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久しぶりに暑さを感じる。やっぱり8月。夏真っ盛りだよな。幼馴染の同級生で戦友が一旦閉めた店舗の2階でカフェをオープンするという。そこでお祝いのフラワーアレンジメントを購入して届けた。古い友人はいい。不思議な縁が二重にも三重にも絡む。祖父同士も友人であったらしい。彼の父親にはお世話になりっぱなし。そして彼自信も戦友だ。お互いに膨らむ理想を語りだすと止まらなくなる。もう現役ではないのだから今は愚痴になってしまうのだが。。。夕方、待っていた連絡が飛び込んできてくれた。離職票がテータで配信されたのだ。ダウンロードしたものの開示できなくて四苦八苦。そこでPCで受け取るとプリントアウトすることができて一安心。明日はハローワークへ行ける。冷しゃぶで晩酌。不思議と眠くならずに録画したドラマ2本を視聴してしまった。
2026年08月06日
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私は生まれつき運がいい。ずっと不幸な目にあった記憶がない。学力は並み以下だったが落ちこぼれてはいない。運動神経はよくなかったけど動けないわけではない。なにより源之助師匠と出会えたこと。それは偶然ではなく必然であったろう。この一事だけでも相当に運がいい。そして4代目、5代目の師匠に信頼を頂いていること。お弟子さんたちに恵まれていること。翁会という組織は正式メンバーは2人しかいないのに応援してくれる預かりメンバーがみな優秀であることは幸運以外のなにものでもない。実家は処分する役目だったのだ。一族にその役目を果たせる者は見当たらない。そこでも幸運なことは多々あった。生まれ育った土地から離別しなければならないのは一抹の寂しさと悔しさは確かにあったけど、それさえも自由になれる布石であったのだ。町会という組織に縛られることなく自分の思うとおりに動ける幸せ。そこにも大きな幸運が見いだせる。だから奢ることなく謙虚でいよう。私一人が出来ることなどたいしたことはない。助けてくれるメンバーあってのこと。幸運には感謝で。常に感謝する心でいたい。
2026年08月05日
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宗教家の友人がいることは以前から書いている。所謂腐れ縁で高校時代から続くし兄同士も母親同士も友人であった多重の縁で縛り尽くされている。その友人から唐突に「愛子天皇を望む」とDMが飛び込んできた。なにしろの腐れ縁。挨拶なんぞ交わしたこともないDMの連続だから仕方ないのか。それに対して「神話時代から何代かの女性天皇は存在したのだから愛子天皇もありえなくない」と返した。そうなのだ。特にこのジェンダーを問わない時代において女性天皇を認めないなんていう論議は愚の骨頂。大いに賛成するし支持したい。そこから七面山の話にすり替わった。結論としてホッサマグナの東端に七面山。西端に諏訪大社様が鎮座する。神仏の協力でホッサマグナを抑え込んでいるのかもしれない。七面山には龍神様伝説があると話は飛ぶ。そういえば熊本は龍脈の真上なんじゃないか?九州新幹線はそのトンネル工事において龍脈を傷つけてしまっての結果が熊本地震に繋がっているのかもしれない。そうなると七面山の真下を採掘するリニアも危険だ。地盤沈下や採掘事故が多発しているうえに前静岡県知事が猛烈に認可しなかったのも人智を越えた啓示であったのかもしれない。と、暇なじいさん同士のLINEはとりとめない。
2026年08月04日
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妻を仕事へ送った帰り道、仲間の家へ。預けてあった資材の引き取り。昨夜まで借りた現場を確認。ゴミはないようだ。借主の銀行へ御礼の御挨拶。快く対応してくれた。自宅へ戻り資材の運び上げ。エレベーターで4回。それだけで大汗もの。少し休息してから資材の収納。その過程で昨日の夕立で売れ残った在庫の嘆きのインスタを投下。ほどなくして知り合いの先生から1本引き取ると連絡。速攻で届けにいった。途中の道筋で東真鍋の皆さんが山車へのシート掛けに汗していた。それからもう一度仲間の家に寄りキャリーワゴンを引き取り。夜20時過ぎにメンバー宅ー届けて片付けは全部完了した。
2026年08月03日
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朝一は月一回の団地内清掃から。少し雑草が刈り込みました。昨夜は暑かったので寝室のエアコンを始動。おかげで熟睡できました。涼しめの朝でしたが草刈り作業をしていると汗です。妻の実家へ飛んで榊を刈らしてもらい1対の束にして中丸囃子さんへお届け。帰宅してランチ。頂いたジャコと生ハムのパスタ。13時30分になり出発。まず預けてあった荷物を現場へ搬入。3往復でヘトヘト。設営を少し手伝って16時待ち。16時になり交通規制が開始。と同時に山車数台が会場入り。昨日とは違う我孫子のメンバーが寄ってくれました。17時に雨。仕方なく資材をまとめて撤収。そこへ葛西から名人の一団が到着。接待しなければなりません。が、囃子手の足らないのを見て手伝ってくれました。19時過ぎに山車は競演会場へ入ったので撤収作業。21時前に完了して解散。アシストで帰宅。桜川の橋上ではまだ蓮河原の獅子が盛り上がっていました。やっぱり疲れているんですね。寝落ちしていました。
2026年08月02日
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5時30分に起きてしまった。丁度良い。起きだして洗面。ついたち詣でに出た。まず地元氏神様の下高津愛宕神社様と境内社の高津稲荷神社様。続いて産土神様の土浦八坂神社様。ここはついたち詣での方がチラホラ。それから川口三社の水天宮様、水神様、寿寅稲荷神社様。帰り道に資材を取り向かうも肝心の資材がなかった。とりあえず強からの現場を確認して帰宅。妻のアシストを積んで仕事へ送り、帰宅して今日からの荷物を積み込む。それだけで汗がときらない。少し休息。ランチは蕎麦。暑いのでつるつる入るものはありがたい。13時30分に出発。現場ではもう設営が始まっていた。16時まで暫時休憩。16時になり交通規制になって令和8年土浦キララまつりが開幕。数回の囃子。18時前に留守番を頼んだ妻が来てくれたのでYEG舞台へ移動。ここで獅子舞。たくさんのお客様に観ていただきました。現場へ戻り、夕食。20時前にカッパ踊りが終わったのでこちらでも獅子舞。そして上げ囃子。おとなしくアシストで帰宅。疲れからか寝入ってしまいました。
2026年08月01日
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怒涛の7月も晦日。やや涼しい。明日からも涼しいといいなと思いつつ。先日提出した道路使用許可を取りに行く。売れ取りは簡単。ただ土浦警察署の交通課は3階。エレベーターなしのやや急な階段。上り下りだけでしんどくなる。ホームセンターへ榊と仏花の購入。妻はテーブルクロスを見ていたけどサイズがわからないので断念。食材を買ってペットボトルを処分。やや暑くなってきた。明日からのキララまつりの準備。といってもプライスをつけるだけの作業。ただ出荷前の荷物でリビングがいっぱい。さて、今年も後半。只今無職の私にはどんな秋色が待っているのかな???
2026年07月31日
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祖父は政治家だったと思う。表だったのは昭和15年の市議会補欠選挙に当選して2年だけ市議会議員をしただけ。その後は影になっていた。裏から土浦の政界を動かしていたそうだ。その部下には元土浦市長、故箱根宏氏も加わっていたそうだ。祖父の居間には連日来客があり密議が交わされていたようだった。そしてその家系的血筋は脈々と私に受け継がれているようだ。もちろん私は政治家ではない。政治そのものに興味はない。しかし所属する団体で表に出ることはほぼない。どんな記録を見返しても責任ある役職にはついていない。なのに出すぎるほど提案している自分が可笑しい。影に回るような家系の妙なのだ。それが写真嫌いにも繋がるのかもしれない。それにしてももう老兵。新しい舟には乗り込めない。若き新しい船員たちよ、その理想の炎を燃やし続けてくれ。その思い、行動力に賞賛する。老兵は消えゆくのみ。それが自然の摂理なのだろう。
2026年07月30日
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10年ぶりの震度7とは。10年という時間をあけて何故に熊本に震災が集中してしまうのか?せっかく修復の進んでいたシンボル・熊本城もまた被災した様子。お見舞いとか軽々しく言えないような悲惨な映像ばかりがメディアに踊る。東日本大震災の時の余震の恐怖が蘇る。何度も何度もゆすられて段々と壊れていく自宅の恐怖。直すに直せない事情。そんなのが10年ぶりに襲ってきたらたまらないよ。今でも地鳴りに身構えるもんな。せめて今週末のイベントで義援金を募集しようかと考える。そのくらいしか思いつかないのが何とももどかしいのだが。。。
2026年07月29日
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どこかで周囲を見下していたらしい。自分ほど祭事に詳しい者はいないはずだと思いあがっていたのだ。反省しなければならない。大和町にも礎会にも大和囃子にも将門囃子にもだ。申し訳ありませんでした。今後は思うことがあっても口には出さずに飲み込むことに専念致します。みんなそれぞれの想いの中で最高だと思える表現をしているのだから外野から苦言を呈するのは何の立場のないものにはおこがましい限りだ。だいたい自分は軸足をどこに置いているのか?それさえあやふやのまま言いたいことだけ口走るのはいいことじゃない。溢れだす思いを閉じ込めるのは至難の業ではあるけれど専念しなければ。それぞれの想いを尊重しなければならない。ましてや手伝おうなぞと思いあがってはいけなのだ。そうしたいのであればそうさせればいい。何も持論を高々と差し上げる必要などないのだ。一抹の寂しさはあるのだが自分むはすでに発言者の立場ではない。口をつぐむのだ。未来図を描くのは私の仕事ではなく未来図が書けて実行できる若い水夫なのだ。老兵はただ去り行くのみ。それでいい。
2026年07月28日
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昭和39年の大和町当番であった土浦祇園祭りが初参加であった。男の子だけど手古舞をやった。記憶では初日の笠揃いと最終日の午後少しだけ。天気はあまり覚えていないが手元に残る写真では初日は曇りであったようだ。その後土浦祇園祭は低迷期に入る。久しぶりに見たのは昭和42年の中城町山車と内西町屋台。中城町の山車人形は雨を呼ぶ雨降り人形だと母から教えられたけどこの年に雨が降ったのかは覚えていない。まだ7月19日の笠揃い。7月20日の例大祭に引き続いての祇園祭は7月22日まで。当時まだ夏休みではなく当番町の子だけが早帰りしていたと記憶している。翌昭和43年は本町山車と川口町山車が出ていたが雨は降らなかったと思う。曇り空で蒸し暑かったのは覚えている。やはりまだ夏休みではなくて学校帰りに見かけた程度でついて歩くことはなかった。それは当時お祭り好きは奇異の目で見られたような時代風景であったからだ。昭和47年、中城町が中城町として最後の山車奉納。開催は2日間だけで初日は雨。雨降り人形の面目躍如であったか?昭和48年、田町が田町として最後の山車・獅子奉納。前面を獅子、後ろ面を山車仕様。まだ囃子がなくてテープを流していたから途中でテープ巻き戻し休憩なんかがあったりした。踊っていたのは個人で衣装とお面を所有していた小野義男氏。手元にはその写真も残る。天気は雨ではなかった。笠揃いを含めて3日間の開催だった。昭和49年、大和町が10年ぶりの山車奉納。川口町も5年ぶりの山車奉納。笠揃いが雨。15時過ぎからはあがったと思う。昭和57年、大和町当番。東崎町幹事当番町時、後半が雨。それからはあまり雨の記憶はないのだが昭和61年の大和町幹事当番町時も笠揃いは雨。平成5年の中央1丁目幹事当番町時は後半が雨だった。平成10年、大和町幹事当番町時も後半が雨。平成18年、大和町無当番。東崎町幹事当番時、迎え祇園が雨だった。朝から一日降っていた。平成22年、大和町幹事当番町時、ゲリラ豪雨で競演中止。平成25年、中央2丁目幹事当番時、本祇園共演でゲリラ豪雨。平成26年、大和町当番。城北町幹事当番時、送り祇園の夜に雨。しかし競演時には上がっていた。平成30年、大和町当番、川口町幹事当番時、本祇園に台風直撃。夜の巡行が中止となった。令和6年、田中2丁目幹事当番時も本祇園共演でゲリラ豪雨。そして今年令和8年の大和町幹事当番。ゲリラ豪雨で競演中断からの中止。土浦祇園祭りは雨に祟られるお祭りなわけではないと思う。この降りしきる雨はまさに慈雨。恵みの雨なのだ。雨による中止は寂しい限りだがそれは神様からの恵みの雨。ありがたく恭しく頂くことだと思う。
2026年07月27日
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7時に起きて支度。7時30分にアシストで出発。コンビニでサンドウィッチを購入して舞台入り。ほどなくメンバーが到着。9時までに数回の囃子。途中、サンドウィッチでみんなで朝食。9時に発輿祭。9時30分に天王様行列が出発。鎌倉い゛送りだしました。即。撤収。続いて舞台ばらし。解体はほぼ1時間で完了しました。部材の搬出。収納している時間は居残りで留守番。皆が戻ってきてランチへ。和食ファミレスでゆっくりと食事。13時30分に土浦八坂神社様へ移動。14時過ぎから天王様行列は五月雨的に帰還。囃子で迎えます。15時前に御本社神輿が到着。鎌倉で迎えました。御霊戻しに続いて還御祭式典。当番町引継ぎ式を経て式典終了。屋台で打ち上げて完了しました。御仮屋まで送ってもらいアシストで一旦帰宅。頂いたお赤飯を平らげてしまいまみした。そして少し仮眠。18時過ぎに半纏に着替えて街中へ。大和町の山車の元綱へ掛け声を上げるように教えて役目は終わり。他町を座ってみていました。競演会場へ移動。しばらくすると雨。雷も光りだし、16年前の悪夢の再来でした。そのうち豪雨。競演は当番町の独演だけで中止。しばらく待っても豪雨のままです。交通規制解除の時間まで待って解散。降りしきる雨の中、各町解散。雨にぬれると何故だかみんなテンションがぶち上るようです。大和町の山車の車庫入れに立ち合い。木遣りに続いて上げ囃子を聞いて帰路につきました。ぐしょぬれで帰宅。玄関で全て脱ぎ風呂へ飛び込みました。空腹からビールいでうどんをすすり寝落ちしました。
2026年07月26日
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6時前に起床。半纏に着替えてアシストで出発。6時30分に土浦駅に到着。6蒔45分発に乗り込み日暮里で舎人ライナーへ乗り換え。西日暮里で待つこと5分ほど。弟弟子の運転する車へ拾ってもらい両国へ。江戸東京博物館リニューアルオープンイベント。開錠を待って車を駐車。大ホールの控室へ案内されました。9時45分からリハ。場当たりと段取だけで完了。控室で待つこと3時間。お弁当も頂きました。13時30分、解説から本番。何回となく稽古をしてきた演目をなんとか無事に完了。片付けもそこそこに退出。両国駅まで歩いて総武線に乗り込み秋葉原で山手線へ乗り換え。上野駅で常磐線に乗り換え。上野駅の売店はSuicaでないと開かないし無人なのでアルコールはありませんでした。14時32分、上野発は混んでいました。北千住で着席。15時45分、土浦到着。舞台組と合流しました。途中で買い込んだ「うなぎ白焼き」で乾杯。連合の動きを偵察へ。舞台に戻ると御本社神輿も一旦戻っていました。数回の囃子。夕食の鰻弁当が届いて中入り。大和町の半纏を16年ぶりに着込んで大和町の山車へ。懐かしい方々と少し談笑。夜の出発から少し元綱に入りました。これも16年ぶれです。交歓会定位置についたところで離脱しました。交歓会は一切音出しをしない約束なのでずっと見学でした。交歓会、御仮屋入り、浦安の舞、餅撒きを待って上げ囃子で終了しました。撤収して〆のラーメン会へ。美味しく呑んでラーメンをすすり、歓談して帰宅しました。
2026年07月25日
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7時前に起きて支度。今日から地元・土浦八坂神社様の祇園祭。初日を迎え祇園と呼称されています。8時に車で出発。メンバーの家に寄り道具や太鼓、諸々を積み込み。もう一人のメンバーも途中で拾い土浦八坂神社様へ。道具と人で重い車です。9時前に到着。仲間はすでに到着していました。太鼓をセッティング。数回の囃子。10時前に祇園祭発輿祭。御霊移しの儀。10時30分、出発。やり声に囃子を合わせました。屋台から鎌倉で送りだし。鳥居を潜った時点で打ち上げ。即撤収。御仮屋舞台へ移動。道具、太鼓、諸々を降ろして私は市庁舎へ移動。土浦市庁舎・公園緑地係へ。昨日指摘を受けた「道路占有許可」の申請。今日の16時には交付されるという異例の対応でした。ランチを購入してから舞台へ戻り一旦帰宅してアシストに乗り換えて舞台へ。舞台はまだセッティング中でした。一旦落ち着いてランチ。13時、天王様行列が御仮屋を一周。囃子・鎌倉で送迎。街中に響く天王様大太鼓のズンと響く低音に祇園祭開幕の実感が走ります。数回の囃子。15時に天王様行列は御仮屋へ到着。囃子・鎌倉で迎えました。着輿祭式典終わりで囃子。16時少し前に再び市庁舎へ。「道路占用許可書」を頂きました。続いて仲間と土浦警察署交通課へ。「道路使用許可」の申請書と添付書類の説明を受け27日でいいので提出するようと指示を受けてきました。17時、神楽「曳き弓の舞」を奏上。夕食のお弁当が届いて中入り休憩。18時、笠揃いの川口町山車が御仮屋前を通過していきました。18時30分、神楽「大黒舞」19時、浦安の舞。続いて餅撒き。終了を待って「寿獅子舞」。沢山の皆さんに見ていただきました。続いて上げ囃子で初日の迎え祇園は完了しました。撤収して解散。帰宅して申請書類の作成。やはり疲れて寝落ちしていました。
2026年07月24日
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明日からは自慢の土浦祇園祭。そのため鋭気を養って休息を心がけていた。16時45分。土浦祭囃子会の会長から着信。昨日建てた翁会舞台に関して行政から占用申請が出てないとの連絡があり対処してほしいという。20年、何もなく建ててきたのに今更なんで?という思いが浮かぶものの、別の方面からも許可申請について聞かれたこともあったので対処しなければならなかと思うが、すでに17時前。市役所は閉庁直前であろう。とにかく確認の電話を担当部署へ入れてみた。もう前日ではあるのだが申請はしてほしいということだった。明日伺うことで軟着陸したと思った。と、今度は前会長からコール。部材を搬入していたところ警察官から許可申請が出ていないと言われたので居合わせた警察官に電話を代わってもらって申請について話を聞いた。行政から出た道路占用許可初を持参して警察署交通課へ使用許可書の申請も必要とのことだった。できるだけ早くとのことだったので行政の占用許可書が出た時点で警察署へも使用許可の申請をすることで一応の解決。仕方ない。20年、しらんふりしてきたのだからな。明日、当日突入でも動かなければならなくなった。
2026年07月23日
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酷暑です。じっとしていても汗が吹き出します。夕方16時30分から舞台設営。と、言っても私は暑さとだるさからあんまり動いていません。20時過ぎまで上ものも組み上げました。空は稲光。20時15分には解散にしました。帰宅した途端に豪雨。雷はあまり接近しませんでした。今夜も熱帯夜。寝苦しい夜でした。
2026年07月22日
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祭典委員長と礎会頭で交歓会での御本社神輿入場には囃子を一切入れないと合意したらしい。その件は聞いた。しかし式典担当副委員長からは何も聞いていない。ごねようと思った。うちのメンバーからもうやめましょうよと申し入れられた。土台、次元の違う立場で話しても着陸地点はないです。と。100対2では勝負にならない。もちろん私が2。相手は企業のトップ揃い。社長さんは100ですね。基本、囃子を入れない理由とビジョンを求めたのだが明確な回答はなかった。もっと言えば、何故に底抜け屋台での囃子伴奏など要請しているのだろうか?と。本来であれば崇敬する御本社神輿の御仮屋入り。参加全町が囃子で迎えるのが当たり前。それを各町囃子の入り混じった状態では担ぎが乱れるというのであれば、それは担ぐほうの技術不足の問題。技術不足の尻持ちをこちらに転嫁されるのははなはだ迷惑な話だ。そんなに技術のない、しかも氏子さんもほぼいない御神輿なんぞ担がなければいいんじゃないの?って思うのは居丈高なんだろうな。と、いうことで不承知ながら今年も合意した。まだ事前の取り決めだったのが救いなのかな。レベル2の私としては仕方ない。。。
2026年07月21日
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7時に起きて支度。8時25分に車で出発。9時前に土浦八坂神社様へ到着。例大祭当日です。まもなくメンバーが揃い囃子奉納。メンバーが個人で張り替えた大太鼓の初披露です。10時前まで3回の囃子。10時式典は待機。参拝者が体調を崩して救急搬送されるという事件もありましたが無事に例大祭は完了。屋台だけで打ち上げて撤収。一旦帰宅して私服に着替えて仲間の道具置き場へ。祇園祭舞台部材を協力者のワゴンへ積み込み作業。御仮屋へ移動して搬入。ちょうど水神様宮神輿は昼休憩中。午後の打合せもできました。全員でランチ。冷やし中華が美味しかった。御仮屋へ戻り底抜け屋台の準備。そうこうしているうちに水神様宮神輿が移動してきました。町境の日陰で一囃子。そこでUターンする水神様宮神輿を底抜け屋台で伴奏しました。市庁舎前で休憩。そこで終わるつもりでしたがリクエストから駅ロータリーを1周して次の町境まで伴奏になりました。御仮屋戻り撤収。再び帰宅すると長女、次女夫婦、孫2人が来ていました。婿に送ってもらいました。翁会20周年祝賀会。20人の宴席。楽しく飲み交わしました。記念の看板をメンバーから贈られて感無量です。二次会はラーメン店。美味しく食べて自宅まで送ってもらいました。怒涛の一日が終わりました。
2026年07月20日
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7時過ぎに起床。妻を仕事へ送り帰宅してから支度。浴衣でアシスト。土浦駅でメンバーと落ち合い9時45分発に乗り込みました。電車は少し送り気味で10時20分に我孫子到着。トイレを済ませて駅ロータリーへ出るとすでに迎えの車が来ていました。今日は我孫子3丁目の山車です。我孫子3丁目祭典事務所へ到着して諸々に準備。一囃子奉納。ランチは牛丼でした。13時20分、出発。八坂神社まで屋台囃子で向かいました。13時50分、発輿祭。14時30分、宮出し。天狐で迎えました。隊列を組み巡行スタート。2丁目祭典事務所で休憩。元八坂でも休憩。4丁目祭典事務所で休憩。折り返し。元八坂、3丁目祭典事務所で休憩。八坂神社様へ戻ってきて夕食。18時競演。大黒様でした。そのまま巡行スタート。1丁目祭典事務所の先で折り返し、休憩。三度八坂神社様に戻って時間調整。宮入は15分。それでも鳥居をくぐると観衆からも歓声が上がります。宮神輿が収まり3丁目へ向けて出発。屋台囃子で乗り切って大上げでした。撤収して駅まで送ってもらいました。我孫子発21時32分に乗り込み22時10分に土浦到着。メンバーと別れてアシストで帰宅。22時25分でした。入浴して汗を流して就寝しました。
2026年07月19日
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7時起きました。軽くコーヒーとフルーツで朝食。浴衣に着替えて8時15分にアシストで出発。土浦駅発8時42分に乗り込みました。我孫子到着は9時15分。駅のトイレで小休止。徒歩で我孫子1丁目の山車へ。我孫子ふるさと会のメンバーが迎えてくれました。9時40分に囃子。10時に氏子各町の町御輿が御霊入れに参内。式典終わり、退出を囃子で見送りました。11時30分に囃子。ランチは地元のお蕎麦屋さんへ案内してくれました。ミニカツどんともりそばセットを美味しく頂きました。山車へ戻り数回の囃子。隣町の町御輿を囃子で送迎。地元商店街の山車も囃子で送迎。18時に獅子舞。鳴り物を担当。終わって夕食へ案内されましたが料理の提供が遅かったのでキャンセルしてもらいました。急ぎで駅へ向かい我孫子発19時13分発に乗車。20時35分に土浦へ到着しました。大和町祭典事務所へ寄り事務所開きの宴席へ少し連なりました。21時にアシストで帰宅。空腹からザルうどん。冷酒で流し込み、疲れから就寝でした。
2026年07月18日
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朝から暑い。暑くて寝ていられない。サッシを全て開け放したのは午前5時。それでも扇風機は必需品。7月17日。まずは地元の千手観音様へ参拝。帰宅してライブ配信で京都祇園祭山鉾巡行前祭を視聴。日本一の大祭礼はさすがです。四条通りと河原町通を完全封鎖。取材陣も凄い数でした。昼頃、少し涼しくなってきました。俄然、ラーメンが。それも味噌ラーメンが食べたくて買い込んで調理。エアコン全開にしましたがやっぱり汗だらけになりました。少し仮眠しましたが暑くて起きてしまいました。作業をして21時に入浴。冷やしトマトと冷奴の塩昆布乗せでビール。美味いのですがビールで満腹。食事しないで寝込んでしまいました。
2026年07月17日
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どんよりと曇った空。湿度は高い。蒸し暑くて不快だ。大和町祭典事務所へ御神酒をどうやって届けるかここ数日悩んでいた。大和町祭典事務所は18日に開設される。その18日に届けたいのだがあいにく我孫子祇園祭とかぶっている。それも当初は午後入りだったのだが午前9時30分入りに変更になってしまった。大和町祭典事務所の設置作業は10時からだと聞いているので届ける術がない。さんざん悩んだ挙句、宅配便に指定日、指定時間で預けることにした。朝のうちにその出荷作業で汗だらけだ。昨日落下した神棚も気になるので新しい榊を購入して取り換えた。なんとなく安堵したかな。この蒸し暑い夜。京都の宵山はすごい人波のようだ。live配信のあるのがありがたい。週末はお祭り三昧。少し体調を整えよう。。
2026年07月16日
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昨夜でヤマト運輸は退職した。体力的にもう限界だったからだ。日付的には15日の区切りなので正式には本日7月15日付けの退職となった。妻の休みでも妻し美容室の予約があるので9時には起きだした。連日の加重労働のせいか左足の太ももが痛くて歩行しずらい。朝食を採り、13時には素麺で軽いランチ。14時には妻を美容室へ送り一旦帰宅。15時30分に再び迎えにいくと丁度終わったとこでした。帰宅してお茶。エアコンを始動したので自室との境は閉めていた。すると突然「ガラガラ、どたん」という音。驚いて自室へ駆け込むとなんと神棚から色々落下していた。榊立てに榊、御神酒とっくり、神札3枚、しめ縄などなど。急いで拾い集めて元の位置へ祀り直した。何かの啓示であろうかと少し不安がよぎった。けどスピリチュアル系で検索すると悪いことばかりではないようだ。16時45分にアシストで土浦駅へ。ホームでメンバーと落ち合い、17時13分発に乗車。日暮里で京成線に乗り換えて新三河島へ。徒歩で師匠宅へ。妹弟子、弟弟子と合流。道具を持ち出して本日の稽古場へ。25日の舞台に向けての稽古。ランスルーは結局4回。細かい修正はあるもののなんとかまとまった。新三河島まで歩いて京成線に乗り込み日暮里発21時37分に乗り込めました。松戸で着席。土浦には22時47分に到着。アシストで帰宅。入浴してペペロンチーノーとビールでお腹を待たして就寝でした。
2026年07月15日
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れは成立当初に遡る。つまり50年前だ。その事業そのものは素晴らしい。よくぞ立ちあげたものだと賞賛に値する。問題はその組織にある。当時高校3年生であった私は好まざるのに巻き込まれた。私は山車が良かったのだ。御神輿にまったく興味がなかったのに駆り出され嫌だと言えなかった。そのすぐあとに芸能へ向かったのである程度は距離をおくことができた。しかし役員(とぃってもたいした役ではない)となりその好まざる組織へ何名かを派遣しなければならなかった時代、対応に苦慮させられた。それは好むものが圧倒的に少なかったことに加えてかなりの大人数を強要されたからでもある。いわば無理強いの感覚が今でも根深く根底にある。だからけんか腰になってしまうのか?そして昨今の囃子問題。なぜに宮神輿に向かって儀礼としての囃子を拒むのか?私たちは担ぎのための囃子ではなくご本社宮神輿への畏敬の念で囃子を手向けていのだ。拒む明確な理由とそのビジョンを訪ねても回答はない。そのうえ昨年のことは預かり知らぬとの賜った。たしかに昨年とは役員も入れ替わり状況さえ違うのかもしれない。それでも昨年は迷惑かけましたという一言から始まってもいいのではないのか?話しはそれからだと思うのはこちらが居丈高になっているのか?基本、本祇園には御仮屋に本社宮神輿はご鎮座していてほしいと思うのは私だけではないだろう。細かいことだが渡御に対して猿田彦神様を先導させたことがある。宮入した後、宮前での担ぎ(本来あり得ない担ぎだが)に猿田彦の扮装をしていた人が猿田彦の面を路上に投げ出してそのままの衣装のまま担ぎに参加していたことは許せない。まず神面に対する畏敬が皆無であること。その衣装は翌日も別の誰かが着用するのだから担ぎの汗で濡らしてはほしくないことだ。そして一番の不信感と違和感は担ぎバカがみえないこと。それに付随して氏子さんの担ぎがたぶんほぼいないこと。その一事だけでこの事業は万死に値する。その土地の神様を担ぎ上げるのに氏子さんの姿が見えないのは本末転倒。もちろん手伝いが入るのは厭わないがそれでも氏子さんの姿は氏子さんが肩を入れてる姿はなければならない。書けば書くほど愚痴になってしまう。。。
2026年07月14日
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勤務するヤマト運輸を退職することにした。もう少し在籍してせめて70まではと思っていたのだが体力がもたない。とても4時間の激務にたえられなくなってきたのだ。4時間の仕事を終えて駐車場の車へいくまでが辛くてたまらない。ただ普段ならなんとかふんばるのだが大きな運命の歯車がシフトチェンジしたとか思えない。思い当たる節はある。先月末の夏越しの大祓いで茅野輪潜りをしたのは入谷の小野照崎神社様。不遜ながら数年ぶりに神前に柏手を打たせていただいた。小野照崎神社様はかの渥美清氏が参拝したところ「男はつらいよ」の主演が決まったという逸話の残る神様だ。歯車を変えてもらったに違いないと信じている。
2026年07月13日
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昨日は午前中の曳き回しが中止になってしまった成田祇園祭も最終日は無事に開催されたようだ。気になってlive配信を見てしまう。だから撮りためたドラマを視聴しないで溜まる一方だ。佐原も無事に3日間の夏大祭を完了したみたい。地元土浦はどこも準備だったらしい。町締めは全町で立て終わったいた。来週は猛暑になるだろう。対策に余念がないようだ。だいたい祇園祭というのは夏に発症しやすい疫病などの退散を祈願する祭事。だから安易に日程を変えるのは言語道断。祇園祭の意味に反する。しかし近年の夏の暑さには向かないものになり果てているのも事実。そのあたりのジレンマはいかんともしがたい。勝ち割り氷などで凌ぐしかないのかもしれない。とにかく土浦は祭礼期間に突入しているのだ。万全を期して取り組んでいきたい。
2026年07月12日
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目前に迫ってきた土浦祇園祭について連合実行委員会からの連絡で打ち合わせに出向いた。結論から言って何とも実のない話。何もしないのが美徳という結論。話しているうちにバカバカしくなった。もうどうでもいいや。考えてみればそれほど力む話でもない。一抹のプライドを引き裂かれた思いは残存するのだが。。。帰宅して脱力。猛烈な睡魔。とうとう夕食も採らずに眠ってしまった。このまま消え入りたい。
2026年07月11日
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成田祇園祭と佐原祇園祭が今年は珍しく同日開催で今日、初日を迎えたはずだ。YOUTUBEのライブ配信でも賑やかさが伝わってくる。夜、ショッキングな一報が飛び込んできた。成田の新勝寺様参道のある老舗の鰻屋さんで火事というもの。成田ケーブルテレビのライブ映像は賑やかな山車曳き回しから消防車の駆け付ける緊迫したものに変わってしまった。別のSNS投稿では炎を上げて燃え上がるショッキングな映像も確認できた。思えば20年ほど前か、やはり成田祇園祭の開催中に山車が燃えて全焼した事件があった。放火であったと記憶しているがあの犯人は捕まったのか?動機はなんだったのだろう。成田山新勝寺様といえばご本尊は不動明王様。煩悩を焼き尽くす炎を背後に燃やしている。その炎が飛び火してしまったのだろうか?平成2年の7月21日の夜、土浦の大町でも大火災があった。夜明け近くまで鎮火しなかった。その夜は土浦駅からでも真っ赤な夜空になっていた。お祭りと火事は何か繋がりがあるのであろうか?神様の意思により燃え尽くす必要のある何かがあったのかもしれない。明日の成田祇園祭は午前中の山車・屋台曳き回しが中止になったもよう。関係者、参加者は残念な思いをしているだろうと推察するし火元の店舗経営者や関係者に謹んでお見舞い申し上げるとしか言いようがない。一刻も早い立ち直りをご祈念しております。
2026年07月10日
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作業、それも野外やエアコンの無い現場での作業に適しているファン付きの空調服。以前から気にはなっていたのだが暑くなる前に購入しておいた。梅雨寒の6月が過ぎてようやく暑くなってきた。いよいよ空調服の出番。バッテリーし少し重いけど快適に作業できるはずだと着込んで仕事へ。ところがちょっとした障害物にぶつかるとファンが抜けてしまう。それが何度もある。これには閉口。直しながらの作業になる。さいわいバッテリーの容量は大きいので助かるのでが。。。それに深夜の作業ももう数日。我慢するしかないな。。
2026年07月09日
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高校時代は学食はなかった。パンと飲み物のスタンドが2時限と3時限の間の休み時間だけ営業していた。パンは高校の近くのパン店が出張していた。この時間にパンを買って食べてしまう。そのあと3時限と4時限があり昼休みになる。高校時代の食欲はおおせいで昼休みは昼休みで弁当を食べてた。自慢になるけど当時の彼女が弁当を届けてくれた。恵まれた高校時代だった。大学には学食があった。あったけどお世辞にも美味しい学食ではなかったと思う。ごはんが柔らか過ぎてほぼおかゆのようだった。贅沢な学生であったからほぼ学食では食事しなかった。大学近くのラーメン屋へほぼ毎日通っていたな。それはすでに芸人生活を始めていたために学生にしては多めの収入があったからだ。今では学食が懐かしい。あの猥雑な環境。妙に好きなんだな。。。
2026年07月08日
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土浦祇園祭連絡協議会は16年前の平成22年、当時幹事当番町であった大和町が土浦八坂神社様宮司先生と協議して立ち上げた団体であった。その趣旨は氏子各町の繋がりを密にして祇園祭の発展、運営を協議してよりよい祭事にしていくためのものであったはずだ。しかし氏子各町のプライドは思ったよりも高く、大和町の提案した団体に賛同はすれど素直に寄り添うような姿勢にはならなかった。現在も年数回は開催されているものの当番町の提案する運営方法の報告にしかならないのが実情になっている。それは仕方ないのかもしれない。柔数年ごとに引き受ける幹事当番町にはそれなりの拘りを見せたいだろうから過去の事例とは違ったものを出したくなるはずなのだ。平成22年当時、宮司先生からは「浦安の舞」を鑑賞してほしいという申し入れがあり数年は続けていたと思うのだが近年では鑑賞せずに連合参加町は解散してしまっているようだ。実は問題がある。礎会が宮入(礎会では謎の宮前担ぎと称している)後に担ぎ棒を飾り棒へ差し替えて御仮屋へ宮神輿を安置してからの浦安の舞となるためその作業時間およそ30分程度を何もせずに待たなければならない。その無駄とも思える時間が待てないし、交通規制も解除したいのが警察の本音であろう。宮神輿を御仮屋へ安置する前にその場で浦安の舞を奉安すればタイムロスも解消されると思うのだが、それは部外者のぼやきであろうか?実はそういう運営の方法を連絡協議会で議論してもらいたいと思うのだ。しかしじれったい。もどかしいのだが、所詮は部外者だものな。。。
2026年07月07日
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土浦祇園祭連絡協議会は16年前の平成22年、当時幹事当番町であった大和町が土浦八坂神社様宮司先生と協議して立ち上げた団体であった。その趣旨は氏子各町の繋がりを密にして祇園祭の発展、運営を協議してよりよい祭事にしていくためのものであったはずだ。しかし氏子各町のプライドは思ったよりも高く、大和町の提案した団体に賛同はすれど素直に寄り添うような姿勢にはならなかった。現在も年数回は開催されているものの当番町の提案する運営方法の報告にしかならないのが実情になっている。それは仕方ないのかもしれない。柔数年ごとに引き受ける幹事当番町にはそれなりの拘りを見せたいだろうから過去の事例とは違ったものを出したくなるはずなのだ。平成22年当時、宮司先生からは「浦安の舞」を鑑賞してほしいという申し入れがあり数年は続けていたと思うのだが近年では鑑賞せずに連合参加町は解散してしまっているようだ。実は問題がある。礎会が宮入(礎会では謎の宮前担ぎと称している)後に担ぎ棒を飾り棒へ差し替えて御仮屋へ宮神輿を安置してからの浦安の舞となるためその作業時間およそ30分程度を何もせずに待たなければならない。その無駄とも思える時間が待てないし、交通規制も解除したいのが警察の本音であろう。宮神輿を御仮屋へ安置する前にその場で浦安の舞を奉安すればタイムロスも解消されると思うのだが、それは部外者のぼやきであろうか?実はそういう運営の方法を連絡協議会で議論してもらいたいと思うのだ。しかしじれったい。もどかしいのだが、所詮は部外者だものな。。。
2026年07月07日
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来月のキララまつりで毎年借りている敷地を今年も使わせてもらうために申請へ。事前に準メンバーにアポイントを取ってもらっていたのですんなりと面会できた。敷地の借り受けも快諾を頂けた。会長の仕事、ひとつ完了。さて、まこと人は様々だ。目端の利く人。まったく無頓着の人。気が付いて動く人。気づいても動かない人。人はそれぞれで人はわがままで自分都合で動いていく。自分都合を前面に出してしまうと我儘だと指をさされる。だから自分都合をカモフラージュしようと思慮をめぐらすのだ。本当に縁の下の力持ちになれる人は数少ない。そういう人材は貴重なのだが、利用して楽をする奴も確かに存在する。もっと人が悪いのは裏方に徹するように見せかけ、気が付いた周囲に感謝されても結局は自己都合しか考えていない奴。そう。私みたいなズルい奴だ。段取りはする。でも自分は参加しない。参加しない自分を自分で褒めている根性のねじ曲がった奴なのだ。それを気づかれないように息を殺して冷静に見まわしているのだから始末が悪い。人はそれぞれ。世の中に情けが枯れて久しい。それでも生き抜かなければならないのが実に歯がゆい。
2026年07月06日
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朝7時30分から月一回の団地内清掃へ参加。鎌で少し雑草を刈り込みました。30分ほどで終了。休みの妻は起きだしていました。朝食の準備を始めると食パンのないことに気が付きました。仕方ないので車を走らせました。近くのセブンイレブンはなんと売り切れ。隣接するドラッグストアは開店前で断念。少し離れたセブンイレブンも売り切れ。その近くのローソンでやっと購入できました。帰宅して朝食。「晩酌の流儀5」を見ながら。うーん、ジンギスカンが美味そうです。10時前に土浦一中地区公民館へ。「土浦祭囃子会」の全体会議。祇園祭、キララまつりへの対応を協議して散会。少し遠くの食品スーパーへ。近所では見かけないマトンを購入。周辺では高校野球の地区予選が始まっていて混雑していました。帰宅途中で天婦羅も購入。帰宅して少し作業。ランチは天婦羅冷やしうどん。美味しく食べましたが、奥歯が欠けてしまいました。スピりチュアルで検索すると立場が変わる暗示なのだとか。。映画「国宝」を視聴。見慣れた国立劇場の楽屋口が出てきましたね。届いた物資に少し手入れ。夕食はジンギスカン。いつもの焼肉とは違い美味かった。そして寝落ちしていました。
2026年07月05日
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体力の低下を今週は監事させられた。とにかくもたない。それは仕事をしている4時間に根をあげた。年齢の高齢化は間違いなく体力を奪ってくる。もう少しは大丈夫だと思いこんでいたのだが限界だ。昨夜、退職を申し出た。次の仕事が決まっているわけではない。それでももう無理だ。しばらくは高年齢退職一時金の申請をしてしのぐしかないだろう。妻も同意してくれた。仕事でクタクタになるより長生きしてほしいそうだ。友人たちも応援してくれている。ありがたい。少し体力回復に努めよう。
2026年07月04日
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今現在も営業活動しているサーカスなんてあるのかと検索してみると3件ほどがヒットした。でもサーカスの団体名には聞き覚えがない。かつて全国を巡業して回っていたいのはキグレ大サーカスであったか?私の小学生時代は毎年春休みの時期に土浦へやってきた。今思えば史跡たる城跡本丸にサーカステントが張られていたのだからその意味ではすごい。現代では絶対に許可されないだろう。子供時代には巡業前に顔見世パレードをしていたのを見た薄い記憶もある。土浦駅前通りを像が歩いていたし、華やかな衣装をまとったおねぇさんも闊歩していた。あれはたぶん花形の空中ブランコの乗り手であったろう。土浦は亀城公園本丸にテントを張って営業していたが水戸は断然千波湖の湖畔であったそうな。あったそうなというのは実際に見ていないからだ。その千波湖での営業中にピエロが綱渡りから落下して落命する事故があったと記憶している。それがさだまさし主演の「とべ、イカロスの翼」という映画になった。悲しい最後がやりきれない物語だったな。サーカスは見世物の集大成だがエンターテイメントはよく練られていたのだろう。そういう意味では町を流す獅子舞もたいして変わらない。ただ獅子舞は神楽という一段上に属するために河原者になりきれなかったかもしれないしならずにすんでいるのかもしれない。土浦にサーカスが来なくなって何年になるのだろう。水郷公園で巡業していたこともあったような気もするがそのころは見たいとも思わなかった。でもまたあの爆音の球体を駆け回るバイクやピエロのコント、そして空中ブランコを見てみたいものだ。
2026年07月03日
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7月に入り全国各地で祇園祭が開始されている。何と言っても祇園祭という名称の大きいのは京都。京都祇園祭は7/1から7/29までほぼ毎日神事、祭事があるので大変な1ヶ月だろう。どうしても山鉾巡行というメイン行事を祇園祭と位置付けされがちだが細かな神事・祭事は頻繁にあるそうだ。二階囃子も始まっているようだから夕刻から鉾町の会所では祇園囃子が流れているのだろう。7/2は籤取り式だから歩く順番に鉾町・山町は一喜一憂だろうな。博多もお潮採りから始まっているのだろうな。博多も7/15までの期間、ほぼ神事・祭事の連続だそうな。長半被は正装扱いで一流ホテルの出入りもとがめられないと聞く。すでに飾り山は展示されているようだ。掻き山のほうはあと数日かな。博多で泣かされるのは「追善山」一年のうちで亡くなった功績ある役員宅まで山を持ち込み「祝いめでた」を歌い上げて手を締める。迎えるほうも祭壇を設えて酒食でもてなすのだ。これは遺族にはたまらないだろう。期間中の性交渉は厳禁。禁を犯せば必ず怪我をするというらしい。そのお見舞いも「生卵3ヶ」と決まっているそうだ。お見舞いに生卵3ヶ位しかもらえないという痛烈な皮肉なのだ。輪切りした形が神紋に似ているいるからキュウリも食べないという。とかく表立った神事・祭事は男性社会だ。どうしても女性は裏方が多いようだ。それは男尊女卑という差別感覚ではなく役の受け方だと思う。土浦でも以前は山車の元綱は男性だけという暗黙のルールがあった。それも力仕事はやはり男性ということと女性に怪我などさせたくないという思いやりからきていると思う。今ではたくましい女性も増えたのか梶棒にさえ携わっている事例も見かける。早い町会では先週末に町締めを建てたようだ。世の中が祇園祭の異空間へ入り始めている。
2026年07月02日
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6時前に起床。6時に車で出発。産土神様である土浦八坂神社様へついたち参り。茅野輪潜りもしてきました。続いて水天宮様、水神様、寿寅稲荷神社様の川口三社様にもついたち参り。そして氏神様、下高津愛宕神社様、高津稲荷神社様もついたち参り。帰宅して自宅の神棚の整備。7時30分にアシストで出発。土浦駅ホームでメンバーと落ち合い。7時57分土浦発に乗り込みました。しかし飲んだアイスコーヒーのせいかお腹がぐるぐる鳴いてきました。たまらずに松戸で下車。メンバーには先にいってもらい松戸の駅のトイレに駆け込みました。次発の快速に乗り直して北千住へ。日比谷線は遅れていました。入谷で降りるとメンバーも同じ電車でした。トイレをすませてから小野照崎神社様へ入りました。境内社の富士神社様御仮屋では式典中でした。弟弟子は締め太鼓を上げ直していました。神事が終わり下谷坂本富士が開錠されたので囃子で合わせました。弟弟子は太鼓を上げるのに集中しているので途中、大拍子で打ち鳴らしだけを奏上。11時30分、切り囃子。12時にランチが届きました。ハヤシライス。樽酒の冷酒も頂きました。12時40分 神楽囃子13時30分 切り囃子14時20分 神楽囃子15時10分 切り囃子16時05分 神楽囃子宮司先生がご挨拶にこられました。16時50分 切り囃子17時過ぎに夕食が到着。麦飯に煮物ビール付きでした。17時50分 切り囃子18時50分 切り囃子で大上げ。着替えて撤収日暮里まで送ってもらいました。来合わせた快速に乗り込み取手で乗り直し。20時50分に土浦到着。メンバーと別れてアシストで帰宅。21時10分でした。入浴して妻が用意してくれたザルうどん。シンプルで美味しかったです。そして寝落ち。雨が降りだしたのも知らずに爆睡でした。
2026年07月01日
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6時50分に起床。支度をして7時25分にアシストで出発。土浦駅ホームでメンバーと落ち合い7時47分土浦発に乗り込み。平日火曜日の朝、電車は混雑しています。北千住で日比谷線へ乗り換え。入谷で下車。駅でトイレを済ませてエレベーターで地上へ。小野照崎神社様、夏越しの大祓い神事でも囃子奉納。神社入り口で弟弟子を待つ。ほどなく到着したので道具を分散して持ち神楽殿へ上がりました。すでに湿度で汗が凄いです。大拍子を上げて着替え。すぐに神楽囃子。10時に式典。下谷坂本富士の開錠に合わせて囃子。少し休んでもう一囃子。11時20分過ぎにランチが到着。ロースカツ弁当。冷たいビール付き。久しぶりにロースカツを堪能しました。12時40分 神楽囃子13時30分 切り囃子14時20分 神楽囃子15時10分 切り囃子15時45分 神楽囃子16時から夏越しの大祓い式典。待機しました。16時40分 切り囃子17時30分 神楽囃子18時過ぎに夕食が届きました。すき焼き弁当です。ビールで美味しく頂きました。18時50分 切り囃子で大上げ。着替えて撤収。三河島まで送ってもらいました。三河島発19時28分に乗り込めました。平日の帰宅時間。電車はめちゃ混みです。それでも松戸で着席できました。20時35分、土浦到着。メンバーと別れてアシストで帰宅。21時でした。入浴むしてしばらくしてから空腹を覚えてナポリタンをビールで頂きました。そして寝落ち。疲れていたのでしょう。爆睡していました。
2026年06月30日
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伝えたい。でも伝わらない。このジレンマは伝えたいほうだけなんだな。それは伝え方が悪いのか?伝える術がないのか。。だとしたら伝わらない原因とその責任は全て自分に起因するだ。6月の終わり。ジメジメと湿度が高くて不快。この不快さはジレンマと相乗効果で起因する自分を責めてくる。立場を越えてのアドバイスは迷惑なだけだろう。つまりすでによそ者になってしまっているのに横から口出しされるのはされるほうも不快なはずだ。所詮、出過ぎただと言われたこともある。それは物事を進めるための所業であったのだが、よくは映らなかったようだ。口を塞ぐのは簡単なのだが息は漏れてしまう。それが理解されないな。先日見つけた自分自身の言葉に今更ながら感動している。「お祭りは粋と意地で貫くもの」意地はやがて維持に繋がる。それさえもジレンマ。結局は何も伝わらないし、伝えきれない。ただただ反省して堂々巡りを繰り返すだけなのだ。。
2026年06月29日
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2023年11月4日の救急搬送は本当に危なかったらしいと今更ながら気づかされている。妻と長女のLINEのやり取りを見せてもらった。そこには切迫した事態のやり取りが記載されていた。先日受診した主治医も入院記録を見ながら「腎不全起こしてたか。あぶなかったね」と呟いていた。あの夜、ICUでうつらうつらとしていた深夜。ベッドの周囲に仙人のようないでたちの老人が数人立っていて「まだ死なせるわけにはいかないな」と会話していたのを薄く記憶している。それは夢のような薄い記憶。ただそれからは奇跡的に回復し始めたのは事実。今日、昼寝していたソファの横にいる筈のない人影がさした。やはり仙人のような風体の老人で黙って覗き込んでいた。と、いう気がしている。様子を見に来たのかなと思える。拾ってもらえた命。無駄にしてはいけない。伝えられるだけの芸と思念は残していかなければと思える。
2026年06月28日
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メディアは姦しい。台風だ、ダブルだ、警戒だと。しかし一日居ても台風らしい風景にはならなかった。風も強くない。確かに雨は時折強くもなったけど夕方には収まった感がある。ただ台風一過にはならない。どんよりとした梅雨雲が天空を覆い尽くしている。千葉や神奈川は風被害もあったみたいだが茨城にはさほど影響がない。JRは多少運休や遅れがあったみたいだけどこの週末は出かけないのでまったく問題はない。気温はさほど暑くない。が、やはり少し湿度が高いようで蒸し暑い。焼き鳥と納豆やっこでビールが美味かった。疲れかな?12時前に就寝してしまった。。
2026年06月27日
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3ヶ月ぶりの定期健診。10時に出発。通いなれたつくば市への道だがトンネルが工事中で迂回。入る路地を間違えてUターンの繰り返し。ようやく筑波メディカルセンター病院に到着。駐車場は2Fのなかほど。受付を済ませて採尿と採血。放射線科へ向かい少し待機。診察は30秒。問題なく半年後への予約。泌尿器科へ移動して待つこと50分。その待機中に地震。茨城直下とすぐにわかる衝撃だった。診察はやはり30秒。また待機。ホルモン注射は腹に一刺し。会計を済ませて薬局へ。またまた待機。そしてまた地震。今度は直下ではないけれど揺れ方が少し強い。帰り道に妻を迎えに行き帰宅。ランチは「ほうじ茶」を使った素麺。面白く美味しかった。
2026年06月26日
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アニメのOPには何かと秀作が多い。先週一旦終わった「あかね噺」は桑田佳祐氏の楽曲だった。しかも唄いやすい。すこし繰り返せばカラオケの持ち歌になれそうだ。アニメ「夏目友人帳」が好きだ。所謂妖怪とか妖の話だがその独特の世界観が好きだ。そして何シリーズも続いているのだがそのOPが全て秀作。EDもいい。こちらはカラオケの持ち歌にはなれそうもないが世界観が好きだ。
2026年06月25日
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御仮屋とはその名のとおり仮のお社のこと。石岡では御仮殿とも称するが同じ意味。本来ならば年番性祭事の場合年番町内に設置するものであるから石岡はきちんとその伝統的祭事にのっとり毎年施行されている。真鍋鹿島神社様も同様でうらやましい限りだ。土浦の御仮屋はここ数十年定位置に設置されている。幹事当番町に設置されたのは近年では平成3年の桜町1丁目と平成5年の中央1丁目だけ。昭和39年は土浦駅前の噴水公園であった。その御仮屋へ参拝へ連れていかれたことを薄く覚えてもいる。以後は亀城公園が多かった。本丸もあったし3ノ丸跡地もあった。昭和44年の大和町当番年は山車奉納はなかったが町会主催の水泳教室の帰りに御仮屋へ参拝しに連れられた記憶もある。当時、亀城公園には市民プールがあったからでもある。昭和49年は大和町当番で10年ぶりの山車奉納。御仮屋も大和町地内(旧大谷金物店跡地=現小松屋となり駐車場)へ安置された。昭和52年、中央1丁目の大徳駐車場(現店舗右側付近)に。昭和53年は旧竹中燃料店跡地(現ベルズイン土浦)へと安置されたが以後また亀城公園が続く。昭和57年だけ何故か中央1丁目の現東電ビル(当時は資材置き場)に安置されている。昭和60年。高架街路が開通しモール505が開業。隣接して祇園町商店街跡地が滝の広場になり当時の幹事当番町、城北町と連合実行委員長・小野義男氏の肝いりで現在位置へ安置されるようになった。当初、御仮屋の上を道路が走るなど言語道断という意見も多かったが御仮屋の設置位置を街路からはずすことで軟着陸して現在に至る。この英断は賞賛に値する。今ではここしかあり得なくなっているからだ。御仮屋とは本来、ご神体を奏天された御本社神輿を安置する建物。祇園祭の2晩はそこにあるべきものだ。だから氏子さんたちが参拝に訪れるものだ。それを本祇園当日に担ぎ出すなどあってはならないのではないのか?今一度、御仮屋の意味を考え直す時期なのかもしれない。。
2026年06月24日
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6月も後半だがまだ夏っぽくはない。確かに素足でサンダル履きでTシャツ1枚なのだが汗ばむほどではないな。この夏の直前は遅遅として進まないカレンダーにやきもきしたりもする。それほど7月が待ち遠しいのだ。中学、高校時代、何故かモテた。見知らぬ下級生からの告白はある意味日常だった。しかし私にはモテる要素が見当たらない。特別学力が高くあったわけではない。中の下くらいだ。運動能力に至っては皆無に等しい。特に球技はダメ。今だにボールは恐怖だ。ただ一点だけ。高身長だ。実に背の高さだけでモテていたのだと思える。それと高校時代の男女比。商業科だったので圧倒的に女性の占める割合が多い。1クラス40数人のうち男は20人いなかった。その割合の結果は大きい。その証拠に大学へ進学して男女比が逆転するとモテなくなったのだ。高身長と足の長さだけでいたいけな女子中学生や女子高生を騙せたのだろう。私の内面の意地悪さや冷酷さ根性の汚さは見切られていなかったのだろうな。もう人生も終焉間近。今更モテたいとは思わないが嫌われたくはないものである。。
2026年06月23日
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もう関係のない団体組織だから放っておけばいいのだ。でも老婆心が道を譲れない。我ながら困ったもんだ。8年という空白期間があると仕切り方も変わってしまうのかもしれないが伝統的行事のこと、基本は変わらないと信じたい。問題は根本を知らないものが指導するという弊害。それは指示を受けるほうは困るだろうな。そして知らないくせに高圧的態度で叱責してくること。あのままいくと離反されかねない。せっかくやる気になって活動し始めているのだから変な横槍をいれずにいればいいものを。。。ただどうしてやることもできない。やりたいようにやれないのは可哀想だな。口出しするような立場ではないので見守るしかないのだが。。。少しジレンマ。。。
2026年06月22日
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高校時代の大ヒットドラマ「俺たちの旅」。その劇中には井の頭線が頻繁に登場する。銀色の青いラインの入った車両がオシャレだった。当時、常磐線はオレンジ。山手線は鴬色の車体であったから井の頭線は色彩でけでもオシャレだった。通学する大学が井の頭線沿線であったことは偶然。狙ったわけではなくそこしか受からなかったからだ。それでも朝のラッシュ時には古い京王電鉄車両が走ることもあった。古い車両の床き板張り。シートもベッチン貼り。銀色の車両が恋しかった。大学を卒業するとほぼ井の頭線との縁は切れた。が、時折「前進座劇場」へ行く時はわざわざ明大前で井の頭線に乗り換えて井の頭公園駅で下車して向かった。井の頭公園駅を出てすぐに右の売店横の階段を下りて井の頭線の線路下を潜る。このあたりの情景もドラマによく出ていて感慨深い想いでたたずんでみたりもしたな。今はもう縁も切れた。だいたいにおいて井の頭沿線に行くこともない。一時太子堂にあった国立小児病院へ行くのに下北沢を利用したこともあったが渋谷からのバスのほうが便利であったから使わなくなり、国立小児病院は成城の国立成育医療センターへ移ったので完全に縁もなくなった。ドラマ「俺たちの旅」は我々世代のバイブル。自由気ままに生きていけたらと思ったものだが真似はできなかった。普通に就職し普通に結婚し2人の娘に恵まれて普通に生活している。娘2人もこの上ない伴侶とたぶん幸せに暮らしているはずだ。オシャレな銀色車体の井の頭線に乗りに行こうかな。。。
2026年06月21日
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たぶん人生で一番愛したと思う大和町の山車。昨夜山車移動して大和町地内に持ち込まれたようだ。もう我慢ならない。8年、その姿を見なかった大和町の山車に会いにいった。朝、妻を仕事に送っていった帰り道、9時前。大和町の山車はその雄姿のまま置かれてあった。それも以前からよく駐車させていただいた某金融機関の裏側駐車場。駐車場所も相まって遠く若き日のことも蘇る。8年の山車小屋で埃に見舞えていた。今年の実行委員会メンバーに確認すると14時から山車洗いの作業だとわかった。またまた我慢できない。もういい加減な年寄りだし口出しするような立場ではないのしよく承知しているのだがやっぱりその作業を様子見したくなる。アシストを飛ばした。思ったよりも参加者が少ない。それでも遅遅と作業していた。何点かアドバイスをして雑談や思い出話もして1時間ほどで失礼した。なんとも参加者の少ないのが気にかかる。。休みの夕食はゆったりとした時間。安く4なっていた鰻蒲焼。スーパーの鰻蒲焼は一度こびりついたタレを洗い流して少し焼きを入れると美味しくなると何かで見かけたのでそれを実行。昼間は山車を夜は鰻を洗い流した。なるほど美味しかった。満腹で寝落ちしていた。
2026年06月20日
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このところ毎週金曜日のテレビ東京は午後のロードショーに「007」シリーズをOAしている。なつかしさもあって毎週録画して視聴している。オールドファンは「ショーンコネリー」のシリーズがいいとよく耳にする。が、私は断然ロジャームーアだ。それは007シリーズを見始めた時がロジャームーア主演に変わっていたからだ。正直、ショーンコネリー主演の時代はタイトルは知っていてもあまり興味がなかった。そりゃーそうだ。ショーンコネリーの時代は私、小学生。アクションもロマンスもまだ理解できなかっただろう。何と言っても「死ぬのは奴らだ」の主題歌が「ポール・マッカトニー」によるものになった影響は避けられない。ちょうど同級生以下解散していた「ザ・ビートルズ」の洗礼を受けた頃だったからだろう。そのうえ、映画館経営している家の友人が無料チケットをくれたからだった。ただそれも「黄金銃をもつ男」までだった。以後のシリーズは惰性で観ていた気がする。いつの時代もオシャレな香りがする物語は大好きだ。
2026年06月19日
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