おじん0523のヒロ散歩

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2020.03.07
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カテゴリ: 東海道53次
​赤堀駅から旧東海道を南下する。        

1/20(月) 7:39
旧東海道を進む、この時間になると国道1号線が渋滞しているのか車の量が多くなる


前方は鹿化川(かばけがわ)、川底が高いので道は上って越える。ゲリラ豪雨時は床上浸水
が心配なエリアである


鹿化橋(かばけはし)と珍しい名前である


鹿化川の下流


現在地:鹿化川左岸


鹿化川の歩道橋を渡る



橋を渡り下る


7:44
前方に神社の鳥居


大宮神明社
所在地:三重県四日市市日永1丁目12-8
6月30日の夏越しの大祓(輪くぐり神事)は大勢の参拝者と露店で賑わいます


当社は永宮さんとも呼ばれ、主祭神として天照大御神を祀る。
昔は現在の南高校のある岡山の麓まで海であって、その海辺に舟付明神があった。
垂仁天皇の時代に倭姫命が天照大御神を伊勢の地にお遷しする際にこのお社に一時
お留まりになったという伝えもある。その舟付明神が四百年ほど前に炎上し、当時
出来つつあった道路(東海道)近くに遷ってきたのがこのお社である。

回って獅子を舞わしている


足長オジサン


御由緒
当神社は岡山(現県立南高校)に鎌倉時代より奉斎されていたが永禄5年この地に遷る。
祭神は伊勢の神宮とご同神を祀る。

一名永宮神社と云う


大宮神明社拝殿、右側には摂社二柱大神社


大宮神明社拝殿


本殿の右横には大己貴命、少彦名命を祀る摂社二柱大神社(センキさんとも言う)があり
病気を治す神様として有名である


大宮神明社拝殿から東側を


7:48
神社の片隅には稲荷さんも


7:52
旧東海道沿いの「鮮魚仕出し 魚傳」、まだ営業しているのか


旧街道に戻ると掲示板に「行けるはず まだ渡れるは もう危険」


古民家が残る


7:55
弥次さんが、iPhone を見ながら右の「大聖院 50m」へ


旧東海道を右に入ると石碑が


石碑は「水沢道標」
大正12年(1923)の水害まではこの横の道が水沢方面に通じる道路であった。このため、
今から約二百年ほど前に大阪の古銭収集家の河村羽積という人が、東海道から水沢道が
分かれる角に立てたのがこの道標である。
水沢の楓谷は紅葉の名所であり、昔は菰野藩主の土方公が必ずこの紅葉を愛でられたと言う


この碑の表面には
「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」
裏面には
「猿丸大夫名歌古跡すい澤へ是ヨリ三里」と彫られている。
猿丸大夫の名歌とは「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」と詠まれた
ものである


7:57
旧東海道を西側に入ると前方に


旧東海道を西側に入ると「大聖院の山門」
所在地:三重県四日市市日永2丁目11-7


無動山 大聖院
当山は行基菩薩開創、平安時代には醍醐寺座主定海僧正御住坊であった。永禄8年(1565)
松井親蔵法印が千種氏の庇護のもと、一族の守り本尊であった不動明王を奉じ氏寺として
寺院を再興された。元禄3年(1690)中興第四世海養法印は寺地を今の地に定め、寺号を大
聖院と改めた。中興第七世快養法印は神戸藩内の寺社仏閣から選ばれて、延享3年(1746)
神戸城地鎮祭の祈祷を執り行いし名僧であった。・・・・・・・・・・・・・・。
本尊不動明王(秘仏)は、鎮守府将軍源頼義公、義家公父子の念持仏で、平安後期の代表的
尊像として、大正4年(1915)国宝(重要文化財)に指定されている


三重県指定有形文化財(絵画)「絹本著色釈迦三尊十六善神像(秘仏)」
無動山大聖院奉安の本図像は、縦111.7cm、横55.7cmの掛幅で、釈迦三尊像での裏彩色を
施し表から金箔を押す丁寧な仕事ぶり、着衣の盛り上げ文様の手際などから、奈良・京都の
中央の絵仏師による鎌倉時代中期の制作と考えられる。・・・・・・・・・・・・・


重要文化財(彫刻)「木造不動明王立像(秘仏)」
無動山大聖院本尊木造不動明王立像は、平安時代後期の柔和で優美な特徴をよくとらえた
像高95cmの桧材一木造の彫像である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


山門を入り、正面に本堂


当山は、天平十年行基菩薩の開創にして、平安末期、醍醐寺座主定海僧正の御住坊なり。
醍醐三寶院直末、神戸藩主の御祈願寺として信仰を集め、現在に至る。
本尊の不動明王は、鎮守府将軍源頼義公の念持仏にして、源氏歴代の武将によって信奉
され大正4年8月国宝に指定されし尊像なり


境内の梅の蕾はまだ固い


石柱には「國寶不動尊」


8:00
山門の鬼瓦?
小さなお寺であった


8:02
旧東海道に戻り進む


8:04
中央を天白川が流れる、町割り


8:05
旧東海道を進むと右手に


真宗高田派 日永山 興正寺
所在地:三重県四日市市日永2丁目9-6


当山は浄土真宗高田派で、創建は貞観6年(864)と言われている。登城山にあったときは
天台宗であったが。文暦元年(1234)親鸞聖人が当寺に立ち寄られたとき浄土真宗に改宗
した。その後二百年くらいして、本山の第十世真慧上人が津の一身田に本山を定められ、
高田派となった。天文13年(1544)本山第十二世堯慧上人は、当寺で「日永千部」という
本寺の復興勧進法要を勤められ、興正寺は有力な末寺となった。
天正2年(1574)現在地に移る


堯慧(ぎょうえ)上人は織田信長にも治安維持を願い、滝川一益が興正寺に対して出した
「日永興正寺四至傍至の事」という寺領を与える文書、豊臣秀吉の寺内「禁制状」など
を有している。また、徳川家もこの寺を保護するよう配慮した。
天白川がこの寺を囲むように曲がっているのも、滝川一益が堀の役目をするようにした
と言うことで、この堤を昔の人は滝川堤とも言った


山門を入り左側に「鐘楼」と「??堂」


本堂の背後を天白川が流れる


8:10
興正寺の鐘楼



                                 四日市宿~庄野宿ー続く​





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最終更新日  2020.03.07 03:00:04
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