おじん0523のヒロ散歩

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2019.04.30
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カテゴリ: 東海道53次
今日は平成最後の日です。
今回の「令和」への元号変更で経済効果が5兆円あるとか。
新年号の時代も平和で災害が少ないことを。

旧東海道を歩き江尻宿(現在の静岡市清水区)の稚児橋から府中宿へ向かう。

3/15(金) 11:20
魚町稲荷神社。
所在地:静岡県静岡市清水区江尻町14-9
境内には巨大なサッカーボールの石碑がある


永禄11年(1568)12月、駿河に攻め入った武田信玄は翌年、江尻城を築いた。その後

稲荷社を造営した。江尻城は関ヶ原の合戦後に廃城となった


鳥居と本殿


本殿横に巨大なサッカーボールの石碑


日本少年サッカー発祥の碑。
清水エスパルスの選手が、シーズン前に必勝祈願に訪れることで有名


昭和30年代、日本のサッカーは、いわゆる御三家と呼ばれた広島、藤枝、浦和を中心
に展開していた。その頃清水は、どこにでも見られるごく平凡な地域の一つであった。
昭和31年、ここ魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー好きの新任教師(堀田)
が赴任した。その日から先生は子供達と毎日運動場でボールをけった。ところが当時
江尻小学校には ”ボールを、足で蹴ってはいけない” という校則があった。
しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て、校長先生も許可をした。



11:23
江尻城跡
昔この江尻小学校および中部電力清水営業所の敷地周辺に江尻城(小芝城)があった


11:29
旧東海道に戻り。



11:30
巴川に架かる稚児橋


旧東海道の「江尻宿木戸跡の碑」方向


巴川の下流方向、欄干には河童。
巴川に架かるこの橋は、家康の命により慶長12年(1607)
に架橋された。渡り初めをしようとした際に、川の中から
河童の稚児が現れたという伝説から橋の名前が江尻橋から
稚児橋になった。ここから沼津行きの船が出ていた


橋の四隅に立つ河童


男の子の河童





女の子の河童


11:36
入江二丁目交差点、旧東海道はここを右斜めに入る


11:37
旧東海道を府中宿方面へ歩く、左側に旧東海道の道標「法岸寺」入り口


旧東海道の道標「法岸寺(ホウガンジ)」入り口


浄土宗 法岸寺
所在地:静岡県静岡市清水区入江南町3-33


11:39
白壁の家は「?餅」


11:39
旧東海道沿いにある「慈雲禅寺」


臨済宗妙心寺派 慈雲禅寺
所在地:静岡県静岡市清水区入江2-2-30


慈雲禅寺は今からおよそ四百数十年前(十六世紀末)一安禅師によって、聖観世音菩薩
を本尊として開創された臨済宗妙心寺派の禅寺である。
臨済宗は、お釈迦様の正法をを受けつぎ、初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、白隠禅師に
及ぶ禅宗で、自心佛であることを信じて坐禅に励み、本当の自分にめざめ脚下を照顧
めて生きることを信条にしている


長泉智牛和尚之墓所
長泉智牛和尚は、豊後国(大分県)に生まれ、白隠禅師に師事した
高僧、常に農業の振興につとめ、当時やせ地に悩む三保の農民を
救うため、遠く九州からサツマイモの苗を取り寄せ農民にすすめ
た。サツマイモは砂地でも良く育ち、たちまち三保全土に広がっ
た。そして、慈雲寺の芋和尚と親しまれ、長い間初穂七俵を贈る
船が出されたという。

入江小学校発祥之地。
明治5年(1872)学制発布に基づき、翌6年本堂に入江小学校の前
身である入江学舎が創立されたが、その運営は困難を極めた。
その中で、時の住職端道和尚は、読み書きを学ばせ、体操の代
わりに縄をなわせ、女子には子守をさせながら、畑の桑をつま
せて養蚕を行い、機織りをし、その利益で筆や紙を買い学校を
続けたという

八ッ石


慈雲禅寺の本堂
本堂の扁額は「慈雲寺」


境内にあった摩尼車(マニグルマ)。
摩尼(マニ)とは、インドの古い言葉で、無垢・離苦如意を意味し、宝珠の総称です。
宝珠には、不幸・災難を除き、濁水を清水にする不思議な力があるとされている。
心静かに、念じながら、回してくださいと


山門からの本堂


11:44
江尻宿木戸跡の石柱


11:45
旧東海道の店頭に「祝 静岡市民栄誉賞受賞 さくらももこさん」
の貼り紙が。そう言えばこの辺りに生家があるのでは?


11:47
「江尻宿」案内板


入江3丁目交差点


11:48
旧東海道は、県道197号線「入江富士見線」を横切る。
三保・日本平方面で、静鉄「桜橋駅」へ


11:51
清水銀行追分支店手前の交差点から、国道1号線方向


清水銀行追分支店
旧東海道を振り返る、江尻宿方面


旧東海道の前方に「追分羊かん 本店」の看板


12時になりお腹も・・・・・


11:55
追分羊かん 本店
所在地:静岡県静岡市清水区追分2-13-21
ここまでの歩数は、自宅から16,700歩


この地方に伝わる羊かんの由来は、江戸初期までさかのぼる。ある砂糖商人が箱根の
山中で旅に病める明(中国)の僧に出会い、手厚く介抱した。やがて病が癒えた僧は深
く感謝し、小豆のあつものづくりの秘技をねんごろに伝授して旅立っていったという。
街道沿いの追分付近にある追分羊かん本店のほか、市内各所で購入可能


最中を一個食べながら、美味しいお茶を頂いた。
奥には団体客用の部屋も


12:01
店内でお土産も購入可能


追分羊かん 本店前にある道路案内


12:04
遠州都田の吉兵衛の供養塔


春まだ浅き文久元年(1861)、正月15日、清水次郎長は子分の森の石松の恨みを晴らす
ために、遠州都田の吉兵衛(通称都鳥)をここ追分で討った。その是非は論ずべくも無い
が吉兵衛の菩提を弔う人も稀なのを憐み、里人が供養塔を最期の地に建立して俠客の霊
を慰さむ。此處を訪れる諸士は彼のために、一掬の涙をそそぎ香華を供養されるならば、
黄泉の都鳥もその温情に感泣するであろうと


12:06
夢舞台東海道道標「元追分」
道標には府中宿 宿境まで二里七里(8.8km)
江尻宿 宿境まで七町(0.8km)


12:07
金谷橋


昔からこの辺りは、東海道と清水湊への道「志ミづ道」の分岐点であることから
「追分」と呼ばれていた


追分と金谷橋の今昔
周囲には数軒の家が並び街道の両際は松並木が続き、その
両側には田んぼが広がり遠くには富士山が望めた。
往来の旅人は土橋であった金谷橋を渡ったが、重い荷物を
運搬する牛馬は橋横の土手を下り渡川して土手に上り街道
に合流した。古来、牛道と言われた名残りを今にとどめて
いる東海道の史跡であると


12:12
静岡鉄道のちびまる子電車


踏切手前に「追分」道標


JR東海道本線の興津行き電車


12:14
JR東海道本線と静岡鉄道の追分踏切を渡り府中宿へ



                         興津宿から丸子宿手前ー続く







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最終更新日  2019.05.05 23:08:44
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