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この度、みかみ先生や猫ギター先生と一緒に、楽天ブログを離れ、JUGEMの方へ『見上げれば青い空』を引越しすることにしました。移転先はこちらです。携帯からもとっても見やすいようで気に入っています。塾生のお母さまは携帯で見られる方が多いですので、QRコードってやつも載せておきます。今までリンクを貼ってくださいました方々、お読みくださいました方々、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
March 8, 2007
2月11日に京都へ行って、十字屋で見たマーチンのOOO-18Golden Era。試奏させてもらったのであるが、素晴らしい音だった。「四月になれば彼女は」という曲のイントロを弾いてみる。小さなボディからおっと驚くようなボリュームの音。なんと言っても、音の方向性が昔のサイモンとガーファンクルの曲のギターの音と同じ音なのである。「ミセスロビンソン」のリードの部分を弦をはじいて弾いてみる。そのままの音であった。眩暈がした(笑)マーチンのGolden Eraシリーズというのは戦前の材や設計等のスペックをそのまま踏襲していて、レギュラー品とは一味も二味も違うのである。一見して、仕上げが美しく、材が良いのが分かる。もちろん音もいい。このギターサイドとバックの材にマホガニーという木を使用している。私はローズウッドという木の方が好きだったのであるが、最近このマホガニーの音がいいと思っている。通な人はマホガニーのことを「マホ」なんて言ったりする。ギター道楽は果てしがない。我が家にはギターが・・・・7本で、塾に1本。家内はウッドベースを弾くので我が家の玄関にはウッドベースがある。ただでさえ、楽器だらけだ。あ、そうだそろそろ息子にも音楽やらさなきゃ。 とりとめもないけれど、今ギターが欲しいなあというお話でした。モノというのは手に入れるまでが幸せなのかも知れないですね。
February 16, 2007
B・Y・ロカビリー先生のこのブログ、私がブログを始めたときとまったく同じ「気持ち」が語られている。とても嬉しい。私もまったく同じだった。私は、ブログを書き始めてしばらくして、猫ギター先生のブログをに出会い、雷に打たれたようなショックを受け、そして楽天の塾ブログの個性に惹かれ、ライブドアから引っ越してきた。「一匹狼の凄み恐るべし!」これが私の最初の印象であった。何度も書いているのだけれど、私はこの楽天の塾ブログを「サロン」のような場所と捉えている。「サロン」で行われている話は、基本的に自分が興味を持った話、面白かった話である。それに耳を傾け、各自が自分の知識や教養として取り込んでいくのである。自分が「サロン」に参加するには自分も面白い話や他人が耳を傾けてくれる話をしなければならない。つまり「もらいっぱなし」はちょっとマナーがよくないというわけである。私も「サロン」の一員になりたくて、一所懸命ブログを書いた。もちろん今もそうだ。猫ギター先生の記事や、みかみ先生の記事は私をワクワクさせてくれた。私がブログを書き始めたころ、私は大手塾の雇われ講師であったが、今では独立して自分で塾をやっている。独立するときのアイデアや「覚悟」はこのブログ界から戴いたものが本当に多いと実感している。だから私にとってこの「塾ブログ界」をとても大切なものなのである。人というのは寂しい生き物なのか、それとも私が特に顕著なのか、自分の意見に同意してもらったり、自分と同じ考えを記事にされているのを目にするととても嬉しくなる。特にB・Y・ロカビリー先生のように大胆に直球を投げることのできる豪気な人物にそう仰っていただくと、光栄至極だ。私はこのブログを自分自身のために書いている。自分が成長したいから書いている。しかし自分が書くことでちょっぴりでも他の人の役に立てればいいとも思っている。なおかつそこから交流が生まれ、切磋琢磨できるような機会があったら最高だと思う。先生のブログを読ませていただき、自分の「スタート」を再確認できました。ありがとうございます。ちなみに私もフザケタ記事が書きたいと思っていますが、猫ギター先生のようにはいかず苦労しております(笑)
February 16, 2007
生徒Aさんへ(誰だか分かってるけど…)書き込みありがとう。とても嬉しいです。泣きそうになっています。今日の3時ですね。しっかり「結果」を見てきてください。 「いつか会いに行こう」なんて言わないでください。できるだけ早く来てほしいです。受かってても、そうでなくても。うんと成長した君たちの顔を見せてください。待っています。 こんにちは。あと2時間後には努力の結果を見に行くことになるのですが、その前に先生にお礼を言っておきたくて書き込みさせていただくことにしました。2年生のとき、まだサボり続けていた私を変えてくれたのは上江洲先生でした。上江洲先生が居なかったら、今の私はありません。いつまでたっても運に頼るダメ人間になっていたと思います。受験前夜、眠る前に色々な人を思い出しました。今まで私を支えてくれた、応援してくれた人全てを。その中でも、やはり上江洲先生の存在はとても大きかったです。勉強している折々で、上江洲先生の話や考えを思い出しました。あと2時間で私は2年間の成果を見に行きます。どのような結果になっても先生にはいつか会いに行こうと思っています(悲しい顔で会いには行きません、絶対に)。今までありがとうございました。
February 7, 2007
先々週から新しい仮面ライダーが始まった。その名も『仮面ライダー電王』という。息子は4歳なので、何とかレンジャーとか、仮面ライダーなどが大好きなのであるが、子どもが見ているとどうしても付き合わされて見ることになってしまう。前回の『仮面ライダーカブト』は、設定が複雑すぎるのと、話が暗いので、正直、面白くないなあと思っていて、今度の『仮面ライダー電王』というのもそれ以上に面白くなさそうだったので期待をしていなかった。キャラのモチーフが「桃太郎」で、しかも仮面ライダーのくせに電車に乗ってるという。おいおいそれはあかんやろと思っていたのであるが、これが意外や意外。面白いのである。もしかしたらこの先、めちゃくちゃ面白くなるかもしれない。話のテイストに「銀河鉄道999」と「デビルマン」が入っていて、「悪魔との契約話」と、「時間旅行」の設定が入っている。ありきたりかもしれないが、それを「仮面ライダー」にもってきたところが斬新だ。(もっと詳しく書こうかなと思ったけれど、めんどくさくなった(笑))この設定だと泣かせる話が作りやすいだろうと思う。シナリオに幅が出来る。登場キャラクターの設定もうまい。絶対毎週見てしまうと思う(笑)
February 6, 2007
朝から高校へ行き、生徒達の応援。顔色を確かめ、緊張をほぐし、激励。 大丈夫。いい顔をしてた。朝のエネルギーをうけていつもよりパワーがあったくらいだ。 みんな合格しますように。
February 5, 2007
HPのアクセスが増えている。「塾選び」の時期になってきたということだろう。アクセス解析で検索ワードを確認しても、そのことがわかる。塾のHPも、もうすぐ10000アクセスだ。自分たちの思いをHPでもどんどん熱く語っていこう。時間をひねり出すのが相当に難しいが・・・
January 10, 2007
みかみ先生が『SHIDOSO教育研究所』のことをブログで書いてくださった。先生からのエールだと受け止め、とても嬉しく拝読した。先生の仰るように、「営利は一旦置いといて、純粋にいい授業を追及するという会合」を作りたいと思っている。ブログの文章からでも多くのことを学べるのに、実際に多くの先生と会って、話をしたり、実践報告を聞かせていただいたりしたら、それはもう恐ろしいほどの「学び」になるだろうと思う。先生はさらに、「1年に1回くらい授業風景優勝決定戦とかやったら、さらにすごいと思う」と仰っておられるが、誠にその通りだ。ぜひやりたい。うんと成長できる。実は、受験が終わって春になったら、私は猫ギター先生のUS塾へ行って、授業をさせていただくことになっている。以前、先生には私の授業を見ていただいた。「見られる」ことは大いに修行になる。今度はお互いの授業を見せ合って勉強をするのである。SHIDOSOの前哨戦みたいなつもりでいて、ワクワクしている。その後、山口のみかみ先生のところへ二人で行こうなんてことも猫ギター先生と話している。「集まり」というのはいい。特にその仕事に命をかけているような「同志」が集えば、話題は尽きないし、「学び」も大きい。そういう感じのことをスケールを大きくしてやれたら最高だと思う。みかみ先生は仰る。ブログを通じて、進化していきたい。競争しながら、助け合いながら、本当にお客さんに喜ばれるものを提供できるようになればうれしい。ってそう思う。その通りだと思う。こういう「会」を作ることは、小さいながらも、この塾業界の発展につながると思う。私はこの業界で長く食べさせてもらっているので、そういう思いも持っている。しかしながら、何より自分自身が成長したいというのが直接の『動機』である。それが同時に多くの人のためにもなればいい。だから「会」が大きくなければならないとか、「権威」を持ちたいなんて思っていない。誰にも媚びたくないし、偉そうにもしたくない。ただ「志」を同じくする人に集まって欲しいと思うのみである。みかみ先生、ぜひ混ざってくださいね。よろしくお願いいたします。
January 6, 2007
塾の先生をやって17年目になる。その間に膨大な入試問題を解いたと思う。テレビで入試問題の解説なんていうのもやった。だから、結構、入試問題の動向なんていうのには一家言持っているのだけれど、ベテランだからこそ陥る落とし穴がある。それは何かというと、ベテランは「脳内データ」が古くなりがちだということである。最新の入試問題をしっかり頭をリセットしてよくよく見ておかないと、ベテランの頭の中にある「頻出問題」というのは最新のものとのズレが生まれやすい。ベテランほど、「これはよく出るぞ~」なんて、実は近年の入試では出なくなった問題を取り上げて言ってたりするものだ。それは怖い。だから私もそういうことにならないように、H.18年度なら、18年度の問題だけ、各高校の問題を見て、最新の傾向把握をすることにしている。自分の指導に奢り高ぶった時点で、腐っていくのだとそれは厳しく自分を戒めている。そういうとこらへんは人の生きる道とまったく同じだったりする。
December 13, 2006
みかみ先生、私もまったく同じ思いでいます。これからもよい「場所」が維持できるよう、自分なりの努力をしたいと思っています。 ところで話は変わりますが『モチベーションの確立で成績は必ずアップ 勉強魂の作り方 みかみ一桜著』の発売日は決まりましたでしょうか。だいたいいつごろになるのか教えていただけたら嬉しいです。アマゾンで予約したのですが、届く日を心待ちにしているところです(笑)ぜひ我が塾の生徒や保護者の方にも読んでいただきたいと思っています。 「魂」はいいですね。「たましい」という言葉の響きが私は大好きです。それとこのブログも同感です。特にこの部分、>説明すると長くなるが、気持ちは波動かウイルスのようなもので伝播させることが出来ると思っている。私もそのように思っていて、生徒と握手するときは絶対にそういうものを伝えようとしています。 とりとめもなくですが、最近の先生のブログを拝読して書きなぐりました。すみません。失礼いたします(笑)
December 10, 2006
前々回の我が塾の広告にはこういうコピーが記されていた。「開塾して5ヶ月でほぼ全員が点数を伸ばしました」ほぼ全員というのはとても歯切れの悪い文句であるが、一体どれくらいの生徒が点数を伸ばせなかったのかというと、伸ばせなかったのは、たった1人だったのである。まあ、それくらいならばもう「全員」と書いてしまう人の世の中にはいるのだろうけれど、それは道義として許せない。それで「ほぼ全員」と書いた。今回の期末試験でその子は頑張った。そして大きく点数を伸ばすことができた。(私はちょっとプレッシャーをかけた。どんなプレッシャーをかけたかというと、にっこり笑って「あのさあ、この塾でまだ点数伸ばせてないの、君だけなんだよね。期末は頑張ろうねえ。」と言った。嫌な先生である。)どれくらい伸ばしたかというと、なんと70点以上点数を伸ばしてK中学の学年一位になった。(嘘みたいな話であるが、本当である。凄いなあ。)これで開塾当初に入塾した子は全員点数を伸ばした。もちろんこの期末前に入塾した子も多くは点数を伸ばした。(上がった、というのはせめて30点~50点くらいは点数を伸ばしたことを指す)しかし、一方では一度点数が上がったのをいいことに油断が続き、点数を下げた子もいる。一つ前のブログで書いた中1の子である。これでは「生徒全員を伸ばしました」とはまだまだ書けない。何が何でも全員を伸ばしたい。この年末年始も頑張ろう。伸ばさなければならないのは中3だけではないのだ。
December 8, 2006
随分前の日記のそれからである。ユウタ君(仮名)はあれからも頑張っている。時折ピントが外れたことを言ったりするのは相変わらずであるが、うんと成長した。二学期の中間試験は五教科合計が385点だった。入塾時にくらべると110点以上伸びたことになる。実は今回の期末試験で4教科の結果が返ってきていて、残りの国語が86点あれば、彼は初の400点越えとなる。今日、帰り際に話をしていると、彼は「なんか、夢で見たのと同じ状況なんですよ」と言っていた。つまり400点越えについて夢まで見ているというのだ。夢のシチュエーションが残り一教科国語が点数がよければ400点越えで、その結果を見ずに目が覚めたという。今回彼が400点越えを達成するかどうかはともかく、400点を目標にし、そのことをずっと考え、夢にまで見る。それを聞いて私は胸が熱くなった。塾の先生をされている方なら絶対に分かっていただけると思うが、夢にまで見るほど、執着すれば絶対にそれは適う。今回でなくても大きな成長は絶対にやってくる。1京%確実だ。畝傍高校がどんどん近づいてきた。あまりにも嬉しいのでこれから深夜の彩華ラーメンで一人お祝いをしようと思う。成長といえば、ユウタ君は成績だけでなく、身長も随分と伸びて、ひと夏を越えて、私よりも背が高くなった。今、彼と話すとき、私は若干目線を上げなければならない。私はまだそれに慣れていない。
December 4, 2006
小6の冬期講習会の定員が一杯になってしまった件であるが、結局2名ほど増席することにした。いくらなんでも3日で満席というのは申し訳ないと思うからだ。期末試験の点数をしっかり取りたいという思いからだろう。今週は冬期講習会を待たずして、3名の入塾があった。期待に応えてうんと伸ばしていきたい。
November 17, 2006
みかみ先生と話をしていて、凄いなあと思った話を一つ。みかみ先生はとても早口だ。初めて電話で話をしたときはとても驚いた。16ビートのリズムでずんずん話を進めていかれる。しかも話が面白いのでどんどん引き込まれる。「僕は○○○なので、絶対に△△△はやらないことにしてるんですよ。だってそんなことやっちゃったら×××になっちゃいますもんね。そんなことになったらもう□□□ですよ。もうそうなったら※※※するのはイッケイパーセント無理でしょう?」私は先生の話に引き込まれながら相槌を打っていたのだが・・・ ん? ん? ???「イッケイパーセント?」 それは もしかして 「一京パーセント」ということか? 「京」って。 千でもなく、万でも億でもなく「京」である。 そんな数字に%をつけて話をする人を初めてみた。 こんな人には勝てないと私が感じた一瞬であった。 (あんまり面白かったので録音しとけばよかったと思ったくらいである)
October 21, 2006
私は元々どちらかというとクールに授業をするタイプだ。「熱さ」のようなものはあまり前に出さない。それはそういうスタイルを自分自身で作ってきたからなのであるが、一時期、力量のない先生の「熱さ」だけで生徒を引っ張る姿に嫌悪したことがあるのが理由だろうと思う。そういう授業へのアンチテーゼだったのだと思う。昨日、みかみ先生が帰り際に生徒の一人ひとりに「気合だよ」「頑張ってね」「やれよ」と声をかけてらっしゃった。「気」の充満した声のかけ方だったと思う。とても素敵に見えた。なるほどああいう感じの声のかけ方はよいなと思ったのである。私もああいう「小さな激励」を積み重ねていくことにした。私は私なりに生徒に声をかけてきたが、あんなに頻繁ではない。「ここ一発」のために制御してきたきらいがあるくらいだった。でもあれはいい。あんなふうにやってみようと思う。よいものは採り入れよう。でもみかみ先生は「激励のプロ」だ。なかなか敵わないだろう。でも少しずつ心を伝えられたらいいと思う。私はもっといい先生になりたい。
October 20, 2006
今私はみきみ塾のドアの外からみかみ先生の授業を立ち聞きしている。もちろん先生は私がお聞きになっていることをご存じない。先生の授業はうまい。頭のいい人のそれだ。ことばに迷いがない。う-ん。
October 19, 2006
実はブログを書き始めてもうすぐ一年になる。本当のことを言えば、きっちり一年経った日に「今日でブログを始めて1年になります」と書けば、「おめでとうございます」なんてコメントもいただけるかもしれないのであるが、少し恥ずかしいので中途半端な日に書いてしまう。100人いれば100通りのブログに対する考え方がある。私はブログを「サロン」のような場所だと思っている。「サロン」に集まり、日々の出来事や考えを、時に真剣に、ときに他愛も無く語る。私は教育に関しての話題を書くことが多いし、他の方の教育に関するブログを読むことが多い。教育論文などと違い、綴られた文章は、少しばかり脇が甘いことが多いが、リラックスして書かれた分、時折論文とは違う光り方をする。それが魅力だ。ちょっぴりユーモアも含んであるやつなんかは最高だ。中には、完全に商売と割り切って書かれる塾ブログもある。誇張と自己宣伝に満ちたブログも中にはあるかもしれない。生徒や保護者とのコミュニケーションとしてのブログもある。何でもありでいい。「多様性」がブログのメリットであると思う。読み手が取捨選択すればいい。「サロン」の本質は、他愛もないお話の中から、参加者が有益な情報を仕入れたり、汲み取るところにあると思う。もちろん「サロン」の端っこで参加者が議論を侃々諤諤やっているのはいい。かつての「サロン」にもそういうことは多々あったろう。ただ、私は「サロン」の場は大人の社交場として、一定のマナーが守られているべきだと思っている。思いついたことを気軽に綴ることができ、発信できる場を維持することが大切だ。「ブログ」の魅力を損なうようなことはするべきではないと思う。特に、他人の価値観に自分の価値観を押し付けることはタブーであると思う。ブログの目的は個人により多種多様である。「批判」はときにあってもいいと思う。ただし言いっぱなしではなくて、反批判を覚悟して、理路整然としてほしい。そういうものであれば、もっとあってもいいと思う。ただ一つ、私がこれだけは許せないと思うものがある。それは他人に対する「悪口」や「否定」を、気分次第でかる~く言ったり、匂わせたりすることである。反論してもとぼけられるようにあしてあるのだろう。これは卑怯だ。やるなら、きちんと個人を特定して攻撃をせよと声を大にしていいたい。これは数週間前からずっと書きたかったことだ。また、どんなにブログで精密に書き綴っていても、所詮ブログはブログで、その人やその人の塾の「本質」を表したものではない。「虚構」であったり、「言葉足らず」であったり、「嘘」であったりするものだ。読み手はそこを考慮して読むべきだ。そういった考慮をしながら、毎日ブログを読む。ためになったブログにはお礼の気持ちを込めて「勉強になりました」と私はコメントを入れる。それは私の素直な気持ちの表現である。つらつらと書き進めたが、これがまもなくブログ開設一周年を迎えた私の「ブログ考」である。もちろん他の方に強要するつもりはまったくない。これからも、ときに真剣に、ときに他愛も無く、日々に思うことを綴っていこうと思う。生徒のこと、塾のこと、教育のこと、家族のこと、書きたいことがいっぱい浮かんでくることだろう。学びながらよいものを書いていきたい。
October 18, 2006
何回書くねんと叱られそうであるが、昨日の「くりぃむナントカ」の「長渕剛ファン王決定戦」は感動的であった。くりぃむしちゅーの上田や、ワッキー、大八木氏が涙を流しながらカラオケボックスライブに参加している様子を私は食い入るように見つめていた。人生は辛いことが多い。売れっ子芸能人であっても下積み時代は苦労も多かったにちがいない。長渕剛の歌が彼らを支えたのは想像に難くない。自分を支えてくれた、憧れの憧れの長渕剛が目の前にいて、ギター一本で歌ってくれるのである。彼らの気持ちが本当によく理解できた。長渕剛は本当に凄かった。弾き語りを極めていた。あえて小技を控えたギターと歌が見事に溶け合っていた。弾き語りとはかくあるべしということを教えられた。何度かテレビで彼が歌うのを見たが、ここまで凄くはなかった。彼のライブパフォーマンスはここまで凄いのかと驚いた。テレビで新曲を一曲歌うのとは気持ちのノリが明らかに違っていた。彼に最高のノリを与えたのはたった三人の彼を見つめる観客だったのではなかろうか。彼らのためにカラオケボックスという場所で、二時間以上の本気の本気でギター一本のライブを「神様」がしたのは、編集された映像からもよく分かった。ただひとつ、番組を見ながらずっと気になっていたことがあった。番組前半で「長渕物まねライブ」をやっていた「英二」という人は長渕剛に会えないのかと思いながら見ていたのである。彼は長渕剛に人生を賭け、長渕剛のコピーに命をかけてきた人物である。彼だって「神様」に会いたいに違いない。そうしたら番組の最後の歓談のときに彼も呼ばれた。ホッとした。彼は本物の前で90度に体を曲げ、本物に頭を下げていた。本物の差し出した手を両手で握りしめ、何も言えなくなっていた。サングラスをかけていたが、きっと彼は泣いていたにちがいない。彼は「神様」に会ったのである。彼らの気持ちは本当によくわかる。あそこにいた方々を自分に重ねた。彼らの感動が自分の感動になり、心の洗濯ができたような気分だ。私にとっては間違いなく今年NO.1のテレビ番組だった。
October 17, 2006
先日、ある先生に自分の体を診ていただいた。私は診察台の上に寝ているだけで、その先生は私の体に触れることすらない。『Oリングテスト』というテストで、私の体全体をスキャンされる。先生は完璧な解剖学の知識をお持ちのようで、立て続けに目から耳、喉、肺、心臓とあらゆる器官のパーツの名前まで挙げて、私の体のよくないところを指摘される。これが何とびっくり!一つとして外れることがなく、完璧に私の体の症状を言い当てられるのである。左の目の方が少し視力が悪いこと、腎臓に負担がかかった跡がある、体の左半分に汚れがたまっているということ、など私の体に触れることなく、指摘されたのである。そういえば私の体の不調はすべて左に出る。つい半年前に苦しんだ尿路結石も左であったし、手首関節の痛みも左、視力が悪いのも左、ついでに親不知も左だ。しかもふつう『Oリングテスト』といえば、被験者の体に触れた後、あるいは触れながら行うものであるが、その先生はその部位を見てテストをされる。もうこうなると超能力である。その後、私にとっての「よい食べ物、よくない食べ物」を教えていただき、健康を維持するための方法を教えていただいた。その通りにしていると、本当にここ数日体調がいい。私が受けた診断はまちがいなく完璧であった。診断を受けて、自覚のなかったことを、そういえばそうだと思い当たったことがいくつかあったくらいである。だからこれは「インチキ」などはありえない。不思議現象を「オカルト」と片付けることはたやすい。説明がつかないといってもその「事実」は存在する。「インチキ」でないのであれば、素直に信じるべきで、積極的に活用したい。私は昔からそういうスタンスであったが、それでもこれはびっくり仰天した。私は若干頚椎がずれていて(多くの人はずれているという)、真上の向くのが少し辛かったが(どちらかといえば)、ある方法で治していただいた。その方法を言うと、10人のうち、9人は絶対信じてくださらないと思うのでここでは言わないでおく。直ったのは事実なので、それは「インチキ」などではない。こういうものを受け入れるか受け入れないだけのことであると思う。ちなみにギターを弾くときの左手首の関節の痛みは、またある別の方に1秒で治していただいた。これは不思議現象というより、その方が腕が立つということだと思う。
October 14, 2006
体験授業がまだ途切れない。どうもチラシの効果よりも口コミの影響の方が大きそうだ。ところで、世間では我が塾は『進学塾SORA』ではなく、『SORA塾』という通称で呼ばれているらしい。何人もの方から同じ話を聞く。エリアが全然違う方からも同じ話を聞くので、これはどういう現象だろうと思ってしまう。「生徒募集」に関しては、エリアを拡げない作戦を採っているのであるが、我が塾には、隣の市や、隣の隣の市から通ってくれる生徒もいる。それから、我が塾はめちゃめちゃ厳しい塾だと言われているらしい。確かに厳しい塾にしようと思い、塾を作ったのであるが、「めちゃめちゃ」厳しいということもない。ただ「凛」とした学びの空間を作りたいだけである。なかなか物事はこちらの思惑通りにはいってくれない。だからこそ面白いし、やり甲斐がある。この「口コミ」に負けないように、チラシを見て電話しました、と仰ってくださる方が山ほどでるように、新しいチラシの案を徹底的に練ってみよう。もっともっと我が塾のことを世間様に知ってもらいたい。努力しよう。
October 9, 2006
私は長渕剛があまり好きではないが、時折ガーンとハートにパンチを食らわせる曲を書く。嫌いなのに好きな曲があるというのはなんか悔しい。昔、彼がベルリンの壁の前でぶーたれながら紅白の中継で歌った「親不知」という曲もそうだ。けっと思うくせに聴かずにはおれない。曲に一気に引きずり込まれた。で、明日親不知を抜きにいく。そう、長渕剛は前振りである。すみません。相当に変な生え方をしている私の親不知は抜歯がたいへんらしい。先生を信頼して身を預けることにしている。気がかりは明日授業ができるかどうかだ。
October 3, 2006
「要は○○ってことだね」という台詞を口癖にするよう指導したら、生徒達は随分賢くなるんではないだろうか。この台詞は、相手の言った内容、あるいは書かれた内容をまとめて、そこからポイントを抽出する作業であるから、これを口癖にすれば、そういう思考が癖付けられるはずだ。どうだろうか。 「あ~ちょっとまてよ、ここに書かれていることは、要は○○ってことだから、太字で書いてあることと、その説明のところをまとめたらいいんだな」 ということができるようになったら、勉強ができるようになるのは早いだろう。口癖を変えたら頭がよくなるなんて素晴らしいことだ。しかし、先生の方は気をつけなければならない。生徒達に長い説教をして、「先生、要は先生の言いたいことはもっと勉強をしろってことですよね。」なんて言われた日には、血管が切れてしまうかもしれない。TPOをわきまえるよう指導することをセットにする必要があるだろう(笑)
October 3, 2006
今日、夕方まじま先生と電話でお話をさせていただいた。話をさせていただいていると、不思議なことに、自分の頭の中にポンポンポンといくつものアイデアや映像が浮かんできた。頭の回転がいつもの2倍になった感じだ。浮かんできたアイデアの切れ端をつなぎ合わせながら、記憶の端にひっかけながら、まじま先生のご質問に答えていた。しゃべるとアイデアが浮かんでくるので、これ幸いにベラベラ喋りすぎて、先生にはご迷惑をおかけしたかもしれない。力のある先生と話をするのは楽しい。自分が活性化される。猫ギター先生と話をしていてもそうなる。話すことで何かが刺激され、自分に内在していたものが浮き上がってくるのである。会話というのはアイデアの掘り起こしには不可欠なものなのかもしれない。年に1回、あるいは2回くらい皆で集まって、あれやこれやと話をすれば、凄いアイデアが生まれてくるだろう。まじま先生とお話をして、何かのスイッチが入ったような状態になってしまった。(明日になったら切れたりして(笑)えてしてそういうもの。)
September 25, 2006
ここ半年くらい左の手首が痛い。普通に生活する分にはなんの苦労も痛みもないけれど、ギターを弾くとき、特にセーハすると痛い。パワーコードで小指を使ってリフを弾くときも痛い。I Feel Fineのイントロなんて痛くて絶対弾けない。ろくすっぽ弾いてもいないのに、これは腱鞘炎なのか。今日もちょっとギターを持ってみたけれど、やっぱり痛かった。こんなのどうやったら治せるんだろう。
September 24, 2006
今日は大阪のホテルにいた。詳細は明日…
September 17, 2006
今日はいっぱいエネルギーを使ったとても消耗したけれど、いい一日だった力を込めながら、祈りながら人の力になり 人の支えになりながらくたくたに疲れるのならそれはいい人生だ明日もいい日でありますように というわけで今日はもう帰ります。すみません。こ、口内炎が・・・いてて
September 15, 2006
ううっ口内炎ができて痛い。体調が悪いわけではないが、疲れが出たか。体がやけにだるいぞ。コンビニへ自転車を走らせ、水と伊藤園の「植物性乳酸菌朝から野菜植物性100%」と、DHCのビタミンBミックスを買う。植物性乳酸菌というのが存在することにも驚いたが、「3日間の継続飲用をお奨めします」にも少し驚いた。3日間飲めばいいことがあるのだろうか。
September 15, 2006
全員を伸ばすためにはシステムが大事だと前回書いたが、「一所懸命」教えるだけでは全員は伸ばせない。「伸ばす」ということは「伸びよう」と思わせるということだと思う。前向きに「学ぶ」気持ちを持たせなければならない。気持ちがダレてしまってはどう働きかけても伸ばせない。生徒の気持ちの「ダレ」を起こさせない環境づくりが必要だ。まず、私は生徒の気持ちがダレることを防ぐためには「緊張感」が大切だと考えた。そこで、「緊張感」を生徒に持たせるためにとった手段は「遅刻・欠席厳禁」のルールなのである。こういうときに「○○点以上ないとめちゃめちゃ厳しく叱られる」というような緊張感の作り方だと生徒は音を上げてしまう。「その気になれば絶対に守れること」を厳しく指導したほうがよい。これは「学ぶ姿勢を育てる」第一歩であり、生活を整える第一歩である。今のところ生徒が遅刻をしないので、遅刻したときのペナルティはない。しかしながら、遅刻をしたときは先生が「席についてよし」というまで教室の後ろに立って待機させるということにするのがよいかなと思っている。ちょっと極真空手が入っているかもしれない(笑)もちろん何分も立たせるつもりはない。遅れて教室に入ってくるのだから、先生の指示があるまで席にはつかないくらいのけじめがあった方がいいという考えだ。あと、授業を聞くときには先生の顔を見る、分かったら頷く、分からなかったら首を捻る、というような指導も大切だ。進歩的な信条をお持ちの方からは、なんと画一的な指導だという批判はおありだろうが、「人の目を見て聞く」習慣がついたら、どれだけ素晴らしい恩恵をその子は受けることか。集中力が上がり、内容が頭に入り、成績が上がるだけではない。間違いなく将来、上司や年上の人間から可愛がられるのだ。仕込まない手はない。学力の差は集中力の差、「聞く力」の差から生まれる部分が大きい。「全員を伸ばす」というのであれば、少なくとも生徒全員がバッチリ授業を集中して聞けるよう鍛えていなければ話にならない。上記の二つは「全員を伸ばす」お膳立てみたいなものである。そういう下地の上から様々なアプローチが必要になる。
September 6, 2006
「全員を伸ばす」というスローガンや思い入れだけでは実際に「全員を伸ばす」ことはできない。全員を伸ばすにはそうするためのシステムがないと駄目だ。我が塾では、塾生全員を伸ばしたい。一人も欠けることなく伸ばしたいと思う。一学期の期末試験の直前から生徒を預かり、期末試験の対策を行ったが、点数が上がったのは「ほぼ」全員であり、「完全に」全員ではなかった。しかしそれとて、勉強の仕方のちょっとした工夫や課題の与え方などで、器用に点数を取らせたという途中段階のことで、「実力を」伸ばしたレベルではまだない。夏の特訓で、実力を伸ばすための「歩み」は着実に進められたと思うので、二学期の中間試験はなんとか生徒達全員の点数を伸ばし、「やったらできる」という達成感を味あわせてあげたい。
September 4, 2006
「時間がない」なんて仕事が出来ないヤツの言うことだ、とよく言われますが、やはり言いたくなります。時間がありません(笑)まだまだ仕事ができないということですね。休日はできるだけ家族ときちんと過ごし(それでも仕事モードで考え事をしていて、家内の言葉によく生返事してしまうときもあるけれど)、仕事では、教材の作成や、ホームページの更新、文書作成、企画立案をやり、その合間に自分の勉強をやっていると、やはり時間は全然足りません。私は考え事をするときは、ぼーっとしていたり、ネットで色々なページを眺めていたりするので、暇そうに見えるのですが、段々そうしながら、考えをまとめていくタイプなので始末に負えません。一番酷いのは、机上で考え事をしても、ろくすっぽなアイデアが出てこないことです。私が一番アイデアが出てくるのはズバリ何処か?それは何と授業中なのです。生徒に授業をしながら、アイデアがポンと浮かんでくることが多いのです。新しい授業の進め方のアイデアだけではなく、チラシのデザインや、企画なども授業中に浮かんできます。もちろん、授業中に「企画」のことなど考えているわけではありません。授業に集中しているのに突如頭の中にまったく別のことがポンと浮かんできたりするのです。机に向かって、ひねくりだしたものよりも、授業中にふと浮かんだアイデアの断片をささっとまとめた方がよいものだったりすることは一度や二度ではありません。おもしろいですね。これは推測ですが、授業中というのは、私が一番集中している瞬間なのだろうなと思います。アイデアというのは、集中の最中か、その集中から解放されてリラックスした瞬間かのどちらかに出てくることが多いと思うのです。(と、ここまで書いていて、今書いている文章がいつもブログで使う文体とは違っていることに今気づきましたが、書き直すのはとても面倒くさいのでこのままでいくことにします。)アイデアが出てくるコツを上手く自分でコントロールできたら、仕事の能率は何倍にもなると思うのですが、なかなかそうはいきません。心のコントロールがもっと上手くできればなあと思います。禅寺でも行こうかな。 最後に話は変わりますが、天川村に今日も行ってきました。清流と山、澄んだ空気と静寂、どうしてもここで勉強合宿がしたくなりました。夏の夜には天の川が見れるそうです。何といっても「天川村」ですからね。今の私は、欲しいギターを何度も楽器屋に眺めに行く少年のようです(笑)本当にここで合宿ができるものかを煮詰めていきたいなと思います。どこにもない我が塾だけの合宿、ぜひ作っていきたいです。ところで天河弁財天でふとひとつアイデアが浮かびました。きっとここ(天川村)は勉強もはかどる場所だろうと思っています。
September 3, 2006
電話であったり、直接ご訪問を受けたりなど、8月の終わりから入塾のお問い合わせが続く。昨日も直接お話を聞きたいと保護者の方が尋ねてこられた。時間をかけてきちんと塾の説明をさせていただく。何度か書いてきたが、塾の魅力の一つは「選べること」だ。だから生徒や保護者に選びやすいように、どんな塾かを表現するのは大切なことだと思う。生徒が集まったので「体験授業」も受けつけることになった。生徒にも保護者にもよく見てもらって塾選びをしていただきたいと思っている。お問い合わせをいただいたどの方にも「評判を聞きまして・・・」とか「近所の方のお勧めで・・・」と言っていただくのは本当にうれしい。もっともっと頑張ろう。======================今日は中3の授業日だ。昨日の中1のようなことはないと思うが、学校が始まると気が緩むことが多い。そういった空気がもしあるのならば、今日はそれを修正することが一番の仕事になる。修正の仕方は何も厳しい口調で説教するだけとは限らない。ニコニコ話す15分の雑談の中で緊張感を取り戻すことだってある。どういう手法を取るかは、実際に彼らの顔を見てからになる。
September 2, 2006
どこの塾も夏休み中は渾身の力を込めて受験生を鍛えただろう。夏は生徒との接する時間が長い。一体感が生まれやすい。学校に対して塾が持っている「ハンデ」を消し飛ばすくらいの濃密な時間がとれる。生徒達も塾の先生のパワーを受け止めて、猛然と勉強する。夏の終わりには生徒にも先生にも大きな達成感が生まれる。その一体感はなかなか気持ちのいいものである。それ自体はとてもいいことなのだが、指導する側が、「秋」の勉強のことをしっかりイメージし、何をさせるかを計画できていないと、とたんに生徒は秋になると勉強しなくなる。指導者は夏の一体感に酔ってはいけないのだ。秋は学校行事が目白押しだ。夏から周到に「秋」のことを考え抜いていないと、とたんに生徒のボルテージは落ちる。秋の勉強が疎かだと、せっかく夏に頑張っても、秋の実力テストの点数は出にくいのである。指導する傾向やパターンにもよるが、私は夏の勉強は、9月の勉強とセットだと思っている。最初から夏と秋を繋がりあるものとして捉えている。こんなこと当たり前ではないかとご指摘を受けそうだが、繋がりのある指導が意外にできていない塾やその指導者は多いと思う。9月は学校行事が多いものの、学校の定期試験がないため、実はじっくり受験勉強できる期間なのだ。ここを上手く使うか使わないかで生徒の伸びは全然違う。我が塾は6月後半から授業が始まったため、今年は、勉強の一つめの山を8月に、そしてそれより高い二つ目の山を9月において作戦を立てている。このあたりがベテランの腕の見せ所だ。必ず成果を出してみようと思う。
August 27, 2006
おそらく全国の塾ブロガーの先生に先んじてだと思うが、進学塾SORAの夏期特訓は今日で終了した。中3は朝から晩まで少ない日でも9時間、多い日で12時間も全員が塾に缶詰で頑張ってくれたので、ご褒美にご飯をご馳走することにした。Hori先生と二人で「Baby Face」というお洒落なお店へ連れて行った。塾からすぐのところにあるのだ。このお店は何でも大盛だ。大盛がレギュラーなのだ。普通の店の特大よりもさらに多いのが「レギュラー」なのである。ペペロンチーノ、カルボナーラ、シーザーサラダ、シーフードピラフ、何とか風(忘れた)ピラフなどが次々とテーブルに並ぶ。このお店をご存知の方ならげっぷが出そうだろう。しかしそこは食べ盛りの中3のこと、完食した。お皿がいつもより小さく見えた。皆でご飯を食べるのは楽しい。また連れてこよう。一方、今日は夏の締めくくりの「夏期特訓まとめテスト」を行った。秋に向けての課題出しもできた。9月が待ち遠しい。しっかり9月の指導計画を練って臨もう。
August 26, 2006
昨日の夏の全国高校野球の決勝戦は歴史に残る名勝負だったようだ。この試合を私は見ていない。とても残念だ。「延長15回、37年ぶりの引き分け再試合」というフレーズだけでも涙が出そうだ。今日の試合はどうなるんだろう。今日も接戦になるのか、ワンサイドゲームか。心が折れたり、緊張感が切れた方が一気にやられてしまうんだろうと思う。昨日の試合終了から、今日の試合開始までの監督や主将のチームのまとめ方や語った言葉が勝敗を分ける。三連覇という目標があるだけに、駒大苫小牧チームの方が背負っているものが大きいのではないか。だから早稲田実業よりもそのあたりがほんのわずか強い気もするが、ここまできたらもうその精神は勝ち負けを超越しているかもしれない。こんな日のこんなチームの監督はどんな思いでいるのだろうか。
August 21, 2006
猫ギター先生の『レーゼクライス』レポートが凄い。序論だけでも上中下の3回もある。ドラマ「24」の画像を貼り続けておられるところを見ると、本当に1時間ずつのレポートを書かれるようだ。ジャックバウアーは毎回徹夜しているが、私たちはしっかりと寝た。その時間はどうされるのだろう、なんて心配になってしまうのだけれど、とても楽しみだ。先生の観察力は並みではない。私ももっと書かせていただきたいのだけれど、皆さんに読み比べられると、明らかに質が落ちるだろうから何とも恥ずかしい。先生のように書いていく筆力がないので、私の方はふと思い浮かんだことの断片を書き綴らせていただくことにしようと思う。それにしても、同じものを見た先生が自分とはどう違う視点で表現されるかということに関しては本当に勉強になる。そういった意味で私は運がいい。これはレーゼクライス合宿所の調理場だ。後片付けが終わった直後の様子だ。男子生徒がお盆を洗って水切りをして乾かしている。このようなお盆の置き方も、綿々と築き上げられてきたノウハウであろう。レーゼクライスの合宿は、このような細部に至るまでたどたどしさがまったく感じられない。継続された伝統の凄みだと思う。「細部に神が宿る」という言葉が思い浮かんだ。(許可もなく撮影した上に公開までしています。lekuchan先生、すみません。)
August 19, 2006
レーゼクライスの合宿には猫ギター先生にお誘いいただいた。重ねて書くことになるが、私がレーゼクライスを知ったのは猫ギター先生がブログで紹介されたときである。一読して眩暈がして、2、3日気が重くなった。こういう塾を作る人が日本にいたということにショックを受けたのである。正直に言うと、誰もそこまでできないよな、と最初から無かったことにしてしまう部分に手を出して、実現してしまう人の存在に驚愕したのである。驚愕しながらHPを貪り読んだ。猫ギター先生は書く。まずレーゼクライス塾長、lekuchan先生の「合宿所を作る」という発想と実行力が凄い。普通なら、塾で合宿するというアイディアを思いついたなら、場所はホテルや施設を借りるだろう。ところがlekuchan先生は、ご自分で合宿所を建ててしまったのである。lekuchan先生の行動力と発想は、レースに勝つために、まず鈴鹿サーキットを作ってしまったという、本田宗一郎のようなスケールだ。この発想が普通はできない。そのできないことをやってしまっているのである。技術で劣るならば、修業すればいい。何年掛かってでも腕を上げればよい。金がないというならば、その資金をひねり出す知恵を出せばいい。あるいは稼げばいい。しかし自分ができなかった「発想」を目の当たりにしてしまうと、最初に感じるのは「敗北感」である。相当にショックであった。本当はこんなことを書くのも悔しいのであるが仕方がない。そう思ったのは事実なのである。もちろん打ちひしがれていてもしょうがない。そこから学び、吸収し、よりよいものを創造していかなければならない、と思っていたころの猫ギター先生からのお誘いだったのである。
August 18, 2006
August 15, 2006
お盆の塾行脚から帰ってきました。たった一日でしたが、素晴らしい体験でした。三谷先生を始めとするレーゼクライスの先生方に心からお礼を申し上げます。レーゼクライスの素晴らしさ、この夏合宿の素晴らしさについて、ブログに書いていこうと思うのですが、これには様々な整理が必要ですので、じっくりと取り組ませていただきたいと思います。三谷先生、お若い先生方は皆さんとても素敵で、あの素晴らしい塾がますます素晴らしくなっていくかと思うととても楽しみです。先生からいただいた資料は、どこにもない素晴らしい資料です。長年のノウハウの蓄積が詰まっています。資料からあたかも光が放たれているようです。私の宝物になりそうです。私も勉強し、努力し、さらに素晴らしい塾を作っていきたいと心から思いました。本当にありがとうございました。追伸:桃とすいか美味しかったです。お土産にいただいた桃は家内も息子も感激しておりました。(もちろん唐揚げも美味しかったです)
August 14, 2006
独立した理由はいくつもあるが、「生徒への指導の密度を上げる」というのは大きな動機のひとつだった。大手塾のベテランの先生はどこもそうだろうが、とにかく忙しいのだ。自分の仕事の時間の一体何割を自分が教えている生徒に割くことができているだろうか。とにかくバタバタしてしまう。私は、小さな城を構えて、そこに集ってくれた生徒をしっかり見つめ、観察し、密度の濃い指導を行うことで、どこの塾にも負けない塾を作ることができると考えたのだ。もちろんこれをするにはある一定以上の力量が必要だ。「教える以外」の仕事が多くなると、指導は手薄になる。いくら技術があっても、授業が上手くても、それだけでは学力を伸ばすことは難しい。小中学生の学力を伸ばすには、その子に寄り添うような指導が必要だ。「密着指導」というやつだ。私は、そういうことがきちんとやりたくて、あえて自分の世界を小さくした。私が勤めていた塾は、奈良ではとても有名な塾だったので、その「看板」で多くの人が耳を傾けてくれるということはあったろうし、それはある意味、武器だったといえる。でも、それらを私は全部捨てた。だから私は、人と知り合う機会や、あるいは名前を売るようなチャンスは減るであろうことを覚悟していたのだが、実はそうではなく、ネットやブログ、あるいはリアルで、多くの方との交流が活発になって、以前より人の縁は増えた。これは望外の喜びである。明日もそのご縁で学ぶことができる。しっかり学び、自分を向上させ、それを生徒たちに還元していこう。それでこそ、独立した意味がある。「やりがい」と「生きがい」で私の体は満タンだ。幸せなことだ。
August 12, 2006
今日は某所に行ってきて、今帰宅したところだ。何処に行っていたかは、また後日書きたい。それよりも、その某所でふと思ったことなのだけれど、我が塾の生徒は全員授業中、私が話すときは、私の顔を見つめている。ノートに目を落としていたり、手をいじったりする生徒がいない。もちろん中学生ともなれば、メモを取りながら、私の話を聞いたりすることもあるけれど、できるだけ先生の表情から目をそらさないようにしている。生徒たちは、こちらがそうしなさいと言っているからやっているのであろうが、そうしなさいと言ったからといって、誰も彼もが出来るわけではない。これは我が塾生の意識の高さを示していると思う。想像していただきたい。先生が何かを説明している。ひとりひとりの顔を見ていくと、必ずそのひとりひとりと目が合う。目が合ったからといって、決してそらすわけでなく、気張るわけでもなく、こっちの視線をそのまま受け入れて、話を聞いているのである。穏やかではあるけれども、気持ちの張りつめた教室で授業をするのは本当に気持ちがノル。それを実現するために、開塾当初からしっかりと仕込みをしてきたからこそ、作り上げることができたのだと思う。だから、私はこの環境を当たり前と思って、授業をしていたが、よくよく考えると当たり前ではない。いや、これを当たり前にする高い意識を指導者は持っておくべきだが、それがなされている教室はそうそうないだろう。これをもっともっと練り上げていきたい。指導者は満足をしてはいけない。このお盆はここまでの指導を振り返り、反省をし、改善点を探し出そう。我が塾をもっと素晴らしいものとするために。そして13日からは「塾行脚」だ。これは相当に刺激を受けるだろう。さらによい塾作りのヒントをたくさん得られるのは間違いない。楽しみだ。
August 11, 2006
自分の塾を作った動機は、一に何の制限もなく自分のやりたいことができる環境を作りたかったこと、二に、できるだけじっくり子どもを教えることができるようにということだった。塾の先生は夏は忙しい。夏休みになると、ほとんどの先生のブログの更新頻度が下がる。当然だ。朝から晩まで授業に全力投球をしているのである。皆へとへとのはずだ。私も一日6~7時間くらい授業をしているが、できる限り、夏は授業に集中し、できるだけ仕事の量を増やさないことにしている。忙しくなると、どうしても授業の質が下がり、生徒ひとりひとりのことを見つめることが難しくなってしまう。私は指導の「濃度」を落としたくないのである。私は夏でも一日に生徒一人ひとりのことを思い浮かべ、その子の課題や指導方針を考える時間を取るようにしている。これを私は「ひとりミーティング」と呼んでいる。また、単元の導入の新しい技や、切り口なんかも思索する。少しでもよい授業を提供したい。そしてそのためには何より先生が元気でなければならない。これらのことができるのは組織が小さいからこそだろうと思う。進学塾SORAは、元々が高品質のものを提供するために作られた組織であり、よりよい指導を生み出していく理念を持って作られた組織なのである。絶対にそこをぶれさせてはいけない。とても充実した夏である。自己満足ではない。生徒が毎日よい方へ変化しているという事実を見ているからこそそう思うのである。しんどいけれど心地よい。
August 5, 2006
先日、ブログでこんなことを書いた。すると、あるママさんから、ご丁寧なメールをいただいた。私信なので、そのまま掲載することは避けるが、大体以下のような内容だった。その意見は小児精神科医の佐々木正美先生という方の理論であること。先生の考えは、たくさんの母親に受け入れられ、支持されているということ。ぜひ先生の「子どもへのまなざし」という本を読むことをお薦めするということ。クレームとかいうニュアンスのメールではなく、普段私のブログを読んでくださっている方で、非常に穏やかな文面であった。早速、私はアマゾンでこの本を注文した。一読してからまたブログに書くことにする。ただ、おそらくは私の意見は変わることはないと思う。私は筆をすべらせて、勢いで書いたのではないからである。誤解の無いようにしておくと、私は子どもを甘えさせることは大切なことだと思っている。非常に大切なことであると考えている。その上での問題点と捉えているのである。明日発送されるということなので、できたら5日以内に書きたいと思う。前回、私は「亡国の教育論」とまで書いた。佐々木先生の信奉者の方が読めば、お気を悪くされるのは当然であろう。だから、なぜそこまで書いたのかも含めて書きたい。
August 3, 2006
松江塾まじま先生の影響を多分に受けて、復習テストの合格点を「満点」にしている。(英語と社会)復習テストは基本的にテキストに載っている問題と同じ問題で行う。ポイントは絶対に妥協しないことだ。真面目な子が、ついうっかり「太政大臣」の「太」を「大」にしたって、不合格。それが3回目の再試であろうと妥協しない、そういう姿勢が大切だ。これを揺るがすとすべてが崩壊してしまう。テストは違う問題でやらないといけない、という考えもある。同じ問題だと意味もなく、丸暗記をして力がつかない、ということだろう。その危惧は十分に理解できる。しかしSORAで、この形式のテストにして、生徒たちの意識がこれだけ高いとなると、理屈はどうあれ、効果が高いということだろう。(もちろん他の要因もあるだろうが)できない子は、「初見の問題ならともかくも、同じ問題なら私も満点が取れる」と思う。勉強のモチベーションを上げやすい。一方、できないと思われている子が、ばっちり満点を取っているのに、自分が満点を取りこぼすことはできないと、できる子も思うはずだ。こういう空気がクラスに流れ、全員が頑張れる場ができあがる。正に「教室の教育力」だ。
August 2, 2006
私は授業は「ツーウェイ(双方向)」であるべきだと思っている。鮮やかで派手な講義は分かったような気になるものだが、習得、定着度が意外に低い。特に中学生の場合はそうだ。だから、私の授業の基本は「問うこと」になる。できるだけ「教える内容」を削り、導入をしながら、どんどん問う。全員に問うこともあれば、一人を指名する場合もある。答えはノートに書かされたり、口答で答えたりさせる。今は1クラスの授業が多くないので、中3生だと一時間の授業で多いときは7,8回は指名される。授業中の居眠りなんてあり得ない状況だ。授業中こそ、緊張感溢れ、頭脳をフル回転させてもらいたい。授業が終わったら、「ふー」という溜息や、「え、もう終わり?」という声が聞こえてくるのが理想だ。そして授業は、びしっと時間通りに「はい、これで終わります。」というのが大切だ。よけいな「まとめ」や説教はない方がよい。名人の落語のように「オチ」がついたら、すっと座を降りて下がっていくのが格好いい。「格好いい」と、生徒の頭の中に「余韻」が残る。そういうのは大切だ。授業は私たちの高座であり、舞台なのだから。
July 30, 2006
「私は力がないから。頑張らないといけないから…」中3のある女の子が変わろうとしている。涙をこらえ、一人教室で残って勉強をしていたその姿を見て、心が震えた。もしかしたら、15歳の女の子が「変身」をする、とても神聖な場に立ち合っている、そんな気がしたからだ。ここまで中3にはずっと物足りなさを感じていたのだけれど、この子のような気持ちを持つ子が教室に一人、また一人と増えてくれれば、「教室の教育力」は最高に発揮されるだろう。自分が放った「頑張りのオーラ」が周りを活性化させ、活性化した周りの「オーラ」、そんな教室までもう少しだ。そんな期待をさせる一言だった。
July 28, 2006
猫ギター先生に中3の英語の授業を見ていただいた。授業は『関係代名詞』の一番初めの導入部分。今回は『目的格』から導入し、90分で『主格』まで進む段取りであった。私は『目的格』と『主格』を同時に導入するのがよいと思っている。先に「混乱」を作り出し、学習を進めながら、その「混乱」を「自己解決」させるようにもっていくほうが定着が確実だと思っているからである。また、私が常に大切に考えていること、「スモールステップを作ること」「長々と説明しないこと」を柱としながら、授業を組み立てた。授業は「分かりやすい」のがよい。それゆえ、「スモールステップ」を作って、わかりやすくする。また、「長い説明」というのは生徒を混乱させる。ゆえに言葉を削りに削る。私は単元の導入のときに、一度に10秒話すことはない。それくらい削る。生徒を「混乱させるのがよい」といいながら、「分かりやすく」というのは矛盾するようであるが、「習得」のさいの「試行錯誤」はさせる方がよく、「教師の説明」はスッキリとして分かりやすい方がよいということである。「見られる」緊張感は大きなものであるが、とても有意義な90分であったと思う。自分が力を認めていると思っている人に授業を見られると、「この人はどう思うだろうか?」などとあれこれ考える。実はそれは「自己との対話」であり、それができる機会は貴重である。こういうつながりを充実させたい。自分をさらに磨くチャンスを作りたい。SHIDOSO教育研究所を早く形にしたいと心から思った。
July 24, 2006
「昭和天皇のお言葉のメモ」に関してのマスコミの報道に呆れてしまう。あの手のものが出てきたら、まずマスコミのするべきことは、それが本物であるか、あるいは本当に昭和天皇のお言葉を綴ったものであるかの検討であるはずなのに、そういったことはまったく報道されない。いきなり「本物」扱いして、靖国参拝の是非やA級戦犯の分祀論を言う。第一、天皇を政争の道具にしないというのはこの国が学んだ大原則ではなかったか。A級戦犯についてもこれだけ報道されているが、絶対に(わざと)報道しないこともある。例えば、昭和28年に遺族援護法の改正のことがそうである。あの改正で、A級戦犯は(極東軍事裁判の判決は受諾するものの)国内では犯罪人とはみなさないというコンセンサスをとっているのである。これをテレビで言っているのを見たことがない。また、A級戦犯であった人物が釈放後、大臣になったり、国会議員になっていたりすることも言わない。多くの人はA級戦犯は全員処刑されているのだと思っているのではないか。嘘は言わなくても、意図を持って、出す情報をコントロールすれば、真実とは違うことを与えることができてしまうものだ。先の戦争で、「軍部が暴走して戦争が始まった」という意見が多い。確かにそうであったと思うが、暴走したのは軍部だけではない。国民も「米英討つべし」と、盛り上がっていたのである。そういう国民の声に抗えずに戦争へと流れていったという側面はあったと思う。そしてそのように国民を導いていったのは「マスコミ」である。テレビで「あの戦争を日本人自ら裁くことをまだしていない」と声高にいうキャスターがいた。もしそんな機会が訪れるのであれば、ぜひ被告席には「マスコミ」にもついてもらいたい。全然学んでないので「情状酌量」の余地はあまりないと思う。
July 22, 2006
これのつづき。思わず私は本堂へ上がってご住職のご祈祷を受けたくなり、受付まで走ってしまった。興味本位と言ったら叱られるかもしれないが、ご住職の温かい声の感じとか、お寺のすうっとした気の流れる気持ちのよさがすっかり気に入ってしまっていたから、何か「ご縁」みたいなものが欲しくなっていたのである。「そういう力」というのはただのきっかけに過ぎなかった。受付で住所や名前を書き、祈願内容を書き込む。先の方と同じように、勤行があってから、ご住職様のご祈祷となった。私の祈願内容と心身健全を祈って、秘仏であるご本尊様の前で、ご住職様に祈祷していただいた。お経を唱えられながら、ご自身の手や、何かに包まれた「お札」か何かで肩口から背中をさすっていただく。観音様がご本尊なので「念被観音力」という言葉も聞こえてくる。ご祈祷が終わったとき、ご住職が私に「大丈夫ですよ。・・・はね、・・・すればね、・・・ですから。」と仰ってくださった。 なるほど・・・ 帰りに、ふとお寺に置かれた色紙を見ると、のどかな絵が筆で描かれており、その絵には大きな「一円相」が書かれていた。通常、一円相は墨で書くのであるが、この色紙には朱で書かれていた。おおっ、これは進学塾SORAのシンボルマークと同じではないか!!何かこうご縁をいただいたような気がして嬉しくなった。寺社巡りが好きな人間はこういうことに喜びを感じるものなのである。それにしても塾から自転車でも行けるようなところにこんなところがあるなんて。祈願内容はもちろん秘密。
July 13, 2006
私はこのブログ上で、自分の教育手法は、最先端の教育学ではなく、禅や伝統芸能のメソッドを参考にしていると何度か書いてきた。それゆえに私は、昨日書いたように、「型」などという前時代的に聞こえる古めかしいものを殊更に重要視するのだと思う。さて、猫ギター先生が、野村萬斎の三歳の息子につける厳しい稽古がとても心地よい清涼感のあるものだったと書いておられる。それは何故か。私なりの分析をさせていただきたい。私は狂言の世界には、一子相伝で我が子を教育する「メソッド」があるからだとにらんでいる。私たち一般人には「息子に確実に何かを教え、伝えるメソッド」などない。誰もそんなことは教えてくれない。世に出ている家庭教育に関する教育書も、実はその多くは思いつきであったり、2、3の実例を基にした推論であったりすることが多い。しかし歌舞伎や狂言の伝統芸能の世界は違う。「家」を守るために失敗は許されない。確実に親が子に芸を伝えなければ家が滅ぶのである。きっと彼らは何百年かけて「親から子に技を伝えるメソッド」を磨き、代々伝えてきたにちがいない。野村萬斎が子どもに向ける表情は、父、二世野村万作がかつて自分に向けた表情であり、浴びせる厳しい言葉もまたそうなのであろう。一時の感情で吐き出されたものではなく、すべてが何百年培われ、研ぎ澄まされた手法なのである。だからどんなに厳しい表情であろうと、怒鳴り声であろうと、その年月を経た純度の高さゆえ、清涼感に満ちていたのではないだろうか。歌舞伎も狂言もそうやって芸を絶やすことなく、生き延びてきた。時代に流された思いつきの教育論とは純度がまったく違うのである。どちらを参考にするべきか、答えは明白であろう。野村家では「厳しいのは足袋を履いたときだけ」なのだそうである。こんなところにも万言の教育のヒントがある。私たちは聞こえてくる断片の情報から貪るようにヒントを得なければならない。 さて、そのような野村萬斎の息子、野村裕基君もやがて「反抗期」を迎えるときが来る。父は師であり、反抗することは許されない。その心の葛藤は非常に大きなものであろう。野村裕基が17歳になり、萬斎と親子で『三番叟』を披いたとき、練習では父の言うとおりに演じた裕基がお披露目の大一番で父の指導とは違う所作で見得を切る。客もマスコミも素晴らしい舞台だったとこぞって絶賛、しかし父だけが表情を曇らせる。舞台を降り、父は息子を呼び止める。「裕基!」振り返る息子。父の続く言葉をさえぎって静かに一言。「狂言でございますゆえ。」息子は踵を返し、スタスタと歩いていく。父ははっと気づき苦笑した。「芸事は『守破離』。私もまたそうであったわ。」 野村家の反抗期はこんなかもしれない。カッコよすぎる!※すみません。狂言の知識もないのに適当に書きました。クレーム等は受け付けません。よろしくお願いします。
July 10, 2006
今日は夏期講習会の説明会だ。塾というのは学校と違い、選ぶことも、自分の肌に合わなかったらやめることもできる。生徒にやめられたりしたらとても辛いが、生徒や親の視点に立ってみると、選ぶこともやめることもできるというのが学習塾の長所のひとつだと思っている。ただ、塾をやめるというのは、通う側にすれば様々なロスも生むので、塾側が生徒や親にしておくべきことは、自分たちの塾がどのような塾であるのかをできるだけ正確に伝えることだと思う。入塾してから、こんな塾だとは思っていなかった、というのはできるだけ避けられるようにしなければならない。地域が違えば、やり方も違うのだろうが、奈良の塾というのは保護者を集めての「入塾説明会」や「講習会説明会」というのを行うところが多い。その塾がどのような塾かを伝える方法は様々にあるが、地域の暗黙のルールに合わせるというのも大切なことだろう。チラシとHPとブログと説明会でおおよそ進学塾SORAがどのような塾かは分かってもらえると思っているのだけれど。あ、時間だ。説明会行ってきます。
July 2, 2006
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