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愛知県小牧市の「こまき巡回バス」に乗る機会がありました。こまき巡回バス 2013年6月小牧駅にて posted by (C)喜多山栄 愛知県の自治体バスは1乗車100円が多いですが、ここは大人1日200円。乗車時に200円支払うと、1日有効のチケットが渡されます。2006年に廃止された「ピーチライナー」代替の「ピーチバス」の割引券もついてきます。「巡回バス」「ピーチバス」ともに運行事業者はあおい交通です。こまき巡回バス乗車券 posted by (C)喜多山栄 65歳以上は無料。他の市で見られるような優待乗車証などは発行されておらず、顔パスです。ショッピングセンター「アピタ」に近い、小牧市役所前バス停ではバスを待つ客で盛況でした。こまき巡回バス 2013年6月小牧市役所前にて posted by (C)喜多山栄 車両は小型ノンステップバス「日野ポンチョ」。乗り降りしやすく車椅子にも対応します。 ここ数年で市町村バスの情勢が変化しています。1周1時間といった、漫然と長距離のの巡回路線を走らせるスタイルから、幹線と支線というように効率化が図られています。末端では予約制のデマンドタクシーにしているところもあります。デマンドタクシーは小牧市でも検討されており、この夏から実験運行されるとのこと。 我々若い世代も、いつかは車の運転ができなくなるときが来ます。将来を見越したまちづくりを真剣に考えなければならないと思ってます。
2013.06.15
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清里の観光は山梨交通が運行する清里ピクニックバスを利用することにしていました。 JR清里駅のコインロッカーに荷物をおいて、駅前の観光案内所で一日乗車券(600円)を入手。一回乗車は300円です。平日コースと休日コースは異なっており、私が訪れた日は休日コース。バス2台が2コースに分かれて巡回します。清里ピクニックバス1 posted by (C)喜多山栄 バスはレトロ調車体ともいわれる小型のジョイフルバス。運転席後のスペースの床が高くなっていたので、マイクロバスの改造車なのでしょう。清里ピクニックバス2 posted by (C)喜多山栄 車内はすわり心地の硬い木の座席が並んでおり、長時間の乗車はきつそうです。車内はほぼ満席でした。清里ピクニックバス3 扇風機 posted by (C)喜多山栄 窓が全開で天井では小さな扇風機が回っています。避暑地ゆえでしょうか。盛夏の時期にエアコンなしはちょっときついですね。訪問した日は特に暑い日でした。清里ピクニックバス4 車窓 posted by (C)喜多山栄 途中の車窓では、牧場で飼われている牛が見えるところも見えました。私たちはまず、清里観光の定番とも言われる清泉寮を目指しました。【開封販売品】THEバスコレクション第11弾123山梨交通価格:525円(税込、送料別)
2011.09.03
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名古屋は中部電力管内であり、同社は静岡県御前崎市に浜岡原子力発電所を保有しています。予想される東海地震震源域が直下にあり、その危険性が指摘されています。隣県である愛知県民である私はやはり不安です。 中電はいったん運転を停止し、防潮堤など津波対策を施した上で再開するとしていますが、はたしてどうしたものでしょうか。福島原発事故を受けて、政府、電力業界には国民の不安を取り除く努力を求めたい。「脱原発」もありということなんでしょう。 さて、仕事の関係で静岡へ行ってきました。上司から「浜岡へ行って写真を撮ってきてほしい」と頼まれていたので、静岡駅前からしずてつジャストラインの路線バスに乗り込み、浜岡原子力館をめざしました。 実は浜岡へ行くのは26年ぶり。高校生のときに大井川鉄道、静岡鉄道乗りつぶしをした折に、御前崎観光をしに行ったのでした。路線バスを乗り継いで、当時の「PR館」(現在の浜岡原子力館)、ねむの木美術館などを見学した覚えがあります。 今回静岡駅前から乗ったのは、「相良営業所」(牧之原市)行き。26年前は「御前崎サンホテル」行きに乗りましたが現在、相良営業所以遠の御前崎市内へ直通する路線はありません。しずてつジャストライン 相良営業所行き 静岡駅前 posted by (C)喜多山栄 バスは日野セレガR。静岡インターから吉田インターまでは東名高速道路を走行します。一般道に入って、海岸線が見えてくるとやがて、相良営業所に到着です。 26年前は日が暮れてから乗ったので、景色は覚えていません。 しずてつバス車内では関西私鉄共通ICカード「PiTaPa」が使えました。この先、市のコミュニティ路線になるので、営業所で小銭を両替しておきました。同社独自のICカード「LuLuCa」やプレミアつきの磁気カード「パサールカード」も併用されていました。しずてつジャストライン 金谷駅行き 相良営業所 posted by (C)喜多山栄 藤枝駅や金谷駅と結ぶ一般路線バス系統もあります。 私が乗り込んだ浜岡営業所行きは高速仕様車。出入庫を兼ねていたのでしょう。「原子力発電所入り口」から徒歩15分ほどで「浜岡原子力館」に到着です。見学をして展望台から写真を撮って1時間ほど滞在しました。浜岡原子力発電所 posted by (C)喜多山栄しずてつジャストライン 浜岡営業所行き 原子力発電所入り口 posted by (C)喜多山栄 再びバス停に戻り。浜岡営業所へ。非常に暑い日で、真っ黒に日焼けしてしまいました。 浜岡営業所からはJR菊川駅行きのバスに乗車。ICカードはすべての車両で使えるわけではないようです。私が乗った車両は非対応で、現金精算しました。しずてつジャストライン JR菊川駅行き JR菊川駅到着 posted by (C)喜多山栄 今回走ったルートは26年前とほぼ同じルートですが、御前崎の突端まで行く路線はなくなっていました。まあ、常識的に考えて名古屋からであれば、ドライブコースです。路線バスで来る酔狂な人は少ないでしょう。でも、私は運転に気を使うことなくのんびりできる路線バスが好きです。
2011.08.09
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今回の旅行で妻に私の趣味に関する“わがまま”を聞いてもらったのが碓氷峠・軽井沢経由でのアクセス。高崎からJR吾妻線・長野原草津口経由でも可能ですが、廃止以来始めての横軽訪問にわくわく感を感じていました。JRバス関東 横川 posted by (C)喜多山栄 横川駅に到着して、碓氷峠越えにかかわる資料、車両を収蔵した「碓氷鉄道文化むら」にぜひ入場したかったところですが、開館時刻には早すぎたため入場は断念。バス乗り場に止まっているJRバス関東の軽井沢行きに乗り込むことにしました。JRバス関東 横川2 posted by (C)喜多山栄 前乗り、前降りの路線型車両。車内は座席がほぼ埋まる状態。片道1人500円の運賃は乗るときに支払います。JRバス関東 碓氷バイパス1 posted by (C)喜多山栄 バスは「碓氷バイパス経由」とのことでした。途中停留所はなく、軽井沢駅までノンストップです。JRバス関東 碓氷バイパス2 posted by (C)喜多山栄 急坂を上って、群馬県から長野県へ。途中路面が荒れているところもあり「揺れますのでご注意ください」と運転手が注意を促す場面も。 片道30分以上ノンストップであるわけだから、もっと乗り心地のいい観光バスタイプの車両を期待したいですが、バス業界もコストダウンが叫ばれ都市間高速バスでも短距離であれば路線タイプの車両が導入されているご時勢ですから、難しいのかもしれません。JRバス関東 碓氷バイパス3 posted by (C)喜多山栄 別荘地らしき風景が車窓に見えてきたら軽井沢です。草津温泉ゆきのバスの時間まで小休止としました。
2010.09.19
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実家の用事の処理のため、松山へ。名鉄バスセンター案内表示 posted by (C)喜多山栄 大至急の用事だったので、行きは夜行高速バス、帰りは飛行機という日程でした。せっかくの松山でしたが、路面電車に乗る時間も道後温泉に浸かる時間もなく至極残念。 名古屋~松山を結ぶ夜行高速バスはJR系と私鉄系のダブルトラック。JR系は松山到着が遅くなるので、名鉄バスと伊予鉄道が共同運行する便を選択。G子さんの見送りを受けて名古屋・名鉄バスセンターからバスに乗り込みました。高速バス乗車券 posted by (C)喜多山栄 電話予約したチケットを受け取るため、きっぷ売り場へ。片道1万円のチケットはペラペラの感熱紙。乗るときに回収されてしまうので、座席番号さえ分かればいいというものなんでしょう。 当日のバスは1台運行で名鉄バスの担当で行先は愛媛県の八幡浜。乗務員から東名阪~新名神~名神~中国道~山陽道~明石海峡大橋~淡路島~大鳴門橋~徳島道~松山道というルートが案内されました。 発車して1時間後に消灯。知らない間に寝ていました。未明、目を覚ますともう徳島県に入っていました。途中、乗務員交代のための停車は何度かありますが、ドアが開くのは早朝の松山道のパーキングエリアで1回だけ。私は眠かったので降りずに乗りとおしました。トイレや給湯器、ティーバッグなどは車内にあります。伊予鉄松山市駅到着 名鉄バス posted by (C)喜多山栄 路面電車が発着する伊予鉄道・松山市駅前に到着したのは定時の15分前。早着でした。7時間45分、椅子に座りっぱなしだったということです。3列のリクライニングシートですから、一応体は伸ばせます。夜行高速バスに乗るのは約10年ぶり。前回は東京行きのJR「ドリームなごや」でした。 道後温泉行きの路面電車を尻目に、乗りたい衝動を抑えながら用務先に向かいました。伊予鉄市内電車のりば 松山市駅前 posted by (C)喜多山栄
2010.03.28
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豊田市の小原地区(旧小原村)は秋に開花し、紅葉と桜の両方が楽しめることで有名。 快適ドライブコースですが、最盛期には渋滞するので要注意。私も以前渋滞につかまりえらい目にあったことがあります。今年は少し早めの平日に出かけました。観光というより仕事ついでですが。和紙のふるさと 四季桜と紅葉 posted by (C)喜多山栄 紙すき体験のできる和紙のふるさとや小原ふれあいのさと公園で四季桜を見ることができました。 公共交通のアクセスは「とよたおいでんバス」。かつては名鉄バスが路線バスを運行していましたが、豊田市内の路線バスはごく一部を除いて、市主体のコミュニティバス「とよたおいでんバス」に集約されています。 豊田・小原線の担当は名鉄バス。小原支所近くのバス停にやってきた豊田市駅行きは大型の路線車でした。通常の名鉄バス塗装のバスにマグネットで「とよたおいでんバス」と表示してありました。とよたおいでんバス 小原 posted by (C)喜多山栄 名鉄バスというと三菱ふそうのバスのイメージが大きいですが、豊田市内で見かけるバスはトヨタ自動車の系列会社である日野自動車のクルマが多くなっています。4つ目玉の大型車は「日野・ブルーリボン2」。いすゞ・エルガのOEM車です。 理由はわかるけれども、名鉄バスで日野、いすゞというのはまだ違和感あります。
2009.11.24
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仕事で奥三河へ行くことがあり、国道153号線をクルマで走りました。 途中、オレンジ色と白の塗り分けのバス「とよたおいでんバス」を追い抜いたのでカメラを構えてみました。 同バスは市町村合併で市域が広くなった豊田市が公共交通機関確保のために運行しているコミュニティバスです。「おいでん」とは三河弁で「いらっしゃい」という意味。とよたおいでんバス 日野・ポンチョ posted by (C)喜多山栄 豊田市内の国道153号線はかつては名鉄バスのエリアで長野県の根羽まで路線がありましたが、相次いで撤退。町村営の代替バスが運行されていました。 現在の「とよたおいでんバスさなげ・足助線」は2004年3月に廃止された名鉄三河線西中金駅から足助を通って稲武まで結んでいた路線の末裔。「西中金足助バス」「さなげ足助バス」(愛知環状鉄道四郷駅~足助・百年草)を経て、現在では路線が延長され、名鉄浄水駅近くの豊田厚生病院を起点に、愛環四郷駅、名鉄猿投駅を経て足助・百年草を結ぶ路線になっています。 路線再編直後は「さなげ足助バス」で使用されていたグレーの「日野・リエッセ」が使われていましたが、今回見たのは小型ノンステップバス「日野・ポンチョ」でした。 豊田市の移動支援サイト「みちナビとよた」によると、この白とオレンジの独特の塗りわけはJR九州や両備グループのデザインで知られるドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治氏と名古屋工業大学の合作とのこと。愛知県内でも“水戸岡デザイン”が活躍していることを改めて認識しました。にほんブログ村水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン
2009.11.13
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房総の113系お名残り乗車の帰りはバスを利用することにしました。特急「わかしお」で来た道を折り返せば早く戻れますが、面白くありません。内房線まわりで各駅停車を乗り通す気にもなれませんでした。安房鴨川駅(東口) posted by (C)喜多山栄安房鴨川駅 鴨川日東バス 城西国際大シャトル posted by (C)喜多山栄 安房鴨川駅の改札を出て、陸橋を渡ると西口のバスターミナルに出ます。東京行き(アクアライン経由)の「アクシー号」と千葉行きの「カピーナ号」があります。ちょうどいい時間に「アクシー号」があったので、乗ることにしました。安房鴨川駅西口 鴨川日東バス カピーナ号 posted by (C)喜多山栄 バスターミナルには到着便が乗客を下ろしていきます。東京(浜松町BT)行きの「アクシー号」は京成バスと鴨川日東バスの共同運行。私が乗ったバスは京成バスの担当便でした。安房鴨川駅西口 京成バス(高速) posted by (C)喜多山栄 乗車直前になって「もしかしたらETC1000円の影響でアクアラインは大渋滞では」と少し不安に。アクアラインに乗る手前で下車して木更津近辺のJR駅から電車に乗ることに決めました。「アクシー号」は運賃先払い。乗るときに行先を申告して運賃を払います。「木更津金田バスターミナル」までの運賃を払い、席につきました。 バスは房総半島を横断、JR久留里線に沿うルートで、こまめに乗客を拾っていきます。 「木更津金田バスターミナル」は東京湾アクアラインに乗る直前の巨大なパークアンドライド駐車場でした。案の定、目の前に見えるアクアラインに通じる道路は大渋滞。バスを降りて正解でした。 空車のタクシーが1台止まっていたので一番近いJR駅である内房線巖根駅まで走ってもらいました。1200円くらいでした。 巖根駅のホームにはすでに10月から投入される4扉車「209系」に合わせた乗車位置マークが描かれて準備万端のようでした。やってきた内房線千葉行きは113系。JR東日本エリアで113系に乗る機会はこれが最後かもしれません。豪快なモーター音とコイルばね台車の堅い乗り心地を体に染み込ませて帰路に着きました。
2009.10.20
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愛知県瀬戸市内のJR東海バスの路線は相次ぐ縮小により、水野団地循環路線、瀬戸市~上品野といったごく限られた系統のみ存続しています。9月末のJRバス撤退にともない、10月からは名鉄バスに移管されます。JR東海バス路線図 posted by (C)喜多山栄 瀬戸市内の「ジャスコ瀬戸みずの店」に近い「ききょう台」バス停から瀬戸市駅までJRバスに乗車してみました。ききょう台 バス停 posted by (C)喜多山栄 日産ディーゼルシャーシ、富士重工車体の大型車です。バスカードの類は使えないので整理券を取って小銭を用意しなければなりません。水野団地循環 ききょう台 posted by (C)喜多山栄 ここ数年来のJR東海バスの路線縮小ではすぐに代替交通が用意されなかった例もありましたが、今回は住宅団地や市中心部を走る系統とあって事前に名鉄バスに転換する旨告知もされています。ハイブリッド車両“日野ブルーリボンエコハイブリッド”の去就も注目されます。瀬戸市駅にて 上品野行き 日野ブルーリボンシティハイブリッド posted by (C)喜多山栄 春日井市内の2系統も同じく名鉄バスに移管されます。「移管して便利になった」と言われることを期待したいですね。
2009.09.15
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JR東海バスは9月末限りで、愛知県瀬戸市、春日井市などで運行している路線を廃止、同社が一般路線バスから全面撤退することが確定しました。名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」のJR東海バス担当便からも撤退します。瀬戸はJRバスの前身である省営自動車(のちの国鉄バス)発祥の地。ここ数年来路線撤退を繰り返してきましたが、ついに全面廃止です。JR東海バス瀬戸市駅バス停ポール posted by (C)喜多山栄 同社瀬戸支店近くで、路線バスの拠点でもある愛知環状鉄道の瀬戸市駅を訪ねました。同駅は名鉄瀬戸線の新瀬戸駅を渡った高架上にあり、駅の西側ロータリーがJRバス、東側ロータリーがタクシー乗り場になっています。現在では同駅からは水野団地を循環する系統と市東北部の品野方面を結ぶ系統だけに縮小されていますが、かつては多治見、豊田、名古屋方面へと市内を縦横に結ぶ路線がありました。愛知環状鉄道瀬戸市駅前に停車中のJRバス posted by (C)喜多山栄 バス停のポールには9月末限りで路線バスから撤退し、10月から名鉄バスが運行を担う旨知らせる張り紙が張られていました。JR東海バス 路線バス廃止のお知らせ posted by (C)喜多山栄 青色と黄色に塗られたJRバスのバス停ポール、青白塗装でつばめのマークが描かれたバスを見られるのもあと1カ月です。出庫してくるJR東海バス 瀬戸追分 posted by (C)喜多山栄 同駅から歩いて5分程度のところにある「瀬戸追分」へ行ってみました。公立陶生病院の最寄バス停で、JR東海バスの瀬戸支店に出入りする車両を見ることができます。かつては有人窓口があり「瀬戸追分駅」を名乗っていましたが、面影は全くありませんでした。 日産ディーザルシャーシ、富士重工ボデーの大型路線車やゆとりーとラインの専用車(三菱ふそう)が出入りするところを見ることができました。ゆとりーとライン(JR担当車両)瀬戸追分 posted by (C)喜多山栄 JR東海バスの一般路線は瀬戸市内のほかにはJR春日井駅および高蔵寺駅から発着する路線もあります。同社の路線撤退に伴ない双方とも名鉄バスに移管されます。乗車および撮影の機会はあと1ヵ月です。 30%OFF!!プラモデル1/32バスシリーズNo.21「JR東海バス三菱ふそう エアロクイーンI」【09/06...新瀬戸ステーションホテル
2009.09.01
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(中日新聞6月25日付記事より引用) 中日本高速道路会社(名古屋市)は24日、全線開通からまもなく1年になる東海北陸自動車道の利用状況をまとめた。昨年7月5日に開通した飛騨清見(岐阜県高山市)-白川郷(同県白川村)両インターチェンジ(IC)間の交通量は、5月末までの1日平均が約7000台で、当初予想約3000台の2倍超となった。 東海北陸自動車道が全通してまもなく1年になります。名古屋と北陸を短絡する道路で、富山県がぐっと近くなりました。名古屋と富山県を結ぶ高速バス(路線バス)も運行されています。 名古屋(名鉄バスセンター)~富山駅前を結ぶのは名鉄バスと富山地方鉄道の共同運行便。現在、1日6往復しています。 富山県西部の高岡・砺波・小矢部から名古屋へやってくるのがイルカ交通(富山県小矢部市)のきときとライナー。名古屋側の事業者は入っておらず同社の単独運行。名古屋側のターミナルも名鉄バスセンターやJRバスターミナルには入らず「ミッドランドスクエア前」という路上バス停に発着します。1日3往復でうち1本が氷見、和倉温泉まで足を延ばします。ちなみにミッドランドスクエア前バス停は県営名古屋空港直通バス(あおい交通)が発着する場所でもあります。イルカ交通 きときとライナー posted by (C)喜多山栄 通常、長距離バスは共同運行のコンビを組む会社の車庫が休憩、駐車場所になることが多く、名鉄バスセンターに程近い名鉄バスの営業所では前述した富山地方鉄道や北陸鉄道(金沢)、福井鉄道、京福バス(ともに福井)など“相手方”のバスが休んでいる姿を見ることができますが、イルカ交通のバスはすこし離れた高速道路の高架下が駐車場所になっており、道路わきから見ることができます。 新規参入組の悲哀なのでしょう。バスターミナルも駐車場も自前で用意しなければならないわけです。公式ホームページを見ると「らくらくスーパーシート」を設置した2クラス制やパークアンドバスライドの駐車料金サービスなど積極的営業をしていることが分かります。 富山県の東と西で“住み分け”をしているとはいえ、名鉄・富山地鉄連合とイルカ交通は実質ダブルトラックで競合しています。つぶし合いにならないか心配なところですが…。
2009.06.25
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豊橋鉄道市内線の終点、赤岩口から豊橋駅前まで市内電車のほかにバスのルートもあります。電停のすぐ前にバスの回転場があり、乗ることができます。毎時2本の運行。豊橋駅前行きのバスがやってきたので乗ってみることにしました。三菱製の大型ノンステップ車でした。豊鉄バス 赤岩口 posted by (C)喜多山栄 前扉横、タイヤハウス上の“カブリツキ席”に座りたかったのですが、座席は設置されておらず荷物置き場になっていました。仕方がないので運転席後ろの座席に座りました。豊鉄バス 正面車窓1 posted by (C)喜多山栄 豊鉄バスは豊橋鉄道からバス部門が分社された会社。市電とバスは全く違う場所を経由しており、競合しません。豊橋駅前と赤岩口の間の運賃でも対キロ区間制をとるバスの方が均一運賃の市電より高くなります。豊鉄バス正面車窓2 posted by (C)喜多山栄 物好きといわれるのを承知で、乗りとおしてみました。葦毛湿原入り口看板 posted by (C)喜多山栄 バスは市電とは反対方向、東へ向かって走り始め標識には“三ケ日”という地名も見えてきます。希少植物の生息で有名な葦毛湿原(いもうしつげん)入口の看板を横目に見ながら住宅と田畑が混在しているところを走っていきます。途中、道が狭くなるところもあります。 道路が広くなって周囲が開けると、飯村(いむれ)の街に出ます。難読地名でしょう。パレマルシェ飯村(いむれ)店前 posted by (C)喜多山栄 ショッピングセンター「パレマルシェ」がランドマーク。今では系列外になりましたがかつての「名鉄パレ」です。 市の南部を大きく迂回して豊橋駅に達します。通しで乗った人は私一人でした。
2009.05.03
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東京の路線バスは東京都交通局(都バス)と私鉄系など民間バス会社が数多く運行しています。いわゆる都区内を中心に運行している都バスですが、青梅市内もエリアに入っています。 青梅駅前で見ることができたバスをカメラに収めました。東京都バス 青梅駅前1 posted by (C)喜多山栄東京都バス 青梅駅前2 posted by (C)喜多山栄 大型のノンステップバスで、西日本車体工業製の日産ディーゼル車(スペースランナー)と日野ブルーリボンでした。 「前乗り後降り」のイメージが強い都バスですが、青梅地区では距離制運賃のため「後ろ乗り前降り」。車体全面にも大きく表示されています。 私にとって東京の路線バスはまだ未解明のところが多いですね。青梅が都バスのエリアであることは知ってはいましたが、意外感は否めません。青梅線、五日市線沿線イコール西東京バスのエリアという固定観念がありますね。地域限定東京 都バスみんくるキティボールペン
2009.04.14
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京都府北部、丹後ちりめんで知られる与謝野町を走る路線バス会社、加悦フェローラインが14日の運行を最後に路線バス事業そのものから撤退し、路線も廃止されます。前身は丹後ちりめんの製品やニッケル鉱石輸送を行い、晩年は個性的な気動車で運行していた加悦鉄道。鉄道がなくなったのは1985(S60)年のことですから全面バス転換後24年で力尽きたというわけです。鉄道廃止後も社名をカヤ興産と変え、自社で以前から行っていた路線バス事業を続けていましたが、近年バス部門だけ分社化されて現在に至っています。 カヤ興産の公式ウェブサイトを見ると、本業は建設業や建設資材の販売で、SL広場の運営も同社とのこと。資本的には日本冶金工業(NASグループ)の系列に属しています。さよなら加悦バス 記念乗車券1 posted by (C)喜多山栄 加悦SL広場の展示を見ていて、非常に立派で感心したのですが、やはり一定の大資本の傘下でないと、維持できないということなのかもしれません。逆にいうと、大手資本傘下であっても路線バスを残せなかったのかとも思います。さよなら加悦バス 記念乗車券2 posted by (C)喜多山栄 SL広場の売店で「さよなら加悦バス記念乗車券」を売っていたので、購入しました。立派な台紙つきです。さよなら加悦バス 記念乗車券3 posted by (C)喜多山栄 帰りのバス代はもう1日乗車券があるので必要ありませんが、記念です。 帰りはSL広場始発のバスがあって、レンタサイクルはすぐ前の道の駅に返せばよかったのですが、まだ時間があったので、借りたところへ乗っていって返すことにしました。 次回以降、もう少しSL広場ネタの記事を書いてから、次へ進めたいと思います。
2009.03.14
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加悦バスこと加悦フェローラインは3月14日の運行を最後に、路線バス事業から撤退します。昭和60(1985)年に廃止された加悦鉄道の路線を引き継いだものであると同時に、以前から同社が持っていたバス路線でもあったわけです。鉄道廃止後は社名をカヤ興産とし、路線バス事業を直営していましたが、のちにバス部門だけ分社化されました。私が京都市内で学生時代を過ごした約20年程前には同市内でも“Fellow Line”のロゴが入ったカヤ興産の大型観光バスを見かけたものでしたが、いつの間にか大幅に規模を縮小してしまったようです。KTR野田川駅 posted by (C)喜多山栄 かつて加悦鉄道が分岐していた旧国鉄の丹後山田駅が改称した野田川駅前からバス旅を始めます。車内にはバス事業廃止を知らせるポスターが張り出されていました。枚数限定で記念の一日乗車券などの案内もありました。加悦バス一日乗車券 posted by (C)喜多山栄 早速運転手さんに申し出て一日乗車券をゲット。300円なので、片道乗ればじゅうぶん元が取れます。加悦フェローラインバス 加悦町役場前 posted by (C)喜多山栄 車両は乗車実態を現すような小型のマイクロバス、三菱ローザでした。補助席を設けておらず、運転席横の座席も運賃箱を置いてつぶしてあるので、20人も乗れば満員です。乗客は私のほかに1人。その人は終点まで乗らず、途中の停留所で降りていきました。加悦町役場前バス停 posted by (C)喜多山栄 路線はかつて加悦鉄道で活躍した車両を展示する“SL広場”までありますが、私が乗ったバスは“加悦町役場”止まり。ただ、市町村合併で同役場は“与謝野町役場加悦庁舎”が正式名称ですが、バス停の名前は古いままでした。並行して走る丹後海陸交通(丹海バス)のバス停は“加悦庁舎”になっていました。加悦フェローライン バス停には廃止のお知らせ posted by (C)喜多山栄 加悦フェローラインのバス停ポールにも「廃止のお知らせ」が…。寂しいですな。 私は加悦庁舎前にある“旧加悦駅舎”をめざしました。SL広場までは少し距離があります。旧駅舎には観光協会が入っているので行き方を聞くことにしました。日本の鉄道廃線探訪の旅
2009.03.09
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京都府北部、丹後半島の付け根にかつてニッケル鉱山輸送を目的としたミニ私鉄が走っていました。国鉄(当時)宮津線の丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)から分岐して加悦(かや)まで結んでいた加悦鉄道です。1985年(昭和60年)に鉄道を廃止、社名をカヤ興産として同社のバスに転換されました。その後バス部門だけ分社化され加悦フェローラインとして今日に至っています。私自身は、鉄道への乗車はかないませんでした。加悦フェローライン ロゴマーク posted by (C)喜多山栄 バス路線の休廃止などよくある話で、珍しくもないのですが、この例は会社が路線バス事業そのものから完全に撤退してしまうということで事態の深刻さが伺われます。私が学生時代をすごした1990年代初頭には京都市内で同社の大型観光バスも見かけたのですが。 廃止まで2週間を切っているので、仕事が休みの日に前泊日帰り強行軍で行ってきました。時系列的な旅日記的記事は別途述べるとして、まず最大の目的であるバスに乗ることにします。加悦フェローライン 加悦町役場ゆき 野田川駅 posted by (C)喜多山栄 北近畿タンゴ鉄道の野田川駅がバスの起点。1日2本、宮津駅前まで乗り入れていますが鉄道時代の起点駅にこだわってみました。駅前には“Fellow Line”と大きなロゴマークが書かれた白いマイクロバス(三菱ローザ)が止まっていました。 各地の少需要バスで使われている小型バス、日野リエッセやポンチョの水準までにも及ばないのが輸送実態を示していますね。野田川駅で乗りこんだ乗客は私を含めて2人。1人は途中の停留所で下車。終点の加悦町役場(与謝野町加悦庁舎)で下りたのは私一人でした。路線バス廃止を知らせる張り紙(車内) posted by (C)喜多山栄 車内には事業廃止を知らせる張り紙や、記念乗車券の発売を知らせる掲示も。運賃の節約になるので、私も300円のフリー乗車券を購入しました。加悦バス廃止記念乗車券発売のお知らせ posted by (C)喜多山栄 町村合併により加悦町は隣の野田川町と一緒になり、役場は「与謝野町役場加悦庁舎」となっていました。同町は丹後海陸交通という阪急資本のバス会社のエリアで、福知山や宮津と結ぶ路線が乗り入れています。加悦フェローラインがなくなった後でも公共交通が空白になるわけではありません。丹海バス(左)とのツーショット 加悦庁舎前 posted by (C)喜多山栄 詳しいレポートは順次書いていこうと思います。 「婚活の時期なのに、何やっているんだ?」と怒られそうですが、まだ具体的な動きがつくれず手詰まり気味で、休日に家にこもったりしていては気が滅入りそうなので、割り切って鉄分をたっぷりと補給することにしたのでした。
2009.03.05
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名古屋市交通局と名鉄バスが共同運行している基幹バス新出来町線は、途中の大津通~引山間で中央走行方式のバスレーンを採用。途中のバス停は島式のシェルターになっています。基幹バス 市役所バス停 posted by (C)喜多山栄 愛知県庁、名古屋市役所といった官庁街を経由するので、ラッシュ時は非常に混雑します。 名古屋の市バスは「前乗り、後ろ降り」ですが、名鉄バスと共同運行している同線「基幹2号」系統に限っては名鉄バスに合わせて「後ろ乗り、前降り」を採用しています。 名鉄バスは整理券方式のキロ制運賃ですが、市バスは200円均一運賃。ラッシュ時には降車に時間がかかってしまいます。ラッシュ時には市交通局は大量の降車を処理するために手押し台車にのせた運賃箱を後ろの乗車口付近において待機しています。台車に乗った運賃箱 posted by (C)喜多山栄 「市役所」バス停でラッシュ時に限っては後ろからも降りることができます。でも、名鉄バスは律儀に前扉だけで運賃扱いをしているようです。ラッシュ時は係員がお出迎え 市役所 posted by (C)喜多山栄 台車に乗せた運賃箱とは大げさにみえますが、プリペイドカードを処理する都合上、どうしようもないのでしょう。小銭オンリーのころは係員がザルを持って乗客が100円玉を放り込んでいくことも可能だったのですが、ハイテク化にも対応しなければなりません。 今後ICカードの導入も計画されています。どのような形態になるか興味の尽きないところです。
2009.02.07
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江戸時代の名古屋の街は尾張徳川家が治めていたことでよく知られています。 名古屋市東区にはかつて尾張徳川家の別邸があったところを公園化した徳川園(名古屋市東区徳川町)があります。高低のある地形を利用した日本庭園としても親しまれています。 同園で栽培されている冬ボタンを見てきました。冬ボタン1 posted by (C)喜多山栄冬ボタン2 posted by (C)喜多山栄 雪よけのわら囲い(わらぼっち)に囲われたなかにボタンの花が咲いています。開花時期を人工的に調整して冬に開花するようにしたものが冬ボタンであるそうです。 庭園に入るには入場料が必要ですが、隣接する徳川美術館の見学とセットで訪問するのも良いでしょう。 かつて名古屋で定期観光バスを運行していた名古屋遊覧バスはすでに廃業。代替される形で途中で乗り降りできる路線バス扱いで名古屋観光ルートバス「メーグル」が運行されています。メーグル posted by (C)喜多山栄 メーグル停留所 徳川園・徳川美術館・蓬左文庫 posted by (C)喜多山栄 メーグル専用のバス停も設置されています。よくみると運行主体は名古屋市交通局ではなく、市民経済局であることが書いてあります。観光客専用のバスという性格がよくわかります。
2009.02.04
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野沢温泉での湯めぐりを終えて、帰途に着きます。 帰りは行きに乗ったのざわ温泉交通(JR戸狩野沢温泉駅発着)ではなく、長電バス(木島経由JR飯山駅行き)を選びました。JR長野駅東口直通バスもありましたが、あえて敬遠。“ふだん着モード”の路線バスに乗りたかったんです。長電バス 野沢営業所はJA会館うら posted by (C)喜多山栄 野沢温泉のタウンマップを見ると「中央ターミナル」と大きく書いてある場所がありますが、そこはスキー場へのシャトルバスや観光バスが発着する場所で、路線バスは長野駅への直通バスなどごく限られた系統しか乗り入れていません。待合所に張ってある表示を見ると飯山駅行きと戸狩野沢温泉駅行きの乗り場がそれぞれ地図で記されていました。長電バスの乗り場は少し離れたJA会館の横にあるバス回転場でした。長電バス 折り返し飯山駅行き posted by (C)喜多山栄 プレハブの待合所が開いていたので中のベンチに座ってバスを待ちます。やがて飯山からのバスがやってきて降車客を下ろして奥の回転場で方向転換。方向幕を「木島・飯山駅」に切り替えてエンジンが止まりました。日野製の大型車です。 発車時刻が近づいたのでバスの横まで歩いていくとドアが開きました。後ろ乗り、前降りです。木島バス停 posted by (C)喜多山栄 私がめざすところはJR飯山駅ではなく、木島(きじま)。2002年3月末限りで廃止された長野電鉄河東線(信州中野~木島12.9キロ、通称・木島線)の廃線跡を見に行きたいという動機でした。未乗のまま廃止されてしまったローカル私鉄の1つです。“乗り鉄党”である私にとっては乗る機会が作れず、残念極まりない事態でした。せめては廃線跡と代替バス路線に乗っておこうという計画でした。旧木島駅(右)と長電バス posted by (C)喜多山栄木島 バスのりば案内 posted by (C)喜多山栄 旧木島駅は駅舎がバス営業所、待合所として使われていました。駅前はバスターミナルになっており、乗り継ぎの便を図っています。木島からは長野電鉄の信州中野駅ゆきのバスに乗ることになりますが、待ち時間があるのでしばし休憩としました。乗り鉄おすすめ!鉄道トラベラーズ 長野電鉄・天竜浜名湖鉄道の巻(DVD) ◆20%OFF!
2009.01.18
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昨日は別府はしご湯でしたが、資料未整理につき手元に残っている記事を続けて書きます。 百万遍かいわい 大学サークルの看板も posted by (C)喜多山栄 京都・百万遍かいわいは京都大学が近くにあるという関係もあって、独特の風情をかもし出しています。銀閣寺は徒歩圏。観光資源には事欠きません。東大路通には京都大学の学生サークルや部活動の宣伝看板が林立しています。市街地にある国立大学ならではの光景ですが、これまた見るだけでも面白いものです。 ちなみに私が京都市内の某大学に在学していた十数年前、サークルの先輩から原稿を渡されて「今晩中に看板かいておけ」と命じられ、出来上がったものを翌日掲示したのですが、それ以来二度と看板は書かせてもらえませんでした…。ポスターや看板の類はやはりセンスというものが必要なのでしょう。美術やデザインの素養ゼロの私には無理でした。 さて「ケータイ国盗り合戦・秋の紅葉狩りコース」の「左京・大原」エリアは百万遍でゲット。京阪出町柳駅前は左京区ですが「洛北」の電波を拾います。京都市交通局201系統 百万遍 posted by (C)喜多山栄 久しぶりに東大路通(東山通)を南下してみましょう。やってきた京都市交通局201系統(市内中心部循環系統の1つ)は百万遍から祇園まで南下し、四条通を西進するので「四条京阪」で降りて京阪電車に乗るのに都合がよいのです。 10月の京阪中之島線開通と同時に、京阪は京都市内の3駅の改称をおこないました。神宮丸太町(丸太町)、祇園四条(四条)、清水五条(五条)であります。どうしても違和感を禁じえないのですが、京都市営地下鉄烏丸線に五条、四条、丸太町という駅があるので誤乗防止という意味もあるのでしょう。京阪沿線の観光地の宣伝にもなります。あえて意見を言うのであれば市営地下鉄の方が後発なので「烏丸五条」「四条烏丸」「烏丸丸太町」と名乗るのが筋ではなかろうかと思うのですが。現にかつて「御池」と名乗っていた駅は御池通地下を走る東西線開業と同時に「烏丸御池」になりました。 市バスのバス停は「四条京阪前」のまま。年度途中で変えるのも大変ということもあるのでしょうが、慣れ親しんだ名称ということでもあるのでしょう。「三条京阪」に象徴されるように、京都の市バスはバス停の名称を、通り名と鉄道名を組み合わせて使う例がいくつかあります。「九条近鉄前」もそうです。一種の固有名詞になっていますね。“次は四条京阪前”バス車内案内表示 posted by (C)喜多山栄 市バスの次バス停表示も「四条京阪前」。下車して謎が解けました。四条通の祇園から四条大橋までの歩道にずらりとのぼり旗が並んでいました。商店街がもろ手を挙げて歓迎しているわけですね。祇園商店街には駅名改称を知らせるのぼりが posted by (C)喜多山栄 今後どうなるか分かりませんが、どこまで利用者に定着するか注目のし甲斐があるところですね。駅は「祇園四条」バス停は「四条京阪」 posted by (C)喜多山栄 ちなみに、祇園四条駅入口のすぐ前にある京阪バスのバス停は「四条京阪前」でした。簡単には変えられないということの例示のようにみえました。 「ケータイ国盗り合戦・紅葉狩り関西コース」の記事はここで切ります。この後大阪に移動して「吹田」「箕面・池田」エリアに行っているのですが、日没が早くまともに写真が取れません。そこは割り切ることにしました。
2008.11.08
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名古屋市内には「基幹バス」という道路中央のバスレーンを走る路線があります。名古屋市中区の「大津通」バス停南から同名東区の「引山」バスターミナル手前まで黄色、あるいは茶色で舗装されたバス優先レーン(朝夕は専用レーン)になっており、バス停も屋根付きの安全地帯になっています。 バスレーン区間には名古屋市交通局の「基幹2」系統(栄~引山、名古屋駅~猪高車庫)と名鉄バス(名鉄バスセンター~長久手車庫方面)の2社が乗り入れています。走り始めてもう20年以上たつのですが、途中の交差点はすべて矢印信号なのでクルマで走るときは特に注意を要します。右折レーンの右側に直進するバスレーンがあるのですから。名鉄バス 三菱ふそうエコハイブリッド 市役所 posted by (C)喜多山栄 近年、バスの車両代替が市交通局、名鉄バスともに進められ、古いツーステップ車は数を減らしつつあります。市交通局は基本的に新車はすべてノンステップ車で導入されているのですが、名鉄バスの新車はワンステップ車が導入されていました。ノンステップ、ワンステップともに車いす用スロープの設置ができ、バリアフリー対応にはなっています。その名鉄バスで、最近数を増やし始めた車種が「三菱エアロスターエコハイブリッド」。仕事で名古屋市内を移動するときにやってきたので乗ってみました。三菱ふそうエコハイブリッド 車内モニター1 posted by (C)喜多山栄 ちょうどその日は「ドニチエコきっぷ」(土曜、休日および毎月8日用の市バス地下鉄一日乗車券、600円で1日乗り放題)を持っていたのですが、名鉄バスには乗れません。普通のプリペイドカード(ユリカカード)で乗りました。「市役所」バス停から引山方面へ向かってみました。 ハイブリッドバスは10年以上前から「エンジンに負担がかかる発進加速時の排ガスの黒煙低減」を目的に、自動車メーカー各社が開発し名古屋の市バスでも導入されていましたが床下に巨大なバッテリー(鉛蓄電池)を備えていたため低床化が難しくいつの間にか消えていました。名古屋市交通局はその後排ガス対策車両としてCNG(圧縮天然ガス)ノンステップバスを主流にすえました。三菱ふそうエコハイブリッド 車内モニター2 posted by (C)喜多山栄 今度基幹バスにやってきた名鉄バスのハイブリッド車は発想を根本から覆すものでした。床はノンステップ、屋根の上に乗っている箱にはバッテリーが納められています。バッテリーといっても小型軽量化されたリチウムイオン電池とのこと。走行するエネルギーはもっぱら電気。エンジンは発電のために使われます。車内のモニターで仕組みが説明されています。仕組みそのものは古くから電気式ディーゼル機関車があったように決してざん新とは思えませんが、バッテリーの進歩がハイブリッド車として“進化”させる大きな要因となったというわけでしょう。 乗り心地は実に静か。電気自動車なのですから。運転席をのぞいてみると、左手のところにマニュアルミッションのシフトレバー(フィンガーコントロールの小型のもの)があり「あれ?」とよく見ると「R-N-D」の3つしか書いてありません。要はATということですが、最近の大型バスで見られる押ボタン式のセレクターは採用されていません。従来の部品をそのまま生かしたというわけですな。名鉄バス 三菱ふそうエコハイブリッド 古出来町 posted by (C)喜多山栄 車体の側面には“ECO HYBRID”と大書されています。このグラデーション風の塗りわけが各車体ごとに色違いだそうで、写真を撮って各色揃えたい気にもなってきます。あおい交通 とよやまタウンバス 県庁前 posted by (C)喜多山栄 おまけの1枚は市役所バス停近くを走る「とよやまタウンバス」。名鉄バスの路線撤退で名古屋市および小牧市への公共交通を失った豊山町のコミュニティバスです。豊山町は名古屋市のすぐ北にある町。メジャーリーガー・イチロー選手の出身地として知られています。最近では中部国際空港開港にともなって不要になった旧名古屋空港国際線ビルに大型スーパーとシネコンが入居・開業したことが話題になっています(私は未訪)。
2008.10.30
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もう少し奈良県訪問ネタを続けます。私が天理駅に降り立った理由は、同駅と上野産業会館(三重県伊賀市)を名阪国道経由で結ぶ路線バスに乗るためでありました。 名阪国道とは三重県亀山市から奈良県天理市を結ぶ自動車専用道路のこと。高速道路ではなく最高速度60キロの自動車専用道路です。「名阪」とは言うまでもなく名古屋と大阪のこと。名古屋インター~伊勢関インターまでは東名阪自動車道、天理インターから大阪の松原ジャンクションまでは西名阪自動車道として高速道路の規格で作られていますが、中間の区間は一般道の扱い。したがって通行料は無料。名古屋と大阪方面を安くつなぐルートでもあります。天理駅前 上野産業会館ゆき 三重交通 posted by (C)喜多山栄 天理駅前は奈良県ですから出入りする路線バスは大多数が奈良交通。上野産業会館ゆきのバスは三重交通による運行です。白と深緑のカラーリングのいすゞエルガミオがやってきました。天理インター 名阪国道入口 posted by (C)喜多山栄 私が同路線に乗るのは2回目。それこそ十数年前のことで、当時はハイデッカーの高速バスタイプの車両が投入されていましたし、運行会社も三重交通と奈良交通の2社でした。中型バスでじゅうぶんという輸送量なのでしょう。バスは発車すると天理の市街地を抜けて天理インターから名阪国道へ入っていきました。名阪国道は自動車専用 posted by (C)喜多山栄 名阪国道は自家用車でも走ったことがありますが、やはり怖いですね。時速60キロ制限ですが、それこそ“高速並み”の速さで車が流れていますし、通行料金を節約したいトラックが連なっています。前後を挟まれると生きた心地がしません。名阪国道 対向車線は渋滞 posted by (C)喜多山栄 バスは名阪国道上にあるバスストップに丹念に止まっていきます。途中、大規模なトラックターミナルがあります。「道の駅針テラス」です。名阪国道針インターに隣接しています。ここで私はケータイのボタンを押しました。「ケータイ国盗り合戦」で「柳生」エリア取得です。このあたりは地図の上では奈良市になっていますが、もとは都祁村(つげむら)といわれたところ。2005年の「平成の大合併」で奈良市への編入合併を選んだ村でした。今回の「ケータイ国盗り合戦」の難所でもありました。本気で名古屋から自家用車で飛ばしていこうかと悩んだところでもありました。 同道の駅には売店、食堂、日帰り温泉施設もあります。2~3年前、奈良県のはしご湯をした帰りに立ち寄って1湯浴びたことがあります。確か「都祁温泉フィットネスバード」とう名前だったはずです。また、バス停には「榛原駅」と行先表示を掲げた奈良交通バスの姿もあり、近鉄大阪線方面からの路線バスのアクセスもあることが分かりました。 私が乗った三重交通バスは引き続き名阪国道を走ります。途中で名阪国道を降りて旧道を走る区間もありました。地図上では名阪国道に並行して走っているもう一つの国道25号です。俗にいう「国道25号非名阪」ですな。酷道区間もあるといわれる非名阪ですが、さすがに路線バスはそんなにひどいところへは入りません。集落に入って乗客を拾います。“国道25号非名阪”区間も通る posted by (C)喜多山栄 バスは再び名阪国道へ上がり三重県伊賀市へ。旧上野市街に入るとまもなく終点です。上野産業会館は伊賀鉄道(旧近鉄伊賀線)上野市の駅前。「ケータイ国盗り合戦」の城取り「伊賀上野城」が取れました。 さて、もう日没です。名古屋へ帰る支度です。青春18きっぷの元を取るため、帰りはJR関西本線経由にしました。伊賀鉄道に乗ってJR伊賀上野駅まで移動です。酷道をゆく酷道をゆく(2)
2008.09.29
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吉野山でロープウェイを運行している吉野大峯ケーブル自動車はその名前の通り、乗合自動車も運行しています。吉野山駅の出口には係員が待ち受けていて、バスの乗車券を販売しています。吉野山上バス 三菱ローザ 吉野山駅 posted by (C)喜多山栄 駅前にはマイクロバス、三菱ローザが待機していました。バス路線は吉野山駅から奥千本口まで。ワンマンバスですが、整理券発行機や自動運賃箱の類は設置されておらず、あらかじめ行先を申告してきっぷを買って乗る仕組み。吉野山上バス 運賃は申告前払い posted by (C)喜多山栄 十数年前、学生時代に来たときには終点の奥千本口まで乗って1時間以上かけて歩いて帰ってきたものですが、今回は時間もないので初乗り運賃の200円の乗車券を買って行けるところまで行って下ろしてもらうことにしました。 吉野山は修験道で知られる金峯山寺(きんぷせんじ)の門前町。吉野山から熊野三山にいたる大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)をはじめとする山岳信仰の拠点でもあります。ユネスコの世界文化遺産に登録されている紀伊山地の霊場と参詣道の一部でもあります。 峻険(しゅんけん)な紀伊半島の山道を歩く気合も体力も私にはないので、ちょっと眺めるだけです。竹林院前 バス停 posted by (C)喜多山栄 道は狭く、マイクロバスでも離合が困難なところもあるので対向車と出会うと停車しながらゆっくりと前に進んでいきます。「竹林院前」で下車。門前町の見物をしながらロープウェイ乗り場まで歩いて戻ることにしました。陀羅尼助の看板 吉野 posted by (C)喜多山栄 名産の「吉野葛(くず)」やそれを使ったお菓子や胃薬として知られる「陀羅尼助丸」(だらにすけがん)のお店も並んでいましたが、平日とあって人はまばらでした。吉野 金峯山寺(きんぷせんじ) posted by (C)喜多山栄 金峯山寺の境内を見学しているとき、空から「ゴロゴロ」という音が。雷です。まもなく大粒の雨が降ってきました。ゲリラ雨のようです。携帯電話の天気予報サイトを開いてみたら、奈良県上空には強い雨雲がかかっていることが分かりました。傘を忘れてきたのでほうほうの体でロープウェイ乗り場までたどり着きました。シャツはびしょぬれ。タオルを持っていたので体を拭いたらしずくが滴り落ちるほどでした。 ちなみに胃薬「陀羅尼助丸」、名古屋市内の薬屋ではあまり見かけません。「だらすけ」という愛称で知っている人はいるのですが。あまり出回っていないようです。黒くて苦ーい丸薬なんですけどね。[食欲不振・飲みすぎに] 胃腸薬 フジイ 陀羅尼助丸 (720粒)
2008.09.27
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2005年の鳥取県ネタは今回で最後にします。 鳥取県の路線バスは日ノ丸自動車と日本交通が2大勢力。米子駅では両社の路線バスを見ることができました。日ノ丸自動車 境港駅行き posted by (C)喜多山栄 青と白に塗られた日野製の車両が主力のようでした。日ノ丸自動車 松江行き posted by (C)喜多山栄 松江に乗り入れる便もありました。 「日の丸自動車」は東京にも岐阜にも、同名のタクシー会社があります。鳥取の会社は「の」の字がカタカナで「日ノ丸自動車」。紛らわしいですが全く別資本だそうです。日本交通 皆生温泉行き posted by (C)喜多山栄 日本交通は鳥取と大阪に拠点を持ち、山陰、近畿両地区で営業をしています。とくに大阪・神戸と鳥取・米子を結ぶ高速バスは老舗ですね。三菱ふそう製の車が多かったですが、写真のように日野製のノンステップバスもありました。 日本交通 大阪梅田行き posted by (C)喜多山栄 「日本交通」という名前も使いやすい名前なのでしょう。黄色地に赤帯を締めたタクシーを走らせている東京のタクシー大手4社“大日本帝国”(大和自動車交通、日本交通、帝都自動車交通、国際自動車)の一角をしめる同社もそうです。大阪・鳥取の日本交通との資本関係はないそうです。ちなみに名古屋にも「日本交通」を名乗るタクシー会社(まいにちグループ傘下)があります。岐阜には「日本タクシー」があります。 「日本」はいうまでもなく国名ですし、「日の丸」も法で定められた日本の旗の名称でもあります。確かに分かりやすく、親しみの持てる名前かもしれません。 調べれば、ほかの地域にも「日本」や「日の丸」を名乗るバス・タクシー事業者があるかもしれません。同業界だけではなく、他業種でもいえますが「どこに本社を置く会社なのか」ということを厳密にしておかないと、勘違いがおきかねませんね。
2007.12.28
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2005年1月のバースデー割引沖縄日帰り行の記事は本稿で最後にします。 白地に青の濃淡ラインを配したバスを走らせている会社は沖縄バスです。琉球バス交通(当時は琉球バス)同様、那覇市から市外へ延びる路線を中心に沖縄本島の南部から中部、北部まで路線を持っています。国際通り 120番カデナ・万座ビーチ・名護行き posted by (C)喜多山栄 一般的な路線バスタイプの車両でも前扉のみの車がよくみられました。モノコックボデーのクラシカルな車も残っていました。国際通り 77番コザ・辺野古・名護行き posted by (C)喜多山栄 三菱ふそうのエアロスターが主力のようです。那覇BT 77番コザ経由名護行き posted by (C)喜多山栄 観光タイプのハイデッカー車も長距離路線に投入されていました。 カメラ片手に国際通りや那覇バスターミナルでバスウォッチングをしているうちに、日没となり時間切れ。那覇空港へ向かい帰路に着きました。夕食も沖縄そば。ゆっくり食べることはできず搭乗待合室の立ち食いでしたが。帰りの名古屋行きは確かボーイング767型機だった記憶がありますが、同年2月の中部国際空港開港直前、私の名古屋空港ラストフライトでした。 現在でもJ-AIR(JAL系)のボンバルディアCRJ200型機に乗れば名古屋空港に発着できますが、路線、本数ともに限られており名古屋の夜景を眺められる機会は激減しています。
2007.12.18
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沖縄の路線バスの3社目は東陽バス。那覇を中心に沖縄本島の中部、南東部に路線を延ばしています。国際通りとともに、那覇バスターミナルでも姿を見ることができました。国際通り 30番与那原・コザ・泡瀬ゆき posted by (C)喜多山栄 同社は2002年に民事再生法を申請して経営破たん。裁判所の管理下で再生を図っている会社です。沖縄本島の路線バス会社4社のうち3社が経営破たんを経験しているということになります。路線バス業界の厳しさをつくづく感じさせられます。那覇BT 37番開南・与那原・新開ゆき posted by (C)喜多山栄 那覇バスターミナルからは国際通りを経由しない路線も発着します。那覇BT 38番開南・与那原・志喜屋ゆき posted by (C)喜多山栄 私はまだ、バスの方向幕を見ただけでは沖縄のどの方向へ行くバスなのか、どこを経由するバスのなのか良くわかりません。 地図を片手に、何度か通いつめないといかんのでしょうな。
2007.12.17
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2005年1月の日帰り強行沖縄訪問記です。国際通り 120番カデナ・ムーンビーチ・万座ビーチ・名護ゆき posted by (C)喜多山栄 琉球バスは那覇から沖縄本島中部・北部の宜野湾、名護方面、南部の糸満方面などに路線を延ばしているバス事業者でしたが、2005年5月に民事再生法が適用されて経営破たん。翌年には北九州市に本拠を置く第一交通産業が出資する新会社、琉球バス交通に営業譲渡されてしまいました。国際通り 90番普天間・コザ・具志川ゆき posted by (C)喜多山栄 私は国際通りや那覇バスターミナルで写真を撮り、宜野湾市まで琉球バス(当時)に乗って往復してみましたが、破たん・営業譲渡のニュースを知り「行っておいてよかった」と思いましたね。国際通り 63番コザ・知花・具志川ゆき posted by (C)喜多山栄 古い車両が多いという印象でしたが、苦しい台所事情がそうさせていたのでしょうね。 車種も雑多という印象でした。沖縄のバスは那覇市内線を除いて前乗り、前降り。中扉があっても締め切られ、一番前に整理券発行機が設置されています。那覇BT 89番糸満行き posted by (C)喜多山栄 新会社・琉球バス交通になってからは沖縄は未訪です。時間をたっぷりとって各地を訪問したいところですが、なかなかかないません。
2007.12.16
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沖縄県の路線バスは現在、おもに那覇バス、琉球バス交通、沖縄バス、東陽バスの4社によって運行されています。 私は沖縄都市モノレールを「牧志」駅で下車。繁華街である「国際通り」を歩いてみました。 次から次へと路線バスがやってきます。バスウォッチャーにとってうれしい場所です。国際通りにて 101番安謝新港ゆき posted by (C)喜多山栄 那覇バスはかつては那覇交通といわれる会社でしたが、2003年に民事再生法を申請して経営破たん。北九州市のタクシー会社、第一交通産業に営業譲渡され、新会社に引き継がれました。 私が訪問した当時は営業譲渡してちょうど半年ほどのころでした。バスの正面には全国にあるグループのタクシーについているのと同じ「第一」のロゴマークが掲出されています。国際通りにて 9番大嶺~石嶺 posted by (C)喜多山栄 まだ、那覇交通時代の古い塗装を新塗装が混在していました。那覇BT 97番首里経由琉大線 posted by (C)喜多山栄 郊外線の拠点、那覇バスターミナル(ゆいレールの最寄り駅は「旭橋」)でも那覇バスを見ることができました。 ほかの3社についての記事は次回以降で。
2007.12.15
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2005年1月の日帰り沖縄訪問記です。 私は沖縄都市モノレール「ゆいレール」を首里で完乗。 次の日程は首里城見学ではなく、当時首里で実験運行されていたコミュニティバスの試乗です。「石嶺・首里城みぐい」という名で沖縄バスが受託して小型観光バスタイプの車両を投入していました。那覇市コミュニティバス実証実験 石嶺団地東にて posted by (C)喜多山栄 首里駅前から向かった先は、石嶺団地というところでした。道路のアップダウンが多いという印象で、「本格運行になったら喜ばれるだろうな」を思いました。那覇市コミュニティバス実証実験 車両右側面 石嶺団地にて posted by (C)喜多山栄 その後、コミュニティバスは沖縄バスの路線「8番」として本格運行されているそうです。 沖縄の路線バスは民間事業者が4社(那覇バス、琉球バス交通、沖縄バス、東陽バス)入っていますが、会社に関係なく路線ごとに番号が付けられているので、「何番のバスに乗る」という案内が非常にしやすい印象でした。慣れるまでは大変でしょうが。 沖縄そばも食べて満腹した私は、再び「ゆいレール」の乗客となり、那覇バスターミナルや国際通りのある同市中心部へ向かいました。
2007.12.14
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2004~05年にかけての年越し乗りつぶし行は2日半の日程。3日目の午後には名古屋にいなければならない用事があったので、最終日は九州新幹線を乗りつぶして、新八代駅から熊本空港へバスで移動して空路名古屋へ帰還することにしていました。 九州新幹線「つばめ」は新八代~鹿児島中央間137.6キロの部分開業。新八代駅では博多方面を結ぶ特急「リレーつばめ」と同一ホームで乗り継げます。九州新幹線・つばめサイドロゴマーク posted by (C)喜多山栄 私は、鹿児島中央駅から新八代乗り継ぎ博多行きの「つばめ」に乗り込みましたが、さすがは新幹線。速い。45分くらいで新八代に着いてしまいます。「つばめ」は全車普通車の6両編成。指定席を取っていたのですが、2-2の座席配列でゆったりと座れました。ただ、車窓はほとんどトンネルで何も見えないも同然。八代海の美しい景色を見ようと思ったら、経営分離された肥薩おれんじ鉄道に乗らなければなりません。 さて、新八代駅でほぼ全員がホーム向かい側に止まっている「リレーつばめ」に乗り継ぎましたが、私は階段を下りて出口へ。駅前のバスのりばから熊本空港行きのバスが出ているのです。 神園交通という地元の会社で、「すーぱーばんぺいゆ」という愛称をつけたマイクロバスが2台やってきました。1台目は八代市内のホテルなどで乗客を拾ってきており満員。2台目は空車でした。新八代駅にて 神園交通 熊本空港行き posted by (C)喜多山栄 新八代駅で待っていた客は私を含めて3人くらいでした。バスの運転手は1台目のバスの後ろで小さくなっていた家族連れを下ろしてしまいました。どうするかと思ったら駅前で客待ちをしていた自社のタクシーを呼び出してその家族連れを乗せて先に行かせてしまいました。 なるほど。タクシー兼業の会社ではこういうことができるのですね。2台目のバスをがらがらのまま走らせる必要はないわけです。というわけで、私はすし詰めのマイクロバスで約1時間、熊本空港まで運ばれました。途中は寝ていたので覚えていません。目を覚ましたら「熊本空港」の看板が見えました。 2005年は2月に伊勢湾の人工島上に中部国際空港が開港しました。開港後はJAL系のジェイ・エアの便をのぞくすべての定期便が中部空港発着となりました。この日乗った便はANAのボーイング737‐500。昼間に名古屋へ到着するANAのフライトに乗ったのは最後でした(後日夜のフライトに乗りました。別稿で書きます)。 今では50人乗りのジェイ・エアの「CRJ200」に乗らないと、上空から名古屋の市街地を眺められる機会はありません。機会が激減してしまったわけですね。自宅周辺も見ることができたので楽しみを奪われた気がします。名古屋空港は伊丹空港や福岡空港同様、市街地に隣接した空港なんですね。今でも県営空港として存続していますが、滑走路を共用する自衛隊機の方が目立っているようです。ザボン(晩白柚)《果樹苗》【霜月ポイントスペシャル1126×10】【2007冬ボーナス】セール
2007.12.09
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名鉄吉良吉田駅は上りホーム(名古屋方面)が扇形になっていて扇の開いたところに駅舎があります。カーブして北に延びるホームは西尾線(新安城方面)ホームですが、西側へまっすぐ伸びるホームは、かつてこの駅から2004年3月限りで廃止された三河線(吉良吉田~碧南)が分岐していたころの名残です。三河線ホームと一部の線路は現在でも残り、側線のように使われているようです。しかし、線路は途中で途切れ、草むらの中に埋もれています。吉良吉田駅 碧南方面 posted by (C)喜多山栄 私は吉良吉田駅の改札(有人)を出て、駅前にある三河線を代替した「ふれんどバス」の乗り場へ向かいました。同バスは旧三河線沿線の碧南市、西尾市、一色町、吉良町の2市2町からなる協議会が運営。実際の運行は蒲郡市内で路線バス「サンライズバス」を運行する名鉄東部観光バスが受託しています。車両もサンライズバスと同じ白地に打ち上げ花火の模様が描かれた三菱製の中型ロングボデーのノンステップ車です。前面と側面には「ふれんどバス」と書かれた差し込み式のサボが着いています。これを差し替えれば「サンライズバス」としても使えるわけです。ふれんどバス 吉良吉田駅にて posted by (C)喜多山栄 吉良吉田で乗った乗客は私を含めて5人。私のほかは地元のお年寄りでした。途中で高校生が数名乗ってきました。満員には程遠い世界で「うーん」とうならざるを得ませんでした。 この「ふれんどバス」の特徴は運賃体系。大人全線1乗車均一200円ですが、18歳未満は100円。圧倒的多数の交通機関で中学生以上が大人運賃となる中、18歳以上としているということは高校生の利用を期待してのことでしょう。 車窓からは矢作古川にかかっている鉄橋や、寺津の高架橋など三河線の遺構を目にすることもできました。 終点、碧南駅では折り返しのバスを待つ高校生たちが待っていました。こちらは相当人数がいて、20人くらいでした。お年寄りと高校生というローカルバスの典型例を見ているようでした。碧南駅 posted by (C)喜多山栄 碧南駅は立派な駅舎を持つ終着駅ですが、無人。きっぷ売り場の窓口も板でふさがれ、横に自動券売機とインターホン、テレビカメラがあるのみでした。ここは駅集中管理システムが導入されている駅で自動改札機や自動精算機も設置されています。 やってきた折り返しの知立行き電車は4両編成。始発から各車両に乗客が乗っており、廃止になった「末端区間」との落差の激しさを実感しました。名鉄三河線(DVD) ◆20%OFF!
2007.12.02
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愛知県東海市は名古屋市の南隣に位置し、新日本製鐵名古屋製作所など大企業の工場が立地する企業城下町です。 同市で運行されているコミュニティバスは「らんらんバス」という愛称が付けられています。運転が始まったころは、受託している知多乗合の路線バスの車両を使っていましたが、バリアフリーの観点から小型ノンステップバスに変えられました。日野レインボーHR7mが4台体制で入っています。 珍しいのは、車両1台ごとに愛称が付けられていること。4台すべてを追いかけてみました。東海市循環バス「さつきちゃん」 posted by (C)喜多山栄 「さつきちゃん」は市の花「サツキ」から命名されたものです。東海市循環バス「くすのきくん」 posted by (C)喜多山栄 「くすのきくん」は市の木「クスノキ」にちなんだもの。東海市循環バス「だいぶつさん」 posted by (C)喜多山栄 「だいぶつさん」は市内にある「聚楽園大仏」のことです。名鉄常滑線の車窓からも大仏を見ることができます。東海市循環バス「へいしゅうくん」 posted by (C)喜多山栄 「へいしゅうくん」は東海市出身の江戸時代の儒学者・細井平洲にちなんだもの。市内に平洲記念館・郷土博物館もあります。 「らんらんバス」は名鉄常滑線の太田川駅や尾張横須賀駅なども経由するので電車でのアクセスも可能です。路線図・時刻表も公開されています。
2007.11.30
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引き続き2004年の北海道ネタです。 北見市は北海道東北部、網走管内最大の都市。都会の雰囲気でした。 北海道ちほく高原鉄道のお名残乗車をした私は、北見駅近くの東急百貨店にあるバス乗り場へ直行。1湯入湯をすべく「温根湯」ゆきのバスに乗り込みました。北見BT 温根湯行き 北海道北見バス 2004年8月 posted by (C)喜多山栄 終点の温根湯までは行かず、途中の「北見温泉」で下車。すぐ近くにある「ポンユ三光荘」(北海道常呂郡留辺蕊町泉360)へ向かいました。500円で日帰り入浴ができました。無色透明のアルカリ性単純温泉ですが、2本の源泉を使用しており、それぞれ別の浴槽に注がれていました。43.0℃の熱めの浴槽と、38.0℃のぬる目の浴槽。思わず長湯してしまいました。体に細かい泡付きがあるまろまろの湯でした。 この日は北見駅前のホテルに投宿。時間が余ったので、路線バスで市内を1周して見ました。北見東急百貨店前 若葉団地循環8番 北海道北見バス posted by (C)喜多山栄 こちらは旧「北見バス」時代の塗装ですね。 翌日はJR石北本線に乗りたいところでしたが、観光地である層雲峡に行ってみたかったのでバスターミナルから旭川行き特急バス「石北号」に乗り込みました。温根湯を通過し、石北峠を越えると層雲峡です。層雲峡バスターミナルで降りた客は私一人でした。層雲峡 旭川行き北海道北見バス「石北号」 posted by (C)喜多山栄 まずは日帰り温泉浴場「黒岳の湯」へ。入場料は600円。76.0度の無色透明の単純温泉でした。私のノートには、「僅かに黒い析出物。源泉温が高いため熱交換器で冷ましてさらに加水して調節していると表示あり」という記録が残っていました。 湯上り後は、層雲峡・黒岳ロープウェイとリフトに乗って黒岳7合目まで行って見ました。見たことのない植物など観察ができました。7合目より上は山男の世界。登山装備なしでは入れません。記念写真だけ撮って戻ってきました。層雲峡・黒岳7合目 posted by (C)喜多山栄 下山したら、ちょうどいい時間。バス乗り場へ向かいました。北見グリーンホテル
2007.11.14
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再び2004年の北海道行きの記事に戻します。 JR日高本線を乗りつぶした私は、終点の様似駅前からJRバスに乗り込みました。同駅からえりも岬を経由して十勝管内の広尾まではジェイ・アール北海道バスのエリア。一時期赤字で撤退も取りざたされましたが、唯一の生活路線とあって存続しています。 様似駅でバスに乗り込んだ客は夏休みのピーク時にも関わらず、十数人。有名観光地でもバスでアクセスする人は少ないんですね。その乗客の多くは途中通過するえりも町の集落で下りてしまいました。04年8月えりも岬にてジェイ・アール北海道バス posted by (C)喜多山栄 まずは「風の館」を見学。強風地帯であるえりも岬の自然やそこに住む生き物たちの様子が展示されています。望遠鏡で岬の突端に住んでいるアザラシを見ることもできました。えりも岬遊歩道 posted by (C)喜多山栄 遊歩道は岬の突端まで伸びています。行けるところまで歩いてみました。 えりも岬歌碑 posted by (C)喜多山栄 名曲「襟裳岬」の歌碑もありました。観光地にはよくその地にちなんだ歌の歌碑を良く見ることができます。思わず記念撮影です。 ここから先はまた長いバス旅です。ジェイ・アール北海道バスの広尾行きに乗り込みました。このバスは通称「黄金道路」と呼ばれる国道336号線を通ります。建設するのにばく大なお金がかかったためつけられた名前とのこと。海岸まで崖がせり出した絶景区間でしたが、途中居眠りしてしまい、しっかり見られなかったのが残念。04年8月えりも岬にて広尾行きジェイ・アール北海道バス posted by (C)喜多山栄 終点、広尾は旧国鉄広尾線の駅の跡でした、同線は1987年に廃止・バス転換されており、私は乗る機会がありませんでした。この日は帯広に宿を取っており、さらに帯広まで2時間、バス(十勝バス)に揺られました。今度は目がさえていたので広大な農村風景をしっかりと目に焼き付けました。 観光バスタイプではない普通の路線バスだったので、乗り心地も硬く、腰が痛かった覚えがあります。 帯広市内のモール温泉で疲れをいやしたことは言うまでもありません。ふく井ホテル 紅茶色でつるつるののモール温泉を堪能しました。
2007.11.12
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連日忙しく、新たな取材ができていないので引き続き過去ネタでご容赦を。 2002年から2005年まで、夏休みは4年連続北海道へ足を運びました。行先はさまざまですが、主目的は鉄道の乗りつぶし。2004年の訪問は2003年に台風で行きそびれた日高本線、えりも岬の訪問と北海道ちほく高原鉄道のお名残乗車がメイン企画でした。 北海道への入口は新千歳空港。旅友達には「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」など寝台特急にこだわっている人もいますが、そこまでゆっくりできず空路を選択。名古屋から1時間40分で新千歳空港に到着です。 飛行機を降りて地下へ降りればJR新千歳空港駅ですが、あえてバスを選択。バス乗り場へ向かいました。乗る予定のバスが来るまでしばらくバスウォッチングを楽しみました。 空港と札幌方面を結んでいるバスは北海道中央バスと北都交通。地下鉄駅やホテルに直結する路線があり、荷物が多い人にとっては鉄道より楽な選択かもしれません。北海道中央バス地下鉄大谷地行き 2004年8月 新千歳空港にて posted by (C)喜多山栄北都交通 地下鉄真駒内・アパホテルゆき 2004年8月新千歳空港 posted by (C)喜多山栄 苫小牧、室蘭方面へは道南バスが走ります。緑色を中心とした個性的なボディ塗色をまとっています。道南バス苫小牧行き 2004年8月 新千歳空港にて posted by (C)喜多山栄 私はやってきた登別温泉行きのバスに乗り込みました。「まずは観光」と割り切って登別へ向かいました。
2007.11.07
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能登半島は富山湾に面した波静かな「内浦」と日本海の荒波にさらされる「外浦」という両極端の景色を楽しめます。 2004年7月、私はすでに廃止が確定していたのと鉄道能登線のお名残乗車を終え、珠洲駅の前に立ちました。内浦側の珠洲駅から外浦側へ向かうバスを待つためでした。2004年7月珠洲駅前にて曽々木口ゆき奥能登観光開発バス posted by (C)喜多山栄 やってきたバスは「奥能登観光開発」というバス会社の曽々木口行き路線バス。同社は石川県全域でバス事業を営み、鉄道線ももつ北陸鉄道から分社された地域子会社です。峠を越えて外浦側に出ると、海岸線に沿った荒々しい風景が目に飛び込んできました。絶景と言ってもよいでしょう。残念ながら風景写真はありませんが、「また来たい」と思うようなところでしたね。さて、珠洲駅からバスは閑散としていましたが、途中で小学生の集団が乗り込んできました。途中のバス停で児童を降ろしながらバスは進んでいきました。なるほど、“観光開発”という名とはうらはらに、実態は地域密着の生活路線なんですね。実際のところ観光客は集団で観光バスで乗りつけるか、自家用車でアクセスするのが普通なのでしょう。「JR時刻表」で休日運休になっているわけがよく分かりました。2004年7月曽々木口にて輪島駅行き奥能登観光開発バス posted by (C)喜多山栄 途中、曽々木口というバス停で輪島行きに乗り換え。宇出津始発のバスでした。この路線も奥能登観光開発の路線。バスは明らかに前歴が分かる(名鉄)三菱の大型車でした。フロントガラス下のあんどんを塗るつぶしたあとがはっきり分かります。 輪島のバスターミナルは、旧輪島駅の跡でした。レールがあったことを示すモニュメントもあり、寂しげでした。ここからは、さらに海岸線を西に進み、門前へ向かう路線や鉄道に接続する穴水へ向かう路線も出ています。市内を巡回するコミュニティバスもありました。2004年7月輪島コミュニティバスのらんけバス海コース posted by (C)喜多山栄 輪島駅前のホテルで1泊した翌日、コミュニティバス「のらんけバス」で市内を一周してみましたが、漁村の雰囲気を存分に味わうことができました。 今年3月の能登半島地震で被害が出た地域です。復興を願わずにはいられません。輪島ステーションホテル
2007.11.04
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風邪はなんとか「薬で抑えている状態」。のどの痛みやセキは一応おさまってはいますが、まだ頭がボーっとしている状態で不調です。今日は外せない仕事があるので出勤です。 規制緩和にともなう路線バスの撤退、路線廃止により広大な公共交通空白地帯が生まれています。コミュニティバスや乗り合いタクシーなど実質「最後の手段」として交通確保をしている自治体もあります。愛知、岐阜、三重の各県でも多くの自治体でコミュニティバスの運行がされています。 ただ、住民のニーズとあった時間や本数、路線設定などがされないと、それこそ「空気輸送」になる危険性もはらんでいます。行政サイドは市役所や公民館など地域と公共施設を結ぶことに重きを置きがちで、鉄道など他の交通機関や病院、商業施設などとの接続が軽視される例もあります。生活バスよっかいち 2003年11月撮影 posted by (C)喜多山栄ぐるっとつーバス 2004年4月撮影 posted by (C)喜多山栄 写真は三重県四日市市大矢知地区の「生活バスよっかいち」と三重県津市の中心市街地を巡回する「ぐるっとつーバス」です。両方とも走り始めて間もないころに乗りに出かけました。 双方に共通するのはNPO(特定非営利団体)が事業主体であり、沿線の企業、病院などがスポンサーとなり、そこへ行政が補助をしていることです。実際に運行するのは地元のバス会社である三重交通です。 住民がNPOまで立ち上げて走らせるというところに「住民参加型」「地域密着」の趣旨が生きると思うのですが、そこまでしないとバスが走らないという厳しさも見えてきます。 しばらくコミュニティバス巡りをしていませんが、ここ数年情勢も変わっているので時間を見つけては新しいところも含めて訪問してみようと思っています。
2007.10.30
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まだ、風邪が長引いているようで体調は最悪。なんとか出勤していますが仕事になりません…。上司に「明日、あさって忙しいから帰って休め」といわれてしまいました。 名鉄犬山駅東口は、名鉄が開発した観光地である博物館明治村やリトルワールドへの玄関口の駅とされ、電車でアクセスした人に対してバスへの乗り換えが指定される場所です。 同駅は橋上駅舎と自由通路で東西が結ばれています。旧市街や市役所への玄関口は西口ですが、乗り入れる路線バスはなし。市のコミュニティバスがわずかに乗り入れる程度です。名鉄バスリトルワールド行き 犬山駅東口 posted by (C)喜多山栄名鉄バス前原台行き 犬山駅東口 posted by (C)喜多山栄 写真は2003年に撮影した名鉄バス。小牧営業所の車が乗り入れてきていましたが、近年、名鉄は明治村、リトルワールドの両線と、木曽川の対岸の新鵜沼~鵜沼緑苑団地(岐阜県各務原市)で運行していた路線をあわせて系列子会社の岐阜バスコミュニティに移管してしまいました。 小牧から延々と回送車を運んでくるよりも川の対岸の各務原市にある車を使ったほうが合理的ということでしょうか。 レジャー施設も、住宅団地も公共交通の最大の敵は自家用車。犬山駅のロータリーも実に車送迎がしやすいロータリーです。 何度もくり返し書きますが、いずれは自家用車を運転できなくなる日が来ます。気軽に通院や買い物に使えるバスを(行政の手は借りながらも)市民が育てていかなければならないときだと思っています。
2007.10.29
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岐阜県は愛知県と比べても“平成の大合併”が大規模に行われた県で、市町村の数が大幅に減ってしまいました。特に飛騨地方では高山市のように東の長野県境から西の福井、石川両県との境まで県域をばっさり横断するような自治体まで生まれています。美濃地方では郡上市や恵那市、中津川市のように広域合併をしたところもありますが、合併せずに自立を選択した自治体もあり比較的原型をとどめています(飛騨地方でも白川郷のある白川村は例外)。 各務原市(かかみがはらし)は岐阜市の東隣にある木曽川に沿った市で、航空自衛隊岐阜基地や川崎重工などの企業が立地しています。名鉄犬山線で犬山遊園駅から犬山橋を渡って新鵜沼駅まで行くともう各務原市です。東西にJR高山本線、名鉄各務原線が通っています。ちなみにJRの駅名は「各務ヶ原」(かがみがはら)。「かがみはら」という人もいます 鉄道駅と市内各地を結んでいるのがコミュニティバス「ふれあいバス」。岐阜バスコミュニティが受託、運行しています。2004年に編入合併した旧川島町と市中心部を結ぶ系統もあります。ちなみに愛知県と岐阜県との間を路線バスを乗り継いで移動するには川島を経由すると行けます。名鉄一宮駅から名鉄バス「川島」ゆきに乗って終点下車。同じ場所に岐阜バスの「川島松倉」というバス停があるので「名鉄岐阜」ゆきに乗り継げます。 羽島郡岐南町は岐阜市のすぐ南にある町で国道21号、22号という幹線道路が通じています。平成の大合併では各務原市あるいは岐阜市との合併の動きもありましたが、結局合併せずに単独町政を続けています。名鉄名古屋本線の岐南駅がありますが、普通しか止まりません。訪問するには急行停車駅の笠松駅からタクシー利用が一般的です。同町のコミュニティバスは「にじバス」という名前で町内に本社を置く運送会社、エスラインギフが受託しています。笠松駅、岐南駅と役場を通り町内を巡回しています。 瑞穂市は聞きなれない市名ですが、2003年に本巣郡穂積町と巣南町が合併してできた市です。最寄りの鉄道駅はJR穂積駅です。写真の「みずほバス」の正面には大きく「ほづみ」と書いてありますが、これは合併前から旧穂積町がコミュニティバスを運行し「ほづみバス」と名乗っていたからです。訪問した当時は過渡期で「ほづみ」と書いたバスと「みずほ」と書いたバスが混在していました。受託している会社は岐阜乗合自動車(岐阜バス)です。みずほバスとは名乗っていませんが、ショッピングセンター「リオワールド」へ向かう路線もみずほバス同様ワンコインで乗車できます。リオワールドでは温泉浴場がある「リバーサイドモール」への無料シャトルバスにも乗り継げます。
2007.09.16
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今回の記事は、岐阜県旧海津郡3町を走っていたコミュニティバスを取り上げます。 同市は2005年3月に旧海津郡3町(平田町、南濃町、海津町)が新設合併(対等合併)してできた新しい市です。海津町に他町が吸収合併されたという記述のブログ記事を見たことがありますが、合併協議会の公式ホームページを見ると「新設合併」と明記されています。 このあたりは岐阜バス、名阪近鉄バスのエリアでしたが、ご多分に漏れず大垣と海津を結ぶ幹線を除くローカル路線は撤退の憂き目にあい市(合併前は旧町)がバスを運行しています。 羽島市(大須)から旧平田町を通って海津市医師会病院に至る路線は市域をまたぐので「広域バス」と名乗っています。写真は2004年2月に大須から乗車して下車した「海津温泉」バス停で撮ったものです。スイトタクシーが受託、車両は観光タイプの日野リエッセが入っていました。 海津温泉を拠点に旧海津町を循環していたのが「海津町営バス」(現在は海津巡回バス)。100円温泉で知られた鄙びた老人福祉センターでしたが、現在リニューアルのため全面工事中。公式HPによると今年9月から11月まで全面休館とのこと。源泉100%かけ流しのカルシウム・ナトリウム‐塩化物泉だったのですが、公開されている設計図によると、「並みの公共温泉」のようになりそうな感じです。とにかく温泉は12月に新装オープンしたら改めて取材しないといけませんね。 海津町営バスに乗るための鉄道アクセスは近鉄養老線石津駅。駅から少し前に出た路上バス停から乗ります。写真は2004年2月に石津駅前で撮った日野メルファ9。自家用送迎用向けの車両なので珍しい車種選定です。 養老山地に沿った旧南濃町では南濃町営バス(現在は海津市南濃巡回バス)も走っていました。新市でも引き継がれていますが、このバスも海津温泉に乗り入れていました。旧南濃町は南北に細長い町でバスは近鉄の駅(美濃松山、石津、駒野、美濃津屋)に接続しながら南北軸を結んでいます。途中旧南濃町が掘削した「南濃温泉水晶の湯駐車場」と海津温泉にも寄ります。車両は普通のマイクロバス。三菱ふそうのローザでした。 さて、この海津市、合併にいたる経過でドタバタ劇が演じられマスコミでも報じられました。平田町と南濃町と海津町から1文字ずつとって「ひらなみ(平南海)市」という案が当局から出され、町民の総すかんを食ったのです。平板な印象が嫌われたのでしょう。アンケート方式の住民意向調査を経て郡名を踏襲する海津市に決まった経緯がありました。地名は古くからの住民にとっては愛着深いもの。お上(行政あるいは議会)の一存で決められてしまったら、たまりませんね。地域の歴史を塗りつぶすことにもなりかねません。 このあたりは木曽三川下流の低湿地帯で輪中集落や、江戸時代に薩摩藩士を動員して分流堤防を築いた歴史を知る「治水神社」もあります。バスの時間を調べれば岐阜から電車、バスを乗りついで桑名まで出ることができます。観光コースの一環としても利用できるのではないかと思います。
2007.09.15
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久しぶりに過去ネタ写真を引っ張り出してみました。この間忙しく、新たな取材ができていないので、過去ネタで記事を埋めようと思います。しばらく続くと思います。 各地で「交通局」「交通部」といった地方公営企業が運行する路線バスが消えています。岐阜市では2005年3月末限りで岐阜市交通事業部が廃止になり、路線バス事業は名鉄系の岐阜乗合自動車(岐阜バス)が引き継ぎました。同市での路線バスは当時、市営バス、岐阜バス、名古屋鉄道の3社の路線が入り乱れて走っている状態で、外来者には非常に分かりづらいという問題を抱えていました。 いよいよ岐阜市営バスもなくなり、名鉄バスも撤退して岐阜バス1社体制になるというときに、市営バスのお名残乗車をするために足しげく岐阜に通いました。1日乗車券を買って何回かに分けてほぼ大半の系統に乗りました。早朝だけしか走っていない系統や学生輸送系統は乗るのは困難なので断念しましたが。 岐阜県内に車体メーカーの川崎重工がある関係で、大多数の車両がいすゞ製シャーシ、川崎製ボデーでした。最末期は上の写真の「いすゞキュービック」が標準でした。 狭隘路線など特殊な路線用に中型車も入っていましたが、こちらは日産ディーゼル製シャーシ、富士重工製ボデーを採用していました(下の写真)。屋根上の広告枠も岐阜名物でした。 下の写真は岐阜の街のど真ん中にそびえる山を貫くトンネル、鶯谷トンネルの東口で待ち構えて撮った一枚。「岩戸入舟線」といわれる系統で日産ディーゼル製の中型車が使われていました。 2005年3月末日は、岐阜県で走っていた名鉄の600V路線が全廃された日でもあります。名実とも、岐阜市近郊のローカル輸送が岐阜バスに一本化された日でもあります。 その岐阜バスでも行政からの補助なしでは維持できない路線をいくつも抱えています。 バスは公共交通の最後の“命綱”。通院、買い物など住民の日常生活を支える重要なライフラインでもあります。 私が旅先で路線バスにこだわる理由はここにあります。そこに住んでいる人々の日常の世界をこの目で確認したいと思うからです。宿の送迎車やタクシー、レンタカーに頼るのは邪道とまでは言いませんが、いわば最終手段ですね。クルマでしか行けないところは仕方ありません。もはや私にはバス停から何時間もかけて歩く気合も体力もありません。学生時代は駅やバス停から1時間程度の歩きは平気でやっていましたけどね。路線バスの現在・未来
2007.09.09
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8月10日~14日の湯めぐり行です。 夏油温泉へのバス便は1日2往復。JR北上駅前から岩手県交通が路線バスを運行しています。同温泉は積雪期は休業なので、バス便も積雪の時期は途中の瀬美温泉止まりになります。 私は15:00北上駅発の夏油温泉ゆきに乗り込みました。 やってきたバスは銀色に水色の帯を締めた岩手県交通カラーのいすゞ製の中型車。約1時間強のバス旅です。途中、フリー区間(運転手に申し出ればバス停以外でも下りられる)もあってローカル色満点です。瀬美温泉を過ぎると本格的な山道ドライブです。運転手さんもカーブミラーを注視しながら慎重な運転です。 狭いところへ突っ込んでくる車は決まって他県ナンバーで、すれ違いできずに図体の大きいバスの方が切り返したり、バックしたりで大変そうでした。それにしてもまあ、両端ぎりぎりの狭い道をバスで入って行きます。運転手さんの運転操作の一挙手一投足を見ていましたが惚れ惚れしますね。古い車なので、オートマチックトランスミッションというようなものはついていません。それもシフトレバーが床からにょきっと伸びた古いタイプの車なので職人芸ですな。床からにょきっと1メートルくらい伸びたシフトレバーは昔、私も仕事で乗った2トントラックで体験しましたが、どこが2速でどこが3速なのかよく体で覚えておかないと操作ミスにつながりエンストしたりするのです。 バスは終点、夏油温泉に到着。旅館街の入口の駐車場で下ろされました。目の前には温泉ガイドで見た「元湯夏油」の大看板が見えます。 もうここは携帯電話も圏外。固定電話もない世界です。唯一衛星電話が下界との連絡手段です。 さて、私が投宿したのは元湯夏油ではありません。泊まった旅館、露天風呂についての記事は次回以降で書きます。
2007.08.15
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2004年春の東北乗りつぶし行&湯めぐり行の続きです。 岩手県の路線バスは盛岡付近を境界に南部が岩手県交通、北部が岩手県北自動車とエリアが分かれています。宮沢賢治の文学資料館などがある花巻は岩手県交通のエリア。 私は駅前にやってきた銀色塗装に水色の帯を巻いた岩手県交通の路線バスに乗って台温泉を目指しました。見るからにクラシックな装いでバスファンとしてはうれしくなりますね。 台温泉は歓楽温泉である花巻温泉の湯元。「精華の湯」という日帰り温泉施設を訪問したのですが、硫黄臭の強い熱いお湯だった覚えがあります。名物のそばは売り切れで食べられませんでしたが。 花巻駅には志度平温泉、鉛温泉といった花巻南温泉郷へ向かうバスも発着しています。 04年に訪問した際は、このあとJR花輪線に乗る予定だったので盛岡へ移動。花巻南温泉郷の入湯は果たしていません。
2007.08.09
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名古屋の市バスでは、ここ10年来中小型バスが導入され、おもに地域循環バスなどコミュニティ系統で使われています。名古屋駅から都心の広小路通りを通ってランの館にいたる「都心ループバス栄758系統」が運行を始めたときに三菱ふそうの小型ワンステップバスが導入されましたが、一般路線用の小型車はまだツーステップ車でした。 写真は栄バスターミナル前で撮影した日野製の小型バス。名古屋市交通局の小型車は今のところのちに導入されたノンステップ車を含めても三菱ふそう製が多数派で日野製は少数です。「メルファ7」あるいは「リエッセ」にフルモデルチェンジされる前の「レインボー」の末期モデルなのでさらに貴重です。 小型車は当初写真のように特別塗装にされていましたが、いつのまにか名古屋市交通局の一般車標準塗装に塗り替えられてしまいました。 名古屋の市バスの最近の新車はトルコンATが標準。少々古いツーステップの車両でもシフト操作が軽い電気・エア式のマニュアルトランスミッションを標準装備していますが、写真の日野レインボーは床から伸びた長いシフトレバーを使って変速する方式。おそらく名古屋では最後ではないでしょうか。 地域巡回系統などが主な持ち場なのでキャッチするには系統別の時刻表を見てノンステップバスのチェックが外れている時間の便を狙うと出会う確率が高くなります。
2007.08.04
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千葉県中部(千葉市周辺)の路線バスは京成バスあるいはその分社子会社、千葉交通、新京成、小湊鉄道など京成電鉄の資本が入った会社の路線が圧倒的ですが、平和交通、団地交通という団地輸送に特化した独立系のバス会社もあります。 2003年の北海道行きの前日、私は東京に滞在していました。翌日東北新幹線「はやて」に乗るためですが、JR時刻表にも出てこないなぞのバス会社、平和交通と団地交通に試乗してみようと千葉へ向かいました。路線図、時刻表などはネット上にすでに公開されていたのでだいたいの目星はつけていましたが。 まず、千葉駅北口から団地交通、幸町中央(さいわいまちちゅうおう)ゆきに乗り込みました。幸町団地は千葉駅の南西、JR総武線と京葉線に挟まれた一角にある大規模団地で同団地の足として運行されているバスが団地交通バスです。 終点は団地の真ん中にある商業施設などが集中しているところでした。暑かったので近くのスーパーで涼を取り、JR稲毛行きを待ちました。 当時すでにノンステップバスの導入も始まっていました。 JR総武本線稲毛駅東口のバス乗り場の一番端に、平和交通のにれの木台団地ゆきが止まっていました。予想に反して大型バスが使われており、立ち席も出るほどの混み具合でした。 途中、乗り換えターミナルである西小中台団地で下車。今度はJR総武線新検見川駅ゆきを待ちました。やってきたバスはマイクロバスでした。 新検見川駅には日野のリエッセも出入りしていました。 平和交通、団地交通ともに、地元のローカル輸送が主力であり観光客には無縁の路線でした。JR時刻表に載っていないわけです。 最近ではコミュニティバスの受託や海浜幕張周辺の巡回バスを受け持ったりしているようですね。 路線バス業界はここ10年来の“規制緩和”で既存の大手私鉄系バス会社は不採算路線の撤退、分社化の推進をすすめ、一方で新規参入組もありなかなか全貌がつかみにくくなっています。平和交通、団地交通はまだ規制が厳しかった当時に乗り合いタクシーからスタートした会社だそうですが、先見の明ですね。 私が住む中京地区でも大規模団地の高齢化がすすみ、バス路線の撤退で交通過疎になってしまった団地もあります。スーパーや銀行も撤退したりして日常生活にも事欠くところもあります。URのウェブサイトを見ると件の幸町団地は「車を持たずに生活できる」ことが売りになっています。でもこんな記事を見ると「全国どこでもやってほしいなあ」と思ってしまいます。私は団地住民ではありませんが、身近に団地住まいで苦労している人もいるので。
2007.07.26
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「ラグーナ蒲郡」を含む愛知県蒲郡市周辺で走っている路線バスは「サンライズバス」と呼ばれます。バス停にも「サンライズバス」と書いてあります。でも正式な社名は「名鉄東部観光バス」といいます。もともと名鉄から分社化された地域子会社だったのですが、グループの再編により紆余曲折を経て愛知県西三河地方を地盤としている名鉄東部観光バスに吸収されてしまった格好になっています。 蒲郡市周辺では「サンライズバス」の名称をそのまま使っていますが、廃止された名鉄三河線碧南~吉良吉田(吉良高校)間の「ふれんどバス」も同社の担当なので、ブランドを差し替えられるようにボデー側面にはサボ受けが取り付けられています。 車両は三菱の大型車や中型ロングが主力。「名鉄東部観光バス」に社名変更されてからの新車は白地に打ち上げ花火のデザインになっており、ローマ字と漢字の両方で社名が書かれています 次の写真は2003年に撮影した旧サンライズバスカラーの車。水平線から太陽が昇っていく様子がデザインされています。 愛知県内の名鉄系の観光バス会社はかつては名古屋観光、瀬戸観光、一宮観光、岡崎観光など各地域ごとに独立した会社がありましたが、最近は「名古屋観光日急」「名鉄西部観光バス」「名鉄東部観光バス」に集約されてしまいましたね。知多半島の「知多乗合」と東三河の「豊橋鉄道」は独自に存続していますが。 学校の遠足や修学旅行で「どこの会社のバスが来るか」を予想するのも楽しみのうちでした。小学校の修学旅行は京都、奈良方面でしたが来たのは岐阜バス(岐阜乗合自動車)でした。日帰りの遠足のときは三重交通や東急鯱バスというときもありましたね。 幼少時から貸切バスに詰め込まれて団体旅行をするのは好きではありませんでしたが、制約がある中で楽しみを見つけ出すのも知恵の絞りどころでしたね。
2007.07.21
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2003年の北海道行きの主目的は乗りつぶしでしたが、もう一つ、2004年3月に完全撤退することになっていた札幌の市バスをキャッチすることでした。札幌の市バスは北海道中央バス、じょうてつ、ジェイ・アール北海道バスの3社に身売りする形で路線を順次委譲していました。私はまだ委譲されずに市営で残っていた路線に乗るべく、地下鉄東豊線の環状通東駅から同南北線の北24条駅まで市バスに試乗しました。 北24駅にはバスターミナルが併設されており、バスが発着していました。 緑色塗装の車がほとんどでしたが、赤系統とクリーム色のツートンの旧塗装車もいました。 全国の政令指定都市の交通局で市バスを完全になくしてしまったのは札幌だけだそうです(福岡市は当初から地下鉄専業)。全国で「交通局」のバスが縮小、撤退の方向にありますが、寂しいですね。私もマイカーに依存した生活をしていますが、意識的にバスを利用したいものですね。いずれはクルマに乗れなくなるときは来るのですから。
2007.07.19
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昨日アップした記事で2003年8月に特急「すずらん」に乗ったと書きましたが、車内でその日どのようにして過ごそうか時刻表とにらめっこしながら考えたのでした。当初、えりも岬に行くつもりだったので帯広の宿は押さえてありました。思案した結果、未乗の石勝線新夕張~夕張間の支線に乗ることにしました。 さて、札幌まで来てどうやって夕張に入るか。夕鉄バスの札幌大通~清陵町という路線があることを時刻表で知りましたが、清陵町といわれても夕張のどこへ連れて行かれるかわからず、そもそも札幌大通のバス停がどこにあるのかわからないので困ってしまいました。 結局、高速バスのページで見つけた北海道中央バスの「高速ゆうばり号」に乗ることにして、札幌駅前ターミナルから石炭の歴史村ゆきのバスに乗り込みました。 高速道を下りて、一般道を進んで夕張市内に入ると「バリバリ夕張」の看板がいたるところに設置されていました。なにがバリバリなのかよくわかりませんでしたが、着いてから見た三セク観光施設を見て「たぶんバリバリの真意はここにあるのだろうな」と思ったのでした。 石炭の歴史村を見学して、なぞの夕鉄バスの正体を見るべくやってきた同社のバスに乗り込み、夕鉄本社バスターミナルをめざしました。 夕張は南北に細長い町で、石炭の歴史村は町の北端でかつて炭鉱のあったところなのでした。バスの行き先は「清陵町」やかつて国鉄夕張線の支線の終点だった「登川」などを示していました。 私はなぞの札幌急行をキャッチすべくターミナルで時間をつぶしました。運行図や運賃表を見ると、何のことはない。地下鉄大谷地駅のバスターミナルにも寄るではないですか。得体の知れない「札幌大通」バス停を探さなくてもよかったのです。 やってきた札幌急行はかなり年代物の観光タイプの車両で、北海道中央バスとくらべても見劣りのするものでした。 新さっぽろ駅前へ行く路線もありました。こちらは普通の路線バス仕様でした。 2003年の時点でこんな状態でしたが、今年夕張市が財政再建団体入りするときの報道で、市がお年寄りむけに発行している夕鉄バスの割引券を廃止するか否かが問題になっていました。結局、廃止されずに残ったようですが。同市は細長い町なので交通の確保はとくに生活の存続にかかわります。 いまでも同市は「バリバリ」といっているのでしょうか。次の記事では財政破たんの原因になったとされているリゾート施設を少しだけ利用したので、その感想を含めて述べたいと思います。
2007.07.17
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暑い日が続いています。今日は真冬に訪れた北海道・納沙布岬へ行ったときの画像で気分だけでも涼しくなろうと思います。 写真は1992年2月に納沙布岬を訪問したときに乗った根室交通バスです。 釧路で前泊して翌朝の根室本線(花咲線)に3時間揺られて日本最東端の地、根室に到着しました。根室駅から納沙布岬まではバスで45分。雪は少なかったのですが、バスから降りるなり冷気が襲ってきました。厚着していったのですが、灯台周辺を少し散策して記念撮影をしたらギブアップ。売店に飛び込み熱いラーメンをすすりました。 道東、とくに根室管内を訪問したのはこのとき1回きり。帰りも花咲線で釧路へ戻り、まだ当時客車で運行されていた急行「まりも」のドリームカーで札幌まで戻った覚えがあります。 納沙布まで行ってみて、北海道の広さをとくに実感させられましたね。
2007.07.09
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明日は昼間の日程がつぶれているので、今晩もう1本記事を書きます。 岐阜市内ではかつて、3社の路線バスが入り乱れて走っていました。名古屋鉄道(名鉄バス)、岐阜乗合自動車(岐阜バス)、岐阜市交通事業部(岐阜市営バス)です。今では名鉄、岐阜市ともに岐阜バスに路線を譲り渡して岐阜バス1社になっています。 さて、岐阜市営バスはいすゞのシャーシに川重車体のボデーをのせたバスのみが採用されていました。車両メーカーの「1社独占」というのはよくある話です。岐阜市はすぐ近くの各務原市に川崎重工の工場がある関係で系列の川重車体のボデーを標準とするいすゞ車を導入していたわけです。 名古屋でも市バスがいすゞ車を採用していましたが、私が住んでいる地域では日野車や三菱車が多数派で「遠征」しないと乗る機会には恵まれませんでした。 エンジンから独特の重低音を発しながら走っていました。 「カワサキ」というとバイクで有名ですが、昔はバスボデーも作っていたんです。 岐阜のバスは(市バス、岐阜バス)は屋根上に広告枠を設けているのが特徴でした。広告はおにぎり販売の「子の子」(ねのこ)。完全に岐阜ローカルの企業でもうすでに倒産してしまいましたが、当時のラジオCMで「子の子のおにぎり、おいしいね」とよくやっていたので覚えています。実店舗でおにぎりを買って食べたこともあります。 岐阜市営バスは2005年3月に完全に撤退。撤退直前の画像はまた機会を見て、別途別記事でアップします。
2007.07.03
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