳チーフは相当不快な思いを抱いていたというくだりから入った。
「今まで色んな部下を育てて来たが、お前のような跳ね返りは初めてだ。
上司を敬わず、態度は横柄。話を聞いているのか聞いていないのか分からない。挙句に不破経由で打ち合わせを成立させるなど、呆れて物も言えん。
俺が嫌いなら、その理由を聞かせて貰おうか。俺だって人間だ。好かれも嫌われもする。欠点があれば直そうと思う。
きっとあるんだろう? 俺に対して思うところが。この際だからはっきり言ってくれ。志貴が俺に抱いている感情を」
ここでやっと青柳チーフは私を解放した。それでもまだ彼との距離は近く、私を直視したまま。
チーフと正面から向き合ったのは今回が初めてだ。『非を指摘しろ』と言って来たことも。
彼が真摯に私と対等するつもりでいるなら、私も逃げるわけにはいかない。
彼は言えと言った。だから言う。本音を晒せと言われたから本音を言う。もう怯まない。覚悟を決める。
「チーフ」
「何だ」
「後悔しますよ」
「いいから言え」
チーフ、貴方は馬鹿です。最終警告を無視するなんて。私に言わせるんですか?
「……仕方ないですね。じゃあ、言います」
警戒するように、青柳チーフは生唾を飲み込んだ。咽喉が動くのを、私は見た。
この人でも緊張する事があるのか。私程度を相手に。
そう思うと微笑ましくて、思わず笑んでいた。そして、突いて出た本音。
「私は、どうしようもないほど青柳チーフが好きです」
私はチーフが苦手だった。でも、それ以上に大好きだった。
気が付けば、いつも青柳チーフを目の端で追っていた。
近寄れば、私のことだ、本人は愚か他人にもその好意が筒抜けになってしまうだろう。
態度で示せば私の想いなど、あっという間にバレてしまう。
だから私は距離を取った。彼を無視した。気がないように見せるために。この想いが発覚しないように。
青柳チーフが休みで職場にいない日、私は絶好調だ。逆にチーフが出勤の時は、まるで人が変わったかのように別人になってしまう。
彼を避けるように歩き、常におどおどし、びくびくし、顔も強張り、つられて暗くなる。
泣けるほど無能で役立たず。常に失敗を恐れている自分は情けなく、惨めで醜い。
それは、単にチーフに失敗したところを見られたくないから。嫌われたくないから。たったそれだけの理由。
複雑な乙女心は、まるで天秤のよう。ゆらゆら、ぐらぐら。嫌悪は好意の裏返し。
「私の好きな人は青柳チーフです」
「……志貴。まずは、言い過ぎたことを謝る。すまなかった」
今では青柳チーフから凄みが消え失せていた。
嫌われていたと思っていた人物から予想外の言葉を聞かされて、さぞやお困りだろうと思いきや。
「お前の、俺に対する感情は分かった。だが……すまない。お前とは付き合えない」
と切り返された。『明日の天気は雨なんですって』『あぁそうなの?』と交わす程度の淡白さで。
そこまで明白に突き付けられてしまっては、女々しく追い縋る愚か者にもなれやしない。私の告白はいとも簡単に流された。
チーフは、「だが、それが何で俺をことごとく避ける理由になるんだ?」と呟いている。
報われない、と思った。私の心も、私の存在も。
私が絶句していると、チーフのスラックスからスマホの着信音が甲高く鳴り出した。
「今すぐ行きます」という二つ返事ののち、チーフは私と視線を合わせ、かと思えば無言のまま踵を返してどこかへ行ってしまった。
私は暫く呆然としたままその場に立ち尽くす。
やがて不破君が私の近くを横切った。私の口は、自然と彼を呼び止めていた。
「今から一緒にご飯食べに行かない?」
私の態度に異変を感じたのか、妙なところで勘の鋭い不破君は、己の腕時計で時間を把握すると「いいですよ」と首肯した。
2人でテナントの洋食屋に入ると、奥まった位置を陣取る。そして早々にさっきの出来事をぶちまけた。
___03
不破君は、私がチーフに告白した事に驚き、チーフにフラれた事にも驚き、その理由を尋ねなかった私にも驚いていた。
つまり、一連の流れそのものに。
特に解せなかったのが一番最後の部分だったらしく、『断るにしても何が原因だったのか』と首を捻っていた。
「チーフに彼女がいるなら分かりますけど」
「え? 伊神さんという彼氏がいても健気に想い続けてる不破君がそれを言うの?」
「……今は大人しく静聴してて下さいよ」
「私を振ったのは、単に私が嫌いだったからでしょ。常に反抗的な態度だったし。仕方ないよ、自滅しただけって感じ」
「それにしたって理由を聞いておくべきでしたよ。今まで反抗的だったとしても、志貴さんの努力如何によっては気に入られたかもしれないのに」
もぐもぐとハンバーグを咀嚼する。私は肉汁が凝縮された肉の欠片と同時に、不破君の言葉を噛み締める。
私の努力如何によっては、挽回の余地があるのだろうか。とてもそうは思えない反応だったけれど。
___04
ここで問題が勃発する。
今の私は仕事で青柳チーフと接触せねばならず、どの面下げて――と居た堪れない状況だ。
結局、「いまさら何を言ってるの?」という自嘲めいた己の言葉が後押ししてくれたお陰で、私は覚悟を決めることが出来たのだった。
必要な書類と筆記具を掴むと、私は重い足取りでチーフを探すことにした。
POSルームを覗いたけれど、オペレーターしか見当たらない。売り場にもいない。一体どこへ行ってしまったのか。
居場所を訊いてから向かえばいいのかと気付き、現在位置から一番近い柱に設置してある固定電話から内線ボタンを押す。
すると数十メートルと離れてしない場所から、あの独特な甲高い音が鳴り出した。間違いなく青柳チーフのものだ。
居場所が掴めたので、私は受話器を置いて音のした方向へと向かった。
コスメ売り場のバックヤード、青柳チーフはそこに居た。柾チーフと会話中だったようだ。
「鳴りやんだな」
「534ってどこの内線番号でしたっけ」
「バックヤードだと思うが、どこの売り場だったかな……?」
「すぐに切れたということは、大した用事じゃなかったのかもしれませんね」
「用があるなら、また掛かってくるだろう」
そんなやり取りがあり、青柳チーフはスマホをスラックスに戻した。柾チーフとの会話を優先させたかったのだろう。
声を掛けづらくなってしまい、キリがつくまで待とうと柱の陰に隠れる私。柾チーフが「青柳、先程の話の続きを」と促す。
「朝食フェア成功を褒めるために志貴を捕まえました。でも思わず、なぜあんな態度を取るのかと、俺は志貴に迫っていました。志貴は……」
「告白でもされたか? お前が好きだったんだろう?」
「な……」
驚いたのは青柳チーフだけではない。私もびっくりして咄嗟に口元を押さえた。「え!?」と漏れてしまうのを防ぐために。
「知ってらしたんですか?」
「彼女から直接聞いたわけではないが。……それでお前は?」
「付き合えないと言いました。俺は、職場恋愛はしない主義なんです。それに――」
そこで、青柳チーフは言葉を切る。柾さんは「それに?」と反芻。
「そもそも志貴が好きなのかどうかも怪しくて。今まで彼女を女性として見たことがなかったので」
職場恋愛はしない。志貴迦琳は恋愛対象ではない――。その事実を突き付けられ、私は肩を落とす。
不破君は、私の努力如何によっては挽回の余地があるかもしれないと励ましてくれたけれど、あっさりと望みが断たれた形だ。
覚束ない足取りで私は来た道を戻った。
___05
毎日顔を合わせなければならない上司に失恋した。
あの告白で私が得たものは何もない。むしろ損失の方が大きかった。本音を曝したばかりに、私は拠りどころを失ってしまったのだから。
今まで心を閉じ込めることで正気を保っていた。チーフが私の本心を知らない限り、砦は頑丈なまま一切の敵を寄せ付けずに済んだのだ。
一瞬の気の迷いが、かたく閉ざしていた門を解錠させ、敵の侵入を許してしまった。
悔しくて仕方ない。なぜ吐露してしまったのか、悔やんでも悔やみきれない。
私と青柳チーフの仲は、ぎこちなくなるどころか、無関心・無反応・無視という、告白する以前の関係に戻っていた。
相変わらずチーフは私に鋭い視線と叱咤を送り、私は彼から逃げつつ、不破君経由で仕事をこなす。
不破君は「もう好きにして下さい」と呆れ果て、何かを諦めたようだった。
私もチーフへの想いを諦めるべく、自分に言い聞かせるよう努めた。
チーフが常に冷静なのは、私を女として全く意識していないことに他ならないのだから。
2011.05.12
2025.12.09
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