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この度、みかみ先生や猫ギター先生と一緒に、楽天ブログを離れ、JUGEMの方へ『見上げれば青い空』を引越しすることにしました。移転先はこちらです。携帯からもとっても見やすいようで気に入っています。塾生のお母さまは携帯で見られる方が多いですので、QRコードってやつも載せておきます。今までリンクを貼ってくださいました方々、お読みくださいました方々、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
March 8, 2007
家内が通信販売で一着500円かそこらのジャージを3着ほど買い、家で掃除のとき、料理のときにと、それは有効活用している。私はそのジャージがあまりに安っぽいので、「いもジャー、いもジャー(=いもジャージ)」と冷やかしていた。いやもう本当に笑ってしまうほど、「いもジャージ」なのである(笑)今朝、家内が息子を幼稚園に送っていくときに、上着代わりに「いもジャー」の上を羽織って行った(色は紺に安っぽいオレンジのライン入り)。幼稚園で着くと、息子は前日に外食したものや、親に買ってもらったおもちゃのことなどをともだちや先生に報告するという悪い癖があるのだが、この日は幼稚園の先生に、 「おかあさん、いもジャー3つも持ってんねんでー!」 と大声で自慢しだしたらしい。先生は困惑してしながらも、 「そ、そう、よかったね、毎日選んで着れるね」 と作り笑いをして仰ってくださったそうである。先生ってプロだね。
March 7, 2007
奈良県の公立高校入試まであと一週間だ。ここらあたりが一番苦しい。生徒達はモチベーションの維持に一苦労するのである。「今更根を詰めて勉強しても・・・」そういう思いが巡る子も少なくない。本命の公立よりも難関の私学を併願で合格した子などは特に苦しいだろう。サボっているわけではないが、「全身全霊」というわけでもない。中途半端な自分の気持ちの状態との戦いだ。気持ちが完全燃焼しないならば、理性で自分をコントロールするしかない。残された時間で自分にやれることを考え抜き、淡々とやり続けるしかない。自分の気持ちと精一杯戦って、うんと成長し、合格をつかみ取って欲しい。
March 6, 2007
昨日、あるお母さんからお電話をいただいた。3年前にある幼稚園で講演をしたのだが、そのときの講演が印象的であったらしく、どうしても私に連絡をしたかったということである。私は勤めていた塾を退職していたので、幼稚園に連絡をし、私の連絡先をわざわざ確認して下さったそうである。わざわざそうしてまでしてご連絡をいただけるなんて感激であるし、とても驚いた。本当に驚いたのである。実は、私の「もう一つのやりたいこと」というのは、この幼稚園での講演がきっかけとなっている。この幼稚園での講演をきっかけに心に誓ったことなのである。そのことをブログで書こうとした矢先にこういう電話を頂いた。何かのメッセージとしか思えない。私は40を過ぎ、自分の人生に悔いを残さないために、自分のやりたいこと、そして人のために何がしかの役に立つことをやって生きていこうと心に誓った。もう一つの「やりたいこと」にはそういう私の想いが詰まっている。(つづく)
March 6, 2007
我が塾の定員残席数が全学年合わせても、10名を切った。どの学年もまんべんなく席が埋まっていった感じだ。このままいくと4月までに全学年ほぼ定員でスタートすることができそうである。これはとても有難いことだ。私はどうしても一年で塾を満席にしたかった。何としてでも一刻も早く、塾を経営的に軌道に乗せたかった。ぼちぼち何年かかけて、というのは考えられなかった。だからそのための努力をし、とにかくフル回転で頭を使い、「工夫」をした。まず、「経験」だけで戦ってはならぬと思い、本を買い、読み漁った。みかみ先生のブログなど、もう何度も読んだ。私のPCの「お気に入り」なんてみかみ先生にはとても恥ずかしくて見せられないくらいである。塾生獲得の最大のツールといえば、折込チラシであるが、そのチラシは自分自身の「思い」と「工夫」と「経験」を注ぎ込んだ。結果、冬期講習会などはチラシ1000枚につき、1件くらいの申し込みがあった。このご時世でこの数字は、非常に高いヒット率だと思う。次々とかかって来る電話に胸を撫で下ろした。塾生の親御さんも生徒を次々と紹介してくださった。だからウチの塾生は同じマンションや町内に何人も固まっていたりする。保護者の方々には心からお礼を申し上げたい。ところで、何故、私が一年で塾生を定員にすることにこだわったかというと、理由は二つある。一つは、自分自身の向上のための勉強時間と、生徒のことを考える時間を存分に取りたかったからである。そうできる環境を早く作り出すことが、「勝つこと」だと思っていた。「塾」の先生の仕事というのは意外に生徒以外のことにウエイトがかかっている。特に大手はそうだろう。その中でも「塾生獲得」のために「頭脳」と「時間」を割く割合はとても大きい。それに振り回されている塾も少なくはない。それなりに能力がある自分達が、どこの塾よりも、「自分の勉強のため」と、「生徒のこと」にたっぷり時間を割くことができれば、誰にも負けない。単純明快であるが、「最強」の戦法である。それこそが、自分自身の利益であり、生徒達の利益であると考えたのである。そして、私が一刻も早く塾を軌道に乗せたかったもう一つの理由、独立を考えたのは実はこのことがとても大きな理由になっている。私は学習塾の経営以外にどうしてもやりたいことがあったのである。(つづく)
March 5, 2007
冬眠から覚めた動物のように、今日はどこを走っても、ツーリングのバイクだらけだった。ああ、バイク乗りたい。
March 4, 2007
今日保護者の方からお手紙を頂いた。あることに関してのご丁寧な礼状であったのだが、このブログのことにも触れて下さっていて、応援メッセージを頂いた。こういうとき、私は「神様っているよなあ」と思ってしまう。実は、中3の公立受験や新入塾生への対応、中1中2の期末試験が重なり、ブログを書く時間が捻り出せない上、気持ちの方に余裕がないので、筆が進まず、ちょっとブルーになっていた。ブログなんてそう大層なものでもないのであるが、本人の気持ちの中では、このブログは「大切なもの」である。このように書くと、本人はとても深刻になっているように見えるかもしれないが、誤解のないように申し上げておくと、今日もコンビニへ行っては、「あ、今日は焼きソバを食べようかな。一平ちゃんにしよ。うふ」てなことを考えていたくらいなのでまったく大したことでない。少し「心のエネルギー」が減っていたのだろう。そんなときに、こういうエネルギーが湧いてくるようなお手紙を頂くととても嬉しい。ほんの小さなきっかけが大きなエネルギーを生む。最近はこういうとき必ず誰かが私にエネルギーを下さっているような気がする。それは時に生徒であったり、昔の教え子であったり、保護者の方であったりと様々だ。普段からたくさんの生徒や保護者の方にエネルギーを貰って仕事をしている。だから私も人にエネルギーを与えられる人間であらねばならない。私と話すだけで、その人が元気になり、前向きになれる、そんな人間になれるよう努力したいと思う。(道は険しいが) 私にいつも「エネルギー」を下さってる皆さん、本当にありがとうございます。神様ありがとうございます。
March 3, 2007
明日は息子の幼稚園の『生活発表会』がある。朝からちょっと見に行くことにした。園一丸となってその練習に励んでいたようである。息子は劇に出るらしい。息子の役は思いっきり「脇役」だ。彼の脇役っぷりを見せてもらおう。ところで、こういう会に行くと、そこここで保護者の方がビデオカメラを回しておられるが、私はどういうわけだか、そういうことにあんまり興味がない。カメラが趣味だった時期もあるのにもかかわらず、息子の写真はそんなに多くないし、動画にいたっては合計しても3分ほどしかない。自分でも不思議である。今、写真はほとんどがデジタルとなっていて、プリントせずに「データ」で保存されているものが多くなっているが、あれは「存在」しているとは言いがたい。あくまであれはただの「信号」なのである。色褪せたり、汚れたりして「時間の経過」が刻まれた「写真」と違って、まったく色褪せることのない「信号」は20年後に大人になった彼らにどういう受け止められ方をするのだろうか。そんなことが写真を撮らない理由かとも思ったが、やはり只のめんどくさがりのような気がしないでもない。さて、明日はどうしようかな。
March 2, 2007
新中1の英語の導入を今年はこんなふうに行っている。〇アルファベットの発音(フラッシュカード使用)〇フォニックスアルファベットの発音(A says, a, a, apple)〇単語発音(フラッシュカード使用:apple book car dog elephant finger gorilla house ink jam key lemon moon notebook ostrich pen question rabbit snake tea umbrella violin watermelon fox yellow zoo)〇上記単語にaをつけて発音(不可算名詞はそのまま。moonはtheをつけて)〇今度は複数形にして発音(不可算名詞はそのまま。moonはtheをつけて)以下略 「単数形」と「複数形」を英語を学習する初期段階から学ばせているのが特徴である。もちろん複数形のs、esの発音の種類を細かく説明したりすることはない。私の発音を正確にリピートさせるのみである。aをつけることと、複数形にすることは同時に学習するべきだと私は考えている。一般的な英語教育では単語を教えて、書き取りをやり、慣れたあたりで「文」を教える。そして、This is a pen.のところあたりで初めてa penを教える。この順番はよくない。「これはペンです。」と「a pen」はセットで教えることではない。このような一般的な英語導入は、「習得」のためのステップとしても、「言語」としての「出会い」としても不自然過ぎると思う。こういうものは「つづりの練習もあるから、先に単語だけ教えて慣れさせよう」なんて安直にするべきではないところであろう。目の前に本がある。ネイティブがこれは何?と訊かれたなら、a bookと浮かぶのであれば、そこから教えてみたい。異言語=異文化との「出会い」を、私はそこに集約してみたいのである。そしてその目的の一つは「確実な習得」でなければならない。単数形と複数形などというものを一度に教えると混乱をするという意見もあろうが、「混乱」こそは初期にきちんとさせておくべきもので、単純に分解し過ぎて、後で混乱すると収拾がつかなくなる。生徒に混乱させることを恐れてはいけないというのが私の主義である。(もちろん、その「混乱」は最後に収められなければならないのは言うまでもない)「結果」を大事にした上で、「美学」なんていうものにも重きを置きながら、これからもいい方法を執念深く見つけていきたい。
March 1, 2007
私のブログ登場回数ナンバー1の中2のユウタ(仮名)君の『テストまでに最低限やっておくべきことリスト』というのを写真で公開してみよう。項目が左から「教科」「やるべきこと」「達成する日」「達成した日」「達成できたのか?」となっている。日付が2/27からになっているので、これは最後の追い込み用に改めて作成した「リスト」だと思われる。「達成する日(予定)」と「達成した日(終了)」の後の、「達成できたのか?」が泣かせる。本当に身についたのかどうかを自問しているのである。勉強を「やった」ことではなく、「できるようになったか」が問題なのである。何度も書くが、ユウタ(仮名)は昨年の入塾時に定期試験で275点ほどしか取れない子だった。入塾して半年と少しでこういうことが出来る子になった。もちろんこれは彼が自主的に作成し、書き込んでいる「リスト」だ。強制したものではない。最後の「達成できたのか?」欄は彼のオリジナルである。私はいつもユウタ(仮名)のことを書くが、もちろんこういう変化はもちろん彼だけではない。ユウタ(仮名)のような意識が変わっていった子の様子を見て、「化学反応」を起こし、勉強し始めた子がそこここにいる。とても嬉しい。これぞ「集団授業」の塾の醍醐味だ。ユウタ(仮名)の『テストまでに最低限やっておくべきことリスト』があまりにもツボにきたので思わず書いてしまった。
February 28, 2007
私の息子は4歳で、テレビのヒーロー戦隊モノが大好きな年頃である。これを買うなら今しかない。これを買い与えて、喜び勇んでパッケージを開けたとき、息子が呆然として、目が点になるところを見てみたい。家内にきっと怒られるだろうと思うが・・・あと『自爆スイッチ』と『野望マップ』も欲しい。(それは私が)
February 28, 2007
中3の生徒が二人、特色選抜で合格して、受験が終了したので、昼に大神神社から久延彦神社へ早速お礼参りに行ってきた。2月も末ではあるが、上着は車に置いてセーター姿で鳥居をくぐる。大神神社から狭井神社、久延彦神社を回るとざっと30分くらいはかかるだろうか。天気がよくて気持ちがいい。受験が終了した子のお礼参りだけでなく、まだ受験が終わっていない生徒達の合格祈願も重ねて行う。森の空気は3月下旬から4月のそれの感じだ。もちろん自分自身のためにも祈る。日々暮らしていると、自分の心の中に「垢」のようなものが溜まっていく。ネガティブな感情を神様の前で「祓う」、そんなつもりで参拝をする。自身のことに関しては、願い事をするというより、そういう意味合いの方が強いかもしれない。私はあまり立派な人間ではないので、そうやって時折「禊」みたいなことをやっておかないといけないと思っている。もう一つ「神様」の前で私が行うことは「宣言」だ。自分のやらなければならないこと、やりたいことを「神様」の前で宣言する。「神前」は私にとって「アファーメーション」の場なのである。今、やらなければならないことをしっかり見つめ直し、「行動」し、「結果」を出していきたい。(そ、それにしてもブログを書く時間と心の余裕がない!)
February 27, 2007
今日は奈良県公立高校特色選抜入試の発表があった。6名受験して、2名合格。4名が不合格だった。合格した子はよくやったと思う。そしてまた不合格だった子も落ち込みはない。元々相当な高倍率、場所に慣れ、一般選抜で最高の結果を出すために積極的に受験をさせたのである。一般選抜入試へ向け、息を止めて猛ダッシュするのみだ。それにしても二人も合格してくれるとは。実力をしっかり持っている子達だったので、嬉しい誤算だと言ったら、その子達に失礼であるが、それくらいの高倍率の熾烈な戦いだったのである。電話の向こうの弾けた声が印象的だった。この調子で全員合格を狙うぜ。
February 26, 2007
各学年の定員が近くなってきたため、「チラシ」を折り込んでまで、募集をかけるのがよいのかどうか答えを出せぬまま、時間が過ぎている。もちろん、「チラシ」というのは目先の塾生を集めるためだけのものではない。世間に自塾の雰囲気や指導方針を伝えるためのものでもある。残席が少ないからという理由だけでチラシを入れないというのも正しい判断とは言えないだろう。私がチラシを作成するときに、一番気を配っているのは自分達の「思い」が込められているかどうかということである。「システム」や「カリキュラム」のことなどそっちのけであると言ってもいいくらい「思い」を語ることにウエイトを置いている。あれもこれも書くとインパクトが弱まる。一点集中作戦である。しかもチラシは「文字だらけ」である。これでもかというくらい文字ばっかりである。「カリキュラム」や「システム」のことはそっちのけと書いたが、「文字だらけ」の中に良質の「カリキュラム」や「システム」を構築できる「力量」があることは、読み手に感じさせたい。さて、塾のチラシにはよく「合格実績」なるものが掲載されていることが多い。「〇〇高校〇〇名合格!」なんていう文句が特にこの時期になるとチラシに踊っている。実は、この「合格実績」なるものを我が塾のチラシに掲載するかどうかということで私は悩んでいる。私立の入試は終わって、これからあらゆる塾がきっと自塾の「合格実績」をチラシに掲載してくることだと思う。我が塾のキャッチフレーズの一つは「奈良・畝傍・郡山高校を目指す塾」である。そう謳っているのであれば、世間様に実績は報告するべきだろうという考え方もある。まあ確かにそんなふうにも思う。しかし、奈良高校〇名、畝傍高校〇名なんてチラシに書き出すと、中には「あの塾は勉強できる子だけしか大切にしない」なんて言いだす人が絶対に出てくる。こちらが生徒全員を伸ばそうとどれだけ必死になっても、そういうことを言う人が出てくる。そうなるとこちらのモチベーションは激下がりだ。ぞっとしてしまう。また、逆に全く載せないと、「あの塾は偉そうに言っているくせに、ろくな実績も出せないので、チラシにも書けない」なんてどこかで言われることだろう。それはそれでむかっ腹が立つ。私は人間ができていないのである(笑)まあただ一つ言えるのは、生徒達の受験が終わっていないのに、私立の合格実績などをチラシに載せるのはしたくないなと思う。せめて載せるのであれば、全受験が終了してからか。馬鹿なことで悩んでいると言えば、そうなのであるが、自分達の塾の「軸」は決してブラしたくない。自分達の方針は、細部のあらゆるところにまで行き渡っていなければならない。「たかがチラシ」ではないのだ。(今、これを書いていて改めて思ったことであるが、「合格実績」というのは良いに越したことがないが、「合格実績しか売るものがない塾」というのは色んな意味でとても危うい。)
February 26, 2007
先日から人生勉強スタートの息子であった息子、元気がないときも多かったのだが、今日はご機嫌であった。朝から「仮面ライダー電王」と「ゲキレンジャー」を見て、お客さんに遊んで貰って、その後、美味しいものもいっぱい食べた。とても楽しそうだった。明日からのエネルギー充電できたかな。
February 25, 2007
中3の朝特訓に並行して、中1と中2の生徒も期末試験のための自習に来ている。もちろんユウタ(仮名)も朝の9時から来て勉強している。今彼らは昼飯を食っている。食事は自習生の大きな楽しみだ。中には食事が楽しみで自習に来ているヤツもいることだろう。さてユウタ(仮名)の昼飯のメニュー。焼きソバ(大盛)、おにぎり(鶏五目)、牛乳500ml若い!若すぎる。私も中学生のときにはこんな組み合わせで食っていたような気がする。牛乳500mlというのがいかにもという感じだ。昔、中学のとき、柔道部の一つ上の先輩が、身長が私に抜かされそうになったのを見て、「おい、kamiesu、お前、俺より身長デカなりつつあるやないか。今日からお前は牛乳禁止や。煮干なんかもっての外や。俺の身長越したら頭削んど(笑)」と練習後にふざけて言ってきたのを思い出す。そういうユウタ(仮名)はもうすぐ私の身長を越す勢いだ。足は絶対私より長い。「モリモリ食う」というのが、ぴったりの感じだ。こいつらを「焼肉食べ放題」にでも連れていったら気持ちいいだろうなと思う。一度連れて行ってやろう。お、能天気なブログを書いていたら気持ちが晴れてきたぞ。よし、今日も授業を頑張ろう。
February 24, 2007
季節外れの風邪やインフルエンザが校区の小中学校で大流行している。「学級閉鎖」となっているところも出ている状態だ。中3は公立受験直前、中1や中2も期末試験直前だ。原則「欠席禁止」の我が塾は、普段ほとんど欠席がないのであるが、ここ数日は何人もの欠席者が出ている。期末試験に向け、猛勉強をしていた中2の子が、インフルエンザにかかったとお母さまからご連絡をいただいたりするとめちゃめちゃ心が痛む。そんな子が何人か出ているのである。 しかしながら、中3の子がこの時期にインフルエンザにかかることを想像すると、その何倍もぞっとする。毎日神棚に手を合わせている。
February 23, 2007
最近「赤虎塾長」先生のブログを貪るように読ませていただいている。先生は最近ブログを始められたようであるが、いくつかの記事を読ませていただくだけも、先生の力量の高さがビンビン伝わってくる。先生の記事は記事の内容が観念的にならず、具体的で、「リアル」なのである。とても勉強になる。謙虚で、品のある文章を書かれるが、それがゆえ「凄み」を感じる。塾講師としての修業を真面目に積んでこられた方なのは絶対に間違いないと思う。一度、私のことを過分に評価していただいた記事を読ませていただいたが、先生は私より遙かに実力がおありだと思う。最近、私は先生のブログを読んで、自分自身を見つめ直す作業ができている。先生には心から感謝したい。
February 23, 2007
あれだけ幼稚園が好きだった息子が、最近行くのを渋るときがある。時折「行きたくないな」とまで言うことがあるらしい。私はそのセリフを聞いたことがないのだが、家内から聞かされた。どうやらちょっと「いじわる」なおともだちがいるらしい。もちろん子ども同士のことなのでそういう些細なトラブルやもめごとはあることだろう。そういう中で子どもたちは成長していく。見守っていくことが大切である。時世がら「いじめ」なんていう言葉に敏感になりすぎて、こういうことに親が介入していくことが多いが、そういうのは避けるべきだ。「介入」は避けるべきだが、事情を知っておくのは親の務めである。家内はそういう息子のことを先生に話し、先生からもお話を聞かせていただいた。ある場面で息子が逆に迷惑を他のお子さんにかけていることだってあるかもしれないのだ。そこでの先生からのお話で、自分の息子の意外な部分を知ることができた。こういう事柄があったからこそ、先生ともしっかりお話ができて分かったことであると言える。例えば、息子は外では「気を使う子」らしいのである。息子のことをマイペースな能天気な子と両親は思っていたので、とても驚いた。(特に私は)そう言えば、息子は母親に「嫌なこととか、困ったことがあったらお父さんやお母さんに言うねんで」と言われたときにこう言ったそうである。「でも、いったらおとうさんとおかあさんがかなしむから・・・」私は恥ずかしながらびっくり仰天した。息子は「仮面ライダー電王」を見ながら、「電王」になりきって襖にキックしている傍らでこんなことを考えていたのだ。私は今回のことを神様に感謝しなければならない。ただ単にこういう「事件」が息子の心の成長のために不可欠なことだからと言うだけでなく、私が親として息子の内面やその成長について深く知ることができたからである。成長していく中で「心の痛み」や「不条理なことに苦しむ」ことは絶対必要なことである。私は生徒に「人は苦しみの中からしか学べない」と言う言葉を言うが、それは大人でも、中学生でも、4歳の子どもでもそうなのだと思う。小さな小さな「心」が「痛み」や「苦しみ」と戦っている。それは息子にとっては辛いことだろうが、それは必要なことなのだ。親もまた「痛み」と戦うことで、親として成長しているのだろう。私は呑気な男親なので、多少こういうことに俯瞰して見ることができるが、家内はそうではない。私の何倍も苦しんでいるのだと思う。そして私達は学ぶ。息子を慕ってくれる年下の女の子が遊びに来てくれたその有り難さを想う。今朝、息子にアンパンマンのお手紙をくれた年長組の女の子の何気ない行動がとても嬉しい。(息子は女の子に人気があるのか(笑)?)別に息子は幼稚園を一日でも休んだわけでもなく、日々の生活の中で時折影を見せるだけなのであるので、大げさといえばそうである。しかし息子の成長のためには必要なことだと知りつつ、明るい光だけの世界に時折影が差すようになったのを見るのは辛いものだ。 自分が嫌な思いをしていることを一通り話した後、息子は母親にこう言ったそうである。 「はい、このはなしはこれでおわりな」
February 22, 2007
少し乱暴な論になってしまうが、勉強ができるようになるためには「勉強時間」を増やすだけでは足りないと私は思っている。何でもそうだが、「成果」を出すためには「熱」が必要なのだ。時折「熱」を持たぬまま、勉強時間だけを確保している子がいる。(つまり嫌々やっている子だ)残念ながら、それでは「成果」は出ない。「熱」は心の中に小さな火が灯されてないと発生しない。「頭の中がそのことで常にいっぱい」でないと「熱」は維持できない。 生徒が勉強に「熱」を持っているかどうかを確かめる簡単な方法がある。 その子が「勉強」についての話題を多く出すかどうかを見るのである。 頭の中が勉強で常にいっぱいな子は勉強の話題がしょっちゅう出てくる。「勉強」の熱を灯している子は、先生との会話でも、家庭での会話でも、「勉強」のことが出てくる。「あとこんだけやらないといけないのに、まだここまでしか進んでない」「証明のところであと一歩言葉足らずになってしまう」「今日は後3時間くらいやれるかなあ」 頭の中にあることは「言葉」となって浮き出てくることが多い。だから「勉強のことで頭がいっぱい」の子は勉強の話が多くなるのである。 ただ問題はどうすれば「熱」を持つことができるのかということである。これは難しい。なかなか狙い済まして生徒に「熱」を持たせることはできない。確実にそれを持たせることができる先生がいたら、その先生の弟子になりたいくらいである。唯一つ思うのは、頭の中のことが言葉になりやすいのであれば、逆のルートを辿ることは一つの方法だと思う。つまり、「勉強の話題」をできるだけ口にさせるのである。言葉は人に大きな影響を及ぼす。「勉強をやる子のグループ」の中にたまたまいると、勉強をあまりしない子も、影響を受けて何となく勉強をやり出すというのはよくあることだ。そのグループの中にいると、勉強の話題が出ることが多いのだろう。 こういうことをもう少し有効に活用できないかなと思うことがよくあるのだが、実践方法までにはいたっていない。
February 21, 2007
今、ようやく中2の女子達が職員室から出て行った(笑)職員室で私に英語の音読の発音を聞いてもらおうとしたようなのであるが、ふとしたきっかけで脱線。猛烈なおしゃべりが始まった。どうやら先生達とおしゃべりがしたくてしたくてたまらなかったようだ。「先生何歳?」「先生身長どれくらい?」「結婚して何年?」「先生が教科書読んでみて」子どもみたいな質問が続く。しまいに自分達だけでしゃべりだして、勝手に大笑い。あまりのその弾け方が可笑しくて、笑いがこみ上げてきてしょうがなかった。あ~面白かった。
February 20, 2007
保護者の方の転勤で入塾できなくなった子が出たため、定員となり、募集を締め切っていた新中1を若干名募集することにしました。募集は1~2名です。詳細はお電話でお問い合わせください。よろしくお願いいたします。
February 20, 2007
先のブログにコメントありがとうございました。朝から縄跳びの行方で兄弟喧嘩がはじまった。日常茶飯の光景だったのに、ささいなことから今日はわたしも加わって親子ゲンカに発展・・朝は笑顔でいってらっしゃい!の教訓もどこへやら(>_<)弟よりまさに暴君と化した(?)母への怒りで泣きながらうちをでた兄の後ろ姿を見送った。たぶん(いや絶対!)おそろしい形相の母だったはず・・ で、このブログをよませてもらって、なんだか涙がとまらないのはなぜでしょう・・あーあ、なんであんなことぐらいで怒り飛ばしたんだろう・・(タメイキ)今日はゲンキにかえってきてくれるかなぁ?かえってきたらごめんねって言えるかなぁ・・・はぁっ(タメイキ) 言いすぎた母の独り言でした私もですね、実は昨日、マクドナルドで息子がハンバーガーの袋を開けて一秒で床へ落としてしまったのを見て、イライラしてしまいました。私は子どもが歩く先を石ころをよけて回るような子育ては主義ではありませんので、基本的には放ったらかしております。ですから、時にはハンバーガーを手に持ち損ねて落とすくらいのことはあるのですけれど、人間ができておりませんのでイライラしてしまいました。仕事で生徒と向き合ってそのようなことではイライラしません。イライラしているように見せることはありますが。自分の子どもと向き合うのは生徒を指導するようにはいきません。黙ってハンバーガーを拾い、ゴミ箱へ捨て、床に着いたケチャップを拭き取り、手を洗って、不機嫌そうに私は自分のビッグマックを食べ始めました。たかだかハンバーガーなんて100円ちょっとですが、自分のミスで美味しいものが食べられないという「痛い目」は必要だと思いますので、イライラ半分、教育半分でポテトフライとジュースだけを飲ませました。けなげにポテトフライとジュースだけ飲んでいる息子。ストローをくわえてジュースを飲んでいる息子のうなじあたりが目に入ってきますと、さすがにちょっと不憫な気がしてきました。でも、ハンバーガーを買ってやると、「学び」にはならないような気がします。買ってしまうと、子育ての軸がブレるような気もします。ですから、私は自分のを分けることにしました。「食べるか」と言って、私が自分が食べているビッグマックを息子の口の前に差し出すと、息子はうんと言ってパクッとかぶりつきました。夕暮れ時のマクドナルドで、一個のハンバーガーを分けている親子。悲しいような温かいような切ないような不思議な感覚でした。息子は私のビッグマックを3口ほどかぶりつきましたでしょうか。4歳の息子にはビッグマックはかぶりつくのが難しいですので、私の手や息子の口まわりはベタベタになりました。食べ終わって一緒に手を洗い、息子の口まわりを拭いてやり、店を出ました。息子のトレーナーはハンバーガーを落としたときにケチャップで汚れてしまいましたので、「家に帰ったら、お母さんに汚してごめんね、って言おうね」と言い、車で帰宅しました。息子は家に帰ると、母親に一目散にごめんねと言っていました。 子育てをしておりますと、「自己嫌悪」をすることは多いですね。でも親子はいいですね。小さなことはすぐに修復できますから。(親子であることに甘えて、小さな修復を放っておくと大変なことになってしまいますが。)お母さま、今日は子どもさんが帰ってこられたら、「ごめんね」と言ってあげてくださいね。でも、できればでいいと思いますよ。無理にでなくてもいいと思います。それよりも、お母様自身がご自身のことを許してあげてくださいね。「朝から恐ろしい形相で子どもを怒り飛ばした自分」を許してくださいね。「朝から子どもを怖い顔で怒り飛ばした自分を許します」って心の中で言ってください。そして今日は子どもさんに「おやつ」をちょっと奮発してあげてくださいね(笑)さしでがましいことを言ってすみません。私自身が昨日のマクドナルドでの自分を許したくて書いてしまいました。そういうことがあっても、やっぱり私にとって昨日は幸せな一日だったのですが、昨日がもっといい一日になったような気がします。感謝いたします。ありがとうございました。
February 19, 2007
仕事で子どもにかまってやれない罪滅ぼしでトイザラズで何かおもちゃを買ってやろうと、出かけてみた。日曜日の一番混んでそうな時間にトイザラズに行くのは初めてだ。放送が始まったばかりの「仮面ライダー電王」のベルトはもうすでに売り切れだ。何せ「電王」は面白い。息子も一気に大ハマリだ。ちなみに今日から放送が始まった「ゲキレンジャー」の変身グッズはまだいっぱい売っている。来々週あたりには売り切れていそうだ。ウルトラマンの人形コーナーの前で息子が物色していると、何人もの子どもがウルトラマンを話題に話しかけてくる。すぐに仲良くなっていた。子どもというのはよいものだ。帰りにはマクドナルドに二人で行って、「ハッピーセット」。ドラゴンボールのカードが欲しかったのだそうだ。そして家に帰って一緒に風呂。私は結婚して9年子どもがいなかったので、いまだに何かこう普通の父親の典型的なことをやっていると不思議な感覚になることがある。何を寝ぼけたことを、と思われるかもしれないが、一旦子どものいない人生を設定した後の「授かりもの」だったので、ちょっと違った感覚で子育てをしているのかもしれない。全然うまく言えないのだけれど。何とはない「一日」はけっこう幸せだった。神様に感謝だ。
February 18, 2007
ユウタ(仮名)は相変わらず勉強し続けている。今日も朝から来て、まだ自習室にいる。ちなみに彼は受験生ではなく、中2だ。先ほどトイレに行くとユウタ(仮名)が小用を足していた。見ると、何だか変な格好でしている。やたらと足を広げながら用を足しているのだ。「ユウタ(仮名)、お前何でそんな変な格好でしてんの?」と訊くと、彼は「いや、僕、腰が高いんで・・・」と言う。 (-_-;) 「足が長いんで」と言わなかったので勘弁してやることにした。最近の若者は確かに足が長い。何だか切ない気持ちになった。
February 17, 2007
「授業」に関してあれやこれや考えてみると、「授業」というのは実に色々なもので構成されている。「教える」が授業の大部分と考えている若い先生は多いのであるが、実は「教える」部分以外のものがとても多い。特にその中でも一番多いのは「指示する」であると思う。授業中には数多くの指示が出る。「テキストの56ページを開けなさい」「その『副詞』というところにマーカーを入れなさい。」「ノートを見開きで使用します。何も書いていない見開き2ページのところを出しなさい」「この問題間違えた人、手を上げなさい」といった「指示」が限りなく出ているのである。「授業についていけない」という言葉を生徒が発することがあるが、「教えられる」内容についていけないのではなく、授業中の数々の指示についていっていないことも非常に多い。小5くらいの生徒では「指示」を受け取る能力に相当の差がある。正直、小学生で勉強が出来なくなる子は「指示」についていけない子なのである。中学生になっても「指示」を聞けない子は少なくない。ワンテンポ遅れて周りをキョロキョロ見ている子は大抵指示が聞けていない子だ。難しい内容を分かりやすく教える技術も大切であるが、教室の生徒全員を伸ばすというのであれば、「指示」を確実に伝達する技術を磨くべきだ。「指示」の原則は、複数の指示を一度に出さないことだ。つまり「一つの行動」しか一回の「指示」で出してはならない。「ノート見開き2ページ開けて、左上に日付を書きなさい」はダメだ。指示が二つ出てしまっている。教室の中には混乱する子が出てくる。「ノート見開き2ページ開けなさい。できたら『できました』って言いなさい。(少し待つ)はい、そしたらノートの左上に日付を書きなさい。」というように指示をテンポよく、区切って一つずつに分けなければならない。しかしながら、それでも上記の指示ではまだ甘いのである。鍛えられた生徒ならこれでOKだが、小学生の、しかも慣れていないクラスでは、これだと混乱する子が出てくる。どこで混乱するかというと、「ノートの左上に」という部分で混乱する子がいるのである。大人なら当たり前に、見開きの左のページの左上に日付を書くのであるが、生徒の中には、右のページか左のページかで悩む子が出てくる。(もちろん小学生の場合)もう一つ混乱のポイントがある。「日付を書きなさい」という部分だ。この指示では「日付」を書けない子が出てくるのである。「今日の日付」が分かっていないからだ。そういう子が隣の子に「今日何日?」なんて聞きだすと教室の空気が緩む。だから「今日の日付、『2月17日』と書きなさい。」と言わなければならないだろう。いいかげんな指示を出しておいて、それで教室が混乱するとイライラして生徒を叱っている先生を見ることがあるが、それは先生の方の修行不足の問題である。よい指示を授業中に出していると、生徒は安心し、集中して授業を聞くことができる。先生がそういうことに気を配り続けていると、勘が研ぎ澄まされ、「教え方」もよくなり、シンプルでよい説明ができるようになる。ギャグや雑談なしでも、あの先生の授業は楽しいと言って貰えるようになる。中には「こんなに易しくしてしまったら、生徒の聴く力が育たない」という考え方の先生もおられる。「わざと不親切にする鍛え方」が存在するのは、私にも理解できるし、そういうことを私も実はよくやっている。しかし「わざと不親切にする鍛え方」を主張する先生が、その気になればこのような細やかな「指示」の出し方もできるというのであれば、立派だと思うが、「できない」のであれば、そんな先生を私は指示しない支持しない。ただの修行をサボっためんどくさがりの先生だと思うからだ。
February 17, 2007
2月11日に京都へ行って、十字屋で見たマーチンのOOO-18Golden Era。試奏させてもらったのであるが、素晴らしい音だった。「四月になれば彼女は」という曲のイントロを弾いてみる。小さなボディからおっと驚くようなボリュームの音。なんと言っても、音の方向性が昔のサイモンとガーファンクルの曲のギターの音と同じ音なのである。「ミセスロビンソン」のリードの部分を弦をはじいて弾いてみる。そのままの音であった。眩暈がした(笑)マーチンのGolden Eraシリーズというのは戦前の材や設計等のスペックをそのまま踏襲していて、レギュラー品とは一味も二味も違うのである。一見して、仕上げが美しく、材が良いのが分かる。もちろん音もいい。このギターサイドとバックの材にマホガニーという木を使用している。私はローズウッドという木の方が好きだったのであるが、最近このマホガニーの音がいいと思っている。通な人はマホガニーのことを「マホ」なんて言ったりする。ギター道楽は果てしがない。我が家にはギターが・・・・7本で、塾に1本。家内はウッドベースを弾くので我が家の玄関にはウッドベースがある。ただでさえ、楽器だらけだ。あ、そうだそろそろ息子にも音楽やらさなきゃ。 とりとめもないけれど、今ギターが欲しいなあというお話でした。モノというのは手に入れるまでが幸せなのかも知れないですね。
February 16, 2007
B・Y・ロカビリー先生のこのブログ、私がブログを始めたときとまったく同じ「気持ち」が語られている。とても嬉しい。私もまったく同じだった。私は、ブログを書き始めてしばらくして、猫ギター先生のブログをに出会い、雷に打たれたようなショックを受け、そして楽天の塾ブログの個性に惹かれ、ライブドアから引っ越してきた。「一匹狼の凄み恐るべし!」これが私の最初の印象であった。何度も書いているのだけれど、私はこの楽天の塾ブログを「サロン」のような場所と捉えている。「サロン」で行われている話は、基本的に自分が興味を持った話、面白かった話である。それに耳を傾け、各自が自分の知識や教養として取り込んでいくのである。自分が「サロン」に参加するには自分も面白い話や他人が耳を傾けてくれる話をしなければならない。つまり「もらいっぱなし」はちょっとマナーがよくないというわけである。私も「サロン」の一員になりたくて、一所懸命ブログを書いた。もちろん今もそうだ。猫ギター先生の記事や、みかみ先生の記事は私をワクワクさせてくれた。私がブログを書き始めたころ、私は大手塾の雇われ講師であったが、今では独立して自分で塾をやっている。独立するときのアイデアや「覚悟」はこのブログ界から戴いたものが本当に多いと実感している。だから私にとってこの「塾ブログ界」をとても大切なものなのである。人というのは寂しい生き物なのか、それとも私が特に顕著なのか、自分の意見に同意してもらったり、自分と同じ考えを記事にされているのを目にするととても嬉しくなる。特にB・Y・ロカビリー先生のように大胆に直球を投げることのできる豪気な人物にそう仰っていただくと、光栄至極だ。私はこのブログを自分自身のために書いている。自分が成長したいから書いている。しかし自分が書くことでちょっぴりでも他の人の役に立てればいいとも思っている。なおかつそこから交流が生まれ、切磋琢磨できるような機会があったら最高だと思う。先生のブログを読ませていただき、自分の「スタート」を再確認できました。ありがとうございます。ちなみに私もフザケタ記事が書きたいと思っていますが、猫ギター先生のようにはいかず苦労しております(笑)
February 16, 2007
新中1の英語の授業ではアルファベットの発音とフォニックスの指導、単語の練習を行っている。「フラッシュカード」を繰りながらアルファベットの発音をさせる。どうせ英語を習うのであれば、発音はきれいにできた方が楽しい。だから結構ここに時間をかけている。「P」音に「h」音を混ぜたり、二重母音をしっかり発音させるなど、なかなかの徹底指導であると思う。昨日の授業とその前の授業ではアルファベットの発音テストを行った。厳しく採点したつもりであるが、ABCD評価で全員がA評価だった。重ねて言うが、私のジャッジが辛いのであるが、それでも皆がAだ。真面目に取り組んでいるのがよく分かる。何より発音しているときの顔が皆真剣そのものだ。誰かが発音しているとき、おしゃべりをする子なんてもちろんいない。傾聴したり、発音している子に合わせて自分も口を動かし、練習していたりするのである。新中1の生徒達はこのように皆が真面目なのである。「勉強をしっかりやらなきゃ」というオーラでいっぱいの教室になっている。四分の三が女子であるというのも理由の一つだろうが、やんちゃそうな男子も教室の空気に馴染んで真面目になっている。教室というのはたくさんの生徒で構成されているのだが、全体で一つの生き物みたいになってしまう。クラスのキャラクターみたいなものが必ず生まれるのである。あたかも生徒達一人ひとりがLANで結ばれ、互いに影響し合う。ダレたクラスに真面目な子が入ると、その子もダレてしまうか、あるいはそのクラスにいることを拒否して出て行ってしまうかのどちらかであるし、ダレた子が逆に真面目なクラスに入ると、段々真面目になっていくか、あるいは同じように拒否して出て行ってしまうことになる。だから、指導者のやるべきことは、教室をよい状態に保ち、少々ダレた子でもよい方へ動かし馴染ませてやることであろうと思う。以前にも書いたが、私はこれを「教室の教育力」と呼んでいて、重要視している。「教室の教育力」をよい方向へ作用させることは、教室をコントロールする指導者の最も重要な仕事なのである。誤解を恐れず、少々乱暴に言えば、よい「教室の教育力」さえあれば、指導者が何にもしなくても、授業すらすることなく、生徒の学力を伸ばすことだってできると思っている。生徒達が勉強していく「場作り」はとても大切なのである。我が塾の新中1のクラスはとても短期間でそういうよい「場作り」ができつつある。もちろん油断はできないけれども、大事に育てていきたい。
February 16, 2007
新中1に『基礎学力調査テスト(仮称)』を行う予定だ。中学入学直前に国語と算数の学力調査テストを行い、個々の生徒の学力を詳細にチェックする。点数だけで把握するのではなく、単元や項目を細分化し、それぞれの力を詳細にチェックしていく。例えば国語であれば、読解力、表現力、文法力、語彙力、漢字の力などに項目を分け、それぞれの項目の力をチェックする。できたら「視写」なんかもいれたい。詳細なテストになるので、一教科一時間以上はかかるだろう。長くなりすぎるようなら、テストを二つに分けてもいい。例えば漢字の出題ならば、小学校の各学年で学習したものをそれぞれ10個ずつくらいは出題したい。つまり、漢字だけで60個の出題がされることになる。試験結果を見ると、どの学年での勉強がうまくいっていなかったかなんてこともチェックできるようにしたい。細かく細かくチェックして、ただ単に「算数」が苦手というのではなく、「算数のどの単元のどんなところ」が苦手なのか、まで確認したいのである。さらに、このテストは答案までもをコピーし、保存する予定だ。もちろん毎年行っていく。そうすれば、個々の学力を測るだけでなく、これらのデータを蓄積し、「暦年比較」や入塾してくる塾生の学力の変化を確認するのにも使用できるようになる。塾にとって「データ」は財産である。5年後の財産作りを着々と行っていきたい。ノンストップで塾を進化させるためにも、緻密なデータを構築していきたいと思う。
February 15, 2007
「中学生の勉強は難しい」と大人に脅かされることは多いと思う。確かに教科によって教わる先生は違うし、「中間試験」や「期末試験」だなんて耳慣れない言葉も聞かされることがあるだろう。断片的な情報が、何やら得体の知れない「怖さ」を君たちに与えているかもしれない。でもまったく心配することはない。中学でもしっかり勉強ができるようになるためには、ある「単純なこと」をしっかりやればいいのである。これは『必殺の方法』である。 その『必殺の方法』というのは『ただひたすら反復すること』である。 中学生の勉強が難しいといわれるのは習う内容が難しいのではなくて、その大部分が今までに習ったことが前提になって教わることが多いからである。つまり「前に習ったこと」が分かっていないと、次に習うことが分かりにくいのである。ゆえに「反復」して、しっかり一度頭の中に学習したことを叩き込んでおくことが必要なのである。もう一つ。中学になると、教科書に書いてある事柄がやたら難しいような気がする。それは小学生の教科書と違い、「語彙」のレベルが上がっているからだ。簡単に言うと、使う言葉や言い回しが難しくなっているのである。だから教科書を一回読んでも何が何だかわからないというときも出てくる。中には難しいやと言って、投げ出す子もいる。しかしこれは「慣れ」の問題だ。慣れれば解決する。「慣れる」ために、何度も何度も教科書を読む。そうするとだんだんと理解できるようになってくるものだ。「反復」していると、脳の中に新しくその分野の「回路」が作られて、理解がしやすいようになるのである。多くの子は、魔法みたいにスラスラスラっと「分かりたい」と思っている。だから塾へ行って、分かりやすく噛み砕いて説明してもらいたいと考える。しかしすべてのことにおいてそれをしてもらうわけにはいかない。だから自分で理解できるようになった方が絶対にいいのだ。誰よりも早くそうした考えを持って、「反復」することの大切さを知り、行動すれば、周りの子に先んじて成長することができる。君たちが部活動を始めたって最初は「反復」ばかりのはずだ。毎日毎日放課後になると君たちはラケットやバットを振り続けていることだろう。「反復」は「分かる」ためのものではなくて、「身につける」ためのものだ。君たちの体の「血」や「肉」となり、君たちのさらなる成長を引き出すものだ。「反復」を侮るな。中1の間はこれさえできれば大抵のことはできるようになる。頑張れ。(これで安心だね?)
February 15, 2007
奈良県私立も県外私立も中3全員合格だ。やったぜ。うれしいぜ。この勢いで公立も全員合格を目指したい。
February 14, 2007
みかみ先生のこのブログを読んで笑ってしまった。こういうことをスラっと書いてしまうみかみ先生は凄いなあと思ってしまう。人間が大物でなければこういうことは書けないのである。私には書けない。小物なのである。ところで、先生のこのブログを読んでいて思ったのであるが、子どもの性質というのはその年齢によって少しずつ変化をしている。私がこの国の独裁者だったなら、現行の6・3・3制をあっさり変更するだろう。とてつもない飛躍の仕方をして恐縮であるが、私は日ごろから子どもの成長の過程に現行の学制がマッチしていないように思っているのである。私が独裁者なら有無を言わさず、こう変える。今の小1を幼稚園最高学年にする。幼稚園は3年保育、現行学年で言えば、「年中、年長、小1」。年中から少しずつ文字を教える。国家の予算をつぎ込んで幼稚園教育を充実させる。別に詰め込み教育を施すわけではなくても、日本の教育水準はぐっと変わると思う。小学校前半は現在の「小2~小4」、後半は「小5~中1」。小学校を二段階に分けるのである。よく考えてみると無条件に同じ場所に6年間もいて教育を受けるというのは変なことのような気がする。3年くらいに分けて、学校に責任を持たせて教育するべきではないかと思うのである。中学校は現行の「中2~高1」。そして高校は「高2、高3」とする。まず中1を小学校に組み込んだのは、不安定な12歳をいきなり中学生の一番下の学年にするよりも、小学校後半の最上級生にした方がよいという判断である。英語の学習は小学校後半から始めるのである。高校を二年にしているのは大学受験まで間髪置かず学問を進めさせるためである。中卒で社会に出る子も15歳ではなく、16歳になってからの方が精神面の成長も大きいと思われる。15歳と16歳はぐっと変わるところである。突っ込みどころが満載なのは百も承知である。突っ込まないでいただきたい。自分でも突っ込みどころが山ほどある。私が言いたいのは、教育改革を考えるならば、これくらいのスケールで教育を再構築するべきではないかというお話である。
February 14, 2007
お預かりした子全員を伸ばすことを目標に指導を行っている。生徒全員を伸ばすことが塾としての究極の「品質管理」のような気もする。教室が綺麗なことも大切だし、集中できる自習室の運営も大切ではあるが、行き着く先は生徒一人ひとりが間違いなく『学力を伸ばす』ことができるかどうかであると思う。単純にして明快な「目標」であるが、これが難しい。なかなか口にはしにくい「目標」だ。ちなみに、Googleで「難関校突破」と検索するのと、「全員を伸ばす」というのを検索してみると、圧倒的に前者の方が検索結果が多い。「難関校突破」が120000件で、「全員を伸ばす」が1030件だ。「全員を伸ばす」はコピーとして客を呼べないのか、実現するのが難しいからか、とにかくWeb上で、「全員を伸ばす」と記す人自体があまり多くない。それでも我が塾では『全員を伸ばす』にこだわりたい。『全員を伸ばす』というゴールはたまたま辿りつけるものではない。最初からそのことを狙い済まし、塾全体のシステムや教育理念や指導法を考えていないとできない。「一生懸命先生が頑張って指導しています」では到底成し得るものではない。一番大切なのは「全員を伸ばす」という「覚悟」があるかどうかなのだと思う。「覚悟」を持って日々の仕事に臨みたい。
February 14, 2007
今日、自転車で通う塾生が、塾の前の道で自転車に乗る学生と衝突し、怪我をした。自転車同士とはいえ、救急車を呼ぶほどの事故だったのである。学生はかなりのスピードで走っていたようで、女の子の自転車の前輪はぐにゃりと曲がっていた。私たちは、事故の様子を見ていた別の生徒のお母様が職員室に駆け込んで、教えてくださったので事故のことを知ることができた。「事故」という言葉で、心臓がいきなりバクバクした。その後の数分間の記憶があいまいなくらいだ。生徒は倒れている。Hori先生は救急車を呼びに走り、Aki先生は倒れた生徒に一所懸命声をかけていた。近所の方も出てこられ、辺りは騒然となっていた。相手の学生は倒れたまま鼻血を出していて意識がない。2メートルは吹っ飛んでいる。どれだけスピードを出していたのだろうと思う。学生は数分で意識が戻り、鼻血をおさえていた。生徒の様子を気にしていたようだ。生徒とその学生が救急車で運ばれた後、授業を開始したのであるが、改めて交通安全について生徒に話した。 授業終了後、お母様が、本人をつれて病院の帰りに来てくださった。本人は穏やかな表情をしていて、たいしたことない怪我とは言えないが、なんとか安心できる状態ではあった。胸を撫で下ろす。今日の新小6と中1の授業は5時からだったのであるが、事故に遭った生徒の保護、救急隊員及び警察への状況説明等、事故の対応のため、20分程「自習時間」となった。事故の報告と、授業が一部自習時間となったことの報告とお詫びの文書を急遽作成し、生徒に配布した。今日は塾を始めてから一番の緊急事態だった日と言えるだろう。生徒達がもっともっと安全に注意を払えるようにしっかり話をし続けようと心に誓った。
February 13, 2007
中1のKが変わった。人が変わったように勉強するようになった。最初のきっかけは私にこっぴどく、厳しく叱られたからであるが、そのうち目つきまで変わってしっかりしてきた。授業中、口を半開きぎみで、とろんとした目をして、緩慢な動きをしていたのが嘘のようである。今度の期末試験ではきっと結果を出すと思う。それくらいの激変ぶりだ。人が成長するときには、必ず「ショック」が必要だと思う。Kの場合は「叱られたこと」が「ショック」の役割を果たしたのであるが、叱ったからといってそれが必ず「ショック」になるわけではない。「タイミング」というのがあって、機が熟していないとびくとも動かなかったりするものだ。よい先生というのは魔法使いのように生徒を動かすのではなく、こういう「タイミング」を見逃さないのだろうと思う。「見逃さない先生」になりたいものだ。
February 12, 2007
今日、外出から帰ってきたら、息子が紙を渡しにきた。「手紙」を私に書いたという。生まれて初めて息子から手紙を貰った。どうせ絵でも描いてあるのだろうと思ってみたら、きちんと文字が書いてあった。「かしこくしてたらしいるおはて(あと意味不明)」「(訳)賢くしてたらシールを貼って・・・」これは記念に一生残しておこう。記念すべき日だ。
February 11, 2007
ユウタ(仮名)は年が明けてから、塾が閉まっている日以外は一日も休まず塾に来て勉強している。やる気満々である。しかし彼は一昨日宿題を忘れてきた。「やる気」が満々であるということと、その「やる気」のエネルギーを正しく運用し、無駄なく使うのはまた別のことだ。その部分に関しては一朝一夕にはいかない。だからこそ力を伸ばすには時間がかかるのである。学力は勉強時間の総量で決まるのではなく、「自己変革」の度合いで決まるような気がする。もちろんユウタ(仮名)は、少しずつ彼は成長している。「自己改革」も着々と進んでいる。時間が来たら一人で黙々と食事を取り、またコツコツと勉強を始める。見ていてこちらの気持ちが静かに熱くなる。そんな勉強の様子だ。昨日彼はコンビニのくじで当たったのだと食パン一斤を私たちに差し入れしてくれた。あれは気遣いだったのだろうか(笑)
February 11, 2007
新中1の英語の授業。アルファベットの発音のときに様々な練習方法を採り入れている。まず一つ目は「一息発音法」。日本人がアルファベットを発音すると、一文字ずつ息を区切って発音する傾向にある。「えい・びー・すぃー・でぃー・いー」というようにである。英語の発音は、息を区切らないで発音するので、アルファベットの発音をするときも息を区切らせない練習をさせる。一番分かりやすいのは「でぃーいー」の部分だろう。ここを生徒は大抵「でぃー・いー」というようにDとEの間で一瞬息を区切る。それをさせずに「でぃーいー」と言わせるのである。「いー」の部分は「区切る」のではなく、改めて声を出させるのである(ここは説明が難しいな)もう一つは「アップダウンアルファベット」。英語の方が日本語より音声の高低がかなり広い。日本語は比較的音声がフラットであるが、英語は高い音から低い音までリズミカルに動く。そんな感じをつかませるためにアルファベットを一文字ずつ交互に高く発音させ、低く発音させるのである。低い音はできるだけ低く、低く下げきって最後だけ少し上げる。半疑問形のような発音に近いといえば分かっていただけるだろうか。高い方の音は素っ頓狂に裏声近くまで音を高くする。この練習を行うと明らかにアルファベットや挨拶の短文などの発音がよくなる。「発音」だけではなくて、リズムと音の高低を真似ようとするようになるからである。やはり人間はあらかじめ「脳」にある「情報」しか認識できないのである。「あれども見えず(聞こえず)」である。あと教える側の工夫は、表情豊かにするということだろうか。眉毛を動かさせて発音をさせると、声の張りがよくなる。「英語の発音」をきれいにさせておくと、英語が好きになる。放っておいても勉強し出す子も多い。そういった意味でも、ここはとても大切なところである。中3の三倍くらい疲れる授業にはなるが。
February 10, 2007
昨日で、京阪神の入試が終わり、生徒達は今、公立入試に完全にターゲットを合わせた勉強をし始めている。今日は昼から塾に来て、時間を計り、問題を解いている。私立の問題に比べれば知識としての難度は低いものの、記述が多くなり、一概に難易度が低いとも言えない。時間配分も結構大変だ。何より、私立入試が終わり、合否も出て、公立入試に対して気持ちを切り替えるのがととても難しい。大きな山を越えた後の気持ちの立て直しは大人が思う以上に難しいのである。だから昨日の私立入試の後、間髪置かずに今日試験を行った。私立は0点スタートで何点もぎ取るかの勝負で、公立は満点スタートでいかにミスを少なくするかの勝負と考えるのがイメージしやすい。いかに公立の問題が取り組みやすいとはいえ、取らなければならない点数のレンジが違う。短期間の意識改革が必要で、それは指導する側が「効果的」な言葉がかけられるかどうかにもかかっていると思う。今日と次回の授業はとても大切だ。
February 10, 2007
今日は京阪神の私立高校入試の日。朝早く起きて生徒達の激励に行った。どこの学校でも目にする「塾の先生の入試応援」というヤツである。この入試応援、塾の先生の美学や哲学によって、賛否両論、様々な意見がおありだろう。あんな応援行っても仕方がないという意見もあれば、行くべきではないという意見もあろう。絶対行くべきだという思想もあれば、行きたくないという発想の方もおられることだろう。ちなみに私はできることなら行ってあげたいと思う派である。それぞれの先生がご自身の心に沿って行動されるのがよいと思うのであるが、一旦行くのであれば、精一杯の言葉や表情を用意し、子どもに最後の励ましをしてあげてほしいと思う。今日私はさる高校の入試会場前で、自分の塾の生徒達を待っていた。恐らく昨年のブログにも書いたと記憶しているが、私は入試会場で生徒が途切れたとき、塾の先生を観察するクセがある。今年も例に漏れずそうしていた。たくさんの塾の先生がいたが、観察していると、その先生の力量は伺い知ることができるものである。たくさんの通り過ぎる生徒の中から自分の教え子を見つけ出し、緊張をほぐし、生徒をいい顔にさせていく先生。生徒と無駄話をしているだけの先生。まわりに気を配れず、他の先生方の邪魔になっても、ずっと場所を取って話し込んでいる先生。色々である。ある若い先生。何人かの先生と一緒に立っていた。塾の旗を時折退屈そうに振っている。表情がよくない。ぼーっとしているのである。自分が何のためにそこに立っているのかの「覚悟」と「自覚」ができていないようだった。「勝負」に向かう生徒をそんな顔をして迎えてはいけない。そんな顔をするのはあなたに「本気」が足りなかったからだと推測する。あるいはそこに立っていることの「意味」を理解していないかのどちらかではないだろうか。受験勉強をやり抜いてきて、彼らは「勝負」の時を迎えている。リラックスさせるために軽口をきくのも構わない。笑わせてあげるのも時にはいい。でも一番大切なのは、彼らの頑張りを理解し、「勝負」の場所へ向かう彼らの気持ちに心を合わせ、敬意を払って言葉を掛けて、彼らに「勇気」を吹き込んであげることだと思う。それがたった一言の言葉であっても、無言の握手であっても、そういうものが伝わるならそれでいいのだと思う。「自分の顔を見るだけで生徒は安心するだろう」なんていうのは不遜な考えである。そういう凄い先生は稀におられるが、そんな先生は自分のことをそんな風に思っていることはめったにない。「俺はここに立っている先生の中で一番素晴らしい先生だ」と念じて、最高の顔をして立ってあげててほしい。歩いてくる受験生の顔を見ていると、不安げに自分の塾の先生を探している子は少なくない。友達と会話をしながら目の端で先生を探している。それをああいう顔をして立っているのはダメだ。そこに立っているということは「入試応援」が必要だと思って来ているということだ。そうであるならば、それは受験生のために塾の先生がしてあげられる「最後のこと」なのだから精一杯やってほしいと思う。まあ、私が一人ここで吠えたからといって何というわけではないのは承知であるのだが。ちょっとそんな風に思ったという話である。
February 9, 2007
電話ありがとう。
February 8, 2007
明日は大阪と京都の受験だ。明日もしっかり頑張ってほしい。「本番」というのはたった一日で彼らを磨き研ぎ澄ます。いい勝負をして、鍛え上げられた顔をして帰ってきてほしい。すべては第一志望までの道の途中なのである。頑張れ!
February 8, 2007
ある塾の先生にご依頼を受けて、とある難関校受験対策のアドバイスをさせてただいたのであるが、その「対策法」が見事に的中し、その中の英語長文がそのまま出題されたという。その生徒さんが合格されたのは、もちろんその子の実力なのであるが、同じ長文が出題されたときの心理的アドバンテージはかなり大きい。お役には立てたと思う。こういうことがあると「塾の先生」としてはかなり興奮してしまう。私は普段ブログで指導技術や教育的な話を書くことが多いのであるが、私は「塾屋」でもある。「塾屋稼業」は合格させてナンボである。実力が低かろうが何だろうが、一旦受験するとなったら、バシッと合格させるのが仕事である。「教育論」を崇高に語る傍らで、競馬の予想屋よろしく、「今年あたりはここが狙い目か」と眼光鋭く生徒を仕込むのである。ふっ、血が騒いだぜ。
February 8, 2007
チラシができた。みかみ先生も苦しんでおられたようであるが、私の方ができるのが遅かった。負けた。ふー。
February 8, 2007
俺は今日君たちの傍にいてやることができたわけじゃないしこの一年君たちを指導できたわけじゃないだからこんなことをいう資格があるわけじゃないかもしれないけれど聞いてほしい今日、悔しい思いをした君(人は苦しみの中からしか学べない)僕はその言葉をいつも心に抱いて苦しいときを乗り越えてきた「苦しみ」は僕たちに与えられた試練神様が逆境を「見事乗り越えてみよ」と君たちに難問を与えたそういうものだと思っている悔しかったら泣け腹の底から「悔しい」と叫べそうしてひとしきり「思い」を搾り出したら必ず楽になるそうしたら涙を拭き、顔を上げて正面を向こうそして静かに歩みを再開しよう再び歩みを始めた君は「青い炎」だ静かに燃えてその温度はメラメラと燃える「赤い炎」よりはるかに高い素晴らしい未来が君を待っているだから止まるな歩め
February 7, 2007
生徒Aさんへ(誰だか分かってるけど…)書き込みありがとう。とても嬉しいです。泣きそうになっています。今日の3時ですね。しっかり「結果」を見てきてください。 「いつか会いに行こう」なんて言わないでください。できるだけ早く来てほしいです。受かってても、そうでなくても。うんと成長した君たちの顔を見せてください。待っています。 こんにちは。あと2時間後には努力の結果を見に行くことになるのですが、その前に先生にお礼を言っておきたくて書き込みさせていただくことにしました。2年生のとき、まだサボり続けていた私を変えてくれたのは上江洲先生でした。上江洲先生が居なかったら、今の私はありません。いつまでたっても運に頼るダメ人間になっていたと思います。受験前夜、眠る前に色々な人を思い出しました。今まで私を支えてくれた、応援してくれた人全てを。その中でも、やはり上江洲先生の存在はとても大きかったです。勉強している折々で、上江洲先生の話や考えを思い出しました。あと2時間で私は2年間の成果を見に行きます。どのような結果になっても先生にはいつか会いに行こうと思っています(悲しい顔で会いには行きません、絶対に)。今までありがとうございました。
February 7, 2007
先々週から新しい仮面ライダーが始まった。その名も『仮面ライダー電王』という。息子は4歳なので、何とかレンジャーとか、仮面ライダーなどが大好きなのであるが、子どもが見ているとどうしても付き合わされて見ることになってしまう。前回の『仮面ライダーカブト』は、設定が複雑すぎるのと、話が暗いので、正直、面白くないなあと思っていて、今度の『仮面ライダー電王』というのもそれ以上に面白くなさそうだったので期待をしていなかった。キャラのモチーフが「桃太郎」で、しかも仮面ライダーのくせに電車に乗ってるという。おいおいそれはあかんやろと思っていたのであるが、これが意外や意外。面白いのである。もしかしたらこの先、めちゃくちゃ面白くなるかもしれない。話のテイストに「銀河鉄道999」と「デビルマン」が入っていて、「悪魔との契約話」と、「時間旅行」の設定が入っている。ありきたりかもしれないが、それを「仮面ライダー」にもってきたところが斬新だ。(もっと詳しく書こうかなと思ったけれど、めんどくさくなった(笑))この設定だと泣かせる話が作りやすいだろうと思う。シナリオに幅が出来る。登場キャラクターの設定もうまい。絶対毎週見てしまうと思う(笑)
February 6, 2007
私は思いっきり『自分の創りたい塾』を作りたいと思っている。ただし、自己満足で、世間のニーズと乖離したものを作ろうというのではない。もちろん『自分の創りたい塾』を作って、思う存分仕事をすれば、とてもやる気が出るし、何より気持ちいい。だから自己の満足のためであるという側面ももちろんある。大手塾の塾講師の先生方が、私や、あるいは他のイケイケ個人塾を営んでおられる先生のブログをお読みになると、「羨ましいなあ」という感想をお持ちになる方も少なくないはずだ。しかし、私が『自分の創りたい塾』を作ろうと考えているのは「自己満足」のためではない。私がそういう塾を作ろうとしているのは、『私の創りたい塾』が世間のある特定のニーズとマッチしていると確信しているからである。つまり、『創りたい塾』がビジネスとしても成功すると踏んでいるので、私は『自分の創りたい塾』を作ろうとしているのである。いくら自分の創りたい塾を作ったとしても、それで塾としての経営が成り立たないようでは話にならない。もし、私が、自分の『創りたい塾』が世間に受け入れられないと判断していたら、私はきっとそこに「妥協」をブレンドしてアレンジを加えたことだろう。もっとも、みかみ先生とお会いして、お話しさせていただいたときに、私の「塾感」がぐらりと揺らいだ。所詮、私は大手塾講師だったので、創りたい塾を我が儘に作るといっても、私の価値観や習慣は「大手塾」の運営手法に大きく影響を受けている。みかみ先生の自由な発想やぶっ飛び方を肌で感じると、いかに自分が既成のものに縛られているかが分かった。これは大きな発見であった。そういう点で考えると、私は大手塾講師のバランス感覚を身につけつつ、「好き勝手」をしようとしている。ある意味、これはこれで強い武器になるのではないかと思っている。絶妙のバランス感覚になり得るからだ。各自が自分の持っている「武器」を最大限に活かして、自分の勝ち方を見つければよいのだ。ただ、学び続けることは絶対に必要である。己の力を過信し、学び続ける姿勢を失えば、うまくはいかないのは当然である。子ども達に、「学べ」と言っているくせに、それができない人はきっと運を失うであろうし、そういう人は滅ぶべきだともちょっと思ったりする。
February 6, 2007
今日、中3が入試を終えて塾へやってきた。皆、ひと仕事終えた、いい顔をしていたように思う。ちょっぴり「勝負焼け」した顔が頼もしい。最初は皆でお菓子を食べながら色々感想を聞いて回った。そうやって一度「吐き出させる」ことは大切だと私は思っている。いつもより多めに冗談を言い、気持ちをほぐそうとした。話している間にとびっきりいいいたずらを思いつく。私は笑顔をやめ、おもむろに衣を正して真面目に話し始めた。彼らも「あ、先生が真面目に話し出した」と姿勢を正して私を顔を見る。 「え~、私立の入試が終わると、問題集を二冊配布します。この二冊の問題集をやり込むことによって合格を確実なものにします。決していいかげんにやらないようにしてください。そこが合否の分かれ目になってしまいますから。」「あ、現物を持ってきた方がいいですね。ちょっと職員室へ行って取ってきます。」 私は職員室から旺文社の『全国高校入試問題正解』いわゆる「電話帳」の英数国と理社の二冊を持ってきて一番前の机の上にどーんと置いた。 皆の顔がひきつる。特にYANAさんが目をむいて固まったのが可笑しいのをこらえるのに必死だった。 「公立受験合格の鍵は量をこなすことです。・・・」 と演技を続けようとしたところで、あまりに固まっているのが可笑しくて噴出してしまった。 「ウソだよ!こんなにやらせないよ」 とたんにひっくり返ったように大笑いとなった。 大笑いが一段落した後、クラスは落ち着きを取り戻し、集中状態へと入っていった。いつもの集中力だ。これから勝負が二回、あるいは三回ある。気持ちの切り替えをしながら、頑張りぬいてほしい。この一ヶ月の過ごさせ方はとても難しい。こういうとき「ユーモア」というのは飛びっきりの潤滑剤になる。(もちろん、失敗したといって落ち込んでいる子がいないからできたのだけれど)
February 5, 2007
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