New Zealand 虹の立つ国へ

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■第17章 『仕事』


Tauranga

第17章 「仕事」


当時の私の仕事は日本に居た時ほどではないが、それでも一人で何役もこなすMulti taskを要求されていた。

1)NZの会社が日本の米材専門輸入商社にNZ材を輸出していたため、積み取り船の入港前から積地であるTaurangaとGisborneに出向き丸太の検品および船積みの立会い。

2)また当時は丸太だけでなく製材品も輸出していたのでこれら製品のQC(コントクオリティー・コントロール)、製材工場はタウランガとギスボーン。
そしてNZのもっとも北にある町で繊維合板が生産されており、この工場からの製品のQCも兼ねるといったものだった。

日本と違い交通網が発達していない国なので、何処に行くのも車。
NZに着いて直ぐ車を購入したが、たちまちのうちに7万キロ近く走ってしまう。

タウランガはまだしもギスボーンに行くとなると片道6時間は優に掛かる。
最北端の町のKaitaiaへも同じくらい掛かったと思う。
当時は今ほどスピード違反の取締りも厳しくなく、一旦郊外のオープンロードに出てしまえば、皆殆ど制限時速無視の状態で走っていた。
ある日、Kiwiの監督と一緒にオークランドからカイタイヤまで一緒に行ったのだが、私が時速100キロで走っていると、
彼が「Kiwiはこんなスピードでは走らない。だから俺に運転を代われ、そうじゃないと今日中に目的地に着かないぞ。」と言う。
それならと彼にハンドルを任せると、なんと時速140キロで走り出した。
これにはさすがの私も驚いた。

3)仕事で一番大変だったのが、QC(品質維持)の仕事。
丸太はさておき、製材品と繊維合板のQCは非常に大変であった。
当時のNZの製材品は後発の南米からチリ材にすこしずつマーケットシェアを食われつつあった。
その理由は製品の精度の差である。
NZの製品の精度はお世辞にも良いと言えるものではなく、この精度の向上が急務であった。
一方のチリからの製品は、豊富で安い賃金をベースに日本市場を意識した製品作りをしていた。
聞けば、「日本移民」の技術指導などもあったという。
製品の精度、仕上げ、梱包の仕方などにそれらがしっかりと表れていた。

ではどうしたら、そんなアドバンテージを持つ製品と競合出来るのか?
それにはまず工場の機械整備と働く連中の意識改革から始めなければならないと考えた。
特に製材工場で働く工員の意識には良いものを作ろうなどと、いう意識は殆どなくただ決められた仕事を毎日こなすだけであった。

当時NZは国を挙げての構造改革が終わったばかりであった。
これは世界的に有名になった話なので、ご存知の方もあろうかと思うがNZ政府が旗振りになって、あまりに肥大化して社会主義的になった
自国の産業構造を根本から改革するために、多くの国営企業を解体・民営化したのである。
またそれと同時に多くの規制撤廃も行われた。

例えば私がNZに来る前は、NZに丸太積み取りで船を配船すると、1ヶ月の滞船などざらであった。
ステベ(港湾労働者)のストライキである。
何事もなければ長くて一週間で積み取れるものを一月も滞船されては船会社はたまったものではない。
何かあると直ぐにストライキ。
労働者の権利を保護するあまりに、組合の権利が強大化した結果である。
労働者も過保護になれば仕事に対する情熱も薄れてしまう。
無論これらの偏向した権利の主張と膠着化し全く柔軟性を欠いた組織が
NZ全体の産業構造の大きなブレーキになっていた事は周知の事実であった。

当然これらの構造改革には反対も多く、特に労働組合からは猛烈な反対があったと聞く。
この構造改革は政府・国営企業のみならず、同時に民間企業で働く人間が所属する組合の権限も大幅に制限したのである。
また同時にあらゆる分野での業務の簡素化と組織の解体も行われた。

結果から言えば、この構造改革は良いものばかりをもたらしたものではなかったが、
全世界からも注目され、日本の政府、地方自治体などもこぞって視察団体を派遣したこの改革は概ね良好な結果を得たと言えるであろう。
また、この改革がなければ現在のNZの経済発展はなく、未だにマトンと丸太と果物だけを輸出する、
そして英国流の社会主義の悪いところだけを引きずる国だったかもしれない。

私がNZに渡った当時は、まだその構造改革の余波が完全には収まりきっていない時期でもあった。
その為工場の工員達は、決まった時間に来て、決められたノルマを消化して、決まった時間に帰る。
その風習から脱しきれていなかったのである。
そこへ日本が要求するものをいきなり持ち込んでも、反発と無関心しか返ってこない事は判りきっていたので、
とにかく少しずつ工員達の意識改革から始めた。
まずは彼らの仕事を理解する事。
口で言うのは易しいが、彼がどんな日常を送っているのか自分が体験してみるのが一番だと考えた。
時には彼らと一緒になって工場で丸太を挽いたりもしたし、製品のグレーディングは勿論、
梱包の現場で指導しながら彼らと一緒に汗を流した。
作業の一つ一つを実際に彼らとやって見る。
そして難しさも理解してやる。
金曜日の作業後のビールも一緒に飲んだ。
しかし、結果的にはこれが良かったのである。
その後ギスボーンから出る製材品は日本市場で高い評価を受ける事となったのである。

またカイタイヤの繊維合板工場は後年広島のJ社が買い取り今でも日本向けに製品を輸出している。
しかし、その製品作りの基礎を作ったのは当時の我々であった。



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